前回の続きです。今回は山麓にある伝御屋形跡です。 下図U付近です。カメラを左に回すと ①は駐車場です。 この図では表参道(赤坂道)から、途中の曲輪で、大手道(…
昨日の続きです。今回は椿坂から天守前です。 椿坂です。坂の上に太鼓門跡下図⑦の枡形があります。 太鼓門の内側を黄色く塗りました。黄色い部分が帯曲輪です。本丸と…
昨日の続きです。今回は北出丸から椿坂です。 大手門付近から見た⑥方向の北出丸内部です。 上図④の右付近から見た椿阪です。 下図④の右位置から堀越しに本丸方向…
昨日の続きです。小峰城から会津若松に行きました。 会津磐梯山です。ズームUPして撮影しています。 会津盆地に鶴ヶ城天守が見えます。ズームUPすると 五重の会津…
今回からは会津若松城の紹介です。2021年4月16日に訪問しました。今日はその歴史です。 桜がまだ咲いていました。桜と天守を撮影出来てよかった。 歴史解説板で…
未納の続きです。今回が最終回で松平定信と歴史館です。 下図③付近から二の丸茶屋方向です。内堀跡があります。 ③から④の方に行くと ④付近から見た内堀跡と二の丸…
白河小峰城(日本100名城) 10 二の丸茶屋の桜から内堀跡
昨日の続きです。今回は二の丸茶屋の桜から内堀跡です。二の丸茶屋横の遅咲き桜が咲いていたので、撮影しました。 下図①付近から撮影、遠くに三重櫓が見えます。 現在…
昨日の続きです。今回は戊辰戦争と白河口の戦いです。今日はオリンピックのために大河ドラマ「青天を衝け」はお休みですが、今日は戊辰戦争当時の白河口の戦いをビデオで…
昨日の続きです。今回は天守代わりの三重櫓(3階櫓)内部です。 付櫓内から見た三重櫓内部です。残念ながらコロナのために1階しか公開されていません。写真右端に清水…
昨日の続きです。今回はおとめ桜の昔話と天守前です。 天守の方に行きます。 下図⑯付近から本丸御殿跡です。右に行くほど小峰が丘は高くなります。 カメラを右に回す…
昨日の続きです。今回は本丸跡です。 下図⑩付近です。天守内部は後にして、先に⑪の多聞櫓跡に行きます。 多聞櫓跡です。多聞櫓台が残っています。 ポスターの本…
昨日の続きです。今回は前御門から本丸御殿跡です。 下図⑤付近から⑨方向です。 上図⑧から⑨方向です。 前御門と右が天守代わりの三階櫓です。この前御門は木造…
昨日の続きです。今回は清水門から竹之丸跡までです。 下図⑤付近から④方向です。清水門跡内側からみた二の丸跡です。江戸時代の清水門は渡櫓門でした。 1808…
昨日の続きです。今回は二の丸から清水門までです。 下図②から④の清水門方向です。手前の建物は御手洗いです。 ②からBの内堀跡へ行きます。その途中の写真は 清水…
昨日の続きです。今回は三の丸から二の丸です。 下図現在地から天守方向です。花がまだ咲いている桜もありました。 現在地にある案内板です。現在地は下図A地点です。…
今回から白河小峰城(こみねじょう)の紹介です。2021年4月17日に訪問しました。今日は歴史です。 復元天守と桜 小峰城周辺のグーグル地図です。 小峰ヶ岡と呼…
昨日の続きです。今回は二本松城の最終回で大燐寺です。 大燐寺の枝垂れ桜です。 巨邦山大隣寺は二本松藩十万七百石の藩主、丹羽家歴代菩提寺として建立された寺院です…
昨日の続きです。今回が最終回でしたが、大燐寺が戊辰戦争後に5万石になった二本松藩の臨時政庁になりましたので、大燐寺も続きで紹介します。なので、次回の明日が最終…
昨日の続きです。今回は本坂御殿跡と大手道です。 下図⑤付近からの撮影です。本坂御殿跡に建つ建物の屋根が見えます。戊辰戦争ですべて焼けたので、この建物は後世の物…
昨日の続きです。今回は日影の井戸から重臣切腹跡 下図①の日影の井戸です。 現在地にある案内板です。桜の花びらが2枚張り付いています。 ①から新城館への道です。…
昨日の続きです。今回は乙森から日影の井戸までです。丹羽光重時代(1650年頃)天守台には3階櫓があったそうなので、模擬復元図を描きました。東西の櫓は1650年…
昨日の続きです。今回は本丸から乙森までです。 二段石垣です。下からみた写真がもらったパンフレットにありました。 乙森にあった案内板です。北方向の尾根の見どころ…
昨日の続きです。今回は本丸と天守台からの眺望です。 下図の東櫓台から西方向で本丸です。左端に枡形虎口右端には天守台が見えます。 本丸跡平面図です。(右上が北)…
昨日の続きです。今回は搦手門から本丸です。 下図Aの少し手前にあります。奥州探題畠山氏居城「霞ヶ城址跡」の石碑があります。探題とは守護職にあたるものです。四代…
昨日の続きです。今回は見晴台から搦手門までです。 見晴台⑯から安達太良山が見えませんが、桜の花が残っていたのが幸いでした。 搦手門の方に登ります ウッドチップ…
昨日の続きです。今回は笠松から見晴台までです。 下図⑬にある笠松です。 この笠松は「八千代の松」とも言われ、赤松の巨木です。解説には樹齢約300年と書かれてい…
昨日の続きです。今回は御庭の霞池から笠松までです。御庭というのは大名庭園ということでしょう。斜面に造られています。 下図⑪付近の霞池です。提灯の見える所が三の…
昨日の続きです。今回は三の丸上段から洗心亭です。 三ノ丸下段から上段に上がる、下図⑦付近石段です。 三ノ丸御殿の左側には「本町谷御庭」と書かれた庭園があり…
昨日の続きです。今回は箕輪門から三の丸下段です。 箕輪門です。中に入ると 門を入って⑤方向です。 石垣の上に赤松の大木があります。 まさに2本松の感があり…
昨日の続きです。今回は戒石碑から箕輪門までです。 旧二本松藩戒石銘碑というのは、二本松藩第5代藩主の丹羽高寛が、儒学者の岩井田昨非の献策を採用し、登城する藩士…
今回から二本松城(日本100名城)の紹介です。2021年4月17日に訪問しました。 箕輪門と桜(ガイドさんが持っていた写真)残念ながらこの城も桜はほぼ散ってい…
昨日の続きです。今回は北門から東大手門で最終回です。 下図①から東方向です。この付近が一番良く桜の残る場所でした。 現在地にある案内板です。赤い線に沿って歩き…
「ブログリーダー」を活用して、みどりの木さんをフォローしませんか?
前回の続きです。今回は山麓にある伝御屋形跡です。 下図U付近です。カメラを左に回すと ①は駐車場です。 この図では表参道(赤坂道)から、途中の曲輪で、大手道(…
前回の続きです。今回は池田丸から大石垣です。 下図M付近からN方向です。進むと 観音寺城を守る会様製作地図です。 さらに進むと 下図N付近です。手を使わないと…
前回の続きです。今回は信長が来る前の観音寺騒動です。 観音寺騒動とは1563年10月に、六角氏の家中で起こったお家騒動です。 観音寺城跡を守る会様作成図です。…
前回の続きです。今回は平井丸から池田丸です。 下図⑱から少し進んだ所です。右側の石垣は落合氏邸のものです。 観音寺城跡を守る会さんの地図です。 下図F付近…
前回の続きです。今回は平井丸周辺です。下図⑰付近から⑱方向です。下図⑰と⑱の中央付近です。上写真手前の石段を下りると、平井丸です。 観音寺城跡を守る会さんの地…
5年前の更新を再UPしました。『難波橋と中之島バラ園 最終回 中之島東端まで』昨日の続きです。今回は最終回で中之島東端まで歩きます。 ラベンダーの花です。バ…
5年前の更新を再UPしました。『難波橋と中之島バラ園 2 バラとにゃんこ』昨日の続きです。平成最後の31年4月30日に撮影しました。今回はバラの花とはちワレネ…
5年前の更新を再UPしました。『フェルメール展の紹介』今回はフェルメール展の紹介です。連休中に鑑賞に行きました。私自身オランダに行ったことが無く、オランダ人画…
前回の続きです。今回は 観音正寺 後編です。 手水舎「観音水」です。下図のように何故か書院の奥に手水舎があります。 観音正寺のWebページより高齢の方は石段の…
5年前の更新を再UPしました。『津和野城 3 出丸から東門まで』昨日の続きです。今回は出丸から東門までです。 下図③から東門の方に行きます。 本丸への遊歩…
参道で閼伽井見附を追記しました。前回のつづきです。 八幡山城を見た後、夕方になったので、JR近江八幡駅前のビジネスホテルに宿泊して、近所のラーメン屋で餃子と味…
観音寺城(日本100名城)の紹介です。今回はその歴史です。 聖徳太子開山の観音正寺本堂です。観音寺城が出来ると、寺はきぬがさ山の下に移転させられます。観音寺城…
前回の続きです。今回は春の花2024年4月後編です。 桜以外で咲いていた花 藤の花も咲きかけています。 和歌山県の桃源郷と道の駅にも…
5年前の更新を再UPしました。『萩城 3 厚狭毛利家萩上屋敷長屋内部から』昨日の続きからです。今回は厚狭毛利家萩上屋敷長屋内部からです 外から見た厚狭毛利家萩…
5年前の更新を再UPしました。『岩国城 3 佐々木小次郎銅像など』昨日の続きです。今回は佐々木小次郎銅像からです。 「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名…
5年前の更新を再UPしました。『岩国城 1 歴史など』今回から岩国城の紹介です。別名横山城ともいい日本100名城です。2019年2月25日に訪問しました。 錦…
前回の続きです。今回は八幡山城の堀として開削された八幡堀です。 江戸時代は琵琶湖と繋がる堀でした。 江戸時代の絵図です。(上が北) 豊臣政権下の天正13年(1…
5年前の更新を再UPしてます。『長浜城と桜 5 最終回』昨日の続きです。今回が最終回です。 天守5階から下りました。 長浜城の模擬天守です。左側の玄関が出入り…
5年前のブログを再UPしました。『長浜城と桜 2 豊公園』昨日の続きです。今回は豊(ほう)公園の桜です。 しだれ桜と天守 現地の案内地図です。この長浜港か…
昨日はブログで使用しているPCのHDDをSSDに換える作業をしていたので、更新が遅れました。おかげてPCが早くなりました。Cドライブだったので、かなり難しかっ…
前回の続きです。今回は浦添城大手門跡付近です。前回の所からさらに坂道を下ると 大手門付近にある石碑が見えます。この付近に大手門があったと考えられます。石垣の石…
前回の続きです。今回は浦添城正殿跡です。 下図⑦から⑨方向です。⑨の正殿跡?に行きます。ここはハクソーリッジの聖地のために、米国の方もよく来ているそうです。 …
前回の続きです。今回は浦添城跡1です。 Google地図です。(上が北)⑤から⑥方向は ⑤から⑥方向です。白い立看板のところに行くと 愛国知祖之塔跡です。沖縄…
前回の続きです。今回は浦添ようどれから浦添城城壁までです。 浦添城崖下の浦添ようどれから、浦添城の崖を上がります。 上図①から②方向です。ようどれの崖の上に浦…
5年前UPの道明寺歴史祭り追加しました。『道明寺歴史祭8 最終回』昨日の続きです。 応神天皇陵で解散になりましたが、ボランティアガイドさんと道明寺天満宮に戻…
5年前にUPした応神天皇陵です。追加しました。『道明寺歴史祭7 応神天皇陵 誉田丸山古墳』昨日の続きです。今日は応神天皇陵です。 大鳥塚古墳を前方部西側角から…
今回からは浦添城紹介です。第1回目はその歴史です。 浦添城から見た首里城です。浦添城前の石碑から見た風景です。 昭和7年に描かれた絵画です。海の見える所が、上…
5年前にUPした、道明寺歴史祭りを追加しました。『道明寺歴史祭2 』昨日の続きです。歴史コスプレ行列の続きからです。 これは菅原道真の時代です。 たま…
前回の続きです。今回が玉陵の前編です。玉陵(たまうどぅん)は1501年に造成された、第2尚氏の王族陵墓です。 下図A付近にある世界遺産玉陵の石碑です。 玉陵周…
前回の続きです。今回は32軍司令部跡から天界寺跡です。 首里城古絵図です。今回はピンクの線に沿って歩きました。 第32軍司令部跡への洞窟下図現在位置付近にある…
前回の続きです。今回は久慶門から弁財天堂です。 下図⑱付近から見た久慶門です。 久慶門から外に出て、外から撮影した久慶門です。通用門として主に女性が使用し…
前回の続きです。今回は淑順門から銭蔵です。 最初は首里城での役人の身分差が冠や衣服の色で分かります。係員の衣装から紹介すると 赤い衣装は下級官僚の役人です。 …
前回の続きです。今回は金蔵跡から湯屋です。 下図⑬付近から見た金蔵跡です。盆栽がありますが、正殿とともに焼失した書院前には、5鉢の盆栽があったそうで、復元され…
5年前にUPした藤の花写真を追加しました。 『葛井寺の藤の花と御開帳2 藤の写真』昨日の続きです。今日は撮影した藤の花写真です。 赤い門が西門ですが、閉鎖…
前回の続きです。今回は正殿の奥にある御内原2です。 下図⑤から⑧方向です。右側には花壇があります。 ⑤の下側の花壇は 九年母が植えてあります。九年母という果物…
前回の続きです。今回は正殿の奥にある御内原からです。御内原は2019年以前は閉鎖されて見れませんでした。 御内原は国王一家とそこに仕える女官たちが暮らした生活…
前回の続きです。今回は正殿です。正殿が焼けて見れないので、首里城公園のWebページなどから調べ引用しています。 焼失前の首里城正殿です。正殿は琉球王国最大の木…
前回の続きです。今回は奉神門から正殿前までです。 首里城奉神門です。この門をくぐると正殿前広場です。城でいえばこの内部が本丸です。壁の赤塗料「久志弁柄(べんが…
旅行から帰りました。前回の登城の続きです。今回は漏刻門内側から正殿前までです。 ④漏刻門を内側の下図Iから撮影しました。③の瑞泉門が見えています。右端には櫓へ…
お城巡りに行くので、1回だけ更新をしません、なので今日夜の更新を早めに昼にしました。前回の続きです。今回は歓会門から漏刻門までです。 下図Dから見た大手門にあ…