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  • 里山の石神端書175 子安観音(茨城県笠間市)

    茨城県笠間市上郷・瀧入不動堂の子安観音本堂脇に二条の滝を落とす瀧入不動堂の本尊不動明王のご開帳は1月28日と7月28日。28日は不動の縁日です。境内には石仏がいくつかありますが、不動明王はありません。いくつかの石仏では子安観音、子抱地蔵、如意輪が目を引きました。子安観音は垂髪で顔を横にして抱いた子供を見つめるこの地方独特の姿です。それに菩薩形の子安観音が並びます。子抱地蔵は右手に錫杖、左手に子供を抱く姿。如意輪観音には「十九夜供養塔/元禄十丁丑天(1697)」銘がありました。前回紹介した光野志のぶ氏は、子安講の集まりで掲げる軸に子安観音や嬰児を抱く神仏の姿はないとしたうえで、「子安講は、一つの寺社、あるいは一定の神仏を信仰するというよりは、安産、子育てにご利益があるときけば、観音さまでも、お地蔵さまでも、...里山の石神端書175子安観音(茨城県笠間市)

  • 里山の石神端書174 子安観音(茨城県笠間市)

    茨城県笠間市下郷・三社神社入口の子安観音三社神社の入口に幾つかの石仏が覆い屋に並んでいます。子安観音・子安地蔵・庚申塔、文字の聖徳太子・二十三夜などです。このなかで笠間市周はじめ、茨城・栃木・千葉の北総でよく見るのが子供を抱く観音・子安観音です。この姿は江戸時代初期の十九夜塔の本尊如意輪観音が、中期以降子供を抱く観音に姿を変えたものと指摘されています。三社神社入口の子安観音はさらに進んで、子供を抱く垂髪姿。茨城ではこのおばさん顔の子安観音をよく見ます。なかには横向きで子供を見つめる姿もあります。次に三社神社がある岩間町(笠間市)の子安観音を調査した光野志のぶ氏の「茨城県の子安観音像(注)から、子安観音を造立したのはどのような人たちかを紹介します。光野氏は岩間町に子安観音は45基、二十三夜塔は46あり、十九...里山の石神端書174子安観音(茨城県笠間市)

  • 昭和の石仏写真館(125)大田区の寺社⑫山王

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区山王日枝神社円能寺大森貝塚天神神社天祖神社横の庚申堂庚申堂の庚申塔・寛政12年(1800)薬師堂薬師堂の富士講碑案内薬師堂の富士講碑昭和の石仏写真館(125)大田区の寺社⑫山王

  • 里山の石神端書173 立春大吉(茨城県笠間市)

    茨城県笠間市泉・龍泉寺の立春大吉お札2月初め、龍泉寺の静まった山門には豆まきの豆が落ちていました。そして山門の柱には新しい「立春大吉」「鎮防火燭」の貼り紙。この季節ならではのお寺の風景です。「立春大吉」の立春は冬から春になる節目の日、大吉は良い運で今年も良い年でありますようにという願い。「鎮防火燭(ちんぼうかしょく)」は竈や照明の火を鎮め防ぐという意味で、禅宗の寺から始まって広まったようです。火の字を小さくするのがミソとか。ところでこの龍泉寺という名は水に関係しているのでしょうか。境内奥に祀られた覆い屋のなかには水神の「八大竜王大善神」の社が祀られ、寺の下には出水不動と呼ばれている不動明王が立ち、さらに下流には大きな貯水池があります。八大竜王を祀り、不動明王が護り、池を造って山麓に水田を開発したように見え...里山の石神端書173立春大吉(茨城県笠間市)

  • 里山の石神端書172 蓮華(茨城県笠間市)

    茨城県笠間市泉・隠沢観音の石燈籠安産子育ての観音として知られた隠沢観音は愛宕山の南の鐘転山の山麓に建つ古刹です。参道の先の長い石段脇の如意輪観音や不動明王を見ながら登ると本堂。境内に立つ一対の石燈籠が迎えてくれます。石燈籠の竿は四角形。向かって左は未敷(みふ)蓮華、右は開敷(かいふ)蓮華が大きく浮き彫りされていました。未敷蓮華は容易に悟ることができない姿、開敷蓮華は悟りを開いた姿と言われています。蓮華ばかりでなく、火袋も笠の四角形の美しい石燈籠でした。正徳二年(1712)の造立。境内奥にはこの地方に多い光明真言塔もありました。下部に「光明真言一億五百□」らしきの銘があります。これは南無阿弥陀仏を唱える念仏講と同じように、光明真言を集団で一億五百□回唱えたということだと思います。振り返ると関東平野や霞ヶ浦も...里山の石神端書172蓮華(茨城県笠間市)

  • 里山の石神端書169 中興碑(茨城県石岡市)

    茨城県石岡市真家・明圓寺の中興碑明圓寺は親鸞上人二十四輩の明法(弁圓)が開いた寺。境内に「明圓中興/天保乙未(1835)/法證院釋正道法」銘がある墓石が残っています。親鸞は越後に流罪になった後、関東で布教活動をします。二十四輩は親鸞が関東で布教をしたとき一緒に行動した高弟24人で、その人たちが開いた寺も指します。明圓寺を開いた明法(1184~1251)も二十四輩の一人で、元は修験道の行者だったようです。寺の案内によると、明圓寺は天明六年(1786)に山津波で本堂・庫裏ともに流されてしまったとあります。そうしますと今明圓寺の境内に残る天保六年の明圓中興碑は、流された本堂を再建したことを記しているようです。寺の脇に「馬滝」の案内があったので登ってみました。修験者の妙法→滝→不動明王という方式で滝のどこかに不動...里山の石神端書169中興碑(茨城県石岡市)

  • 里山の石神端書・千葉県長南町小生田川流域

    里山の石仏端書164長南町地引・八坂行堂の行堂、百八社参り札里山の石仏端書165長南町地引・妙覚寺の延命地蔵里山の石仏端書166長南町地引・正善寺の白井鳥酔碑里山の石仏端書167長南町地引・行堂跡と梵天里山の石仏端書168長南町小生田下・大乗寺の石燈籠里山の石仏端書169長南町小生田下・熊野神社の手水鉢里山の石仏端書170長南町小生田上・小生田行堂の大日如来里山の石神端書・千葉県長南町小生田川流域

  • 里山の石仏端書170 大日如来(千葉県長南町)

    長南町小生田上・小生田行堂の大日如来小生田の行堂は民家風の建物、玄関の上に「小生田行堂」の看板がかかっていました。いまでいう集会所のようなもので、内部に祭壇を設え、出羽三山講の人たちが三山に出かける前にはここに籠って身体を清め、毎月の8日にはここで地域の安全や五穀豊穣を祈願するそうです。行堂の前に石造物が並んでいました。石仏はいずれも出羽三山の湯殿山の本尊大日如来です。古いのは①「享保四(1719)」の胎蔵界大日、次に②享和十一年(1726)の金剛界大日と③「明和四年(1767)の金剛界大日の三体。①②は墓石です。この地方の出羽三山講は講員の葬儀も行っていたそうで、墓石にも三山の象徴である梵天を立てているところがあります。出羽三山供養塔もあり、三山銘のしたに芭蕉の俳句が刻されていました。「雪能峯以久つ久津...里山の石仏端書170大日如来(千葉県長南町)

  • 昭和の石仏写真館(122)大田区の寺社⑪六郷

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区六郷妙法稲荷熊野神社観乗寺寶泉寺六郷神社専修寺関東別院北野神社六郷鉄橋昭和の石仏写真館(122)大田区の寺社⑪六郷

  • 里山の石神端書169 家紋(千葉県長南町)

    千葉県長南町小生田下・熊野神社の手水鉢熊野神社神社境内に「天明八戊申年(1788年)」銘の形の整った手水鉢があります。その側面に家紋が刻されていました。手水鉢に家紋となると、個人あるいは一族で奉納したものなのでしょうか。測面には3人の名もありました。家紋の本に当たってみると、八剣輪宝のようですが、この家紋もいろいろあり、手水鉢の家紋は見当たりません。輪宝は修験関係者が仏教でいう輪宝を家紋に取り入れたものという説もありました。家紋というと子供のころ、お盆のとき仏壇前に下げる大きな提灯に源氏車があったので、これが我が家の家紋だと思っていました。ところがカミさんと結婚するとき、用意する留袖などには嫁ぎ先の紋を入れるということで、初めて我が家の家紋が三つ葉かたばみだと知りました。源氏車は母の実家の家紋でした。いつ...里山の石神端書169家紋(千葉県長南町)

  • 里山の石神端書168 石燈籠(千葉県長南町)

    千葉県長南町小生田下・大乗寺の石燈籠大乗寺の境内に入る石段に石燈籠が立っていました。新しい燈籠で火袋のところに如来仏が浮き彫りされていて、石幢に近い構造です。よく見れば石幢としては笠も宝珠もおかしな造りのうえ火袋もあるし、中台や竿の節などは石燈籠ですから、石燈籠としました。石造物の世界も時代により変化してきましたが、製作がグローバル化した最近では突然新しい形が出てきますから判断にとまどうことがあります。近くに覆い屋に入った地蔵菩薩もありました。こちらは正当な地蔵で、顔の小さい落ち着いた風情です。(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書168石燈籠(千葉県長南町)

  • 昭和の石仏写真館(122)大田区の寺社⑩萩中

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区萩中萩中神社真光寺正覚寺妙覚寺福稲寺善永寺延徳寺福泉寺昭和の石仏写真館(122)大田区の寺社⑩萩中

  • 梵天 千葉県長南町地引・行堂跡

    里山の石仏端書167長南町地引・行堂跡と梵天ここに案内する梵天は仏教の梵天に影響されたとされるこの国独特の神の依り代、神が憑依する幣束です。梵天は修験ではよく使かわれますが、特に出羽三山では重要視されています。その一つが秋の峰入りに行う黄金堂に梵天を投げ入れる行事。秋の峯入りは擬死再生の儀式。その始めとして梵天(男)を黄金堂(女)に投げ入れることから始まり、行を通して生まれ変わることを目的としています。この梵天が出羽三山の象徴として、勧請先でも梵天を立てるようになったのは江戸時代の中頃からでした。特に千葉県では今も続けられています。千葉県の梵天の形はさまざまです。長南町では竹を支柱とし、その先に藁を円筒に巻き付け半紙で包んで麻紐で結び、上部に白幣束を付けるシンプルな形です。梵天の下には「明治六年」銘の出羽...梵天千葉県長南町地引・行堂跡

  • 屋上菜園2023-03闘病日記11

    屋上菜園2023-02闘病日記112月末買ったジャガイモの種1キロの袋には、小さ目のジャガイモが15個も入っていたので切らずに植えることにしました。*食道がんステージ4の抗がん剤治療中。聞いてはいましたが副作用は厄介なものです。朝食は毎日私が作っています。10数年前にカミさんが事故で右腕骨折を機に作りはじめ、これが今も続いています。味噌汁を作り魚を焼くだけで、あとは作り置きのおかずを並べる簡単なものです。NHKのラジオ体操を聞きながら作る朝食は楽しいものでした。これが最近では憂鬱になってきました。抗がん剤の副作用で味がわからなくなり、いつも満腹感になっていることはすでに書きました。これが近頃ではテレビの料理番組を見ているだけで満腹感がさらに増してくるようになり、朝食も食卓に並べるころには食べる気さえなくな...屋上菜園2023-03闘病日記11

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