12月22日は次男の誕生日だった。子どもの誕生日にはプレゼントに沿えて手書きの手紙を渡すことにしている。こんな感じ↓いつまで続けられるやら。半分くらいは長男が11歳の時に渡した手紙と同じ内容だが、残りの半分は次男向けに書き直しました。ま、どうせパパが書いた手紙なんてすぐに失くしちゃうだろうから、何年か経って読み返したくなったら、子どもたちがこのブログを見に来ればいいように全文をアップしておくぞよ。以下、全文↓-----------------------------------------------11歳の祐人へ11歳の誕生日、おめでとう。パパが11歳だった頃。名古屋のじいちゃんと名古屋のばあちゃん、つまりパパのお父さんとお母さんはパパが小さい頃からずっと仲が悪かった。とうとうパパが小学校4年生の時、「別々に...11歳の祐人へ
第43回は東大和市。前回の東村山市編で志村けんさんの「東村山音頭」に触れた流れで、今回の目的地は多摩湖だ。東村山市の庭先というには少し遠く、てか、東村山市内ですらない。むしろ手を伸ばせばそこは埼玉。向こうに見えるのは西武ドーム球場だ。多摩湖は春は桜、秋は紅葉の名所だというが、今は冬。しかも天気は明日から崩れる予報で本日の空は曇天。晴れていれば湖面が青く美しかったろう。てか、寒い!一緒にツーリング行きまくった司法修習生の久本君に強く勧められて冬用のバイクジャケットを買ったおかげで上半身は温かいが、手先は冬用の牛革グローブをはめていても冷気で指の感覚がほぼ0。辛い。しかもこの先、目的地は日野市→日の出町→檜原村と、どんどん東京の奥地(=どんどん寒い)に向かっていく。こりあ、次回更新は来年の春かな。多摩湖といえば取水...東大和市
第42回。東村山市。今回、訪れたのはここ。明治学院中学校&明治学院東村山高等学校↓の、敷地内にあるライシャワー館↓ケネディ〜ジョンソン政権下で駐日大使をつとめたE.O.ライシャワー氏の生家である。ライシャワー氏は、キリスト教長老派教会の宣教師で東京女子大学創立にも関わった父上オーガスト・カール・ライシャワー氏が住んでいた明治学院内の宣教師住宅(東京府東京市芝区白金台町)で生まれた。現在、東村山市にあるライシャワー館は1965年にそれを復元したものだ。その前年の1964年。ライシャワー氏は、赤坂のアメリカ大使館前で統合失調症の日本人少年に右大腿を刺されて重傷を負った。その時のライシャワー氏のコメント。「わたしは日本で生まれたが、日本人の血はなかった。しかし、今回、日本人の血液を多量に輸血してもらい、本当に日本人と...東村山市
ちょっと第40回から間が空いたが、心配ご無用。ちゃんと走り続けておりますぞ。ブログの投稿が俺の走りに追いついてないだけじゃ。第41回は東久留米市。今回、東久留米市の下調べをするまで、私、東久留米市は福岡県の久留米市と何か深い関係があるものだとばかり思っとりました。奈良時代に久留米で虐げられていた人々が遠く関東にまで逃げてきて、自分たちの手で新たな村を作り上げたのが東久留米だとか、江戸時代に久留米のお家騒動がきっかけで殿様のご落胤(らくいん)が公儀の隠密にさらわれて武蔵野の山林に捨てられたんだけども、親切な村人たちの手で育てられ、その子孫が幕末、関東最大の尊皇攘夷集団「久留米党」の党首となって幕府を倒したとき、もはや自分は先祖の故郷久留米の地には戻らないとの決意を込めて明治政府から与えられた武蔵野の地を東久留米と...東久留米市
第40回は羽村市。東京でもっとも人口が少ない市だ。面積も9.9㎢しかない。9.9㎢=3km×3.3km。時速を4kmとして、市の端から端まで歩いても1時間かからない計算。うわっ、狭!さて、行ってきたのはここ↓羽村駅のほぼ目の前。「まいまいず」とはカタツムリのこと。地盤の柔らかい土地で垂直に井戸を掘り進めると、掘った先から土が崩れてきて井戸が埋まってしまう。それを回避するために古代の人たちは、「土地を螺旋状(らせんじょう)に掘り下げていって、硬い地盤まで到達してから垂直に井戸を掘ればいいじゃん」と思いついた。螺旋状に掘り下げることで、底の井戸までの通路もできる。言葉で説明すると分かりにくいが、要するにこんな感じ↓羽村市のまいまいず井戸は五ノ神社の境内にある。伝説では大同年間(806年〜810年)に掘られたという。...羽村市
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