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  • 里山の石神端書184 日蓮大菩薩(山梨県南部町)

    南部町本坊の原間・法眼寺の日蓮大菩薩南部町は奥州南部氏の発祥の地、身延山参詣の道の地でした。糸さくらで有名な原間つどいの家はかつての法眼寺。この入口に題目塔が3基立っていました。二つは「南無妙法蓮華経」銘の髭題目塔、一つは「南無日蓮大菩薩/五百遠忌」銘。日蓮大菩薩は、南北時代の北朝第四代・後光厳天皇から送られた諡号(しごう)。千葉県小湊誕生寺の資料には「延文3年(1358)夏大旱魃があり、京都妙顕寺の大覚上人は時の後光厳天皇より祈雨の修法を命ぜられました。大覚上人に修法は効験を顕わし、その功績によって日蓮聖人に大菩薩号を賜り、自身は大僧正に任じられた」とあります。五百遠忌は、日蓮が亡くなった弘安5年(1282)から500年後の年忌法要。身延山の日蓮は病気になったため山を下り、常陸へ向かいました。故郷の小湊...里山の石神端書184日蓮大菩薩(山梨県南部町)

  • 里山の石神端書183 道祖神(山梨県南部町)

    南部町本郷の原間・三差路の道祖神南部町は奥州南部氏の発祥の地、身延山参詣の道の地でした。原間集落の三差路に丸石が備えられた新旧の石祠が二基並んでいました。これは道祖神だと思いましたが銘はなく、山梨では丸石があっても道祖神とは限らず、地元に人に確認が必要です。何の神を祀ったものか、近くの古老に尋ねると、石祠は道祖神で、新しい道祖神は近くに3カ所にあったものをここにまとめたもので、丸石も道祖神だそうです。お祭りもしているとのこと。この後も、この周辺で幾つかの道祖神を確認しましたが、すべて石祠でした(地図の青丸印)。峰集落の路傍若宮集落の若宮山王社入口杉尾集落の路傍(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書183道祖神(山梨県南部町)

  • 昭和の石仏写真館(129)大田区の寺社⑯矢口

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区矢口圓應寺圓應寺庚申塔案内圓應寺庚申塔庚申堂庚申堂の庚申塔矢口の渡し跡花光院花光院の六地蔵新田神社新田神社の矢口新田神君之碑案内新田神社の矢口新田神君之碑昭和の石仏写真館(129)大田区の寺社⑯矢口

  • 里山の石神端書182 丸石(山梨県南部町)

    南部町本郷の若宮・若宮八幡神社の丸石南部町は奥州南部氏の発祥の地、身延山参詣の道の地でした。八幡神社の入口に石祠、馬頭観音、「馬頭観世音」銘石塔2基が並んでいました。どこにでもある風景ですが、どんな祀神にも丸石が置かれているのが山梨風です。南部は静岡県に接する町ですから、丸石文化がここまできているのかという印象でした。丸石を道祖神として祀ることは山梨ではごく普通に見られ、他の地方にもないわけではありませんが、甲府と中心とした地域では極めて多くの丸石が道祖神として祀られています。また丸石が必ずしも道祖神でなく、屋敷神はじめいろいろな祀神にも置かれていのも山梨なのです。山梨の道祖神を研究した中沢厚氏は『山梨県の道祖神』(注1)で石祠・木祠・文字碑・双神・単神・丸石・石棒などを取りあげるなかで、丸石信仰について...里山の石神端書182丸石(山梨県南部町)

  • 里山の石神端書・神奈川県山北町河内川流域

    山北町大蔵野・須賀神社の忠魂碑山北町大蔵野・長光寺の唯念名号塔山北町山市場・平山満蔵寺の断橋供養塔山北町神縄・神尾田神社の笠付角柱型庚申塔山北町玄倉・道祖神里山の石神端書・神奈川県山北町河内川流域

  • 里山の石神端書181 道祖神(神奈川県山北町)

    山北町玄倉・道祖神玄倉は玄倉川最後の集落。かつてはこの集落に一泊して塔ノ岳や蛭が岳を目指したが、今はここまでの道が丹沢湖に沈み、玄倉から先のルートは崖崩れなどで閉鎖されています。集落の入口に立つのが新旧二体の双体道祖神が立っていました。古い像は「安永九子天(1780)」、新しいのは「平成二十八年/玄倉自治会」銘。神奈川県の西部は、男女区別のない江戸時代初期の古い双体道祖神が多ところです。江戸中期になって男女の区別が出てきても、手をつないだり、肩を組んだり、酒器を持ったり、まして抱き合ったりする像は造立されませんでした。古い双体像を見ますと江戸中期の造立で、向かって右の被り物がるのを男神とすると、左の顔が風化しているのが女神です。手は持物があるようですがよくわかりませんが、神奈川県西部の伝統的は双体道祖神で...里山の石神端書181道祖神(神奈川県山北町)

  • 昭和の石仏写真館(128)大田区の寺社⑮西六郷

    伊藤介二・昭和の石仏写真館(128)東京都大田区西六郷宝憧院宝憧院の石船宝憧院の石船案内安養寺安養寺の百味供養塔安養寺の参明藤開山安養寺の富士講案内薬師寺薬師寺の廻国供養塔薬師寺の廻国供養塔昭和の石仏写真館(128)大田区の寺社⑮西六郷

  • 里山の石神端書180 笠付角柱型庚申塔(神奈川県山北町)

    神奈川県山北町神縄・神尾田神社の笠付角柱型庚申塔丹沢湖の神尾田地区の神社が湖南岸の小高い山の上に建っています。その入口に並ぶ石造物の一つが笠付角柱型庚申塔。石塔の上部が削られて角柱に見えますが、脇に笠が置いてあります。「享保十四年(1729)/庚申供養塔」銘と、角柱の正面と左右側面の三面にそれぞれ猿が浮き彫りされています。笠付角柱型庚申塔は神奈川県でよく見かけ、江戸時代初期のものが多いのが特徴にようです。またこの型は神奈川だけでなく、関東各地にも点在しています。さらに同型で正面に青面金剛・四夜叉・二鶏・三猿などを集めた塔を含めると、数はさらに増えます。庚申塔の形式分類をした石神裕之氏は「近世庚申塔にみる流行型式の普及」(注)で、五輪塔・宝筐印塔から自然石まで18の型式に分類し、そのなかで笠付型を笠付角柱型...里山の石神端書180笠付角柱型庚申塔(神奈川県山北町)

  • 里山の石神端書179 断橋供養塔(神奈川県山北町)

    神奈川県山北町山市場・平山満蔵寺の断橋供養塔満蔵寺の境内奥に「断橋遭難供養塔」が立っていました。「大正四年十月廿七日夜/吊橋墜落遭難志望者」銘もあります。死者は男1名、女5名。河内川沿いの集落はどこも左岸にありますが、平山だけが右岸にあり、吊り橋で行き来していたのでしょう。二十七夜の月の出は翌日の朝方、何かの集まりの帰りの真っ暗な吊り橋を大勢で渡ったのでしょう。その重みに吊り橋は耐え切れず、谷底に落ちてしまった。十月下旬の谷川の水は冷たかったはずです。境内には石幢もありました。地蔵が持つ蓮華(?)がユニークです。(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書179断橋供養塔(神奈川県山北町)

  • 昭和の石仏写真館(127)大田区の寺社⑭南馬込

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区南馬込北野神社北野神社の庚申塔萬福寺萬福寺の六地蔵円乗院円乗院の大日如来熊野神社熊野神社の庚申塔昭和の石仏写真館(127)大田区の寺社⑭南馬込

  • 里山の石神端書178 唯念名号塔(神奈川県山北町)

    神奈川県山北町大蔵野・長光寺の唯念名号塔大蔵野は山の斜面にあり、段々畑と坂道からなる集落です。そのため曹洞宗長光寺の境内も狭く、墓地は少し離れた山の斜面を削って造られました。何もないと思った境内奥に名号塔と庚申塔がありました。名号塔の名号は仏・菩薩の名。とくに南無阿弥陀仏の六字名号を刻んだものを名号塔とすることが多い。長光寺の名号塔には丸みのある豪快な文字で「南無阿弥陀仏」、下に「唯念」の花押。これは丹沢の西の山中、静岡県小山町の奥の沢を拠点に駿河・伊豆・相模一帯で念仏布教をした唯念(1826~80)の唯念名号塔です。庚申塔は笠が失われているが、これは笠付角柱型といわれる庚申塔。正面と左右脇に猿が刻まれているものです。正面には「過去心不可得」銘。仏書によると、金剛経のなかの三世心不可得の一つのようです。残...里山の石神端書178唯念名号塔(神奈川県山北町)

  • 里山の石神端書177 忠魂碑(神奈川県山北町)

    神奈川県山北町大蔵野・須賀神社の忠魂碑第二東名の工事が進む大北野の集落では、トンネルと橋の工事が同時に進行して賑やかな様子。そのなかに鎮まっている須賀神社に忠魂碑が立っていました。忠魂碑は国のために戦って戦死した兵士を祀るために造立された石碑。その始まりは、幕末の戊辰戦争の官軍戦死者を表彰するため、明治2年に東京九段に創建された東京招魂社にあるそうです。これが明治12年に靖国神社と改名して今日に続いています。これとは別に各地で忠魂碑が立てられました。須賀神社の招魂碑は「陸軍大将乃木希典閣下直筆」銘がある日露戦争の戦没者を祀ったもので、背面に出征軍人として、国民兵之部・後備役之部・予備役之部、補充兵役の名前が並んでいました。一見してこちらも賑やかに様子ですが、神社は鎮まりかえっていました。(地図は国土地理院...里山の石神端書177忠魂碑(神奈川県山北町)

  • 昭和の石仏写真館(126)大田区の寺社⑬山王

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区山王善應寺義民六人衆案内義民六人衆熊野神社1熊野神社2熊野神社狛犬熊野神社狛犬厳島神社昭和の石仏写真館(126)大田区の寺社⑬山王

  • 里山の石神端書・茨城県笠間市愛宕山山麓

    石岡市真家・明圓寺の中興碑笠間市泉・隠沢観音の石燈籠蓮華笠間市泉・龍泉寺の立春大吉お札笠間市下郷・三社神社入口の子安観音笠間市上郷・瀧入不動堂の子安観音笠間市泉・愛宕山の十三天狗里山の石神端書・茨城県笠間市愛宕山山麓

  • 里山の石神端書176 十三天狗(茨城県笠間市)

    茨城県笠間市泉・愛宕山の十三天狗天狗の面が飾られた愛宕山の本殿裏に、この山の祭神飯縄社が祀られていました。その背後に並ぶ石祠が十三天狗。中央に一回り大きな石祠を置き、コの字型に12の同じ石祠が並んでいます。知切光歳氏は『天狗の研究』(注1)で、愛宕山の十三天狗は「平田実篤の『仙境異聞』(仙童寅吉物語)によって、にわかに世人の注目を浴び、重味を加えた(略)寅吉が言いだす以前は、ささやかな無名天狗群の小祠にすぎなかったし、もっと以前は十二天狗であった」と説明しています。寅吉は江戸にいた超能力を持ち、愛宕山に飛んで修行をしたという子供。実篤が寅吉から聞き書きを始めたのは文政三年(1820)とされ、これが実篤の霊界へ入る切掛けの一つとなったといわれています。十二天狗は古くから愛宕山にいた天狗。新しく加わったのは筑...里山の石神端書176十三天狗(茨城県笠間市)

  • 屋上菜園2023-04闘病日記12

    玉ネギ・ニンニク・絹サヤが元気に育っているいつもの風景です。3月初めに植えたジャガイモはなかなか芽を出さず、ヤキモキしましたがやっと出ました。*食道がんステージ4で抗がん剤治療中。昨年の秋彼岸に、両親に病気の報告がてら田舎へ墓参りをしました。その時はこれが最後かなと思っていましたが、墓を守っている弟夫婦に春彼岸に会う約束をしました。それから半年、抗がん剤治療が効いてこの春彼岸もどうにか墓参りができそうな状態になりました。田舎への途中、栃木の山奥の寺の和尚と話をする機会があり、ガンの話になりました。すると和尚は、私はガンと知らされたとき心の病も発症してしまいましたというのです。宗教者でも心の病になるんだと思うと同時に、正直な和尚さんに出会ってホッとしました。田舎のお寺は最近本堂を建立したばかりです。本堂の壁...屋上菜園2023-04闘病日記12

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