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私を知る https://blog.goo.ne.jp/suiku2013

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。

自覚とは「私」に意識を向け、一切のことは「私」の考えであることを自覚していくことです。

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2013/06/27

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  • ブログをHatenaBlogに移行しました

    ◇ブログをHatenaBlogに移行しました◇本日(2025年5月11日)から、このブログの管理を、gooブログからHatenaBlogに移行しました。HatenaBlogへのリンクは、これです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。過去の記事のリンク先がgooブログのままになっているのですが、それを全部書き換えるのは無理なので、そこについては変更せずにそのままでいこうと思います。読みにくいでしょうが、ご容赦ください。gooブログで公開されているデータは、gooブログが終了する11月18日までそのままにしておこうと思います。gooブログへのアクセスをHatenaBlogへ自動転送するようにしようかとも思ったのですが、それをすると、gooブログの記事が読めなくなってしまうので止めました。◇「私」に意識を...ブログをHatenaBlogに移行しました

  • youtubeライブのご案内20250518

    ◇youtubeライブのご案内20250518◇今月もyoutubeライブやります。7回目のライブを以下の要領で行います。どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)〇配信日時2025年5月18日20時開始、21時頃終了予定〇配信方法音声だけのライブ配信です無料です(どなたでもご視聴いただけます)チャットとコメント欄をオープンにします〇話す内容悟りから世間話まで何でも話していきます基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っていますご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでくださいそれらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です〇配信サイト下記のリンクからyoutubeサイトにアクセスください慧空チャンネルライブサイト<5月18日ライブの内容予定>次回...youtubeライブのご案内20250518

  • ツイート記事(20250403~)

    ◇ツイート記事(20250403~)◇<4月3日>◇トランプ政権は世界経済を破壊する私は、トランプ政権になると、その過激な政策の影響により世界経済が崩壊するかもしれないと考えていましたが、それが少しずつ確信に変わりつつあります。<4月12日>◇米国債のデフォルトは意外に近いのか今回のトランプ関税のドタバタに関連して、思ったことをメモしておきます。私は米国経済よりも先に中国経済が崩壊するのではないかと考えているのですが、実は米国経済も大分崩壊寸前のところまできているのかも知れないと思いました。そう思った最大の原因は、ここのところの米国の長期金利の動きです。長期金利が急激に上がり始めているのです。金利がどのくらい上がったら、国債の利払いできなくなり、米国債がデフォルトし、経済崩壊となるのかは私にはわかりません...ツイート記事(20250403~)

  • youtubeライブのご案内20250420

    ◇youtubeライブのご案内20250420◇今月もyoutubeライブやります。引き続き月1回程度で、少なくとも10回くらいはやってみようかと考えています。6回目のライブを以下の要領で行います。どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)〇配信日時2025年4月20日20時開始、21時頃終了予定〇配信方法音声だけのライブ配信です無料です(どなたでもご視聴いただけます)チャットとコメント欄をオープンにします〇話す内容悟りから世間話まで何でも話していきます基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っていますご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでくださいそれらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です〇配信サイト下記のリンクからyoutubeサイトに...youtubeライブのご案内20250420

  • 私識苦

    ◇私識苦◇昨晩、夜中に目が覚めて眠れないので、悟りのことを考えていました。考えていたのは、解脱の悟り要素を完結に凝縮させるとすると、何と言うべきかということでした。仏教に無常、無我、苦というものがありますが、今一つしっくりと来ず、私は不満なのです。苦はいいのですが、無常は余りに当たり前で浅いし、無我は素直に読むと私が無いと読めてしまい、言葉が良くない上、実体が無いというその主眼となる概念のポイントも、少しずれているというか、足りないのです。解脱の必要要素には、実体の有無以上に重要な要素として、非有非無(一切について有るとも無いとも言えない)があるのですが、無我ではこの要素が抜け落ちてしまうのです。解脱の要素についての私の結論は、「私識苦」です。「私」とは、普通に捉えた私であり、自分自身のことです。「識」と...私識苦

  • ツイート記事(20250317~)

    ◇ツイート記事(20250317~)◇<3月17日>◇今年は本格的な変化が始まるのか2025年について、一部世間では大災害や、世界戦争、金融崩壊、疫病など、いろいろ噂されていますね。個人的には、世界戦争や疫病の蔓延はないだろうとは思いますが、今後の世界の展開を観る上で、今年は重要な年になるのではないかと考えています。明確な変化の例をいくつか列挙すると。民衆の意識の変化ですね。これまで流されるままされるがままだった民衆が、少しずつですが、気づき始めています。例えば、国や行政、政治のやってきたことのでたらめさですね。それと、世界経済のことですね。金を刷りってばらまきまくったり、再生可能エネルギー関連事業の流れを無理やり起こしてみたり、流行り病関連事業や戦争関連事業で金を回したりと、無理くりにここまで経済を持た...ツイート記事(20250317~)

  • youtubeライブのご案内とご報告20250316

    ◇youtubeライブのご案内20250316◇今月もyoutubeライブやります。引き続き月1回程度で、少なくとも10回くらいはやってみようかと考えています。5回目のライブを以下の要領で行います。どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)〇配信日時2025年3月16日20時開始、21時頃終了予定〇配信方法音声だけのライブ配信です無料です(どなたでもご視聴いただけます)チャットとコメント欄をオープンにします〇話す内容悟りから世間話まで何でも話していきます基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っていますご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでくださいそれらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です〇配信サイト下記のリンクからyoutubeサイトに...youtubeライブのご案内とご報告20250316

  • 人生を賭けているか

    ◇人生を賭けているか◇誰しも皆、一度切りの人生を生きています。しかし、その人生の場面、場面は刻々と移り過ぎていき、ともすれば流されてしまいます。「自分は、人生を賭けているのか」人生の時どきに、この問いを自分自身に投げかけてみていただきたいと思います。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッション、10時間個人セッション等のご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキングへ人生を賭けているか

  • 自覚の手応えは腑に落ちるまで

    ◇自覚の手応えは腑に落ちるまで◇ここ何週間か、自覚や私を捉えることの手掛かりについて、何かよいヒントになるものはないかと考えていました。この点について、やっと今の私なりの結論に到達しましたので、書いておきたいと思います。自覚とは、最も単純化して言えば、私に意識を向けることでです。しかし、その肝心かなめの私は、あるとも無いとも言えない捉えどころのないものです。ですから、そもそもところ、私に意識を向けることも、私を捉えることも、とてもやり難く、困難なことなのです。そこを敢えて取り組んでいこうとするのが、自覚なのです。ですから、自覚の行程は、ああでもない、こうでもないという手探り、試行錯誤の連続となります。自分の感覚だけが頼りです。しかし、そのような暗中模索の行程にも、時折、確かな手応えを得られるときがあるので...自覚の手応えは腑に落ちるまで

  • 夢の中の他者は他者か?

    ◇夢の中の他者は他者か?◇つい先日、夢と現実の違いについて少しわかったことがりますので、メモ的に書いておきたいと思います。きっかけは、ある方から、その方の夢の中に私が登場してこんなことを言っていたという話を聞いたときに起こった理解からでした。どういう理解かと言うと、その方の夢の中に登場した私と、この私とは別ものであり、それは私ではないという理解でした。当たり前のことではあるのですが、そのことに改めて納得したというか、はっきり理解したのです。少し解説しますと、この現実世界の私にはしっかりと私の中心というか、何かコアのようなものというかが宿っていて、私だという実感があり、それで間違いがないのですが、その方の夢の中に登場した私については、私の中心はおろかその欠片さえも含まれていないのです。つまり、それは私ではな...夢の中の他者は他者か?

  • ツイート記事(20250202~)

    ◇ツイート記事(20250202~)◇<2月2日>◇10時間個人セッション始めました以前、このブログの読者の方から、悟るまで徹底的に対応します等、もっとじっくり対応するようなセッションがあってもいいのではないかとのご提案をいただきました。これまで、依存関係を避けるため、セッション等も含めて、読者の方と余り密にやり取りすることを避けてきました。しかし、いろいろ考えた結果、確かにもっとじっくり対応するというやり方もあってもいいという考えに至りました。そこで、悟るまで対応しますというのは、現実的に無理がありますので、まずは10時間でやってみようと考えました。ご興味のおありの方は、どうぞご検討ください。案内は、この記事をご参照ください。<2月14日>◇一匹目のイナゴ私は何年も前から世界経済の崩壊について言っている...ツイート記事(20250202~)

  • youtubeライブのご案内とご報告20250223

    ◇youtubeライブのご案内とご報告20250223◇昨年末から始めたyoutubeライブですが、まだまだ続けていこうと思っています。月1回程度で、少なくとも10回くらいはやってみようかと考えています。4回目のライブを以下の要領で行います。どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)〇配信日時2025年2月23日20時開始、21時頃終了予定〇配信方法音声だけのライブ配信です無料です(どなたでもご視聴いただけます)チャットとコメント欄をオープンにします〇話す内容悟りから世間話まで何でも話していきます基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っていますご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでくださいそれらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です〇配信...youtubeライブのご案内とご報告20250223

  • 再度なぜ私を捉えることが大切なのか

    ◇再度なぜ私を捉えることが大切なのか◇半年程前に、「なぜ私を捉えることが大切なのかについて」という記事を書きましたが、大事なことなのでもう一度書いてみようと思います。まずは、お膳立てから書きます。一切のことがらは考えであり、実体が無く、あるとも無いとも言えない、幻のようなものです。ですから、私も考えであり、実体が無く、あるとお無いとも言えない、捉えどころのないものです。そもそもところ、確かなものなど何処にもないのです。しかし、そのように幻のような多種多様な考えの中で最も確かなものを敢えて挙げるととすると、それが「私」なのです。最も確かなものは、目の前にあるパソコン等の物体ではなく、「私」なのです。そして私たちには、そのようにあるのか無いのかよくわからない「私」が一人に一つずつ備わっているのです。なぜ私を捉...再度なぜ私を捉えることが大切なのか

  • 無我、非有非無、無根について再考する(補足編)

    ◇無我、非有非無、無根について再考する(補足編)◇以前に、「無我、非有非無、無根について再考する」という記事を書いたのですが、これについてもう少し補足的なことを書いておこうと思います。無実(無我)と非有非無の違いについて書いてみようと思います。簡単におさらいすると、無実は一切に実体がないという意味で、非有非無は一切にあるともないとも言えないという意味です。おそらく釈迦は、無我(釈迦は無我ではなく、どちらかというと非我と言ったという話もありますが、ここはそれほど本質的なことではありません)に、無実という意味だけではなく、非有非無の意味合いも持たせたかったではないかと考えています。あるいは、釈迦は無実と非有非無の意味の違いを深く理解しないまま、曖昧に一緒くたにして扱っていたのかも知れないと考えています。かく言...無我、非有非無、無根について再考する(補足編)

  • 改めて幸福論と本心について

    ◇改めて幸福論と本心について◇少し前に「幸福論と本心」というテーマで記事を書いたのですが、どうも今一つしっくりしないまま書いてしい、そのままになっていました。そのもやもやしていた部分が私の中でやっとハッキリしましたので、改めて記事にしておきたいと思います。短刀直入に書くと、私という存在にとって本心が重要、もっと言えば本心だけが重要なのであって、それ以外はどうでもいいのです。本心に悟りが含まれている場合は、悟りも重要になりますが、そうでないなら、悟りだってどうでもいいことなのです。つまり、本心に向き合えているか、取り組めているかが重要なのであって、幸せかどうかなんてどうでもいいことなのです。本当に自分にとって大切なこと、どうしてもやりたいことがわかっていれば、幸せかどうかとか、幸せになれるかどうかなんてこと...改めて幸福論と本心について

  • 10時間個人セッションのご案内

    ◇10時間個人セッションのご案内◇ブログ読者さんからのご提案に基づき、10時間個人セッションを作りました。30分とか、1時間等の時間枠に囚われず、まとまった時間でじっくりと対応させていただくようなセッションがあってもいいのではないか、と考えました。セッションのやり方は、基本はスカイプを使った遠隔での対応が主になるかとは思いますが、私の現住所(東海地方です)までお越しいただける場合は、自宅等で対面で対応させていただきます。10時間の時間をどのように使うかは、例えば1時間のセッションを10回、5時間のセッションを2回など、利用される方のご要望に沿って相談の上、決めさせていただきます。◇対応内容ご要望に応じて、柔軟に対応させていただきます。具体的には、以下の内容が主になるかと思います。・自覚に関するもの全般・悟...10時間個人セッションのご案内

  • ツイート記事(20250119~)

    ◇ツイート記事(20250119~)◇<1月19日>◇特に何もないのですが本日20時から、予定通りyoutubeライブやります(^O^)昨年9月に右足を骨折して、その後約2ヵ月間は、動けないので、ネットを観たり、悟り関連のことを考えたりして過ごしていたのですが、その後は、頑張って農業に取り組んでいます。もともとあちこちと手が回っていない状況だったところに、その上秋の収穫期に作業できなかったので、まだまだあちこち混乱してまして、大変なのです^^;そんなこともあり、このブログを含め、悟り関連のことが少しお留守になっています。すみません。でも、youtubeライブはちゃんとやりますよ!自分でも少し意外なくらい、やる気あるようですw◇世情世界的に急速に不安定化しているようですね。米カリフォルニアの火災、韓国大統領...ツイート記事(20250119~)

  • youtubeライブのご案内とご報告20250119

    ◇youtubeライブのご案内20250119◇明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年末から始めたyoutubeライブですが、今年も続けていこうと思っています。月1回程度で、少なくとも10回くらいはやってみようかと考えています。3回目のライブを以下の要領で行います。どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)〇配信日時2025年1月19日20時開始、21時頃終了予定〇配信方法音声だけのライブ配信です無料です(どなたでもご視聴いただけます)チャットとコメント欄をオープンにします〇話す内容悟りから世間話まで何でも話していきます基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っていますご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでくださいそれらを、この...youtubeライブのご案内とご報告20250119

  • 本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など(2)

    ◇本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など(2)◇((1)の続きです。)前回の記事は、運命と自由意志の周辺について書こうとしているところで力尽きてしまいました。今回は、その続きをどこまで書けるか、チャレンジしてみようと思います。改めて最初に書いておきますと、運命と言うものがどういうものか、あるのか否か、また自由意志というものがどういうものか、あるのか否か等のものごとの本質的、核心的なことについては、不可知であり、誰であっても、絶対に、わかりません。ここでは、それを承知で、核心には迫れないまでもその上っ面ぐらいはかすめられないかと考え、考察を行っています。運命、自由意志があるのかないのかについては、私としては、それらがあると考えた方が辻褄が合うというか、納得できる部分が多いと考えています。ですから、ここでは...本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など(2)

  • ツイート記事(20241207~)

    ◇ツイート記事(20241207~)◇<12月7日>◇世界の不安定化が進む世界中で種々の要因で不安定化が進んでいますね。それに伴って、これまで隠されてきた情報が明るみに出て来ているますね。この流れは、来年に向けてどんどん拡大していくのだろうと考えています。私はこの展開の中で、おそらく数か月以内の時期に、まずは、コ〇〇や、そらに対するワ〇〇ンに関する情報がオープンになるのではないかと見ています。既に、次期トラン政権への移行に関連した動きの中で、それらに関する調査報告や、議会証言が出始めていますが、まだまだ序の口だろうと思っています。いずれ、驚愕の真実が明るみに出るだろうと思っています。それを知ったとき、世界中の民衆がどう反応するか。それによって、大変なことになる可能性があると考えています。我々を取り巻く種々...ツイート記事(20241207~)

  • 本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など(1)

    ◇本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など◇この世界の謎だらけでなのですが、本当に知りたいポイントである核心的なことがらについては、私たちは何ひとつ知り得ないのです。これは厳然たるものであり、どうしようもないことなのです。ですが、解脱したなどと言っている私自身もどうしても気になり、未だについ考えを巡らせてしまいます。今回は、そんな私がここ2、3ヵ月時折考えていることについて書いてみたいと思います。まずは、本心、カルマ、囚われについて。最近わかってきたのですが、本心とカルマと囚われは互いに関連しているようなのです。これらの三つのものは、互いに重なった共通する部分を有しながら、互いに少しずつずれた要素を含んでいるようなのです。カルマという概念は種々に広がりを有していて、具体的に特定するのは不可能なのですが、本...本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など(1)

  • youtubeライブのご案内とご報告20241215

    ◇youtubeライブのご案内20241215◇月1回程度の頻度で、youtubeライブをやってみようと思います。どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)〇配信日時2024年12月15日20時開始、21時頃終了予定〇配信方法音声だけのライブ配信です無料です(どなたでもご視聴いただけます)チャットとコメント欄をオープンにします〇話す内容悟りから世間話まで何でも話していきます基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っていますご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでくださいそれらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です〇配信サイト下記のリンクからyoutubeサイトにアクセスください慧空チャンネルライブサイト<15日ライブの内容予定>前回のライブで...youtubeライブのご案内とご報告20241215

  • 無我、非有非無、無根について再考する

    ◇無我、非有非無、無根について再考する◇少し前の記事で、無我、非有非無、無根は同義であるというようなことを書きました。しかし、よくよく考えてみて、これらを同義と言うには無理があるということがわかってきました。今回の記事では、その辺りのことを書いてみようと思います。念のため再度、これらの意味を書いておくと、下記のようになります。無我は、一切に実体が無い。非有非無は、一切について有るとも無いとも言えない。無根は、一切について根拠が無い。余談ですが、今回改めて無我について考えていて、無我が一切に実体が無いという意味なのなら、無我じゃなく、「無実」と言った方がいいなぁと考えていたところ、「無実」⇒「実が無い」と連想して、これって「空」と同じ意味だな、と改めて納得した次第です。「無我」、「無実」、「空」は、意味とし...無我、非有非無、無根について再考する

  • 幸福論と本心

    ◇幸福論と本心◇幸福論と本心というテーマで記事を書いてみたいと思います。本心については、このブログである程度可能な範囲で具体的に書いていますので、まずは、幸福とは何かについて書くことから始めたいと思います。幸福とは何か。幸福については、大昔から皆さん、いろいろと考えがあるのだろうと思います。しかし、よくよく考えてみると、幸福って捉えるのが難しく、やっかいな対象なのです。そこを敢えて、切り込んでいき、本心というものが幸福の中心的な要素になっていることを可能な限り明らかにしたいと考えています。典型的な幸福観では、お金、仕事や地位、パートナーや家庭など、条件や状態が幸福と関連付けられることが多いと思います。確かに、それらにより感じられる幸福感はありますが、表面的であり、ここで言う幸福とは異なるものです。幸福とは...幸福論と本心

  • ツイート記事(20241102~)

    ◇ツイート記事(20241102~)◇<11月2日>◇世界の腐敗と堕落ここ数年の世界の様子を見ていると、日本を含めて世界中で組織の腐敗と堕落が進んで行っているのを感じます。特にコロナ以降はそれが急激に進行しています。組織の上層部や上に立つ人程、強く腐敗と堕落が進行しています。これについて、私はもうとっくに改善不可能な状況になっていて、あとは崩壊を待つだけと確信しています。組織の規模が多きれば大きいほど、腐敗と堕落が進行しています。また、組織の上層部に行くほど、腐敗と堕落が進行しています。政治家、マスコミ、行政、既得権を持った種々の組織は、特に腐敗と堕落が激しいです。◇腐敗、堕落の進行と崩壊腐敗、堕落の進行が進む余り、組織の運営が困難になってきています。例えば、中国やアメリカは国の運営そのものがめちゃくくち...ツイート記事(20241102~)

  • youtubeライブのご案内とご報告20241123

    ◇youtubeライブのご案内とご報告20241123◇下記の要領で、youtubeライブをやってみようと思います。どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)月1回程度の予定で、やってみようと思っています。〇配信日時2024年11月23日20時開始、21時頃終了予定〇配信方法音声だけのライブ配信です無料です(どなたでもご視聴いただけます)チャットとコメント欄をオープンにします〇話す内容悟りから世間話まで何でも話していきます基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っていますご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでくださいそれらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です〇配信サイト下記のリンクからyoutubeサイトにアクセスください慧空チャンネルラ...youtubeライブのご案内とご報告20241123

  • 自閉症の息子に自覚を伝える

    ◇自閉症の息子に自覚を伝える◇私には、今年二十歳になる自閉症の息子がいます。自閉症の障害は非常に重く、重い知的障害、情緒障害、自傷他害等の問題行動、こだわり等があります。自傷は、自分の頭を拳で殴る、壁や窓ガラスに頭突きする、手を机等に打ち付ける、膝を床に打ち付ける等があります。他害は、他者の服や髪に掴みかかる、爪を立てる、殴る等があります。会話は、例えば「昼ご飯の後、散歩に行きます」等のごく簡単な声かけは通じます。自分からの発語は、「おやつ」、「散歩」等のごく簡単な単語を話せる程度です。文字や時計(時刻)の判別等はできません。5、6歳の頃から上記のような問題行動が激しくなっていき、支援学校やデイサービスでの対応も難しくなり、自宅でも手に負えなくなり、10歳のときに児童施設で受け入れてもらうことになりました...自閉症の息子に自覚を伝える

  • 近況など(20241110)

    ◇近況など(20241110)◇久しぶりに近況など書いてみようと思います。◇幸せの件先月、幸せに気づいたこをと記事にしました。まずは、その関連のことを書いてみようと思います。「ああ、自分は幸せだったんだな」、「これからもずっと幸せなんだな」と気づいた訳なのですが、特に何が変わった訳ではないのです。幸せかどうかにかかわらず、私はこれまで本心に取り組み続けてきていて、これからもそうしていくのみであり、私の生き方が何も変わる訳ではありませんから。しかし上手く表現できませんが、幸せに気づいてから、何かじんわりとした幸福感があるというか、あるいは、もとからあったそのじんわりとした幸福感に気づいたというか、そういう微妙な感じの変化はあるような気がしています。それと、これまで自分の中に、「幸せ」という言葉に拒絶反応する...近況など(20241110)

  • ツイート記事(202410~)

    ◇ツイート記事(20241010~)◇<10月10日>◇大悟を振り返ってここ数日、無我の悟り(大悟)について何か呼び水になるような文章を書けないかと考えているのですが、なかなか難しくてまとまりません。それで、自分が大悟したとき、どういう経緯を辿ったのかと自分の過去の足取りを振り返ってみました。ちなみに、私が大悟に至った日は、2013年10月19日(土)でした。自覚を始めて解脱に至るまで、思ったことや気づいたことをノートを書いてましたので、今でもそれを読むと当時の足取りをある程度追うことができます。今までこのブログでは余り大きく取り上げて来なかったのですが、自分が受け入れの取り組みを結構熱心にやっていたことがわかったのです。ここでの受け入れとは、自分自身を受け入れるというものです。受け入れには二種類あり、一...ツイート記事(202410~)

  • 私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)-幸せに気づくー

    ◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)ー幸せに気づくー◇昨日このブログに「幸せについて」という記事を書いたのですが、実はそれは私自身に起こったちょっとした気づきだったのです。その気づきを体験談として記事にしてみたいと思います。約12年前に明け渡しが起こったのですが、その当時は重度の自閉症で世話がとても大変な息子を抱え、家庭と仕事の負担に押しつぶされそうになりながら生きていました。一般的な幸福からは程遠い、厳しく辛い状況にありました。そのような中、明け渡しが起こり、その後暫くの間、頭の中が何が起こっても有難く思えてしまうという超おめでたい状態になり、このときおそらく、幸福感に関する感覚がかなりの部分吹き飛んでしまったようです。その後に出会った自覚を通じて、一般的な幸せというものが囚われや執着にまみれた迷い...私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)-幸せに気づくー

  • 幸せについて

    ◇幸せについて◇私たちは皆、幸せを求めています。そして、多くの方は幸せになろうとして、外側に向けて幸せを求めてしまいます。しかし、そうした取り組みによって本当に幸せになれるのでしょうか。私は大いに疑問を感じます。では、幸せは何処にあるのか。私の答えは、こうです。人が自身の本心に取り組み、生きるとき、その営みそのものが幸福になる。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキングへ幸せについて

  • 一切皆苦と存在苦

    ◇一切皆苦と存在苦◇一切皆苦とは、一切が苦ということですが、わかりやすく言えばその中身の多くは存在苦です。存在苦とは、存在していることそのものが苦、あるいは存在そのものが苦であるということです。とは言っても、多くの方々はこの存在苦に意識が向くことはありません。まだまだ経験したいことが沢山あり、経験すること、存在することへの執着が強いからです。存在苦を感じるようになるのは、おそらく前世で一度あるいは何度か大悟を経験してからだろうと考えています。なぜなら、小悟者の多くは何らかの絶対的あるいは恒久的なものに対する囚われがあり、そのことが存在への執着を物語っているからです。また、大悟者についても、一度目の大悟では一切のことがらに対してフラットになり、楽になるだけなのだろうと思うのです。存在苦を感じ始めるのは、おそ...一切皆苦と存在苦

  • 仏教における縁起をめぐる誤りについて

    ◇仏教における縁起をめぐる誤りについて◇先日、釈迦が縁起をどう捉えていたかについて調べていたのですが、その過程で南伝系も大乗系も含めて仏教の大半というか、おそらくほぼ全ての系統において、縁起の捉え方を間違っていることにわかりました。余りの状況に愕然とし、どうでもよくなり、仏教に言及する気も無くなったのですが、気を取り直して最後に、縁起をめぐる仏教が抱えている問題点について書いておこうと思います。まずは、仏教の縁起に関する誤解について。先日の記事「龍樹は縁起を誤解している」の中で書いた通り、私という存在は意識であり、その意識は、微細に見ると識が映画フィルムのコマのようにパッ、パッ、パッと連鎖的に連なって生滅することで展開しています。識は、各瞬間における認識であり、思考や感情を含めた五感を通じて起こってくる現...仏教における縁起をめぐる誤りについて

  • 存在に関する情報

    ◇存在に関する情報◇9年程前に見た夢の体験から、私たち存在に関する興味深い情報をいくつか読み取ることができますので、今回はそれを記事にしておこうと思います。ひょっとすると、この情報がどなたかの役に立つかも知れないと思っています。その夢の体験はブログ記事にしておりまして、リンクはこれです。私は12年程前に明け渡しを体験した後から、身体の無い存在になっている夢を頻繁に見ます。その身体の無い存在とは、本当に身体が無く、視覚だけがあり、意識としては薄っすらとした自我(思考や発意、感情等)があります。存在の大きさはおそらく点のような小さいもので、透明です。私は、そのような視点だけの存在になって、人々の様子や景色を眺めている夢を頻繁に見ます。多くの夢は特筆するようなことは余りないのですが、上でリンクを貼った9年前の夢...存在に関する情報

  • ツイート記事(20240905~)

    ◇ツイート記事(20240905~)◇<9月5日>◇今回の米騒動の関連今回の米騒動は、裏で誰かが仕掛けたものだと考えています。奴らがどこまで意図しているかはわかりませんが、今回の件はインフレと食糧危機の切っ掛けになるのではないかと考えています。インフレは間違いないのではないかと考えています。政府はカネを刷りまくり、市場に垂れ流しつづけてきてますから、インフレは必然であり、切っ掛けがあれば直ぐに起こります。インフレが起きても、垂れ流したカネを吸い上げるのも無理ですし、金利を上げるのも無理ですから、どうしようもありません。食料危機については、いずれ奴らが何か仕掛けてくるのではないかと考えています。来年あたりか。来年あたり国内が混乱するかもしれませんが、経済や人民統治が崩壊するのは、巨大地震でもない限り、日本が...ツイート記事(20240905~)

  • 龍樹は縁起を誤解している

    ◇龍樹は縁起を誤解している◇この記事は、昨日の記事の補足です。龍樹が縁起を間違って解釈しているので、そこを指摘しておこうと思い、書くことにしました。この縁起の解釈を間違っているのは、龍樹だけでなく、ひょっとすると釈迦もそうなのかもしれないと考えています(しかし、私にはそこまで調べる程、興味がありません)。私とは意識であり、世界そのものなのです。その意識の展開を微細に見ると、映画フィルムのコマのように断続的に分かれており、その最小単位のコマがパッ、パッ、パッと連鎖的に連なり展開することで、意識の展開が起こっていることがわかります。その意識の展開の最小単位のコマのことを、私は識と呼んでいます。識と識の間の間隔は、私の体感で言いますと、短くて1000分の1秒から長くて10分の1秒程度です。なお、識の展開は、意識...龍樹は縁起を誤解している

  • 龍樹は空を悟っていない

    ◇龍樹は空を悟っていない◇龍樹の悟りはどういうものなのかと、ネットで中論を拾い読みをした結果、彼が悟っていない、少なくとも空を悟っていないことがわかりましたので、ここに書いてしまうことにしました。もちろん、こんなことをぶっきらぼうに書くと、いろいろご意見やご批判はあるだろうと思います。どのようなご批判もお受けしますので、遠慮なくコメント欄等にどうぞです。彼は、釈迦が説いた縁起に基づいて、一切無自性であることを論証し、さらに一切空であることを論証しています。しかし、これでは論証になってないのです。なぜなら、縁起、無自性、空、無我の概念は、ほぼ同義といいますか、同列のものですから、論点を空から縁起にすり替えただけなのです。本当に空について論証するのなら、論理展開の出発点になっている縁起についてまず論証しておく...龍樹は空を悟っていない

  • アドヴァイタの悟りについて

    ◇アドヴァイタの悟りについて◇今回は、アドヴァイタ(非二元)の悟りについて書いてみようと思います。いつものように、肯定するのではなく、ここが違うよという批判記事なのですが、興味のある方はお読みください。アドヴァイタの悟りは、二つの悟り階層があります。一つ目の階層は、真我を悟る階層です。真我とは、ただ観ている意識である観照意識で、気づきの意識と言ってもいいです。観照意識は、良い悪い等の二元的な囚われが落ち、思考や感情が減ってくると、雲が晴れるようにして意識の表層部に現れてきます。この観照意識に気づく、あるいはそれを捉えることで、真我の悟りとなります。二つ目の階層は、梵我一如を悟る階層です。我とは、私という個を構成する原理などという捉え方もあるようですが、簡単に言うと、私という自我であり、主体のことです。梵と...アドヴァイタの悟りについて

  • 事実を悟ると言うのなら

    ◇事実を悟ると言うのなら◇今日も、禅者の言うたわごとを叩きます。彼らは、事実を悟るという言い方をします。その悟りは誤っているのですが、どういうものかと解説しますと。何も意図しなくとも(あるいは、元から意志や意図というものは無かったのだけど)、目は見えるし、耳は聞こえるし、手は動くし、ことは起こっていく、というところに気づくことなのです。百歩譲って、確かに悟りの行程においてそのような感覚というか、錯覚が起こるポイントがいくつかあるんです。その一つは、主客の統合体験が起こる「見るものは見られるもの」を体験するポイントの付近です。しかし、彼らの言う事実を悟るというポイントは、悟りの行程の本筋から外れているのです。どのように外れているのかと言うと、悟りの重点が物質的な現象に偏ってしまっていて、私というより重要な要...事実を悟ると言うのなら

  • 知の限界点と無我、非有非無、無根

    ◇知の限界点と無我、非有非無、無根◇悟りの道中の後半で、おそらく必ず通過するポイントがあります。それが無我を悟るポイントなんです。但し、ここで言う無我とは、私が無いという意味ではなく、一切に実体が無いという意味です。実は、この無我という概念には、同義な別の意味があります。それが、非有非無、無根です。非有非無とは、一切は有るとも無いとも言えないという意味です。無根とは、一切に根拠は無いという意味です。これらの無我、非有非無、無根は、わかるということ、知るということの限界を表すものとも言えます。認識の正しさの原点ということもできます。つまり、無我、非有非無、無根に沿った考えは合っている、正しい考えであり、そうでない考えは間違っている考えでなのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章を...知の限界点と無我、非有非無、無根

  • 悟りの迷い道と無我

    ◇悟りの迷い道と無我◇悟りの行程には、いくつかの袋小路のような迷い道があります。その代表的なものが、私は無いという罠のような誤解によるものです。明け渡しや禅の頓悟など、悟りの行程をそれなりの幅で一気に進むと、急激な意識変化や自我感覚の急激な希薄化が生じ、私という自我があたかも無くなったかのような錯覚が起こります。そうすると、自我が無くなった、あるいは元から自我は無い等の誤った認識に陥りやすくなります。そして、自身の自我が落ちた、悟ったと誤解してしまいます。私という自我は、実体が無いということはハッキリしていますが、それが有るのか無いのかは断定不可能なのです。自我に限らず、目の前の物質や頭の中に浮かんでくる考えも含めて、一切のことがらについて、有る無しは断定不可能なのです。ですから、私が有ると言うのも間違い...悟りの迷い道と無我

  • 解脱者の入滅と他者との関連

    ◇解脱者の入滅と他者との関連◇今回の話題に関連して、大分以前に、ある思索(1)、(2)という記事を書きました。つい先日、その記事を読んで頂いていることがわかりまして、改めて自分も読んでみました。当時に比べて私の中でいろいろ整理が進み、わからないなりにスッキリとした部分がありますので、今回それを記事にしてみようと思いました。まず初めに、今回の話の前提の部分について書きます。実は本質的なところで、解脱や入滅ということがどういうことなのかは、誰にもわからないのです。例えば、釈迦は解脱したと言われていますが、本当に彼が解脱していたのかは誰にもわからないのです。そして、仮に彼が解脱していたとして、その死に伴って釈迦という存在がどうなったのかも誰にもわからないのです。私自身についても、自分自身が本当に解脱しているのか...解脱者の入滅と他者との関連

  • なぜ私を捉えることが大切なのか

    ◇なぜ私を捉えることが大切なのか◇なぜ私を捉えることが大切なのかについて、改めて書いてみようと思います。私とは、実体は無く、有るのか無いのかもハッキリしない、どんなに追及してもよくわからないものです。しかし、最も身近な存在であり、逃れられないものです。そのようによくわからない、やっかいな私ですが、この私が生きていく上で、また悟りの道を歩んでいく際にも、中心的な要素になっています。私を捉えるとは、私に意識を向け、私を実感しながら生きることです。私を捉えることで、生きて行く上でも、悟る上でも、軸がしっかりとします。そうすると、自ずと世界の中心に私がしっかりと立つようになります。それに伴い、主体性を持って人生を生きるようになります。さらには、自分が最も大切している本心に向き合うようになります。そして、本心に取り...なぜ私を捉えることが大切なのか

  • 仏教に欠けているもの(2)

    ◇仏教に欠けているもの(2)◇先日の記事の続きです。最初に核心部分を書きますと、仏教に欠けているもう一つのものとは本心です。私たちにとって最も大切なことは、悟ることではなく、生きることなのです。まずは生きることへの取り組みがあり、悟りはその取り組みに含まれる一要素に過ぎません。そして、生きる上で最も大切なのが本心なのです。本心とは、自分自身にとって最も大切なもの、あるいは大切にしたいものです。誰しも皆、この本心を持って生まれてきます。しかし、仏教はこの本心に関する着眼が欠落しているのです。本心には大きく分けて二つの要素が含まれています。一つ目の要素は、こう生きたい等、生き方に関するものです。この要素は、生まれてから死ぬまで余り変化ません。二つ目の要素は、人生でやりたいことに関するものです。この要素は、人生...仏教に欠けているもの(2)

  • 仏教に欠けているもの

    ◇仏教に欠けているもの◇これまでは、このような直接的な言及は控えてきたのですが、考えが変わりまして、ダメなものはダメと言っていくことにしました。仏教に欠けているものとは、解脱です。(ご意見やご批判等はお受けしますので、コメント欄等ご遠慮なく。)今となっては釈迦が解脱していたのかどうかもわからないのですが、現代に伝わる仏教の系統に、解脱が見受けられないため、始祖である釈迦は本当に解脱していたのかと疑いたくなります。ハッキリ書いてしまうと、大乗の系統は龍樹も含めて、解脱者は一人もいないのではないかと見ています。南伝の系統も、どうなんでしょう、解脱者がいるのかどうか、大いに疑問だと見ています。アーチャン・チャーはひょっとすると解脱しているのかもと思ったりもしていますが、やっぱり違うのかなぁと見ています。その理由...仏教に欠けているもの

  • 「禅系覚者の認識が止む」について

    ◇「禅系覚者の認識が止む」について◇今日もまた、禅の悟りに対する批判記事を書きます。彼らは、悟りは状態ではないなどと知ったようなことを言います。悟りは状態ではないというは、確かにそうで合っています。しかし、どこで習ったか知りませんが、彼らがそれを言うのは余りに滑稽なのです。彼らは、自らの悟りを表して認識が止むなどということをよく言います。認識が止むとは、それはまさに状態を表しているのですが、彼らは自らの言説の矛盾に気づきません。少し違った概念ですが、「無認識」というのも状態を表すものです。さらに違った概念ですが、「自我が落ちる」も状態を表すものです。悟りはそのような手法では表現できないのです。悟りは悟りで表現するしかないのです。つまりは、何を悟ったかということです。では、「認識が無い」や「私が無い」は状態...「禅系覚者の認識が止む」について

  • 悟りの本質について

    ◇悟りの本質について◇最近になって、悟りについて、正確には悟りの捉え方についてまた理解が進みまして、今回はそれを記事にまとめてみたいと思います。悟りと言うと、体験として大きな意識の変化が生じるので、どうしてもその体験や、意識がどう変化したか等に目を取られてしまいがちになります。そして、多くの悟りを体験をした者は、自分の体験や意識の変化に基づいて、自らの悟りを語ります。かくいう私自身もそうでした。このブログに書いてきた悟りの体験談や悟りに関する文章は、悟りによって意識がどう変化したとか、どうなったか等が中心になっています。これを振り返り、悟りを語るには私自身まだまだだったなと思う次第です。端的に言えば、悟りの本質は何を悟ったかなのです。どんな体験をしたとか、悟ってどうなったとかは、どうでもいいんです。何を悟...悟りの本質について

  • ツイート記事(20240805~)

    ◇ツイート記事(20240805~)◇<8月5日>◇素晴らしき二元世界この世界は、良い悪い等のバリエーションのある二元の世界です。そして、その中で振り子が振れるように、大きな時代の波や流れが起こっています。例えば、欲望や物質面の追及と、利他性や調和の追及。悪の色合いと、善の色合いなど。欲望や物質面の追及は、否応なく悪の色合いを伴います。ひょっとすると、今は丁度、欲望や物質面を追求する方向への振れが極まり、その逆側に振り子が振り始めようとしているときなのかも知れないと考えています。みんなもう、今のこの世界の状況にうんざりしているでしょうから、利他性や調和を追求する展開がさぞ素晴らしいことかのように見えるのだろうと思います。しかし、この世界は二元の世界ですから、すべてのことにプラス、マイナスの二面性があります...ツイート記事(20240805~)

  • 仏教における苦をめぐる誤りについて

    ◇仏教における苦をめぐる誤りについて◇今回は、仏教における苦をめぐる誤りについて書いてみようと思います。大乗、上座部を含む大半の系統において、苦を滅することができると考えられているようです。しかし、これは大きな間違いなのです。私という存在そのもの、この世界そのものが苦なのです。私とは連鎖的に連なる識の連鎖であり、その一つ一つの識が苦なのです。ですから、苦を滅するなんてことは不可能なのです。釈迦は一切皆苦を言ったようです。一切皆苦と言えば、一切すべてか苦なのです。それがどうして苦が滅するという話になったのか。次に、渇愛と苦の関係についてです。仏教では、渇愛によって苦が生じるという考えがあるようです。そして、悟りにより渇愛を停止させ、それによって苦を滅することができるという考えがあるようです。このような考えも...仏教における苦をめぐる誤りについて

  • 無常無我苦と私

    ◇無常無我苦と私◇つい最近、無常無我苦は私のことを言っているのだと改めて納得したところがありまして、記事にしてみようと思います。悟りの捉え方は種々ありますが、悟りとは私を知っていくことだと言うこともできます。その過程で、無常無我苦に関する理解が自ずと進んでいきます。重要なのは、無常無我苦が私というものの別のところにあるのではなく、私そのものを言っているのだというところです。私という存在は、意識であり、この世界そのものであり、微細に見ると映画フィルムのコマのようにパッパッパッと連鎖的に連なる識です。そして、この識の連鎖のことを縁起と言います。このような私と、無常無我苦の関係について説明してみたいと思います。まず、無常無我苦についてのおさらいから。無常とは、ものごとは常に移り変わっていくものであるということで...無常無我苦と私

  • 根本苦と衝動

    ◇根本苦と衝動◇私という存在は、苦そのものです。根本苦とは、存在の根のようにしてある苦のことをそう言っています。私という存在の深層には、その根本苦を何とかしようとして激しく振動するもがきくような衝動があります。そして、その根本苦に対する衝動が、私という存在に生じる様々な衝動の震源となっています。例えば、何かをどうにかしようとする恐れ、何かを得ようする欲、何かを握り締める執着、何かを求め徨う期待などです。このような衝動は、ジャングルジムのように相互に関係し合いながら階層構造をなしています。根本苦は、私の意識を外へ向けさせ、外側へ展開させるよう作用します。苦しみにより藁にすがるよにして、考えを掴むのです。考えを掴むと、意識がその考えに向くため、根本苦の苦しみが表面的には緩和されるのです。深層では考えを掴むこと...根本苦と衝動

  • 高徳と悪徳

    ◇高徳と悪徳◇存在の成長には高徳を積むことが大事であるという類のことがよく言われますが、実はこれは誤りなのです。高徳はむしろどうでもよいくらいのことで、重要なのは悪事を行わないことなのです。一つでも悪事を行ってしまうと、いくら善い行いをしても帳消しになることはありません。一点の汚点が取り返しの付かないことになることもあります。この世界、即ち私という存在はそのように出来ていると私は考えています。それはどうしてなのか、少し説明します。善い悪い等の概念は二元的な囚われですので、本来そのような基準はありません。ですから、行いが誰かに評価されたり、裁かれることもありません。ではなぜ、悪行はいけないのか。私は、人として生まれてくる存在は、本性(本心と言ってもいいです)として善的志向を持っていると考えています。誰しも、...高徳と悪徳

  • 囚われと苦

    ◇囚われと苦◇握り締めた考えを囚われと言います。囚われとは、典型的にはこうあるべき、あああるべき、これはダメ、あれはダメ等ですが、表面的なものだと、お金は大事、女がいないとダメ、男がいないとダメ、ポスト(地位)がないとダメ等もこれに含まれます。どうしてそのような考えを握り締め、手放せないのでしょう。そこには、恐れという苦があります。何の頼りもなく、考えの海に浮かぶのは耐えられないのです。溺れる者は藁にもすがるという訳です。考えを握り締めると、その考えに囚われるため、さらに苦しくなります。しかし、考えを握り締めると、それが思考の前提として取り込まれ、あるいは潜在化され、自分が考えを握り締めていることに気付くのが困難になります。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自...囚われと苦

  • 悟りと意志

    ◇悟りと意志◇以前にも何度か似たような文章を書いたことがあるはずなのですが、再度、悟りと意志について書いてみたいと思います。なお、ここのところ頑張って書いている苦についても、引き続き書いていく予定です。悟りは、悟ろうと思って悟れるものではないとか、本人の意志とは無関係などと言われます。確かに、意図せず悟りの方から突然やってくるという事例もありますから、そのように言われるのも全く見当外れという訳でもないのだろうと思います。しかし敢えて言うと、私はその考えは間違いであると考えています。私は、意志の力で悟りの行程に入り、最後まで進んでいけると考えています。なぜなら、悟りとは、自らが握り締めている囚われ(考え)を手放していくことなのです。自らが握っているのですから、それを手放すのも自らの意志で出来るのです。自分は...悟りと意志

  • ツイート記事(20240701~)

    ◇ツイート記事(20240701~)◇<7月1日>◇悟りについてオープンに語り合ういつの時代も悟りは非常にマイナーで、しかも何となく秘められているような感じもあり、悟りについてオープンな場で情報が開示されたり、やり取りが行われることが余り無いようです。現代ではインターネットの普及により、それが可能になっているにかかわらず、その状況は余り変わっていないように感じます。私としては、残念であり、物足りなさを感じているところです。かと言って、何か良いアイデアがあるとか、何かそのような取り組みを始める予定がある訳でもないのですが。ネットという便利なものが普及しているのに関わらず、低調な状態が続いているというのは、必死さを持って取り組んでいる方がまだ少ないのでしょうね。あるいは、悟りはどの時代も常に極めてマイナーなも...ツイート記事(20240701~)

  • 存在と苦

    ◇存在と苦◇私という意識の活動は、苦を何とかしようとするところから起こっています。苦が私という意識の活動の源泉なのです。苦しいと思い始めた頃から、苦を何とかしようとするもがきが始まり、そのもがきがさらなる苦を生じさせ、さらにもがくようになると言った具合です。もがけばもがく程苦しくなるのですが、もがいている当人はそれがわかりません。私という存在そのもの、意識そのものが苦なのです。存在とは意識であり、世界ですから、世界そのものが苦なのです。ですから、苦は常にあるものであり、どうにもならないものなのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッショ...存在と苦

  • 執着と苦

    ◇執着と苦◇私たちは往々にして何かにしがみ付き、執着します。それはどうしてなのかと言うと、苦しいからです。何かにしがみ付くのも、何かを求めて彷徨うのも、苦しいからです。しかし、何かにしがみ付いているときは、その苦がわからなくなるのです。しがみ付くこと自体大変な苦なのですが、しがみ付くことに必死になる余りそういうこともわからないのです。それもこれも必要な過程なのかもしれませんが、いつまでやっているのかと言いたくなります。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてあ...執着と苦

  • 希望と苦

    ◇希望と苦◇私という意識は、どうして彷徨うのでしょう。そこには、漠然とした希望があります。何か素晴らしいことがあるのではないかという期待です。ではどうして、私たちは希望や期待を持ってしまうのでしょう。そこには、不足感や虚しさといった苦があります。まず初めに苦があり、その苦をどうにかしようとする展開が起こります。しかし、そうした展開もまた苦であり、止めどなく苦が連鎖し、拡大していきます。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブ...希望と苦

  • 苦と反応

    ◇苦と反応◇今回は、苦と反応という切り口で書いてみたいと思います。まずは、わかりやすいところから。あなたが痒みを感じて、それを手で掻いたとしましょう。このとき、あなたは痒みという苦を感じ、それを解消すべく手で掻いた訳です。では、あなたが何気なく手を動かすときはどうでしょう。あなたは、その手をどうして動かしたのでしょう。あるいは、あなたの手はどうして動いたのでしょう。手に限らず、何気に脚を組んだときや、脚を組み替えたときは、どうでしょう。そこに、何らかの苦があったのではないでしょうか。目に映った映像や耳に入った音に対してあたなの意識が反応するときも、同様の展開が起こっています。あなたが気になったその映像や音は、苦ではありませんか。あるいは、あなたのその意識の動きも、苦ではありませんか。苦は、日常のあらゆる事...苦と反応

  • 食べることと苦について

    ◇食べることと苦について◇暫く、苦について徹底的に書いていこうと思っています。今回は食べるということを題材に、苦について書いてみようと思います。空腹感に気づいたとき、空腹という苦が発生します。この空腹という苦は、何かを食べることでそれが満たされるまで続きます。その過程をさらに詳細に観察していきます。空腹時に何かを食べているときは、素直に幸福感を感じやすいものです。しかし、ことはそう単純なものではないのです。食べている途中は、食べることによる味覚や満足感が生じていますから、感覚がそれなりにプラス方向に底上げされており、苦を感じ難いことが多いです。しかし、食べながらも、もっと食べたいとか、もっと美味しいものを食べたいとか、お金のことが気になったり、と私という意識は忙しく活動し、それが苦を生じさせます。そして、...食べることと苦について

  • 禅の悟りについて

    ◇禅の悟りについて◇今朝のブログツイート記事でも書いたのですが、悟りについて情報や意見の交換や、試し合い等も含めて、多くの方とやり取りが出来たらと考えています。仏教系、非二元系、独覚の方など、系列にかかわらずオープンにやりとりができたらと考えています。と言いながら、また禅の悟りを批判する記事を書くのはどうなんだろうと思うところもあるのですが、改めて禅の悟りについて批判してみようと思います。つい最近、ある禅系の覚者の方のサイトを読む機会がありまして、そこには禅系の覚者の悟りや悟ったときの様子がいくつか例を挙げて書かれていました(この場では、そのサイトに関する具体的情報は伏せさせてください)。それで、彼らの悟りがさらに明確にわかった部分がありまして、それをもとに今回の記事を書いてみようと思った次第です。彼らの...禅の悟りについて

  • ツイート記事(20240605~)

    ◇ツイート記事(20240605~)◇<6月5日>◇多重人格と憑依の関連多重人格と憑依には関連があるケースが多いのではないかと考えています。精神分裂も憑依との関連があるケースがあるのではないかと考えています。遺伝的な脳を中心とした身体特性、生後の精神活動、憑依、これらの要素が関連しているのではないかと考えています。興味はあるのですが、積極的にさらに調べたり、掘り下げる程の興味はなく、そのままにしています。もし詳しい方がおられたら、教えていただけると嬉しいです。札幌ススキの事件に関する報道を見ていて、思い出しました。ちなみに、以前にも言及しましたが、チャネリング現象も、精神分裂や、憑依等と関連があると考えています。<6月12日>◇集団カルマ?人には世界的な規模で集団性のカルマのようなものがあるのかもしれない...ツイート記事(20240605~)

  • たったひとりの主人公

    ◇たったひとりの主人公◇みんな誰しも、たったひとりの主人公なのです。あなたは、あなたが生きている世界の常に中心にあり、あなたの人生の主人公なのです。あなたが、どんなに人と自分を比べて自分を否定しようと、自分のことを世界の片隅に追いやろうと、主人公という立ち位置からは逃れられないのです。あなたという人生を生きている人は、あなたしかいないのです。どんなに酷い状況になろうと、常に主人公であり、ヒーローなのです。そうなのです。あなたの人生において、あなたは常にヒーローなのです。そのことをわかっていただきたいと思うのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイ...たったひとりの主人公

  • 無難な人生なんて

    ◇無難な人生なんて◇多くの方は、無難に行くように道を選択します。人付き合いもそうですし、進路や仕事を選ぶときもそうだし、恋人や結婚相手についてもそうです。悟りを求めるときもそうです。無難に行こうとする余り、自分を制限してしまい、萎縮してしまいます。あたかも、無難に行くことが人生の第一の目的であるかのような有様です。人生の終わりに、それで果たして納得できるのでしょうか。私は、人は皆、やりたいことがあって生まれて来ているのだと考えています。多くの方は、無難さを求める余り、自分のやりたいことが疎かになっているのではないかと考えています。何が問題なのかと言うと、どのように生きるのかを決めるときの優先順位がおかしくなっているのです。まず第一に自分のやりたいことがあって、それに取り組むことが大事であり、無難かどうかは...無難な人生なんて

  • ツイート記事(20240507~)

    ◇ツイート記事(20240507~)◇<5月7日>◇世界の異変はまだまだ先かここ最近の悟り、精神世界について気になっていたことについて一通り記事を書いてしまったのと、春になり農業が忙しくなっているのもあり、このブログ記事の更新が減っています。スピ界隈では、相変わらずこの4月頃から来年にかけて大きな異変が起こると言っているようです。この連休中にも何か起こるのではないかという言われていました。そもそも、未来のことはそう簡単にはわかりません。どのような存在であっても、そうです。神々だって決してわからない。そういうものです。個人的には、大きな異変はやっぱりいずれ起こるのだろうとは考えていますが、未だ数年くらいは先だろうと考えています。社会の様子は、世界的に歪みの蓄積、民衆の幼稚化、混乱が進行していますが、おそらく...ツイート記事(20240507~)

  • 無常の誤りについて

    ◇無常の誤りについて◇今朝のツイート記事に書いたものを単独の記事として書いてみようと思います。無常、無我について(特に無常について)、これまで何となく違和感を感じたままほったらかしにしていたのですが、その違和感の内容がハッキリしたので記事にしておきます。まず最初に、無常、無我の意味の確認から。無常とは、一切のことがらは常に変化するものであるという意味です。無我とは、一切のことがらに実体が無い、あるいは絶対が無いという意味です。無常とは何を言っているのかというと、ことがらの本質的な性質について常に変化するものだと言っている訳です。これに対し、無我には、ことがらの実体の有無に関する意味合いだけでなく、ことがらに対して何らかの言及を行う際のその言及そのものに対する意味合いも含まれている訳です。つまり、無我の矛先...無常の誤りについて

  • ツイート記事(20240403~)

    ◇ツイート記事(20240403~)◇<4月3日>◇地球防衛軍ここのところ、本業の農業を頑張っていて頭がそっちに行っているせいもあり、ネタがひと段落していることもあり、ブログの更新が休み勝ちになっています。春が来る前にやっておきたかった作業が全然終わっておらず、焦っています^^;今から12年くらい前、明け渡し体験があって4、5カ月した頃、私は毎日、地球にエネルギーを送っていました。本当にエネルギーが送れていたのかどうかはかなり怪しいですwでも当時は真剣にやっていました。まずは自分が住んでいた神奈川から始めて、次に日本列島全体にエネルギーを送り、次に地球全体にエネルギーを送っていました。このワークは3、4カ月くらいやっていたように思います。最後の頃は、宇宙全体に向けてエネルギーを送ることもやっていました。そ...ツイート記事(20240403~)

  • ツイート記事(20240301~)

    ◇ツイート記事(20240301~)◇<3月1日>◇悟りに関する他者批判私は、悟りに関して他者を批判します。どうしてそうなるのか、自分でもよくわからない部分があるのですが、やっています。多くのことは放っておけるのに、なぜかそこは放っておけずに、批判してしまう。あるいは、意識的にそれは違うよと指摘しています。悟りに関して間違った情報が多く(と言うか、残念なことに大半の情報が間違っているし、釈迦が喋ったとされる経典類も改変や作り物が多く、非常にやっかいです)、それがとってもイヤなのです。なぜそこまでイヤな気になるのか。ひょっとしたら、過去世でその誤った情報に翻弄され、悔しい思いをしたことが何度もあったのかもしれないと思っています。ともあれ、この批判はまだまだ続けるつもりです!(^O^)<3月3日>◇悟りと日常...ツイート記事(20240301~)

  • 問答の限界と悟り

    ◇問答の限界と悟り◇今回は、悟りと問答について書いてみます。禅系の一部で、悟り修行に公案や問答が使われるようです。悟りに問を使うことのメカニズムは、それはそれで非常にシンプルでハッキリしているのです。結果はおそよ二種類あるようです。どちらもポイントは問への集中です。一つ目は、問への集中により、意識の囚われにより構成された外層部分が崩壊し、急激な自我感覚の希薄化が起こるのです。このとき、自我が喪失した等の錯覚が生じやすいです。二つ目は、問へのさらなる集中により、意識の囚われにより構成された外層部分の崩壊がさらに進み、主客に対する錯覚が剥がれ落ち、それらの統合体験が起こるのです。この体験をわかりやすく言うと、自分の意識あるいは存在が問そのものになるという体験です。このときも、自我が喪失した等の錯覚が生じやすい...問答の限界と悟り

  • なぜ自由意志を否定できないのか

    ◇なぜ自由意志を否定できないのか◇今回は、自由意志についてちょっと違った切り口で書いてみたいと思います。自由意志が無いと仰る方は、本当にそれで納得できているのでしょうか。納得できるはずはないのですが。なぜなら、その考えは間違っているからです。自我が無いというのも同じで、間違っています。正しくは、自我も自由意志も実体が無いのであって、有る無しについてはどちらとも言えないのです。これは私が繰り返し書いていることですが、今回の趣旨ではありません。以下が本題です。自由に意志が無いと言う方は、以下の問についてぜひ考えていただきたいのです。「自由意志が無いのなら、どうして人は後悔をするのか」◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつに...なぜ自由意志を否定できないのか

  • 正しさの追求の果て

    ◇正しさの追求の果て◇今回は、正誤、正しいことと間違ったことについて書いてみたいと思います。正誤は、善悪等の二元の概念と混同されがちですが、それらのとは本質的に異なるものです。善悪等の二元の概念は囚われであり、本来そのような区別はありません。これに対し、正誤はそれなりにしっかりとあるのです。「それなりにしっかりと」などという中途半端な言い方をするのは、本当は厳然としてあると言いたいところだけど、敢えて避けたというところです。面倒なので、最初から結論を書くような形になりますが、ご容赦ください。何が正しいのかについて、論理的に徹底的に追及していくと、必ず到達する結論があるのです。それは、「一切に根拠が無い」あるいは、「一切に絶対は無い」なのです。ここが正しさの原点であり、源なのです。これに沿ったものは正しく、...正しさの追求の果て

  • 自我の手放しという誤り

    ◇自我の手放しという誤り◇今回は自我の手放しについて書いてみます。自我を手放しは悟り界隈でよく言わることですが、間違いです。そもそも、自我を手放すことなんて不可能であり、あり得ないのです。究極的には、この世界そのものがあなという自我なのですから。自我、私、個の意識など、なんと言っても同じです。すべて私であり、手放す対象となり得るものではありません。自分は自我を手放しと言っている人が時々おられますが、それは本人の誤解であり、認識不足です。世界があり、その世界が見えている、感じられているのに、私が無いなんてことはあり得ないのです。起こってくる現象と、それを観ている、感じている観照とは、不可分であり一体なのです。悟りの行程は、囚われ(執着)を手放していく行程です。囚われの手放しを少しずつ進めていく行程を漸悟とい...自我の手放しという誤り

  • 虚無を超えて生きる

    ◇虚無を超えて生きる◇今日は、久しぶりに虚無について、思うことを書いてみたいと思います。まずは私自身のことから。私は小学校に入る頃には、社会常識や道徳等も人が決めたことであり、本来はどうでもいいことだということがそれなりにわかっていて、すべてに意味が無いこともなんとなくわかっていました。そして、生きることの面倒くささ、特に社会と関わっていくことの煩わしさを強く感じていました。余談ですが、おそらく前世で小悟か大悟を既にやっていたのだろうと思います。で、何が言いたいのかと言うと、そりゃあ、そんな人間なら虚無感を感じしてしまうのは仕方ないよなぁ、と改めて思ったのです。そこには、この世界に生まれてしまったこと、もっと言えば自分という存在が生じてしまったことへのやり場の無い怒りもあるよなぁ、と思ったのです。それもこ...虚無を超えて生きる

  • 二元的志向の矛盾と本心

    ◇二元的志向の矛盾と本心◇一切のことがらには、プラス面とマイナス面が必ずあります。これは決して避けられないのです。例えば、平等について。実際に自分で考えてみて頂きたいのですが、平等なんてものは幻想であり、皆平等なんてことはあり得ないし、不可能なのです。平等にしようとすると、必ずその裏側で不平等が増大します。平和もそうです。平和になるようにしようとすると、必ずその裏側で過度な抑圧が増大し、結果として平和から遠ざかってしまいます。権利や自由もそうで、それらを守ろうとすると、その裏側で義務や規制が必ず増大し、結果としてそれらを抑制することになってしまいます。愛だってそうです。個々の人もそうです。良い人も悪い人も、皆プラス面、マイナス面があります。^このように言うと、何をどう選択したらいいのかわからなくなってしま...二元的志向の矛盾と本心

  • 空を批判する

    ◇空を批判する◇仏教で使われる概念に、空というものがあります。今日は、その空を批判します。空は、日常的な概念について説明するためにわざわざ導入された概念ですが、この空という概念を持ち込むというやり方がそのものが既に筋が悪いのです。そもそものところ、一切のことがらは説明をすることが不可能なのです。よりわかりやすく言うと、一切のことがらは説明を尽くすことができないのです。ですから、空という概念を持ち込んだところで説明できないという状況には変わりないのです。むしろ、いたずらに概念を増やすことで余計ややこしくなってしまうだけです。わざわざ空なんて概念を持ち込まなくても、日常的な概念を使って同程度の説明は十分にできるのです。むしろ、空を持ち込まない方が、ややこしくならずに、よりわかりやすくすっきりとした説明ができま...空を批判する

  • ツイート記事(20240203~)

    ◇ツイート記事(20240203~)◇<2月3日>◇輪廻、運命最近、この周辺のことについて少し理解が進んでいます。積極的に追及している訳ではないのですが、なぜか理解が進んでいきます。例えば、この世、あの世、過去未来を含めた世界観には、階層がありそうであること。輪廻にも階層がありそうであること。運命と呼ばれるものもありそうであり、極一部の例外の除いて皆、大筋はその運命に沿って生き、死んでいっているようであること。表面的な生き方をしていては、流されるようにして運命通りの展開になってしまうのであろうこと。意識的に生きることで、ある程度運命を変えられるのであろうこと。例えば、やったやられた(加害者、被害者)の関係や、親子等の依存関係の連鎖から抜け出していくときなどは、運命を変えている可能性があること。また、悟りの...ツイート記事(20240203~)

  • なぜ悪行はいけないのか

    ◇なぜ悪行はいけないのか◇今回は、なぜ悪行はいけないのかについて、私の考えを書いてみます。善悪も囚われですから、本来、行いついても善い、悪いはありません。これは間違いありません。ではなぜ、悪行はいけないのか。私は、人として生まれてくる存在は、性分として善的志向を持っていると考えています。人々の行いを善悪の観点から観れば、実際に表出する行いは種々あります。しかし、実のところは、誰しも出来れば悪いことではなく、善いことをしたいという想いを持っています。これは、どんなに悪いことをしている人でも、本心はそうなのだと考えています。ところが、実際に生きていく中では、表面的な欲や価値観、そこから派生する損得勘定や感情等に流され、本心に反する行いをしてしまうことが多々あります。生きることは難しく、仕方のないことでもありま...なぜ悪行はいけないのか

  • 肯定と否定

    ◇肯定と否定◇今回は、肯定と否定について書いてみます。ものごとに対するアプローチとして、肯定的アプローチと否定的なアプローチがあります。両者を比べると、イメージ的にも肯定の方がいいですし、受け入れやすいです。否定はどうしても、辛く、受け入れ難い。そのため、否定はどうしても受けが悪いです。また、両者の特性として、肯定は女性的あるいは母性的であり、否定は男性的あるいは父性的であると言うこともできます。昨今は社会的にも男性性不在あるいは父性不在の時代となっていて、否定的アプローチに対する風当たりが強いです。悟りの世界でも、良い悪い等の二元の囚われた落ちる小悟の辺りまでは肯定的アプローチが有効であり、またその階層周辺に属する人々の数も多いことから、どうしても肯定派が優勢となりやすいです。しかしそもそものところ、悟...肯定と否定

  • 悟りと覚悟

    ◇悟りと覚悟◇悟りよりもまず先に、生きること、人生への取り組みがあります。悟りは、生きるという営みの中の一要素に過ぎません。ですから、悟り云々の前に、如何に生きるか、生きる姿勢が重要です。私はこの点について、自身の本心に向き合って生きることが大切だと繰り返し書いてきました。しかし、それは実際にはなかなか難しいようです。どうして難しいのか。何が難しくしているのか。もっと言えば、何が足りないのか。私は、次の二つに集約されるのではないかと考えています。一つは、後悔しないという決意(あるいは、後悔しないようにするという決意)。もう一つは、どんな人生になろうと受けて立つ覚悟(あるいは、どんな人生でも受けて立つ覚悟)。特に、上の二つ目の覚悟が要になっていると考えています。多くの方々は、その覚悟が足りないのです。覚悟が...悟りと覚悟

  • 滅尽定と入滅とその関連(2)

    ◇滅尽定と入滅とその関連(2)◇前回記事の続きです。私とは、パッ、パッ、パッと断続的かつ連鎖的に連なる識の連鎖として捉えることができます。この識の連鎖という観点から見たとき、それは否応なく自動的に展開していきますから、そこには自由意志を含めて自我の存在も無いかのように感じられます。しかし、だからと言って自我は無いと考えてしまうのは、私は間違いであり、大切な要素を見落としてしまうことになると考えています(かと言って、自我があると言うのもまた間違いなのですが)。識の展開、自我の活動、どちらも幻ですが、私は、自我の活動が識の展開に大きく影響を与えているのではないかと考えています。以前の記事で、各コマを構成するひとつひとつの識には、その識をそのものを認識する自己認識機能が含まれており、それが自我の主体感覚の源泉で...滅尽定と入滅とその関連(2)

  • 滅尽定と入滅とその関連

    ◇滅尽定と入滅とその関連◇首記のテーマについて、思い付くことを書いてみたいと思います。死んだとき、できればもう終わりにしたい、これ以上はやりたくないという想いがありまして、入滅という現象の有無や可否について興味があります。これ以上はもうどうすることもできないので、後はなるようになっていくだけなのはわかっているのですが、やっぱり興味があります。ちなみに、ここで問題としているのは、死んだときに、そこで存在が終わって一切が消えるのか、それとも存在の展開が続いていくのかということです。予め書いておきますと、結論は残念な程ハッキリしていて、いくら考えても死んだときにどうなるかは決してわからないのです。どんなに悟っていても、またどんな能力を持っていても、死んだときにどうなるかは決して誰にもわからない。知ったようにいろ...滅尽定と入滅とその関連

  • 生きることは悟ることより難しい

    ◇生きることは悟ることより難しい◇悟りというと、それがとても大きなものであり、人生の最終目標であるかのように考える方がおられますが、それは誤解です。悟ることが人生の目的となることはありません。あくまでも、生きることそのものが目的なのです。悟りを余り過大に評価しないでください。悟りは人生の営みに含まれる一要素に過ぎません。悟りに崇高さを感じるのは、悟りが崇高だからではありません。それは、生きることそのものの崇高さを感じているのです。悟りに難しさを感じるのは、悟りが難しいからではありません。それは、生きることそのものの難しさを感じているのです。生きることは、悟ることより難しいのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつに...生きることは悟ることより難しい

  • ツイート記事(20231230~)

    ◇ツイート記事◇<12月30日>◇エックス(ツイッター)はどうも気に入らないので、それに少し似た形で切れ端のような文章を書いてみようと思います。やり方は、ブログ記事の形で、記事の最後に順番に追記していく方法でやってみようと思います。内容は悟りから世情、個人的なことなど、何でも書いていく予定です。◇例の注射の件例の注射に関する情報が、あちこちで表面に出てきているようですね。情報はいくらでもありますが、例えば次のものがあります(及川さんは有名な宗教組織の有力な信奉者のようなので、どうかなぁというところはありますが^^;)。https://twitter.com/oikawa_yukihisa/status/1737094523539595336リンクはこれです。◇陰謀論注射のことについて触れたので、陰謀論まで...ツイート記事(20231230~)

  • 目を覚ませ

    ◇目を覚ませ◇自分は何をしようとして生まれてきたのか、思い出せ。目を覚ませ。自分にとって何が一番大切なのか。これでよかったのか、このままでいいのか。同じ失敗を繰り返してないか、後悔を重ねてないか。死ぬときに、自分はよくやったと言えるのか。自分をごまかすな。妥協するな。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキングへ目を覚ませ

  • 教団と悟り

    ◇教団と悟り◇ツイッター記事で軽く書こうかと思って書き始めたのですが、単独記事として書くことにしました。これは、仏教系を含めた方々に対する批判です。教団内にいて深い悟り、特に解脱が生じ得るものなのかについて、私は非常に困難だろうと考えています。無理と言ってもいいのではないかと考えています。主に仏教系の教団を念頭に言っています。大乗だけでなく、上座部も含めての話です。それはなぜかと言いますと。第一に、教団に対する依存があるはずであり、それが邪魔になります。教団に守られ、依存している状態でやれるほど甘いものではない。第二に、教団に属するような方は、釈迦を含め、仏典や先人の言動を含めた教団の伝統に関する囚われが強すぎるのです。それらをフラットに見れず、信じ込んでしまったり、頼ってしまうのです。教団の教えが合って...教団と悟り

  • 夢、現実、転生

    ◇夢、現実、転生◇首記のテーマについて、とりとめのない文章を書いてみようと思います。おそらく、上手くまとまらず、何が言いたいのかわかりにくい内容になりそうですが、取り敢えず書いてみます。最近、自分の夢を観察していてよく思うことがあります。それは、夢の中の私の人格特性における表面的な部分は夢によって多少の変化がありますが(行動的だったり、人前に出ていくタイプだったり、その反対だったり等)、コアの部分はどの夢の中でも同じだし、この現実世界の私とも同じだということです。基本的にお人好しで、真面目なんです。でも、芯の部分はこうだという譲れない部分がしっかりあって、そこはとても骨っぽいんです。ここで一つ思ったことありまして。それは、私の人格特性のコアの部分は、現実と夢だけではなく、転生に関しても継続していくのではな...夢、現実、転生

  • 精神の成長と恐怖心

    ◇恐怖心と悟り◇精神の成長度と恐怖心には相関があります。精神が成長するに連れ、種々の恐怖心も薄くなっていきます。恐怖心が強いうちはまだまだ子供であり、精神的に独り立ちもできません。精神が成長し、大人になり、諸々のことを経験すると、自ずと悟りの道に入っていきます。それでも、最初の頃はまだいくつかの恐怖心を残しています。死に対する恐れや、得体の知れないものに対する恐れや、存在が消滅することへの恐れなどです。上に具体的に挙げた三つのうち、意外にしぶとく残るのが実は二つ目の恐れなのかも知れないと思います。その二つ目の恐れの有無を確かめる方法があります。それは独りきりで苦や闇で行う瞑想です。それをやっていると、突然自己の妄想が渦を巻くように拡大し、耐えられない程の恐怖心が起こることがあります。瞑想をやってみて、自分...精神の成長と恐怖心

  • 予定された覚醒

    ◇予定された覚醒◇悟りに入る切っ掛けの一つに覚醒があります。その覚醒には、ひょっとすると予め予定されたものがあるのではないかと考えています。時限装置が起動するようにしてあるタイミング、あるいはある状況が訪れると、自発的に覚醒が起こるというような。例えば、2012年の暮れに私自身に起こった明け渡しも、その可能性があると考えています。あのとき、2012年が終わりに近づいた頃、ネットでチラッと見たマヤ暦の終わりのことがなぜか急に気になりだし、急にソワソワし始めたのを覚えています。そして、明け渡しが起こる何日か前からデジャブが起こっているかのような体験や妙な心理状態となり、その日を迎えました。また、もしそのような予定された覚醒があるとすれば、それは前世の悟りと関係しているのではないかと考えています。おそらく、前世...予定された覚醒

  • 根源的な二つの謎(2)ー認識論の観点からー◇

    ◇根源的な二つの謎(2)ー認識論の観点からー◇前回記事の続きです。私は、私自身を含めたこの世界の謎は根源的に次の二つに集約されると考えています。一つは、この世界(宇宙と言ってもいいです)とは何なのか、なぜあるのかです。もう一つは、私とは何なのか、なぜあるのかです。一つ目の世界に関する謎は、自然現象に着目し、それは何なのかという問いを追求していけば必然的に突き当たるものです。これに対し、二つ目の私に関する謎は、着目されにくく、捉えるのも難しく、余り問題として挙がりにくいものです。唯物論の方々は、私という意識は物質的な自然現象として説明できるはずであり、根本的な謎ではないと捉えていると思います。この点に関し、私は、私という意識は物質的な自然現象の上に成り立っているものではなく、物質的な自然現象として説明するの...根源的な二つの謎(2)ー認識論の観点からー◇

  • 根源的な二つの謎(1)ーわかることの限界ー

    ◇根源的な二つの謎(1)ーわかることの限界ー◇私は、私自身を含めたこの世界の謎は根源的に次の二つに集約されると考えています。一つは、この世界(宇宙と言ってもいいです)とは何なのか、なぜあるのかです。もう一つは、私とは何なのか、なぜあるのかです。但し、初めに言っておきますと、この二つの謎は解明不可能なのです。絶対に不可能なのです。そもそも、私たちが本当の意味で解明できること、あるいは本当の意味でわかることなんて何もないのです。今回のお題である謎について書く前に、わかることの限界について書いてみようと思います。わかることの限界について説明するためには、まずはわかるとはどういうことなのかについて説明する必要があります。わかるという現象(意識的な現象です)が生じるときには、必ずその背景、あるいは前提、あるいは土台...根源的な二つの謎(1)ーわかることの限界ー

  • 雑記など

    雑記など、少し書いてみようと思います。まずは、個人的なこと。健康問題。私は身体が余り強い方ではないのですが、若い頃からいろいろ無理してきたのもあり、その上、3年前から始めた農業による肉体的な負担も重なり、あちこちと身体のガタが目立つようになってきました。つい先日は、またコロナ(おそらく4回目)にかかってしまい、一週間以上も寝込んでしまいました。ワクチンは一度も打ってないのですが、それにしても4回もかかってしまうというのは、自分の身体がどうかしているのだろうと思っています。左目の緑内障(隅角狭窄型緑内障)も、自然治療等も含めてこれまでだましだましなんとかやってきたのですが、もうそろそろ限界のようで、少し無理をすると目に激痛を伴う発作が出るようになってしまいました。もう限界のようなので、秋の農作業が落ち着いた...雑記など

  • 存在への執着と解脱

    ◇存在への執着と解脱◇私たちは、途方も無い数の転生を繰り返し、それぞれの今の至っているのだろうと考えています。悟りの行程に入る前はもちろん、悟りの行程に入った後も、おそらく幾世もかけて悟りの行程を進んで行くのだろうと考えています。なぜ、悟りの行程に入ってからもその歩みに幾世もかかってしまうのかと言うと。悟り始めても尚、悟りの階層ごとにものの見え方や感じ方が変わるため、階層ごとに人それぞれやりたいことや、やるべきことがいろいろあり、それを一通りこなさないと先に進めないのです。そして、ああでもないこうでもないと一通りのことをこなし、いくらやっても切りがないことに気づき、飽きが来るというか、これ以上続けることに嫌気がさすようになって初めて、解脱へと向かうことになるのだろうと考えています。なぜなら、そうじゃないと...存在への執着と解脱

  • 趣味やペットについて

    ◇趣味やペットについて◇お節介なことですが、趣味やペットについて少し書きます。世間では趣味が励行され、趣味が無いのは良くないことのように言われています。しかし、私はその考えには批判的です。そもそも、一生懸命生きていれば、あるいは自分の本当にやりたいことに取り組んでいれば、趣味やペットにかまけてる暇はないはずなのです。趣味やペットに忙しい人は、自分の大切なことや、取り組むべきことから目をそらし、逃げているのです。もう少し踏み込んで言えば、趣味に忙しい人は、本当にやりたいことが何か別にあるはずです。多くの場合、仕事に対する不足感が根っ子にあります。また、ペットに忙しい人は、多くの場合、異性やパートナーに対する不足感が根っ子にあります。人生の時間はとても貴重なものです。後悔の無いよう生きていただきたいと思います...趣味やペットについて

  • 親子関係と自立について

    ◇親子関係と自立について◇親子関係について少し書いてみたいと思います。親子関係は複数の要素が絡み合い、複雑かつやっかいなものになることがあります。どうしてそうなるのか、何が問題なのかと言えば、親も子も自立が出来ていないからなのです。但しここで言う自立とは、経済的な意味ではなく、精神的な意味であり、フラットな立ち位置で相手と対峙できるようになることです。別の言い方をすると、自立するとは、精神的に大人になるということです。どんなに関係が複雑に絡み合いこじれているように見えても、親側が抱えている問題要素と、子側が抱えている問題要素ははっきりと独立していて、双方とも相手側の問題要素に触れることなく、自分の問題要素の解消を図ることができます。つまり、親がいくら子に依存し、執着していても、子の方で自分の抱えている問題...親子関係と自立について

  • 「それそのもの」という囚われについて

    ◇「それそのもの」という囚われについて◇確か以前にも、似たようなタイトルで記事を書いたように思いますが、もう一度で書いてみようと思います。「それそのもの」とは禅系の覚者がよく使う言葉です。これは、それに対するの批判記事です。彼らは「それそのもの」とか、「それに成り切る」と言います。そして、それを目標(目標という言い方に語弊があるかもしれませんが)に修行すると、幾人かはそのようになるようです。しかしそもそものところ、その「それそのもの」が囚われになっているのです。それはなぜか。「それそのもの」がある特定の状態を表しており、概念だからです。つまり、彼らはまだ「それそのもの」に囚われている、執着しているのです。そこに何かピンと来るか、違和感を感じられないことにはどうにもなりません。◇「私」に意識を向ける自覚につ...「それそのもの」という囚われについて

  • 苦の雨に寄る辺なし

    ◇苦の雨に寄る辺なし◇私たちは常に何かを求めています。これが私たちの性です。悟りに対してもそうです。何かを探し求めてしまう。どこかに安住の地があるのではないかという期待を捨てきれないのです。最後の最後まで捨てきれない。私とはそういうものなのです。最後の最後まであがき続け、疲れ果て、どうしようもなくなって、諦めざるを得なくなるというか、やっと諦めが付くようになるという具合です。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキ...苦の雨に寄る辺なし

  • 現象と観照は一体

    ◇現象と観照は一体◇今回は、観照(観照意識)について少し切り口を変えて書いてみたいと思います。まず、観照意識について改めて説明します。観照意識とは、ものごとをただ観ている意識要素であり、通常は様々な思考や感情に遮られて気づきにくいですが、それなりに囚われが減り、思考や感情が減ると自然と意識の表層に現れてきます。その観照意識に気づき、観照意識を捉えることで、小悟となります。観照意識を捉えるとは、私がその観照者であることに気づくことです。この観照という現象は、悟りに関係なく、またどんなに深く悟ろうと、無くならないのです。目が覚めているときはもちろん、寝ているときも、続いています。唯一の例外として、一切の現象が消滅する滅尽定(涅槃)に落ちているときだけ、現象の消滅に伴って消滅します。なお、大悟に至ると、誤認又は...現象と観照は一体

  • 中国経済の崩壊と世界経済

    中国経済の崩壊と世界経済について、思うところを少し書いてみたいと思います。中国の不動産バブルの崩壊が一部で話題となっています。私は、中国経済はもうどうにもならない状況にあるのだろうと考えています。大きな混乱にはまだ至っていませんが、いずれコントロール不能となり、崩壊するのではないかと考えています。具体的には、食料又は銀行預金に関する不安から、いずれ中国民衆のパニック的な行動が起きるのではないかと考えています。例えば、預金不安から大規模な取り付け騒ぎが起こり、それが広範囲又は全面的な預金封鎖を誘発し、大混乱となり、崩壊に至るのではないかと考えています。そして、その中国経済崩壊の影響は世界経済に波及するのではないかと考えています。但し、その世界経済への直接的な影響は、それが直ちに世界経済を崩壊させる程のもので...中国経済の崩壊と世界経済

  • 悟りと合理性

    ◇悟りと合理性◇今回は、悟りと合理性について書いてみたいと思います。私という存在は意識であり、この世界そのものなのですが、その意識は意外なほど合理的に出来ています。おそらく正しくは、もともとの意識の特性として合理性に相当するものが先にあって、そこから我々の考える合理性という概念が生じたのだろうと思います。ともあれ、私という意識は合理的に出来ています。そのため、自ずと悟りにも合理性があり、理に適っているか否かという観点は悟りの行程を歩む際にも非常に役に立ちます。例えば、「悟りとは私(自我)を滅することである」なんてことがよく言われますが、理の観点から観れば、自我を滅するということが理に適っておらず、そもそもあり得ないことであることがわかるのです。あるいは、理の観点が育っていれば、自我を滅しようとするのは筋が...悟りと合理性

  • 輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー

    ◇輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー◇今回は、輪廻について私なりに考察を書いてみたいと思います。まず最初にハッキリと申し上げておきたいことがあります。輪廻があるのか無いのか、あるとしたらどんなものなのか等、輪廻に関する我々の疑問はいろいろありますが、輪廻があるのか否か等の核心部分に関することは、決して誰にもわからないのです。まず初めに、輪廻はあるのかついて。結論から言いますと、輪廻はおそらくあるのだろうと考えています。正確には、あると考えた方がいろいろと辻褄が合い、妥当であると考えています。そう考える理由について。一番の理由は、人の意識のバリエーションを見ていると、意識の成長度の違いを考えざるを得えないと考えるからです。二番目の理由は、私自身の個人的な経験によるものです。例えば、6、7歳の頃生まれ...輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー

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