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  • 生駒神話の概説(2023.1)

    TOP PAGEに戻る 日本人にとって最も大切な神話が「生駒神話」。これは、日本国家確立期に、当時の世俗権力者(=祭祀権力者たる天皇と区別してこういわれる)によって「神武東征神話」へと改ざんされた上で古事記・日本書紀に記された。元の姿の詳細は、生駒の神話に記載されているが、簡潔に述べると、下記の<骨子>の通りである。 この神話は、日本が、縄文時代(国家のない時代)から弥生時代(殺戮を属性とする国家が成立していった時代)に移行していく中にあって、人々の今後の歩むべき道を示し、それを後世にも伝えるために成立した。 この神話の主人公は3人。ナガスネヒコ(国家意識は皆無で、殺戮を知らない・出来ないが本然の性の先住民たる縄文人を人物化したもの)、ニギハヤヒ(国家意識はあるが小さい前期渡来人ー前期弥生人-を人物化したもの)、イワレヒコ(国家意識が強烈で、国家をつくり維持強化するためなら殺戮はいとわない後期渡来人ー後期弥生人- を人物化したもの/即位して初代天皇となる)生駒神話の<骨子>(1)ニギハヤヒが海のかなたから現在の生駒北部に渡来し、ナガスネヒコに自分たちの居住地を提供してくれるように依頼した。ナガスネヒコはそれに応え、両者は話し合い、縄文人はこれまで通り山や川で狩猟漁労採集を主とする生活を営み、前期渡来人は田畑に適した場所で水田耕作を主とする生活を営み、両者はお互いの恵みを交換していくことにした。このような人々の結びつきは、古代的・封建的な「服従と保護」や資本主的な「貨幣・商品の媒介」ではない「互酬(贈与と返礼) 」と呼ばれる(ご参照.jpg)。この神話が後世に伝えたいことの1つに、本来の人間の交換様式(結びつきの様式)は「互酬(贈与と返礼) 」であり、それを未来の人類は再び取り戻すだろう、ということである。なお、この様式は、縁起の法(すべてのものはつながり互いに助け合っている、との法)の風がそよぐ中で行なわれる。(2)こうして両者は共存・共栄していくことで日本人が形成されていった。それをこの神話は、ナガスネヒコの妹の縄文人たるミカシキヤヒメ(ミカシキヤは漢字で「御炊屋」で 「山の木で田でとれた米を煮たきする大切な所」の意)と弥生人たるニギハヤヒが婚姻し、いわば縄文人と渡来人のハーフたる日本人としてのウマシマジが誕生した話を添えることで見える化している。そして、縄文人と渡来人(弥生人)が共存・共栄することで縄文的要素

  • 縄文人の「本然の性」

    縄文と弥生に戻る(1)「本然の性」とは、本来からの当然の「性質=身魂(みたま/体を支える心/様態を支える精神)」であり、縄文人の「本然の性」とは、次のようなものである。 ①食料不足防止のため余分に動物を殺すことはしない・出来ないのと同様に、〈生きていくうえで不可欠な仲間である人間〉を殺すことはしない・できない。 ②狩猟採集という獲得経済<注1>のもとでは、生命の源たる食を生産する必要はなく、従って農耕牧畜という生産経済<注2>とは違って土地の所有が必要ないため「所有」という概念がないので、争いの元となる物の「所有」がないため、物を取りあいする争いに勝つために「他の人間を殺す」という概念も生まれないため、人間を殺すことはしない・できない。 <注1>獲得経済 ⇨食は神が授けてくれるもので、それを「獲得する=得る」ことで生きることができるという経済。この経済の下で縄文人は食・土地を含むすべてのものは神からの授かりものと考えていた。ピュシス的経済。 <注2> 生産経済 ⇨ 食は「生産する=作ることを自然に強制する」という経済。これは「強制=暴力」的な経済であり、現代農業では、農薬で土を苦しめていることでそれを見える化している。ロゴス的経済。(2)(1)のことから、縄文人の「本然の性」を一言でいうと、「殺戮しない・出来ない精神」となる。*******...

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