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峰さんさんのプロフィール

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港北区
出身
北区

一人旅の街道歩きに、すっかりハマってしまいした。 街道歩き以外の横浜・東京の町歩きもブログに書いています。

ブログタイトル
ウォーク更家の散歩
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ブログ紹介文
一人旅で、東海道、中山道、日光街道、奥州街道を全踏破しました。 現在、甲州街道を踏破中です。
更新頻度(1年)

85回 / 365日(平均1.6回/週)

ブログ村参加:2013/01/26

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ウォーク更家の散歩
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峰さんさんの新着記事

1件〜30件

  • 電車で行く「薩摩街道」 (その14:日奈久宿 )  2019.10.28

    (写真は、江戸時代には細川藩の藩営の温泉だった「ばんぺい湯」)江戸時代には、島津の殿様が参勤交代のために「薩摩街道」を通りました。また、篤姫も、将軍への嫁入りの際に「薩摩街道」を江戸へ向かいました。そして明治時代、西南の役の際には、西郷隆盛軍が、熊本城攻撃のために「薩摩街道」を北上しました。「日奈久(ひなぐ)宿」は、八代海に臨み、600年の歴史を持つ温泉です。江戸時代初期には、細川藩の藩主の浴舎が造られ、以降、藩営の温泉として栄えました。また、薩摩藩の藩主は、参勤交代の際、鹿児島から船で日奈久へ入港し、温泉を楽しんだそうです。大正12年、鹿児島本線が開通すると、遠方からも人が訪れる温泉観光地として大いに発展しました。先月、帰省した際に、その「日奈久(ひなぐ)宿」を訪れました。(熊本駅)熊本駅から「鹿児島本線」に...電車で行く「薩摩街道」(その14:日奈久宿)2019.10.28

  • ラグビーW杯 2019 (東京・味の素スタジアム)(ウェールズ対ニュージーランド:3位決定戦)  2019.11.1

    (写真は、試合前のオールブラックスの「ハカ」)日本中が熱狂した、ラグビーW杯も終わってしまい、私は、”ラグビー・ロス”の日々ですが、皆様は如何お過ごしでしょうか。でも、野球の方では、東京オリンピックの予選を兼ねた「プレミア12」(WBSC)の1次ラウンドが台湾で行われ、日本は、苦労しながらも3連勝して、現在千葉で開催中の2次ラウンドに進みました。そこで、昨日はオーストラリアに3:2で辛勝しました。この「プレミア12」(WBSC)の2次ラウンドのTV観戦で、”ラグビー・ロス”を徐々に回復したいと思っています。と言う訳で、話は、先々週に戻りますが、「ラグビーワールドカップ2019」の3位決定戦「ウェールズ対ニュージーランド」を観に、「東京・味の素スタジアム」に行って来ました。3位決定戦のチケットを購入したのは、日本...ラグビーW杯2019(東京・味の素スタジアム)(ウェールズ対ニュージーランド:3位決定戦)2019.11.1

  • 電車で行く「薩摩街道」(その13:高瀬の戦い:西南戦争)(熊本県玉名市) 2019.9.14 

    (写真は、西郷隆盛の末弟の「西郷小兵衛戦死の地」の碑)前回の「いだてん」金栗四三の故郷の玉名市内巡りの際、玉名市も西南戦争の激戦地であったことを知りました。西南戦争の「田原坂の戦い」の10日前に、ここ玉名市では「高瀬の戦い」の激闘が繰り広げられました。(「田原坂」については、「田原坂・歴史」「田原坂散策」を見てね。)そして、NHK大河「西郷どん」の主役「西郷隆盛」の末弟である「西郷小兵衛(こへえ)」が、ここ玉名市の高瀬で戦死しました。小兵衛は、西郷家の四男で、大家族の末っ子として育ちました。長じて、戊辰戦争に従軍し、江戸に進軍、更には、東北の緒戦にも参戦しています。西南戦争では、小隊長として、ここ「高瀬の戦い」に参加し、「繁根木(はねぎ)八幡宮」に立て籠もる官軍の大部隊と、激戦を展開しました。そして、繁根木八幡...電車で行く「薩摩街道」(その13:高瀬の戦い:西南戦争)(熊本県玉名市)2019.9.14

  • 熊本県・玉名市 ( 「いだてん」金栗四三の故郷 )  2019.9.12

    (金栗四三が、毎日水浴びをした井戸のポンプ)現在放映中のNHK大河ドラマ「いだてん」は、従来の戦国時代などの大河ドラマに比べて、現代に近いドラマなので、歴史好きの大河ファンには人気がない様です。また、お年寄りの間では、あちこち話が飛び過ぎて、ストーリーがよく分からない、とイマイチの評判です。しかし、舞台が私の故郷の熊本とあって、ここはひとつ、私一人分だけでも低迷する大河を応援しようと、先々月、実家の熊本に帰省した際に、「いだてん」の主役「金栗四三」の故郷である「玉名市」に行って来ました。熊本駅からJR鹿児島本線に乗って、30分の玉名駅で下車します。(熊本駅)(玉名駅)駅前から、無料周遊バスに乗って、「いだてんの故郷」を巡ります。無料周遊バスは、1時間に1本程度しかないので、事前に時刻をチェックしておく必要があり...熊本県・玉名市(「いだてん」金栗四三の故郷)2019.9.12

  • 電車で行く「薩摩街道」(その12-3:鹿児島宿:礒庭園)   2019.9.8

    (写真は、磯庭園から望む桜島)西郷隆盛が率いた薩摩軍が眠る南州墓地にお参りしてから、墓地の参道の坂道をずっと歩いて下りて行くと、下の写真の「今和泉島津家本邸跡」バス停に出ました。このバス停の前の敷地が、篤姫の実家の「今和泉島津家本邸」跡だそうです。篤姫が生まれ育ったという屋敷自体は現存しませんが、通りに面した上の写真の石垣は当時のままらしいです。その今和泉島津家本邸跡バス停から、1日乗り放題「カゴシマシティビュー」巡回バスに乗り、薩摩藩主の別邸だった「仙巌園」(せんがんえん)バス停で下車します。上の写真は、仙巌園の正門です。「仙巌園」(礒庭園)は、1658年に、薩摩藩主の島津光久によって造園されました。現在は、「仙巌園」の一帯には、薩摩藩主・島津斉彬が、幕末に築いた工場群の「集成館」の跡地が拡がっており、「反射...電車で行く「薩摩街道」(その12-3:鹿児島宿:礒庭園)2019.9.8

  • 電車で行く「薩摩街道」(その12-2:鹿児島宿:西南戦争)  2019.9.8 

    (写真は、城山から望む桜島)天文館通りの白熊本店で腹ごしらえをしてから、天文館通りの繁華街を抜けて、国道3号沿いの中央公園に出ます。中央公園の道路向いの広場に、明治維新に尽力した薩摩藩家老の「小松帯刀(たてわき)」(西郷どんでの配役は町田啓太)の銅像が上の写真の様に建っていました。そして、中央公園の交叉点の正面は、城山を背に、昭和12年に建てられたという14メートルもの高さのある上の写真の「西郷隆盛銅像」です。この銅像は、戦時中の軍への金属供出にも、GHQの撤去命令にも、官民挙げて拒否したために残ったそうです。西郷隆盛銅像を左手に見ながら、国道3号を進むと、直ぐに写真の「鶴丸城」があります。「鶴丸城」は、「鹿児島城」の別名で、関ヶ原の合戦の後に、島津家久が、ここに居館を築いて、周辺に家臣の屋敷を移しました。77...電車で行く「薩摩街道」(その12-2:鹿児島宿:西南戦争)2019.9.8

  • 電車で行く「薩摩街道」(その12:鹿児島宿)  2019.9.8

    (写真は、鹿児島中央駅の前の「若き薩摩の群像」碑)「薩摩街道」の起点は「鹿児島宿」で、熊本宿を経緯して、途中で長崎街道に合流し、小倉に至ります。薩摩街道へは、古くは、豊臣秀吉が、薩摩遠征のために大軍を率いて押し寄せました。江戸時代には、島津斉興や島津斉彬などの島津の殿様が参勤交代のために通りました。また、篤姫も、将軍への嫁入りの際に薩摩街道を江戸へ向かいました。そして明治時代、「西南の役」の際には、「西郷隆盛」軍が、熊本城攻撃のために、薩摩街道を北上しました。(これまでの薩摩街道については、佐敷①・②、八代、川尻、熊本①・②、田原坂①・②を見てね。)最近、「西郷どん」(2018年NHK大河ドラマ)の「西郷どん大河ドラマ館」が取り壊されたという噂を聞きました。「西郷どん」(せごどん)関連のその他の記念館や説明版も...電車で行く「薩摩街道」(その12:鹿児島宿)2019.9.8

  • 熊本・藤崎宮の秋季例大祭 2019.9.16 

    (写真は、藤崎宮の飾り馬の奉納行列)先月、法事のため、実家の熊本に帰省した際に、遭遇した出来事の続きです。帰省の最終日の9月16日、熊本市の中心部にある「藤崎宮」にお参りに行きました。と言うのは、この日が、ちょうど藤崎宮の「秋季例大祭」の日だったからです。藤崎宮は、熊本市民が、毎年、初詣に行く神社なのですが、秋の例大祭は、熊本県の祭りの中でも、最も盛り上がる祭りなのです。私の子供の頃は、この「秋季例大祭」は、「ぼした祭り」という名称でしたが、私は、この祭りを凄く楽しみにしていました。子供の頃、この「ぼした祭り」の”ぼした”は、「加藤清正」が朝鮮を”滅ぼした”という意味だと聞かされていました。しかし、”朝鮮を滅ぼした”という趣旨の「ぼした祭り」という名称は”使用禁止”となり、現在は、「例大祭」という、インパクトの...熊本・藤崎宮の秋季例大祭2019.9.16

  • 熊本・桜町バスターミナル・オープン 2019.9.14 

    (写真は、オープン当日の「桜町バスターミナル」)いや~、驚きました!まさか、日本がアイルランドに勝利するとは!(対戦相手のアイルランドについては、前回のブログの「ラグビーワールドカップ(日産スタジアム)」を見てね。)これからの残りの期間中、日本国内は熱気に包まれそうです。ところで、話は変りますが、法事のため、今月8日~16日、実家の熊本に帰省しました。帰省中の9月14日、ちょうどこの日に、”国内最大”のバスセンターが、熊本市にオープンしました。(正式名称は「サクラマチクマモト」)(オープンを伝えるTVニュース)(オープンを伝えるポスター)新宿バスタや、福岡の天神バスセンターを抜いて、”日本一のバスセンター”の誕生なのです!乗降場所が29カ所もあり、1日に4,300台ものバスをさばきます。ここは、熊本市内、天草・...熊本・桜町バスターミナル・オープン2019.9.14

  • ラグビーワールドカップ2019 (横浜・日産スタジアム)  2019.9.22

    (写真は、アイルランドのトライの瞬間)いよいよ、ラグビーのワールドカップが始まりましたね。日本が初戦でロシアを30対10で破ったので、これからの期間中、日本国内は盛り上がりそうです。私は、高校時代は男子校で、体育の時間は、柔道、剣道、ラグビーが必須科目でした。私は、柔道は好きでしたが、ラグビーは嫌いでした。ラグビーの授業は、小石混じりの普通の運動場で行われたので、タックルされると、膝を擦り剥いて血だらけになるからです。タックルを避けるため、私は、出来るだけボールをパスされない様な位置にいて、後ろの方からくっ付くいて走っていました・・・ラグビーの細かいルールはもう忘れてしまいましたが、それでも、高校時代の授業お蔭で、ラグビーのTV中継を見ていても、何となくゲーム展開が理解出来ます。九州はラグビー王国で、我が高校の...ラグビーワールドカップ2019(横浜・日産スタジアム)2019.9.22

  • 野猿公苑 (長野県) 2019.8.15

    (写真は、「野猿公苑」の「露天風呂」で、お湯を飲む「野猿」)昨日は、長野県の古くて雰囲気のある「小布施」の町並みを散策してから、その先の「湯田中温泉」で一泊しました。翌日は、早朝から温泉に入り、宿泊していた温泉宿をゆっくりと出て、緩やかな坂道を湯田中温泉駅まで下って行きます。(湯田中温泉駅)駅前から「上林温泉入口」行の路線バスに乗って、「地獄谷野猿公苑」へ向かいます。野猿公苑は、長野県の北部、上信越高原国立公園の志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置しています。途中、上の写真の「渋温泉」の温泉街を抜け、次に、渋温泉の裏の急な山道を、今度は渋温泉を下に見ながら、下の写真の様に、上って行きます。やがて、路線バスは、乗車した湯田中温泉駅から約15分で、「野猿公苑」の入口に近い「上林温泉入口」に着きます。路線バスを終点で...野猿公苑(長野県)2019.8.15

  • 湯田中温泉 (長野県) 2019.8.14

    (写真は、湯田中温泉の「桃山風呂」:宿泊した旅館のパンフレットから)今年のお盆休みは、長野県の古くて雰囲気のある「小布施(おぶせ)」の町並みを散策してから、その先の「湯田中(ゆだなか)温泉」で一泊しました。小布施(17:16)→(長野電鉄・スノーモンキー号)→(17:29)湯田中小布施見物を終えて、小布施駅から、長野電鉄のスノーモンキー号に乗って、終点の湯田中へ向かいます。下の写真の長野電鉄・長野線の終着駅「湯田中温泉駅」に到着しました。長野県内でも、潤沢な湯量を誇る「湯田中温泉」は、また、近くの「地獄谷野猿公苑」へ向かう路線バスの始発駅でもあります。この野猿公苑は、最近、外人観光客の間で人気急上昇中のスポットで、”温泉に入る猿”の写真が世界中で有名になっています。駅構内には、写真のスキー板のベンチがありました...湯田中温泉(長野県)2019.8.14

  • 小布施 (長野県小布施町)  2019.8.14

    (写真は、小布施の葛飾北斎の天井絵「八方睨みの鳳凰」:小布施・岩松院のパンフレットから)今年のお盆休みには、以前から、一度は訪れたいと思っていた長野県の「小布施(おぶせ)」へ行って、その先の「湯田中温泉」で一泊して来ました。東京(9:04)→(長野新幹線・あさま)→(10:39)長野(11:04)→(長野電鉄)→(11:39)小布施(17:16)→(長野電鉄・スノーモンキー号)→(17:29)湯田中長野駅で新幹線を降りて、長野電鉄の長野駅から小布施駅へ向かいます。(長野電鉄長野駅)小布施町は、長野県の北東、千曲川の東岸に位置する人口約1万人の町です。江戸時代には、幕府直轄の天領だったこともあり、交通と経済の要所として栄えていました。この町の豪商の高井鴻山(こうざん)は、江戸から葛飾北斎をここ小布施に招きました。...小布施(長野県小布施町)2019.8.14

  • 日光江戸村 (栃木県日光市)   2019.8.3  

    (写真は「新選組体験」)東武ワールドスクエアを見物して、SL大樹で鬼怒川温泉へ向かい、温泉で1泊した話の続きです。翌朝、ホテルを出て、鬼怒川温泉の近くの「日光江戸村」へ向かいます。ここを訪れるのは3回目ですが、私はここが大好きなのです。最初に来たときは、ここで真面目にキビキビと働く若い人達に心を打たれました。今回も、役者志望?の若い人たちの時代劇に対する真摯な姿勢に感動しました。ここの若者達を見ていると、日本の未来は明るい!、という気持ちになってきます。上の写真が日光江戸村の入口です。入場料は4,700円と高い気がしますが、園内の施設がほとんど無料で1日遊べますので、ディズニーランド等に比べると、かなり割安です。入り口から暫く歩いて行くと、江戸っぽい町並みが現れます。暖簾で覆われたコスプレ用の家もあります。町人...日光江戸村(栃木県日光市)2019.8.3

  • 東武日光線「SL大樹」 と 鬼怒川温泉 (栃木県日光市) 2019.8.2

    (写真は、SL大樹)前回ご紹介した東武ワールドスクエアの見物を終えて、一駅だけですが、東武ワールドスクエア駅から、今晩の宿がある鬼怒川温泉駅へ向かいます。東武ワールドスクエア駅(16:36)→SL大樹5号→鬼怒川温泉駅(16:42)「SL大樹」は、乗車券以外に座席指定750円(乗車区間内一律料金)が必要です。東武ワールドスクエア駅に「SL大樹」が入って来ました。私は小学生の頃、将来なりたい職業は、蒸気機関車の運転手でした。学校が終わると、毎日、近くの駅に蒸気機関車を見に行きました。動力機関が丸出しになっており、躍動感に溢れています。僅か8分の乗車で、写真の鬼怒川温泉駅に着きました。(鬼怒川温泉駅の連絡通路からSL大樹を見下ろす)(鬼怒川温泉駅の外観)上の写真の駅前の人だかりは、「日光さる軍団」の猿回しです。SL...東武日光線「SL大樹」と鬼怒川温泉(栃木県日光市)2019.8.2

  • 東武ワールドスクエア (栃木県日光市)  2019.8.2

    (写真はマンハッタンの高層ビル)先週(8/2)、久し振りで「東武ワールドスクエア」を訪れました。(浅草駅)東武・浅草駅(9:00)→(特急・リバティ会津)→東武ワールドスクエア駅(11:05)(東武ワールドスクエア駅)東武ワールドスクエアには、世界の102の建造物が、25分の1のサイズの縮尺で展示されており、手軽に世界一周旅行の気分が味わえるスポットです。私は、ここを訪れるのは3回目ですが、何回来ても新たな発見があり楽しいです。先ず、最初に来たときは、建造物のミニチュアの精巧なクオリティに驚きました。また、建造物のみならず、その周辺の風景もミニチュアの中に作り込まれています。従って、いつも正面からの写真しか見たことがない建物も、裏側の様子や、上からの構造など、どの様な雰囲気の中に建っていのかよく理解出来ます。そ...東武ワールドスクエア(栃木県日光市)2019.8.2

  • バスで行く「奥の細道」(その42) 丸岡城(福井県) 2019.6.11

    (丸岡城の天守)我々の「奥の細道」バス旅行は、宿泊地の山中温泉を出発して、芭蕉が宿泊した全昌寺などに立ち寄りながら、丸岡城へ向かいました。芭蕉も、丸岡の城下町を抜けて福井へ向かいました。上の写真の「日本一短い手紙の館」の駐車場でバスを下りて、駐車場の斜め前の「丸岡城」へ向かいます。「日本一短い手紙の館」は、信長と家康の連合軍が武田を破った長篠の戦いの陣中から、家康の家臣の本多重次が妻にあてた手紙を題材に建てられた観光施設です。”一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ”(日本一短い手紙)武士らしく余計な事には触れず、留守中には火事に気を付け、「お仙」(仙千代という彼の子供)の面倒をよくみて、馬などの貴重品を大切にしろ、という意味です。簡潔明瞭に用件を伝える短い文ですが、その中にも、家族を気遣う優しさが伺えます。ちな...バスで行く「奥の細道」(その42)丸岡城(福井県)2019.6.11

  • バスで行く「奥の細道」(その41)「山中温泉」(石川県) 2019.6.12 

    (写真は、「鶴仙渓(かくせんけい)」)今回は、前回の山中温泉の続きです。昨晩は、「ロイヤルホテル山中温泉」に宿泊し、ゆったりと温泉に浸かり、早朝、もう一度浸かって温泉を満喫しました。(露天風呂:ホテルのパンフレットから)朝食を済ませ、徒歩で、ホテルの前にあるS字型のデザインの「あやとり橋」を渡り、渓谷沿いの「鶴仙溪」(かくせんけい)を散策します。「鶴仙渓」は、大聖寺川の中流にあり、砂岩の浸食によって数多くの奇岩が見られる景勝地です。この渓谷は、山中温泉の中心街に並行しており、渓谷沿いに約1キロの散策路があります。芭蕉は、この鶴仙溪からの風景の美しさに、「行脚の楽しみここにあり」と喜んだそうです。渓谷沿いには、写真の「鶴仙渓川床」が営業していますが、未だ準備中でした。鶴仙渓川床は、川のせせらぎを聞きながら、風情あ...バスで行く「奥の細道」(その41)「山中温泉」(石川県)2019.6.12

  • バスで行く「奥の細道」(その40) 「曽良との別れ」(山中温泉:石川県) 2019.6.11

    (写真は、「芭蕉と曽良との別れ」)加賀の国(石川県)では、「金沢」を発った「芭蕉」は、「山中温泉」へと向かい、何と!、この温泉に8日間の長きわたって滞在しました。芭蕉は、奥の細道の中では、いくつかの温泉地に宿泊していますが、これほど長く滞在した温泉は「山中温泉」だけです。そして、山中温泉は、長らく奥の細道を共に旅をしてきた「曾良との別れの地」でもあります。実は、曾良は、越中(富山県)から金沢(石川県)に入るあたりから、体調不良で医者にかかっており、健康を害していました。曾良は、几帳面で責任感の強い性格だったので、師である芭蕉の同行者として、何かと気を使い、そこから生じたストレスで腹痛となり苦しんでいた、と言われています。ここ山中温泉に、8日間も浸かって静養するも、回復せず、このままでは、師匠である芭蕉の足手まと...バスで行く「奥の細道」(その40)「曽良との別れ」(山中温泉:石川県)2019.6.11

  • バスで行く「奥の細道」(その39) 那谷寺(石川県) 2019.6.11 

    (写真は、「那谷寺」の「奇岩遊仙境」)加賀の国(石川県)では、「金沢」を発った「芭蕉」は、「小松」で「実盛の兜」を拝観して、「山中温泉」へと向かいます。芭蕉は、「山中温泉」に向かう途中で、ここ「那谷寺」(なたでら)に立ち寄りました。平安時代、花山(かざん)天皇が、西国33ヶ所巡礼のあと、観世音菩薩をこの寺に安置されました。花山天皇は、西国33ヶ所の観音霊場の全てがここにあると感じられました。そこで、西国33ヶ所の1番・那智山の「那」と、33番・谷汲山(たにぐみさん)の「谷」を取って、この寺の名称を「那谷寺」(なたでら)と改名されたそうです。我々のバス旅行も、今晩の宿泊地の「山中温泉」へ向かう途中で、ここ「那谷寺」に立ち寄りました。境内には、本堂を始め、三重塔、鐘楼など、国重要文化財が点在します。(御柱鳥居)(金...バスで行く「奥の細道」(その39)那谷寺(石川県)2019.6.11

  • バスで行く「奥の細道」(その38) 「弁慶の勧進帳」(安宅の関:石川県) 2019.6.11

    (写真は、「勧進帳」を読み上げる「弁慶像」)前々回の「倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」、前回の「実盛の兜」に続いて、今回は「安宅の関」(あたかのせき)です。「源義経」は、平家討伐に大功績をあげたにも関わらず、兄の「源頼朝」に追われる身となります。頼朝の追手から逃げるために、「武蔵坊弁慶」らと共に、山伏の一行に姿を変えて、奥州へ落ちのびて行きます。その逃避行の道中の最大の難所が「安宅の関所」でした。実は、「安宅の関所」は「箱根の関所」の様な”恒常的な関所”ではなくて、義経を捕らえるためだけに”臨時に設けられた関所”だったそうです。えぇ~?、臨時の関所だったの!知らなかったなあ~!現代風に言えば、指名手配犯の義経を逮捕するために緊急手配をして、逃走したと思われる北陸方面に非常線を張り、臨時の検問所を各地に設けて...バスで行く「奥の細道」(その38)「弁慶の勧進帳」(安宅の関:石川県)2019.6.11

  • バスで行く「奥の細道」(その37) 「実盛の兜」(多太神社:石川県) 2019.6.11

    (写真は、”むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす”の本物の「実盛の兜」)既にご紹介した「倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」に続いて、今回は、同じ「平家物語」で描かれた「実盛の兜」です。火牛の計で有名な「倶利伽羅峠の戦い」で平家の大軍を破った「木曽義仲」は、そのまま敗走する平家軍を追撃して加賀国(石川県)に入ります。そして、「篠原の戦い」(現在の石川県加賀市)で、再び平家軍と戦い、一気にこれを打ち破ります。その時、敗れた平家軍の本隊を逃がすべく、ただ一騎だけ、義仲の軍勢の前に立ちはだかった平家の武将がいました。義仲軍の「手塚光盛」が先ず名乗りを上げ、”名乗らせたまへ”と促しますが、その平家の武将は自らを名乗ろうとしませんでした。二人は、一騎打ちとなり、その平家の武将は、「手塚光盛」に首を討たれてしまいます。何...バスで行く「奥の細道」(その37)「実盛の兜」(多太神社:石川県)2019.6.11

  • バスで行く「奥の細道」(その36) 金沢城 (日本100名城) 2019.6.11

    (写真は、金沢城の五十間長屋)もともと、この地には、加賀の「一向一揆」の拠点だった「御山御坊」(おやまごぼう)という浄土真宗の寺院がありました。1580年、この「御山御坊」は、「織田信長」によって攻め落とされ、信長から加賀一国を拝領した「佐久間盛政」によって築城されたのが「金沢城」のはじまりです。その後、佐久間盛政は、「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で「豊臣秀吉」に破れ、金沢城は「前田利家」の所領となりました。「前田利家」は、キリシタン大名として有名な「高山右近」に金沢城の縄張りをさせて、金沢城を大改築しています。金沢城には天守閣が設けられていましたが、1602年、落雷によって焼失し、その後再建されることはありませんでした。天守閣に代わって三階櫓が建てられました。我々の「バスで行く・奥の細道」ツアーは、初日、金沢...バスで行く「奥の細道」(その36)金沢城(日本100名城)2019.6.11

  • バスで行く「奥の細道」(その35-2) 金沢 (石川県) 2019.6.11

    (写真は、夜の金沢の武家屋敷)我々の「バスで行く・奥の細道」ツアーは、芭蕉関連の金沢市内の史跡を巡り、金沢市街地の中心を流れる浅野川沿いの主計町茶屋街の見学を終わりました。次に、主計町茶屋街の脇の浅野川大橋を渡り、向こう岸の「ひがし茶屋街」へ向かいます。私は、一昨年の金沢観光の際に「ひがし茶屋街」に立ち寄っているので今回で2度目です。(一昨年のひがし茶屋街見物については、2017/9の(金沢・ひがし茶屋街)を見てね。)この日は異常に暑かったので、前回に入った「箔一」(はくいち)に再びに入り、前回と同じ金沢名物「金箔ソフトクリーム」を食べました。(891円)前回食べた「金箔ソフトクリーム」との違いは、令和のウェアハウスが付いているだけで、あとは同じものでした。食べ終わると、同じ旅行のメンバーに、「口のまわりに金箔...バスで行く「奥の細道」(その35-2)金沢(石川県)2019.6.11

  • バスで行く「奥の細道」(その35) 金沢 (石川県) 2019.6.11  

    (写真は、「主計町茶屋街」)芭蕉と曾良は、夏の終わりに金沢に入りました。金沢には10日間滞在し、地元の俳人達と交流を重ねました。また、金沢には、一笑(本名:小杉味頼)という俳人がおり、芭蕉と一笑は互いの対面を心待ちにしていましたが、金沢に到着する前に一笑は既に亡き人となっていました。このために、芭蕉にとって金沢は悲しい思い出の地になりました。我々の「バスで行く・奥の細道」ツアーは、前回のゴールの金沢駅からスタートします。金沢駅からバスで、先ず「兼六園」へ向かい、園内の茶屋で昼食、そのちに自由時間で、兼六園内を散策します。(兼六園については、2017/9の(金沢・兼六園)を見てね。)我々のバスツアーは、兼六園を見学したのちに、芭蕉が地元の俳人達と交流を重ねたという金沢市内の史跡を巡ります。「本龍寺」境内には、芭蕉...バスで行く「奥の細道」(その35)金沢(石川県)2019.6.11

  • 三陸鉄道リアス線(旧南リアス線区間)2019.4.30

    (写真は、奇跡の一本松)前々回の「旧北リアス線」(久慈~宮古区間)、前回の「旧JR山田線」(宮古~釜石区間)に続いて、今回は最終回の「旧南リアス線」(釜石~盛区間)です。前回の「旧JR山田線」の終点の「釜石駅」で下車・乗り換えをしないで、今回は、そのまま前回と同じ列車に乗り続けます。これは、今年3月に南北が1本につながったので、三陸鉄道リアス線として乗り換えなしで、北の端から南の端まで行ける様になったからです。降り続く激しい雨風は、止みそうにありません・・・むしろ、降り方が激しくなってきている様な気がします。「釜石駅」多分、花巻方面からJR釜石線でこの釜石駅にやって来た人達が、ここで三陸鉄道に乗り換えるからでしょう、駅のホームには大勢の人が並んでいます。釜石は、製鉄の街で、ラグビーの強豪・新日鉄釜石でも有名です...三陸鉄道リアス線(旧南リアス線区間)2019.4.30

  • 三陸鉄道リアス線 (旧JR山田線区間) 2019.4.30

    (写真は、浄土ヶ浜)前回に続いて、今回は「三陸鉄道リアス線の旅」の2日目です。本日は、全国的に激しい雨と風、という天気予報です。このツアーは、三陸鉄道の車窓からの風景を楽しむのがメインなので、雨風が激しいと何も見えない恐れが・・・ホテルの部屋から外を眺めると、未だ曇り空なので、何とかこのまま天候がもって欲しいのですが。朝、宿泊先の田老「グリーンピア三陸みやこ」を出て、バスで約40分の三陸の絶景ポイント「浄土ヶ浜」へ向かいます。曇り空でしたが、それでも、「浄土ヶ浜」の海の青と砂浜の白のコントラストがとても綺麗で、浄土ヶ浜のうたい文句である”極楽浄土のような景色”と言っても大袈裟ではない美しい風景です。写真の「浄土ヶ浜レストハウス」の2階の上部には、津波の高さのを示す「津波浸水ライン」(写真の赤矢印)が青色で描かれ...三陸鉄道リアス線(旧JR山田線区間)2019.4.30

  • 三陸鉄道リアス線 (旧北リアス線区間) 2019.4.29

    (写真は、三陸鉄道の車両)鉄道ファンの私は、今年のゴールデンウィークは、3月に全線が全通した「三陸鉄道」に乗りに行きました。東日本大震災の津波で、三陸地方の鉄道は壊滅してしまいました・・・でも、その後、沿岸北部の「北リアス線」(久慈~宮古区間)と、沿岸南部の「南リアス線」(釜石~盛区間)は、頑張って、順次、再開区間を伸ばしてきました。しかし、肝心の沿岸の中央部分の「JR山田線」(宮古~釜石区間)が、ずっと不通のままでした・・・でも、今年の3月、その「JR山田線」が8年ぶりに開通し、三陸沿岸の北部から南部の地域が、ようやく1本の鉄道で結ばれました!この新「三陸鉄道」は全長163キロ、広い岩手県をほぼ縦断します!1本につながった新たな「三陸鉄道」は、JR山田線も含めて「三陸鉄道リアス線」という名称になりました。この...三陸鉄道リアス線(旧北リアス線区間)2019.4.29

  • バスで行く「奥の細道」(その35) 倶利伽羅峠 (富山県) 2019.4.11

    (写真は、「倶利伽羅峠」(くりからとうげ)の「火牛の像」)今回は、平家の命運を決した「倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」です。それでは、先ずは、NHKの「100分で名著『平家物語』」に沿って、「倶利伽羅峠の戦い」の歴史を復習しておきましょう。木曽の山奥から、都に向かって進軍するのは、以仁王から平家追討の命を受けた「木曾義仲(源義仲)」、これに対し、京の都を出発して、迎え撃つ平家の総大将は、平清盛の孫の「平維盛(これもり)」です。平維盛にとってこの戦いは、先の富士川の戦いで、鳥が飛び立つ音に逃げ帰ってしまった、という汚名を挽回するチャンスです。両軍が激突したのは、越中の国(富山県)と加賀の国(石川県)の国境に位置する標高277メートルの「倶利伽羅峠」(くりからとうげ)でした。維盛軍7万に対し、義仲軍は劣勢の3万...バスで行く「奥の細道」(その35)倶利伽羅峠(富山県)2019.4.11

  • バスで行く「奥の細道」(その34) 高岡城 (日本100名城) (富山県) 2019.4.11

    (写真は、高岡城の水堀)我々のバス旅行は、歌枕の地「那呉の浦」を出て、木曽義仲が活躍した古戦場・倶利伽羅峠へ向かいますが、その途中で「高岡城」に立ち寄りました。1605年、加賀藩2代目藩主の前田利長は、隠居して富山城に居ましたが、1609年の大火により城が焼失したため、新たな隠居城として、ここ「高岡」を選び、築城に着手しました。「高岡城」は、キリシタン大名で、築城の名手として有名な「高山右近」が縄張(設計)したと伝承されています。その5年後の1614年に利長は死去し、翌年の1615年に、高岡城は、一国一城令により廃城となりました。しかし、加賀藩3代目藩主の前田利常は、高岡城の水堀を埋めないで、城の実質的な保全を図りました。そして、明治3年、高岡城跡は民間に払い下げられましたが、市民の熱心な保存運動により、明治8...バスで行く「奥の細道」(その34)高岡城(日本100名城)(富山県)2019.4.11

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