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  • 高尾城址桜満開

    金沢市の桜が満開と発表。兼六園も金沢城も人でいっぱいです。高尾城址の麓の神社です。本殿ヨコの枝垂れ桜。神社裏から登ったところに見事な彼岸花があります。石川県教育センターの駐車場も一杯です。平日なのに花見客が大勢来ています。教育センターの裏にも桜が一杯です。下の通りから見ると山の上に多くの花見客がいるとはとても思えません。高尾城址桜満開

  • 久し振りの山登り

    身体が少し良くなったみたいなので久し振りにラジオ体操に参加した。彼岸も過ぎると大分日も長くなり明るくなって写真も撮れるようになった。桜も大分咲いてきて綺麗になった。ここから登っていく。この山のてっぺんまで登る。ラジオ体操が終わるとみんなで山登り、でも、ここはちょっと控えめにしておこう。ここはその昔、河原だったようで雪が降ると上から石がゴロゴロ落ちてきて道をふさぎます。大昔はここは手取川の河原だったようです。桜のトンネル。見事です。左側の建物は体育館でいつもこの前で体操をしています。久し振りの山登り

  • 謡曲 張良

    謡曲「張良」を習っている。張良とはどんな曲か。謡曲とは日本の平安時代や鎌倉時代の話だが、中には中国の話もあるようだ。間狂言とは能の上演の途中で出てきて物語の内容を説明する所。能というのは動きが少なく観客には分かりづらいので途中で狂言師が出てきて物語の内容を説明する。張良とは紀元前中国は秦の時代から前漢の時代に生きた劉邦の軍師として大活躍した人らしい。夢の中に黄石公という伝説上の人物が現れて沓を落として履かせよという。なんとも生意気な老人だと頭に来そうだったが、この老人はただ物ではないと思って言うとおりにした。5日後にここに来れば兵法の秘伝を授けようと言ったので5日後に指定された場所に行こうとしたがそこは意外と遠く約束の時間に間に合わなかった。怒った老人はさらに5日後に来いという。今度はまだ暗いうちに出掛け...謡曲張良

  • おさらい会【小袖曽我・草紙洗】

    小袖曽我蘇我十郎五郎の兄弟は、父の敵(工藤祐経)を討つ許しを乞うために母の元を訪れた。が、母は十郎には会うが五郎には会ってくれません。兄十郎は必死に母を説き伏せやっと会うことが出来たが。五郎を連れて行くことを許してくれません。諦めて帰ろうとしたろころ後ろから母に呼び止められやっと許可が下りました。今日はその五郎の役だった。草紙洗内裏の席で小野小町と大伴黒主が対戦することになった。小町が歌が上手なのでとても太刀打ちできない。こっそり小町の歌を立ち聞きし、それを万葉集に書き込み、それを小町が古歌を詠んだと嘘をつき、小町を貶めた。小町は必死言い訳するが通らない。小町が泣き泣き帰ろうとすると紀貫之が呼びとめ、王の許可を得て、小町にそれを洗ってみよという。見事歌は消え失せた。紀貫之は黒主に責任を取らせようとするが、...おさらい会【小袖曽我・草紙洗】

  • 熊坂(謡曲教室)

    謡本の巻頭に間狂言と言うものが出ている。能を演じている途中で狂言方が出てきて熊坂長範とは何者かを説明している。熊坂長範とはとんでもない悪党だった。旅の僧は美濃の国赤坂で一人の僧に呼び止められ今日はある人の命日だから弔ってくれと頼まれる。その僧がこの赤坂とはどんなところか説明する。この地に都から豪商が都の宝物を積んで通るという。とんでもない悪党、熊坂の長範は仲間を集め荷駄を襲ったが、そこにめっぽう強い17,8の若者がいた。それが牛若と知らず襲ったが・・・。70人ばかりの手下共々にがコテンパンにやられた。僧が弔ってくれとはこの長範のことだった。長範は加賀の人となっている。加賀市に熊坂という地名があるがそれが長範と関係があるのかどうかは定かではない。張良も習った。張良とは中国の話。能は日本の話ばかりではなく、中...熊坂(謡曲教室)

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