5年前の更新を再UPしました。『岩国城 3 佐々木小次郎銅像など』昨日の続きです。今回は佐々木小次郎銅像からです。 「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名…
前回の続きです。今回は正殿の奥にある御内原2です。 下図⑤から⑧方向です。右側には花壇があります。 ⑤の下側の花壇は 九年母が植えてあります。九年母という果物…
前回の続きです。今回は正殿の奥にある御内原からです。御内原は2019年以前は閉鎖されて見れませんでした。 御内原は国王一家とそこに仕える女官たちが暮らした生活…
前回の続きです。今回は正殿です。正殿が焼けて見れないので、首里城公園のWebページなどから調べ引用しています。 焼失前の首里城正殿です。正殿は琉球王国最大の木…
前回の続きです。今回は奉神門から正殿前までです。 首里城奉神門です。この門をくぐると正殿前広場です。城でいえばこの内部が本丸です。壁の赤塗料「久志弁柄(べんが…
旅行から帰りました。前回の登城の続きです。今回は漏刻門内側から正殿前までです。 ④漏刻門を内側の下図Iから撮影しました。③の瑞泉門が見えています。右端には櫓へ…
お城巡りに行くので、1回だけ更新をしません、なので今日夜の更新を早めに昼にしました。前回の続きです。今回は歓会門から漏刻門までです。 下図Dから見た大手門にあ…
前回の続きです。正殿前まで登城していきます。今回は守礼門から外郭の歓会門までです。那覇の守礼門は「守礼(しゅれい)」、つまり、「礼節を守る」という意味で、この…
地図に解説付けましたので再UPしています。今回から首里城の紹介です。2023年3月1日に訪問しました。今回は首里城の歴史です。 沖縄では新石器時代が10世紀頃…
前回の続きです。今回が新発田城の最終回です。蔵の資料館 の後編です。 溝口家以前の新発田は新発田重家が支配していました。彼は御館の乱で上杉景勝側に味方していま…
前回の続きです。今回は蔵の資料館です。下図10・11・12です。 Uの庭門を出て、V地点に行くと 上図10・11・12の蔵の資料館があります。10は新発田藩資…
前回の続きです。今回は清水園回遊式庭園後半です。 前回は書院からP付近まで回遊しました。 上図NからOにある丘道です。ここを過ぎると 3枚の石板を一直線でなく…
前回の続きです。今回は新発田藩溝口家の下屋敷清水園回遊式庭園です。一般的な形式で池泉回遊式庭園と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして…
前回の続きです。今回は書院の続きです。 囲炉裏の間から舞台の間とその奥の次の間を見たところです。 書院間取り想像図を描きました。非公開の部分は空白です。居間・…
書院の間取り想像図を追加しました。前回の続きです。今回は清水園の大門から書院です。 下図D付近です。ここから木橋を渡り清水園にいきます。このあたり一帯が清水谷…
最後に石黒家その後を追加しました。前回の続きです。今回は武家屋敷石黒家後編でその内部です。 邸内に入った所です。左に玄関があり、右に座敷があります。(下図参考…
前回の続きです。今回は中級武家屋敷で70石の石黒家住宅紹介です。石黒家住宅は清水園内に移築されています。 江戸時代後期と現代の重ね図です。石黒家は江戸時代後期…
前回の続きです。今回は足軽長屋後編で内部の様子です。 裏側から見たところです。背面には1間(1.8m)の杮葺き庇があります。 赤枠が1軒の範囲です。畳部屋2…
前回の続きです。今回は足軽長屋です。 下図E付近から南方向です。道の右側を新発田川が流れています。 Eから少し進むと 足軽長屋が見えます。右に行くと藩主下屋敷…
新発田城(日本100名城) 12 新発田城から足軽屋敷まで歩きました。
前回の続きです。今回は新発田城から足軽屋敷まで歩きましたです。 下図Sから三階櫓方向です。Sは下図西ノ門付近です。 SからEまで歩きました。白壁兵舎を見ながら…
前回の続きです。今回は天守代わりの三階櫓です。 下図⑮付近から撮影した鉄砲櫓です。 江戸時代と現在の合成図です。⑮から⑯の方に歩きました。 上図⑮付近です。⑯…
前回の続きです。今回は再建された本丸辰巳櫓です。 看板設置場所にある絵図です。表門の右側に辰巳櫓があります。登城のときに紹介しましたが、土橋門と帯曲輪での防御…
前回の続きです。今回は鉄砲櫓(旧二の丸隅櫓)です。 本丸内から見た二の丸隅櫓です。1668年の大火災のあとで再建されたもので、国重要文化財です。 カメラを右に…
前回の続きです。今回は本丸表門内部展示品の一部を紹介します。 明治5年頃に撮影された古写真がたくさん展示されています。 古丸が遠くに見えます。 二の丸講堂と…
前回の続きです。今回は本丸表門内部です。1732年(享保17年)に再建された、渡櫓門で国の重要文化財です。腰回りは黒瓦を使ったなまこ壁です。これには積雪耐性が…
前回の続きです。今回は本丸表門です。 本丸表門です。石垣は切り込みハギできれいです。現存する本丸表門は享保17年(1732年)に再建された2階の渡櫓門で、国の…
お城巡りから21時頃に帰りました。遅れましたが更新します。前回の続きです。今回は本丸前帯曲輪から本丸です。 本丸前帯曲輪の土橋門跡から本丸表門を見ると 土橋門…
前回の続きです。今回は二の丸から本丸前までです。 二の丸古絵図です。 ⑭付近から大手中の門を見た古写真は下です。(上が北の重ね図です) ⑭付近から見た大手中の…
前回の登城の続きです。今回は三の丸から二の丸です。 ⑦付近から ⑦付近から看板(案内板)方向です。案内板の向こう側が掘で、その向こう側に、下図中の門がありまし…
今回は本丸御殿までの登城経路で、大手町口門から三の丸で、二の丸前までです。 江戸時代の新発田城全体図です。現在と江戸時代の重ね図です。三の丸の大手町口門の枡形…
資料を追加したので、再UPしました。今回から新発田城の紹介です。第1回目はその歴史です。 鎌倉時代 鎌倉時代初期に佐々木盛綱の傍系の、新発田氏による築城と考え…
前回の続きで最終回です。今回は山本記念公園と山本五十六(昭和~)です。 山本記念公園入口です。この公園に五十六の復元生家と銅像があります。この公園の位置に生家…
前回の続きです。今回は山本五十六記念館です。 下図の山本五十六記念館の西側から東(JR線)方向です。 上が東の観光案内板です。山本五十六記念館を赤枠で囲んでい…
前回の続きです。今回は米百俵です。北越戊辰戦争で焦土と化した長岡で、藩の石高は7万4千石から2万4千石に減らされました。戦後に藩の大参事として、復興に尽力した…
前回の続きです。今回は長岡藩の北越戊辰戦争です。 本丸御殿大広間の絵図です。(歳暮祝の図)藩士を集めて大広間で会議をしますが、激論が交わされて、新政府に恭順す…
前回の続きです。今回は河井継之助記念館です。 河井継之助の記念館です。ここが幕末の河井継之助屋敷跡です。道が赤いのは、積雪の時に融雪のために流す地下水に鉄分が…
前回の続きです。現在は長岡城に遺跡は全く残っていませんが、幕末と現在を比較しながら、今回は大手門からの登城の様子です。 江戸時代後期の大手門前です。(長岡牧野…
前回の続きです。今回は長岡城の大手門からの登城です。戊辰戦争で官軍から長岡城を取り戻したとき、藩主から軍事総督に任命された河井継之助は、遠回りをしてわざわざ、…
前回の続きです。今回は長岡花火大会後編です。 3年ぶりの2022年花火大会写真です。信濃川河川敷です。(Web上からお借りしました) 花火見物はB地点から大手…
前回の続きです。今回は長岡花火大会 前編です。2022年8月3日夕方に長岡へ到着し、雨の降りそうな天候の中で、花火を待ちました。 私の撮影した写真です。道は大…
今回から長岡城の紹介です。2022年8月3~4日に訪問しました。新型コロナで中止されていた長岡花火大会も見物出来ました。第1回目はその歴史です。 1598年に…
前回の続きです。今回は岩櫃城(続日本100名城)の最終回です。今までも含めて、記述内容は観光案内所で頂いた、東吾妻町発行の冊子資料などからです。 1.初めは岩…
岩櫃城(続日本100名城) 9 人質の信幸と信繁(幸村)の運命
前回の続きです。 武田家が織田。徳川連合軍と北条軍に攻められた時に、武田軍の軍議で、真田昌幸は勝頼に「我が岩櫃城にお越しください。岩櫃城は天然の要害で難攻不落…
前回の続きです。岩櫃城(続日本100名城) 8 本丸3 本丸の中でも1段高い所にある岩櫃城の標柱です。本丸は標高593mにあり、東西140m、南北35mの広…
前回の続きです。今回は本丸2です。 1段高い所には櫓台と館がありました。本丸の高台に上がると 1段高い所にあがったところです。本丸跡の標柱があります。この反対…
前回の続きです。今回は本丸1です。 坂を上がったところの、下図本丸⑧付近から⑨方向です。少し高い所に櫓台跡があります。左端に竪堀の標柱が見えます。その付近から…
前回の続きです。今回は二の丸から本丸です。 この坂の上が下図⑥の二の丸です。 ①にある案内板です。 坂を上がったところの二の丸⑥です。 進むと 二の丸の標…
前回の続きです。今回は中城から二の丸前までです。④から⑤に行く前に、殿邸という曲輪は ①付近にある案内板の地図です。④から左に下ると殿邸があります。 この④か…
前回の続きです。今回は②の分岐から中城までです。 下図②の分岐から尾根通りに入ったところです。 ①にあった地図です。今回は②から③の区間です。 案内所内にある…
岩櫃城(続日本100名城) 2 平沢登山口案内所から屋根通り分岐点まで
前回の続きです。今回は平沢登山口案内所から屋根通り分岐点までです。 平沢登山口案内所前で咲く野菊の花 下図①の平沢登山口案内所です。案内所内にはいろいろな資料…
今回から岩櫃城(続日本100名城)の紹介です。2022年8月3日に訪問しました。第1回目は岩櫃城の歴史です。 観光案内所にあった写真です。標高は802.6mで…
最後に3枚の写真を追加してます。今回は2023年1月2日に参拝した、大阪府岸和田市にある意賀美神社です。 意賀美神社(おがみじんじゃ)は、「雨降りの滝」と呼ば…
最後に画像を1枚追加しましたので再UPしています。前回の続きです。今回は本丸から捨曲輪です。 天守跡付近には信之と小松姫の石像があります。 真田信之と妻の小松…
前回の続きです。今回は本丸2です。 下図F付近からの眺望です。城や城下町が河岸段丘の上にあり、鉄道が通るときに段丘の上まで70m程もあり、鉄道は段丘の下に設け…
画像を3枚追加して再UPしました。前回の続きです。今回は本丸1です。 下図J付近に久米民之助の銅像があります。 久米民之助の解説板です。沼田藩土岐家家臣の…
明けましておめでとうございます。本年もよろしく。 前回の続きです。今回は沼田公園入口から本丸へです。 下図A付近から沼田公園入口Bの冠木門が見えています…
沼田公園図を追加して再UPしました。前回の続きです。今回は大手門跡から本丸前までです。 下図①付近にある大手門跡の沼田小学校校門です。冠木門になっています…
沼田城模型追加で再UPしました。今回から沼田城(続日本100名城)の紹介です。今回は沼田城の歴史です。 沼田市は群馬県の北部に位置し、四方を山に囲まれた盆地を…
武田氏館(日本100名城) 12 最終回 穴山信君屋敷跡の現在
前回の続きです。今回は最終回で穴山信君屋敷跡の現在です。初回はここから始めたのですが、最終回は穴山信君屋敷跡にある、下図の武田氏館歴史館と料亭古城園跡です。 …
武田氏館(日本100名城) 11 西曲輪南側馬出から梅翁(ばいおう)曲輪
追記したので、再UPしています。前回の続きです。今回は西曲輪南側馬出から梅翁(ばいおう)曲輪です。 下図イから西曲輪南虎口方向です。現在は神社であるために、2…
前回の辻機です。今回は西曲輪内部です。 下図O付近から北方向の枡形虎口方向です。 現地案内板にあった絵図です。武田義信の死後は西曲輪が仕切り土塁で仕切られて、…
前回の続きです。今回は西曲輪北虎口と味噌曲輪です。 下図の西曲輪北内虎口土塁上のN付近からO方向です。虎口は武田時代に造られたようですが、石垣は豊臣家臣の加藤…
前回の続きです。今回は西曲輪土塁上を歩くです。 下図FからG方向です。枡形土塁上にあがる道があります。アルファベット順に歩きました。 西曲輪の図面です。(上が…
前回の続きです。今回は西曲輪に移動して、南虎口まで歩きました。西曲輪は信玄の子供:義信の館です。義信の婚儀に合わせて新造されました。下図系図より信玄公の長男が…
前回の続きです。今回は本丸(主郭)の西側です。 下図⑯にある「さざれ石」です。「君が代」の歌詞にあるために、どこの神社にもある「さざれ石」です。4トンの重さが…
前回の続きです。今回は参道を武田神社本殿までです。 武田神社の歴史1915年(大正4年)大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、1916年…
武田氏館(日本100名城) 4 大手門跡から信玄公御使用井戸まで
前回の続き今回は大手門跡から信玄公御使用井戸までです。 下図の龍華池展望台から見た大手門跡です。(グーグルストリートビューより) Google地図です。龍華池…
前回の続きです。今回は大手門跡付近です。 下図⑤付近から⑥方向です。⑤の位置は大手門前にあった馬出跡です。 現地の案内板より①にある神橋は大正時代に武田神社参…
前回の続きです。今回は重臣屋敷跡から大手門跡へです。 下図①付近です。この入口は下図のように戦国時代には無く、大正8年に武田神社が創建した時に造られた参道です…
今回から武田氏館(日本100名城)の紹介です。躑躅ヶ崎(つつじがさき)館と言われます。 第1回目はその歴史です。 甲斐源氏の流れをくむ、武田氏一族の武田信昌・…
今回は米沢城見学で宿泊した滑川温泉の福島屋さんと紅葉写真です。いつもはビジネスホテルとか車中泊ですが、今回は温泉宿泊にしました。全国旅行支援開始で助かりました…
前回の続きです。今回は延命寺と自宅庭のもみじ紅葉です。 延命寺渡り廊下の花頭窓です。 毎年紹介している延命寺の位置です。延命寺は高野街道沿いにある真言宗のお寺…
5年前にUPの観心寺紅葉写真を最後に追加しました。今回は2022年秋の紅葉写真です。大阪の延命寺で、2022年11月16日に撮影しました。 弘法大師がお手…
米沢城(続日本100名城) 10 最終回 伝国の杜(米沢市上杉博物館)2
前回の続きです。今回は伝国の杜(米沢市上杉博物館)2で最終回です。伝国の杜の展示品の一部を紹介します。 米沢藩の領地だった、置賜(おきたま)地域は、山形県の最…
米沢城(続日本100名城) 9 伝国の杜(米沢市上杉博物館)1
前回の続きです。今回は伝国の杜(米沢市上杉博物館)です。最終回の予定でしたが、ここは1と2の2回に分けます。今回はその1です。 下図G付近から本丸方向です。堀…
前回の続きです。今回は上杉伯爵邸です。 上杉伯爵邸の塀と門です。 左側に上杉伯爵邸があります。下古絵図では、謙信祠堂を祀り管理していた、真言宗11寺院が明治維…
前回の続きです。今回は菱門橋から上杉伯爵邸です。 下図⑱から⑲方向の菱門橋です。 菱門橋の解説板は(上が北です) 厳重に取り締まられたことから、「秘し門」橋と…
前回の続きで、今回は春日神社です。 下図⑭の南側にある庭園の滝です。⑭の所に戻りました。 上が北の地図です。 上図⑭から⑮の方に行きます。白い校倉造りの建物は…
前回の続きです。今回は上杉伯爵邸です。 真言宗11寺院の跡が、下写真のように上杉伯爵邸になりました。明治維新になり廃仏毀釈の風潮が起こり、神社が優遇された結果…
前回の続きです。今回は上杉神社です。 下図⑭の下(南)側にある庭園の滝です。 上が北の案内板です。 上図⑭付近から撮影した、上杉神社の神門前です。 上杉謙信が…
前回の続きです。今回は上杉神社神門前までです。 下図⑩付近の本丸にある上杉鷹山の銅像です。左側に「なせば成る なさねばならぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり…
米沢城(続日本100名城) 3 本丸大手前から御堂(祠堂)跡
1枚写真を追加しました。前回の続きです。今回は本丸大手前から御堂跡までです。 下図④から⑦方向です。天気が良くなって晴れてきました。 上が北の案内板です。⑤の…
米沢城(続日本100名城) 2 二の丸大手門跡から本丸大橋まで
前回の続きです。今回は二の丸大手櫓門跡から本丸大橋までです。二の丸大手櫓門や中堀が在りませんので、推定した場所から登城します。 江戸時代中期頃の古絵図です。①…
今回から米沢城の紹介です。2022年10月23日に訪問しました。1回目として、米沢城の歴史です。 鎌倉時代 鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)に初めて築城さ…
浪岡城(続日本100名城) 6 最終回 内館と浪岡北畠氏滅亡
5年前にUPした京都仙洞御所追加してます。前回の続きで最終回です。今回は内館と浪岡北畠氏滅亡です。 内館虎口です。 内館の虎口を入った所です。内館の御殿跡です…
最後に5年前UPの、秋の風景写真を追加してます。前回の続きです。今回は北館から内館です。 この先に⑱の木橋があります。先に進むと 下図⑱の北館虎口です。ここの…
前回の続きです。今回は北館です。北館は浪岡城主の家臣たちが住んだ武家屋敷町でした。下図⑪から⑬方向です。 ⑪から⑫方向です。 400年前の想像図です。 …
写真1枚追加してます。前回の続きです。今回は東館から堀中土塁を通り北館までです。 東館(ひがしだて)から見た西方向の岩木山です。ズームUPすると 富士山に似た…
前回の続きです。浪岡城の駐車場(下図)から出て下図現在地に行きました。 現在地にある案内板です。 ⑤付近にある浪岡城の立体模型です。(右斜め上が北)Sのスター…
今回からは浪岡城(続日本100名城)の紹介です。2022年4月28日に訪問しました。第1回目はその歴史です。 浪岡城位置図です。拡大すると Google地図の…
100名城と続100名城巡りをして、帰りました。前回の続きです。今回が最終回で、三の丸から四の丸北門とお家騒動です。 下図①から②方向です。江戸時代には無い②…
取材旅行に出るので、明日から2~3日ブログを休みます。前回の続きです。今回は二の丸から北の郭で、本丸に戻ります。 下図⑪付近から見た丑寅櫓です。花壇やブランコ…
5年前の記事を追加で貼り付けました。『桂離宮の紹介7 月波楼と書院玄関 最終回』昨日の続きです。今日は月波楼と玄関で最終回です。古書院の横に月波楼があります…
5年前にUPした桂離宮のページ5追加 『桂離宮の紹介5 松琴亭から賞花亭・園林堂』昨日の続きです。今日は松琴亭から賞花亭に行きます。 下図⑪からの撮影です。松…
前回の続きです。今回は天守2で最上階からの眺望です。 最上階3階からの東方向の眺望です。桜と岩木山がきれいです。 3階にあがる階段です。 3階の室内です。本丸…
前回の続きです。今回は天守内部1・2階です。 天守入口前で咲く枝垂れ桜です。 入口が見えます。 曳家中ですが、土台は造られています。土蔵造りで窓には鉄扉が…
前回の続きです。今回は本丸旧天守と曳家天守です。 下図⑲付近から曳家されたA天守方向です。⑳の方に行くと 上が北です。 上図⑳にある旧5階天守跡方向です。5階…
2枚写真を追加しました。前回の続きです。下乗橋を渡ると武者屯があります。武者屯(だまり)は普通は馬出とも言われます。形は角馬出というもので、本丸虎口は枡形にな…
前回の続きです。今回は二の丸から下乗橋へです。 下図⑨付近の二ノ丸内の風景です。 下図⑨付近の二ノ丸内の風景です。上が北の案内板です。 画面右外が⑩付近です。…
桜の写真を1枚追加しました。前回のつづきです。今回は三の丸から二の丸へです。下図④付近から見た辰巳櫓です。 上が北の案内板です。今回は三の丸の④からです。 下…
前回の続きです。登城路に沿って本丸まで登城します。古絵図を追加UPしました。 1805年の古絵図です。赤い線が正式な登城道です。 今回は大手門から三の丸です。…
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5年前の更新を再UPしました。『岩国城 3 佐々木小次郎銅像など』昨日の続きです。今回は佐々木小次郎銅像からです。 「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名…
5年前の更新を再UPしました。『岩国城 1 歴史など』今回から岩国城の紹介です。別名横山城ともいい日本100名城です。2019年2月25日に訪問しました。 錦…
前回の続きです。今回は八幡山城の堀として開削された八幡堀です。 江戸時代は琵琶湖と繋がる堀でした。 江戸時代の絵図です。(上が北) 豊臣政権下の天正13年(1…
5年前の更新を再UPしてます。『長浜城と桜 5 最終回』昨日の続きです。今回が最終回です。 天守5階から下りました。 長浜城の模擬天守です。左側の玄関が出入り…
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昨日はブログで使用しているPCのHDDをSSDに換える作業をしていたので、更新が遅れました。おかげてPCが早くなりました。Cドライブだったので、かなり難しかっ…
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5年前にUPした桜の写真です。『桜2019 1』今回から近所に出かけて撮影した桜写真です。4月5日に撮影しました。 逆光で撮影しました。太陽を桜の木で隠しまし…
5年前の更新を再UPしました。『広島城4 本丸天守』昨日の続きです。今回は広島城の天守です。 下図⑦から天守方向です。先の方に見える石垣は下図⑧小天守台です。…
5年前の更新を再UPしました。『広島城2 二の丸』昨日の続きです。本丸も二之丸も原子爆弾で焼失しましたが、平成6年までに、二之丸の表御門・御門橋・平櫓・多門櫓…
前回の続きです。今回は北の丸から西の丸です。 下図④付近から⑤方向です。石垣は本丸ののずら積石垣です。 現在地にある案内板です。赤い線に沿って歩きました。先に…
5年前の更新を再UPしました。『吉田郡山城6 毛利元就墓と一族の墓』昨日の続きです。今回は毛利元就墓と毛利一族の墓です 下地図⑮の所に元就自筆からコピーした名…
5年前の更新を再UPしました。『吉田郡山城4 御里屋敷伝承地と清神社』昨日の続きです。今回は御里屋敷伝承地と清神社です。 初めに御里屋敷伝承地です 下図にある…
5年前の更新を再UPしてます。『日本橋ストリートフェスタ2019 その16 最終回』昨日の続きです。今回は①のタイムズ広場から④のなんばカーニバルモールへ移動…
追記して再々UPしました。『日本橋ストリートフェスタ2019 その14』昨日の続きです。今回は堺筋からオタロードに歩きながらの撮影です。 セイラームー…
今回からは近江八幡にある八幡山城の紹介です。2024年3月15日に訪問しました。第1回目はその歴史です。 二の丸展望館から見た風景です。 1583年(天正11…
4年前の更新を再UPしました。『篠山城(日本100名城) 6 大書院2』大書院の詳細間取図追加で再UPしました。昨日の続きです。今回は大書院の後編です。 下図…
3月16日の8時50分に取材から帰宅しました。今日は30分遅れで更新出来ました。昨日は近江八幡附近のお城・お寺巡りをしました。 前回の続きです。今回は神門から…
前回の続きです。今回は神宝館から神門までです。 下図⑤付近から見た熊野神宝館です。蒔絵手箱や彩絵檜扇、足利義満公奉納の金銅を用いた鎌倉造りの神輿、天皇陛下の衣…
前回の続きです。今回は正殿の奥にある御内原2です。 下図⑤から⑧方向です。右側には花壇があります。 ⑤の下側の花壇は 九年母が植えてあります。九年母という果物…
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前回の続きです。今回は蔵の資料館です。下図10・11・12です。 Uの庭門を出て、V地点に行くと 上図10・11・12の蔵の資料館があります。10は新発田藩資…
前回の続きです。今回は清水園回遊式庭園後半です。 前回は書院からP付近まで回遊しました。 上図NからOにある丘道です。ここを過ぎると 3枚の石板を一直線でなく…
前回の続きです。今回は新発田藩溝口家の下屋敷清水園回遊式庭園です。一般的な形式で池泉回遊式庭園と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして…
前回の続きです。今回は書院の続きです。 囲炉裏の間から舞台の間とその奥の次の間を見たところです。 書院間取り想像図を描きました。非公開の部分は空白です。居間・…
書院の間取り想像図を追加しました。前回の続きです。今回は清水園の大門から書院です。 下図D付近です。ここから木橋を渡り清水園にいきます。このあたり一帯が清水谷…
最後に石黒家その後を追加しました。前回の続きです。今回は武家屋敷石黒家後編でその内部です。 邸内に入った所です。左に玄関があり、右に座敷があります。(下図参考…
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前回の続きです。今回は足軽長屋後編で内部の様子です。 裏側から見たところです。背面には1間(1.8m)の杮葺き庇があります。 赤枠が1軒の範囲です。畳部屋2…
前回の続きです。今回は足軽長屋です。 下図E付近から南方向です。道の右側を新発田川が流れています。 Eから少し進むと 足軽長屋が見えます。右に行くと藩主下屋敷…
前回の続きです。今回は新発田城から足軽屋敷まで歩きましたです。 下図Sから三階櫓方向です。Sは下図西ノ門付近です。 SからEまで歩きました。白壁兵舎を見ながら…
前回の続きです。今回は天守代わりの三階櫓です。 下図⑮付近から撮影した鉄砲櫓です。 江戸時代と現在の合成図です。⑮から⑯の方に歩きました。 上図⑮付近です。⑯…