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ウォーク更家の散歩 https://blog.goo.ne.jp/mrsaraie

一人旅で、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道を全て踏破しました。現在は、多摩川の源流を目指して河口から歩いています。

一人旅の街道歩きに、すっかりハマってしまいした。 街道歩き以外の横浜・東京の町歩きもブログに書いています。

峰さん
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2013/01/26

  • 多摩川を歩く(その48)(宿川原用水の桜並木:神奈川側)  2023.3.24

    (「宿川原用水」沿いの桜並木)  前回は、東急田園都市線の二子新地駅から、神奈川側の多摩川沿いに、上の写真の「二ヶ領宿川原堰(せき)」まで歩きました。今回は、その「二ヶ領宿川原堰」の脇にある写真の「二ケ領せせらぎ館」に入ってみます。 当館では、多摩川流域に関する写真や資料などが展示されていました。また案内のポスターによると、投網打ち、川に入っての生物観察などのイベントも定例的に開催しているみたいです。多摩川で採取された川魚の水槽も並んでいます。   上の写真は、展示されている「二ヶ領宿川原堰」の模型です。私は、ボランティアのオジサンに、5門の起伏式ゲート(赤色丸印)と、1門の引上げ式ゲート(黄色丸印)の仕組みについて色々と質問しました。丁寧な説明のお陰で、仕組みがよく理解出来て、もやもやしていた疑問が解け...多摩川を歩く(その48)(宿川原用水の桜並木:神奈川側) 2023.3.24

  • 多摩川を歩く(その47)(二ヶ領宿川原堰:神奈川側)  2023.3.24

    (写真は、「二ヶ領宿川原堰」(にかりょうしゅくがわらぜき) 暫くお休みしていた「多摩川を歩く」を再開します。これまでは、ずっと多摩川の「東京側」の土手を歩いて来ましたので、今回からは、久し振りに多摩川の「神奈川側」の土手を歩きます。前回の神奈川側のゴールの二子橋の土手を目指して、東急田園都市線の「二子新地駅」で下車します。東急田園都市線の次の駅は有名な「二子玉川」ですが、「二子玉川」という地名はありません?江戸時代は、多摩川の東京側が「玉川村」(現在の玉川)で、多摩川のその対岸(川崎側)のここが「二子村」(現在の二子新地)でした。東急の駅名の「二子玉川」は、この様に、多摩川を挟んだ両岸の地名を合体したものです。「二子橋」は、ここ二子新地駅のすぐ近くです。(二子橋については、「多摩川を歩く・二子橋」を見てね...多摩川を歩く(その47)(二ヶ領宿川原堰:神奈川側) 2023.3.24

  • 洗足池(大田区)  2023.3.12

    (写真は、洗足池の畔にある「勝海舟夫妻の墓」)穏やかな春の気候に誘われて、近場の「洗足池」を散策しました。東急池上線の「洗足池駅」で下車すると、目の前を中原街道の大きな通りが走ります。その中原街道の向こう側に見えている2階建ての茶色の建物が「洗足池公園」の「ボートハウス」です。池の畔の道を歩いて、洗足池を1周します。1周は1.2キロ、面積は東京ドーム0.8個分です。写真の三連の太鼓橋は「池月橋」です。「池月」とは、「源頼朝」が所有していた愛馬の名前で、頼朝がこの地に宿営していた時、何処からともなく現われた逞しく美しいこの馬を気に入り、池月と名付けて自らの乗馬にしました。その後、頼朝に従う武将の「佐々木高綱」がこの池月を譲り受けます。1184年の「木曽義仲」追討の「宇治川の戦い」では、「池月」にまたがった高...洗足池(大田区) 2023.3.12

  • 渋谷・宮下公園 (ミヤシタパーク) 2023.3.9

    (写真は、ミヤシタパークの屋上のボルダリングウォール) 渋谷に出掛けたついでに、「ミヤシタパーク」と名前を変えて、2020年に新装オープンした「宮下公園」に立ち寄ってみました。「宮下」公園の地名の由来は、昔、この辺りに、皇族の梨本宮邸があり、その梨本”宮”邸の坂の”下”に、この公園があったからだそうです。従来からあった「渋谷区立宮下公園」とその駐車場だった場所が、公園、商業施設、ホテルが一体となった「ミヤシタパーク(MIYASHITAPARK)」として生まれ変わりました。ミヤシタパークは、渋谷区と三井不動産の共同事業による低層複合施設です。 渋谷駅のB1出口から出ると、目の前が「ミヤシタパーク」です。(ミヤシタパークの外観)     外付けのエスカレーターからは、JR渋谷駅のホームが見えます。(赤丸印)ミ...渋谷・宮下公園(ミヤシタパーク)2023.3.9

  • あらかわ遊園(荒川区) 2023.3.16

    (写真は、”日本一遅い”ジェットコースター) 都心に出掛けたついでに、久し振りに都電に乗って「あらかわ遊園」へ行ってきました。「あらかわ遊園」は、民間経営ではなくて、都内唯一の区立の遊園地です。昨年4月に、全面的にリニューアルオープンしたそうなので楽しみです!都電荒川線(東京さくらトラム)を「荒川遊園地前」で降ります。都電を下りて辺りを見回すと、上の写真の観覧車を模した小さなゲートがあるのでこちらに進みます。最初のゲートから遊園地までの遊歩道沿いは、無料エリアの小さな公園になっています。徒歩5分で上の写真の入口に着きます。フリーパス料金(入園料+のりもの乗り放題)1,800円(65歳以上1,400円)(休園日:毎週火曜と年末年始)上の写真は、園内をグルっと回る「豆汽車」です。豆汽車からは、下の写真の様に、...あらかわ遊園(荒川区)2023.3.16

  • 九段会館テラス(旧九段会館) 2023.3.22

    (写真は、昨年10月にオープンした「九段会館テラス」) 前回は、満開の桜を眺めながら、千鳥ヶ淵沿いに、地下鉄の半蔵門駅まで、九段坂を上りました。その際、出発点の地下鉄・九段下駅の前の「九段会館テラス」(旧九段会館)に立ち寄りました。旧「九段会館」(くだんかいかん)は、講堂、レストラン、結婚式、イベントなどに使用され、宿泊施設も備えていました。また、私が月島勤務のときには、屋上のビヤガーデンを、職場の納涼会で利用したこともありました。旧九段会館の屋上ビヤガーデンについては、「屋上ビヤガーデン」を見てね。)(旧九段会館当時の建物内部の写真)しかし、東日本大震災で、ホールの吊り天井が崩落して卒業式中の女性2人が死亡、多数が重軽傷を負うという大惨事に見舞われたため廃業しました。その後、東急不動産が、この九段会館の...九段会館テラス(旧九段会館)2023.3.22

  • 今年のお花見 (千鳥ヶ淵) 2023.3.22

     (写真は、千鳥ヶ淵の桜)このところ、ほとんど毎日の様に雨ですが、ニュースによると都心の桜は既に満開で、場所によっては散り始めているらしいです。私は、久し振りに晴れた先週の水曜日(3/22)に、「千鳥ヶ淵」にお花見に行って来ました。(前回の千鳥ヶ淵のお花見については、「今年のお花見」を見てね。) (地下鉄・九段下駅)九段下で地下鉄を降りて、千鳥ヶ淵沿いに、地下鉄・半蔵門駅まで、ぶらぶらと桜を見ながら歩きます。九段下駅の前の「九段会館テラス」の前には、上の写真の様に、アーコレードという品種の綺麗な桜が満開です。説明版によると、英国生まれの桜で、大山桜と小彼岸桜の交配種で、何と!、2季咲きで秋にも咲くとのことです。(背景の九段会館テラスの建物の内部については、後日ご紹介します。) お濠の向こう側には、武道館の...今年のお花見(千鳥ヶ淵)2023.3.22

  • 三保の松原 (静岡県) 2023.1.9

    (写真は「日本平夢テラス」から望む静岡市街地、富士山、駿河湾) 前日は、富士サファリパークと富士山世界遺産センターを見物してから、「三保の松原」の入口に位置する旅館「羽衣ホテル」に1泊しました。今朝は、朝食前に「三保の松原」を散歩します。写真は、「三保の松原」に伝わる「羽衣伝説」の「羽衣の松」です。その昔、白龍(はくりょう)という漁師が、三保の松原で釣りをしていたところ、一本の松に羽衣がかかっていました。その羽衣の美しさを見てつい持ち帰ろうとしたところ、木陰で天女と出逢いました。羽衣がないと天に帰れない天女は、返してほしいと白龍にお願いします。白龍は、天上の舞を見せてもらう代わりにと、天女に羽衣を返上しました。そして天女は再び空へと帰って行きました。富士山は天に一番近い場所であるため、天女が降りてきやすい...三保の松原(静岡県)2023.1.9

  • 本日開通!「新横浜線」(相鉄・東急) 2023.3.18  

    (写真は、新横浜駅構内の新駅開設を祝う垂れ幕) 本日、「東急線の新横浜駅」と「相鉄線の新横浜駅」の2駅が新設されました!(2駅新設前の新横浜駅については、「新横浜駅」を見てね。)                      (新横浜線開業:今朝のTVニュース)(今朝の始発電車による出発式:今日の東京新聞の夕刊から)東急の狙いは、東横線を新横浜に乗り入れて、東横線と新幹線と直結することです。これまでは、東急側から新横浜に行くには、菊名でJR横浜線に乗り換える必要があり非常に不便でしたが、この問題が一気に解決されます。また、相鉄の狙いは、同様に、新横浜で相鉄線と新幹線と直結し、更に、都心へのアクセス時間を短縮し便利にすることです。この東急と相鉄の目論見にJR東海も乗っかりました。この2駅の新設に合せて、新横浜駅...本日開通!「新横浜線」(相鉄・東急)2023.3.18 

  • B級グルメグランプリ1位「富士宮焼きそば」 (静岡県)     2023.1.8 

    (写真は、B級グルメグランプリ1位の富士宮焼きそば) 富士サファリパークを出て、昼食をとるために、「富士吉田市」の浅間大社を目指します。ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」で、静岡県の「富士宮やきそば」は、これまでに2回ゴールドグランプリを獲得しています。写真の「富士山本宮浅間大社」に着きました。ここは、全国に1,300余りある浅間神社の総本宮です。この浅間大社の前には、「富士宮やきそば」の店が軒を連ねる「お宮横丁」があります。浅間大社には前回来た時に参拝したので、今回は参拝をパスして、いきなり「富士宮焼きそば」に専念することにします。上の写真の「すき本」で、イカと桜エビ入りの「富士宮やきそば」(750円)を買って、店の前のテーブル席で食べます。噛み応えのある腰の強い麺に肉カスが入って、その上からイワシ...B級グルメグランプリ1位「富士宮焼きそば」(静岡県)  2023.1.8 

  • 富士サファリパーク(静岡県) 2023.1.8

    (ジャングルバスから熊に餌を与えることが出来ます。)今年に入ってから、コロナもだいぶ下火になってきたので、久し振りで、1泊で「虹ノ松原」へ行ってきました。虹ノ松原は3度目ですが、富士山と虹ノ松原が世界遺産に登録されてからは初めてです。富士山へ向かう途中で、以前から1度は行きたいと思っていた「富士サファリパーク」に立ち寄りました。(入園料:2,700円)「富士サファリパーク」は、その名の通り富士山の麓にある動物園です。普通の動物園と異なり、窓ガラスがない金網張りの「ジャングルバス」の中から、ライオンなどの肉食獣にエサをあげることが出来ます。ジャングルバスによるコースは、マイカーを使用するコースと同じで、所要時間50分、料金は1,400円です。「ジャングルバス」では、ナビゲーターのオジサンが、サファリゾーン内...富士サファリパーク(静岡県)2023.1.8

  • 多摩川を歩く(その46)(府中市郷土の森博物館:東京側)  2022.11.4

    (「府中市郷土の森博物館」の「まいまいず井戸」) 「大東京綜合卸売センター」で、5色海鮮丼を食べて満足したところで、隣の「郷土の森公園」に戻ります。「郷土の森公園」のメインストリートをずっと奥の方へ進んで行くと、上の写真の「府中市郷土の森博物館」の入口があります。入場料300円を払って園内に入ります。この「郷土の森博物館」の園内には、江戸中期~昭和初期に、府中周辺に建てられた建造物が移築保存されています。これらの建造物を含む林の全体が博物館となっており、その敷地面積は14ヘクタールと、東京ドーム3個分もの広さがあります。上の写真は、この博物館の本館の入口です。今回は時間がなくて、本館の中には入りませんでしたが、甲州街道の宿場町だった府中の宿場の賑わいの様子が展示されているみたいです。また本館の中には、プラ...多摩川を歩く(その46)(府中市郷土の森博物館:東京側) 2022.11.4

  • 多摩川を歩く(その45)(郷土の森公園:東京側)  2022.11.4

    (大東京綜合卸売センターの海鮮丼) 多摩川競艇場の食事処で昼食を食べてから、競艇場を出て多摩川へ向かいます。前々回のゴールの「是政橋」を背にして、多摩川沿いに、東京側を歩いて行きます。(是政橋については、「多摩川を歩く・是政橋」を見てね。)                             前方に、「JR南武線」の多摩川橋と、「JR武蔵野線」の多摩川橋とが並走しているのが見えます。 私の頭上には、黄色の南武線の旅客電車と、青色の武蔵野線の貨物列車を牽引する機関車(桃太郎)が走っています。上の写真のJR武蔵野線は、横浜市の「鶴見駅」と千葉県の「西船橋駅」とを結ぶJR東日本の路線です。詳しく言うと、「鶴見駅(新鶴見信号場)」と「府中本町駅」との間は、貨物列車の専用線です。そして、「府中本町駅」と「西船橋...多摩川を歩く(その45)(郷土の森公園:東京側) 2022.11.4

  • 多摩川を歩く(その44)(多摩川ボートレース)  2022.10.31

    (多摩川ボートレース場) 前回のゴールの是政橋を目指します。が・・・、前回、是政橋の近くの松林の向こうから、多摩川ボートレースのボートのエンジンの爆音が聞こえていたのが気になっています。という訳で、ちょっとだけ、是政(これまさ)橋の近くの多摩川ボートレース場に立ち寄ってから、是政橋に行くことにしました。自宅の妙蓮寺から東横線に乗り、武蔵小杉でJR南武線に乗り換え、府中本町駅で下車します。府中本町駅から、10分~20分間隔で、「多摩川ボートレース場」行きの無料送迎バスが出ているのでこれに乗ります。多摩川ボートレース場に着きました。地下鉄の自動改札みたいな入場ゲートに、直接100円玉を投入して入ります。入ってすぐのところに、上の写真の無料の出走表が置いてあります。また、競馬や競輪と同様に、上の写真の有料の競艇...多摩川を歩く(その44)(多摩川ボートレース) 2022.10.31

  • 多摩川を歩く(その43)(是政橋:東京側)  2022.10.29

    (「北多摩1号処理場」の「排水門」) 多摩川原橋を神奈川側へ向かって歩いて往復して、多摩川原橋の信号まで戻って来ました。再び、東京側の土手道を歩き続けます。やがて、「北多摩1号処理場」の「排水門」が見えてきました。北多摩1号処理場で下水処理された水は、この排水門から出て、下の写真の様に、消波ブロックの辺りで多摩川と合流しています。排水門の前を通り過ぎて、「稲城大橋」の下をくぐります。稲城大橋は、東京都道9号川崎府中線が走り、調布市と稲城市の境に架かる橋です。土手の右手に、先程見た「排水門」へ浄化した下水道水を送り出している「北多摩1号処理場」がありました。ここは、多摩川沿いにある下水道の最終処理場です。ここで、沈殿槽、ろ過装置、反応槽(活性汚泥で汚れを分解)で処理され、多摩川へ放流されます。広大な敷地の下...多摩川を歩く(その43)(是政橋:東京側) 2022.10.29

  • 多摩川を歩く(その42)(多摩川原橋:東京側)  2022.10.29

    (多摩川原水道橋)前回は、京王閣で競輪を楽しみました。一番盛り上がる決勝の最終レースまで見たかったのですが、そうすると、多摩川ウォーキングが途中で日没になってしまいます。仕方なく、後ろ髪を引かれる思いで多摩川の土手へ戻ります。再び、京王相模原線の鉄橋をくぐって、上の写真の京王閣競輪の建物を右手に見ながら、次の多摩川原橋を目指します。ここからは調布飛行場が近いからでしょう、小型プロペラ機が頻繁に上空を飛んでいます。少し歩くと、多摩川を横切る様に、何か構造物の跡みたいな、不思議な錆びた鉄骨群が並んで建っています?水道パイプ用の橋だった橋桁の跡かな?、と思って近づいてみると、「石原水位測候所」とあります?説明版があり、それによると、これは多摩川を撮影していて、10分間隔更新のライブカメラだそうなんです。京浜河川...多摩川を歩く(その42)(多摩川原橋:東京側) 2022.10.29

  • 多摩川を歩く(その41)(京王閣競輪:東京側)  2022.10.29 

    (東京オーヴァル京王閣)  多摩川の土手の右手に、京王閣が見えました。京王閣のスピーカーから、競輪のレース開始のアナウンスが河原にも流れてきます。スピーカーからのスターターの号砲が聞こえると血が騒ぎます?慌てて、京王相模原線の鉄橋に戻ります。鉄橋の脇の石段を上って急いで京王閣競輪へ向かいます。入場ゲートに直接50円玉を投入して京王閣に入ります。入口の脇には、写真の様に池があって鯉に餌やりが出来ます。場内では、調布市青少年?吹奏楽団が演奏していました。場内で配布されているチラシによると、今日から3日間、京王閣競輪開設73周年記念の「GⅢゴールドカップレース」が開催されるみたいです。  場内での写真撮影は原則禁止です。これは、撮影のフラッシュが競輪選手の目に入り、レースに支障が出てるからです。そして撮影禁止の...多摩川を歩く(その41)(京王閣競輪:東京側) 2022.10.29 

  • 多摩川を歩く(その40)(多摩水道橋)  2022.10.29 

    (写真は、上河原堰堤)  東急東横線に乗り、武蔵小杉駅でJR南武線に乗り換えて登戸駅で下ります。登戸駅から多摩川沿いに「多摩水道橋」まで歩きます。「多摩水道橋」は、その名前から想像がつく様に、東京都内の水不足対策として、川崎市の相模川の水を都心へと送る「導水管」を渡すための橋です。この導水管は多摩水道橋の下に設置されています。この様に、元々は導水管のための橋なのですが、狛江市にとっては、多摩川に架かる唯一の道路の橋です。 前回とは反対側の歩道を歩いて、川上の風景を眺めながら東京側へ向けて渡ります。(多摩水道橋からの川下の風景については、「多摩川を歩く・多摩川決壊の碑」を見てね。)「多摩水道橋」の上の道路は、東京側が「世田谷通り」、川崎側が「津久井道」なので、橋の上のこの都県境の位置で道路名が変わります。河...多摩川を歩く(その40)(多摩水道橋) 2022.10.29 

  • 多摩川を歩く(その39)(多摩川決壊の碑) 2022.9.27

    (写真は、テレビドラマ「岸辺のアルバム」で有名になった「多摩川決壊の碑」)「宿河原堰堤」(しゅくがわらえんてい)の真近かまで来ました。写真の様に壮観で、圧倒されます!この「宿河原堰堤」は、「二ヶ領用水」(注)へ取水するためのダムです。(注)二ヶ領用水:二ヶ領用水は、多摩川の上河原と宿河原の2カ所に堰を設けて、多摩川から取水しています。ここから取水された多摩川の水は「二ヶ領用水」へと分水されます。この用水は、ほぼ多摩川に沿って、川崎のほぼ全域に枝分かれしていて、川崎市域の給水しています。江戸時代には、稲毛領と川崎領の2ヶ領を潅漑する用水だったのが、二ヶ領用水の名称は由来です。(二ヶ領用水の詳細については、「二ヶ領用水に沿って①」、「同左②」を見てね。)ここからの取水は、当初、は自然流入で取り入れていましたが...多摩川を歩く(その39)(多摩川決壊の碑)2022.9.27

  • 多摩川を歩く(その38)(警視庁白バイ訓練コース) 2022.9.27

    (写真は、警視庁の「白バイ訓練コース」)兵庫島を抜けて野川に架かる橋を渡り、上の写真のコヤマドライビングスクールの脇の「多摩堤通り」に出ます。暫く歩いて、多摩堤通りを左折、「吉田橋」で「野川」を渡ります。(吉田橋については、「多摩川を歩く・玉電砧線の廃線跡」を見てね。)橋を渡り、玉電砧線の廃線跡を少し歩いてから、左折して多摩川の堤防へ出ます。多摩川の堤防の先には、写真の「二子玉川緑地運動場」が広がります。(「宇奈根の渡し」跡の説明版)(リコー総合グラウンド)(宇奈根排水樋管)東名高速の下をくぐります。東名高速の道路の下の歩道は、天井が低くて頭がくっつきそうです。この東名高速を跨いで、以下の写真の様に、「白バイの訓練コース」があります。ここでは、警視庁の「白バイ隊員」の運転技能を競う競技会も開催され、一般に...多摩川を歩く(その38)(警視庁白バイ訓練コース)2022.9.27

  • 多摩川を歩く(その37)(二子玉川⑦:兵庫島)   2022.9.27

    (写真は、兵庫島の「枯れ流れ」)”思い出のニコタマ”でだいぶ寄り道をしてしまいましたが、今回からは、本来の”多摩川沿いを歩く”に戻ります。自宅の新横浜から、市営地下鉄のあざみ野駅で東急田園都市線に乗り換え、「二子玉川駅」で下車します。南北朝時代の1358年、「新田義興」(にったよしおき:新田義貞の次男)は、「足利尊氏」の死去に乗じて、鎌倉攻略のため進軍します。しかし、義興は多摩川の矢口の渡しで謀殺され、義興の家来の「由良兵庫助」(ゆらひょうごのすけ)も壮絶な死を遂げました。そして、この「兵庫助」の死体は、多摩川の増水時に、矢口の渡しから、上流のこの河川敷の島に流れ着きました。村人達は、災いを恐れて、「兵庫助」をこっそりとこの島に供養しました。これが、「兵庫島」の名前の由来です。(新田義興が多摩川の矢口の渡...多摩川を歩く(その37)(二子玉川⑦:兵庫島) 2022.9.27

  • 多摩川を歩く(その36)(二子玉川⑥:旧小坂家住宅)   2022.9.26

    (写真は、旧小坂家住宅のマントルピース)前回は、静嘉堂文庫を散策しました。今回は、その道路向かいにある「旧小坂家住宅」に入ってみます。この住宅の主の「小坂順造」は、長野市の生まれで、信越化学工業の創業者です。他にも、衆議院議員や貴族院議員も務め、また、信濃銀行取締役や信濃毎日新聞社社長などを歴任しました。小坂順造は、東京都渋谷区にあった本邸の別邸として、この建物を昭和12年に建築しました。昭和20年の戦災で本邸が焼失してからは、この別邸を本邸としました。静嘉堂文庫の道路向かいの急な坂道を上って行きます。旧小坂家住宅に着きました。2階建てで、和風の主屋、山小屋風の書斎、洋風の寝室で構成されています。学芸員風のお姉さんが、一部屋毎に丁寧に説明しながら、質問に答えてくれます。このお姉さんに静嘉堂文庫の移転につい...多摩川を歩く(その36)(二子玉川⑥:旧小坂家住宅) 2022.9.26

  • 多摩川を歩く(その35)(二子玉川⑤:静嘉堂文庫美術館)   2022.9.26

    (写真は、世田谷区の「静嘉堂文庫美術館」)前回は、玉電砧線の廃線跡を散策しました。今回は、「静嘉堂(せいかどう)文庫美術館」を散策します。「静嘉堂文庫美術館」は、三菱財閥創始者の「岩崎弥太郎」、そしてその弟の岩崎弥之助(2代目社長)の息子の「岩﨑小弥太」(4代目社長)の2人によるコレクションを収蔵する美術館です。(NHK大河ドラマ「龍馬伝」での香川照之(岩崎弥太郎)の個性豊かな表情?を思い出すと思わず笑いだしそうになりますが、三菱グループの人達は、実像と違う!と怒っているらしいです・・・)国宝7件、重要文化財84件、約6,500点の東洋古美術品、約20万冊の古典籍を収蔵しています。一説によると50億円とも噂された「国宝・曜変天目(ようへんてんもく)(稲葉天目)」の保有展示で、静嘉堂文庫美術館は全国的に有名...多摩川を歩く(その35)(二子玉川⑤:静嘉堂文庫美術館) 2022.9.26

  • 多摩川を歩く(その34)(二子玉川④:玉電砧線の廃線跡)   2022.9.26

    (写真は、玉電が描かれたマンホール:玉電砧線の廃線跡にて)自宅の新横浜から、市営地下鉄のあざみ野駅で東急田園都市線に乗り換え「二子玉川駅」で下ります。前回は、二子玉川駅の西側の商店街を散策しました。今回は、商店街から更に西へ伸びる「玉電砧線の廃線跡」を散策します。先ず、食事をするために写真の「玉川やなぎや」に入ります。「玉川やなぎや」は、多摩川沿いに一軒だけ残る、天保2年(1831年)創業の老舗の料亭です。この店の元女将のご主人は、娘が通学していたときの二子玉川小学校のPTA会長で、妻もPTA役員をしていた関係でご一緒したことがあります。この元女将は、現役のときに「ブラタモリ」に出演されて、料亭が堤防の外に残ることを許された経緯について、詳しくタモリに説明されていましたので、記憶に残っておられる方もあるか...多摩川を歩く(その34)(二子玉川④:玉電砧線の廃線跡) 2022.9.26

  • 多摩川を歩く(その33)(二子玉川③ :駅の西側・変わらぬ商店街)   2022.9.25

    (玉川高島屋の屋上から多摩川を臨む)前回迄は、二子玉川駅の東側の五島美術館などを散策しました。今回からは、二子玉川駅の西側の商店街を散策します。駅の西側の商店街は、古くは、大山街道の宿場町の街道筋でした。また、明治、大正、昭和の時代は、多摩川の川遊びの行楽地で、東京の都心から玉電に乗って遊びに出かける場所でした。二子玉川駅の西側には、玉川通り(国道246号)を挟んで「玉川高島屋」があります。そもそも、二子玉川(通称”にこたま”)が、今日の様に発展したきっかけは、この「玉川高島屋」のオープンでした。1969年、それまでは何もない平凡な東京の郊外に過ぎなかった二子玉川に、突然、”日本初の郊外型ショッピングセンター”「玉川高島屋」が出来ました。玉川高島屋は、将来の日本のモータリゼーションの発展を見越して、百貨店...多摩川を歩く(その33)(二子玉川③:駅の西側・変わらぬ商店街) 2022.9.25

  • 多摩川を歩く(その32)(二子玉川② :五島美術館)   2022.9.25

    (五島美術館)前回ご案内した上の写真の「旧清水家住宅書院」の出口の前にある次頁の写真の「上野毛通り」を歩いて行きます。楽天本社や二子玉川ライズが新たに建っていて、昔住んでいた懐かしい街は、急変貌を遂げ、影も形も無くなっているのに大きなショックを受けました。今回は、この楽天本社の近くにある、昔訪れたことのある「五島美術館」へ向かいます。上野毛通りの急な上り坂を歩いて行き、上の写真の角を左折した先に下の写真の「五島美術館」があります。源氏物語絵巻(国宝)を保有していることで有名な「五島美術館」は、東急グループの創設者である「五島慶太」邸の敷地の一部に建てられています。五島美術館の隣には、上の写真の様に、この「五島慶太」邸の広大な邸宅があります。現在は、前頁の写真の様に、「五島慶太」氏の子息の「五島昇」氏(東急...多摩川を歩く(その32)(二子玉川②:五島美術館) 2022.9.25

  • 多摩川を歩く(その30)(二子玉川駅の東側・急変貌した街並み:東京側)   2022.9.25

    (写真は、二子玉川駅の東側に出来た日本庭園)熊本への帰省、福島の大内宿への旅行、横浜中華街での食事などで、「多摩川を歩く」は暫くの間中断しましたが、今日から再開します。前回は、二子玉川駅から徒歩1分の多摩川沿いの、昔済んでいたマンションが取り壊されて、ショックを受けて帰宅したところまででした。今回は、自宅の新横浜から、市営地下鉄であざみ野駅で東急田園都市線に乗り換え「二子玉川駅」で下ります。東急田園都市線の駅名は「二子玉川」ですが、「二子玉川」という地名はありません?江戸時代は、多摩川の東京側が「玉川村」(現在の玉川)で、多摩川のその対岸(川崎側)が「二子村」(現在の二子新地)でした。東急の駅名の「二子玉川」は、この様に、多摩川を挟んだ両岸の地名を合体したものです。二子玉川駅を出て、昔住んでいた懐かしい二...多摩川を歩く(その30)(二子玉川駅の東側・急変貌した街並み:東京側) 2022.9.25

  • 明けましておめでとうございます 2023.1.1

    (写真は、今朝の我が家のベランダからの富士山)明けましておめでとうございます。街道歩きを一休みし、今は全長138キロの多摩川に沿って歩いています。この「多摩川を歩く」は、熊本への帰省、大内宿への旅行などで一時中断していましたが、明日からまた再開します。河口から源流を目指し、周辺の見所もこのブログで報告します。昨年11月に熊本に帰省した際に、飛行機の窓から、以下の様に、これまでに歩いた多摩川の流れを追ってみました。(黄色枠内:多摩川河口、赤丸印:多摩川スカイブリッジ、緑丸印:大師橋)(黄丸印:大師橋、赤丸印:六郷橋、緑丸印:多摩川大橋、青丸印:丸子橋)(赤丸印:丸子橋、緑枠内:武蔵小杉高層マンション群、黄丸印:二子橋)(黄丸印:小田急小田原線、赤丸印:多摩水道橋)また一昨年に達成した五街道踏破の全宿場のエピ...明けましておめでとうございます2023.1.1

  • ロープウェイ・中華街(横浜) 2022.12.22

    (写真は、横浜みなとみらいのロープウェイ)今年の年末は、地元の横浜中華街に食事に行きました。(JR桜木町駅)食事の前に、先ずJR桜木町駅の前に乗り場があるロープウェイ(ヨコハマエアキャビン:YOKOHAMAAIRCABIN))に乗りに行きます。このロープウェイは、昨年4月にオープンしたのですが、一度乗ってみようと思いつつも未だ乗っていませんでした。(片道:1,000円)桜木町駅前と、ワールドポーターズ前とを結びますが、僅か5分の乗車時間なので、あっという間でした。ロープウェイを下りて、昨年10月にワールドポーターズにオープンした「アニタッチみなとみらい」を覗いてみます。(入場料:1,500円)人気者のカピバラをはじめ、ナマケモノ、ハリネズミ、プレーリードッグ、ミーアキャット、フクロウなど、見ているだけで癒...ロープウェイ・中華街(横浜)2022.12.22

  • 大内宿(福島県) 2022.11.10

    (写真は「大内宿」)芦ノ牧温泉駅から会津鉄道に乗り、「大内宿」の最寄り駅の「湯野上温泉駅」で下ります。湯野上温泉駅は、全国的にも珍しい「茅葺き屋根の駅舎」です。駅舎の横には足湯もあります。湯野上温泉駅から1日6便の大内宿行のマイクロバスが運行されています。福島県の南会津に位置する「大内宿」は、江戸時代に、「会津若松」と「日光今市」を結ぶ「会津西街道」の宿場町として、「会津田島宿」などと共に栄えました。日光街道と奥州街道については、「中山道を歩く」の中程の日光街道、奥州街道をご覧ください。「会津西街道」は、会津若松が起点で、日光の今市で日光街道と合流します。会津藩の参勤交代をはじめ、徳川家康を祀る日光東照宮への参詣、江戸へ米などを運ぶ輸送路としての役割を果たしていました。幕末の「戊辰戦争」では、「会津藩」は...大内宿(福島県)2022.11.10

  • 芦ノ牧温泉(福島県) 2022.11.9

    (ホテルの窓から見える断崖の紅葉)塔のへつりの見学を終え、会津鉄道に乗り、今日の宿がある「芦ノ牧温泉駅」で下ります。「芦ノ牧温泉駅」は、猫が駅長を務める駅として、全国的に有名な駅です。テレビでよくやっていましたが、列車が到着すると、駅長が小さな帽子を頭に付けて、乗客のお迎えしてくれます。私が訪れた月の前月に、この猫の駅長が亡くなったということで、駅舎のコーナーに祭壇が設けられ、全国のファンからのメッセージと献花で埋め尽くされていました。(祭壇のメッセージと献花は撮影禁止)上の写真の様に、初代駅長は「ばす」で、2代目駅長が「らぶ」なのですが、前月亡くなったのは、この2代目駅長の「らぶ」なので、現在は駅長不在?みたいです。上の写真の撮影禁止の意味は、猫の駅長が写真のフラッシュで目が悪くなってしまったためらしい...芦ノ牧温泉(福島県)2022.11.9

  • 塔のへつり(福島県) 2022.11.9

    (写真は「塔のへつり」)東武鉄道の浅草駅から特急リバティ会津に乗り、会津田島駅で乗り換えて、「塔(とう)のへつり駅」まで来ました。無人駅のホームには、「奇岩が招く藤娘」と書かれています。ホームから外に出て少し下がったところに駅舎の待合室があります。待合室というより小さなバンガローといった感じです。小さいながらも中にコインロッカーが設置されていましたので、ここが観光地「塔のへつり」へのアクセス拠点なのでしょう。駅は、紅葉真っ盛りの林に囲まれていました。素晴らしい紅葉にうっとりします・・・駅から徒歩5分で、あっという間に国指定天然記念物の「塔のへつり」に着きました。案内板によると、「へつり」(岪)とは、会津地方の方言で、川にせまった崖を指すそうです。地名の由来は、阿賀川が、凝灰岩の岸壁を侵食して、塔が並んで立...塔のへつり(福島県)2022.11.9

  • 野岩鉄道・会津鉄道(栃木県~福島県)  2022.11.9

    (写真は、野岩鉄道の車窓からの紅葉風景)全国旅行支援を利用して、福島県の「大内宿」へ行って来ました。東武鉄道の浅草駅から「特急リバティ会津」に乗ります。特急リバティ会津は、「東武鉄道」、「野岩(やがん)鉄道」、「会津鉄道」との相互乗り入れです。「野岩鉄道」は、東武鉄道と会津鉄道との間に挟まり、浅草と会津若松を一本の線路で繋いでいます。鉄道ファンの私は、初めて野岩鉄道と会津鉄道の両方に乗れるので大興奮です!特急リバティ会津は、途中で、栃木、下今市、東武ワールドスクウェア、鬼怒川温泉などの観光地に停車します。(栃木駅)(栃木については「蔵の町・栃木」、下今市については「日光街道を歩く・今市」を見てね。)(下今市駅)下今市駅では、東武日光行きの車両を切り離します。(鬼怒川温泉駅)東武ワールドスクウェアについては...野岩鉄道・会津鉄道(栃木県~福島県) 2022.11.9

  • 水前寺公園(熊本市) 2022.11.24

    (写真は水前寺公園)母の介護のために、熊本に帰省しました。久し振りに、国の名勝・史跡である「水前寺公園」(水前寺成趣園)へ行ってみました。子供の頃は、よく遊びに来ていましたが、当時は、公園の池には、阿蘇山の伏流水が常にこんこんと湧き出ていました。しかし、前回帰省した時は、池の湧水が少なくなって枯れかけていました。(前回帰省時の水前寺公園の池の湧水の状況については「水前寺公園散歩」を見てね。)ちなみに、歌手の水前寺清子は、この水前寺公園からとった名前です。熊本城から市電で15分、水前寺公園で下車します。矢印に従って少し歩くと直ぐに参道があります。園内に入ると、桃山式の美しい回遊庭園が広がっています。(入園料400円)水前寺公園は、肥後細川藩の3代藩主の「細川忠利」が築きました。水前寺公園の正式名称である「水...水前寺公園(熊本市)2022.11.24

  • 多摩川を歩く(その29)(玉川東陸閘(りっこう):東京側)   2022.9.16

    (写真は、玉川東陸閘(りっこう))等々力渓谷の散策を終え、多摩川の堤防に上がって、上の写真の玉堤通りを横切り、多摩川の河川敷に下りて歩いて行きます。写真は「下野毛排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水をここから多摩川に流しています。自動車専用道路の「第三京浜(多摩川橋)」の下をくぐります。お腹が空いてきたので、多摩川沿いのフランス料理「ルナティック」に入ります。先ず上の写真の販売機で食券を買ってから席に着きます。テラス席で多摩川の風景を眺めながら食事します。(エスカルゴ:980円)(牛フィレステーキ:1,860円)(トッピング用のキャビアとトリュフ:490+490円)(牛肉たたきカルパッチョ:960円)(デザート)フランス料理店・ルナティックを出て、田園都市線の「二子玉川駅」を目指して、多摩川の旧堤防の上...多摩川を歩く(その29)(玉川東陸閘(りっこう):東京側) 2022.9.16

  • 多摩川を歩く(その28)(等々力渓谷:東京側)   2022.9.16

    (写真は、等々力渓谷の散策路)前回は、多摩川台公園の崖を下り多摩堤通り出て、河川敷を歩きました。「多摩川」と「矢沢川」との合流点まで河川敷を歩いたところで、多摩川と分かれて「矢沢川」を遡り、「等々力渓谷」の入口までやって来ました。今回は、その「等々力渓谷」を散策します。「等々力渓谷」は、武蔵野台地の南端を矢沢川が侵食して出来た、全長1キロの東京23区にある”唯一の渓谷”です。等々力渓谷の至るところで湧き出る水は、「東京の名湧水57選」に選ばれています。ここは、都会の喧騒から切り離された、鳥のさえずりや渓流の音が静かに聞こえる素敵な空間です!多摩川と別れて、谷川橋を渡り、谷沢川を遡りながら、「等々力渓谷」の散策路を歩んで行きます。等々力渓谷に沿って少し歩くと直ぐに、「日本庭園・書院」のかぶき門があります。か...多摩川を歩く(その28)(等々力渓谷:東京側) 2022.9.16

  • 多摩川を歩く(その27)(多摩川台公園:東京側)   2022.9.16

    (写真は、「多摩川台公園古墳展示室」の「木棺に埋葬された首長(再現)」)前回ご紹介した「田園調布せせらぎ公園」を出て、「丸子橋の交差点」に戻ります。丸子橋の交差点から、交通量の多い多摩川沿いの「多摩堤通り」を歩いて行きます。多摩堤通りを少し歩くと、右手に多摩川台公園のバス停がありますが、そこが「多摩川台公園」の入口です。多摩川台公園のある台地は、武蔵野台地の南の先端にあり、国分寺崖線に位置しています。このため、多摩川との高低差が大きいので、急な階段を息を切らしながら上ります。上の写真の見晴らし台らしき休憩所に着きましたが、前の斜面の立木に妨げられて、多摩川も木の間に少し見えるだけです・・・多摩川台公園の尾根伝いに、矢印に従って歩いて行きます。上の説明版によると、この辺りは、大正時代から昭和時代まで、多摩川...多摩川を歩く(その27)(多摩川台公園:東京側) 2022.9.16

  • 多摩川を歩く(その26)(田園調布せせらぎ公園:東京側)   2022.9.16

    (写真は、隈研吾の設計による「田園調布せせらぎ館」の室内)前回ご紹介した多摩川浅間神社で、シン・ゴジラのお守りと絵馬を買ってから、神社の道路向かいにある東急東横線の「多摩川駅」へ向かいます。駅前には「田園調布せせらぎ公園」があります。写真の右側は、「田園調布せせらぎ公園」の入口にある「田園調布せせらぎ館」で、有名な隈研吾の設計です。この右手のせせらぎ館と、左手の多摩川駅の高架の間の道を真っ直ぐに行くと、プロテニスの聖地だった田園コロシアム跡地の「田コロ児童公園」があります。(田コロ児童公園については、「多摩川を歩く・丸子橋」を見てね。)ここ「田園調布せせらぎ公園」は、かっては「多摩川園」という遊園地でしたが、昭和44年に閉園しました。その遊園地の跡地に誕生したのが、この「田園調布せせらぎ公園」です。昔、私...多摩川を歩く(その26)(田園調布せせらぎ公園:東京側) 2022.9.16

  • 多摩川を歩く(その25)(多摩川浅間神社:東京側)   2022.9.16

    (「多摩川浅間神社」の「シン・ゴジラ」のお守りと絵馬)前日は、涼みながら六郷用水を抜けて、東急東横線の多摩川駅から帰宅したので、本日はその多摩川駅からスタートします。上の写真は、多摩川駅の正面の丸子橋の交差点です。丸子橋の交差点の道路向かいの上の写真の小高い丘が、今日の目的地の「多摩川浅間神社」(たまがわせんげんじんじゃ)です。石橋山の戦いに敗れた「源頼朝」は、安房国で再起し、上総国・下総国の諸将を味方に付け、隅田川を渡り、瀧野川(東京都北区)に陣を布きました。このとき、夫の身を案じた「北条政子」は、瀧野川の陣を目指します。しかし、政子はその途中、ワラジで足を痛めたので、ここ多摩川の川べりで休み、夫の武運を祈って、身につけていた正観世音像をここにに安置しました。それ以来、村人達は、この像を「富士浅間大菩薩...多摩川を歩く(その25)(多摩川浅間神社:東京側) 2022.9.16

  • 多摩川を歩く(その24)(六郷用水:東京側)   2022.9.15

    (写真は「六郷用水」)日差しを遮るキャノン本社前の桜並木が終わると、再び、炎天下の堤防歩きが始まります・・・先生らしき人の大きな声が河原に響き渡っています。フリスビーの授業?なのでしょうか。野球の練習みたいですが、ユニホームを着ていないので野球部ではなさそうです。皆、やる気が無さそうな雰囲気?なので体育の授業なのでしょうか。東海道新幹線とJR横須賀線の橋脚が並行しています。写真は鉄橋の下の「東京多摩川ゴルフ練習場」です。異常な暑さです。この辺りは、多摩川と並行して「六郷用水」が流れていることを思い出しました。余りの暑さに耐えきれず、次の丸子橋までは、多摩川と並行して流れているこの六郷用水沿いに歩くことにします。以前に来たことのある「六郷用水」は、確か、木陰が続いていたので涼しいハズです。(六郷用水に以前に...多摩川を歩く(その24)(六郷用水:東京側) 2022.9.15

  • 多摩川を歩く(その23)(キャノン本社前の桜並木:東京側)   2022.9.15

    (キャノン本社前の桜並木)前回までは、多摩川の川崎側を歩いて来ましたが、今回からは、多摩川の東京側を歩きます。スタートは、以前に東京側を歩いたときのゴールだった「六郷土手駅」です。(以前のゴールだった六郷土手駅については、「多摩川を歩く・六郷水門」を見てね。)駅を下りて、止め天神の前を通って、多摩川の河原に出ます。(止め天神については、「多摩川を歩く・六郷橋」を見てね。)写真は、六郷土手ゴルフ倶楽部練習場です。河川敷の広場では、幼稚園の遠足でしょうか。JR東海道本線の下をくぐり、続けてJR京浜東北線の下をくぐります。河川敷の野球場では、テントが張られて、これから野球大会が催されるみたいです。上の写真は「多摩川緑地事務所」で、大田区と世田谷区から運動施設の管理運営の委託を受けている多摩川緑地広場管理公社です...多摩川を歩く(その23)(キャノン本社前の桜並木:東京側) 2022.9.15

  • 多摩川を歩く(その22)(二子橋:川崎側)   2022.9.12

    (「下野毛の渡し」の碑)多摩川の土手の左側にずっと続いていた等々力緑地と桜並木が終わり、再び、炎天下の堤防歩きとなりました・・・海から15キロポイントです。河口から水源まで全長138キロだから、先は長いなあ~・・・写真は、「宮内の渡し」の碑です。大正6年、1口10円の出資金を宮内の村人が出し合って、舟を買って渡しを始めました。宮内以外の人は有料として、村人が、東京の市場へ野菜を出荷するのに使われました。その後、大正14年に二子橋が出来て、利用者が半減したましたが、更に、昭和10年の丸子橋開通で、宮内の渡しは廃止されました。上下の写真は、「宮内排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水をここから多摩川に流しています。上の写真は、「下野毛」の信号ですが、多摩川の対岸の東京側は「上野毛」です。川崎市の「下野毛」と世...多摩川を歩く(その22)(二子橋:川崎側) 2022.9.12

  • 多摩川を歩く(その21)(等々力緑地:川崎側)   2022.9.12        

    (写真は、川崎フロンターレのホームグランドの「等々力陸上競技場」)多摩川の河川敷にあったという「多摩川スピードウェイ」跡の運動場を見ながら先に進みます。写真は、「小杉排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水をここから多摩川に流しています。9月に入ったというのに異常な暑さが続いています。余りの暑さに、木陰で一休みしたくなり、先方の土手の左側に続く「等々力緑地」へ緊急避難します。ここ川崎市の「等々力緑地」と、多摩川の対岸の東京側世田谷区の「等々力渓谷」とは、江戸時代は同じ「等々力村」でした。「等々力村」は、江戸時代には一つの村だったのですが、多摩川の氾濫により、村の中央を流れる様に流路が変わり、村が分断されました。(テレビ東京「モヤモヤさまぁ~ず2」から)(テレビ東京「モヤモヤさまぁ~ず2」から)等々力緑地へは...多摩川を歩く(その21)(等々力緑地:川崎側) 2022.9.12    

  • 多摩川を歩く(その20)(多摩川スピードウェイ)   2022.9.12

    (写真は、多摩川の河川敷の「多摩川スピードウェイ」)前回のゴールの東急東横線・新丸子駅で下ります。昔、この新丸子駅の近くに住んでいたので、多摩川の土手へ向かう前に、昔住んでいたアパートを探して、駅周辺を散策します。駅前の商店街は、昔からこんな感じだったのか?思い出せません・・・?ごちゃごちゃとしていて昭和レトロ的な印象しか残っていません。道幅が少し広がってアスファルトではなくなり、商店街全体がオシャレで綺麗になった様です。商店街の奥の左側には、更に建設中の武蔵小杉のマンション群が!商店街を抜けると、右手に医大グラウンドがあるハズですが?医大グラウンドがあった場所には、写真の「日本医科大学武蔵小杉病院」の立派なビルが建っていました。その奥には、洒落たデザインのビルが?近づいてみいると、川崎市立小杉小学校とあ...多摩川を歩く(その20)(多摩川スピードウェイ) 2022.9.12

  • 多摩川を歩く(その19)(丸子橋)   2022.9.9

    (テニスファンの聖地「田園コロシアム」の跡地の「田コロ児童公園」)丸子橋を渡ります。丸子橋は、丸子の渡しがあった場所からおよそ200メートル上流に中原街道の橋として昭和9年に完成しました。その後、老朽化と交通量増大に対応するため、平成12年に、片側2車線の現在の丸子橋に架け替えられました。平成14年、この丸子橋付近にアザラシの「タマちゃん」が出現し、見物客で賑わいました。丸子橋を、川崎側から東京側へと歩いて行きます。河川敷では、ラクロスの部活の練習でしょうか。川下には、前回ご紹介した東海道新幹線の鉄道専用橋が見えます。川崎側には、武蔵小杉のタワーマンション群が見えます。丸子橋を渡り終えた場所に上の写真の「旧丸子橋の親柱」がありました。丸子橋の脇の丸子橋交差点からは、正面に下の写真の東横線の多摩川駅が見えま...多摩川を歩く(その19)(丸子橋) 2022.9.9

  • 多摩川を歩く(その18)(ガス橋)   2022.9.9

    (写真は、ボロボロに錆びているガス橋の手すり)多摩川大橋の先から、堤防の上の土手道に上がり、写真の「御幸公園」で一休みします。「ガス橋」が見えて来ました。ガス橋の手前に、写真の「平間の渡しの碑」がありました。上の写真の「ガス橋の歴史」の説明版によると、元々、この橋は、東京ガスが、鶴見製造所でつくったガスを、都内に供給するためにつくった「ガス人道橋」でした。つまり、当初は、車両通行ができない人道橋でした。しかし、昭和35年、交通量の増大に対応するために、車道と人道の間に柵を設けて、車両も通行出来る様にしました。橋の幅はそのままで、2車線を確保したので、歩道はギリギリの幅になってしまいました。現在は、このギリギリの幅の歩道のままなので、先方から来る自転車や人とすれ違うときには、どちらかが脇に避けなければなりま...多摩川を歩く(その18)(ガス橋) 2022.9.9

  • 多摩川を歩く(その17)(多摩川大橋)   2022.9.9

    (多摩川大橋)河川敷の「川崎競馬練習馬場」を右手に見ながら、更に、多摩川の上流を目指して歩いて行きます。やがて、土手の下にゴルフ練習場が見えて来ました。土手沿いの左手の高いビルは、企業ではなくて、川崎市立の川崎総合科学高校です。更に、上流へ少し歩くと、今度は、多摩川大橋の下に、「川崎リバーサイドゴルフ場」が見えてきました。このゴルフ練習場の奥には、「多摩川大橋」が見えています。土手道は、第二京浜(国道1号)に突き当たるので、右折して、多摩川大橋を渡ります。多摩川大橋は、遠くから見ると、水色のアーチの1本の橋に見えますが、実は、並行する2本の橋なのです。並行している多摩川大橋の右側の”水色のアーチの橋”は、東京電力とNTTが送電用に使っている送電の専用橋で、人も車も通れません。一方、水色アーチ橋の奥に並走し...多摩川を歩く(その17)(多摩川大橋) 2022.9.9

  • 多摩川を歩く(その16)(ラゾーナ川崎:川崎側)   2022.9.9

    (え、えっ~?!、堤防の土手道を馬が横断するの?、ウソ~!)猛暑も少しだけ和らいできたので、全長138キロの多摩川沿いの道を、河口から源流を目指すウォーキングを再開します。前回は、「東海道川崎宿」を抜けて、JR川崎駅の東口から京浜東北線に乗って帰宅しました。今回は、JR川崎駅の西口から出て、「ラゾーナ川崎」の中を抜けて、多摩川の土手を目指します。「ラゾーナ川崎」は、JR川崎駅の西口に直結している大型複合商業施設です。ラゾーナ川崎の入り口に「東芝未来科学館」(入場無料)の案内矢印があります。東芝未来科学館は、電気の歴史や最先端のテクノロジーを展示していますが、体験コーナーでのイベントもやっています。(東芝未来科学館の展示内容については、「川崎東芝館オープン」を見てね。)ラゾーナ川崎の中心の広場です。ウォーキ...多摩川を歩く(その16)(ラゾーナ川崎:川崎側) 2022.9.9

  • 「ざうお」(横浜綱島) 2022.7.31

    (写真は、大きな生簀(いけす)の上にある船の形をした座敷)先日「ざうお」という「釣り堀居酒屋」で、久しぶりに外食しました。店は綱島駅から徒歩20分くらいですが、当日は余りにも暑かったので、駅からタクシーで向かいました。「ざうお」は、釣り堀や生簀(いけす)が併設された居酒屋で、東京、埼玉、神奈川、愛知、大阪、福岡など全国にチェーン展開しています。店内に入ると、冒頭の写真の大きな生簀(いけす)があり、その上に、船の形の座敷があります。その生簀で釣った魚を、その場で、刺身、煮付け、焼き魚、唐揚げ、寿司と、好みの方法で調理してくれます。最初はなかなか釣れませんでしたが、何度か試行錯誤しているうちに、竿にアタリがあり、先ず鯵が釣れました。次に、真鯛も釣れました。釣り方は、”引っ掛け釣り”が主なので、小さな子供でも楽...「ざうお」(横浜綱島)2022.7.31

  • 今年の家庭菜園 2022.9.10

    (写真は、我が家の”猫の額”の家庭菜園で獲れたキュウリ)今年の家庭菜園で特筆すべきは、キュウリの異常な大量収穫です。今年は、キュウリ、ミニトマト、オクラ、ゴーヤを、各々同じくらいの本数を植えました。しかし、キュウリ以外の野菜は、ほぼ全滅に近い状態で、各々、僅かの収穫に止まりました・・・そして、我が家の”猫の額”の家庭菜園は、上の写真の様に、キュウリと青じその葉だけがジャングルの様に繁ってしまいました。この1か月の間、キュウリを毎日5本くらい収穫し続けました。我が家だけでは食べきれず、近所3軒に2回お裾分けし、娘達にも取りに来てもらい、知人にも持って行きました。通学の小学生にも、声をかけて庭に入ってもらい収穫してもらいました。それでも余ったので、大きくなりすぎたキュウリは、漬物にもしないで廃棄処分にしました...今年の家庭菜園2022.9.10

  • 多摩川を歩く(その15)(東海道川崎宿:川崎側)   2022.6.23

    (写真は、川崎宿名物の万年屋の「奈良茶飯」の包み紙)前回は、六郷橋を渡って東京側へ下り、落馬止め天神と旧六郷橋橋門を見物してから、六郷橋を引き返して、上の写真の川崎側の橋の袂へ戻って来ました。上の写真の赤い灯篭は、川崎大師への道標となる灯篭です。川崎側の六郷橋の脇には、前回は見落としていましたが、写真の「明治天皇六郷渡御」の碑がありました。(1枚上の赤い灯篭の写真の左端の石碑が、明治天皇六郷渡御碑)明治元年、京を出発された明治天皇は江戸に入られました。この頃には、未だ多摩川には橋が架けられていなかったので、急遽、対岸まで船を並べて板を敷き、その上を明治天皇が渡られたそうです。この六郷渡御碑には、その時の様子を描いた青銅レリーフの「武州六郷船渡図」が、下の写真の様に、石碑の側面に埋め込まれています。また、そ...多摩川を歩く(その15)(東海道川崎宿:川崎側) 2022.6.23

  • 多摩川を歩く(その14)(六郷橋)   2022.6.23

    (写真は、旧六郷橋の橋門)「六郷橋」(ろくごうばし)を渡ります。六郷橋の欄干には、「六郷の渡し」の渡船のモニュメントがあります。六郷橋の入り口に、いきなり、川崎市と東京都の境界が?普通の橋は、橋の中央が境界なのですが・・・ここでは、川崎がだいぶ東京側に攻め込まれています。川崎側の六郷橋の下の川岸は、川崎市ではなくて、対岸の東京都の「飛び地」みたいです。(多摩川の飛び地については、「多摩川を歩く・大師橋」の中程を見てね。)六郷橋は、国道15号(第一京浜)に架かる橋で、現在の橋の前に架かっていた旧橋と区別するために「新六郷橋」と呼ばれることもあります。六郷橋は、「箱根駅伝」のコースですが、駅伝の際は、この六郷橋を境として、東京都側のバイクの先導は警視庁、川崎側のバイクの先導は神奈川県警です。橋を渡り、階段を下...多摩川を歩く(その14)(六郷橋) 2022.6.23

  • 多摩川を歩く(その13)( 川崎河港水門:川崎側 )   2022.6.23

    (写真は、パリの凱旋門?ではなくて「川崎河港水門」)前回までは、多摩川の東京側を、河口から六郷橋まで歩きました。今回からは、多摩川の川崎側を歩きます。以前に、河口から川崎大師までを歩いたので、今回は川崎大師からスタートします。横浜から、京急電鉄に乗り、川崎大師駅で降り、駅から、川崎側の多摩川の土手へ向かいます。(川崎大師駅の前の川崎大師については、「多摩川を歩く・川崎大師」を見てね。)多摩川の土手に上って、堤防の遊歩道を歩いて行きます。広い河原には、ラジコンを飛ばしているオジサンたちの姿も・・・土手の遊歩道の左側には、「味の素川崎工場」の塀が延々と続きます。更に歩いて行くと、多摩川が大きく内側に入り込むところがあり、その先に立派な飾りの付いた水門が?近づいてみると、国有形文化財の「川崎河港水門」とあります...多摩川を歩く(その13)(川崎河港水門:川崎側) 2022.6.23

  • 多摩川を歩く(その12)( 六郷水門:東京側 )   2022.6.20

    (写真は、近代土木遺産の「六郷水門」)”穴守さまの狐のたたり”と噂される「羽田の大鳥居」をスタートして、「羽田の漁師町」を歩いて、更に、「六郷大橋」を目指します。(穴守さまの狐のたたりについては、「多摩川を歩く・穴守稲荷神社」を見てね。)羽田側と川崎大師を結ぶ「大師橋」の塔が正面の遠くに見えて来ました。(大師橋については、「多摩川を歩く・大師橋」を見てね。)先ず最初に、工事中の「首都高速横羽線(首都高大師橋)」の橋梁がありました。そしてこの工事中の橋梁の200メートル更に先に、写真の「一般道大師橋」の橋梁もありました。(一般道大師橋と首都高大師橋との立体構造については、「多摩川を歩く・大師橋」の文末を見てね。)大師橋の辺りには、その昔、羽田の渡しがあり、その渡し船は、20~30人も乗れる大きな船だったそう...多摩川を歩く(その12)(六郷水門:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その11)( 羽田の漁師町:東京側 )   2022.6.20

    (写真は、羽田の漁師町の船溜まり)前回は、”穴守さまの狐のたたり”と噂される「大鳥居」を見物しました。今回は、大鳥居を出て、多摩川の分流である海老取川に架かる「弁天橋」を渡ります。弁天橋の欄干には、江戸前の海苔の作り方がレリーフになっています。海老取川の堤防沿いに、多摩川へ向かいます。右側の多摩川に、左側から海老取川が合流します。上の写真の説明版によると、この下にJR貨物線の羽田トンネルがあるそうです。(JR貨物線:両端が矢印の赤色の棒線の部分)海老取川と多摩川の合流地点に、写真の「五十間鼻」がありました。「五十間鼻」は、長さ50間(90メートル)に渡り、洪水時の急流から岸辺を守るために、川底に敷き詰められた石のことです。五十間鼻の先端には、水死して流れ着いた人々を祀る写真の「無縁堂」がありました。向こう...多摩川を歩く(その11)(羽田の漁師町:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その10)( 穴守稲荷神社:東京側 )   2022.6.20

    (写真は、穴守稲荷神社の稲荷山)前回は、多摩川沿いに歩くために京急の天空橋駅で下車したものの、予定外の「羽田イノベーションシティ」の見物へ行ってしまいました。今回は、羽田イノベーションシティから天空橋駅へ戻り、多摩川堤防の方向の出口へ出て、当初の予定通り、羽田の漁師町を抜けて、多摩川沿いに歩こうと思います。多摩川源流を目指す旅のスタートにあたり、先ずこの羽田の守り神である「穴守(あなもり)稲荷神社」に参拝します。天空橋駅の前の天空橋を渡り、右折して環八通りに出ます。暫く歩くと、左手に「穴守(あなもり)稲荷神社」の稲荷山が見えます。「穴守稲荷神社」の周辺は、江戸時代後期、新田開発が行われましたが、激しい波で何度も堤防に穴が開き、被害が絶えませんでした。悩んだ村民が、堤に稲荷大神の祠を祀ったところ、祠の”穴”...多摩川を歩く(その10)(穴守稲荷神社:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その9)( 羽田イノベーションシティ:東京側 )   2022.6.20

    (「羽田イノベーションシティ」の屋上の飛行機が見える「足湯」)前回は、ソラムナード羽田緑地を歩いてから、京急の天空橋駅から横浜に帰りました。今回も、前回に引き続いて、多摩川沿いに歩くために、京急の天空橋駅で下車します。が・・・、天空橋駅で下車すると、多摩川堤防と反対の出口へ、若いサラリーマン風の男女がぞろぞろと歩いて行きます?こんな辺鄙な羽田の漁師町に何があるのだろう?、と不思議に思い、気になったので、後ろからついて行きます。「羽田イノベーションシティ」出口とあります?エスカレーターを上がると、上の写真のバス乗り場のロータリーがあり、その脇に下の写真の”羽田の歴史の伝承”を伝える「旧三町顕彰の碑」が建っていました。その説明版には、羽田の歴史について、以下の概要が書かれていました。この辺り一帯には、かっては...多摩川を歩く(その9)(羽田イノベーションシティ:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その8)(ソラムナード羽田緑地 :東京側 )   2022.6.14

    (写真は、「ソラムナード羽田緑地」の入り口)多摩川の源流を目指す旅の東京側のスタート地点を探すために、「ソラムナード羽田緑地」の遊歩道を河口へ向かって歩いて行きます。この遊歩道の先端に、スタート地点を示す「多摩川河口」の標識があるのではないか、と期待しながら進みます。「ソラムナード羽田緑地」は、多摩川と並行して走る「環八」の堤防沿いに、平成31年にオープンしました。対岸の川崎側のスタート地点となる小屋(赤丸印)も見えます。小屋の左手に見える切れ目の「多摩運河」が多摩川と海との境目です。(川崎側のスタート地点については、「川崎側河口周辺」を見てね。)河口側には、上の写真の様に東京湾アクアラインの「風の塔」も見えます。綺麗な遊歩道を快適なウォーキングです。対岸の川崎側の浮島石油コンビナートの工場群がよく見えま...多摩川を歩く(その8)(ソラムナード羽田緑地:東京側) 2022.6.14

  • 多摩川を歩く(その7)( 多摩川スカイブリッジ:東京側 )   2022.6.14

    (写真は、多摩川スカイブリッジから望む羽田河口周辺)多摩川の川崎の河口から源流までの全長138キロのを目指して、川崎大師まで歩いて来ました。しかし、待てよ?同じ様に、多摩川沿いの東京側についても、羽田の河口から源流を目指して歩かないと片手落ちでは?多摩川の両岸を歩くということは、全長138キロではなくて、倍の全長276キロを歩くの?う~ん?・・・まあ、仕方ない・・・取り敢えず、羽田の河口のスタート地点を調べてから、東京側からも歩き始めてみるか・・・先ず、東京側の河口のスタート地点を探そうと、この辺りの地図を見ると、羽田空港国際線ターミナルの前に、多摩川沿いの遊歩道があります。この遊歩道の先端が、東京側の河口のスタート地点になりそうな感じです。と言う訳で、京浜急行空港線の羽田空港国際線ターミナル駅で下車して...多摩川を歩く(その7)(多摩川スカイブリッジ:東京側) 2022.6.14

  • 多摩川を歩く(その6)(川崎大師) 2022.6.9

    (写真は川崎大師の大山門)多摩川に架かる「大師橋」の上から、「川崎大師」の祈祷殿が見えたので、多摩川の土手を下りて、久し振りに「川崎大師」にやって来ました。川崎大師は、神奈川県では初詣の参拝客第1位です。昔、武蔵小杉に住んでいた頃は、毎年、初詣に来ていましたが、引っ越してからはほとんど来ていません。初詣以外では、夏の川崎大師の風鈴市が好きで来ていました。(川崎大師の風鈴祭りについては、「京浜急行沿いに歩く(その4)」を見てね。)川崎大師への参詣客を輸送する目的で、明治32年に開業した大師電気鉄道は、現在の京浜急行電鉄の基となりました。京急川崎大師駅の前の「厄除門」をくぐり、「表参道」を歩いて行きます。お昼時になったので、「仲見世」の入り口の写真の明治17年創業「松月庵」で昼食にします。下の写真の「福海老天...多摩川を歩く(その6)(川崎大師)2022.6.9

  • 多摩川を歩く(その5)(大師橋) 2022.6.9

    (写真は「大師橋」)前回は、「多摩川沿いに河口から源流を目指して歩く旅」を、「多摩川河口」の標柱のある場所からスタートしました。そして、最初の橋である「多摩川スカイブリッジ」をくぐり、写真の2番目の「大師橋」までやって来ました。大師橋の脇に、写真の「羽田の渡し」の碑がありました。案内板によると、この渡しは、江戸から川崎大師への参詣ために賑わったそうです。「羽田の渡し」は「六郷の渡し」の様な幕府管理の渡しではなく、ここ大師河原村が運営する渡しでした。この辺り一帯の新田を開墾した名主が「六郎左衛門」だったことから「六郎左衛門の渡し」と呼ばれていました。この羽田の渡しは、「旧大師橋」が開通した昭和14年に廃止されました。え?、昭和14年!、え~っ!、と言うことは、この「羽田の渡し」は昭和に入ってからも現役だった...多摩川を歩く(その5)(大師橋)2022.6.9

  • 多摩川を歩く(その4)(河口周辺) 2022.6.9

    (写真は、多摩川の河口に建つ「多摩川河口」の標識。)最近、多摩川スカイブリッジを読んだ皆さんから、下記の趣旨のコメントが増えてきました・・・5街道制後のモチベーションアップのために、全長138キロの多摩川沿いの道を、河口から源流を目指して歩いてみたら?そして、いつの間にか、私は当然挑戦するんだろう、という雰囲気になってきました・・・但し、河口から源流を目指には、先ず、その河口のスタート地点を私なりに確定する必要があります。しかし、前回の浮島町公園は、河口の最先端にある”飛び地”なので、多摩川沿いの道の最先端ではありません・・・(浮島町公園については、「浮島石油コンビナート」を見てね。)そこで思い出したのが、前々回に、多摩川スカイブリッジの下に見えた、上の写真の遊歩道です。この遊歩道を河口へ向かって歩けば、...多摩川を歩く(その4)(河口周辺)2022.6.9

  •  多摩川を歩く(その3)( 浮島石油コンビナート) 2022.6.7

    (写真は、東燃ゼネラル石油の川崎工場)多摩川沿いの遊歩道の”飛び地”である「浮島町公園」で、対岸の「羽田空港」の航空機の離着陸を撮影してから公園を出ます。「多摩川」に並行している「浮島町」の工場地帯のメインストリートを、前回のゴールの「多摩川スカイブリッジ」を目指して歩いて行きます。途中、道路の右側の工場敷地の鉄の柵や切れ目から、多摩川べりに出る道が無いか、覗き込みながら進みます。浮島町のメインストリートの左側は、「神奈川臨海鉄道・浮島線」の線路がずっと併走しています。そう言えば、前回、京急大師線の小島新田駅で下車して、高速の下の国道沿いに歩いてキングスカイフロントへ行った際に、途中に「東京工事事務所神奈川工事区塩浜基地」がありました。ここが神奈川臨海鉄道の機関車の車両基地みたいです。ここは、神奈川臨海鉄... 多摩川を歩く(その3)(浮島石油コンビナート)2022.6.7

  •  多摩川を歩く(その2)( 浮島町公園) 2022.6.7

    (浮島町公園から羽田空港のD滑走路を臨む)前回は、多摩川の最も下流に位置する「多摩川スカイブリッジ」を歩きましたが、そのとき、更に河口ギリギリまで歩いて下ってみたいと思いました。地図で見ると、多摩川の河口は「浮島」という埋立地で、地名は「浮島町」です。という訳で、今回は、取り敢えず、JR川崎駅の東口のバスターミナルから、「浮島バスターミナル」行きの臨港バス(川03)に乗ってみます。川崎駅前を発車したときは、バスははほぼ満席でしたが、終点の浮島バスターミナルに着いたときには乗客は私一人になっていました・・・バスターミナルから、更に多摩川の河口の方角へ歩いて行こうとしますが、上の写真の様に、河口へ向かう道は歩行者は通行止めです!仕方なく、河口とほぼ並行していると思われる人気の無い道路を一人でしばらく歩いてみま... 多摩川を歩く(その2)(浮島町公園)2022.6.7

  • 多摩川スカイブリッジ    2022.6.1

    (写真は、今年3月に開通した「多摩川スカイブリッジ」)以前から楽しみにしていた「多摩川スカイブリッジ」が、今年3月に開通したので見に行って来ました。多摩川スカイブリッジは、羽田空港と対岸の川崎市の医薬品関連の研究施設(キングスカイフロント)をつなぐ橋です。多摩川にかかる橋の中では一番長く、最も下流に位置する橋です。京急川崎駅で京急大師線に乗り換え、終点の小島新田駅で下車します。小島新田駅から高速の下の国道沿いに、10分くらい歩いて行くと、左手に下の写真の「キングスカイフロント」の入り口がありました。お昼時になりましたが、この辺り一帯には飲食店がなさそうです。取り敢えず、キングスカイフロントの入り口に位置する「TheWAREHOUSE」の大看板のある写真の「東急レイホテル」でお昼にします。東急レイホテルは、...多摩川スカイブリッジ  2022.6.1

  • 大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市)(その2) 2022.5.18

    (北条義時役の小栗旬と源義経役の菅田将暉:大河ドラマ館)前回は、「鎌倉殿の13人」の先週放映分までのあらすじを載せましたが好評だった?ので、今回も少し長くなりますが、以下「鎌倉殿の13人」の次回以降~最終回までの”私の予想するあらすじ”を書いてみました。(源義経の菅田将暉)前回、頼朝は、平泉に兵を送り、義経を襲撃して殺し、義経の首を鎌倉に届けさせましたが、義経の悲運の次は、義経と同じ兄弟の「源範頼」の悲運についてです。(源範頼の迫田孝也)源範頼と源義経の兄弟は、息の合った連係プレーで「一ノ谷の戦い」や「壇ノ浦の戦い」で見事に平氏を滅亡させました!頼朝の弟の「範頼」は、遠江国(静岡県)の蒲御厨(かばのみくりや:浜松市)で生まれ育ったことから「蒲冠者」(かばのかじゃ)と呼ばれていました。頼朝は、富士の裾野で、大規模...大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市)(その2)2022.5.18

  • 大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市) 2022.5.18

    (北条義時役の小栗旬:大河ドラマ館の入口の巨大看板)インターネットで入場券を事前購入して、鎌倉殿の13人の大河ドラマ館へ行って来ました。鶴岡八幡宮の二の鳥居の下の「段葛」(だんかずら)からスタートします。段葛は、鶴岡八幡宮の参道の中央に、葛石(かずらいし)を積んで一段高くした道です。段葛(若宮大路)の両側には、レストランや土産物屋が立ち並び、暫く歩くと、右手のビルの奥に、「北条泰時邸跡」の発掘調査の遺構が保存されています。写真の様に、床がガラス張りになっており、その下にある建物の柱跡などを観察することができます。ここ「鎌倉殿の13人」の主人公の「北条泰時」の屋敷は、若宮大路(段葛)の北の端に位置していました。ガラス張りの床の前のお店「侍気分」のご主人が、丁寧に詳しく遺構の説明をして下さいました。上の説明板は、鎌...大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市)2022.5.18

  • 大山阿夫利神社下社 (神奈川県伊勢原市) 2022.4.28

    (写真は、豆腐料理の「小川家」)七沢温泉からバスに乗り、小田急伊勢原駅前で大山ケーブル行きに乗り換えます。大山ケーブルに乗り込み、終点の阿夫利神社駅で降りて、「大山阿夫利(あふり)神社下社」へ向かいます。ケーブルから少し歩くと、直ぐに阿夫利神社下社の石段に着きました。平日にも拘わらず、結構参拝客がいます。この阿夫利神社は、大山の中腹にありますが、大山全体は、常に雲や霧が山頂に生じ、雨を降らすことから「あめふり山」と呼ばれていました。神社の名前は、「あめふり」が転じて、「あふり」(阿夫利)となりました。阿夫利神社は、関東三大不動の一つで、関東36不動の一番札所です。中世以降は、ここ阿夫利神社と同じ中腹で、阿夫利神社の少し下にある「大山寺」を拠点とする「修験道」が盛んになりました。源頼朝を始め、北条家、徳川家などの...大山阿夫利神社下社(神奈川県伊勢原市)2022.4.28

  • 大山ケーブル (神奈川県厚木市) 2022.4.28

    (写真は、大山のケーブルカー)七沢温泉の盛楽苑に1泊した翌朝です。朝食は、伊勢原坂本の養鶏卵、厚木のいかり味噌などの地の食材を使用しています。朝食を早めに済ませ、バーで無料のコーヒーを飲んで一休みします。昨日下車した「七沢温泉入口」バス停から、9:08発の伊勢原駅北口行きのバスに乗ります。小田急の伊勢原駅の北口で、「大山ケーブル」行きのバスに乗り換えます。バス停には、上の写真の「大山詣り」の説明文がありました。山の麓近くになると、バスは細い道を進んで行き、度々すれ違い待ちの場所で停車します。バスに揺られること30分、ようやく下の写真の「大山ケーブル」バス停に到着しました。バス停の脇には下の写真の「大山コマ」の石像がありました。大山ケーブルの駅へと続く400段もある石段を上って行きます。この延々と続く石段には、大...大山ケーブル(神奈川県厚木市)2022.4.28

  • 七沢温泉・盛楽苑 (神奈川県厚木市)2022.4.28

    (写真は、盛楽苑の露天風呂)今朝下車した「七沢温泉入口」バス停から、上の写真の「盛楽苑」の最寄りのバス停「七沢病院前」を経て、徒歩10分の「盛楽苑」(せいらくえん)へ歩いて行きます。途中に、上の写真の「七沢城跡」の説明版がありました。(七沢城については、「七沢森林公園」を見てね。)上の写真は、盛楽苑の部屋から望む七沢城跡の七沢リハビリテーション病院です。「盛楽苑(せいらくえん)」は、以前から一度は泊まりたいと思っていた旅館です。(1泊2食付:25,000円)七沢温泉は、やわらかなアルカリ湯であることが特徴で、美肌効果があるそうです。貸し切り露天温泉や、風呂付の客室でゆっくりと身体の疲れを癒し、湯上り処で地ビール等を楽しめます。地の食材を使用した四季折々の料理は、コース料理で提供されます。客室数は全部で10部屋あ...七沢温泉・盛楽苑(神奈川県厚木市)2022.4.28

  • 県立 七沢森林公園 (神奈川県厚木市)2022.4.28

    (写真は、「七沢森林公園」の「森のかけはし」)ようやく、非常事態宣言も蔓延防止措置も無く、自由に旅行が出来る様になりました。そうは言っても、遠出は、途中の交通機関での感染が怖いので、県内の温泉に1泊して、屋外の施設で遊ぶことにしました。という訳で、今週、「厚木の七沢温泉」に行き1泊してきました。小田急線の本厚木駅で下車して、駅前の厚木バスセンターから、七沢行きのバスに乗り、「七沢温泉入口」で下車します。先ず、「七沢森林公園」を散策してから、今晩の宿の七沢温泉へ向かいます。公園の散策の前に、バス停の前の消防署の建物の中のある観光案内所で、七沢森林公園の園内地図を貰います。バス停からは、「七沢森林公園」のシンボルである「森のかけはし」が見えていました。バス停の近くに、上の写真の説明版がありました。その説明版によると...県立七沢森林公園(神奈川県厚木市)2022.4.28

  • 甲州街道を歩く( 39-2:下諏訪)(長野県諏訪市) 2021.11.20

    (写真は、上諏訪駅の構内の足湯)甲州街道のゴールの下諏訪宿の見物を終えて、下諏訪駅から、JR中央本線の普通列車に乗車します。これは、JR中央本線の特急列車は、ここ下諏訪駅には停車しないので、停車駅の隣の上諏訪駅まで、1駅だけですが普通列車に乗らなければなりません。時間の変更が出来ない安い特急列車の切符を買ったため、上諏訪駅で、かなり長い時間を潰すことになりました。上諏訪駅の構内には、写真の「足湯」があったので入ってみます。ホームに入ってくる電車を眺めながらの足湯というのは楽しいです。あ~、疲れた足に気持ちいい~!足湯の横には、温泉卵づくりの専用スポットの「温泉たまご処」のボックスがあります。説明版によると、温泉卵を作るには、先ず、駅の売店で、卵とタレのセットを100円で購入する必要があります。次に、温泉たまご処...甲州街道を歩く(39-2:下諏訪)(長野県諏訪市)2021.11.20

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