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  • 縄文人の「本然の性」

    (1)「本然の性」とは、本来からの当然の「性質=身魂(みたま/体を支える心/様態を支える精神)」であり、縄文人の「本然の性」とは、次のようなものである。 ①食料不足防止のため余分に動物を殺すことはしない・出来ないのと同様に、〈生きていくうえで不可欠な仲間である人間〉を殺すことはしない・できない。 ②狩猟採集という獲得経済のもとでは、農耕牧畜という生産経済に不可欠な土地の所有が必要ないため、「所有」という概念がないので争いの元となる物の「所有」がないため、争いに勝つために「他の人間を殺す」という概念も生まれないため、人間を殺すことはしない・できない。(2)(1)のことから、縄文人の「本然の性」を一言でいうと、「殺戮しない・出来ない精神」となる。...

  • 生駒の神話<最新版>

    ~図はクリックで拡大できます。~ これは、24.2.4の第15回らら まつり<ミラー>で、大事なことは皆で考え決めよう会がパネル展示した〈生駒市「神話と里山の都市」構想 〉 .pdf〉のために書いたものです(パネル展示の文に若干追記したところあり)。 「最新版」である事由 ⇨(5)のパート:「命を頂く道具」と「命を奪う武器」を明確化しました/(7)のパート:「国譲り」の定義を補修しました/(8)のパート:和(倭)魂の移動という折口信夫の見解を基に補修しました。(1)海の向こうからやってきて日向(ひむか/現宮崎県)を治めていたイワレヒコ(のちの神武天皇)は、九州を征したのち、内つ国(うちつくに/国の中心/生駒山の東側/現在の生駒~奈良盆地周辺)を征服せんと瀬戸内海を東進して難波(なにわ/現大阪平野/生駒の神話が生まれた縄文時代から弥生時代への移行期、まだ大部分は海<右写真ご参照>)にいたり、そこより生駒山を越えようとした。 (2)このとき、内つ国ではナガスネヒコが、イワレヒコより先に海の向こうから内つ国にやってきたニギハヤヒと共に、戦う(人間を殺す)ことのない平和なクニづくりをしており、狩猟採集漁労に生きるナガスネヒコたちは、武器でない狩猟用の弓矢しか持たなかったので、侵攻軍を撃退するために、雨のように矢を放った。侵攻軍を射抜くためではなく、前進してくる侵攻軍の眼前に天から降ってくる矢で鉄壁の壁をつくることで、侵攻を許さない意思を突きつけ、物理的な障壁をつくるために。ナガスネヒコたちは、投石や落岩等も駆使して、侵攻軍を殺すことなく撃退した(クサカの戦い)。(3)内つ国征服に執着する侵攻軍は、太陽に向かって進んだので撃退されたと思い、迂回して南東方向から太陽を背に内つ国に侵攻せんとした。(4)侵攻軍は迂回ルートを進む途上、その先々で、食糧・寝所・休養所等を得るために、ナガスネヒコたちと同様にこれまで戦う(人間を殺す)ことのない世界に生きてきて戦うことなど知らない狩猟採集民を一方的な攻撃や謀略によって殺戮(食べるため以外の目的で殺すこと)した。(5)侵攻軍が殺戮しているという知らせを受けて怒りをたぎらせたナガスネヒコたちは、再び侵攻軍と会いまえた時(トミの戦い)、侵攻軍をせん滅(殺戮)せんとして、食べるために動物の命をいただく狩猟の道具である弓矢を人間の命を奪う武器に変え、彼らは軍隊に変質した。(6)ナガスネヒコ軍が、

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