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私を知る https://blog.goo.ne.jp/suiku2013

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。

自覚とは「私」に意識を向け、一切のことは「私」の考えであることを自覚していくことです。

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2013/06/27

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  • ツイート記事(20240701~)

    ◇ツイート記事(20240701~)◇<7月1日>◇悟りについてオープンに語り合ういつの時代も悟りは非常にマイナーで、しかも何となく秘められているような感じもあり、悟りについてオープンな場で情報が開示されたり、やり取りが行われることが余り無いようです。現代ではインターネットの普及により、それが可能になっているにかかわらず、その状況は余り変わっていないように感じます。私としては、残念であり、物足りなさを感じているところです。かと言って、何か良いアイデアがあるとか、何かそのような取り組みを始める予定がある訳でもないのですが。ネットという便利なものが普及しているのに関わらず、低調な状態が続いているというのは、必死さを持って取り組んでいる方がまだ少ないのでしょうね。あるいは、悟りはどの時代も常に極めてマイナーなも...ツイート記事(20240701~)

  • 存在と苦

    ◇存在と苦◇私という意識の活動は、苦を何とかしようとするところから起こっています。苦が私という意識の活動の源泉なのです。苦しいと思い始めた頃から、苦を何とかしようとするもがきが始まり、そのもがきがさらなる苦を生じさせ、さらにもがくようになると言った具合です。もがけばもがく程苦しくなるのですが、もがいている当人はそれがわかりません。私という存在そのもの、意識そのものが苦なのです。存在とは意識であり、世界ですから、世界そのものが苦なのです。ですから、苦は常にあるものであり、どうにもならないものなのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッショ...存在と苦

  • 執着と苦

    ◇執着と苦◇私たちは往々にして何かにしがみ付き、執着します。それはどうしてなのかと言うと、苦しいからです。何かにしがみ付くのも、何かを求めて彷徨うのも、苦しいからです。しかし、何かにしがみ付いているときは、その苦がわからなくなるのです。しがみ付くこと自体大変な苦なのですが、しがみ付くことに必死になる余りそういうこともわからないのです。それもこれも必要な過程なのかもしれませんが、いつまでやっているのかと言いたくなります。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてあ...執着と苦

  • 希望と苦

    ◇希望と苦◇私という意識は、どうして彷徨うのでしょう。そこには、漠然とした希望があります。何か素晴らしいことがあるのではないかという期待です。ではどうして、私たちは希望や期待を持ってしまうのでしょう。そこには、不足感や虚しさといった苦があります。まず初めに苦があり、その苦をどうにかしようとする展開が起こります。しかし、そうした展開もまた苦であり、止めどなく苦が連鎖し、拡大していきます。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブ...希望と苦

  • 苦と反応

    ◇苦と反応◇今回は、苦と反応という切り口で書いてみたいと思います。まずは、わかりやすいところから。あなたが痒みを感じて、それを手で掻いたとしましょう。このとき、あなたは痒みという苦を感じ、それを解消すべく手で掻いた訳です。では、あなたが何気なく手を動かすときはどうでしょう。あなたは、その手をどうして動かしたのでしょう。あるいは、あなたの手はどうして動いたのでしょう。手に限らず、何気に脚を組んだときや、脚を組み替えたときは、どうでしょう。そこに、何らかの苦があったのではないでしょうか。目に映った映像や耳に入った音に対してあたなの意識が反応するときも、同様の展開が起こっています。あなたが気になったその映像や音は、苦ではありませんか。あるいは、あなたのその意識の動きも、苦ではありませんか。苦は、日常のあらゆる事...苦と反応

  • 食べることと苦について

    ◇食べることと苦について◇暫く、苦について徹底的に書いていこうと思っています。今回は食べるということを題材に、苦について書いてみようと思います。空腹感に気づいたとき、空腹という苦が発生します。この空腹という苦は、何かを食べることでそれが満たされるまで続きます。その過程をさらに詳細に観察していきます。空腹時に何かを食べているときは、素直に幸福感を感じやすいものです。しかし、ことはそう単純なものではないのです。食べている途中は、食べることによる味覚や満足感が生じていますから、感覚がそれなりにプラス方向に底上げされており、苦を感じ難いことが多いです。しかし、食べながらも、もっと食べたいとか、もっと美味しいものを食べたいとか、お金のことが気になったり、と私という意識は忙しく活動し、それが苦を生じさせます。そして、...食べることと苦について

  • 禅の悟りについて

    ◇禅の悟りについて◇今朝のブログツイート記事でも書いたのですが、悟りについて情報や意見の交換や、試し合い等も含めて、多くの方とやり取りが出来たらと考えています。仏教系、非二元系、独覚の方など、系列にかかわらずオープンにやりとりができたらと考えています。と言いながら、また禅の悟りを批判する記事を書くのはどうなんだろうと思うところもあるのですが、改めて禅の悟りについて批判してみようと思います。つい最近、ある禅系の覚者の方のサイトを読む機会がありまして、そこには禅系の覚者の悟りや悟ったときの様子がいくつか例を挙げて書かれていました(この場では、そのサイトに関する具体的情報は伏せさせてください)。それで、彼らの悟りがさらに明確にわかった部分がありまして、それをもとに今回の記事を書いてみようと思った次第です。彼らの...禅の悟りについて

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