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  • 大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀

    大嘗祭に戻る(1)「大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀」であることを説明する資料 ①・・・・・麻と粟が優先されるのは、それらがこの国にまず先にあったからである。つまり、麻と粟は縄文人の象徴であり、稲と絹は弥生人の象徴であるのだ。大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀である・・・・・。<この記事より/太字は引用者による> ②・・・・・粟は、稲の栽培が盛んになる前から食料として利用され、大地の恵みの最たるもの。すなわち神前に供えて感謝する産物だった。考古学的には、日本には縄文時代から存在していたことが分かっている。この「縄文」とは、表面に縄目を記した土器に由来する。この「縄」は麻縄で付けられた。縄文時代において「麻」はそれほどポピュラーな植物だった。麻は神事でも、きわめて重要な役回りがある。神具のいくつかには必須であり、大麻でつくられた巨大なハタキのようなものによるお祓いの儀式は今も地鎮祭などで見られる。そして大嘗祭。そこでは麻の織物「あらたえ」と、絹の織物「にぎたえ」が献納される。神前に供える食物は「粟」と「稲」をともに献上する。一般的には、「大嘗祭は稲の祭祀」と思われているが・・・・・「粟+麻」と「稲+絹」の儀式・・・・・「粟」と「麻」は縄文の、「稲」と「絹」は弥生の象徴であり、「大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀」・・・・・麻は大麻でもあり、古代の人びとは麻を単に縄や衣服で用いただけではなく、「麻酔い」で神がかり状態になったり、薬にもなるという特別の効能についても知っていたはず・・・・・今度の大嘗祭に使う麻は、そのためにわざわざ徳島で種を撒かれ栽培されたもの。麻織物を手掛けるのは古代の職能集団「阿波忌部」の末裔だという。「大麻比古神社」を一宮とする徳島(阿波)における「粟」や「麻」、神事とのつながりは今も続いている・・・・・。<大嘗祭は「稲の祭祀」ではなかった!(ミラー)より/太字は引用者による >(2)(1)を踏まえた考察 ①弥生の精神は「水田耕作を中心とする国(瑞穂の国)づくり」であり、縄文の本然の性は「非戦・避戦の精神(殺戮はできない・しない)」である。〈この弥生の精神と縄文の本然の性を併せ持つ者〉、つまり、〈殺戮を含む強制力を属性とする「国家=世俗権力の統治機構」の時代にあって世俗権力をけん制しながら「瑞穂の国」づくりをする天皇〉を誕生させるのが大嘗祭である。 ②「天皇を誕生させる」ことは大嘗祭のページによ

  • 「生駒の神話研究会」の訴え

    「国家はなにがしかの国民の物語を必要とする」<日本人が意外と知らない「戦前の正体」…「神話」からみる戦前の「本当の姿」(ミラー)より>そのため、戦前では「神武東征神話」(西からやってきた神武天皇がまつろわぬ者たちを征服して即位され建国された、とするもの)が「国民の物語」(国民のアイデンティティの物語)とされ、これに加えて、天皇は現人神であり「日本は神国」で、その栄光は世界に及んでいるという物語がつくられ、それがアジア侵略を正当化・推進し、あげく亡国(大日本帝国の崩壊)をもたらした。 かかる「征服(侵略)」を正当化する「神武東征神話」は「記紀」を創作した時の世俗権力者によって、それまで言い伝えられてきた神話を改ざんして捏造された神話である。「征服(侵略)」を正当化する「神武東征神話」は戦後になっても「国民の物語」 であることが否定されていない。それは、再び戦前の誤りを繰り返す要因となる。「新しい戦前」が始まった今、一刻も早い、改ざんされる前の神話である「生駒の神話」を復活・普及させ、これを日本の未来を切り開く「国民の物語」にしなければならない。 <生駒の神話は、以下のことを物語にしたものである> 西からやってきた(侵略してきた)後期渡来人が、先住民と前期渡来人を征服して国家を建設せんとした。先住民と前期渡来人は侵略者を殲滅(殺戮)することもできた。しかし、2つの理由でそれはできなかった。①「殺戮は不可能」というのが先住民の「本然の性」であったこと。②先住民が「本然の性」を捨て去って侵略者を一旦殲滅しても、歴史の流れ(必然性)は「国家建設」の時代の到来であり、この流れは 、国家(殺戮を含む「強制力=暴力・武力」を属性とする)をつくろうとする者を何回殲滅しても止めることは不可能であったこと。 ならば、国家をつくろとする者に、先住民の「本然の性」を受け継ぐことを条件に国づくり(これは現実的には「国家」づくりとなってしまう)を委ねた(これを「国譲り」という/出雲神話では、先住民の「本然の性」を受け継ぐという条件の見える化として、国を譲るかわりに出雲大社をつくれという条件がつけられたことは有名)。 こうして、後期渡来人は先住民の「本然の性」を受け継ぐという約束の下に国家をつくっていったが、それは、矛盾する行為だった。「殺戮は不可能」という「本然の性」を保持しながら「殺戮を属性」とする国家をつくるという行為だったからだ。 し

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