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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

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2014/09/11

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  • フロイスの見た信長

    1569年年の四月八日、 信長は都を追放されて堺に住んでいた、 宣教師ルイス=フロイスに面会しました。 フロイスはこのときの信長の印象を、 つぎのようにローマに報告しています。 「この尾張の王は年齢が

  • 大うつけ

    のちに信長と京都で会った耶蘇会士ルイス=フノロイスは、 かれを評して 「倣慢」「ほとんど規律に服せず。」といっています。 規律に服さないとは、 旧来の習慣や規格にとらわれないという意味です。 信長

  • 西欧と日本の接触

    一五四三年に、 ポルトガル人の乗ったジャンク船が 種子島に漂着して鉄砲を日本に伝えました。 船の持ち主は、 倭寇の首魁(しゅかい)である 明人の王直(おうちょく)です。 ポルトガル商人が倭寇と一緒に、

  • 病気の伝播3

    われわれは知るところが少ないにもかかわらず、 大洋を航海する船が、 病原菌を広めた全体的な結果について、 知ることはできます。 第一に、それまで孤立して 暮らしていた住民たちが、 致命的な人命損失を

  • 病気の伝播2

    西欧の船は、多くの疫病―― その中には黄熱病やマラリアのような 命にかかわる病が明らかに含まれていました ――をアフリカから新世界に運び、 そこで蚊の媒介によって 中央アメリカおよび南アメリカの各地方を、

  • 病気の伝播

    病気は、価格の変様と同様、 人間の意思とは無関係に、 まったく理解されることなしに、 広まりました。 病気の拡大に伴う事情は はっきりとはしません。 その理由は、 アメリカにおける原住民の間であれ

  • 人口増加

    アメリカ産の栽培植物の発見は、 各地域の食橿供給を増大させ、 それに伴う人口増加を引きおこしました。 このことは確実に支那南部におこりました。 またアフリカ、特に西アフリカにおける 人口の劇的な増

  • アメリカの栽培植物

    アメリカの栽培植物は、植物学的に、 旧世界で知られているものとは まったくちがっていました。 西欧、アジアおよびアフリカの 農民たちがそれまで知っていたものを補う きわめて価値ある作物でした。 例

  • 未来に対する不安

    伝統的な社会・経済的諸関係 によって定められていた、 確たる日常生活の中のすべての安定性は、 一五〇〇年と一六五〇年の間に 西欧におこった激しい物価変動のため ついえ去りました。 各政府は、それまで

  • 価格革命

    コルテスは翌二一年、 大軍を率いてふたたび来襲し、 四カ月かけてメキシコを完全に征服しました。 つづいて、フランシスコ・ピサロは、 南米のペルーを中心とする インカ帝国の首都クスコに入城し、 ペルー

  • スペインの南米侵略

    いっぼう、スペインの植民者は 中南米地方へ探検を進め、 一五一三年九月には. ハナマ地峡を乗りこえ、 太平洋を望む地点へ到達しました。 その間、 冒険と黄金の夢にとりつかれた 投機的な荒れくれ男たち

  • ポルトガルと日本

    一五世紀の末に、 地理上の発見を他国に先がけてなしとげた スペインとポルトガルは、 一六世紀の前半にさらに探検の歩みを進めました。 ボルトガルはインドのゴアに基地と商館を設け、 香料とくに胡椒を求め

  • 他国の心情

    フランス、イギリス(イングランド)、 オランダといった国々は この条約によって領土獲得の優先権から 締め出される形となりました。 この状況を打破するには、 スペインやポルトガルの船団に対して 海賊行

  • トルデシリャス条約

    ジョアン2世は スペインのフェルディナンド2世と直接交渉し、 1494年に教皇子午線からさらに西に270レグア進んだ 子午線を境界線とするトルデシリャス条約を締結しました。 1506年にはアレクサンデル6世の次の

  • スペインとポルトガル

    1492年、クリストファー・コロンブスが 「インド」(実際には西インド諸島)に到達し、 帰還しポルトガル・スペイン両国において 「新世界」への冒険的航海がブームとなりました。 しかしコロンブス以前から、

  • 鉄砲の放棄

    わが国への鉄砲の伝来については よく聞かされますが、 鉄砲の放棄についてはあまり聞かない。 しかし鉄砲放棄のもつ意味合いは大きい。 世界の歴史は戦争の歴史ともいわれ、 同時に武器の発達の歴史でもあ

  • 近代社会が形成

    活発な経済的、文化的な交流の背景に、 中世における人知・人力を超えた 疫病のような共通の体験(危機)があったのです。 その解決を求めての未知なる海外への進出、 そこでの強烈な国際交流のなかから、 そ

  • 多彩な国際交流

    網野善彦は 「南北朝の内乱は民族の体質、 あるいは民俗の根底に関わる 大きな構造上の転換期」で、 この動乱期を節目として 「呪術性が次第に社会から消えていく…… 理性が優位を次第に占めてくる」 としてい

  • 日本の転換期

    ユーラシア大陸の かなり広域な部分を襲ったとみられる 疫病はほぼ一三五〇年に始まり、 その後少なくとも百五十年間は 深刻な危機をもたらす形で続発しました。 一三五〇年頃というと、 わが国ではちょうど

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