3/16 西山の坂下ろしの続きです!西山 神楽車先回りして、サンゴの交差点へ行きました。浅井山 宮本車ここから元薬師までは、子供たちが力強く山車を曳きます。殿海道山 源氏車(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(
桑名宗社石取御神事を中心に各地の石取祭車、東海三県の山車、だんじりの見学記です!
桑名市周辺の祭礼、上げ馬神事、知多型山車、名古屋型山車、だんじり(地車)の見学記です!
石取祭の基本編が一段落付いたところで、リクエストをいただきましたので、山車に付随するセカンド山車(ミニ山車)を特集してみます!模型よりも大きく、主に飲料を載せるものとして曳かれる場合が多いようです。桑名市赤須賀宮本町ビールを入れる台車に取り付けられた山形
第一組の秋祭に鳥居祭がありました。昭和51年に復活したお祭りで、毎年10/10の体育の日に行われていた七里の渡しと住吉神社のお祭りです。午前中に上本町は祭典の準備、西舩馬町は住吉神社の祭典準備、花街連と羽衣連は祭車の準備をして祭典を行いました。午後からは祭車を曳
第一組は他の組と違う習わしがいくつかあります。組半纏今ではあちこちの組で見られるようになった組で統一の半纏ですが、初代は第一組のようです。組の統制をとり、友好かつ協力を目的に製作されました。お勝っつぁん青年会のお勝っつぁんで行動する時、各組毎に行動します
【花街連】現在、川口町(花街川口町)と江戸町はそれぞれで祭車を曳いていますが、花街連として合併参加を行っていたため、その事を中心に紹介します。江戸町は明治32年頃祭車を新造し、第二組に属して参加していました。川口町は明治18年頃祭車を新造し、第一組に属して参
【西舩馬町】七里の渡しから西側にある町です。米蔵や材木蔵が多かったこの町は、雅名を蔵前と名乗ります。そんな材木商が多い町で、建てられた祭車庫がこちらです。桑名で3番目に建てられた、鉄筋コンクリート製の建造物です。豊富な材木が町内にあるにも関わらず、当時の最
【羽衣】羽衣は上本町の北にある三町合併の組織です。東舩馬町、北本町、本町の三町です。昔は三町それぞれ祭車を持っていましたが、東舩馬町と北本町は明治26年に合併参加を始め、大正9年には二町合併の現祭車を新造しました。(東舩馬町先代祭車 現四日市市富田西町祭車)
【上本町⑤】平成13年7月、天地を改めて新本天幕が完成しました。細部の様子です。旧天幕は45枚綴れ、新天幕は40枚綴れ、他町の天幕よりは細かいドットですが、古い方が細かく美しかったようです。この瑞雲牡丹鳳凰図の幕は他の祭りにも見られます。一つは京都市祇園祭 木賊
【上本町④】疎開したおかげで、長年使用されてきた幕類ですが、傷みが進んできたので新調する事になりました。旧本天幕です。ご覧の通り、上下逆さまな図柄になっています。染みも多くなり破れも出来てきました。そのため、新調計画が進みました。新天幕の復元下絵です。
【上本町③】錺金具の他にも疎開した物があります。まずは擬宝珠。昭和5年の大改修時に新調したものです。それと幕類です。製作年不明の替天幕、明治42年新調の本天幕です。昭和5年、町旗も新調しました。替胴幕の兎に波の綴織も昭和5年です。本胴幕の雲龍刺繍は天保年間
【上本町②】�����昭和5年の大改修で、錺金具を新調しました。作者は滋賀県彦根市の石原勝秀(善次郎)です。金具は京都祇園祭の月鉾を参考にしたと聞きます。(月鉾錺金具 Tくん提供)参考にしたのは太鼓掛の貝尽くしでしょうか?地金も分厚く、彫りも深いものです。魚
【上本町①】上本町と言うと、どのような印象をお持ちでしょうか?40町内の中ではあまり印象強い存在ではないでしょうが、春日さんの門前町という事はご存知かと思います。雅名も神本と名乗り、宮本よりも近い『神の本』を意味します。その名に誇りを持ち、神本町の文字は備
四日市市天カ須賀第三組旧祭車見るからに階段の後付けがわかる祭車で、個人に譲られた時、階段を外してみました。前面に額跡があり、大きめの小縁場板に献石箱を置いていた可能性があります。詳しくはこちらから↓愛西市西保下之切祭車旧天三祭車と同期に造られた祭車で、構
桑名市福島町祭車少し構造が違いますが、類似均車形式です。桑名市長島町大島祭車高欄があるタイプです。新造当初は階段は無かったと思われます。鈴鹿市神戸六郷連旧祭車階段は新造当初からあったかもしれせんが額三面を有し、簡易的な部分も見られるので均車形式に近いと思
桑名市志知祭車※山形提燈は蔵内のイベント用を借用※山形提燈は神社用を借用いなべ市北勢町阿下喜 桐林館祭車(仮称)本町と書かれた献石箱。桑名市小貝須本村祭車現在、献石箱はありませんが、献石箱用の縁場板があり、過去には重石が乗っていた事から均車形式と言えるでし
元来、均車は旧祭車のほか、戦前は簡易的な祭車を均車として曳いていた町もありました。前出の西鍋屋町均車みたいな形です。階段部分に献石箱を置き、四本柱を立てて高欄は無く、胴体部分は大きな額や幕で覆う形式です。この形式を均車形式と私は提起したいと思います。正式
西鍋屋町均車昭和50年 伊藤為一により新造されました。破魔は今片町の旧材を、破魔隠しは昭和48年に製作した自町祭車の旧部材です。新造当初は献石箱を前部に置く均車形式(後日解説)で、高欄の形も写真のものは違う物でした。東矢田町均車の登場により、西鍋屋町も改造に着
現在、セカンドカーとして活躍している均車について、何故このような立派なものがあるかという来歴を紹介します。東矢田町均車マイカル桑名時代から夏に展示、囃子体験を開催している均車としても有名です。破魔と後部の彫刻は、現祭車の新造当初の物(旧部材)を利用してい
均車の面白い例として逆輸入品があります。それがこの吉津屋町均車です。どこから譲られたものなのでしょうか?実は愛知県大府市北尾です。北尾(北崎)って、知多型山車持ってるよね?はい、ございます。何故遠く離れた、大府の地で石取祭車があるのでしょうか?北尾地区は
読者様からのリクエストとして均車をご紹介します。均車は『ならしぐるま』と読みます。では、均車とは何でしょうか?石取祭車研究会の研究によると、地均し車で、本楽に備えて道路を平らにするための四輪地車新祭車を新造した後の旧祭車を練習や試楽用に用いた車とあります
桑名市桑名宗社石取御神事、赤須賀神明社石取御神事、四日市市天カ須賀住吉町祭車披露を更新しました!画像掲示板は↓blog記事は↓皆様も画像掲示板に祭礼画像をお寄せください!【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されま
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3/16 西山の坂下ろしの続きです!西山 神楽車先回りして、サンゴの交差点へ行きました。浅井山 宮本車ここから元薬師までは、子供たちが力強く山車を曳きます。殿海道山 源氏車(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(
3/16 浅井山の次は、殿山の坂下ろしです!殿海道山 源氏車南山 八幡車西山 神楽車この人はよく山車祭りで見掛けるなぁ。(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます。私の見学に向かう原動力
3/16 三番叟奉納が済むと本神楽奉納、上山からくり奉納と続きます!浅井山 宮本車(小烏丸夢之助太刀)南山 八幡車(役小角大峯桜)昼休憩も兼ねて、祝い込みが行われます。山本宅への祝い込みです。山本さんより一番楫へご祝儀の御酒が贈られます。八幡社では向山によるとび
3/16 殿海道山の次は、南山の坂上げです!南山 八幡車西山 神楽車四山が定位置に着くと、山車前で若衆が車座になります。南山の一番楫への祝酒です。喜びのハグです。胴上げされます。西山は山車前で伊勢音頭を唄います。最後に一番楫が肩車され、伊勢音頭を唄います。これは
3/16 いよいよ、乙川八幡社への坂上げが始まります!浅井山 宮本車御幣下の楫先を一番楫と言い、その楫棒を若者が死守します。他山の若衆はその楫を奪いにやってきます。人の上を人が歩く…なんて姿は、ここでしか見られない光景です。この楫先を奪い合う様が、喧嘩をしてい
3/16 殿海道山の次は、南山が曳き込みます!南山 八幡車西山 神楽車参道に四山が揃うと、坂上げ用に飾り付けを整えます。向山獅子が先に境内に入ります。向山 獅子館各山山本、先山本、氏子総代、組長(總長)などが鳥居から神事に参列します。(この記事の一部画像は、みなゆ
3/16 乙川八幡社大鳥居前に向山と四山の山車が揃いました!今年は浅井山、南山、西山が西側から、向山と殿山は東側から参道へと入ります。各山の赤法被が向山と挨拶を交わします。向山区の獅子舞と獅子館が、先導し乙川八幡社の参道へ入ります。浅井山 宮本車殿海道山 源氏車
3/16 駅前通りを南進する、西山の続きです!西山 神楽車殿海道山 源氏車山本宅を発ちます。下り坂なので、ハンド綱を効かせます。向山 獅子館(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます
3/16 乙川八幡社に向かう浅井山の続きです!浅井山 宮本車元薬師前で小休憩をとりました。後ろに西山がやってきたので、出発します。南山 八幡車乙川駅前公園でUターンして、サンゴ交差点南側で浅井山の通過を待ちます。八幡車の後ろで、若衆は宴会です。浅井山の通過後、サ
3/16 山本宅へ山車が曳き込まれ、神事が執り行われます!殿海道山 源氏車山車の前に祭壇が組まれます。午前5時、神社より御幣を授かり、山車の前に持ってきます。浅井山より山祈祷を済ませた神職が、浅井山の使者と共に殿海道山の山本宅へと到着しました。全員で山祈祷を受
3/16 乙川祭り始楽の朝は早く、夜も明けぬ深夜に動き出します!西山 神楽車今年、山本宅が遠かった西山は、午前2時より動き出したとか。前山破風両端に提燈を付け、山車幅がわかるようにして曳き出します。本来は、山本宅で山車を組み上げるのですが、今は夜中に曳き出して
3/10 各山帰路の続きです!浅井山 宮本車元薬師より北進して帰ります。先に帰路に就いた西山が見えてきました。西山鞘前を通ります。右折して、若宮社の前を通ります。殿海道山 源氏車石河屋前から鞘へ戻ります。サヤ前で幕類を外します。土曜早朝に山本宅へ移送するために、
3/10 南山に続いて、殿海道山が秋葉神社前を進みます!殿海道山 源氏車細かく左右に楫を切ります。西山神楽車より帰路に就きました。浅井山 宮本車南山 八幡車殿海道山 源氏車(この記事の一部画像はみなゆうくんに、一部動画は赤地注連縄くんにご提供いただきました)【
3/10 殿海道山の坂下ろしの続きです!殿海道山 源氏車このカーブミラーも難所の一つのようです。殿山が坂下ろしを終えた時、浅井山は秋葉神社手前、南山は乙川八幡社北側にいました。浅井山 宮本車南山 八幡車(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました
3/11 浅井山の次は、殿海道山ではなく南山です!南山 八幡車他山の若衆が、助っ人で曳綱に着く珍しい姿も見られました。坂に差し掛かると後楫はかなり高くなります。今後この道を巡行コースに戻すならば、この電線はネックになる事でしょう。殿海道山 源氏車殿(しんがり)は殿
3/10 いよいよ坂下ろし→東側の狭路へと進みます!西山 神楽車若衆が後楫棒に掴まり、スピードを落とします。アスファルト部分で一度止まって、左へ曲がります。昔も止まってから楫を切っていたのか、下りた勢いで楫を切っていたのかわかりませんが、危険を伴う部分ですから
3/10 3台の坂上げの後、最後は西山の坂上げです!西山 神楽車各山の組員が神楽車の曳綱を引きます。乙川八幡社に4台の山車が揃いました。とはいえ、乙川まつりではないので、奉納神事はありません。今年元日に発生した能登半島地震の支援募金も集められていました。休憩を
3/10 浅井山の次は、殿海道山の坂上げです!殿海道山 源氏車サヤ前から坂上げを行いました。南山 八幡車(この記事の一部画像はみなゆうくん、ビンビンカンカン会の皆さん、一部動画は赤地注連縄くんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(応援)がランキン
3/10 浅井山と西山は元薬師前から南進します!浅井山 宮本車駅前通りから石河屋前へと左折します。南山 八幡車サンゴ交差点側から北進してきました。浅井山の通過後、右折しました。西山 神楽車南山の通過後、左折します。四山揃うのを待たずして、乙川八幡社へ坂上げを行い
3/10 若宮社前を通る、浅井山宮本車の続きです!浅井山 宮本車若宮神社社号碑前を左折し、南進します。西山神楽車の前を通ります。西山 神楽車浅井山の通過後、曳き出します。ちょっと電柱に寄りすぎたようです。真っ直ぐな道ではないので、細かく楫を切ります。(この記事の
3/19 奉納神事を終えると、坂下ろしです!浅井山 宮本車勢い余って、、、錣格子が外れてしまった!殿海道山 源氏車殿山は鳥居まで下りず、サヤ前に曳き込みます。南山 八幡車西山 神楽車今年の殿海道山は参道を下るという事で、再び曳き出しました。山車の通過に露店の軒が当
3/19 浅井山に続いて、殿山の坂上げです!殿海道山 源氏車�南山 八幡車山本さんが上山に乗り、手を振っています!無事坂上げを終え、殿山の山本と握手をしていました。�西山 神楽車こちらも山本さんが手を大きく振っていました。四山が境内に揃いました。西山若衆は山車前で
3/19 下半田から乙川へ!元薬師に四山が整列していました。この時は順光で彫刻もじっくり見られます。知多半島の山車彫刻の美しさは、東海地方随一と思います。素木彫刻が好きな方は是非、知多地方の山車彫刻を見ていただきたいですね!特に初代彫常さんの作品は数が多く、写
3/19 業葉神社を出た山王車は、いつものルートで山車蔵前に戻ります!半田商工会議所南側を通り、銀座本町二丁目交差点へと向かいます。銀座本町二丁目交差点を左折します。前日まで見ていた乙川のどっしりとした曳き廻しと違い、軽やかに曳き廻されます。ミツカン本社前です
3/19 下半田東組山王車の建造100周年を記念して、高欄彫刻が新調されました!業葉神社に行く前に、前々から気になっていた半田市資料鉄道館の会館日だったので立ち寄りました。C11蒸気機関車の保存に尽力されている若いお兄さんに色々教えていただいて、私の知らない世界を見
3/18 元薬師曳き出しの続きです!南山 八幡車西山 神楽車浅井山は一番車として早くも定位置に着き、殿海道山は微調整をしていました。南山 八幡車境内に埋められている目印に楫方が立ち、そこを目指して楫を切ります。西山 神楽車西山も細かく微調整しつつ約10分以上かけて、
3/18 サンゴの交差点の続きです!西山 神楽車こちらもシートをはずしていました。鋭角の交差点を鋭く楫を切り込みます。と、何か落ちた…よく見ると左後の木鼻獅子が振動で落ちてしまいました。直接地面に落ちず、大幕の掛かった錣格子がクッションになりました。前にも落ち
3/18 乙川八幡社坂下ろしの続きです!南山 八幡車西山 神楽車八幡社を出た山車はサンゴの交差点から元薬師へと向かいます。殿海道山 源氏車南山 八幡車雨が上がり、シートを外しました。【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます。私の見学に向かう
3/18 四山が乙川八幡社境内に揃いました!南山の若衆は殿山サヤ前で祝います。西山の若衆は山車前で車座になり、伊勢音頭を唄います。最後に一番楫が唄います。肩車をされて一番楫のみ唄える伊勢音頭を唄います。お祝いにいただいた酒を飲みます。宮本である浅井山は前棚三番
3/18 浅井山に続いて殿山の坂上げです!殿海道山 源氏車南山 八幡車山車後部上は特等席です!西山 神楽車他山の一番楫が若衆を支える姿…こういう優しさも備えるのが一番楫の男気でしょう。【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます。私の見学に向か
3/18 遅れて殿山が八幡社に向かって来ました!殿海道山 源氏車交通規制がかかっていないので、自動車とすれ違いながら進みます。南山の前を通ります。八幡社参道へ曳き込みます。南山 八幡車殿山通過後、参道へ曳き込みます。浅井山を先頭に殿海道山、南山の順で整列します。
3/18 浅井山から順に地離れ(山本宅曳き出し)を行います!浅井山は浜田町2丁目方面の山本宅から乙川天満宮方面へやって来ました。午前8時過ぎ、JR武豊線乙川踏切手前で停まりました。南山山本宅前側から見るとこんな感じです。浅井山が踏切横断する前に南山が山車を北側に
3/18 あいにくの雨模様ですが、4年ぶりに乙川祭りが行われました!殿海道山 源氏車夜が明ける前、山本宅へ山車を持って行きます。ただでさえ寒い3月の深夜、雨が降る中の半裸は大変寒い事でしょう。山本宅へ山車が到着しました。山本宅で山車組み上げをしていた名残で、脇
3/5 サンゴの交差点から元薬師方面へ山車は進みます!どこかでバンド名として聞いた事あるような??町内曳きを終えた西山の皆さんの姿が見えました。若宮神社前を通ります。サヤ前にバックで曳き込みます。到着すると早速飾りを外します。これは前に殿山で説明した事と同じ
3/5 式典も終わり、近くでからくりを見せていただきました!真新しい桐箱です。小烏丸の鞘は梨地のようです。鐺(こじり)も美しい金具です。大蛇は2種類あり、木に登る物と平地用があるようです。一つの蛇で複雑な動きが出来ないのならば、二つで演じればいい…逆転の発想で
3/5 いよいよ上山からくり、小烏丸夢之助太刀が復活します!この上山からくりは、宝暦5年の乙川村祭禮山車絵図には小烏丸夢之助太刀が描かれており、明治末期頃までは演じられていたようです。(半田の山車まつりパンフレットより)そのからくりは、長年半田市博物館に寄託
3/5 乙川八幡社へ向かう淺井山の続きです!南山のサヤも開いており、八幡車がお出迎えしていました。乙川八幡社参道へ曳き込みます。参道の途中で停車しました。コロナ禍での休祭が続いていたので、本番の曳き込み位置の確認をしていました。浅井山は一番車なので四山の基準
3/5 前週に浅井山宮本車の上山からくり披露があると聞き、2週連続で乙川へ向かいました!午後0時、サヤを曳き出し。若宮神社で披露…ではなく、乙川八幡社へ向かいます。西山のサヤも開いている!!というのも、西山はこの日町内曳きを行っていました。コロナ禍によりその
2/26 北の2台は乙川高良公園前でUターンします!浅井山 宮本車西山とすれ違います。西山 神楽車どっしりゆっくりと楫を切ります。浅井山宮本車に付いて行きました。若宮社の横でちょっと粘ってみます。この後、翌週に控えた上山からくり披露の練習が行われるようだったので
2/26 四山は元薬師前まで進みます!ここでしばしの休憩です。その後は特段、行事もなく各サヤへと戻って行きました。殿海道山 源氏車南山 八幡車殿海道山はサヤ北側の細い道を進んで行きました。サヤ前に着くと飾りを外します。1ヶ月後に本祭礼があるのでそのままでも良さそ