chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
旅のプラズマ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/10/10

旅のプラズマさんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 06/26 06/25 06/24 06/23 06/22 06/21 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,040,392サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
旅行ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 47,478サイト
旅暮らし 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 75サイト
酒ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 8,009サイト
酒のウンチク 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 82サイト
その他日記ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 31,027サイト
思い出・過去 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 178サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 06/26 06/25 06/24 06/23 06/22 06/21 全参加数
総合ランキング(OUT) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,040,392サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
旅行ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 47,478サイト
旅暮らし 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 75サイト
酒ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 8,009サイト
酒のウンチク 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 82サイト
その他日記ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 31,027サイト
思い出・過去 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 178サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 06/26 06/25 06/24 06/23 06/22 06/21 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,040,392サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
旅行ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 47,478サイト
旅暮らし 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 75サイト
酒ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 8,009サイト
酒のウンチク 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 82サイト
その他日記ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 31,027サイト
思い出・過去 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 178サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
  • 5月23日 90歳1ヶ月

    5月23日 90歳1ヶ月

    弱視の進行で書けず。右目の中心部分に侵食ありで読めず。パソコン作業もダメ。ブログもダメか?書き続けるのは無理か?5月23日90歳1ヶ月

  • 5月15日、良い日です。

    5月15日、良い日です。

    快晴、薫風、好温…、最高の季節だ。大相撲夏場所は五日目で王鵬は3勝2敗、金星(対横綱豊昇龍)、銀星(対大関琴桜),関脇(対霧島)と3勝と見事であった。野球では広島カープが半月間で8勝4敗1分と立派。阪神を追って2位になった。実にいい気持ちであった。5月15日、良い日です。

  • 臼杵人物記の投稿を止めました

    臼杵人物記の投稿を止めました

    臼杵人物記については既に4稿を書いたが、続いて荘田平五郎(三菱商事支配人)、首藤定(事業家、満州稼ぎ人)、日名子実三(彫刻家)、村上アヤ(臼杵小学校長)などなどのほか、異色の人物、大友宗麟(臼杵に十数年も住んだ)や、外国人で臼杵に初めて住み着いた二人、ウイリアム・アダムス(三浦按針)、ヤン・ヨ-ステン(耶揚子)などを準備していたが、書くことを止めた。止めることになった理由は、記述力を失ったことによる。①視力を極端に失ったことによる。②記入力(パソコン作業力)の弱化、③失語症の進化による言葉の失調、による。根本的原因による問題である。臼杵人物記の投稿を止めました

  • 「卒寿おめでとう」をたくさんいただきました

    「卒寿おめでとう」をたくさんいただきました

    4月23日に90歳の誕生を受けました。親子家族から孫まで、祝ってくれました。弟夫婦たち、会社の社員の方々、多くの手紙やメールを届けていただきました。焼肉屋さんでたっぷり食べ、時期の煮魚を造ってくれた料理屋さんに満足しました。いろんな会合を楽しみました。沢山なお酒もいただきました。私は本当に幸せ者でした。きれいな、嬉しい手紙たち…「卒寿おめでとう」をたくさんいただきました

  • ある老農の「90歳の死」について

    ある老農の「90歳の死」について

    わが社員(某N氏)の話によれば、その父親は病気もなく、元気で農業を働き続けたが、90歳になり突然亡くなったと言われた。告別式の際、N氏が語った言葉である。「父親は良く働いた。畑では朝8時から夕方午後4時まで働いた。ところが、90歳になった途端、畑仕事を止めて、自宅の床に臥せて、食事も全て採らなかった。そして一週間、ちょうど7日目に死にました。水以外、一口も食べなかったことには驚きましたが、私としても「おやじ!見事な死に様(生き様?),天晴れだ」と言いました」あの老父が死亡した際、一言も弁解もなかったと聞いている。また、死後に及んで伝言の一言もなかったと聞いている。ある老農の「90歳の死」について

  • 臼杵人物記 野上弥生子

    臼杵人物記 野上弥生子

    野上弥生子(小手川ヤエ)は、明治18(1885)年5月6日、小手川酒造業の父角三郎と母マサの長女として生まれた。6歳となり4月臼杵尋常高等小学校に入学、後に15歳となり上京、明治女学校に入学。17歳では同郷の野上豊一郎が一高等学校入学、21歳に明治女子学校卒業、豊一郎と結婚した。22歳の弥生子は、夏目漱石の紹介で処女作『縁』を「ホトトギス」に発表。以降、作家活動を80年間活動した。【主要な作品(小説)】・『海神丸』(大正11(1922)年)・『大石良雄』(1926)・『真知子』(昭和3(1928)年)・『欧米の旅』(1943)・『迷路』(1948)・『秀吉と利休』(1963)・『森』(1972~)【主要な受賞歴】』・女流文学賞(1964年)・文化勲章(1971年)・朝日章(1981年)・日本文学大章(19...臼杵人物記野上弥生子

  • 90歳の月が始まる

    90歳の月が始まる

    2025年4月1日、90歳の月が始まった(4月23日誕生日)。80歳代は確実に10年間が続いたが、90歳代はそうはいかない。90歳代には、あるいは2,3か月まで、あるいは3,4か年も生きることはないだろう。有限の年月をじっくり生きて、充実した暮しを過ごしたい。無理をやめよう。無駄をすべて除こう。「輝くいいもの」だけを残して生きたい。短い命であるから……90歳の月が始まる

  • 春3月、桜花、爛漫…

    春3月、桜花、爛漫…

    2025年3月26日。突如として暖かくなり、月末には桜は満開の見込みとなった。併せて、私の89歳を終わろうとしている。つまり私の80歳代の10年目を閉じようとしている。この90年間は「90歳を目指して」頑張り続けたつもりであった。今日の桜花爛漫に向ける日のようであった。しかし、90歳代となればそうはいかないだろう。はてさて、新しい年代にどう向かえていいのだろうか?春3月、桜花、爛漫…

  • 臼臼杵人物記 中根貞彦

    臼臼杵人物記 中根貞彦

    中根貞彦は、明治11年2月、臼杵の二王座旧片切屋敷で、父八三郎と母マツエの三男として生まれた。父は西南戦争で死亡(10年6月)、母も早死して養子となる。叔キクが14歳まで貞彦を育てた。貞彦は、臼杵高等小学校(旧東中学校)、大分中学校(旧上野丘高校。一番最優秀の成績)、熊本第五高校(現熊本大学)と学び上がり、次に東京帝国大学法科(現東京大学法学部政治学科)を卒業、明治38年卒業し日本銀行へ入社した(27歳)。日銀の実力を認められ、ロンドン代理店監査役、帰国後国庫局長、大阪支店長(昭和2年)と昇進。以降、困難を続ける大阪業界を切り開き、「貞彦で出来ない仕事」と請われて、大阪の金融業を続けた。貞彦は、日銀総裁、大蔵大臣の職を2度も断り、三銀行(三十四、山口、鴻池銀行)を合併し、三和銀行を創業し、三井、三菱、住友...臼臼杵人物記中根貞彦

  • 90歳の境目

    90歳の境目

    0歳に向かっていると、どんどん90歳代に近づいている感じがしていたが、2,3ヶ月前になると90歳の当日(2025年4月23日)を迎えようとすると、当該日の来る日のことを遠く感じている。80代には90歳に対して「上向」していたが、いざ90歳代は人生の始末をやらねばならないので仕事の性質上「下降」するのであろう。90歳の境目とは、「下降」へ向かう線のことなのか?いざ下降が始まれば、残る時間など何も在りはしないであろう90歳の境目

  • 春と聞かねば

    春と聞かねば

    2月26日。暦の日繰りピッタリに合った暖かさ。前日までテレビが猛吹雪を知らせてあったが、決まったように春のニュ―スだ。「春と聞かねば知らでありしを聞けば急(せ)かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」(早春賦)うれしい反面、90歳(4月23日)の年齢が近づくにつれて、「おやっ…?」という音が聞こえている。体調は確実に弱っているが、まあ、特に異常はないが、いいだろう。春と聞かねば

  • 臼杵人物記 山本達雄

    臼杵人物記 山本達雄

    山本達雄は、安政三(1856)年、臼杵の海沿鉄砲町に父確、母シマの次男、7人の4番目として生まれた。家族の暮らしは苦しく裕福ではなかった。色男であったが、ガキ大将で喧嘩は強かった。勉強は頑張り、藩校学古館に学び、書道に励み達筆屋であった。金がなくなってもどこにも出かけ働いた。いよいよ上京して金稼ぎをやるため慶應義塾に入るも月謝が続けず、大阪に行き教員養成学校、岡山県立商業講習所、大阪府商業講習所などに行く。以降、ようやく方向が定まったのであった。・三菱汽船会社への入社。28歳。荘田平五郎の紹介。・同、横浜支店副支配人、東京副支配人。(三菱へ)・営業局仕事の外国出張も、ロンドン、オクスフォード、ケンブリッジでも働いた。・日本銀行へ入社。・明治31(1899)年、日銀第五代総裁、43歳。・明治36(1904)...臼杵人物記山本達雄

  • 臼杵人物記 吉丸一昌

    臼杵人物記 吉丸一昌

    既に、早くも春分を過ぎて陽気を迎えようとするが、風は冷たく、冷気は厳しい。そして、この時節を迎えると必ず小鳥たちがこの歌を唄う。春は名のみの風の寒さや。谷の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てず。時にあらずと声も立てず。(以降略)吉丸一昌作詞中田章作曲わが庭には、鶯(うぐいす)ではなくメジロが…吉丸一昌(明治6年9月15日生、臼杵町海沿、のち市浜住)は、特に語学、漢文、文学に優れ、臼杵をも超えて大分中学(元上野丘)、第五高等学校(熊本大学)を学んで、明治30年には東京帝国大学(東京大学)に上りつめた。加えて音楽に優れ、『新作唱歌』全十集など作成、自らの名歌も多く編集していた。吉丸一昌は、その時(明治30年)東京に行くため臼杵を発った。交通機関もなく大分に向かうため、豊後の六ヶ迫峠を歩いた。その峠から臼杵の町を...臼杵人物記吉丸一昌

  • 素晴らしきイチロー、残念な大相撲初場所

    素晴らしきイチロー、残念な大相撲初場所

    >大相撲初場所の14日目まで、王鵬は素晴らしかった。金峰山の12勝2敗を追って、王鵬と豊昇龍の11勝3敗を競っていた。そして千秋楽の取り組みは、王鵬と金峰山になった。私ほある感想を抱いていた。「王鵬には金峰山への勝利を譲ってほしい。相手への優勝を祝いたいのだ。もし負けていれば、巴戦の勝利に絡まり、豊昇龍が勝つかもしれない」という嫌な予想を感じていた。予想通りとなった。全て終わった。思い出すのもイヤであった。もちろん、スポーツ精神を追求しなければならない。しかし、ダメな私にはセンチメンタルにも勝てはしない。一方、イチローは素晴らしい!。さわやかな米局野球殿堂入りだ。シーズン最多安打数62をはじめ、数多くの成績にもっている。言うべきことは何もない。素晴らしきイチロー、残念な大相撲初場所

  • 正月三が日の酒と駅伝

    正月三が日の酒と駅伝

    酒元旦『亀の翁』純米大吟醸(新潟)朝7勺、晩酌1合2勺2日『鍋島』純米吟醸(佐賀)朝6勺、晩酌1合(やや控えめに)3日『姿』初すがた純米吟醸無濾過生原酒(栃木)朝5勺、晩酌1合3勺(控えと盛り返し)駅伝元旦ニューイヤー実業団(群馬)旭化成優勝5年ぶり26回目2日箱根学生駅団往路青山学大優勝3日帰路の青山学大の連覇やや陳腐の思いなかなかのご立派なお酒でした(初日旭化成)(2~3日目連覇)正月三が日の酒と駅伝

  • 2025年を迎える

    2025年を迎える

    2025年元旦を迎える平凡であるが祝杯を挙げ、ニューイヤー駅伝による旭化成の健闘を祈っている脳梗塞(失語症)による「聞く力」を失っているが、クヨクヨしないで、新しい年に生きていこうと思っている。90歳時代に栄えあれ!2025年を迎える

  • 90歳を迎えて何が変わるか

    90歳を迎えて何が変わるか

    89歳を閉じようとしている…何も変わっていない。90歳を迎えようとしている…何が変わるであろうか?去年今年貫く棒の如きもの高浜虚子90歳を迎えて何が変わるか

  • 90歳までの「人生の記録」⑤…資本論の研究

    90歳までの「人生の記録」⑤…資本論の研究

    私が『資本論』を読み始めたのは、大分大学にいたマル系教師ご三方に教わったのが始まりであった。重光教授に価値論(資本論第一巻)、竹村助教授(当時)に金融論(同第三巻)、山本講師(当時)に地代論(同第三巻)と『家族、私有財産および国家の起原』、『空想より科学へ』など小論文を含め教えてもらった。しかし、銀行業務の労働密度、組合活動の多忙に負われ、腰を据えて、じっくりとやる資本論研究など出来なかった。銀行退職後となり第二の人生となったが、それはそれとして(旅や酒など)、十分な研究など出来なかった。(資本論もそれなりにやってきたつもりであったが)資本論の研究については、ようやく全三巻の構想を取りまとめ、やっと腰を据えて研究を始めたのであった。それは80歳になって出来たことであった。組合の後輩たちで、10~20名を集...90歳までの「人生の記録」⑤…資本論の研究

  • 90歳までの「人生の記録」④…旅(海外旅行と日本の全県)

    90歳までの「人生の記録」④…旅(海外旅行と日本の全県)

    私たちの銀行生活は、全く多忙に追いかけられ、旅という思いすら何もなかった。52歳になってようやく銀行に退職し、いわゆる第二の人生を初めて、三井ホームの中で「自ら計画をもって生きる」というゆとりを持ってきた。「そうだ。旅に行こう」「せめて一年に一度は海外旅行をやろう」と動き始め、先ずアメリカに出かけた。53歳、1988年6月、北米はシカゴ、ナイヤガラ、ニューヨーク、ニューオーリンズを出かけた。そして最後は、76歳、2011年、オーストラリア(シドニー、メルボルン)までが海外旅行の記録であった。23年間、北米・中米、西欧・中欧・北欧、アジア一帯(含む豪州など)に及び、海外旅行数としては、22回、25か国、75か都市を回った。出版物としては『旅のプラズマ~心に残る街・人・言葉』と『旅のプラズマパートⅡ~世界の酒...90歳までの「人生の記録」④…旅(海外旅行と日本の全県)

  • 90歳までの「人生の記録」③…酒2「酒純米酒フェスティバル」

    90歳までの「人生の記録」③…酒2「酒純米酒フェスティバル」

    酒について、その酒1「酒造と酒食」について書いたが、その後半である2000年から2018年(コロナの始まり)まで、約20年間、純米酒フェスティバル運動について書いてきた。これは、戦後の酒界に飲まれたニセモノ酒「アル添三増酒」に対し、ホンモノ酒である純米酒を宣伝し、拡大する運動を目指しできた。これは、高瀬斉委員長、中野繁事務局長を中心にして、堀江修二、橋本毅、首藤和弘と3氏を加え「純米酒普及推進委員会」を設立した。2001年4月、東京椿山荘で第1回を開催し、1200名(昼と午後、各600名)参加した。酒造蔵は50蔵に及び、約300銘柄の50ブースが広かれ、壮大な催しが続いた。約20年間、総開催数は東京で36回、大阪で11回、名古屋で3回、合計50回を開催した。純米酒普及推進という力も果たしてきたと思っている...90歳までの「人生の記録」③…酒2「酒純米酒フェスティバル」

ブログリーダー」を活用して、旅のプラズマさんをフォローしませんか?

ハンドル名
旅のプラズマさん
ブログタイトル
旅のプラズマ
フォロー
旅のプラズマ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用