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私を知る https://blog.goo.ne.jp/suiku2013

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。

自覚とは「私」に意識を向け、一切のことは「私」の考えであることを自覚していくことです。

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2013/06/27

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  • 無常の誤りについて

    ◇無常の誤りについて◇今朝のツイート記事に書いたものを単独の記事として書いてみようと思います。無常、無我について(特に無常について)、これまで何となく違和感を感じたままほったらかしにしていたのですが、その違和感の内容がハッキリしたので記事にしておきます。まず最初に、無常、無我の意味の確認から。無常とは、一切のことがらは常に変化するものであるという意味です。無我とは、一切のことがらに実体が無い、あるいは絶対が無いという意味です。無常とは何を言っているのかというと、ことがらの本質的な性質について常に変化するものだと言っている訳です。これに対し、無我には、ことがらの実体の有無に関する意味合いだけでなく、ことがらに対して何らかの言及を行う際のその言及そのものに対する意味合いも含まれている訳です。つまり、無我の矛先...無常の誤りについて

  • ツイート記事(20240403~)

    ◇ツイート記事(20240403~)◇<4月3日>◇地球防衛軍ここのところ、本業の農業を頑張っていて頭がそっちに行っているせいもあり、ネタがひと段落していることもあり、ブログの更新が休み勝ちになっています。春が来る前にやっておきたかった作業が全然終わっておらず、焦っています^^;今から12年くらい前、明け渡し体験があって4、5カ月した頃、私は毎日、地球にエネルギーを送っていました。本当にエネルギーが送れていたのかどうかはかなり怪しいですwでも当時は真剣にやっていました。まずは自分が住んでいた神奈川から始めて、次に日本列島全体にエネルギーを送り、次に地球全体にエネルギーを送っていました。このワークは3、4カ月くらいやっていたように思います。最後の頃は、宇宙全体に向けてエネルギーを送ることもやっていました。そ...ツイート記事(20240403~)

  • ツイート記事(20240301~)

    ◇ツイート記事(20240301~)◇<3月1日>◇悟りに関する他者批判私は、悟りに関して他者を批判します。どうしてそうなるのか、自分でもよくわからない部分があるのですが、やっています。多くのことは放っておけるのに、なぜかそこは放っておけずに、批判してしまう。あるいは、意識的にそれは違うよと指摘しています。悟りに関して間違った情報が多く(と言うか、残念なことに大半の情報が間違っているし、釈迦が喋ったとされる経典類も改変や作り物が多く、非常にやっかいです)、それがとってもイヤなのです。なぜそこまでイヤな気になるのか。ひょっとしたら、過去世でその誤った情報に翻弄され、悔しい思いをしたことが何度もあったのかもしれないと思っています。ともあれ、この批判はまだまだ続けるつもりです!(^O^)<3月3日>◇悟りと日常...ツイート記事(20240301~)

  • 問答の限界と悟り

    ◇問答の限界と悟り◇今回は、悟りと問答について書いてみます。禅系の一部で、悟り修行に公案や問答が使われるようです。悟りに問を使うことのメカニズムは、それはそれで非常にシンプルでハッキリしているのです。結果はおそよ二種類あるようです。どちらもポイントは問への集中です。一つ目は、問への集中により、意識の囚われにより構成された外層部分が崩壊し、急激な自我感覚の希薄化が起こるのです。このとき、自我が喪失した等の錯覚が生じやすいです。二つ目は、問へのさらなる集中により、意識の囚われにより構成された外層部分の崩壊がさらに進み、主客に対する錯覚が剥がれ落ち、それらの統合体験が起こるのです。この体験をわかりやすく言うと、自分の意識あるいは存在が問そのものになるという体験です。このときも、自我が喪失した等の錯覚が生じやすい...問答の限界と悟り

  • なぜ自由意志を否定できないのか

    ◇なぜ自由意志を否定できないのか◇今回は、自由意志についてちょっと違った切り口で書いてみたいと思います。自由意志が無いと仰る方は、本当にそれで納得できているのでしょうか。納得できるはずはないのですが。なぜなら、その考えは間違っているからです。自我が無いというのも同じで、間違っています。正しくは、自我も自由意志も実体が無いのであって、有る無しについてはどちらとも言えないのです。これは私が繰り返し書いていることですが、今回の趣旨ではありません。以下が本題です。自由に意志が無いと言う方は、以下の問についてぜひ考えていただきたいのです。「自由意志が無いのなら、どうして人は後悔をするのか」◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつに...なぜ自由意志を否定できないのか

  • 正しさの追求の果て

    ◇正しさの追求の果て◇今回は、正誤、正しいことと間違ったことについて書いてみたいと思います。正誤は、善悪等の二元の概念と混同されがちですが、それらのとは本質的に異なるものです。善悪等の二元の概念は囚われであり、本来そのような区別はありません。これに対し、正誤はそれなりにしっかりとあるのです。「それなりにしっかりと」などという中途半端な言い方をするのは、本当は厳然としてあると言いたいところだけど、敢えて避けたというところです。面倒なので、最初から結論を書くような形になりますが、ご容赦ください。何が正しいのかについて、論理的に徹底的に追及していくと、必ず到達する結論があるのです。それは、「一切に根拠が無い」あるいは、「一切に絶対は無い」なのです。ここが正しさの原点であり、源なのです。これに沿ったものは正しく、...正しさの追求の果て

  • 自我の手放しという誤り

    ◇自我の手放しという誤り◇今回は自我の手放しについて書いてみます。自我を手放しは悟り界隈でよく言わることですが、間違いです。そもそも、自我を手放すことなんて不可能であり、あり得ないのです。究極的には、この世界そのものがあなという自我なのですから。自我、私、個の意識など、なんと言っても同じです。すべて私であり、手放す対象となり得るものではありません。自分は自我を手放しと言っている人が時々おられますが、それは本人の誤解であり、認識不足です。世界があり、その世界が見えている、感じられているのに、私が無いなんてことはあり得ないのです。起こってくる現象と、それを観ている、感じている観照とは、不可分であり一体なのです。悟りの行程は、囚われ(執着)を手放していく行程です。囚われの手放しを少しずつ進めていく行程を漸悟とい...自我の手放しという誤り

  • 虚無を超えて生きる

    ◇虚無を超えて生きる◇今日は、久しぶりに虚無について、思うことを書いてみたいと思います。まずは私自身のことから。私は小学校に入る頃には、社会常識や道徳等も人が決めたことであり、本来はどうでもいいことだということがそれなりにわかっていて、すべてに意味が無いこともなんとなくわかっていました。そして、生きることの面倒くささ、特に社会と関わっていくことの煩わしさを強く感じていました。余談ですが、おそらく前世で小悟か大悟を既にやっていたのだろうと思います。で、何が言いたいのかと言うと、そりゃあ、そんな人間なら虚無感を感じしてしまうのは仕方ないよなぁ、と改めて思ったのです。そこには、この世界に生まれてしまったこと、もっと言えば自分という存在が生じてしまったことへのやり場の無い怒りもあるよなぁ、と思ったのです。それもこ...虚無を超えて生きる

  • 二元的志向の矛盾と本心

    ◇二元的志向の矛盾と本心◇一切のことがらには、プラス面とマイナス面が必ずあります。これは決して避けられないのです。例えば、平等について。実際に自分で考えてみて頂きたいのですが、平等なんてものは幻想であり、皆平等なんてことはあり得ないし、不可能なのです。平等にしようとすると、必ずその裏側で不平等が増大します。平和もそうです。平和になるようにしようとすると、必ずその裏側で過度な抑圧が増大し、結果として平和から遠ざかってしまいます。権利や自由もそうで、それらを守ろうとすると、その裏側で義務や規制が必ず増大し、結果としてそれらを抑制することになってしまいます。愛だってそうです。個々の人もそうです。良い人も悪い人も、皆プラス面、マイナス面があります。^このように言うと、何をどう選択したらいいのかわからなくなってしま...二元的志向の矛盾と本心

  • 空を批判する

    ◇空を批判する◇仏教で使われる概念に、空というものがあります。今日は、その空を批判します。空は、日常的な概念について説明するためにわざわざ導入された概念ですが、この空という概念を持ち込むというやり方がそのものが既に筋が悪いのです。そもそものところ、一切のことがらは説明をすることが不可能なのです。よりわかりやすく言うと、一切のことがらは説明を尽くすことができないのです。ですから、空という概念を持ち込んだところで説明できないという状況には変わりないのです。むしろ、いたずらに概念を増やすことで余計ややこしくなってしまうだけです。わざわざ空なんて概念を持ち込まなくても、日常的な概念を使って同程度の説明は十分にできるのです。むしろ、空を持ち込まない方が、ややこしくならずに、よりわかりやすくすっきりとした説明ができま...空を批判する

  • ツイート記事(20240203~)

    ◇ツイート記事(20240203~)◇<2月3日>◇輪廻、運命最近、この周辺のことについて少し理解が進んでいます。積極的に追及している訳ではないのですが、なぜか理解が進んでいきます。例えば、この世、あの世、過去未来を含めた世界観には、階層がありそうであること。輪廻にも階層がありそうであること。運命と呼ばれるものもありそうであり、極一部の例外の除いて皆、大筋はその運命に沿って生き、死んでいっているようであること。表面的な生き方をしていては、流されるようにして運命通りの展開になってしまうのであろうこと。意識的に生きることで、ある程度運命を変えられるのであろうこと。例えば、やったやられた(加害者、被害者)の関係や、親子等の依存関係の連鎖から抜け出していくときなどは、運命を変えている可能性があること。また、悟りの...ツイート記事(20240203~)

  • なぜ悪行はいけないのか

    ◇なぜ悪行はいけないのか◇今回は、なぜ悪行はいけないのかについて、私の考えを書いてみます。善悪も囚われですから、本来、行いついても善い、悪いはありません。これは間違いありません。ではなぜ、悪行はいけないのか。私は、人として生まれてくる存在は、性分として善的志向を持っていると考えています。人々の行いを善悪の観点から観れば、実際に表出する行いは種々あります。しかし、実のところは、誰しも出来れば悪いことではなく、善いことをしたいという想いを持っています。これは、どんなに悪いことをしている人でも、本心はそうなのだと考えています。ところが、実際に生きていく中では、表面的な欲や価値観、そこから派生する損得勘定や感情等に流され、本心に反する行いをしてしまうことが多々あります。生きることは難しく、仕方のないことでもありま...なぜ悪行はいけないのか

  • 肯定と否定

    ◇肯定と否定◇今回は、肯定と否定について書いてみます。ものごとに対するアプローチとして、肯定的アプローチと否定的なアプローチがあります。両者を比べると、イメージ的にも肯定の方がいいですし、受け入れやすいです。否定はどうしても、辛く、受け入れ難い。そのため、否定はどうしても受けが悪いです。また、両者の特性として、肯定は女性的あるいは母性的であり、否定は男性的あるいは父性的であると言うこともできます。昨今は社会的にも男性性不在あるいは父性不在の時代となっていて、否定的アプローチに対する風当たりが強いです。悟りの世界でも、良い悪い等の二元の囚われた落ちる小悟の辺りまでは肯定的アプローチが有効であり、またその階層周辺に属する人々の数も多いことから、どうしても肯定派が優勢となりやすいです。しかしそもそものところ、悟...肯定と否定

  • 悟りと覚悟

    ◇悟りと覚悟◇悟りよりもまず先に、生きること、人生への取り組みがあります。悟りは、生きるという営みの中の一要素に過ぎません。ですから、悟り云々の前に、如何に生きるか、生きる姿勢が重要です。私はこの点について、自身の本心に向き合って生きることが大切だと繰り返し書いてきました。しかし、それは実際にはなかなか難しいようです。どうして難しいのか。何が難しくしているのか。もっと言えば、何が足りないのか。私は、次の二つに集約されるのではないかと考えています。一つは、後悔しないという決意(あるいは、後悔しないようにするという決意)。もう一つは、どんな人生になろうと受けて立つ覚悟(あるいは、どんな人生でも受けて立つ覚悟)。特に、上の二つ目の覚悟が要になっていると考えています。多くの方々は、その覚悟が足りないのです。覚悟が...悟りと覚悟

  • 滅尽定と入滅とその関連(2)

    ◇滅尽定と入滅とその関連(2)◇前回記事の続きです。私とは、パッ、パッ、パッと断続的かつ連鎖的に連なる識の連鎖として捉えることができます。この識の連鎖という観点から見たとき、それは否応なく自動的に展開していきますから、そこには自由意志を含めて自我の存在も無いかのように感じられます。しかし、だからと言って自我は無いと考えてしまうのは、私は間違いであり、大切な要素を見落としてしまうことになると考えています(かと言って、自我があると言うのもまた間違いなのですが)。識の展開、自我の活動、どちらも幻ですが、私は、自我の活動が識の展開に大きく影響を与えているのではないかと考えています。以前の記事で、各コマを構成するひとつひとつの識には、その識をそのものを認識する自己認識機能が含まれており、それが自我の主体感覚の源泉で...滅尽定と入滅とその関連(2)

  • 滅尽定と入滅とその関連

    ◇滅尽定と入滅とその関連◇首記のテーマについて、思い付くことを書いてみたいと思います。死んだとき、できればもう終わりにしたい、これ以上はやりたくないという想いがありまして、入滅という現象の有無や可否について興味があります。これ以上はもうどうすることもできないので、後はなるようになっていくだけなのはわかっているのですが、やっぱり興味があります。ちなみに、ここで問題としているのは、死んだときに、そこで存在が終わって一切が消えるのか、それとも存在の展開が続いていくのかということです。予め書いておきますと、結論は残念な程ハッキリしていて、いくら考えても死んだときにどうなるかは決してわからないのです。どんなに悟っていても、またどんな能力を持っていても、死んだときにどうなるかは決して誰にもわからない。知ったようにいろ...滅尽定と入滅とその関連

  • 生きることは悟ることより難しい

    ◇生きることは悟ることより難しい◇悟りというと、それがとても大きなものであり、人生の最終目標であるかのように考える方がおられますが、それは誤解です。悟ることが人生の目的となることはありません。あくまでも、生きることそのものが目的なのです。悟りを余り過大に評価しないでください。悟りは人生の営みに含まれる一要素に過ぎません。悟りに崇高さを感じるのは、悟りが崇高だからではありません。それは、生きることそのものの崇高さを感じているのです。悟りに難しさを感じるのは、悟りが難しいからではありません。それは、生きることそのものの難しさを感じているのです。生きることは、悟ることより難しいのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつに...生きることは悟ることより難しい

  • ツイート記事(20231230~)

    ◇ツイート記事◇<12月30日>◇エックス(ツイッター)はどうも気に入らないので、それに少し似た形で切れ端のような文章を書いてみようと思います。やり方は、ブログ記事の形で、記事の最後に順番に追記していく方法でやってみようと思います。内容は悟りから世情、個人的なことなど、何でも書いていく予定です。◇例の注射の件例の注射に関する情報が、あちこちで表面に出てきているようですね。情報はいくらでもありますが、例えば次のものがあります(及川さんは有名な宗教組織の有力な信奉者のようなので、どうかなぁというところはありますが^^;)。https://twitter.com/oikawa_yukihisa/status/1737094523539595336リンクはこれです。◇陰謀論注射のことについて触れたので、陰謀論まで...ツイート記事(20231230~)

  • 目を覚ませ

    ◇目を覚ませ◇自分は何をしようとして生まれてきたのか、思い出せ。目を覚ませ。自分にとって何が一番大切なのか。これでよかったのか、このままでいいのか。同じ失敗を繰り返してないか、後悔を重ねてないか。死ぬときに、自分はよくやったと言えるのか。自分をごまかすな。妥協するな。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキングへ目を覚ませ

  • 教団と悟り

    ◇教団と悟り◇ツイッター記事で軽く書こうかと思って書き始めたのですが、単独記事として書くことにしました。これは、仏教系を含めた方々に対する批判です。教団内にいて深い悟り、特に解脱が生じ得るものなのかについて、私は非常に困難だろうと考えています。無理と言ってもいいのではないかと考えています。主に仏教系の教団を念頭に言っています。大乗だけでなく、上座部も含めての話です。それはなぜかと言いますと。第一に、教団に対する依存があるはずであり、それが邪魔になります。教団に守られ、依存している状態でやれるほど甘いものではない。第二に、教団に属するような方は、釈迦を含め、仏典や先人の言動を含めた教団の伝統に関する囚われが強すぎるのです。それらをフラットに見れず、信じ込んでしまったり、頼ってしまうのです。教団の教えが合って...教団と悟り

  • 夢、現実、転生

    ◇夢、現実、転生◇首記のテーマについて、とりとめのない文章を書いてみようと思います。おそらく、上手くまとまらず、何が言いたいのかわかりにくい内容になりそうですが、取り敢えず書いてみます。最近、自分の夢を観察していてよく思うことがあります。それは、夢の中の私の人格特性における表面的な部分は夢によって多少の変化がありますが(行動的だったり、人前に出ていくタイプだったり、その反対だったり等)、コアの部分はどの夢の中でも同じだし、この現実世界の私とも同じだということです。基本的にお人好しで、真面目なんです。でも、芯の部分はこうだという譲れない部分がしっかりあって、そこはとても骨っぽいんです。ここで一つ思ったことありまして。それは、私の人格特性のコアの部分は、現実と夢だけではなく、転生に関しても継続していくのではな...夢、現実、転生

  • 精神の成長と恐怖心

    ◇恐怖心と悟り◇精神の成長度と恐怖心には相関があります。精神が成長するに連れ、種々の恐怖心も薄くなっていきます。恐怖心が強いうちはまだまだ子供であり、精神的に独り立ちもできません。精神が成長し、大人になり、諸々のことを経験すると、自ずと悟りの道に入っていきます。それでも、最初の頃はまだいくつかの恐怖心を残しています。死に対する恐れや、得体の知れないものに対する恐れや、存在が消滅することへの恐れなどです。上に具体的に挙げた三つのうち、意外にしぶとく残るのが実は二つ目の恐れなのかも知れないと思います。その二つ目の恐れの有無を確かめる方法があります。それは独りきりで苦や闇で行う瞑想です。それをやっていると、突然自己の妄想が渦を巻くように拡大し、耐えられない程の恐怖心が起こることがあります。瞑想をやってみて、自分...精神の成長と恐怖心

  • 予定された覚醒

    ◇予定された覚醒◇悟りに入る切っ掛けの一つに覚醒があります。その覚醒には、ひょっとすると予め予定されたものがあるのではないかと考えています。時限装置が起動するようにしてあるタイミング、あるいはある状況が訪れると、自発的に覚醒が起こるというような。例えば、2012年の暮れに私自身に起こった明け渡しも、その可能性があると考えています。あのとき、2012年が終わりに近づいた頃、ネットでチラッと見たマヤ暦の終わりのことがなぜか急に気になりだし、急にソワソワし始めたのを覚えています。そして、明け渡しが起こる何日か前からデジャブが起こっているかのような体験や妙な心理状態となり、その日を迎えました。また、もしそのような予定された覚醒があるとすれば、それは前世の悟りと関係しているのではないかと考えています。おそらく、前世...予定された覚醒

  • 根源的な二つの謎(2)ー認識論の観点からー◇

    ◇根源的な二つの謎(2)ー認識論の観点からー◇前回記事の続きです。私は、私自身を含めたこの世界の謎は根源的に次の二つに集約されると考えています。一つは、この世界(宇宙と言ってもいいです)とは何なのか、なぜあるのかです。もう一つは、私とは何なのか、なぜあるのかです。一つ目の世界に関する謎は、自然現象に着目し、それは何なのかという問いを追求していけば必然的に突き当たるものです。これに対し、二つ目の私に関する謎は、着目されにくく、捉えるのも難しく、余り問題として挙がりにくいものです。唯物論の方々は、私という意識は物質的な自然現象として説明できるはずであり、根本的な謎ではないと捉えていると思います。この点に関し、私は、私という意識は物質的な自然現象の上に成り立っているものではなく、物質的な自然現象として説明するの...根源的な二つの謎(2)ー認識論の観点からー◇

  • 根源的な二つの謎(1)ーわかることの限界ー

    ◇根源的な二つの謎(1)ーわかることの限界ー◇私は、私自身を含めたこの世界の謎は根源的に次の二つに集約されると考えています。一つは、この世界(宇宙と言ってもいいです)とは何なのか、なぜあるのかです。もう一つは、私とは何なのか、なぜあるのかです。但し、初めに言っておきますと、この二つの謎は解明不可能なのです。絶対に不可能なのです。そもそも、私たちが本当の意味で解明できること、あるいは本当の意味でわかることなんて何もないのです。今回のお題である謎について書く前に、わかることの限界について書いてみようと思います。わかることの限界について説明するためには、まずはわかるとはどういうことなのかについて説明する必要があります。わかるという現象(意識的な現象です)が生じるときには、必ずその背景、あるいは前提、あるいは土台...根源的な二つの謎(1)ーわかることの限界ー

  • 雑記など

    雑記など、少し書いてみようと思います。まずは、個人的なこと。健康問題。私は身体が余り強い方ではないのですが、若い頃からいろいろ無理してきたのもあり、その上、3年前から始めた農業による肉体的な負担も重なり、あちこちと身体のガタが目立つようになってきました。つい先日は、またコロナ(おそらく4回目)にかかってしまい、一週間以上も寝込んでしまいました。ワクチンは一度も打ってないのですが、それにしても4回もかかってしまうというのは、自分の身体がどうかしているのだろうと思っています。左目の緑内障(隅角狭窄型緑内障)も、自然治療等も含めてこれまでだましだましなんとかやってきたのですが、もうそろそろ限界のようで、少し無理をすると目に激痛を伴う発作が出るようになってしまいました。もう限界のようなので、秋の農作業が落ち着いた...雑記など

  • 存在への執着と解脱

    ◇存在への執着と解脱◇私たちは、途方も無い数の転生を繰り返し、それぞれの今の至っているのだろうと考えています。悟りの行程に入る前はもちろん、悟りの行程に入った後も、おそらく幾世もかけて悟りの行程を進んで行くのだろうと考えています。なぜ、悟りの行程に入ってからもその歩みに幾世もかかってしまうのかと言うと。悟り始めても尚、悟りの階層ごとにものの見え方や感じ方が変わるため、階層ごとに人それぞれやりたいことや、やるべきことがいろいろあり、それを一通りこなさないと先に進めないのです。そして、ああでもないこうでもないと一通りのことをこなし、いくらやっても切りがないことに気づき、飽きが来るというか、これ以上続けることに嫌気がさすようになって初めて、解脱へと向かうことになるのだろうと考えています。なぜなら、そうじゃないと...存在への執着と解脱

  • 趣味やペットについて

    ◇趣味やペットについて◇お節介なことですが、趣味やペットについて少し書きます。世間では趣味が励行され、趣味が無いのは良くないことのように言われています。しかし、私はその考えには批判的です。そもそも、一生懸命生きていれば、あるいは自分の本当にやりたいことに取り組んでいれば、趣味やペットにかまけてる暇はないはずなのです。趣味やペットに忙しい人は、自分の大切なことや、取り組むべきことから目をそらし、逃げているのです。もう少し踏み込んで言えば、趣味に忙しい人は、本当にやりたいことが何か別にあるはずです。多くの場合、仕事に対する不足感が根っ子にあります。また、ペットに忙しい人は、多くの場合、異性やパートナーに対する不足感が根っ子にあります。人生の時間はとても貴重なものです。後悔の無いよう生きていただきたいと思います...趣味やペットについて

  • 親子関係と自立について

    ◇親子関係と自立について◇親子関係について少し書いてみたいと思います。親子関係は複数の要素が絡み合い、複雑かつやっかいなものになることがあります。どうしてそうなるのか、何が問題なのかと言えば、親も子も自立が出来ていないからなのです。但しここで言う自立とは、経済的な意味ではなく、精神的な意味であり、フラットな立ち位置で相手と対峙できるようになることです。別の言い方をすると、自立するとは、精神的に大人になるということです。どんなに関係が複雑に絡み合いこじれているように見えても、親側が抱えている問題要素と、子側が抱えている問題要素ははっきりと独立していて、双方とも相手側の問題要素に触れることなく、自分の問題要素の解消を図ることができます。つまり、親がいくら子に依存し、執着していても、子の方で自分の抱えている問題...親子関係と自立について

  • 「それそのもの」という囚われについて

    ◇「それそのもの」という囚われについて◇確か以前にも、似たようなタイトルで記事を書いたように思いますが、もう一度で書いてみようと思います。「それそのもの」とは禅系の覚者がよく使う言葉です。これは、それに対するの批判記事です。彼らは「それそのもの」とか、「それに成り切る」と言います。そして、それを目標(目標という言い方に語弊があるかもしれませんが)に修行すると、幾人かはそのようになるようです。しかしそもそものところ、その「それそのもの」が囚われになっているのです。それはなぜか。「それそのもの」がある特定の状態を表しており、概念だからです。つまり、彼らはまだ「それそのもの」に囚われている、執着しているのです。そこに何かピンと来るか、違和感を感じられないことにはどうにもなりません。◇「私」に意識を向ける自覚につ...「それそのもの」という囚われについて

  • 苦の雨に寄る辺なし

    ◇苦の雨に寄る辺なし◇私たちは常に何かを求めています。これが私たちの性です。悟りに対してもそうです。何かを探し求めてしまう。どこかに安住の地があるのではないかという期待を捨てきれないのです。最後の最後まで捨てきれない。私とはそういうものなのです。最後の最後まであがき続け、疲れ果て、どうしようもなくなって、諦めざるを得なくなるというか、やっと諦めが付くようになるという具合です。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキ...苦の雨に寄る辺なし

  • 現象と観照は一体

    ◇現象と観照は一体◇今回は、観照(観照意識)について少し切り口を変えて書いてみたいと思います。まず、観照意識について改めて説明します。観照意識とは、ものごとをただ観ている意識要素であり、通常は様々な思考や感情に遮られて気づきにくいですが、それなりに囚われが減り、思考や感情が減ると自然と意識の表層に現れてきます。その観照意識に気づき、観照意識を捉えることで、小悟となります。観照意識を捉えるとは、私がその観照者であることに気づくことです。この観照という現象は、悟りに関係なく、またどんなに深く悟ろうと、無くならないのです。目が覚めているときはもちろん、寝ているときも、続いています。唯一の例外として、一切の現象が消滅する滅尽定(涅槃)に落ちているときだけ、現象の消滅に伴って消滅します。なお、大悟に至ると、誤認又は...現象と観照は一体

  • 中国経済の崩壊と世界経済

    中国経済の崩壊と世界経済について、思うところを少し書いてみたいと思います。中国の不動産バブルの崩壊が一部で話題となっています。私は、中国経済はもうどうにもならない状況にあるのだろうと考えています。大きな混乱にはまだ至っていませんが、いずれコントロール不能となり、崩壊するのではないかと考えています。具体的には、食料又は銀行預金に関する不安から、いずれ中国民衆のパニック的な行動が起きるのではないかと考えています。例えば、預金不安から大規模な取り付け騒ぎが起こり、それが広範囲又は全面的な預金封鎖を誘発し、大混乱となり、崩壊に至るのではないかと考えています。そして、その中国経済崩壊の影響は世界経済に波及するのではないかと考えています。但し、その世界経済への直接的な影響は、それが直ちに世界経済を崩壊させる程のもので...中国経済の崩壊と世界経済

  • 悟りと合理性

    ◇悟りと合理性◇今回は、悟りと合理性について書いてみたいと思います。私という存在は意識であり、この世界そのものなのですが、その意識は意外なほど合理的に出来ています。おそらく正しくは、もともとの意識の特性として合理性に相当するものが先にあって、そこから我々の考える合理性という概念が生じたのだろうと思います。ともあれ、私という意識は合理的に出来ています。そのため、自ずと悟りにも合理性があり、理に適っているか否かという観点は悟りの行程を歩む際にも非常に役に立ちます。例えば、「悟りとは私(自我)を滅することである」なんてことがよく言われますが、理の観点から観れば、自我を滅するということが理に適っておらず、そもそもあり得ないことであることがわかるのです。あるいは、理の観点が育っていれば、自我を滅しようとするのは筋が...悟りと合理性

  • 輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー

    ◇輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー◇今回は、輪廻について私なりに考察を書いてみたいと思います。まず最初にハッキリと申し上げておきたいことがあります。輪廻があるのか無いのか、あるとしたらどんなものなのか等、輪廻に関する我々の疑問はいろいろありますが、輪廻があるのか否か等の核心部分に関することは、決して誰にもわからないのです。まず初めに、輪廻はあるのかついて。結論から言いますと、輪廻はおそらくあるのだろうと考えています。正確には、あると考えた方がいろいろと辻褄が合い、妥当であると考えています。そう考える理由について。一番の理由は、人の意識のバリエーションを見ていると、意識の成長度の違いを考えざるを得えないと考えるからです。二番目の理由は、私自身の個人的な経験によるものです。例えば、6、7歳の頃生まれ...輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー

  • 私が無いというのも、私があるというのも間違い

    ◇私が無いというのも、私があるというのも間違い◇私が無いと言っても間違いであり、私があると言っても間違いなのです。私には実体が無いと言うのが正解なのです。大悟まで至ると、このあたりことが凡そスッキリとわかって来ます。腑に落ちてしまえば、とてもシンプルかつ当たり前のことなのですが、簡単なことではありません。見当違いやわかったつもりなど、何度も何度も(おそらく何世も何世も)繰り返し、やっとわかることなのだろう思います。なお、ある無しの問題は、私に限ったことではありません。一切のことがらについてそうなのです。私を含む一切のことがらについて、あるとも言えないし、無いとも言えないのです。実体が無いと言うが正しいのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方...私が無いというのも、私があるというのも間違い

  • そもそも私とそれ以外の事象を分けられるのか

    今日も、「私が無い」と言う覚者たちへの批判記事を書きますwもうね、これはライフワークですね(^O^)◇そもそも私とそれ以外の事象を分けられるのか◇悟って私が無くなったなどとたわけたことを言っているのは、何が足りないのかと言うと、私という意識に対する追及が足りないのです。この世界の事象について、そもそも、私というものと、それ以外の事象とを分けられるものなのか。私無しに(特に、私に関する認識作用無しに)、この世界の事象が成立し得るものなのか。軽はずみに「私は滅した(悟った)」と言ってしまう前に、まずはこのあたりのことをもっと追及し、確かめるべきなのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント...そもそも私とそれ以外の事象を分けられるのか

  • 近況など

    久しぶりに近況など書いてみたいと思います。仕事など。農業は相変わらず苦戦中しておりまが、頑張っています。立地条件やら圃場の条件など条件が厳しすぎて、仕事として成り立たない、無理だと泣き言を言いながらも続けています。夜寝ながらも、今の条件で農業収益を上げる方法はないかと考え続けてますし、昼間は体が壊してしまうくらいやっています。自分でもどうしてそこまでやるのかわかりませんが、やる気があるようです。最近気づいたのですが、私って人生で大きなことで諦めたり挫折したことが無いんです。やりたいと思い続けているうちは、投げ出しそうになりながらもやり続け、最後はそれなりに成就してしまうか、成就する前にもういいかと納得してしまうのです。だから今回取り組んでいる農業も、そんな感じなんだろうと思ったのです。ただ、世界経済もその...近況など

  • 意識に関する考察(6)ー主客の統合についてー

    ◇意識に関する考察(6)ー主客の統合についてー◇意識に関する考察に関する記事は、前回の記事で終わりにしたつもりだったのですが、悟りの過程で起こる主客の統合について改めて考えていて、さらに整理がついたといいますか、ハッキリとしてきたところがありますので、記事にしてみたいと思います。前回までの記事で、私という存在は意識(正確にパッ、パッ、パッと連鎖的に生じる識の連鎖)であり、そのひとつひとつの識に、その識を認識する自己認識という要素が一体的に含まれていることを書きました。そして、そもそも主客という概念は誤解であり、その自己認識が私という自我の主体的感覚の源泉であり、そこから客体的感覚も派生していることを書きました。主格の概念が誤解であることがハッキリしたので、「観るものは観られるもの」等の主客の統合は悟りの本...意識に関する考察(6)ー主客の統合についてー

  • 5月28日名古屋お話会の取りやめ

    ◇5月28日名古屋お話会の取りやめ◇明後日の名古屋お話会は、本日5月26日の時点で参加希望者がおられないため、取りやめることにしました。正直、参加者は少ないだろうなとは思っていましたが、ゼロとはとんだ見当違いでした(>_<)笑ってちょうだいwお話会は当面しないことにします。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキングへ5月28日名古屋お話会の取りやめ

  • 誰しも十分な才能を持っている

    ◇誰しも十分な才能を持っている◇多くの方は気づず過ごしていますが、誰しも皆、十分な才能を持って生まれてきています。但し、ここで言う才能とは、頭が良いとか、運動神経が良い等の通常の意味ではありません。ここで言う才能とは、各自の人生を生きるために必要な才能のことです。自分の才能に気づけないのは、よそ見ばかりして自分の人生を生きられてないからです。他の人のことはもういいじゃないですか。自分に目を向け、自分の本当に大切なこと、やりたいことは何かを考えてください。そして、自分の人生に取り組んでください。あなたには十分な能力があり、準備はいつも出来ています。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」の...誰しも十分な才能を持っている

  • 2023年5月28日名古屋お話会のご案内

    ◇2023年5月28日名古屋お話会のご案内◇対面でのお話会は長らく中断していましたが、8年ぶりに再開してみたいと思います。場所は名古屋で、名古屋駅から2、30分以内で到着可能なレンタルスペースで行いたいと考えています。使用するレンタルスペースは、例えばこのリンク先を予定しております(あくまでも一例です)。お話会の内容については、基本的に自覚については毎回盛り込もうと考えておりますが、特には設定せず、ご要望、質疑応答、その場の雰囲気に応じて成り行きに任せてみようと考えています。◇開催日時:2023年5月28日13時~15時(2時間)(会場はお支払い後、メールでご連絡します)◇定員:12名程度を予定◇料金:5000円◇申し込み方法等:①お話会料金のお支払いお支払いは、下記リンク先のnoteのサイトにて記事をご...2023年5月28日名古屋お話会のご案内

  • 動画の紹介ー【脳腫瘍】病と闘った7年間ー

    ◇動画の紹介ー【脳腫瘍】病と闘った7年間ー◇仕事の休憩時間にパソコンを開いたら、動画リストに挙がってきたので観たのですが、紹介させていただこうと思います。病の中懸命に生きた若い女性の記録です。このリンクからどうぞ。動画の紹介ー【脳腫瘍】病と闘った7年間ー

  • 死に逃げるな!

    死に逃げるな!最後まで向き合え!!バカたれ!!!死に逃げるな!

  • 悟りのかたちに囚われない

    ◇悟りのかたちに囚われない◇昨今、ネットや書籍を通じて悟りに関する情報へのアクセスが容易になっています。私のこのブログもそうです。一切のことがらは一長一短ありますから、そのような情報に触れることにも一長一短あります。その情報が誤ったものである場合は勿論ですが、正しいものでも弊害は必ずあります。一番の弊害は、答えを先に知ってしまうことにより、悟りに関するかたち(概念)が出来上がってしまうことです。答えを先に知ってしまうことで、そのかたちに自分をはめ込もうとしてしまうのです。悟りの行程は、こうあるべき等の既存の枠組みから脱却していくものであるはずなのに、知らないうちに新たな枠に嵌ってしまうことになり兼ねないのです。外側から入る情報には答えはありません。どのような情報もヒントに過ぎません。どうぞ、悟りのかたちに...悟りのかたちに囚われない

  • まずは大人になること

    ◇まずは大人になること◇多くの方は大人になれていません。高校生くらいならまだましな方で、中学生や小学生くらいで精神の成長が止まってしまっている方々が大半です。残念なことですが、皆さん、自分がどう生きるのかを自分で決められない方ばかりです。自分のことを自分で決められないないのです。どうしてそうなるのか。自立ができていないのです。自分がどう思うかではなく、人や社会の見方や考えばかりを気にしているからそうなるのです。自立ができてないから、生き方の軸も育たないのです。本当にそれでいいのでしょうか。そのまま人生の貴重な時間を消費してしまっていいのでしょうか。あなたの本心を置き去りのままにしていいのでしょうか。まずは大人になることです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自...まずは大人になること

  • 近況など

    久しぶりに近況など書いてみたいと思います。◇農業と危機対応がんばってやっています。農業をやろうと思った理由の一つに、危機対応があるため、農業は主食系を中心にやっています。米、大豆、芋類です。栽培手法は、無農薬栽培です(農薬は健康に良くないので)。農業を始めて今年3年目なので、農業の要領はそれなりにわかってきました。しかし、農業での収入が上がらず、農業という仕事の難しさを実感しています。ここ2年くらいはかなり農業に注力してきたのですが、最近は少し割り切っておりまして、農業を上手くやることよりも、危機対応の方が大切なので、そちらの方にウエイトを移して行こうと考えています。農業だけでは収入が足りないので、何か農業と併行してやれる働き口を考えています。◇悟り関連販売中の自覚のヒントは、ポツリポツリと買っていただい...近況など

  • もう一度悟りの階梯についてー自我を捉えることの意義ー

    ◇もう一度悟りの階梯についてー自我を捉えることの意義ー◇悟りの階梯には小悟、大悟、解脱と三つの階層がありますが、どの階層に至るときも、私に意識を向け、自我を捉えることが重要な要になっているのだということが、なぜかここ1、2年くらいでより明確になってきました。今日は、その周辺のことをまとめてみようと思います。まず、小悟について。小悟に至る際には、まずはその下準備として良い悪い等の二元的な囚われの手放しが済み、思考や感情が減っている必要があります。この囚われの手放しは、明け渡しや禅の頓悟のような体験によって一気に生じることがあります(私自身は、明け渡し体験に伴って手放しが生じました)。しかし、多くの場合、これだけでは小悟には至り切れないのだろうと考えています。小悟に至るには、日常的な私という自我のもう一つ深層...もう一度悟りの階梯についてー自我を捉えることの意義ー

  • 意識に関する考察(5)ー続々・自己認識と主客の問題についてー

    ◇意識に関する考察(5)ー続々・自己認識と主客の問題についてー◇前回の記事「意識に関する考察(4)ー続・自己認識と主客の問題についてー」の続きです。前回の記事では、我々が日常的に得ている主客の感覚や認識は、誤解であり幻想であろうと書きました。今回は、これまで書いた一連の記事のまとめ的なものを書こうと思います。まず、今回の考察での結論をまとめます。何かを認識するという現象には、その何かに関する認識現象(例えば、目の前のパソコン画面を目で見たときの画像に関する認識)の他に、その認識そのものを認識する現象(これをここでは自己認識と言っています)が同時かつ一体に含まれている。例えば、私(主体)がパソコン画面(客体)を認識しているというような、我々の日常的な主客の感覚や認識は、誤解あるいは幻想であり、本質的なもので...意識に関する考察(5)ー続々・自己認識と主客の問題についてー

  • 意識に関する考察(4)ー続・自己認識と主客の問題についてー

    ◇意識に関する考察(4)ー続・自己認識と主客の問題についてー◇前回の記事「意識に関する考察(3)ー自己認識と主客の問題についてー」の続きです。前回の記事では、自己認識に主客の構造を当てはめてみました。そして、何かを認識するという現象が起こったとき、その認識である客体的な要素と、その認識そのものを認識する主体的な要素である自己認識が一体かつ同時に起こっていると書きました。私はこのブログで、私(世界と言ってもいいですが)とは連鎖的な意識の展開であると繰り返し書いておりますが、上記の観点からこの意識の展開について考えると、その展開のひとコマひとコマにおいて、主体的な要素である自己認識と、客体的な要素でさる認識とが言わば表裏一体に統合された状態で常に生じているということになります。私は、この自己認識という現象が私...意識に関する考察(4)ー続・自己認識と主客の問題についてー

  • 意識に関する考察(3)ー自己認識と主客の問題についてー

    ◇意識に関する考察(3)ー自己認識と主客の問題についてー◇前回の記事「意識に関する考察(2)ー自己認識と観照意識ー」の続きです。いろいろバタバタと忙しく、ほったらかしている間に随分時間が経ってしまいました。自己認識と主客の関係は、当初簡単に整理して説明できることだと考えていました。忙しくしていて考える暇もなかったのですが、やっと最近になってハッキリとしてきました。以前、「自我の二相性と主客の統合」という記事を書いたのですが、この記事に書いた主客の捉え方を大きく修正する必要があるようです。私自身、まだ整理し切れてないところもありますが、取り敢えず記事にしてみようと思います。まず最初に、主客に関する普通の捉え方についての確認です。主体とは何かを認識する私という自己のことであり、客体とはその認識対象のことです。...意識に関する考察(3)ー自己認識と主客の問題についてー

  • 無我をめぐる誤解

    ◇無我をめぐる誤解◇これまで無我をめぐる誤解について何度か記事を書いてきましたが、今回はそれらをひとつにまとめてみようと思います。一つ目は、無我とは私がないことであるという誤解です。原始仏教等で悟りの三要素として、無常、無我、苦が挙げられることがありますが、この無我とは、私(自我)がないという意味ではないのです。この無我とは、一切に実体がないという意味なのです。自我との関係で言えば、無我には私という実体がないことも含んでいます。なお、私という実体がないことと、私がないは、意味が異なります。二つ目は、私がないの誤解です。悟りに関連した体験に伴って、私がなくなったような感覚(錯覚)が生じることがあります。このような錯覚は、悟りの行程をある程度の幅で一気に進んだときに起こりやすいです。悟りの行程を一気に進むと、...無我をめぐる誤解

  • 意識に関する考察(2)ー自己認識と観照意識ー

    ◇意識に関する考察(2)ー自己認識と観照意識ー◇前回の記事「意識に関する考察(1)ー自己認識についてー」の続きです。また少しわかったことがありましたので、書いておきたいと思います。前回の記事では、私という意識の本質的要素に自己認識があり、これは何かを認識するという現象に一体となっていると書きました。つまり、認識という現象には、例えば視覚を通してPC画面を認識したとき、認識の内容に関する要素(PC画面に関する認識)と、その認識自体を認識する自己認識とが一体に含まれていると書きました。今日は土砂降りの雨が降って農作業が出来ないので、その周辺のことについて考えていました。具体的には、自己認識を主客の観点からどう捉えればいいのかについて考えていました。その中で、自己認識とは何だろうと改めて考えていたとき、閃きまし...意識に関する考察(2)ー自己認識と観照意識ー

  • 意識に関する考察

    ◇意識に関する考察◇ここ何カ月か、自我(意識)の本質について時々ですが考えています。正直なところ、私自身も自我の本質についてまだまだよくわからないところがありまして、最終的な悟りに至ってもう8年にもなるのに未だにその理解が少しずつ進むようです。全てのことに根拠はなく、完全に解明することは不可能であることはわかってはいるのですが、自我の本質についてまだ興味があるようで、眠れない夜や明け方早くに目が覚めたときなどに考えています。例えば、今年4月の記事「自我の本質と自己認識」に書いた自我の本質的な要素に自己認識が含まれているという理解は、割と最近になってハッキリとしてきたものです。4月の記事では、私たち自我の本質的な仕組みとして、何か認識が起こったときに、それと同時に、その認識を認識するという自己認識が起こって...意識に関する考察

  • なんでもお話し伺います(有料)

    ◇なんでもお話し伺います(有料)◇スカイプを使って有料でお話しを伺う対応を始めました。お話の内容はなんでも構いません。◇対応内容お話しになりたいことを何でも伺います。当方は基本的に聞き役に徹します。ご要望に応じて、可能な範囲でアドバイスさせていただきます。秘密は厳守いたします。◇料金等・30分:3500円・1時間:6000円◇対応可能な日時日曜以外の日中は農作業をしておりますので、基本的にそれ以外の時間帯にて対応させていただきます。・平日、土曜、祝日の午後7時から10時・日曜の午前8時から12時、午後1時から6時、午後7時から10時◇お申込み方法①お話し料金のお支払い料金のお支払いは、下記リンク先のnoteのサイトにて、ご希望のお話し時間(30分、1時間)に対応した記事をご購入いただくことで、お支払い完了...なんでもお話し伺います(有料)

  • 幼稚化とパニック

    ◇幼稚化とパニック◇この周辺のことをもう少し明確に書いておこうと思います。幼稚化とは、民衆の幼稚化のことです。私は、世界的な規模で民衆の幼稚化が急速に進んでいると考えています。幼稚化は、過剰な楽観と恐怖心(悲観)を伴います。これまでのところは、過剰な楽観が優位に推移し、コロナの出現などで恐怖心が拡大してきている状況でしょうか。しかし、まだ楽観の方が優位な状況でしょう。これがいずれ、何らかの切っ掛けで恐怖心に火が着き、パニックを誘発するだろうと考えています。そのとき、世界の経済システムは崩壊するだろうと考えています。パニックの発生は、食料不安か銀行の預金不安の連鎖によるものではないかと考えています。もし経済システムが崩壊すると、流通が止まりますから、都市部を中心に深刻な食料不足やライフラインの問題が発生しま...幼稚化とパニック

  • 中国経済はもうダメか(小声

    どうしようか迷ったのですが、書いておくこといしました。先日、中国の国営大手銀行で取り付け騒ぎが起こていることを書きましたが、中国政府はなんと、その取り付け騒ぎを抑えるため、街に戦車部隊を投入しました。今回は動画も貼ってみます(これです)。中国経済はもう既に崩壊しているだと思います。明日は、我が身です。中国経済はもうダメか(小声

  • 私の生い立ち(大学入学から就職前まで)

    有料記事「私の生い立ち(大学入学から就職前まで)」を書きましたので、興味のおありの方は、こちらのnoteサイトにてご購入ください。文字数は約7800字で、文庫本にして約13ページです。値段は200円です。◇私の生い立ち(大学入学から就職前まで)◇◇大学時代大学には、1年の自宅浪人を経て入りました。大学は、東京に出てみたかったので東京の大学にしました。入学した大学は、夜間部の物理学科で都心部にありました。なぜ夜間部にしたかと言うと、私の学力レベルでも入れたのと、もしお金が足りなくなっても昼間働けばいいだろうと考えたからでした。必要な学費等は、母からの仕送りと、奨学金をあちこちから3つ借りて賄いました。下宿は、大学から見て西側方面(中野、吉祥寺方面)よりも下町の東側方面(錦糸町、新小岩)の方が家賃が安そうなの...私の生い立ち(大学入学から就職前まで)

  • 自覚のヒント

    このブログに書いてある自覚に関するエッセンスをひとつにまとめて、「自覚のヒント」という有料記事を書きました。内容は、このブログのあちこちに書いているものが大半ですが、悟りの進捗に合わせて自覚の要領やポイントを整理しました。文字数は訳11000字で、文庫本にして約19ページ分です。値段は3000円です。興味のおありの方は、このリンク先のnoteサイトにてご購入ください。【自覚のヒント】【目次】〇自覚について・悟りと自覚・悟り階層と自覚・無我の誤解について〇小悟に向けての自覚(最初の自覚)・私に意識を向ける・観る自覚・行為の自覚と自我の主体性・考えの自覚・小悟に向けた自覚のポイント〇大悟に向けての自覚・私を捉え直す・大悟に向けた自覚のポイント〇解脱に向けての自覚・再度私を捉え直す・解脱に向けた自覚のポイント〇...自覚のヒント

  • 中国の銀行取り付け騒ぎは崩壊の兆候か(小声

    何カ月か前から、中国では銀行の取り付け騒ぎが起こっているようです。初めはいくつかの地方銀行から始まり、それが段々と拡大し、ついには国営の大手現行でも起こり始めたようです。ひょっとすると、中国経済は一気に崩壊していくかもしれません。これは、他人事ではありません。いずれ我が国を含む他の先進国に波及するだろうと思います。中国の銀行取り付け騒ぎは崩壊の兆候か(小声

  • 私の生い立ち(父の死から思春期)

    ◇私の生い立ち(父の死から思春期)◇◇転機となった父の死父の交通事故や死について書く前に、もう少し父のことについて書いておきたいと思い、父のことを思い返しているのですが、困ったことに父がどういう人であるとか、特徴的なエピソードを書こうとしても、これだという事柄が出てきません。父とは相性が少し合わないところがあったのと、毎晩のように父が外出して擦れ違いも多く、関係が希薄になりやすかったのだと思います。父は外面がいいと言いますか、家の中ではそれ程ではないのですが、外では人のお世話に奔走する等、人付き合いに熱心で、付き合いの広い人だったようです。亡くなる何年か前から最高道徳に入り、自宅に近所の人を集めて講演会を開く等、熱心に活動していました。最高道徳に入ったいきさつは不明ですが、祖母を中心とした家の中のゴタゴタ...私の生い立ち(父の死から思春期)

  • 私の生い立ち(誕生から少年期)

    以前、収入補足のために有料セッションや有料記事を書くことを考えていることを書きましたが、先日アップした有料セッションの企画に続き、私の生い立ちを有料記事にしてみました。私の生い立ちに興味のおありの方は、どうぞご購入ください。◇私の生い立ち(誕生から少年期)◇◇誕生から幼少期私は、自然が豊かな田舎で専業農家を営む七人家族の長男として生まれました。家族構成は、曾祖母、祖父母、両親、私、弟でした(曾祖母は私が一歳の頃亡くなりましたが、私のことを可愛がってくれたとのことです)。動物も沢山いました。犬、猫の他、牛一頭、ヤギ、鶏がいました。祖母がめちゃくちゃな人で、家の中を引っ掻き回すこと以外は、動物や自然、近所の気の知れた人たちとの触れ合いの中で、比較的やりたいことを好きなようにやり、自由に育ちました。祖母のことに...私の生い立ち(誕生から少年期)

  • スカイプ個人セッションのご案内

    ◇スカイプ個人セッションのご案内◇スカイプを使った有料の個人セッションを始めました。これに伴いまして、これまで無料で行っておりました無料スカイプセッションは停止いたしました。◇対応内容ご要望に応じて、柔軟に対応させていただきます。具体的には、以下の内容が主になるかと思われます。・自覚に関するもの全般・悟り全般に関するもの・その他(ご要望に応じて)◇料金等・30分:3500円・1時間:6000円◇対応可能な日時日曜以外の日中は農作業をしておりますので、基本的はそれ以外の時間帯にて対応させていただきます。・平日、土曜、祝日の午後7時から10時・日曜の午前8時から12時、午後1時から6時、午後7時から10時◇お申込み方法①セッション料金のお支払いセッション料金のお支払いは、下記リンク先のnoteのサイトにて、ご希望の...スカイプ個人セッションのご案内

  • 私の不思議体験

    ◇私の不思議体験◇以前、ブログ付設の掲示板に書いたものですが、改めてこのブログにも書いてみようと思います。不思議体験の類については、私は心霊体験も含めて殆ど体験したことがないのですが、一つだけありまして、今回はそれについて書いておきたいと思います。それは、2013年の9月末か10月始めの夜中のことでした。眠れないのもあって、ふっと瞑想をしてみようと思って、自宅のいつも家族と寝ている部屋から、短い廊下を通って真っ暗な別の部屋に入ったときでした。部屋に入ったところで、薄ぼんやりとした光のようなものを感じたのです。でも最初は、特に気にしないでそのまま部屋の中の方に入って行こうとしたのです。そうしたら、自分の顔に何かもわんとする、気のエネルギーのようなものが触れたのです。それで、何かあると思って驚いて、一歩下がって、目...私の不思議体験

  • 死んで納得できるか

    ◇死んで納得できるか◇いま世界的に自殺する人が増えています。自殺について考えるときの核心部分は、とてもシンプルであり、ハッキリしています。それで本人が納得できるかどうかです。そこを、よくよく考える必要あるのです。死ぬことが本当に自分のやりたいことなのか、ということです。よくよく考えればわかることですが、自分のやりたいことが死ぬことだなんていう人はいないのです。死んで納得できる訳ないんです。やりたいこと、つまり本心が他にあるのに、それから目を背けて逃げてる訳ですから。そうは言っても、精神的に参ってしまうと、自分の本心もわからなくなるのかもしれません。普通の精神状態にいる人でも、自分の本心がわかっている人は少数ですから。そうするとやっぱり、日ごろから自分の本心に向き合って生きる必要があるのだろうと思います。◇「私」...死んで納得できるか

  • 自由意志の不思議

    ◇自由意志の不思議◇自由意志については、このブログでも何回か書いたことがあるのですが、もう一度改めて書いてみようと思います。自由意志、発意と言ってもいいですが、これは自我の本質的要素の一つになっています。しかし、本質的要素であるにも関わらず、捉えるのが非常に困難であり、また誤解も多く(むしろ誤解ばかり)、とても難しくやっかいなものです。今回の記事では、そういう自由意志の不思議さについて書いてみたいと思います。自由意志について、日常的な素直な感覚を言えば、自分には自由な意志が実感としてあると思います。手や足は自分の思った通り動かせるし、頭の中で考えごとをするときも自由に考えを巡らせることができます。これは極めて重要かつ本質的なことであり、この観点からは自由意志はあると考えるのが妥当だと思われます。では次に、私とい...自由意志の不思議

  • 世界経済の崩壊の始まりか(小声

    ひょっとするとですが、世界経済の崩壊が始まりつつあるのかもしれません。米株の下落の始まり。米中銀の政策破綻(緩和を継続しつつの利上げ)。ドル円の急上昇からの反落のきざし。中国の政策異常(上海封鎖など)私の見当違いだったら、笑ってやってください。世界経済の崩壊の始まりか(小声

  • 近況など

    久しぶりに近況など書いてみたいと思います。日々の生活など頑張って農業やっています。まだ2年目というのもあり、上手くいかないことが多くて、収入的にもまだ全然で、まあ大変です。ですが、面白くもあり、がむしゃらにやっています。悟り関連ここ1カ月ほど、なぜか私の中で悟り関係に意識が向くようで、ユーチューブでAIが挙げてくる動画を観たり、ブログ記事を書いたりしています。こんなに悟り関連に意識を向けたのは、何年ぶりだろうというくらいです。その勢いで、このgooブログに書いた記事を再構成してnoteにまとめてみようかと思っています。で早速、慧空でnoteを登録し、少し書き始めたのですが、思ったより大変で時間がかかることがわかり、農業が大変で時間もないし、どうしようかと思案、停滞中です。収入も困っているので、売れるものは何でも...近況など

  • 最後は私に戻る

    ◇最後は私に戻る◇どんなに深く悟ろうと、最後は日常の私に戻っていきます。私についてどんな観点から悟ろうと、日常の私は大した変化のないままあり続けます。私というものに付き合っていくしかないのです。大人しくなることはあっても、思考や感情はやっぱりあるし、何かを考えようとしたり、しようとする発意も相変わらず残っています。心の動きにまとわりつくように生じるわずらわしさというか、苦の感覚もやっぱり残ります。私とは何なのか、なぜ私があるのかも、やっぱり分からないままです。日常の素直な観点から私を観たとき、これが私に関する素直な感覚というか、実感です。この私に関する日常的な実感は、悟る過程、あるいは悟りの行程を歩む過程では邪魔になることがありますが(注:悟りの行程の歩み方によっては邪魔にはならず、むしろ中止的な道しるべになり...最後は私に戻る

  • 自我の本質と自己認識

    ◇自我の本質と自己認識◇私という自我は本当に不思議なものなのですが、その仕組みや、それが何故起こったのかについては誰も知り得ません。これは間違いありません。さらに、一切のことがらに実体がありませんから、私という自我にも実体はありません。私という幻のような現象が起こっているに過ぎません。そんな捉えどころのない自我について、本来切れないものを私なりに無理やり切ってみたいと思いますw自我の本質について一言に集約するなら、私は自己認識だと考えています。自己認識とは、認識が認識を認識する、あるいは、あたかも私があるように感じる(自我感覚)ことです。認識が認識を認識するとは、目が目を見る、あるいはカメラがカメラを撮影するようなものであり、理屈で説明しようとしても無理です。しかし、自我という現象には本質的にそのような要素が含...自我の本質と自己認識

  • 自我の二相性と主客の統合

    ◇自我の二相性と主客の統合◇今回は、私という自我の二相性について書いてみたいと思います。私という自我には、二つの相があります。一つ目の相は、日常的に私たちが感じている自我の相です。この相は、私という主体と、その主体の対象となる客体とが分離している相です。つまり、音や光、感触と言った知覚の対象とは別に、それらを知覚する主体がある、正確にはあるように感じる相です。二つ目の相は、私という主体と、その対象となる客体とが統合している、正確には統合しているように感じる相です。この相は、悟りの行程を無常、無我を理解できる付近まで進むと経験するようになりますし、悟らずとも意識の集中が極まってくると経験することがあるのだろうと思います。この相を経験すると、認識が無いとか、自我が無い等の誤解が生じやすいのですが、起こってきたことを...自我の二相性と主客の統合

  • 私は無いの誤解と涅槃

    ◇私は無いの誤解と涅槃◇悟りの行程をそれなりに進むと、あたかも私が無いと感じるポイントに至ります。これにはあたかも認識が無くなる、あるいは起こらなくなるという現象、あるいはそのような感覚を伴います。認識主体の欠落、あるいは欠落感を伴う場合もあると思います。皆さんここで、私は無いという考えに嵌まりこみ、それを掴んでしまいます。認識が無い、あるいは起こらないと言うには、それを微弱でも認識している認識が起こっているはずなのですが、なぜか皆さんそこに気づけないというか、そこから目を背けてしまいます。そして、認識が無いとか、私は無いという考えに嵌まりこんでしまう。それはどうしなのか。私(慧空)の場合、認識が無い等の考えに嵌まり込むことはありませんでした。それはなぜなのか。改めて考えてみました。要因の一つは、自覚ではないか...私は無いの誤解と涅槃

  • 非二元の悟りと無常、無我の悟り

    ◇非二元の悟りと無常、無我の悟り◇今回は、非二元の悟りと無常、無我の悟りについて、改めて書いてみたいと思います。悟りも無常、無我まで来るとそれなりに絞られてくると言いますか、バラつきが減ってくるのですが、非二元は概念も人それぞれで、悟りのバラつきも大きいようです。そこでここでは、良い悪い等の二元の囚われが大体無くなり、思考が減り、ただ観ている意識である観照意識がそれなりに確立した悟りを非二元の悟りと言うことにします。まず言えることは、非二元の覚者はまだ囚われや思い込みがそれなりに残っており、言葉の端々にそれが容易に見て取れます。例えば、「真我」、「全体」、「光」、「恒久」、「不滅」、「不変」などの言葉がそれです。無常、無我まで悟ると、囚われや思い込みが大方無くなっているため、そのような言葉は決して出て来たりしま...非二元の悟りと無常、無我の悟り

  • 無常、無我と禅の悟り

    ◇無常、無我と禅の悟り◇つい最近、ユーチューブの動画リストに自動的に挙がってきた動画を観ていると、その中に禅の覚者の動画があり、それについて思ったことを書いてみようと思います。いつものように偉そうな感じで恐縮ですがw禅者も、無常、無我を悟るようです。しかし、まだ足りないのです。禅系の悟りの型に嵌ってしまうのか、禅の意識の使い方の限界なのか、その先の進展がなく、そこに留まってしまうようです。何が足りないのか言いますと、それは「私」への追及です。ことが起こっているという気づきのところで止まってしまっていて、私への振り返りが無いのです。禅でも自覚でも、私が無いことを悟るときは、自我の要素である何かを認識する認識主体が無いことに関する気づきや理解を伴います。また、悟りに伴って自我感覚の急激な欠落感や質的な変化も生じます...無常、無我と禅の悟り

  • 本心の二つの要素

    ◇本心の二つの要素◇私はこのブログで、生きていく上で何が一番大事なのは本心ですよ、と繰り返し書いているのですが、今回はその本心について少し具体的に書いてみたいと思います。大まかに言いますと、本心は二つの要素からなっていると私は考えています。一つは、生きる上で基本となる考え方や価値観など、生き方に関する要素です。例えば、正しく行動したいとか、他人に迷惑を掛けたくないとか、他人に優しくしたいなどです。この要素は、おそらく人生において余り大きく変化することはないのだろうと考えています。もう一つは、人生でやりたいことに関する要素です。例えば、こんな仕事をしたいとか、家庭を持ちたいとか、出世したいとか、お金持ちになりたいとか、こんな女性、あんな男性をゲットしたとか、何々をやってみたいなどです。この要素は、人生の時々に応じ...本心の二つの要素

  • 世界の状況について

    ここに改めて書くほどのこともないのですが、世界の状況は酷いものですね。コロナに対する反応、対応(コロナ自体はたいしたことないのですが)。ロシアとウクライナの戦争。などなど。状況が悪化していく一方、民衆心理も後退(幼稚化)が急速に進んでいて、多くはまだピンと来ないため、世界経済はまだ回っています。しかし、幼稚化した人々の恐怖心にいずれ火が着き、そうもいかなくなります。切っ掛けや具体的なプロセスはいろいろな可能性があるでしょうが、大局的な流れはもう定まっているのでしょうね。大切なのは、状況を冷静に観、自分がそこで何をしたいのかを理解し、行動することです。世界の状況について

  • 続々・意識的に生きる

    ◇続々・意識的に生きる◇今回は、どうして意識的に生きることが大切なのかについて書いてみたいと思います。意識的に生きるようになると、それまでぼんやりと外ばかり向いていた意識が、自分自身のこと、自分の立ち居振る舞い、自分の人生に対してしっかりと向けられるようになります。そして、自分が如何にあるべきか、如何に行動すべきか、何をするべきか等について、他人や社会の価値基準ではなく、自分自身の価値基準に基づいて考え、決めていくようになります。そうなって初めて、本当の意味で自分の人生を生きられるようになります。私は、意識的に生きられるようになることが一端の人、つまり大人の条件なのだろうと考えています。しっかりと自分というものを持ち、自分の価値基準で考え、行動できてこそ大人と言えるのではなかと思うのです。◇「私」に意識を向ける...続々・意識的に生きる

  • 続・意識的に生きる

    ◇続・意識的に生きる◇昨日に続いて、意識的に生きることについて私の経験をもとに書いてみたいと思います。意識的に生きるとは、生きることを意識して生きることですが、これは智慧のある人だからできることであり、人として生まれたからには(人として生まれてしまったからにはw)、そうありたいもとだと思う訳です。無意識にただ生きるのは、動物と変わらないし、いつまで経っても生きることを受け入れられず、自暴自棄のまま人生を過ごすのは辛く惨めだし、おそらく後で後悔します。しかし現実には、意識的に生きることは結構難しいようです。私自身も二十歳前まで生きることに思い悩み、自暴自棄になったり、悶々としていました。どうしたら、意識的に生きられるようになるのでしょうか。そうなるには私の場合、自分自身や自分の人生に対してそれを受け入れるというか...続・意識的に生きる

  • 意識的に生きる

    ふっと気が向いたので、生きるヒントについて書いてみたいと思います。◇意識的に生きる◇意識的に生きることについて、私の体験をもとに書いてみたいと思います。私の場合ですが、思春期の頃、自分自身に対する理想と現実のギャップの大きさや、上手く行かないことへの苛立ちや、生きることの虚しさなど、悶々とする日々を送ったことがあり、その中で「生きる」ことについて向き合うことがありました。小学五年のときに父親が自死したことや、私が悶々としていた頃に親戚のおじさんが自死(包丁で頸動脈を切る)したこともあり、自死についてもぐるぐると考え続けていました。戯れに包丁を自分の首に押し当ててみたこともありました。そのようにぐるぐる、悶々とする時間が3、4年くらい続くうち、「生きる」ということに関して、私の中で少しずつ分かっていくことや変化が...意識的に生きる

  • スリランカ崩壊危機

    世界経済崩壊に関連しようなニュースを聞いたので、貼っておきます。◇スリランカ崩壊危機◇スリランカ政府が「食糧不足による非常事態宣言」を発令。同法により当局は自由に民間から食糧を押収できることに。翌日から軍による強奪が開始されるスリランカ崩壊危機

  • 自我と悟り

    久しぶりに悟りに関する記事を書きます。昨晩暇に任せてネット動画を観ていたら、偶々悟り系の動画に出くわし、気になったというか、気が向いたので書くことにしました。◇自我と悟り◇悟りの行程を歩む過程で、無我を実感したり、理解することがあります。それで皆、悟った気になってしまいます。確かに、全てに実態はありませんから、自我にも実態はなく、自我は幻のような自我感覚があるだけです。その理解は間違っていません。しかし、だからと言って自我を軽視してしまうのは違います。だってそもそものところ、悟るのは誰ですか?そうやって無我を悟ったのは誰ですか?あなたという自我でしょう?そのような体験や理解をしたのも、あなたという自我でしょう?早合点せず、もう一度しっかり見直し、確かめて頂きたいと思います。そのマウスを操作する手を動かしているの...自我と悟り

  • コロナワクチン接種のリスク

    久しぶりに記事を書きます。内容は悟りではなく、コロナワクチン接種についてです。私自身、コロナにはあまり興味がなく、別にかかったらかかったでエエワという感じで、その手の情報は基本スルーしているのですが(^O^)ちょっと気になった情報を得たので、メモしておきます。◇コロナワクチン接種のリスク◇日本人専門家のネット記事です。ワクチンと抗体依存性感染増強(ADE)余談を少し。コロナ感染(但し重症化する前)に一番効く言われているイベルメクチンという薬があるとのことです。但し、これは一般には腸内寄生虫や疥癬用の薬で、我が国では対コロナ用には認可されていません(よって、保険適用はないが、医師の処方は可能)。入手は、医師に処方をお願いするか、ネットの直販サイト(個人輸入)で購入できます。コロナワクチン接種のリスク

  • 近況など

    ◇近況など◇久しぶりに近況など書いてみたいと思います。前回の近況記事が9月1日なので、もう3か月以上経ってしまったのですね。農業の準備や住んでる古民家の整備などに毎日天手古舞で、あっという間の3カ月でした。田舎生活、元気にやっています。私の近況について、いつものように項目に分けて書いてみたいと思います。農業について。主たる収入を農業で得ようといろいろ画策、準備しています。しかし、立地が都市部から遠く離れた山間部であることもあって、近所の直売所等も規模が小さく、作物の売り先に困るような状況です。現在、ネット販売を使う方法を検討中です。作物は、現在のところ、米、大豆、果実類、その他ちょっと変わった作物(すみませんが、これはここでは書けません。書くと売主が限られるので私の素性が明らかになりかねないので)も検討していま...近況など

  • 近況など

    ◇近況など◇久しぶりに近況など書きますね。前回の記事アップの後、結局、大きく方向転換をしまして田舎へ移住し、農業をやることにしました。その後、あちこちを探し回って移住先を決め、引っ越ししました。現在、国内の某所(結構な田舎というか、山です)に引っ越し、農業の準備をしています。(すみません、具体的な引っ越し先は伏せさせてください。)元気にやています(一応、苦笑)。猛暑の中、農業の準備(いまは主に農地の草刈り)をやっているので、熱中症寸前といいますか、フラフラになってまして、夏の農作業の厳しさを噛みしめているところです。もう歳は五十もとっくに超えていますし、これまで肉体労働も殆どやったことないものですから。体を壊さないよう少しずつやっていこうと思っています。あと、何を書かこうか...頭もポーっとなっていて、文章が出...近況など

  • 近況など(農業やる?)

    ◇近況など(農業やる?)◇ここ数カ月、世間的にも、個人的にもいろいろなことがあり、消化不良というか、先の見えにくい状況にモヤモヤとしています。今日はその整理も含めて、近況等を書いてみようと思います。仕事のこと。昨年秋からの転職計画は終了して、新しい職場(介護福祉関連)で働いています。しかし、また困った状況になっておりまして、経営者とそりが合わないのです。面接でいろいろ話をしたのですが、見抜けませんでした。どうも、私はまだ人や物事をいい方に見てしまう傾向が強いようです。悟る前のビジネスマン時代は、もう少し人を見る目があったと思うのですが、どうもまだダメなようです。と愚痴を言っても、どうにもならないのですが。今の仕事は続けられるうちは続けて、もう無理だと思ったらぱっと辞めようと思っています。世界経済のこと。世界経済...近況など(農業やる?)

  • 世界の状況について

    ◇世界の状況について◇どうしようかとかなり迷ったのですが、書くことにしました。近いうちに、世界経済が壊滅的な状況となり、大恐慌に陥る可能性あると考えています。私は、2008年のリーマンショックよりも前から、そう遠くない時期に世界経済は崩壊すると考えていました。そう考える理由はいくつかあるのですが、最大の理由を二つ挙げますと、一つは日米欧(中国も)の主要国の大半が返済不可能な借金(赤字国債)があること、もう一つは世界経済の発展(拡大)が伸び悩んできたことです。世界経済が順調に拡大しているうちは、上手くすれば借金を返済することも可能だったのですが、そうはいかなくなってきました。世界経済が崩壊する条件は既に整っていて、あとは切っ掛けがあればいつでもそれは起こる状況にあると考えています。その世界経済の崩壊が、このコロナ...世界の状況について

  • 久しぶりに近況など

    ◇久ブルに近況など◇気が向いたので、近況など書いてみたいと思います。基本的に元気に暮らしています。まだ花粉症等に悩まされてはいますが。仕事。前回の近況報告で転職を考えていると書きましたが、もう既に転職先で働いています。転職後も介護福祉系の仕事をやっています。新しい職場の様子も、もう少し落ち着いたら書きますね。体調等。昨年から花粉症等の体質改善のため、糖質制限をやっています。その効果か、ちょっと高めだった血圧が下がってきたのと、下痢傾向だったお腹の調子が改善してきています。花粉症の症状も酷かった頃と比べると半分くらいには軽くなってきています。しかし最近、残念なことがありまして。かなり久しぶり(6、7年ぶり?)に、痔(内痔核)になってしまいまして(-_-;)ちょっとショックでしたw意識の変化。昨年の年初めから夏ころ...久しぶりに近況など

  • 真我に気づく

    ◇真我に気づく◇このブログの2014年2月6日に「真我覚醒方法について」という記事があります。この記事の内容の不味さは当時から分かっていたのですが、えいやっと書いてしまって、その後ずっと放置していました。気が向いて、その記事に補足のコメントを入れました。これに伴って、真我の覚醒やその方法について、改めて記事にまとめ直してみることにしました。まず、真我とは何かについて。私は、真我とは観照意識であると捉えています。観照意識とは、六根(五感と意)を通して起こってくるこの世界をただ認識している(ただ観ている、ただ感じている)意識のことです。観照意識は、悟りの行程がある程度進み、囚われが減り、それに伴って思考が減ってくると、自然に意識の表層部に現れてきます。真我に覚醒するとは、その観照意識に気づくということです。では次に...真我に気づく

  • 悟りと囚われ

    ◇悟りと囚われ◇悟りと囚われについて、ふっと気が向いたので書きます。悟りの行程とは、囚われを手放していく行程と言うことができます。自身が握りしめている囚われを一つ一つ手放していくと、最後に残る囚われが露わになってきます。さあ、それは何でしょう?それは悟りなのです。囚われを手放していくうち、いずれ、悟ろうとしている、悟りを求めている自分自身の衝動や囚われに気づくことになります。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇セッションのご案内はこちらです。※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。ご希望の方は、suiku2013☆yahoo.co.jp(☆を@に替えて下さ...悟りと囚われ

  • 私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却

    ◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却◇久しぶりの記事更新です。悟り呆けからの脱却というテーマで、私の悟り体験である解脱の悟り後のことについて書きます。まず最初に、悟り呆けについて説明します。悟りには階層があり、階層ごとに特徴があります。そして、その各悟り階層に至った後で、その階層に関連した精神的な後遺症のような状態が暫くの間続きます。その後遺症のような状態は、その状態に固執するか否かでその後の変化は異なるようですが、多くの場合次第に薄れていき、通常の意識状態に戻っていきます。ここでは、この悟り後の後遺症のような精神状態のことを悟り呆けと言っています。具体的に悟り呆けとはどのような状態かと言いますと、分かりやすい例は明け渡し系の体験に伴うものだと思います。よくある例としては、明け渡し体験に...私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却

  • 一つに絞る

    ◇一つに絞る◇多くの方は、あっちこっち、あれもこれもと目移りし、気持ちや行動が定まりません。どうしてそうなってしまうのでしょう。それは、何が自分にとって大切なことなのかについて、追求と吟味が足りないのです。そもそも人が集中して取り組めることは、一つだけです。あれもこれもは無理なのです。一度立ち止まり、何が自分にとって一番大切なことなのかを徹底的に追求してみて頂きたいと思います。今からでも遅くはありません。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇セッションのご案内はこちらです。※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。ご希望の方は、suiku2013☆yahoo....一つに絞る

  • 自己の内面と向き合う

    ◇自己の内面と向き合う◇多くの方に何が不足しているのかと言えば、自己の内面と向き合うことなのだろうと考えています。これは、生きる上で一番大切なことと言っても過言でない。あなたの行動がいつも楽な方に流されるのは、あなたが自身の内面との向き合い方が足りないからです。あなたが表面的な損得ばかりに気を取られてしまうのは、あなたが自身の内面にある大切なことを見失ってしまうからです。あなたの人間性が幼いまま停滞しているのは、あなたが自身の内面との向き合い方が浅はかなままだからです。あなたは、そのような浅はかな行程をいつまで繰り返せば気が済むのでしょう。何度失敗すれば、気づけるのでしょう。もっとあなたの内面に意識を向けてください。あなたの心の声に蓋をしないでください。あなたの内面は、「そうではない」といつも声を発しているはず...自己の内面と向き合う

  • まずは生きること

    ◇まずは生きること◇まずは生きることが大切です。悟りはその次です。しっかりと生きていれば、悟りは自ずと訪れます。では如何に生きればいいのでしょう。それは各自で見出していくしかないのですが、ここ何年か、私なりに何かそのヒントが書けないかと思い、自問自答を繰り返してきました。何かを追求することや書くことへの意欲も減退していて、書けるのかどうかも分かりませんが、取りあえず書き始めてみようと思います。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇セッションのご案内はこちらです。※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。ご希望の方は、suiku2013☆yahoo.co.jp(...まずは生きること

  • 久しぶりに近況など

    ◇久しぶりに近況など◇お久しぶりです。約半年ぶりの投稿です。私は元気にしています。仕事も、職場がいろいろボロボロでして、そんな職場に対して泣き言を言いながらも続けています(笑)。もう大分嫌になってきてはいますが、まだ続けられそうです。基本は定年まで続けようと思っています。昨年末から、FXを頑張ってます。FXを頑張ってみようと思ったのは、私の好きな下げ相場の雰囲気が出てきたのと、自分のトレード能力を試してみたい(ゲーム感覚ですね)と思ったのと、大金を手にしてみたいと思った(笑)からです。成績は、それが苦戦中でして(苦笑)。トントンかちょっとだけ儲かってる感じ。やっぱり相場は難しいなぁと実感してます。相場には相場に対する集中力と徹底的にやるんだという決意が必要なのですが、そこがちょっと弱いのが難点でしょうか。直ぐに...久しぶりに近況など

  • 悟り階層と特徴について

    ◇悟り階層と特徴について◇掲示板に久しぶりに少しまとまった文章を書いたので、それを少し編集してブログに残しておこうと思います。悟りには階層があり、順番があります。どうしても順番にやっていくしかありません。そして、各階層ごとに特徴があります。その特徴とは、各階層ごとに意識の表面に現れてきやすい囚われや感覚があり、それによるものなのです。その囚われや感覚を形または状態と言ってもいいです。覚者たちは、その自分が属する階層に応じた囚われや感覚を言葉にして表現します。最初の階層では、愛や幸福、光、ワンネスなどそういう言葉が出てきやすいです。中には、神という言葉を発する人もいるでしょう。この階層は、まだ悟りには到達しておらず、未悟です。まだまだ囚われも多く、思考も多いです。良い悪い等の二元の囚われも残っています。しかし、本...悟り階層と特徴について

  • 最終的な認識者は誰か

    ◇最終的な認識者は誰か◇このブログで何度も言っていることですが、改めて書きます。悟りの行程においてよく起こることとして、自我感覚が薄くなったり、自我の喪失感が起こることがあります。このようなことは、悟りの行程を歩む途中で1回ではなく、何度か起こるものだろうと思います。私自身にも2回ほどありました。1回は明け渡しを体験したときで、もう1回は大悟に至ったときです。そのような経験をした方の多くは、その強烈な体験や感覚に衝撃を受け、その体験や感覚に囚われてしまいます。そして、自らの自我が消失したと誤解してしまいます。また、その状態が悟りの究極であると錯覚したり、思い込んでしまいます。有頂天になり、そう思い込みたい気持ちは分かります。しかし、一度立ち止まり、自らの状態の理解に対し、本当にそれで合っていると言えるのか、ごま...最終的な認識者は誰か

  • 死と向き合って生きる

    ◇死と向き合って生きる◇私たちは生まれたときから、死に向かって歩み始めます。その歩みには誰も抗うことはできません。この事実は、とても重要なことだと思うのです。なのに、多くの方は死から目を背け、向き合おうとしません。そうだから、損得等の表面的な事柄ばかりにかまけてしまい、自分の本心にも気づけないのです。生きることへの真剣みも薄くなるのです。そのように死を恐れ、目を背けてばかりいるのではなく、人は必ず死ぬものであり、しかもそれはいつ起こるかも分からないという、この明確な事実に向き合って頂きたいと思います。そして、自分は如何に生き、死んでいくかのかを改めて考えて頂きたいと思います。死から目を背けるのではなく、死と向き合い、死を目標として生きて頂きたいと思います。さあ、あなたは如何に生き、死んでいきますか?◇「私」に意...死と向き合って生きる

  • 命より大切なもの

    ◇命より大切なもの◇よく、命より大切なものなど無いと言われます。しかし、それは間違いです。命より大切なものはあります。それが本心です。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇セッションのご案内はこちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキングへ命より大切なもの

  • 久しぶりに近況など

    ◇久しぶりに近況など◇久しぶりに近況などを書きます。ブログ記事について。書きたい題材はいくつかあるのですが、なかなか記事にまとまりません。無理にまとめようとしても出来ないので、いつものように自然にまとまるまで放置してます。最近は悟りよりも生き方、特に本心に取り組む生き方について記事を書きたいと思っています。しかし、思うように進みません。しょうが無いですね。無料スカイプセッションについて。希望される方は大分少なくなっていますが、大体2ヶ月にお一人くらいの頻度でお話しさせて頂いています。対面でのセッション等について。久しぶりに対面での講話会のようなものをやってみたいとは思っているのですが、これもなかなか進んでいません。一体いつのことになるやら。(^_^;)仕事等について。3年ほど前に就職した仕事(介護関係の仕事)は...久しぶりに近況など

  • 悟りより本心

    ◇悟りより本心◇悟りを目指しておられる方に対して申し上げたい。悟りより、まずは本心なのです。一度立ち止まり、自分は本当に心の底から悟りを目指しているのだろうか、と自問して頂きたい。悟れば楽になれるのかもとか、幸福になれるのかもとか、何か特別なものを得られるのかもとか、そのような期待がある方は慎重に自らの本心を確認された方がいい。悟りを目指す人は大勢いますが、なかなか悟りに到達できないのはどうしてなのか。また、仮に何らかの悟りに至っても、悟りの行程が進まず、途中で留まってしまうのはどうしてなのか。それは、その方々の本心が悟り以外にあるからなのです。その方々の本心は、日常的な営みの中にあるのです。自分の本心を知らずに生きるのは、哀れなものです。納得できない想いや、悔いばかりが積み重なっていきます。悟りより、まずは本...悟りより本心

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