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2014/05/26

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  • 金村神社〔葛城市大屋〕 古代大和のキングメイカーと鍛冶集団の痕跡

    奈良県葛城市南部、旧新庄町にある屋敷山古墳は全長百三十五メートルの前方後円墳で、中世にはこの地の豪族布施氏によって墳丘を利用して城が築かれた。布施氏は屋敷山の二キロメートルほど西の山中にあった布施城を本城としたが、屋敷山の城は平時の居館として建てられたものという。

  • 大圓寺〔大阪市住吉区墨江〕 快慶作阿弥陀如来像特別公開

    大阪市教育委員会による企画「大阪の歴史再発見」の一環として、大阪市内の寺院の非公開文化財が不定期で特別公開されている。去る平成三十年(2018)一月二十三日、住吉区墨江の大圓寺で本尊阿弥陀如来立像をはじめとする仏像群が公開されていたので参加して来た。

  • 羽曳が丘神社〔羽曳野市羽曳が丘西〕 あらゆるものに神は宿る

    日本武尊は伊勢能褒野で客死するが、その魂は白鳥と化して、大和琴弾原に降り立ち、さらに飛んで河内古市に留まったのち、天高く翔け昇ったと『日本書紀』にいう。大阪府羽曳野市古市に鎮座し日本武尊を祀る白鳥神社の縁起には、天へと昇る姿を「埴生野の丘を羽を曳くがごとく飛び立った」と記す。

  • 少彦名神社〔大阪市中央区道修町〕 戊戌歳御朱印拝受|自らの体で「治験」をおこなった神

    薬の町として知られる大阪道修町の少彦名神社は、「神農さん」とも称ばれる。それは、道修町の唐薬種(清やオランダから輸入された薬の原料)を扱う中買仲間の会所に、古代中国の神農という神を薬祖神として祀ったのが

  • 河内西国巡礼 第七番 壺井寺〔柏原市法善寺〕 雷を封じた観音さま

    大阪府柏原市法善寺には、地名の由来となった法禅寺という寺院がかつてあった。法禅寺は神護景雲年間の創建と伝わり、七堂伽藍を備えた大寺だったが、天授年間の兵火で堂塔をことごとく失い廃寺となったという。

  • 泉州磐船神社(航空神社)〔泉佐野市上瓦屋〕 天空を守護するニギハヤヒの宮

    大阪国際空港(伊丹空港)に次ぐ関西第二の国際空港を建設する計画が進められる中、神戸北野天満神社の宮司を務める佐藤家の次男として生まれた佐藤匡英氏は、新空港の守護神社創祀を思い立った。

  • 生國魂神社〔大阪市天王寺区生玉町〕 戊戌歳干支朱印拝受|八兵衛狸のはなし

    元禄年間のこと、道頓堀の芝居小屋「中之芝居」に足しげく通う、三隅八兵衛なる侍がいた。この男、芝居好きの初老の武士ということを除いては素性がはっきりしない不思議な人物で、生玉神社の南の源聖寺坂辺りに住まいがあるという話もあるが、誰も詳しいことを知らない。

  • 池之原神社〔大阪狭山市池之原〕 街道を辿って来臨した熊野の神

    四天王寺を起点として南にのびる下高野街道は、狭山池にぶつかって二つに分岐する。池の東側へ回り込めば中高野街道に合流し、西の道をとると岩室を経て西高野街道に合流する。また岩室で西高野街道から分岐する天野街道を進めば、女人高野といわれた天野山金剛寺に至る。

  • 天満宮〔堺市西区山田〕 村の鎮守の帰還

    堺市立福泉中学校の南、山田公民館に隣接して小さな神社が建っている。北側から境内に足を踏み入れる。左手に一対の灯籠と石鳥居、そして西面する銅板葺屋根の社殿。境内の西半分は児童公園になっている。

  • 後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈後編〉

    正平七年三月、足利義詮の軍勢は前月より南朝軍に制圧されていた京都を奪還。退却した南朝軍は後村上天皇の行在所がある男山八幡(石清水八幡宮)に籠り、足利軍を迎え撃った。

  • 後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈前編〉

    高野山真言宗遺跡本山観心寺。役行者によって開かれ、弘法大師が道場としたその古刹には参拝客の絶えることがない。その中にあって、訪れる人の稀な、ひっそりと静寂に包まれた場所がある。

  • 山井神社〔堺市南区片蔵〕 清泉に宿る水の女神

    延喜式内社にして和泉国大鳥郡上神谷上条の総鎮守櫻井神社の社殿前に、立派な石碑が建てられている。碑には櫻井神社を含め三つの式内社の名とその祀る神が刻まれている。

  • 櫻井神社〔堺市南区片蔵〕 八幡神降臨伝説と桜井氏祖神の謎

    鉢ヶ峯の堺公園墓地から続く道を北へ辿り、丘陵を切り開いて貫く府道二〇八号(堺泉北環状線)を跨ぐ橋を渡って坂を下る。「きつね坂」というらしい。間もなく「櫻井神社」「上神郷総鎮守」と刻まれた一対の石柱が現れる。ここから先は櫻井神社の神門に向かって道が真っ直ぐにのびている。

  • 聖徳太子御遺跡 第六番 叡福寺〔南河内郡太子町太子〕 太子御廟守護の寺

    聖徳太子の愛馬黒駒は空を翔ることができたという。推古天皇六年九月、太子二十七歳の時、初めて黒駒に乗ることとなった。これは同年四月に諸国より献上された馬の中から太子自身が選び、自邸で調教してきた甲斐産の駿馬だった。

  • 井伊神社〔彦根市古沢町〕 八幡神の化身として生まれた井伊家始祖

    寛弘七年(1010)正月元日の早朝、遠江国引佐郡井伊谷(現静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)に鎮座する八幡宮の神主が、神田の傍らにある御手洗の井戸で赤子が泣いているのを発見した。抱き上げてみれば、顔立ちは秀麗、黒目がちの瞳からは聡明さが溢れ出ている。

  • 大物主神社〔尼崎市大物町〕 平清盛・源義経の伝承と祭神の謎

    兵庫県尼崎市に「大物」という地名がある。淀川の支流神崎川の河口部に位置し、平安時代末期から鎌倉時代にかけて港町として賑わった。西日本各地から運ばれた材木の集積地として栄え、材木の特に大きなものを指す「大物」が地名の由来ともいう。

  • 大将軍神社〔高槻市下田部町〕 禍を祓う境界の神

    道は、人が往来し、物資や文化をもたらすとともに、時には疫病のような災厄も運んで来た。悪しきモノの侵入を防ぐため、辻や村境に神が祀られ、「道切り」が行われた。その神は「道祖神【どうそじん】」「道陸神【どうろくじん】」「塞神【さえのかみ】」など様様な名で称ばれる。

  • 八幡神社(天祖神社)〔堺市南区畑〕 丘の上に鎮まる八幡さんとお伊勢さん

    旧河内国大鳥郡畑村(現堺市南区畑)の鎮守八幡神社は、明治四十一年(1908)三月五日櫻井神社に合祀されたことが記録に残っている。その後の経緯は詳かでないが、こんもりと緑が繁った丘の上に、畑八幡神社は今も鎮座している。

  • 観心寺〔河内長野市寺元〕 国宝如意輪観音御開帳

    毎年四月十七日と十八日の二日間、大阪府河内長野市の観心寺において、秘仏如意輪観世音菩薩(国宝)の厨子が開扉される。平成二十九年(2017)四月十八日、仕事の休みが合い、念願のその姿を拝むことができた。観心寺は役行者が修行道場として開いたと伝えられる古刹。

  • 湊川神社〔神戸市中央区多聞通〕 悲劇の英雄楠木正成〈後編〉

    湊川神社の鎮座地は楠木正成が最期を迎えた場所と伝わる。境内の西北隅に、玉垣で囲われ門が設えられた一角がある。石標には「史蹟 楠木正成戦歿地」と刻まれている。この場所こそ、延元元年(1336)五月二十五日、楠木正成が将士七十余人とともに殉節を遂げた地だという。

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