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  • 第478回:[出羽]中野城(最上一族の骨肉の争いの跡と伝わる)

    訪問日:2023年10月中野城は山形県山形市にあった城です。築城年代は定かではありませんが,15世紀初めに最上義直の次男である中野満基により築かれたと案内板にあります。以後,中野氏を名乗り最上一族の主要な分家として宗家の当主を幾人も輩出しています。戦国時代にも最上義守が中野家より最上宗家に入り第十代目の当主となっています。この義守の長男が有名な最上義光であり,次男が中野家を継いだ中野義時です。1574年に最上...

  • 第477回:天童陣屋(信長の子孫が治めた天童織田藩)

    訪問日:2023年10月天童陣屋は山形県天童市にあった陣屋です。1830年に高畠藩主であった織田信美(おだのぶかず)は天童陣屋に移り天童藩の初代藩主となりました。この家系は織田信長の次男で織田信雄(おだのぶかつ)の子孫にあたる家系です。江戸時代を通じて明治時代まで存続しましたが,1868年 戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いの後は新政府方として奥羽鎮撫使先導役に任じられました。この時,藩主 織田信学(おだのぶみち)は病...

  • 第476回:天童城(天童氏が本拠とした県下最大級の山城)

    訪問日:2023年10月天童城は山形県天童市にあったお城です。舞鶴山の全域にわたって築かれたこの城は天童古城とも呼ばれ天童市舞鶴山公園として整備されています。築城時期は南北朝時代の北畠天童丸によるとの伝承がありますが,14世紀の後半に最上直家の子である里見頼直がこの城に入り天童氏を称しました。戦国時代に入ると出羽国村山地方で勢力を拡大し最上氏に並ぶ勢力となり,共闘と対立を繰り返します。当主が天童頼貞の時 1...

  • 第475回:寒河江城(名門大江氏の流れをくむ寒河江氏の城)

    訪問日:2023年10月寒河江城(さがえじょう)は山形県寒河江市にあったお城です。鎌倉幕府政所別当として有名な大江広元の子である大江親広が最初に寒河江に入ったことに始まり,室町時代の時氏の頃に寒河江氏を名乗り,それまでの館であったものが城として整備されていったと考えられています。戦国時代になると最上義守・義光 親子の争いである天正最上の乱で義守についたため,義光が当主となると粛清の対象となり1584年 寒河江...

  • 第474回:谷地城(最上義光に謀殺された白鳥長久の城)

    訪問日:2023年10月谷地城(やちじょう)は山形県西村山郡河北町にあったお城です。町史跡に指定されています。15世紀半ばの弘治年間(1555年~1558年)に中条長昌(ちゅうじょうながまさ)により築城されたとされます。その後,中条氏は断絶し谷地北方に勢力をもっていた白鳥十郎長久がこの城の城主となり城の整備が進みました。この白鳥長久ですが最上義守・義光 親子の争いでは義守に味方し,旗色が悪くなると仲介役を買って出...

  • 第473回:東根城(沼地を生かした大規模な堀で防御された)

    訪問日:2023年10月東根城(ひがしねじょう)は山形県東根市にあったお城です。築城時期は南北朝時代の1347年に小田島長義が鎌倉から所領に戻り築城したとされることから小田島城とも呼ばれます。その後は天童氏の一族が東根氏を名乗り有力国人として勢力を持ちました。天童頼澄と最上義光が対立すると天童八楯の一翼として最上氏に対抗しますが1584年 家老の里見景佐(さとみかげより)が最上氏に寝返ったことにより落城し城主の...

  • 第472回:延沢城(怪力で知られる延沢満延を輩出した)

    訪問日:2023年10月延沢城は山形県尾花沢市にあったお城で,国史跡に指定されています。野辺沢城と表記することもあり霧山城の別名も持ちます。延沢氏は南出羽で力を持った国人ですが,築城年には諸説ありますが1547~1552年の間に 延沢満重が築城したとされます。戦国時代には天童氏を盟主とした同盟体である最上八楯に属し,最上義光に抵抗しました。時の当主である延沢満延は剛力をもって知られ最上軍を散々悩ましました。最終...

  • 第471回:[出羽]清水城(最上川の主要港を押さえる城郭)

    訪問日:2023年10月清水城は山形県最上郡大蔵村にあったお城で,県史跡に指定されています。1476年 最上氏の一族にあたる成沢満久がこの地に入り1478年に築城したとされます。これ以降,清水氏と名乗り代々の居城となりますが最上川の重要な河港を押さえるこの地は武藤氏や小野寺氏との争いの最前線となりました。五代目の清水義高は武藤氏との戦いで戦死しています。子の無かった六代目の清水義氏は最上義光の三男であった義親を...

  • 第470回:[出羽]新庄城(近世 最上地域の中心城郭)

    訪問日:2023年10月新庄城は山形県新庄市にあったお城で,市史跡に指定されています。戦国時代から出羽を支配した山形藩の最上氏が1622年に改易となると,譜代の鳥居忠政が入りましたが,鳥居氏と縁戚関係にあった戸沢政盛が6万石でこの地を治めることになりました。当初は鮭延城に入りましたが山城で手狭であったため1624年から平城である新庄城の築城にとりかかったり翌年完成しました。戸沢氏による新庄藩は明治維新まで続いた...

  • 第469回:鮭延城(猛将 鮭延秀綱が本拠地とした)

    訪問日:2023年10月鮭延城(さけのべじょう)は山形県最上郡真室川町にあったお城で,真室城や真鶴城とも呼ばれます。町史跡に指定されています。築城時期は1534-35年頃 小野寺氏に仕えていた佐々木綱村によって築かれたとされます。この佐々木氏は鮭延氏と称しこの城は小野寺氏勢力範囲の南を守る重要拠点となりました、綱村の子である鮭延秀綱の時代に最上義光に攻められ降伏した後は一貫として最上氏の重臣として活躍していく...

  • 第468回:亀ヶ崎城(酒田湊を押さえる重要拠点)

    訪問日:2023年10月亀ヶ崎城は山形県酒田市にあったお城です。築城域については不明な点が多いのですが15世紀の後半に武藤氏(大宝寺氏)がこの地に城を築き当初は東禅寺城と呼ばれていました。戦国時代には武藤氏の一族がこの城に入り東禅寺氏を名乗り,砂越氏との抗争の舞台にもなりました。1583年 武藤氏の最盛期を築いた武藤義氏の家臣である前森蔵人は最上義光と通じ主君を弑逆し東禅寺義長を称したとされます。その後,義長の...

  • 2024年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。この新年の挨拶も10回を数えています。タイはバンコク暮らしも6年半ですので,既に日本でブログを書いていた期間よりタイで日本のお城のブログを書いている期間の方が長くなってしまいました。新型コロナウィルスの終息とともに,日本へ帰国する機会も少し増えて出張で帰国した時に少し,慰労帰国ではまとめて沢山のお城に行くことが出来ました。2023年に行っ...

  • 第467回:砂越城(川北を代表する砂越氏の居城)

    訪問日:2023年10月砂越城は山形県酒田市にあったお城です。築城時期は定かにではありませんが,平安時代末期の1154年 播磨国の赤松氏の分家が石黒氏を名乗り土着し築いたと伝わります。鎌倉時代に入り源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼすと砂越氏が郡司としてこの地に入り,この城を本拠地にするようになりました。戦国時代になると庄内地方は最上川北域の砂越氏と最上川南域の武藤氏(大宝寺氏)が二大勢力として激しく争うことになりま...

  • 第466回:出羽松山城(庄内藩を支えた支藩の城)

    訪問日:2023年10月出羽松山城は山形県酒田市にあったお城です。明治維新後は松嶺城とも呼びました。鶴ヶ岡城を本拠地とする庄内藩 酒井家 初代藩主の酒井忠勝の遺言により1647年 二代藩主の酒井忠当(さかいただまさ)が弟の酒井忠恒に庄内中山2万石を分与したことにより始まります。当初,中山陣屋が拠点となっていましたが後に中山は松山と名称を変え出羽松山藩となりました。 1779年 三代目の酒井忠休(さかいただよし)が500...

  • 第465回:尾浦城(悪屋形の最期)

    訪問日:2023年10月尾浦城は山形県鶴岡市にあったお城です。大浦城や大山城とも呼ばれます。築城時期は定かではありませんが,この地域を治めた武藤氏(大宝寺氏)によるもとされます。武藤氏は宗教権威である羽黒山の別当職を兼ねる戦国大名として成長しますが,1532年 武藤晴時が当主の時に本拠地の大宝寺城が砂越氏により攻撃され焼失されると本拠地をこの城に移しました。武藤義増は本庄繁長の乱に加担し上杉謙信に反旗を翻し...

  • 第464回:鶴ヶ岡城(奥州列藩同盟で存在感を見せた庄内藩)

    訪問日:2023年11月鶴ヶ岡城は山形県鶴岡市あったお城です。続日本100名城に選定されています。 元々は室町時代にこの地を支配した大宝寺氏(武藤氏)の本拠地として築城され大宝寺城と呼ばれていました。1532年 武藤晴時が当主の時に砂越氏維に攻められ焼失しました。この後,武藤氏は尾浦城に本拠地を移し大宝寺城は支城となりました。その後,上杉氏の史城として機能していたようですが,関ケ原の戦い後にこの地に入った最上義光...

  • 第463回:村上城(本庄繁長が上杉謙信を迎え撃った)

    訪問日:2023年村上城は新潟県村上市にあったお城です。中世城郭,近世城郭 双方の特徴を残し国史跡に指定され続日本100名城にも選定されています。 別名舞鶴城とも呼ばれ,本庄氏が治めた時代は本庄城と呼ばれていました。臥牛山に築かれた平山城で築城時期は不明ですが16世紀前半頃に築かれ,戦国期には現在の新潟市より北方に勢力を持った国人衆である揚北衆の代表格である本庄氏の本拠地として機能していたようです。本庄時長...

  • 第462回:江上館(奥山荘の繁栄を示す城館)

    訪問日:2023年10月江上館(えがみやかた)は新潟県胎内市にあった城館です。 奥山荘城館遺跡(おくやまのしょうじょうかんいせき)として国史跡に指定されています。鎌倉時代の初期に三浦和田一族である和田義茂が地頭としてこの地に入りました。1277年に分割統治され中条地域を支配した一族が中条氏(なかじょうし)を名乗り15世紀 室町時代に江上館を本拠地としたとされます。同時に北条地域を引き継いだ同族の黒川氏とは争いが...

  • 第461回:五十公野城(新発田氏とともに滅亡した)

    訪問日:2023年10月五十公野城(いじみのじょう)は新潟県新発田市にあったお城です。築城時期は不明も新発田氏の一族である五十公野氏によって築かれたとされます。戦国時代に新発田重家が五十公野治長という名でこの城を継いでいましたが兄である長敦の死により本家の新発田氏を継ぐことになりました。これによりこの城は義弟の五十公野信宗が後を継ぎました。1581年より勃発した新発田重家が上杉景勝に反旗を翻した新発田重家の...

  • 第460回:新発田城(新発田氏の活躍に始まり溝口氏が発展させた名城)

    訪問日:2023年10月新発田城は新潟県新発田市にあったお城です。菖蒲城(あやめじょう)とも呼ばれ日本100名城に選ばれ,国の重要文化財となる建築物を2基持つ名城です。また本丸の一部は市史跡に指定されています。近世以前の城の正確な築城時期は不明ですが,前身となる城は中世にこの地を支配した新発田氏によるものと考えられます。揚北衆の新発田氏と言えば御館の乱で上杉景勝を助けた新発田長敦や重家が有名ですが,御館の...

  • 第459回:浜松城(家康の出世城として知られる){含 引間城}

    浜松城は静岡県浜松市にあったお城です。市史跡に指定され、続日本100名城にも選ばれています。城の前身は15世紀前半に築かれたとされる引間城(曳馬城)でした。当時は今川氏が遠江でも勢力を持ち傘下の飯尾氏がこの城に入っていました。1560年 桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると飯尾連竜(いのおつらたつ)は今川氏真と対立し攻められ落城は免れたものの結局講和後に謀殺されています。 この機に乗じて徳川家康がこの城を接収...

  • 第458回:鳥羽山城(二俣城をめぐる攻防で徳川方の陣となる)

    訪問日:2023年8月鳥羽山城は静岡県浜松市にあったお城です。隣の二俣城とともに 国史跡に指定されています。築城時期は不明確ですが二俣城の向かいの山に築かれお互いに補完しあう関係であったようです。二俣城が武田氏に奪われると徳川家康はここに本陣を置いたとされますので,やはり16世紀中盤から機能している城と考えられます。この城も1590年からの堀尾吉晴が城主であった時代に現在見ることのできる石垣造りに改修されてい...

  • 第457回:二俣城(武田と徳川が激しく争った)

    訪問日:2023年8月二俣城は静岡県浜松市にあったお城です。隣の鳥羽山城とともに 国史跡に指定されています。 築城時期は定かではありませんが,今川氏が遠江を支配し,今川義元が桶狭間の戦いで敗死した1560年から今川氏が滅亡する1569年の間に原型は出来上がっていったと推測されます。その後,徳川家康は武田信玄に味方した松井氏を降伏させ鵜殿氏長(うどのうじなが)を城代として入れました。この城は家康の本拠地であった浜...

  • 第456回:[近江]新庄城(磯野員昌が支配拠点とした)

    訪問日:2023年6月新庄城は滋賀県高島市にあったお城です。 築城については明確では無いのですが清水山城の築城され新庄氏,浅見氏,多胡氏などが城主として伝わります。1574年に織田信長が高島郡を平定した後は浅井長政から信長に降伏した磯野員昌(いそのかずまさ)がこの城を支配拠点として高島郡を治めました。浅井氏旗下でも猛将として知られた員昌でしたが1578年に信長の意に背き出奔。その後は信長の甥にあたる津田信澄が大...

  • 第455回:[美作]岩屋城(多くの争奪戦の場となった美作国随一の山城)

    訪問日:2022年11月岩屋城は岡山県津山市にあったお城で,県史跡に指定されています。美作国は室町時代から戦国時代にかけて特定の大勢力が安定的に治めることは無く,周辺の有力大名が争奪する場となり,この岩屋城はこの中で重要な役割を果たした大規模山城です。築城は1441年 嘉吉の乱により衰退した赤松氏に代わり美作守護職となった山名教清(やまなのりきよ)によるものとされます。応仁の乱が勃発すると赤松氏が再度奪還し...

  • 第454回:津山城(美作国の誇る名近世城郭)

    訪問日:2022年11月津山城は岡山県津山市にあったお城です。鶴山城とも呼ばれ国史跡に指定されています。また,日本100名城に選ばれ,日本三大平山城の一つにも数えられる名城です。この小高い山は鶴山と呼ばれ,室町時代には山名氏が築いた城がありました。戦国時代に山名氏が衰退した後は破棄されていたようですが,江戸時代に入り1603年 森忠政が18万6千5百石の大名として美作国に入った後 築城を開始しました。城が完全に完成...

  • 第453回:院庄構城(戦国期に美作の中心拠点として機能したか?)

    訪問日:2022年11月院庄構城(いんのしょうかまえじょう)は岡山県津山市にあったお城です。美作国の守護所であったとされる院庄館の南側に位置するこの城の築城時期は不明確ですが,出土品などから16世紀 室町・戦国期から江戸時代初頭まで機能したと考えられています。応仁の乱以降の動乱では山名氏の拠点になり赤松氏との攻防がで城主が頻繁に変わったようです。その後は毛利氏や宇喜多氏の拠点として機能し,江戸時代の1603年...

  • 第452回:院庄館(美作守護の館と考えれる城館)

    訪問日:2022年11月院庄館(いんのしょうやかた)は岡山県津山市にあった城館で国史跡に指定されています。現在は作楽神社(さくらくじんじゃ)となっているこの場所は鎌倉時代から室町時代にかけて美作国の守護館があった場所と推定されています。1332年 元弘の乱で敗れた後醍醐天皇が隠岐に配流となる際に立ち寄ったとされ,後醍醐天皇に従い忠臣と謳われる児島高徳(こじまたかのり)が桜の幹に十字の詩を記したとの伝承が残り...

  • 第451回:西方院山城(興福寺の軍事勢力により築城){付 鬼薗山城}

    訪問日:2022年10月西方院山城(さいほういんざんじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。興福寺の軍事勢力であった古市氏は対抗勢力である筒井氏に備えるために,現在は奈良ホテルとなっている大乗院の境内に鬼薗山城(きおんざんじょう)の築城を開始しました。途中で境内であることが問題視されたため,国道169号線を隔てた東隣の西方院山にこの城を築城しましたが,再度計画は変更され鬼薗山城を完成させました。1445年に筒...

  • 第450回:多聞山城(天守を備え近世城郭の先駆けともいわれる)

    訪問日:2022年10月多聞山城(たもんやまじょう)は奈良県奈良市にあったお城で多聞城の名前でも知られます。戦国時代の大和の支配者として力を持った松永久秀が1559年 支配拠点として眉間寺山に築城を開始し1561年に入城したとされます。現在建物は残っていませんが,各史料・文献より後の天守の元となる四層の櫓や名前の由来にもなっている多聞櫓を備えた非常に先進的な城であったことで知られ,軍事・政治の両面で優れた拠点で...

  • 第449回:椿尾下城(筒井氏を支えた椿尾氏の城)

    訪問日:2022年10月椿尾下城(つばおしもじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。築城時期は定かではありませんが興福寺の門跡である大乗院方の衆徒であった椿尾氏が築いたものと考えられており,筒井順慶と松永久秀の争いの中では筒井方として筒井氏の拠点となった...

  • 第448回:椿尾上城(筒井城を奪われた筒井順慶が本拠とた)

    訪問日:2022年10月椿尾上城(つばおかみじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。築城の時期は明らかになっていませんが,1531年には筒井氏の持ち城であったことから筒井順昭による築城の可能性が高いと考えられています。筒井氏は平城である筒井城を本拠地としていたことからこの城は詰城としての役割を担っていたようですが,1559年に筒井順慶が松永久秀により筒井城を奪われると順慶はこの城を本拠地として交戦しました。 157...

  • 第447回:郡上八幡城()

    訪問日:2021年11月郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は岐阜県郡上市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。戦国時代の郡上を支配した東氏(とうし)の拠点であった赤谷山城をめぐり東常慶(とうつねよし)・常堯(つねたか)に対抗した遠藤盛数(えんどうもりかず)が現在の八幡山に築いた砦がこの城の最初となります。これに勝利した盛数のこの遠藤慶隆(えんどうよしたか)により城と城下町...

  • 2023年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2014年の3月から始めたこのブログも次の3月から10年目に突入です。タイはバンコク暮らしも2年の任期延長にともない6年目となっています。世界中の新型コロナウィルスの影響は緩和されているものの,日本へ帰国する機会はめっきり減ってしまいました。2022年は2度帰国したのですが,1回目は出張による非常に短いものでしたので,10月末から11月頭にかけて帰国...

  • 第446回:乗政城(乗政川流域を治めた地元勢力の城館?)

    訪問日:2021年11月乗政城(のりまさじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。詳細は不明ですが11世紀末頃 平安時代の永長年間に吉川遠江守則政がこの地に居城したと郷土史に記載が残る。乗政川流域に勢力をもったであろうこの人物の名前である則政(のりまさ)がこの地の由来になったとも考えられます。城跡は現在は水田になっていますが元々は城平(しろだいら)と呼ばれています。  ◆県道440号線より見る城跡。現在は水田...

  • 第445回:萩原諏訪城(萩原郷に築かれた金森氏の支城)

    訪問日:2021年11月萩原諏訪城(はぎわらすわじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。県史跡に指定されています。戦国時代の飛騨で勢力を持った三木氏(みつきし)を没落させた金森長近は1584年 三木氏の重要拠点であった桜洞城にほど近い萩原郷に娘婿の佐藤秀方に命じて築城させたとされます。1619年 現名の一国一城令の後も参勤交代や領内管理の宿泊所である旅館として機能したようですが,1692年の出羽国転封により廃されまし...

  • 第444回:桜洞城(三木氏の冬城として知られる)

    訪問日:2021年11月桜洞城(さくらぼらじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。市史跡に指定されています。正確な築城時期は分かっていませんが,16世紀の初頭に三木直頼(みつきなおより)が築城したとされます。それ以降,三木氏代々の本拠地として機能しました。戦国時代の当主である三木自綱(みつきよりつな)が1579年に松倉城を築いて居城を移したことから息子の三木信綱が入り支城として機能しましたが,自綱は冬場は高所...

  • 第443回:鍋山城(三木氏から金森氏による支配へ)

    訪問日:2021年11月鍋山城は岐阜県高山市にあったお城です。県史跡に指定されています。築城については諸説ありますが一般に天文年間(1532-1555年)に鍋山安室(なべやまあんじつ)により築城されたと伝わります。安室には嫡子がおらず,戦国時代の飛騨国の最大勢力と言える三木自綱(みつきよりつな)の弟である顕綱(あきつな)を養子としましたが,結局 安室は顕綱に毒殺され鍋山氏は城を追われました。その後,自綱の次男である...

  • 第442回:高山陣屋(天領時代の飛騨における政治の中心)

    訪問日:2013年9月, 2021年11月高山陣屋は岐阜県高山市にあった陣屋です。現存する貴重な陣屋跡として国史跡に指定され,高山の観光名所の一つになっています。豊臣政権下より高山城を本拠地とし飛騨国を治めた金森氏が出羽国上ノ山に転封となると,江戸幕府は1692年に飛騨を直轄領である天領としまし,金森氏の下屋敷であったこの場所を政治の中心である役所を置き高山陣屋と呼びました。これ以降,明治維新まで陣屋は存続し,明...

  • 第441回:増島城(金森氏による飛騨統治を支える支城)

    訪問日:2021年11月増島城は岐阜県飛騨市にあったお城です。県史跡に指定されています。1585年より豊臣政権下の武将として金森長近飛騨国の統治者となりました。その後,本城である高山城の整備と並行して築城が始まったと考えられています。 飛騨国を掌握するための支城として飛騨古川を押さえたこの城には長近の養子である金森可重(かなもりよししげ)が入りました。 1615年の元和の一国一城令により廃城となりましたが,引続き...

  • 第440回:東町城(神岡町のシンボルの一つとなっている)

    訪問日:2021年11月東町城(ひがしまちじょう)は岐阜県飛騨市にあったお城です。市史跡に指定されており高原川の河岸段丘に位置しており一般的には神岡城として知られています。一方で歴史的には東町城というのが正しい呼称です。河川と街道を押さえる交通の要衝として機能した考えらています。正確な築城年代は分かっていませんが,16世紀後半に武田信玄の家臣である山県昌景が江馬時盛に命じて築城させ飛騨・越中攻略の拠点とし...

  • 第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)

    訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄としえ知られる江馬氏が高原郷(飛騨市神岡町)に入ったのは13世紀の中頃と言われています。江馬氏は室町幕府直属の武士であったことが史料からわかっており,この下館の利用は14世紀には始まったと考えられています。14世紀末から15世紀になると堀や庭園が設けられ発展し現在の姿へ...

  • 第438回:高原諏訪城(北飛騨の雄 江馬氏の本拠地)

    訪問日:2021年11月高原諏訪城(たかはらすわじょう)は岐阜県飛騨市にあったお城です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。14世紀 室町時代より飛騨国の北部にある高原郷(現在の飛騨市神岡)に勢力を持った江馬氏の本城として知られます。当初は下館である江馬氏館を中心に治めていたようですが,16世紀に入り戦国時代となると飛騨国南部で勢力を拡大した三木氏(みつきし)等との勢力争いの中で山城である高原...

  • 第437回:安祥城(家康の祖先が本拠地とした)

    訪問日:2021年11月安祥城(あんじょうじょう)は愛知県安城市にあったお城です。市史跡に指定されています。安城城とも書きます。正確な築城年代や築城者は分かっていませんが、室町時代 15世紀前半に和田親平がこの地を治めていた頃の築城と言われます。戦国時代の1476年頃に松平信光がこの城を奪い取ったことにより歴史の表舞台に登場します。以後,徳川家康の祖父である松平清康が1524年に本拠地を岡崎城に移すまで4代にわたっ...

  • 第436回:岡崎城(徳川家康誕生の城として知られる名城)

    訪問日:2021年11月岡崎城は愛知県岡崎市にあったお城です。市史跡に指定され日本100名城に選定されています。前身となる城は現在地より南の明大寺にあり15世紀前半に三河国守護職にあった仁木氏の守護代であった西郷稠頼(さいごうつぎより)によって築城されたとされます。 西郷信貞が当主の時代の1524年に徳川家康の祖父に当たる松平清康により攻略され岡崎は松平氏の本拠地となりました。その後,1531年頃に現在地に移され本格的...

  • 第435回:田峯城(奥三河に勢力を持った田峯 菅沼氏の本拠地)

    訪問日:2021年11月田峯城(だみねじょう)は愛知県北設楽郡設楽町にあったお城です。奥三河で重要な勢力であった作手の奥平氏,長篠の菅沼氏とおもに山家三方衆と呼ばれた田峯 菅沼氏の本拠地です。築城は1470年 菅沼定信によるとされます。歴史が大きく動いたのは1575年 当主の菅沼定忠と家老の城所道寿は武田勝頼方として長篠の戦いに参陣するも敗退。親族の菅沼定直や家老の今泉道善に謀反に起こされ城に戻れず命からがら敗走...

  • 第434回:長篠城(長篠の戦いにおける籠城戦)

    訪問日:2021年11月長篠城は愛知県新城市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城に選定されています。豊川と宇連川(うれがわ)が合流する地点の断崖にあるこの城は1508年に山家三方衆として知られる奥三河の主要国人であった菅沼氏の菅沼元成により築城されました。 織田信長と武田信玄の争いが表面化すると菅沼氏は武田方に属することになりましたが,1573年に織田方の徳川家康に追われ,その代わりに1575年 奥平信昌が...

  • 第433回:水茎岡山城(足利将軍の避難所にもなったことで知られる)

    訪問日:2021年11月水茎岡山城(すいけいおかやまじょう)は滋賀県近江八幡市にあったお城です。1508年 室町幕府11代将軍であった足利義澄は大内義興に追われ近江に逃れました。水茎岡山城はその頃に義澄の頼った九里信隆(くのりよしたか)により築城されたとされます。1510年にはこの城で幕府軍を退けており,後に12代将軍となる足利義晴もこの城で誕生しましたが,結局,義澄は今日に戻れぬままこの城で死去しました。九里信隆は...

  • 第432回:[丹後]田辺城(細川幽斎の籠城戦で知られる)

    訪問日:2021年11月田辺城は京都府舞鶴市にあったお城で市史跡に指定されています。舞鶴城(ぶかくじょう)とも呼ばれます。織田信長の配下として丹後に進攻し守護大名である一色氏を滅亡に追いやった細川藤孝・忠興親子は八幡山城に入り,その後宮津城を築城し居城としました。家督を忠興に譲り隠居した藤孝は幽斎と号し元々は一色氏の八田守護所があったとされる場所に田辺城を築城して1582年に完成させ移りました。最も田辺城を...

  • 第431回:宮津城(近世 丹後国の支配拠点となった)

    訪問日:2021年11月宮津城は京都府宮津市にあったお城です。1580年頃 室町時代より続いた丹後守護職の一色氏を滅亡へと追いやった織田信長傘下の細川藤孝が丹後に入った当初は山城である八幡山城を居城としたようですが,その後すぐに統治の便利な宮津城を築城しました。1582年の本能寺の変の後に藤孝は家督を子の細川忠興に譲り,自身は幽斎と号し田辺城に隠居しました。1600年の関ケ原の戦いで東軍についた細川氏は丹後に残った...

  • 第430回:弓木城(一色氏が最後の抵抗を試みた稲富氏の居城)

    訪問日:2021年11月弓木城(ゆみのき/ゆみきじょう)は京都府与謝郡与謝野町にあったお城です。この一帯は鎌倉時代の後期より稲富保(いなとみのほ)と呼ばれた,室町時代にはこの地域を治めた稲富氏がこの城を居城としました。稲富氏で最も著名な人物は鉄砲の名手として知られた四代目の稲富祐直(いなとみすけなお )です。晩年には一夢(いちむ)と号しました。織田信長軍傘下である細川藤孝・忠興親子の軍により勢力を失ってき...

  • 第429回:[丹後]八幡山城(一色氏から細川氏へ続く丹後支配の変遷)

    訪問日:2021年11月八幡山城は京都府宮津市にあったお城です。正確な築城者は不明ですが,室町時代から戦国時代にかけては丹後守護職であった一色氏の勢力下にあったとするのが妥当です。1580年 織田信長の命を受け丹後に進攻して一色氏を衰亡させた細川藤孝・忠興が最初に居城とした城考えられています。 但し,翌年より統治に便利な平城である宮津城の築城が開始されます。完成後に宮津城に移ったことにより,八幡山城は地域統治...

  • 第428回:宇谷城(豪快な畝状竪堀が見所)

    訪問日:2021年11月宇谷城(うだにじょう)は京都府舞鶴市にあったお城です。宇谷城は由良川沿いの交通の要衝にあたる尾根先に築かれており,物流を押さえる拠点であり,地元の伝承などから一色氏の配下である在地領主の井田氏(飯田氏?)の城であったと考えられています。  ◆城は比高 50m程度の小山に築かれています。◆民家の軒先の奥に登り口があります。  ◆登山道の様子。◆城域の北端に到達しました,この辺りから竪...

  • 第427回:[丹後]中山城(一色義道が裏切りにあったとされる)

    訪問日:2021年11月中山城は京都府舞鶴市にあったお城です。戦国時代に守護職 一色氏の城として機能しており,一色義道や沼田幸兵衛清延が城主であったと伝わります。一色氏の当主であった義道が城主であったとすると本城郭の重要な城であったと推測されます。1579年 義道は織田信長傘下の明智光秀や細川藤孝に本拠地である建部山城を落とされこの城に逃げ込みました。ところが城主の沼田幸兵衛の裏切りにあい追い詰められ自刃した...

  • 2022年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。タイはバンコク暮らしも5年目に突入していますが,2020年から2021年にかけて世界中の新型コロナウィルス蔓延。これによる混乱は海外駐在者を直撃し,何年も日本に帰れなくなるということが常態化しました。私自身最後に日本に帰国していたのは2019年末から2020年の元旦にかけてでした。つまり,2年近くお城巡りも全くできなかったことにより記事にするネタも...

  • 第426回:建部山城(丹後守護 一色氏が本拠地とした城)

    訪問日:2021年11月建部山城(たけべやまじょう)は京都府舞鶴市にあったお城です。城自体は南北朝期に地元勢力により築かれたと伝わりますが,室町幕府では四職の筆頭をもつとめた名門 一色氏が丹後守護職として在所とした八田守護所を守る城とし機能したことで知られます。1578年 織田信長軍の一翼である細川藤孝(幽斎)・忠興親子の侵攻を受けて,当時の当主である一色義道は建部山城に籠城し抵抗をしますが,1579年には落城しま...

  • 一時帰国のお城巡り

    皆さんご無沙汰しております。11/8より日本に一時帰国しており日本にいます。実に2019年末から2020年元旦に帰国して以来ですので2年弱ぶり。自主隔離がありますので2週間ちょっとの間ですが,友達に会ったり会社に顔を出したりとこの間に会えなかった人への挨拶はもちろんのことですが,たくさんお城に行ってきました。●一色氏から細川氏への流れを見ようと丹後地方に出陣。建部山城,中山城,弓木城,宇谷城,八幡山城,宮津城,...

  • 記事更新 一時停止のお知らせ

    残念なお知らせです。ついに 「こにるのお城訪問記」 記事用のお城ネタが尽きました。2017年のタイ・バンコクへの転勤という大きな危機をいとも簡単に乗り越えて第2期に突入。それから3年10カ月ほどで第425回まで更新を継続することが出来きました。2019年末まではかなりの頻度で日本に帰国する機会に恵まれ,その度にお城には行っていました。これによりむしろブログ更新数よりネタの増加が上回りブログの更新には支障がない状態...

  • 第424回:[播磨]山崎城(因幡街道の主要都市を支配した近世城郭)

    訪問日:2019年12月山崎城は兵庫県宍粟市にあったお城です。山崎陣屋,鹿沢城とも呼ばれます。宍粟郡山崎町(現 宍粟市)は姫路と鳥取を結ぶ因幡街道の中間地点として栄え,戦国時代は宇野氏が本拠地とし,長水城や篠ノ丸城といった中世城郭が支配拠点として機能しました。織豊政権下では黒田官兵衛や木下勝俊 等がこの地を治めましたが,江戸時代の1615年には池田輝政の子である輝澄がこの地に3万8千石で入り近世城郭である山崎城...

  • 第425回:塚口城(因幡街道の主要都市を支配した近世城郭)

    訪問日:2020年1月塚口城は兵庫県尼崎市にあったお城です。塚口寺内町とも呼ばれます。室町時代から戦国時代にかけて,この地域における一向一揆の拠点であった塚口御坊を中心とした寺内町として発展しました。周囲を高い土塁と堀で囲んだ惣構えの構造になっており,1578年に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際には城郭として機能しました。現在は宅地化により面影が失われていますが,4か所に造られたという虎口の一部や堀跡に...

  • 第423回:聖山城(長水城攻めで秀吉が本陣とした)

    訪問日:2019年12月聖山城(ひじりやまじょう)は兵庫県宍粟市にあったお城です。1493年に宇野氏の重臣であった下村則真(しもむらのりざね)によって築いたとされ,長水城を本拠地氏とした宇野氏の支城として機能しました。1580年 織田信長軍の司令官としてこの地に侵攻した羽柴秀吉はまずはこの城を攻め落とし本陣として宇野氏の籠る長水城と篠ノ丸城を攻略しました。  ◆登り口は山麓の觱篥神社(ひちりきじんじゃ)の横に...

  • 第422回:篠ノ城(長水城と連動し地域の支配拠点として機能した)

    訪問日:2019年12月篠ノ丸城(ささのまるじょう)は兵庫県宍粟市にあったお城です。宍粟市(旧 山崎町)の中心に突き出した尾根の先に築かれたこの城は南北朝時代の14世紀半ばに赤松顕則(あかまつあきのり)によって築かれた伝わります。戦国期はこの地域で勢力を誇った宇野氏の居城である長水城の支城として機能したと考えられ,宇野正頼が当主である時にはその子の光景の城となっていましたが,父子の対立により光景が殺害され...

  • 第421回:長水城(山上に聳える石垣,宇野氏の居城)

    訪問日:2019年12月長水城(ちょうずいじょう)は兵庫県宍粟市にあったお城です。長水山城とも呼ばれます。標高584mの高所に築かれたこの城は南北朝時代の14世紀中盤。播磨守護の赤松則祐(あかまつのりすけ/そくゆう)により築かれその四男である広瀬師頼が城主となったとされ,広瀬氏四代の後,宇野氏に城主が代わり五代続きました。1580年 織田信長軍の司令官として聖山城に入った羽柴秀吉による攻撃により落城。城主であった...

  • 第420回:伊賀上野城(天正伊賀の乱の舞台となった城)

    訪問日:2019年12月伊賀上野城は三重県伊賀市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。平安時代この場所には平楽寺や薬師寺という寺院があったとされ,室町時代には伊賀守護の仁木氏(につきし)の城館がありました。豊臣政権下の1585年になり筒井定次が伊賀に入ると仁木氏館の跡に近世城郭を築城しました。関ケ原の戦いの間に一時西軍の新庄直頼・直定父子に城を奪われるなどしましたが,定次は奪還に...

  • 第419回:[伊賀]丸山城(天正伊賀の乱の舞台となった城)

    訪問日:2019年12月丸山城は三重県伊賀市にあったお城です。元々は北畠具教(きたばたけとものり)が隠居氏として築城を試みたのが始めともされるが,本格的な築城は伊賀進出を目論んだ織田信長の次男 北畠(織田)信雄が1578年 部下の滝川雄利(たきがわかつとし)に命じて開始しました。築城途中の城が大規模城郭であることに気づき危機感を募らせた伊賀の土豪たちは不意を突いて攻撃し滝川雄利軍を追い払うことに成功しました。...

  • 第418回:[伊勢]亀山城(東海道を押さえる交通の要衝){付 亀山古城}

    訪問日:2019年12月亀山城は三重県亀山市にあったお城です。元々は鈴鹿郡一帯を治めていた関五家の一人である関実忠(せきさねただ)が鎌倉時代の1265年に築城したと伝わります。当初は古城と呼ばれる小高い丘に築城され,関氏が代々本拠地としている間に現在の位置に移りました。織田信長の伊勢侵攻より後は東海道を押さえる交通の要衝であったこの城は戦いの場となっていきます。1583年関盛信の時代には家臣のクーデターにより一...

  • 第417回:田丸城(南北朝時代から続く南勢の重要拠点)

    訪問日:2019年12月田丸城(たまるじょう)は三重県度会郡玉城町にあったお城で,玉丸城とも表記されます。県史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。元々は南北朝時代に南朝の主力勢力であった北畠親房が築いたとされます。吉野と伊勢を結ぶ街道を押さえる要衝でしばしば争奪の場となりましたが南北朝統一は北畠氏一族の拠点となり戦国時代を迎えます。新興勢力である織田信長軍が伊勢に進行すると当主の北畠具教(き...

  • 第416回:岩国城(江戸時代に吉川氏が本拠地とした名城)

    訪問日:2019年10月岩国城は山口県岩国市にあったお城で,日本100名城にも選ばれています。1600年 関ケ原の戦いでは西軍の総大将であった毛利輝元は大幅な減俸となり本拠地を萩城に移しました。毛利の有力な一族衆で両川としれ知られる吉川氏の当主 吉川広家は東軍の徳川家康に通じますが,それまでの米子から岩国に国替えされました。岩国城は横山に要害となる山城を築き,藩主は山麓には御土居と呼ばれる居館で政務をとり居住し...

  • 第415回:荒滝山城(大内氏重臣 内藤氏の城と伝わる)

    訪問日:2019年10月荒滝山城は山口県宇部市にあったお城です。県史跡に指定されています。陶氏や杉氏 等と並ぶ大内氏の重臣で長門守護代を任された内藤氏の居城と伝わります。中でも最大の力を持ち知名度も高い内藤興盛は陶晴賢が大内義隆に反旗を翻した大寧寺の変では消極的に協力したようですが,興盛の死後に毛利元就と陶晴賢が争った厳島の戦いでは内藤氏家中も分裂,嫡孫の内藤隆世は大内氏に殉じ滅亡,この城に居城していた...

  • 第414回:萩城(幕末志士の多くを輩出した毛利氏の本拠)

    訪問日:2019年10月萩城は山口県萩市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。背後の指月山(しづきさん)の麓に建てられ,山上に詰丸もあることから指月城とも呼ばれます。1600年 関ケ原の戦いで西軍総大将となり敗れた毛利輝元は大幅に減封され安芸など計8か国の大大名から長門・周防二か国の大名となり,広島城からこの萩に本拠地を移しました。戦国時代には吉見氏の城があったそうですが,指月山山...

  • 第413回:[周防]山口城(毛利氏が幕末に本拠地とした)

    訪問日:2019年10月山口城は山口県山口市にあったお城です。幕末の動乱期に尊王攘夷に舵を切った長州藩 毛利氏は有事に備え,本拠地の萩城に代えてこの城を築きました。1863年から1864年にかけて毛利敬親(もうりたかちか)により本拠地を山口城に移転,幕府には居館の移転として申請したため山口屋形・山口政庁とも呼ばれます。屋形と言いながらも大砲による砲撃戦を想定した近代的な縄張りの平城で戦国時代より背後の鴻峰山にあ...

  • 第412回:[周防]築山館(大内氏の別邸として築かれた)

    訪問日:2019年10月築山館は山口県山口市にあった城館です。大内氏遺跡として国史跡に指定されています。15世紀中頃 室町時代に大内教弘(おおうちのりひろ)が本拠地の大内氏館で手狭になったことから大内氏館のすぐ北側に築いたとされます。江戸時代までは築地や庭園跡がよく残っていたそうですが,現在は西北隅の築地(土塁)が残っているのみです。  ◆館跡は築地神社と八坂神社という二つの神社の境内となっています。◆史...

  • 第411回:大内氏館(栄華を誇った名門 大内氏の本拠地)

    訪問日:2019年10月大内氏館は山口県山口市にあった城館です。大内氏遺跡として国史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。この居館は守護大名として室町時代から戦国時代まで西国に絶大な勢力を誇った大内氏の本拠地として 1360年 大内弘世(おおうちひろよ)の頃に築かれたとされます。大内氏は中国や朝鮮といった海外との貿易を盛んに行い,京都の貴族との交流も盛んで,文化にも造詣が深かった第14代 大内政弘の頃に...

  • 第410回:高嶺城(大内氏の本拠地を守る詰城)

    訪問日:2019年10月高嶺城(こうのみねじょう)は山口県山口市にあったお城です。大内氏遺跡として国史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。周防・長門から九州の一部まで支配した名門 大内氏は1551年 家臣である陶晴賢の謀反により大内義隆が自害した大寧寺の変により滅亡に向かいます。晴賢は大友氏より養子となった大内義長を当主に立てましたが1555年 厳島の戦いで晴賢自身が毛利元就に敗れ自害。1556年 本拠地に...

  • 第409回:大垣城(関ケ原の戦い前夜)

    訪問日:2019年4月大垣城は岐阜県大垣市にあったお城です。市史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。麋城(びじょう),巨鹿城(きょろくじょう)の別名を持ちます。1535年に宮川安定が築城したと言われます。戦国期の16世紀後半には西美濃三人衆の一人である氏家卜全やその子の氏家直重が城主を務めた時期もあります。天守は豊臣秀吉の家臣である伊藤盛景(祐盛)が築きました。1600年の関ケ原の戦いの直前には石田三成...

  • 第408回:黒野城(短命に終わった美濃の近世平城)

    訪問日:2019年4月黒野城は岐阜県岐阜市にあったお城です。市史跡に指定されています。1595年 豊臣秀吉政権の時に加藤貞泰(かとうさだやす)に築城されました。斎藤龍興,織田信長,豊臣秀吉に仕え功のあった父の加藤光泰が朝鮮出兵で陣没したことにより家督を継いだ貞泰は所領の甲斐より4万石で同地に移封となりました。1600年 関ケ原の戦いでは初め西軍につくも途中で東軍につき所領を安堵されています。貞泰は黒野城の城下町の...

  • 第407回:鷺山城(斎藤道三の隠居城として知られる)

    訪問日:2019年4月鷺山城(さぎやまじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。鎌倉時代 12世紀末期に佐竹秀義によって築城されたとされます。室町時代から戦国時代にかけ美濃守護であった土岐氏の本城である革手城の支城として機能した後,土岐氏の内訌を制した11代土岐頼芸はこの城に居を構えていました。その後,戦国時代の美濃の覇者となった斎藤道三は本拠地の稲葉山城を息子の斎藤義龍に譲ると自身は隠居してこの城に入りまし...

  • 第406回:上茜部城(堀秀政 生誕の城)

    訪問日:2019年4月上茜部城(かみあかなべじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。織田信長,豊臣秀吉に仕えた名人久太郎とも呼ばれた堀秀政の生誕の城として知られますが,現在は道路沿いの石碑と案内板のみが城があったことを示しています。城自体は16世紀の前半に堀資重により築かれたと伝わります。その子孫である堀秀重の子としてこの城で誕生した堀秀政は織田政権,豊臣政権にとって無くてはならない存在の武将となってい...

  • 第405回:革手城(美濃守護であった土岐氏の本拠地)

    訪問日:2019年4月革手城(かわてじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。川手城とも書きます。室町幕府の元では美濃国の守護職であった名門 土岐氏の城として知られます。1353年 3代守護の土岐頼康によって築かれ11代の土岐頼芸(ときよりのり/よりあき)まで土岐氏の本拠地,即ち美濃の守護所として機能しました。戦闘向けの城郭というよりは屋敷風の平城であったとされ,応仁の乱などの戦乱を避け逃れてきた公家等を受け入れ...

  • 第404回:加納城(近世 美濃の重要拠点であった)

    訪問日:2019年4月加納城(かのうじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。国史跡に指定されています。元々この場所には1445年に土岐氏の家臣であった斎藤利永が土岐氏の本拠地であった川手城を守る城として築いた沓井城(くついじょう)がありました。この城自体は既に廃城となっていたものの,関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は美濃の中心城郭であった岐阜城を取り壊しました。1601年 普請奉行として徳川四天王の本多忠勝が指揮...

  • 第403回:敦賀城(名将 大谷吉継が居城とした)

    訪問日:2019年11月敦賀城は福井県敦賀市にあったお城です。1582年に羽柴秀吉の家臣であった蜂屋頼隆により三層の天守も備えた城として築かれました。1589年 頼隆が病死した後は,名将として知られる大谷吉継が入り居城としました。1600年 関ケ原の戦いで吉継が敗死した後は越前を与えられた徳川家康の次男 結城秀康の代官によって治められました。1616年 一国一城令により廃城となりました。1624年 敦賀が小浜藩の京極氏に引き継...

  • 第402回:新善光寺城(南北朝の動乱,越前で両陣営が争った痕跡)

    訪問日:2018年11月新善光寺城は福井県越前市にあった城です。市史跡に指定されています。築城時期は不明ですが,南北朝時代の動乱で機能した城郭で,北朝方の越前守護 斯波高経が築いたとされます。1336年 南朝方の瓜生保(うりゅうたもつ)の攻撃により落城しますが,金ヶ崎城で苦境に陥った新田義貞の救援に向かった瓜生保は討たれ,再度北朝方が奪還。1338年には勢力を回復した新田義貞の勢力に攻撃され落城しました。1366年に...

  • 2021年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2017年の10月にタイに転勤となって以来,2020年9月末で丸3年,タイ生活も4年目に突入しております。2020年は新型コロナの影響で正月に日本に帰国して以来ついに戻ることができませんでした。自分でも良くブログ続けているなと思うのですが400回を無事に通過しました。継続は力なり。しかしながら,流石に城ネタの入手が不可能な状態には困ったものです,あと...

  • 第401回:小丸城(佐々成政が築き居城とした)

    訪問日:2018年11月小丸城は福井県越前市にあった城です。県史跡に指定されています。1575年 朝倉氏を滅ぼした織田信長は北方司令官の柴田勝家の与力としてに府中三人衆と呼ばれる前田利家・佐々成政・不破光治にこの地域を治めさせました。小丸城は府中東の味真野扇状台地の末端に佐々成政が築城しました。野々宮廃寺を縄張りに取込み,城域はかなり広かったようですが,1581年には成政は越中国に移封となり富山城に移りわずか6年...

  • 第400回:丸岡城(北陸に唯一残る現存天守)

    訪問日:2018年11月丸岡城は福井県丸岡市にあった城です。霞ヶ城とも呼ばれ日本に12基のみ残る現存天守が残るとして知られ日本100名城に選ばれています。長らく犬山城と最古の天守の座をめぐって議論されてきましたが,現在では江戸時代 初期の寛永年間に建造されたされ,犬山城に軍配が上がっております。織田信長より北陸攻略を任されていた柴田勝家の甥である柴田勝豊が1576年に築城しました。1582年の本能寺の変の後,清須会議...

  • 第399回:龍門寺城(府中三人衆 不破光治の居城であった)

    訪問日:2018年11月龍門寺城は福井県越前市にあった城です。市史跡に指定されています。元々は龍門寺という寺があった場所でしたが,織田信長が朝倉義景を攻め滅ぼした後,朝倉方より寝返った富田長繁(とだながしげ)は城を築き居城としました。長繁は朝倉氏滅亡後に越前の守護代となった前波吉継を攻め滅ぼし一時期は越前を支配するまでになりましたが,一向一揆勢と対立し1574年身内の裏切りにあい討たれてしまいました。その後...

  • 第398回:[越前]府中城(府中三人衆となった前田利家が居城とした)

    訪問日:2018年11月府中城は福井県越前市にあった城です。戦国時代 越前の覇者朝倉氏の時代には府中奉行所があったとされ,1575年 朝倉氏を滅ぼした織田信長は北方司令官の柴田勝家の与力としてに府中三人衆と呼ばれる前田利家・佐々成政・不破光治にこの地域を治めさせました。前田利家がこの場所を二重の堀を持った城郭を築城し利家が能登に移った後は息子の前田利長が入りました。1583年 賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉は柴田勝家を滅...

  • 第397回:千早城(籠城戦で知られる楠木正成の詰城)

    訪問日:2018年12月上赤坂城(かみあかさかじょう)は大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。国史跡に指定されており,日本100名城にも選ばれています。鎌倉幕府末期の1331年より始まった元弘の乱で後醍醐天皇方として名を上げた楠木正成の城です。金剛山の各尾根に築かれた城郭群の中でも1333年 正成自身が3カ月半の籠城戦(千早城の戦い)において,大軍であった幕府軍を寡兵ながらも奇策をもって翻弄し撃退した城として歴史的...

  • 第396回:上赤坂城(楠木軍 VS 幕府軍の激闘)

    訪問日:2018年12月上赤坂城(かみあかさかじょう)大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。楠木城とも呼ばれ国史跡に指定されています。鎌倉幕府の末期,北条高時と後醍醐天皇の勢力が争った元弘の乱において天皇方の楠木正成率いる楠木軍が活躍した舞台として知られます。1333年の上赤坂城の戦いでは主将に平野将監入道,正成の弟である楠木正季(くすのきまさすえ)が副将として籠城し鎌倉幕府軍を迎え撃ちます。1331年に落城...

  • 第395回:下赤坂城(楠木正成が鎌倉幕府軍を翻弄し名を上げた)

    訪問日:2018年12月下赤坂城大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。国史跡に指定されています。鎌倉幕府末期から南北朝の動乱期に活躍した楠木正成の城として知られます。楠木正成と言えば後醍醐天皇に従い各地でゲリラ戦を行い鎌倉幕府打倒に貢献し,忠臣の鏡,変幻自在の戦術で大軍を翻弄する軍略家として広く知られた名将です。その正成の最初の派手な活躍は1331年 討幕のため笠置山で挙兵した後醍醐天皇に呼応しこの城で挙...

  • 第394回:竹中氏陣屋(櫓門の残る石垣造りの陣屋)

    訪問日:2018年11月菩提山城(ぼだいさんじょう)は岐阜県不破郡垂井町にあったお陣屋です。県史跡に指定されています。豊臣秀吉の名軍師として名高い竹中半兵衛(重治)が病死した後は子である竹中重門が継ぎ,1589年には元の本拠地であった菩提山城がある美濃不破郡5000石を与えられました。この後,現在地に本拠を移し岩手城としましたが,江戸時代に入ると1万石未満の交代寄合の身分となったため城とは名乗れず岩手陣屋,竹中...

  • 第393回:菩提山城(竹中半兵衛の居城として知られる城)

    訪問日:2018年11月菩提山城(ぼだいさんじょう)は岐阜県不破郡垂井町にあったお城です。町史跡に指定されています。元々は大御堂城を居城とした竹中重元がこの地を治めていた岩出氏を滅ぼした翌年の1559年に築いたとされています。この城は標高400m以上の高所に築かれた西美濃最大級の山城で多くのを遺構を見ることが出来ますが,やはり重元の子である後の名軍師 竹中半兵衛こと重治が居城としていたことで知られます。江戸時代...

  • 第392回:鎌刃城(近江を南北に分けた境目の城)

    訪問日:2018年11月鎌刃城(かまはじょう)は滋賀県米原市にあったお城です。国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。384mの高所に建てられたこの山城は築城時期などの詳細はわかっていませんが,湖北地方と湖南地方の境目に築かれた軍事上の重要拠点でした。戦国時代には北の浅井氏と南の六角氏の攻防の場となり,織田信長が侵攻してきた際には浅井長政についていた城主の堀秀村は途中で織田方に転じています。1974年...

  • 第391回:[伊予]黒城(西園寺氏の本拠 黒瀬城を守る支城)

    訪問日:2018年10月岡城は愛媛県西予市にあったお城です。城の歴史の詳細については不明ですが,南西部 宇和郡を中心に勢力を持った西園寺氏の本拠地であった黒瀬城の尾根沿い背後を守備する支城して築かれたと考えられます。  ◆黒瀬城と同じく運動公園のグランド奥の道沿いの登山口,宇和運動公園施設プールの裏にも登山口。または,裏技で裏の林道側からアクセスが可能です。今回は黒瀬城とセットで背後の林道からアクセス...

  • 第390回:黒瀬城(伊予南西部に勢力を持った西園寺氏の本拠地であった)

    訪問日:2018年10月黒瀬城(くろせじょう)は愛媛県西予市にあったお城です。強力な戦国大名が現れなかった伊予国は複数の戦国大名がそれぞれの地域を支配していました。黒瀬城は南西部 宇和郡を中心に勢力を持った西園寺氏の後期の本拠地でした。室町時代に西園寺公良がこの地に入った後の初期には松葉城を本拠地としていましたが,戦国時代に入ると他家に圧迫され西園寺実充もしくは西園寺公家の時代にこの城に移り本拠地としま...

  • 第389回:大洲城(精巧な木造復元天守,南予の重要拠点)

    訪問日:2018年10月大洲城(おおずじょう)は愛媛県大洲市にあったお城です。県史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。1331年 鎌倉時代に宇都宮豊房が守護として入り築いたとされその頃は地蔵ヶ嶽城と呼ばれていました。その後大洲の旧名である大津から大津城とも呼ばれていました。戦国時代末期まで南予を支配した伊予 宇都宮氏の居城でしたが,1568年に毛利氏・河野氏連合軍に敗れて降伏し,その後,河野氏の武将であっ...

  • 第388回:松山城(加藤嘉明が築いた連立式天守の城)

    訪問日:2018年10月松山城は愛媛県松山市にあったお城です。日本に12基しか残っていない現存天守の城。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。また,日本三大平山城の一つにも数えられます。賤ケ岳の七本槍の一人として知られる加藤嘉明が1600年 関ケ原の戦いの功のより10万石より20万石に加増,それまでの居城であった松前城(まさきじょう)に変えて1602年より勝山に築城を開始しました。1603年には嘉明はこの地に入り...

  • 第387回:[伊予]松前城(加藤嘉明が水軍を率いた城)

    訪問日:2018年10月松前城(まさきじょう)は愛媛県伊予郡松前町にあったお城です。正木城とも書き,読みは”まさき”です。町史跡に指定されています。歴史的には非常に重要な城ですが,東レの工場と住宅により跡形も無い状態で,県道22号線沿いの一角にある城碑と案内板だけがかつて城であったことを示しています。歴史は古く平安時代に遡るともいわれますが,南北朝時代には存在があったことが文献で確認されます。南北朝の動乱で...

  • 第386回:港山城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)

    訪問日:2018年10月港山城(みなとやまじょう)は愛媛県松山市にあったお城です。湊山城とも書きます。1186年 河野通信が築いたという説もありますが,14世紀の前半 建武年間に河野通盛(こうのみちもり)が湯築城に移った時に海を守る支城として築いたというのが一般的かと思います。1460年代には分家 予州家の河野通春が本拠とし宗家の河野教通(こうののりみち)に対抗したとされています。通春は1481年に宗家との戦いで戦死し...

  • 第385回:荏原城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)

    訪問日:2018年10月荏原城(えばらじょう)は愛媛県松山市にあったお城です。県史跡に指定されおり,恵原城や会原城等とも表記されます。築城時期は不明ですが,建武年間には忽那氏が戦ったとの記述が残りその時代と考えられますが,室町時代後期から戦国時代からは伊予守護であった河野氏の重臣 平岡氏の居城でありました。内紛などで有力な戦国大名へとなることができなかった河野氏ですが平岡氏は主家に最後まで支え主力として...

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