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峰さんさんのプロフィール

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港北区
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北区

一人旅の街道歩きに、すっかりハマってしまいした。 街道歩き以外の横浜・東京の町歩きもブログに書いています。

ブログタイトル
ウォーク更家の散歩
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ブログ紹介文
一人旅で、東海道、中山道、日光街道、奥州街道を全踏破しました。 現在、甲州街道を踏破中です。
更新頻度(1年)

59回 / 365日(平均1.1回/週)

ブログ村参加:2013/01/26

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峰さんさん
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ウォーク更家の散歩
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ウォーク更家の散歩

峰さんさんの新着記事

1件〜30件

  • 甲州街道を歩く( 30-2:栗原宿から石和宿へ)(山梨県山梨市)  2021.9.7

    (写真は、すっかりお馴染みになった「丸石道祖神」)コロナ禍での街道歩きを再開するか否か、迷いに迷ったのですが、以下の理由で再開しました。①ワクチンの2回目接種を終えた。②山梨県の蔓延防止措置が今月12日で解除された。③始発電車の利用で交通機関での3密は回避している。④旧甲州街道では人とほとんど会わないので現地での3密はない。⑤糖尿病の医者から、コロナ禍で数値が悪化したので街道歩きを再開した方がよい、と言われた。甲州ブドウ栽培の始まりという「勝沼宿」を抜け、「栗原宿」に入ってからも、ブドウ園とブドウ畑が延々と続きます。前回、ブドウは未だ葉だけでしたか、今回はたわわに実り、もう既に収穫を終わっている所も多いです。前回説明しました様に、ブドウ園は、頑丈な鉄骨の枠を組み、その上にブドウの枝を這わせています。その鉄骨の枠...甲州街道を歩く(30-2:栗原宿から石和宿へ)(山梨県山梨市)2021.9.7

  • 甲州街道を歩く( 30:栗原)(山梨県山梨市)  2021.6.23

    (写真は、定食チェーン店「大戸屋」の創始者の実家)「栗原」の地名は、この地を治めた栗原氏に由来しています。戦国時代、武田信玄の父の武田信虎は、甲斐の国(山梨県)の統一に着手しました。この地を治めた「栗原信友」は、当初は武田信虎と対峙しましたが、後に家臣となり、武田信玄に仕えて武田軍団の一翼を担いました。栗原には、この辺り一帯の農産物や織物などが集り、大いに賑わいました。「栗原宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠20軒でした。「栗原宿」に入ります。宿場町を進むと、右手に写真の「大法寺」があります。入口の脇には、下の写真の様に、1702年建立の「南無妙法蓮華経」と、1831年建立の「南無妙法蓮大菩薩」の題目碑が並んでいます。大法寺のすぐ先を右に入ると、以下の写真の「妙善寺」があります。妙善寺の鐘楼門をくぐると、本...甲州街道を歩く(30:栗原)(山梨県山梨市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 29:勝沼②)(山梨県甲州市) 3km 2021.6.23

    (写真は、地蔵堂に安置されている延命地蔵尊)勝沼宿を進んで行くと、右手に「勝沼小学校」があります。勝沼小学校の校門の脇には、下の写真の「勝沼学校跡」の碑がありました。この碑に刻まれた説明文によると、明治13年の明治天皇の山梨巡行の際、ここにあった勝沼学校校舎が行在所(宿所)となりました。この碑の脇には、下の写真の「明治天皇勝沼行在所碑」がありました。また、校門の左手には、上の写真の左側の「ようあん坂」の標柱があります。標柱の説明には、「勝沼宿内で最も急な坂だが、坂の名前の由来は、一説によると、天野養庵という人の屋敷が近くにあったため」と記されています。「ようあん坂」の標柱の右側には、「海抜四〇〇米」の標石があります。更に宿場町を歩いて行くと、左手に写真の「護念寺」がありました。境内の墓地には、「柏尾の戦い」で、...甲州街道を歩く(29:勝沼②)(山梨県甲州市)3km2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 29:勝沼) (山梨県甲州市) 2021.6.23

    (写真は、甲州街道沿いのブドウ園)「勝沼宿」は、甲府盆地の東の端に位置し、江戸時代には物資集積の地として栄え、市が立ち大いに賑わいました。本陣1、脇本陣2、旅籠23軒でした。勝沼宿に入ると直ぐ左手には、上の写真のワイン民宿の鈴木園があります。昼食時になったので、ワイン民宿の庭で出しているワイン付きのランチを食べようと思ったのですが、残念ながらコロナ禍で休業中でした。ワイン民宿から先の街道沿いには、ブドウ園が延々と続きます。ここ勝沼には、約130軒ものブドウ園があるそうですが、街道沿いのブドウ園は、頑丈な鉄骨の枠を組み、その上にブドウの枝を這わせています。その鉄骨の枠の下の広い空き地は、観光客用の駐車場になっています。更に歩いて行くと、右手の「上行寺」の参道口に、「日蓮聖人投宿之地」と刻まれた真新しい石碑と、18...甲州街道を歩く(29:勝沼)(山梨県甲州市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28-4:鶴瀬宿から勝沼宿へ③)(山梨県甲州市) 5km 2021.6.23

    (写真は、”ぶどう寺”と呼ばれている「大善寺」)新選組の近藤勇が官軍に破れたという、江戸時代の柏尾橋の脇の「柏尾古戦場」跡の見学を終え、上の写真の現代の柏尾橋で深沢川を渡ります。国道20号を更に進むと、柏尾山の登山口に、写真の「柏尾山薬師如来碑」がありました。この薬師如来碑の脇に「熊出没注意」の看板が!えぇ~っ!、こんな人気の多い所に熊が出るの?街道沿いの高台に、写真の「芭蕉翁甲斐塚」があり、塚には、県内最古(1762年)の芭蕉句碑「蛤(はまぐり)の生ける甲斐あれ年の暮れ」が建っていました。(句意:蛤のように殻を閉じたままに、世捨て人として俳句と旅に生きた自分は、これからもそうやって生きていくのに何の意味があるのだろうか、とこの年の暮れに思う。)更に国道20号を進むと、奈良時代の僧である「行基」が開創した、”ぶ...甲州街道を歩く(28-4:鶴瀬宿から勝沼宿へ③)(山梨県甲州市)5km2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28-3:鶴瀬宿から勝沼宿へ②)(山梨県甲州市) 2021.6.23 

    (写真は、柏尾古戦場跡の近藤勇像)鶴瀬宿を後にして、歩道が無い長柿洞門の脇を抜け、国道20号を歩いて行きます。上の写真の観音トンネル西の信号を右折して、国道20号から分かれて旧甲州街道に入ります。旧甲州街道の左手の崖の中程には、私がY字路の分岐を間違えたために行けなかった、あの観音堂から下りてくる狭い山道が見えます。旧甲州街道は、上の写真の様に、ここから右に大きく円形状に回り込み、下の写真の様にして、先程通って来た国道20号の下をくぐります。左手に「古跡・武田不動尊」の標柱と「石燈籠」があります。標柱の説明によると、ここは、織田信長の家臣の滝川一益に追い詰められた武田勝頼が、もはや最後と観念して、肌身離さず持っていた大切な不動尊を里人に託した場所なのだそうです。この崖の下にある「武田不動尊の祠」を見ようと、標柱...甲州街道を歩く(28-3:鶴瀬宿から勝沼宿へ②)(山梨県甲州市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28-2:鶴瀬宿から勝沼宿へ)(山梨県甲州市) 2021.6.23 

    (写真は、歩道が無い「長柿洞門」)鶴瀬宿を後にして、国道20号に合流して歩いて行きます。矢久保沢に架かる橋を渡ります。国道20号は、やがて中央高速道と並行して走るようになります。国道20号沿いの坂の上に真竜寺があり、真竜寺への参道口の上り坂が、志々久保バス停の脇にありました。真竜寺の参道口の坂を上って行くと、上の写真の農作業中のオジサンに出会ったので声を掛けて挨拶します。う~ん、挨拶しても返事がない?近視の私が近づいてよく見ると・・・、オジサンは案山子?でした。(-_-;)(真竜寺)国道20号に戻り、暫く歩くと、石段の奥に小社が祀られています。国道20号(甲州街道)を更に進むと、写真の「長柿(おさがき)洞門」が現れます。旧甲州街道は、この長柿洞門の手前の右手の上り坂です。この上り坂の先に、観音堂があるらしいです...甲州街道を歩く(28-2:鶴瀬宿から勝沼宿へ)(山梨県甲州市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28:鶴瀬)(山梨県甲州市) 1km 2021.6.23 

    (写真は、武田勝頼公腰掛石)新横浜から八王子経由で、中央本線に乗り、「JR甲斐大和駅」で下車して、路線バスで前回のゴールの「日陰のバス停」へ向かいます。新横浜5:44→(JR横浜線)→6:30八王子6:35→(JR中央本線)→7:38甲斐大和8:05→路線バス→8:10日陰(JR甲斐大和駅)JR甲斐大和駅の駅前の跨線橋を渡った広場には、写真の「武田勝頼」像がありました。説明版によると、ここ甲斐大和は、武田勝頼が自害した武田家終焉の地だそうです。「JR甲斐大和駅」の前から路線バスに乗り、前回のゴールの「日陰バス停」で下車します。日陰バス停の「日陰」の以前の地名は、「駒飼」だったそうです。バス停の近くの私が宿泊を予定していた「旧旅籠・大黒屋サンガム」の向いに「甲州街道」の標柱があります。(旧旅籠・大黒屋サンガムにつ...甲州街道を歩く(28:鶴瀬)(山梨県甲州市)1km2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 27:駒飼)(山梨県甲州市) 2021.6.12

    (写真は、私が宿泊を予定していた「旧旅籠・大黒屋サンガム」)駒飼宿(こまかいしゅく)は、甲州道中最大の難所笹子峠を控え、大いに賑わいました。本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠6軒でした。次の、鶴瀬宿と合宿で、問屋業務は、毎月21日から月末までを駒飼宿が勤めました。雪解けの笹子峠を越えた甲陽鎮撫隊(新選組)の一行はこの駒飼宿に宿陣しました。ここで初めて、板垣退助が率いる政府軍によって、甲府城が奪取されたとの情報が知らされました。甲陽鎮撫隊の古参の約20名以外は、戦闘経験の無い烏合の衆だったので、この情報が隊員に知れ渡ると、脱走が相次いだそうです。(甲陽鎮撫隊については、「甲州街道を歩く:猿橋、日野、大月」を見てね。)矢立の杉をスタートして、笹子峠を越え、県道をひたすら下り続け、ようやく次の駒飼宿に到着しました。宿場町...甲州街道を歩く(27:駒飼)(山梨県甲州市)2021.6.12

  • 甲州街道を歩く( 26-4:黒野田・笹子峠③)(山梨県甲州市) 10km 2021.6.12

    (写真は、「笹子峠」の頂上の笹子峠道標)標高1,096メートルの笹子峠の頂上で一休みします。笹子峠の頂上には「笹子峠道標」があります。この笹子峠の遥か下を、中央自動車道の「笹子トンネル」が走っています。「笹子トンネル」の名前は、皆さん、一度は聞いたことがあるハズです?そう、あの2012年の「笹子トンネル・天井板落下」の悲惨な事故です!中央自動車道の笹子トンネルの中で、コンクリートの天井板が、130メートルにわたって落下し、走行中の車複数台が巻き込まれて9名も死亡した、日本の高速道路の最大の事故です!(この笹子峠と、笹子トンネルの位置関係については、文末の大きな地図を参照してください。)笹子峠道標の脇で一休みしてから、写真の「大和村日影・かいやまと駅」の道標に従い、ゆっくりと峠道を下りて行きます。直ぐに、上の写真...甲州街道を歩く(26-4:黒野田・笹子峠③)(山梨県甲州市)10km2021.6.12

  • 甲州街道を歩く( 26-3:黒野田・笹子峠②)(山梨県大月市) 2021.6.12

    (写真は、両側が急斜面の崖の険しい尾根道)股関節炎が回復しないままでの笹子峠越えになってしまったので、5街道踏破で初めてタクシーを利用しました。新横浜5:02→(JR横浜線)→5:48八王子5:51→(JR中央本線)→6:00高尾6:03→(JR中央本線)→6:39大月6:54→(JR中央本線)→7:12甲斐大和7:35→タクシー→8:10矢立の杉前回の無念のリタイアとなった「矢立の杉」の看板の前でタクシーを下ります。看板の脇の細い道を下りていくと、直ぐに前回の最終地点となった杉良太郎の矢立の杉の歌の黒い石碑がある場所に出ました。杉良太郎が寄進したという地蔵菩薩の脇の手を洗う手水(ちょうず)舎(上の写真の右上)の手前がY字路になっています。Y字路を左に進むのが旧甲州街道で、写真の様に甲州街道の道標があります。旧...甲州街道を歩く(26-3:黒野田・笹子峠②)(山梨県大月市)2021.6.12

  • 甲州街道を歩く( 26-2:黒野田:笹子峠①)(山梨県大月市) 2021.6.1

    (写真は「矢立の杉」)新田下バス停の先の甲州街道道標「矢立の杉笹子駅」を右折します。この分岐点が、甲州道中最大の難所笹子峠の登り口です!舗装道が終って土の道に変わり、木立の中に入って行きます。新田沢のせせらぎを聞きながら、林の中の峠道を進みます。上の写真の右手の新田沢砂防ダムの高い石垣に突き当たったので、この砂防ダムを大きく左に迂回しながら進みます。上の写真の様に、左手頭上に、県道の白いガードレールが現れました。少し進むと、この県道に上がれそうな、下の写真の石垣の上の道がありました。この石垣を上り、ガードレールの切れ目から県道に合流します。県道を右手に進み、車がほとんど通らない上り坂を歩いて行きます。新田沢を美久保橋で渡ります。県道のヘアピンカーブを進むと、「矢立の杉入口」があり、笹子峠自然遊歩道の案内標識があ...甲州街道を歩く(26-2:黒野田:笹子峠①)(山梨県大月市)2021.6.1

  • 甲州街道を歩く( 26:黒野田)(山梨県大月市) 2021.6.1

    (写真は、愛嬌のある表情の「笠懸地蔵」)「黒野田宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠14軒でした。「黒野田宿」は、「白野宿」と「阿弥陀海道宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、1日から15日までを黒野田宿が勤めました。黒野田宿は、甲州街道最大の難所・笹子峠を控えて大いに賑わいました。JR笹子駅前から、緩やかな上り坂の国道20号を暫く歩くと「黒野田宿」に入ります。宿場町の左手に愛嬌のある表情をした「笠懸地蔵」がありました。説明版によると、1855年の建立で、天明天保の大飢饉、それに続く農民一揆などによる窮乏を、この地蔵に心願したものだそうです。笠懸地蔵先の左手に、立派な門構えの「黒野田宿本陣跡」があります。この門の脇に、明治13年の巡幸の際に宿所となったことを示す「明治天皇行在所趾碑」がありました。1836年の...甲州街道を歩く(26:黒野田)(山梨県大月市)2021.6.1

  • 甲州街道を歩く( 25:阿弥陀海道)(山梨県大月市) 1km 2021.4.12

    (写真は、笹子峠の名物だった「笹子餅」)「阿弥陀海道(あみだかいどう)宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒でした。この前の宿場町の「白野宿」と、この次の宿場町の「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、16日から22日までを阿弥陀海道宿が勤めました。笹子川橋のバス停を過ぎ、笹子川を笹子川橋で渡ると「阿弥陀海道宿」に入ります。笹子川橋を渡り、橋の脇の狭い坂道を下りて行きます。上の写真の右側の家の先を右折して、突き当りの小山を回り込む山道を進みます。狭い山道の先に写真の「阿弥陀堂跡」がありました。この阿弥陀堂の狭い跡地には、写真の「阿弥陀堂跡碑」とたくさんの石仏などが建っています。奈良時代の名僧「行基」は、笹子峠に出没する悪霊を鎮めるために、この地にお堂を建てて、自ら彫った阿弥陀如来像を安置しました。行基...甲州街道を歩く(25:阿弥陀海道)(山梨県大月市)1km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 24:白野)(山梨県大月市) 3km 2021.4.12

    (写真は、修行僧に失恋した娘が、池に身を投げて「毒蛇」になったという「葦ケ池」の碑)「白野(しらの)宿」は、次の「阿弥陀海道(あみだかいどう)宿」と、その次の「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、23日から月末までをここ白野宿が勤めました。「白野(しらの)宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒でした。国道20号を天神山を左に迂回しながら進み、中央本線のガードをくぐると、右手に分かれる旧道がありますが、ここが「白野宿」の入口です。白野宿の東口から少し歩くと、「白野下宿」のバス停があります。バス停の先には、常夜燈、石仏、庚申塔など祀られていました。その庚申塔の先は、上の写真の「笹子公民館白野分館」ですが、その公民館の先に、下の写真左側の「元旅籠・よろず屋」(今泉家)があります。更に進むと、白野宿の2つ目...甲州街道を歩く(24:白野)(山梨県大月市)3km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 23:初狩)(山梨県大月市) 4km 2021.4.12

    (写真は、主君の武田勝頼を裏切って織田信長に付いたものの斬首されてしまった小山田信茂の首塚)前回の花咲宿を出たのちに、国道20号(甲州街道)から分れてJR中央本線沿いに歩いて行き、再び国道20号に合流する辺りが次の「下初狩宿」です。下初狩宿は、本陣2、脇本陣2、問屋1、旅籠12軒でした。この下初狩宿と次の中初狩宿とは、半月交代で問屋業務を勤める「合宿(あいじゅく)」でした。国道20号(甲州街道)沿いの右手の道路から一段低くなった場所に写真の「奥脇家本陣」跡があります。(この建物は、普通のお住まいになっているので、敷地内に立ち入ることは出来ません。)慶応年間(1865~68)の建築で、立派な門も残っています。この本陣前には、上の写真の「山本周五郎生誕之地碑」があります?説明版によると、「山本周五郎」は、明治36年...甲州街道を歩く(23:初狩)(山梨県大月市)4km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 22:花咲)(山梨県大月市) 2km 2021.4.12

    (写真は、「星野本陣遺構」)大月宿を出て国道20号を暫く歩いて行くと、左手に上の写真の「下花咲宿標柱」があり、この辺りから「下花咲宿」が始まります。「下花咲宿」は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠22軒でした。下花咲宿と上花咲宿とは、半月交代で問屋業務を勤める「合宿(あいじゅく)」でした。下花咲宿の宿場町を進むと、右手に、「星野本陣遺構」があります。江戸中期の建物で、国の重要文化財です。星野家は、代々、本陣を勤めていましたが、庄屋と問屋も兼ねていました。明治13年、明治天皇巡幸の際にここが休息所となり、建物の前には、写真の「明治天皇花咲御小休所碑」があります。「本陣遺構」の建物内部の見学は、残念ながら、現在、コロナのため中止です。でもご安心下さい?以前、「猿橋宿の猿橋」でご紹介したTV番組の「三宅裕司のふるさと探...甲州街道を歩く(22:花咲)(山梨県大月市)2km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 21:大月)(山梨県大月市) 2km 2021.4.12

    (写真は、旧甲州街道と富士山道の追分にある道標)(歌川広重「甲斐大月の原」:二玄社「歌川広重富士三十六景」から)大月の原は、大月宿の周辺にあったと思われますが、現在のどの辺りなのかよく分かっていません。大月辺りの甲州街道は、桂川の渓谷に沿って両側を山に挟まれているため、富士山を望むことは出来ませんので、おそらく桂川の対岸の山麓か高台から遠望したものと思われます。広重は、甲州をあちこち旅していますが、深山の道を進んで大月の原に至り、突然姿を現した富士山によほど感動したのでしょう。寂寥感が漂う晩秋の風景で、中程の広大なススキの野原の向こうの山脈から、雪に覆われた富士山が顔を出しています。近景には、桔梗(ききょう)や女郎花(おみなえし)などの秋の草花を配し華やかな感じです。(JR中央本線大月駅)(富士急大月駅)JR中...甲州街道を歩く(21:大月)(山梨県大月市)2km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 20:駒橋)(山梨県大月市) 1km 2021.4.12

    (写真正面の山は、落ち延びる武田勝頼が、家臣の裏切りにより入城を拒否された「岩殿山城」)前回の猿橋宿を抜けて、ひたすら旧甲州街道を歩き続け、山梨中央自動車の所から斜め右の下り坂に入ります。ダンプの排ガスから逃れて、長閑な旧甲州街道を進み、相模川水系の熊沢を宮田橋で渡ります。上の写真の大西商店の向いに、下の写真の1861年建立の庚申塔がありました。大月駒橋郵便局を過ぎると緩い上り坂になります。「駒橋発電所送水管」を越したら、斜め左の上り坂に入ります。JR中央本線を第五甲州街道踏切で横断します。踏切の先の上り坂を進み国道20号に合流するのと同時に、下の写真の様に、直ぐに、横尾橋バス停の所から斜め右に入ります。もう、「駒橋宿」に到着です。「駒橋宿」は、問屋1、旅籠4軒のみの小さな宿場町で、宿場の横を流れる桂川の対岸に...甲州街道を歩く(20:駒橋)(山梨県大月市)1km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 19:猿橋)(山梨県大月市)  2021.4.6

    (写真は、名勝「猿橋」)前回の鳥沢宿を抜けて、ひたすら旧甲州街道を歩き続けていると、街道の脇に、上の写真の様に、猿橋の矢印が出ていました。左手の階段を覗き込むと、眼下に猿橋が見えます。階段の下には、上の写真の「うき我を淋しがらせよかんこ鳥」の「芭蕉句碑」が建っていました。(句意:その寂しい鳴き声で世を辛く思う閑古鳥よ、孤独な私を寂しがらせておくれ。その寂しさの中に浸りたいのだ。)猿橋の眼下には美しい桂川の渓谷が望めます。橋から下を覗くと、余りの高さに、高所恐怖症の私は、足がすくんでしまいました・・・江戸時代に、こんなに深い渓谷に橋を架けたなんて、改めて凄い技術だな、と感心しました。この桂川は、笹子川を吸収して相模國に入ると、相模川と名を変え、河口近くでは馬入川となり相模灘に注いでいます。猿橋を渡り終わると、橋の...甲州街道を歩く(19:猿橋)(山梨県大月市)2021.4.6

  • 甲州街道を歩く( 18:鳥沢)(山梨県上野原市)  2021.4.6

    (写真は、鳥沢宿の町並み)話は少し戻りますが、3月21日の2回目の非常事態宣言の解除を受けて、甲州街道踏破を再開しました。(因みに、4月20日の横浜市の蔓延防止措置を受けて、現在は街道歩きを中止しています。)甲州街道踏破も、現在は、山梨県内を歩いており、1日中ほとんど人と会う機会もないので3密の心配はないのですが、そこまでの電車での往復にリスクがあります。そこで、行きは新横浜を始発電車で、帰りは早めに切り上げて通勤通学時間帯の前に引き上げる様にしました。お陰で、電車は往復ともガラガラでした。前回のゴールの中央本線の「JR鳥沢駅」で下車して、甲州街道踏破の再開です。(JR鳥沢駅)駅の近くのメインストリート沿いに、気付かずに通り越してしまいそうな少し朽ちた「一里塚跡鳥沢」標柱があります。日本橋から22里目(88キロ...甲州街道を歩く(18:鳥沢)(山梨県上野原市)2021.4.6

  • バスで行く「奥の細道」(その56-2) 立石寺②(山形県) 2020.11.16

    (左の写真はJR山寺駅からの山寺の全景で、右の写真はその五大堂の部分を望遠で拡大したもの。)銀山温泉に2泊した翌日は、前回ご紹介した様に、午後から「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句で有名な「立石寺」に出掛けました。話は、その日の朝に遡ります。(旅館の朝食)旅館の朝食を済ませ、温泉街を抜けて、路線バスのバス停へ向かいます。バスの時間まで、温泉街の入口にある上の写真の足湯に浸かります。路線バスの始発で、JR大石田駅に向かいます。途中、バスの車窓から、懐かしい尾花沢の「芭蕉・清風歴史資料館」がチラリと見えました。(上の写真の赤丸印)(「芭蕉・清風歴史資料館」については、「尾花沢」を見てね。)JR大石田駅で下車します。大石田駅は、鳴子温泉、尾花沢などの訪問の際に乗降しましたので、何と!6回もこの駅で乗降したことになり、見...バスで行く「奥の細道」(その56-2)立石寺②(山形県)2020.11.16

  • バスで行く「奥の細道」(その56) 立石寺(山形県) 2020.11.16 

    (写真は、立石寺の開山堂)銀山温泉に2泊した翌朝、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句で有名な「立石寺」(寺山)を見に行きました。「曽良旅日記」によると、尾花沢に10日間滞在した芭蕉は、尾花沢の人々に、「一度は見ておいたほうが良い」と勧められ、七里(28キロ)を歩いて、その日の午後に「立石寺」(りゅうしゃくじ)に到着しました。到着時には、日はまだ暮れていなかったので、山の麓の宿坊に宿を借りて、山上にあるお堂に登りました。28キロも歩いて立石寺に着くと、そのまま千余段もある石段を登った訳ですから、芭蕉は大変な健脚だったのでしょうね。立石寺は、別名を山寺(やまでら)といい、慈覚大師円仁が開山した天台宗の古刹です。芭蕉が訪れた頃には、1,420石の朱印寺領を有し、僧坊100人以上を抱える大寺でした。芭蕉は、「奥の細道」に...バスで行く「奥の細道」(その56)立石寺(山形県)2020.11.16

  • 銀山温泉(2泊目) (山形県)  2020.11.15     

    (写真は、夜の銀山温泉の旅館街)銀山温泉に1泊した翌早朝に、最上川下りの送迎バスに迎えに来てもらい、午後、予定より早く、泊まっている旅館に戻って来ました。送迎バスのお陰で、効率よく最上川下りの往復が出来たので、午後は銀山温泉の奥の方を散策します。銀山温泉街の奥には「白銀公園」という1時間ほどの散策コースがあります。公園には、写真の高さ20メートルの「白銀の滝」があり、マイナスイオンを浴びて気持ちがいいです。この白銀滝の目の前にあるのが上の写真の「瀧見館」で、「滝見亭」として、滝を見ながらの蕎麦屋として流行っているみたいです。白銀の滝の横には、400年前に賑わった延沢銀山の面影が残る「銀坑洞(ぎんこうどう)」(国指定史跡)があります。洞窟の中はライトアップされているみたいなので入り口から中に入ってみます。入場無料...銀山温泉(2泊目)(山形県)2020.11.15

  • バスで行く「奥の細道」(その55) 最上川下り(山形県) 2020.11.15 

    (写真は、最上川下りの船からの紅葉)「新庄」の豪商であり俳人の「風流」の邸宅に泊まった芭蕉は、新庄の「本合海」(もとあいかい)から、最上川下りに乗船しました。(新庄での芭蕉については、「新庄」を見てね。)本合海(もとあいかい)は、かつて、最上地方と庄内地方との間に陸路がなかった時代に、舟運の中継地として栄えていました。芭蕉は、実際に舟に乗ってみて、最上川の風景に心を揺さぶられ、「奥の細道」に以下の様に記載しています。「左右山覆い、茂みの中に舟を下す。白糸の滝は、青葉の隙(ひま)々に落ちて、仙人堂、岸に臨んで建つ。水みなぎって、舟危うし。”五月雨を(さみだれを)集めて早し最上川”」私は、銀山温泉に1泊した翌朝、宿泊している旅館に、最上川下りの送迎バスが迎えに来ました。送迎バスの車窓から、芭蕉が乗船したという「本合...バスで行く「奥の細道」(その55)最上川下り(山形県)2020.11.15

  • 銀山温泉 (山形県)  2020.11.14 

    (写真は、銀山温泉の旅館街)前回は、鳴子温泉に1泊して、尿前の関、封人の家、尾花沢、大石田、新庄と芭蕉の足跡をたどりました。今回は、銀山温泉に2泊して、「最上川下り」と「山寺」の芭蕉の足跡をたどる予定です。東京9:40→(山形新幹線)→11:49大石田12:15→(送迎バス)→13:01銀山温泉(東京駅)昼前に、山形新幹線のJR大石田駅で下車します。大石田駅は、鳴子温泉、尾花沢などの訪問の際に乗降しましたので、何と!5回もこの駅で乗降したことになり、故郷に帰ってきた様な錯覚に陥ります・・・大石田駅からは、宿の送迎バスで、運転手さんの観光案内を聞きながら銀山温泉に向かいます。40分余りで、銀山温泉着くと、そこは、異次元にタイムスリップした様な別世界の温泉街でした。大正末期から昭和にかけて建てられた木造建築が川沿い...銀山温泉(山形県)2020.11.14

  • バスで行く「奥の細道」(その54) 新庄(山形県) 2020.10.24  

    (写真は、新庄城跡)前回ご紹介した「大石田」を立った芭蕉は、陸路で、「新庄」に入り、ここで2泊しました。「新庄」では、「渋谷甚兵衛」(俳号:「風流」)宅に泊まりました。これは、「大石田」の「一栄」が、「風流」が新庄への来訪を熱望している旨を、芭蕉に伝えたからでした。「風流」は、新庄の豪商であり俳人でした。芭蕉は、「風流」の兄の「九郎兵衛」(俳号:「盛信」)宅で、新庄の城下の俳人達と句会を催し、訪問の挨拶として、下記の2句を読んでいます。”水の奥氷室尋る(ひむろたずぬる)柳哉(やなぎかな)”(盛信宅は、柳の陰に小川が流れている。夏というのになんと冷たい水だ。氷室から流れ出してくるのであろう。)(これは、新庄に到着した日が、暑気払いの「氷室の節句」に当たったので、「氷室」という言葉を入れて、「風流」の接待に感謝の気...バスで行く「奥の細道」(その54)新庄(山形県)2020.10.24

  • バスで行く「奥の細道」(その53) 大石田(山形県) 2020.10.24 

    (写真は、大石田の舟番屋跡)前回は、JR大石田駅前からタクシーに乗り、「尾花沢」の「芭蕉・清風歴史資料館」と「養泉寺」を見学しました。今回は、この尾花沢からタクシーに乗り、JR大石田駅前に戻ります。(JR大石田駅)「大石田」は、江戸時代、最上川の舟運の最大の中継地で、大量の紅花が集荷され、日本海側の酒田へ下り、更に、海路を上方や江戸へ運ばれ大いに繁栄しました。川船の発着所(河港)として栄えた「大石田」には、「川船役所」(船番所)が置かれました。一方、上方や江戸からは、最先端の文化がもたらされていました。しかし、明治時代になると、蒸気機関車の発達により、最上川の舟運の歴史は幕を閉じました。「芭蕉」は、「大石田」で「最上川下り」の乗船をしようとしますが、最上川の増水のため、大石田で水位が下がるのを待つことになりまし...バスで行く「奥の細道」(その53)大石田(山形県)2020.10.24

  • バスで行く「奥の細道」(その52) 尾花沢(山形県) 2020.10.24 

    (写真は、尾花沢の「芭蕉・清風歴史資料館」)前日に、強風と横殴りの雨の中を「尿前の関」と「封人の家」の見物して、鳴子温泉に1泊しました。(ホテルの朝食)翌朝、鳴子温泉のホテルの送迎バスに乗り、芭蕉が10泊もしたという「尾花沢」へ向かいます。昨日の激しい風雨が嘘の様に、今朝は、気持ちの良い秋晴れとなりました。(JR大石田駅)ホテルの送迎バスをJR大石田駅前で下りて、駅前からタクシーに乗り、「尾花沢」の「芭蕉・清風歴史資料館」で下ります。(タクシー1,380円)(「尾花沢」の「芭蕉・清風歴史資料館」)堺田の「封人の家」に2泊した芭蕉は、刀を差した屈強な若者の案内で、昼でも暗く、山賊が出るという「山刀伐(なたぎり)峠」を越え、無事に「尾花沢(おばなざわ)」の「鈴木清風」宅に着きました。「奥の細道」:「尾花沢にて清風と...バスで行く「奥の細道」(その52)尾花沢(山形県)2020.10.24

  • 鳴子温泉 (宮城県)  2020.10.24

    (写真は、紅葉の名所「鳴子峡」)強風と横殴りの雨の中を、「尿前の関」と「封人の家」の見物を何とか終わり、鳴子温泉駅に戻って来ました。駅前には足湯(無料)が上の写真の様に設置されています。鳴子温泉は、”日本三大こけし発祥の地”ということで、温泉街のあちらこちらに「こけし」の姿があります。駅周辺の飲食店で遅い昼食を食べます。話は少し戻ります。封人の家へ向かうため鳴子温泉駅から「奥の細道号」に乗車しましたが、鳴子温泉駅を出ると、電車は直ぐにトンネルに入ります。そのトンネルの前で、紅葉の名所の「鳴子峡」がチラリと見えるので、シーズン中は減速運転をしてくれます。車窓からは、一面の紅葉と渓谷に架かる「大深沢橋」が、上の写真の中央に小さく望めます。上の写真は、その「大深沢橋」から、「奥の細道号」がトンネルに入る瞬間を捉えた写...鳴子温泉(宮城県)2020.10.24

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