ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
遊んだ帰り路です。暮れかけた街を映しています。もう一つの街が在るみたいに。東日本橋近く、大和橋交差点に在るフコク生命ビルです。ビルを映すビル
根津神社の梅が咲きました!春の陽気の「谷根千」です。「夕やけだんだん」から谷中銀座を見下ろします。隣ではマンション建設工事が進んでいます。七面坂下からも眺めます。地下室が見えなくなりました。順調に工事が進んでいるようです。働くクレーンの向こうで「質屋おぢさん」が見下ろしています。真っ青な今日の空です。「夕やけだんだん」脇工事順調
この踏み切りが好きでよく来ます。界隈の変遷を見てきました。遮断機が上がって渡ろうとしたらすぐ警報が鳴って、渡り損ねました。電車が来ます。春の風情です。電車が停まります。西ヶ原4丁目の停留場です。踏み切りの向こうで作業員が寛いでいます。新築住宅が竣工しました。角の民家は最後の作業中です。<ここは町中華「金華」でした>こうして町が変わりました。都電が走ります。変った町に春の景色です。都電脇町中華「金華」の跡竣工
遮断機が下りて、電車が横切ります。もう看板も街灯も無くなった「お岩通り商店街」の路地です。春の陽射しです。遮断機が上がります。渡る踏み切りの正面は、お岩さんのお墓が有る「善養寺」です。すぐ北に「西ヶ原4丁目」の停留場が在ります。こんなに沢山の乗客を初めて見ました。卒業式だろうか?それにしては、父兄が居ません。単なる下校時間でしょうか?いつもこんなんだろうか?早稲田行きのホームもこの状態です。乗車中です。三ノ輪橋行きもこの通り。半分以上が乗れそうにありません。春らしい活気を感じます。都電沿線の春景色
都電のカーブです。巣鴨新田停留場の北です。春が来ました!まあ、三寒四温だろうけど。電車がやって来ました。カーブの線路に乗って去って行きます。早稲田行きがやって来ました。停留場に停まります。光注ぐ春の空です。巣鴨新田に春が来た!
セピア色の記憶が蘇る路地です。先ず「さぼうる」です。壁に対して斜めに付けたドアは、娼館に見られる造りです。そういう店じゃ無いですけど。自転車で奥様も訪れます。昔の学生だと思います。そして「ラドリオ」の路地です。見上げるのは「三省堂」建築中のクレーンです。そして奥には、昔「ミロンガ」が在りました。今は「ボロ」です。ラドリオを眺めます。三省堂を見上げます。国旗はボロの隣の店です。<在りし日のミロンガ>昔「さぼうる」と「ラドリオ」と「ミロンガ」と、今「ボロ」
書店の多さもさることながら、本を探している人が多く居たのに安心しました。まだまだ日本は捨てたものじゃないです。若者よ、スマホを捨てよ。街に出よ!神田古書店街
もうすぐ3月なのに、今年最大の寒波が全国に居座っています。やって来たのは東京大学農学部キャンパスです。レストラン「アブルボア」が営業中です。いつものように先づは、庭に下ります。あの扉の先は、「異人坂」です。アブルボアは真冬の景色です。窓に景色を映します。窓枠の下側には人形が並んでいます。寒いからでしょうか?テラス席が使われていません。さて、「定食メニューはしばらくお休みします。」です。困ったな。暖かくなったら再開するのでしょうか?真冬の景色のレストラン・アブルボア
1976年のお正月映画です。マドンナは樫山文枝さんです。現在も変わっていないように見えますが、本堂に向かって右の石灯篭が無くなりました。江戸川は、土手も河川敷の道路も数度の改修で姿が変っていますが、三角屋根の取水塔と、水戸街道及びJR常磐線の鉄橋の風景は変わっていません。河川敷の景色が変っています。何より、当時平屋根の給水塔が、現在は丸屋根に変っています。そして、背後の三角屋根の給水塔を渥美清さんと枯れ草で隠れています。これは、わざとそうしたら演出でしょうか?現在よりはるかに何にも無くて殺風景な渡し場でした。何か名残りが無いかと探しました。そうしたら、画面右下の石が現場に残っていました。それによって、桟橋はもっと内陸に在ったと判断できます。護岸整備で拡張したものと思います。サブ・ストーリーです。女学生(ゲ...「男はつらいよ」葛飾立志編
下落合の丘の上です。道路の真ん中に大木が立っています。カンと晴れた冬の日です。左右に遮る物のない丘の上は日当たりが良いです。道路の真ん中なので、当然迂回することになります。通り過ぎて振り返ります。こちら側には大きな反射板があります。こちらからの事故が多いのでしょうか?まるで御神木みたいな扱いです。昔は「目白近衛町」という地名だったのでしょうか?この木は旧近衛邸の車廻しにあったそうです。あの、戦争犯罪人として起訴されて、裁判前に自殺した近衛文麿元総理の邸宅跡です。「車回し」なので、周囲は旧邸宅だった思います。近くには学習院が在ります。私の感覚では、「お公家さん」を連想してします。春待ちの景色です。旧近衛邸跡の大ケヤキ
立石の路地の突き当たりです。2度目の登場です。よく前を通りますが、今日は久しぶりに入ってみます。裏塀いっぱいの恐竜です。およそお寺らしくありません。正面に来ました。屋上のドームはプラネタリウムです。そしてスペースシャトルです。やっぱりお寺らしくありません。門の絵です。最初に見た時と同じ推理です。経文を持って帰る時に鼠が紙を食べて困りました。そこで、被害を防ぐために猫を一緒に持って帰りました。これが本邦の猫の始まりです。こんな古事に因んだ絵だと思います。当時の貴族は、背中が黒くて腹が白い猫を好んだそうです。「證願寺」です。入りました。前回と何ら変わっていません。向かって左にライオンで、右にトリケラトプスです。何でこの取り合せなんだろう?ライオンと虎とか、トリケラトプスとティラノサウルスとかならまだ分かるので...立石「證願寺」再び
深川の、創業大正6年の蕎麦「日吉屋」の開店を待ちながら、向かいの「田巻屋」を眺めています。・・・蕎麦を食べ終わりました。店頭を眺めます。元は着物屋なんでしょうが、今は雑貨屋の様相です。田巻屋は創業100年らしいです。今日の暖簾は「さぐれみす」です。鮮やかなすみれ色です。日吉屋は今日も満席です。松尾芭蕉が暮らした街です。深川田巻屋今日の暖簾は「さぐれみす」
夜は光溢れる路地だと思います。人は居ないけど、夜の風景が想像できます。上野二丁目です。この猥雑さが飲食店街の魅力です。路地を1本北に出ると、そこは不忍池です。野外ステージではイベント中でした。「無敵の日本製スポンジラケットその破壊力をとくとご覧あれ!」とか書かれた幟も有ります。「ロックウェル硬さ」って工業材料の硬さの尺度らしいです。格闘技の大会とかアイドルのコンサートでは無いんですか??上野二丁目飲食店街
京成立石駅前の再開発が粛々と進んでいます。殺風景な工事フェンスに水彩画が展示されていました。今は「キャプテン翼」ですが、カメラにこの水彩画が残っています。相変わらず絵の現場を探していますが、今回はもう訪ねられない現場です。<在りし日の現場>沢山の酒場が在りましたが、水彩画の店「しらかわ」と「ことぶき」の在りし日の姿です。もう戻らない世界です。立石駅前ギャラリーの現場/呑んべ横丁
矢切の渡しです。とうとう「営業中」の印である旗を掲げる竿が折れています。これじゃあ客にはアピールできません。後で思いました。折れたんじゃなくて、倒していたんですね?<営業している時の旗>旗を掲げます。何度も旗竿が折れて短くなってしょぼいですが、、桟橋を見ます。あれ!?これって、、「矢切の渡し」の旗じゃないの?!ここに置いておけば忘れないし、誰も盗らないし、営業するときは掲げるんだろうけど、これはちょっとなんだかなあ・・。冬季の平日は営業していません。春まだ遠い江戸川です。誰か長い竿を寄付しませんか?「矢切の渡し」冬の平日は休業
寒い日はアツアツの餃子です。「亀戸餃子」の前の路地で順番を待っています。相変わらずの行列です。路地のあんな先まで並んでいます。こちらは「持ち帰り」を待っている人です。店内では皆さん楽しそうです。大きな声が外まで聞こえます。寒いです。13時過ぎたのに30分くらい待っています。でも、もうすぐです。客の回転は早いです。それを知っているので皆さん待ちます。店内を眺めます。メニューの前に、亀戸天神のウソ替えの人形が立っています。地元です。有名人のサインや写真を掲示するのは下町の商法です。有名店だけあって、俳優やタレントやアナウンサーの訪問が多いです。店員にお代わりを急かされながら美味しく食べた、遅い昼食でした。亀戸餃子
冬晴れの空に立つ根津教会です。教会と長屋が並んだ、この風景が好きです。反対側からも眺めます。この景色永遠なれ。根津教会と長屋の風景
夕方が近い商店街「サンロード」です。この商店街のバナーが好きです。いつもカッコいいと思っています。北千住は宿場町だった歴史もあって、商店街が多くて、一部は交差しています。商店街好きには嬉しい街です。バナーを観賞します。とても好いです。客が多ければもっと好いです。「サンロード商店街」のバナーが好い!
新目白通りからいつも見上げています。今日は入ってみました。久しぶりです。「カテドラル関口教会・聖マリア大聖堂」です。真っ青な空に白銀の屋根が映えます。鐘塔が冬空に突き刺さっています。奥にある洞窟へ行きます。「泉にゆきて飲み且つ洗へよ」振り返る大聖堂と鐘塔です。もう暫くしたら見られ無くなる、透き通った真冬の空です。カテドラル関口教会
気になって時々覗いています。井戸が有った根津の路地の長屋です。そうしたら、立っていた路地の奥に、ウクライナ国旗が見えました。新しくできたアパートの前です。時節柄気になります。この家です。看板には「ウクライナマッサージサロン」と有ります。へえ〜、そんなマッサージがあるんですね?路地を振り返ります。あの電柱の先の左が、取り壊されそうな長屋が在る場所です。今トランプとプーチンによる終戦交渉が行なわれています。一方それを受けて、パリでは欧州の国々が、ウクライナとロシアの終戦の方向性に向けた会議を行っています。独裁者トランプとプーチンによる、当事者であるウクライナ抜きの談合は、正義と法の支配を無視するものであり、やった者勝ちの、新たな侵略が始まります。欧州頑張れ!他の国も危機感を持て!根津の路地の家を見に行ったら、
両国を走っていました。あれっ!?と思って停まりました。以前見た旧大島部屋の、例のあの自販機です。メニューの変化に伴って、黒っぽい画面になって、画面が締まります。先ず上から、「ソップ」です。ソップとは相撲界言葉で「スープ」の事です。四つ足は土俵に手を付いた形を連想させて縁起が悪いので、相撲界では鶏がらのスープです。従って、痩せ型の力士を「ソップ型」と言います。肥満体型の力士は「あんこ型」と言います。2番目の列は、「坦々豆乳」です。これは以前と同じ商品ですが、写真が変わったので新鮮味があります。3番目の列は「モツ鍋」です。これも以前と同じで、写真が変わっただけです。でも、こっちの写真の方が美味しそうです。・・・ちょっと表現の腕を上げたな。これは正代も食べるだろうか?前回のちゃんこ自販機はこちらです。ちゃんこ自販機のメニューが変わった。
シックな建物です。好きな色合いです。銭湯「五色湯」の玄関です。こちらがコインランドリーです。煙突を見上げます。共同住宅併設の経営のようです。現在の代表的な銭湯の運営形態です。銭湯は衰退の一途です。近所に銭湯が無くなると遠くまで行かなければなりません。駐車場や駐輪場が必要です。車で銭湯に行かなければならない時代です。こちらが共同住宅の玄関です。今日は周辺を見て回りました。周囲は内湯が有りそうな民家です。背後の煉瓦色の建物が五色湯です。この辺は、家が新しいです。元はアパートだったかも知れません。ここはアパートです。おそらく、こんなアパートが多く在った地域だと思います。みんな五色湯を使っていたのでしょうね。高級住宅街の目白とは言え、ここは椎名町に近いです。青春が元気だった町ではないでしょうか?「五色湯」再訪
椎名町方面からやって来て見つけました。立教通り商店街です。暫く行くと、様相が一変しました。教会の隣りは立教大学です。商店街のバナーです。「立教通り商店街」と「リビエラ東京」の文言が見えます。デザインがお洒落です。立教大学を眺めながら行きます。正門です。全然商店が在りません。こんな商店街です。立教通り商店街
トキワ荘公園です。トキワ荘マンガミュージアムへ行きます。今は「島本和彦炎の原画展」の最中です。公園を散策します。トイレです。トキワ荘発祥の、擬音語、擬態語のオンパレードです。公園内です。ここにもトキワ荘のレプリカが有ります。後ろからも。周辺地図です。トキワ荘の魅力って何でしょう?子供の頃に読んだ漫画への懐かしさだけでは無いように思います。あの時代の空気感ではないでしょうか?言わば、楽天的な青春です。努力すれば報われると思っていた時代への郷愁ではないでしょうか。そこに我々も、確かに居たのです。トキワ荘公園で、
三叉路の交番はトキワ荘へ行く時の目印です。右の路に入って行きます。この通りの左右やちょっと入った路地に、トキワ荘の名残が残っています。ちょっと路地を入ったら、トキワ荘跡地です。今は出版会社の建物です。古い街です。トキワ荘の路地からでると、そこには「中華料理松葉」です。こんな建物も在ります。またちょっと、路地の突き当たりです。公園に着きました。トキワ荘マンガミュージアムができる前は「花咲公園」でした。ミュージアムを造ると共に、トキワ荘を偲ぶ公園に再開発しました。トキワ荘通りを行く。
ここから見る景色が好きです。桜が咲くと綺麗です。あの幾何学窓から眺める桜も好きです。葉桜も、紅葉も、枯れた木の風情も好きです。次は、幾何学窓の向こうに座ろうと思います。真冬の自由学園明日館
永代橋から眺める佃島です。隅田川に浮かびます。夕暮れが近いです。病院って、待ち時間が長いですね。病院からの帰り道
真冬の東京大学です。工学部前前の名物銀杏もこのとおり。いつものように逆光でも観ます。あれほど沢山、傍若無人に居たオーバーツーリズムが全く居ません。ある意味、季節ごとの見所をよく調べています。少し学生が居るだけです。静かで落ち着いた、冬季の日常風景です。真冬の東京大学
へび道に看板が出ていました。久しぶりに覗いてみます。古着屋です。へび道を振り返ります。左の白い壁はホテルです。突き当たりの壁です。左へ目を移します。好いです。お洒落です。店の前の路地を行きます。只今散策中です。「ヘイゴ・ニケ」から、
根津の路地を行ったら、あれっ!?ギャラリーキンギョが営業していました。てっきり廃業かと思っていました。ごめんなさい。突き当たりは冬の陽だまりです。そこはへび道です。ギャラリーキンギョが営業していた。
気温は上がったけど、まだまだ寒い東京です。上川口屋は北向きです。お昼過ぎですが、周りは陽が射しているのに、店頭は全然陽が当たりません。風は北風だし、寒いです。お婆ちゃんは元気でいつものポーズです。「7枚着込んで、靴下4足履いている?」「よく知っているわね」いつものように、ラムネを飲みながら、あられを食べながら引いた、きな粉餅のくじは今日も当たりません。天気の話から派生して、昨日私が突風で倒れてた98歳の老婆に遭遇して救急車を呼んだ話、物価が上がってチョコレートの仕入れ値が上がった話、仕入れた煎餅が小さくなった話。煎餅の話を受けて、小倉屋の煎餅が普通品と徳用品が2袋ずつしか買えなかった話。勿論お婆ちゃんも小倉屋はよく知っていて盛り上がります。理由は山田優さんの影響だけでは無く原料のお米が仕入れられない話、農...「雑司ヶ谷手創り市」のお誘い
京成立石駅前の再開発が進んでいます。もうかつての面影はありません。工事フェンスの駅前ギャラリーにこの絵が有りました(現在は、「キャプテン翼」の絵です)。立石駅東側の風景です。この踏み切りだと思います。再開発工事に伴う高架化工事の最中です。仮設線路もできました。絵の中だけの風景になってしまいました。立石駅前ギャラリーの現場/立石駅西端
正式には、「下町人情キラキラ橘商店街」です。東西に長いので、この時間は西陽が路地を通ります。蕎麦屋です。店頭の惣菜に西陽が射します。「ハト屋」です。冬日が眩いです。商店街を行きます。郵便局です。更に行きます。すぐに商店街が終わります。街の境は東部亀戸線の線路です。スカイツリーが覗いていました。西陽が通る「キラキラ橘商店街」
全国でも報道されていると思います。埼玉県八潮市の道路陥没事故現場でトラックが落下して救出作業が行われています。もう2週間になります。運転手の安否が確認できていません。救出作業に伴って、県は周辺120万人に対して下水道の使用自粛を要請しました。現在、バイパス工事を施したことで、下水道の使用自粛を解除していますが、運転手の安否確認ができていません。下水道の使用禁止は、食事が作れない、トイレが流せない、風呂が使えない、生コン工場は製品が作れない等々の支障が起きていました。そんな折、まあ近いといえば近い「東京公衆浴場業生活衛生同業組合足立支部」、要は足立区の浴場組合が、下水道自粛住民120万人に対して、「入浴料無料」の支援を行いました。下水道の使用が可能になった現在、2月14日迄の支援です。ポスターが出ていた千住...道路陥没事故周辺住民入浴料無料
いつものように柘榴の下を入って行きます。真冬の景色です。野鳥は来ていません。あの人はあれ以来姿を見ていません。既報のとおり、ここの家が取り壊されました。いつものようにしゃがんで撮ります。近づいて上から。反対側からも。眺める路地は「厩小路」です。左右に厩が在ったのでしょう。あの人が教えてくれました。井戸脇の家だけでは無く、厩小路も改廃が進んでいます。ここが売地になりました。ここ厩小路は10年くらい前に一度改廃があり、北側の数軒が取り壊されて新築されました。その時に新しくなった井戸です。冒頭の井戸と2つの井戸が有ります。ここは本郷台地と上野台地の間の谷地です。従って水が豊かです。馬を飼うのに都合が良かったと思います。厩小路の突き当たりを右に折れると「駆け落ち坂」です。坂の上は妾宅が沢山あったそうです。この坂を...真冬の池之端の井戸
迷い込んだスカイツリーが見える路地です。住所表示が有りました。八広のようです。元は商店街のようですが、商店街名を記したものはありません。もうすぐ突き当たります。丁字路をどちらに曲がろうか?右へ行きます。あのガードは京成押上線のようです。それならやって来た方向です。戻ります。井戸端会議は八百屋です。美容院かな?店の前には「天水尊」が有ります。雨水を貯める防火用水桶です。ドラム缶です。黄色い車ガードが有ります。角っこだからね。大切な防災品です。やっと出たあの広い通りは、四つ目通りでしょうか?迷い込んだ八広の路地
何度か紹介した野鳥のコロニーです。そろそろ繁殖期です。もう巣作りをしたカップも居ます。主にカワウとアオサギと小鷺のコロニーです。住民が自然と触れ合う場として造った人工の島ですが、今年は様子がヘンです。まだ春が浅いせいもあるかと思いますが、野鳥が全然少ないのです。何と、バッサリと枝打ちをしたばかりでなく、下草も小さな藪も刈り取ってしまいました。確かに、煩くて糞臭かったです。たぶん近隣住民からクレームがあっての伐採だと思います。でもね、人間が自分も楽しもうとコロニーを造ったんじゃないですか?勝手過ぎませんか?今年の野鳥のコロニー
何処をどう走って何処に居るのか分からなくなった頃、こんな石碑に出遭いました。石碑の下には「通学路」の文字が読めます。スマホで検索したら、「灰田勝彦さんや倍賞千恵子さんが歌った」とあった。唱歌?灰田勝彦さんの母校立教大学にその径があるらしい。なら、なんでここにも在るんだろう?ここ足立区だよ?とりあえず行ってみます。お寺脇の、住宅の前庭を通る路地です。たぶん暗渠になった路地だと思います。鈴懸とはプラタナスのことですが、そんなものは何処にも有りません。正面に学校らしい建物が見えます。立教大学では無さそうです。「東綾瀬小学校」です。ここの生徒が通う通学路らしいです。小学生のくせにお洒落な名前の通学路のです。冒頭の名前の分からないお寺の住職が、立教大学生の頃を思い出して付けた名前かな?いや僧侶になるには仏教系の大学...鈴懸の径
京成立石駅東の踏み切りを渡ります。正面が再開発工事現場です。以前から、工事フェンスに矢印が出ています。文言が変わりました。「移設します」から「移転しました‼」になりました。あの、駅周辺の懐かしい場所を描いた風景水彩画も一緒に移動したんだろうね。違っていました!「キャプテン翼」に替わりました。左側も、です。壮観です。眺めて歩きます。右側です。子供の翼です。成長の過程が描かれているようです。端まで観て振り返ります。反対側を観ながら駅に向かいます。駅に着きました。再開発の工事が進んでいます。そうだ、あそこへ行こう!・・・キャプテン翼の像です。校門の横です。南葛飾高校、通称「南葛」です。キャプテン翼が活躍した高校です。作者がこの学校の出身です。仰ぐ校舎です。後輩が頑張っています。この学校、サッカー部は弱いんですよ...京成立石駅前ギャラリーが変わった。
新井薬師詣りを諦めて戻って来ました。薬師参道入口交差点の、早稲田通りの向こうにも商店街が在ります。雰囲気好いです。「しょうわしんみち」と読むんでしょうか?好いです。呑み屋街を行きます。真っ赤な提灯に目が止まりました。この横丁には百軒の呑み屋が在るってことですね。丸看板の表情が好いです。マスターでしょうか?中野駅前のビルが見えて来ました。帰ります。もう一度、ゆっくり歩きたい街です。昭和新道商店街
薬師参道を歩いていたら、銭湯が存りました。街に似合いの風景です。次々に客がやって来ます。流行っているようです。コインランドリーです。ああ、郷愁を誘う景色です。住所は「新井」です。「新井薬師」って、聞いたことがあります。ここなんですね。ん?足立区に「西新井大師」って在ったな・・・?あれとは違うか?「新井薬師」に対して西に在るから「西新井大師」か?んん?「薬師」と「大師」は違うか??方向音痴がこんがらがっています。中野寿湯温泉
ふれあいロードから車が走る道路に出ました。「早稲田通り」の標識が有ります。私は、南下して神田川に向かっているつもりです。早稲田大学は神田川の近くに在るので安心し切っています。すぐに薬師参道が在りました。面白そうです。薬師参道を行きます。いくら行ってもお薬師さんに行き当たりません。真っ直ぐ行くことが不安になりました。戻ります。薬師参道
中野新仲見世商店街を出たら雰囲気が変わりました。だいぶん普通の商店街ぽくなりました。「ふれあいロード」の看板です。つまり、ふれあいロードとふれあいロードの間に、三番街とか北口白線通りとかの飲み屋街が在る、という事らしいです。だいぶん歩いたのでちょっと心細くなりました。振り返ります。振り返るたびに在る、正面のあのビルを覚えていれば大丈夫そうです。中野駅前/ふれあいロード
路地を入って見上げます。美味しそうな看板のデザインです。今まで歩いた呑み屋街とは趣が違います。「中野新仲見世商店街」の看板が有ります。「仲見世」とは、「中の商品をきちんと見せる」から来ているとの謂れがあります。つまり、疑わしい商売をしていた場所です。ちょっとした広場が在って、明らかに他の商店街とは違います。振り返ります。前を向いたら、あそこの丁字路がさっき歩いていた長い飲み屋街です。方向音痴でも、それぐらいは分かります。わくわくしながら、散策が続きます。中野新仲見世商店街
中野サンモールから覗きます。沢山の枝路地がある中で、ここ面白そうです。「五番街商店会」です。ニューヨークで無くても、日本のあちこちで五番街へ行きました。ここも楽しみです。また丁字路に突き当たります。そこはさっき通った「ふれあいロード」の続きだと思って歩きます。ここで賢明な読者さんは、「北口」って書いてあるじゃない!とツッコむところですが、文字を読んでいながら気付きません。駅の南側に居ると思っています。方向音痴ってこういう事です。「白線」って何だろう?「赤線」みたいなものだろうか?・・・行きます。面白そうな横路地が在りました。行ってみます。五番街商店会・中野北口白線通り商店会
さっき突き当たった丁字路です。こちらへ行くと駅に戻ってしまします。こっちへ行きます。私としては、南の神田川に向かっているつもりです。「ふれあいロード」です。商店街というより飲食街です。すぐに三番街になりました。あれ!?「中野サンモール」に戻りました。この話、まだ続きます。中野駅前/ふれあいロード・三番街
中野駅の北側に居ました。というのは、帰宅して地図を見るまで、ずっと南側だと思って歩いていました。相変わらずのアナログで方向音痴ですが、もし、南側へ行っていたらどんな世界が体験できたかと、叶わぬことですが思ってしまいます。散策の面白さです。大きなアーケード商店街は「中野サンモール」です。こういったアーケードの商店街が珍しくなりましたが、随分と賑わっています。訪問したのは1月の中旬でしたが、まだ新年の装飾です。外国人も多いです。旅行者も多いです。枝路地が気になりました。アーケード街よりこっちが好みです。路地を行きます。突き当たります。そこも商店街です。この話、続きます。中野駅前商店街/中野サンモール
向島の路地です。右手に「見番」が在る花街です。バス停の先に「めうがや」見えます。山茶花が咲く陽だまりの店先です。足袋の専門店です。花街ならではの商いです。奥で店主がミシンを操作しています。仰ぐ空にはスカイツリーです。伝統と新たな文化が共存する街です。めうがや
この熱帯性魚類のオブジェが有る商店です。あそこにステンドグラスの看板が有りました。壁に名残が有ります。廃業したのだろうか?「一葉記念館」の通りです。すぐ脇の高層マンションは銭湯でした。自転車置き場の奥がボイラーでした。正面玄関が、やっぱり銭湯の玄関でした。「一葉泉」という屋号でした。西日射す竜泉の路地です。隣りの「一葉煎餅」は頑張っています。「一葉泉」と「一葉煎餅」の記事が見当たりませんので、2013年の写真です。そして、流行っていた「一葉煎餅」隔世の感があります。「あかり」の記事です。「一葉記念館」の在る風景の今
池之端の路地で新築工事が行われていました。ここはこの角度からよく眺めていました。お婆ちゃんが一人で営んでいた駄菓子屋でした。閉店して暫くは元気そうでしたので、いつしか足が遠のいていました。そうしたらいきなり解体されたばかりで無く、跡地に新築の家が建つようです。・・・お婆ちゃん亡くなったのでしょうね。<現役の頃の駄菓子屋>2013年の姿です。・・・セピア色の思い出です。池之端の駄菓子屋跡
まるヒの路地です。そこにはパン屋が在ります。「ボンジュールモジョモジョ」です。路地の突き当たりの「ギャラリーキンギョ」が立ち入り禁止の工事用テープが張られていました。ここはギャラリーでした。数10年前、根津の散策を始めた頃からこの路地に在りました。いつものようにあちらへ行きます。真冬の陽差しです。そこは「へび道」です。谷中へ向かいます。まるヒとボンジュールモジョ2とキンギョ
見上げる長屋です。この家で夫婦が子育てをしていました。ここに井戸が有った家です。蔦が切断されています。解体されるんだろうなあ。勿体無いなあ(第三者の利己的感想です)。根津の路地の長屋解体?
真冬の陽差しの千本鳥居です。参道脇に石碑が有ります。以前から気になっていたのですが、漢字ばっかりなので敬遠していました。「大雨で藍染川が氾濫し、下流域が膝下まで水没した大災害があった。」との記載です。慰霊碑ですかね。藍染川は根津から谷中に流れる川でした。小説「三四郎」で、主人公が彼女と川端を歩きました。界隈には染物屋が多く在って、川が染料で染まっていたことからの命名です。現在は暗渠になって、「へび道」という魅力的な散策路です。へええ、あんな川が氾濫ねえ。見上げる冬空です。歩を進めます。胞衣塚が有ります。文中に「塚正面」に有ると記載されている「胞衣塚碑」です。面倒なので読みません。多分、上掲の説明版と同様の内容です。すぐそこにはこんな貼り紙があります。・・・どんな像か思い出せません。でもそれは寂しい。すぐそ...乙女稲荷社千本鳥居周辺
寂しい「はっぴいもーる熊野前」商店街に繋がって、「おぐぎんざ」が存ります。このまま散策します。道幅は狭いけど、一見して賑わっているのが分かります。「はっぴいもーる熊野前」と何が違うのだろう?と思いながら歩きます。道幅は狭いです。商店街らしい店舗が並んでいます。これくらい繁盛店が並んでいると、買い物も楽しいでしょうね。やがて商店街の終了です。振り返ります。商店街の終点は何処も一緒で寂しいです。客の少ない「はっぴいもーる熊野前」との違いは、「下町名物第1・第3土曜日ふれあい夕市」催行の有無でしょうか?販売促進活動って大事だと思います。「おぐぎんざ」
前からこの存在は知っていましたが、スルーしていました。でも先日、スルーしていたら「下瀬火薬」製造の地に気付かないまま過ごしてしまっていた事を知りました。反省して読みます。「航空界初期の事故わが国の初飛行は、明治四十三年(1910)のことで、徳川好敏大尉が代々木練兵場で高度七十メートルで約三千メートルの距離を飛んでいる。それから七年後にして尊い犠牲が生まれた。陸軍工兵中尉杉野治義(二十七歳)が、陸軍野外飛行で下志津から高度五百メートルで所沢へ帰航中、突風に襲われて尾久村の水田に墜落したのである。大正六年(1917)3月25日、午前十一時四十分のできごとであった。荒川区教育委員会」「杉野中尉殉難遺跡」です。大きな石碑です。大正初期、界隈が水田だった頃の話です。それにしても立派な石碑です。大きな石碑を建てた理由...「航空界初期の事故」碑が有る「はっぴいもーる熊野前」
TVの取材中です。下町賑わい商店街「砂町銀座」です。撮影クルーは厚着です。「砂銀」といえば、やっぱりこの店です。寒い日はおでんですね。こちらにも行列があります。寒い日は焼き鳥ですね。鰻は苦手です。安上がりの私です。冬の日没は早くきます。寒いです。急いで帰ります。今日の夕食は鍋を希望します。寒い日の砂町銀座
京成立石駅前の再開発工事が進んでいます。殺風景な工事フェンスに水彩画が展示されて癒してくれます。幾つかの現場を探し当てましたが、まだ気になる絵がありました。先日、この絵にある踏切を目当てに京成立石駅から西の踏切を探索しましたが見つかりませんでした。帰り道を行き当たりばったり探しただけだったので、探したことも忘れていました。何の目的も無く「立石西町商栄会」を走っていました。もう商店街の東端です。振り返る商店街です。あの白いフェンスの中間どころを左折したら「駅前ギャラリー」が有ります。前回は、この商店街を向こうへ行ったのでした。ここです!犬が歩いていたら棒に当たりました。駅前ギャラリーに有った水彩画の現場です。正面から眺めます。左側のドアが店舗のようですが、今も営業しているんだろうか?踏み切りを渡ります。その...立石駅前ギャラリーの現場/「居酒屋下町」
高札が出た根津神社です。節分祭は分かるけど、隣りの「追なんとか式」ってなんでしょう?まあ良い。鳥居を潜ります。艶やかな楼門です。一方、寒々とした境内です。単管パイプが組み上げられています。拝殿前です。舞殿に向かって組み上がっています。あそこに板を敷いたら完成です。拝殿でお祓いを受けた後、これを通って舞殿に行きます。唐門から見る楼門です。冬日に佇みます。舞殿には町内会の役員と、氏子の年男・年女が登壇します。豆の代わりにピーナッツを撒きます。みかんも撒きます。ここ根津神社は六代将軍徳川家宣の生まれた場所です。重要文化財が8件もある、由緒正しい神社です。こんな神社なんですが、他の東京の有名な神社みたいに、有名人が来ることはありません。素朴な豆撒きが行われます。・・・今年も「立春」が巡って来ます。根津神社/節分祭準備中
下町の商店街です。アーチは黄色い都電です。上の時計はずっと止まったままです。振り返ると都電が行きます。梶原停留場です。かつて「梶原書店」が在ったホームです。商店街に戻ります。都電と生きて来た商店街です。商店街の入り口にお菓子屋が在ります。主力商品は「都電もなか」です。店からのお知らせです。西陽が射す商店街です。右手に「菓匠明美」です。振り返る商店街です。TV放送で評判になって、お客さんが増えると嬉しいですね。放送するのは「フジテレビ」かあ・・・。今は間が悪い。ショッピングロードかじわら
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ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景
綱敷天満宮の西参道です。ここに志々満保育園が在ります。私はここの卒園生です。勿論何もかも変わって面影は残っていません。ここに新しく「歴史散策まち歩き」看板が出来ました。今回の帰省で訪ねた場所の多くが紹介されています。やっと町をアピールする気になったようです。今治市は「移住したい町ナンバーワン」らしいです。そんなこともあって、この看板を設置したのでしょうね。先日の地元ニュースで、昨年度の移住人口は1800人強らしいですが、私の周囲にそんな気配はありません。老幼なじみに訊くと、どうやら人が移住しているのは、平成の大合併で今治市になった島しょ部が中心だとか。旧今治市は人が流出しています。桜井「歴史散策まち歩き」看板
「衣干岩」のすぐ傍です。椀船の港です。ここから九州や中国・近畿に出かけて行きました。古い防波堤です。満潮時には水没します。丁度干潮に近いです。ここが「椀船の港」です。以前は堤防に下りられました。上流です。1本の大きな木が有ります。夏には蝉が煩くしますが、平素は静かな場所です。木陰を落とします。石碑です。句があります。漆器椀を満載して、行商人も載せて、帰りは各地の名産を積んで、椀船が往来した港です。昭和の中頃までは賑やかでした。もう昔の話になりました。椀船の港