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峰さんさんのプロフィール

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港北区
出身
北区

一人旅の街道歩きに、すっかりハマってしまいした。 街道歩き以外の横浜・東京の町歩きもブログに書いています。

ブログタイトル
ウォーク更家の散歩
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ブログ紹介文
一人旅で、東海道、中山道、日光街道、奥州街道を全踏破しました。 現在、甲州街道を踏破中です。
更新頻度(1年)

56回 / 365日(平均1.1回/週)

ブログ村参加:2013/01/26

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ハンドル名
峰さんさん
ブログタイトル
ウォーク更家の散歩
更新頻度
56回 / 365日(平均1.1回/週)
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ウォーク更家の散歩

峰さんさんの新着記事

1件〜30件

  • 甲州街道を歩く(00-3:日本橋から新宿へ) 2020.6.24

    (「東海道四谷怪談」の主人公の「お岩」さんが祀られている「於岩稲荷田宮神社」)前の2回で、日本橋をスタートして、一石橋、桜田門、半蔵門、四谷見附まで来ました。今回は、四谷見附から、新宿を目指して、「新宿通り」(甲州街道)を進みます。ここからは、新宿通り沿いのお寺や神社を拝観しながら歩く予定ですが、地図を見ると、この辺りは迷路の様に入り組んだ路地なので不安です。そこで、携帯のマップナビを片手に、四谷二丁目付近の左側の狭くて入り組んだ路地を進んで行きます。マップナビのお陰で、迷わずに、入り組んだ路地の奥の目的の上の写真の「西念寺」に着きました。小さなお寺も、携帯に入力すれば、ほとんど地図が出てくるので、なかなかの優れものです。「西念寺」の境内には、上の写真の「半蔵門」の地名で有名な「服部半蔵の墓」と、下の写真の「徳...甲州街道を歩く(00-3:日本橋から新宿へ)2020.6.24

  • 甲州街道を歩く(00-2:日本橋から新宿へ) 2020.6.24

    (写真は、「桜田門外の変」の舞台となった「桜田門」の門外)前回は、「日本橋の三越」をスタートして、一石橋の「迷子知らせ石標」や、「伝奏屋敷跡」(浅野内匠頭と吉良上野介の因縁の場所)などを見物して、和田倉門に突き当たりました。今回は、その和田倉門を左折して、江戸城の「内堀(大手濠)」沿いに、「内堀通り」を進みます。(仕事帰りに「内堀通り」沿いに歩いた記録は、「内堀通りをく」を見てね。)更に、内堀通りの日比谷濠の脇を歩いて行くと、日比谷交差点に出ます。甲州街道は、日比谷交差点で、濠に沿って右折します。この交差点を横断して、向かいにある上の写真の「日比谷公園」に入ります。公園の入り口を入り、右手に少し歩くと、写真の「日比谷見附」跡があり、見附の石垣が残っています。見附(みつけ)とは、見張り番所のことで、江戸城には主な...甲州街道を歩く(00-2:日本橋から新宿へ)2020.6.24

  • 甲州街道を歩く(00:日本橋)   2020.6.24

    (写真は、日本橋三越の天女像)股関節炎もほぼ良くなり、コロナの県境をまたぐ移動も解除され、これから、いよいよ、五街道踏破の最後となる甲州街道に挑戦します。股関節炎の再発を防ぎ、熱中症にならない様に、午前中2時間だけのウォーキングで、尺取虫の様に、少しづつ甲州街道を進んでいくつもりです。5街道の中で、甲州街道は、他の4街道とは異なる特殊な位置づけでした。甲州街道は、甲府を経て、下諏訪で中山道と合流します。江戸城に危難が迫った際、将軍は、服部半蔵の手引きで、江戸城の半蔵門から甲州街道に入り、内藤新宿で「百人組鉄砲隊」、八王子で「千人同心」を従えて甲府城に入る手筈でした。この様に、甲州街道は、江戸城落城のときの将軍の逃走路の位置づけだったため、参勤交代の際も、親藩・譜代大名にしか使用させませんでした。従って、下諏訪か...甲州街道を歩く(00:日本橋)2020.6.24

  • 蔵の町・栃木    2020.7.2 

    (写真は、「蔵の街」の巴波川の遊覧船)前回の「奥の細道」の「室の八島」の帰り道の話です。(室の八島については、「奥の細道:室の八島」を見てね。)歌枕の地「室の八島」の見物を終わり、東武宇都宮線で野州大塚から「栃木」へ向かい、「栃木」でJR両毛線に乗り換えて小山まで行き、小山から湘南新宿ラインで横浜へ帰りました。「室の八島」--(徒歩)-→東武・野州大塚→(東武宇都宮線)→「東武・栃木=JR・栃木」→(JR両毛線)→JR・小山→(湘南新宿ライン)→横浜「室の八島」の見物が思ったより早く終わったので、「栃木駅」で、東武線からJR両毛線に乗り換える際、だいぶ時間的にゆとりが出来ました。そこで、急遽、栃木駅の前のメインストリートを歩いて、速足で、「栃木・蔵の街」を見物することにしました。栃木市は、町の西側を「巴波川(う...蔵の町・栃木2020.7.2

  • バスで行く「奥の細道」(その49) 室の八島(栃木県)2020.7.2 

    (写真は、「室の八島」)小池知事の「不要不急の他県への移動は控える様に」というアナウンスがあり、暫くの間、ブログネタのためのウォーキングを中止することにしました。しかし、実は、先月下旬から、細々と甲州街道踏破をスタートしており、また、先週は、奥の細道の未訪問地の訪問を始めました。従いまして、今週から自宅に籠って、これらの写真整理をすれば、1か月程度はブログネタには困らない計算になりますのでご安心ください。さて、話を「奥の細道」の未訪問地に戻します。旅行社主催の「奥の細道のバス旅行」は、私は、栃木県の黒羽からの途中参加でした。従って、このバス旅行の出発地の「深川」と、最初の歌枕の地の「室の八島」には参加していません。という訳で、前回は、出発地の「深川」を一人で訪れました。そして、今回も一人で、未訪問の「室の八島」...バスで行く「奥の細道」(その49)室の八島(栃木県)2020.7.2

  • バスで行く「奥の細道」(その48) 深川・芭蕉記念館(江東区) 2020.6.18

    (写真は、芭蕉記念館分館の展望庭園の芭蕉翁像)ようやく、県をまたぐ移動制限が解除されたので、神奈川県を出て東京都の江東区へ向かいます。目的地は、深川の「芭蕉記念館」で、「奥の細道・その47」以降、コロナのために長い間お休みしていたこのブログの「奥の細道」シリーズを再開するためです。松尾芭蕉は、三重県の伊賀市生まれで、京都に出て俳人の北村季吟(きぎん)に師事し、俳諧の道に入りました。1674年、江戸へ行き、俳句宗匠として数々の作品を発表します。しかし、1680年、俳句宗匠としての華やかな生活を捨て、日本橋から、ここ深川の草庵へ移り住みます。そして、この草庵を拠点にして、新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や、「おくのほそ道」などの紀行文を残しました。上の写真は、地下鉄の森下駅のホームに並べられている様々な芭蕉の顔で...バスで行く「奥の細道」(その48)深川・芭蕉記念館(江東区)2020.6.18

  • 新江ノ島水族館 (神奈川県藤沢市) 2020.6.17

    (写真は、「新江ノ島水族館」の大水槽のイワシの大群)先週は、毎日、猛暑が続いたので、少しでも涼しいところへ行きたいと思い、「新江ノ島水族館」へ行って来ました。新江ノ島水族館は、2004年にリニューアルオープンしていますが、リニューアルしてから行くのは初めてなので楽しみです。新江ノ島水族館や江ノ島に行く電車は、小田急線、湘南モノレール、江ノ島電鉄の3線があります。私は、いつも、駅が江ノ島や新江ノ島水族館に最も近い小田急線を利用します。JR東海道線の藤沢駅で、片瀬江ノ島駅方面行きの小田急線に乗り換え、終点の「片瀬江ノ島駅」で下車します。上の写真は、いかにも観光地の駅という感じの小田急線の片瀬江ノ島駅です。駅前から、左手に江ノ島を見ながら、海沿いの国道134号線を少し歩くと、左手の海側に上の写真の「新江ノ島水族館」が...新江ノ島水族館(神奈川県藤沢市)2020.6.17

  • ブックチャレンジ (ブログのネタ切れで、今回はフェイスブックから転載しました) 2020.6.16

    (写真は、ブックチャレンジで紹介した本の表紙)コロナの非常事態宣言は解除になったものの、猛暑、そして、直ぐに梅雨入り、再び猛暑と、ウォーキングの機会がありません・・・と言う訳で、ついにブログのネタが完全に切れ、先週はこのブログをお休みしました。しかし、このブログのお休み間は、フェイスブックの「ブックチャレンジ」(注)を毎日投稿していました。ブログのネタ切れのたため、今回は、このフェイスブックへ投稿した内容を、このブログに重複アップします。(注)ブックチャレンジ:この企画は、”読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する”というものです。投稿にあたり、以下のルールがあります。1)本についての解説はナシで、表紙画像だけをアップする。2)その都度1人のFB友達を招待し、この...ブックチャレンジ(ブログのネタ切れで、今回はフェイスブックから転載しました)2020.6.16

  • 枡形城(川崎市)  2020.6.5

    (写真は、枡形城の冠木門で、門の奥は、山城を連想させる立派な展望台)神奈川県のコロナの外出自粛も、ようやく県内の移動が解除されたので、前から行きたいと思っていた川崎市の「枡形城(ますがたじょう)」に行って来ました。小田急線・向ケ丘遊園駅の西南の広大な丘陵「生田(いくた)緑地」の北側に、「枡形(ますがた)山」があります。「枡形山」は、多摩丘陵の先端に突き出た天然の要害で、四方は容易に寄りつけないような断崖で囲まれています。「枡形山」という地名は、この山が、枡(ます)を伏せた様な形をしているところから付けられたらしいです。「源頼朝」が鎌倉に幕府を開いた頃、源頼朝の重臣の「稲毛三郎」が、ここ「枡形山」に「枡形城(ますがたじょう)」を築きました。「稲毛三郎」の妻が、源頼朝の正室の「北条政子」の妹だったことからも、頼朝が...枡形城(川崎市)2020.6.5

  • 東横線の廃線跡(横浜駅~桜木町駅) 2020.5.15

    (写真は、「東横線跡地遊歩道」)前回は、東横線の東白楽~横浜間の地下化により、地上の廃線跡に出来た「東横フラワー緑道」を東白楽駅から横浜駅まで歩きました。今回は、その東横フラワー緑道の終点の横浜駅から、続けて桜木町駅まで歩きます。平成16年、みなとみらい線の横浜~元町中華街が開業し、東急東横線との直通運転が開始されました。これに伴い、東横線の東白楽~横浜間は地下化され、「横浜~桜木町」間は”廃線”となりました。(東横線の副都心線との直通化については「東横線の直通化」、東横線の東白楽~横浜の地下化については「東横線の地下化」を見てね。)今回は、この「横浜~桜木町」間の”廃線跡”が、現在はどうなっているのか?、”廃線跡”を追いかけてみました。東横線の「横浜~桜木町」間は、廃線前には、JR根岸線と並行して走っていまし...東横線の廃線跡(横浜駅~桜木町駅)2020.5.15

  • 東横線・東白楽駅(「東横線 地下化」(東白楽~横浜))2020.5.15    

    (写真は、東横フラワー緑道)コロナの外出自粛が延々と続き、しかも、我が神奈川県が感染者数で解除の足を引っ張っています・・・明日には、首都圏も解除になるのでしょうか?私のブログも、我が家の最寄り駅の妙蓮寺や新横浜周辺を題材にした苦しい”地元ネタ”が完全に尽きてしまいました。と言う訳で、今回は、東急・妙蓮寺駅、篠原城、JR新横浜駅に続いて、最寄り駅の東横線・妙蓮寺駅から2駅先の「東白楽駅」をスタート地点にします。先ずは、東横線の妙蓮寺駅の前の旧綱島街道を次の白楽駅まで歩きます。白楽駅前からは、旧綱島街道を外れて、東横線の線路沿いの道を少し歩くと、直ぐに東横線の「東白楽駅」です。今日の散策は、この「東横線・東白楽駅」を起点とした「東横フラワー緑道」を東横線の横浜駅まで歩きます。平成16年、みなとみらい線の横浜~元町中...東横線・東白楽駅(「東横線地下化」(東白楽~横浜))2020.5.15

  • JR新横浜駅  2020.5.12

    (写真は、新横浜駅前のキャベツ畑)コロナの非常事態宣言が長引いていて、外出自粛が続いているため、完全に手持ちのブログのネタ切れで、我が家周辺を題材にした苦しい”地元ネタ”が続きます。前々回の東急・妙蓮寺駅、前回の篠原城に続いて、今回は、我が家から徒歩10分の「JR新横浜駅」です。新横浜駅の新幹線は、開業当時1時間に1本「こだま」が停車するだけでしたが、現在は1時間に10本(ピーク時は12本)も停車する過密ダイヤで、「のぞみ」と「ひかり」も全て停車します。そして、駅前には、オフィスビルや商業施設が立ち並び、ビジネスマンで賑わっています。更に、「日産スタジアム」、「横浜アリーナ」、「新横浜ラーメン」等が新横浜駅周辺にあり、各々のイベント開催日は、新横浜駅周辺は多くの人で溢れます。しかし、それは「新横浜駅の北口」周辺...JR新横浜駅2020.5.12

  • 篠原城(新横浜) 2020.5.7

    (写真は、新横浜駅の脇の新幹線高架の奥に見える「篠原城跡」)コロナの非常事態宣言が長引いていて、外出自粛が続いているため、完全に手持ちのブログのネタ切れです。従って、我が家の周辺を題材にした苦しい”地元ネタ”が続きます・・・今回は、前回の東急・妙蓮寺駅に続いて、我が篠原町の「篠原(しのはら)城」です。「篠原城」は、JR新横浜駅から徒歩10分、我が家からも徒歩10分の緑に囲まれた小高い丘にあります。上の写真の右側のビルは、新横浜プリンスホテルです。写真の中央を横切る新幹線の高架の奥に見えるこんもりとした森が「篠原城跡」です。北条氏の家臣の金子氏が城主を務めていたため「金子城」とも言われています。北条氏の「小田原城」の支城が、JR横浜線の新横浜駅から2つ目の小机駅の近くの「小机城」ですが、「篠原城」は、その小机城の...篠原城(新横浜)2020.5.7

  • 東横線・妙蓮寺駅  2020.4.28

    (「妙蓮寺駅」の改札の前にある「妙蓮寺の山門」)いや~、参りました。コロナの非常事態宣言が長引いていて、外出自粛が続いているため、いよいよ、手持ちのブログのネタ切れです!!今のところ、外出は、通院と、週1回の食材の買い出しだけです。従って、手持ちは、地元の「菊名池畔商店街」へ、食材の買い出しに出掛けた際の写真しかありません・・・この食材の買い出しの写真を、何とか、私の巧みな文章力?で、散策のブログにまとめ上げようと思います。乞うご期待!?我が家から徒歩15分、妙蓮寺の「”高級”住宅街」の坂を下りて行き、「菊名池畔商店街」を抜けると、東横線の「妙蓮寺駅」です。因みに、我が家は、妙蓮寺の「”高級”住宅街」の隣に位置する「”普通の”住宅街」ですが、人に聞かれたら”妙蓮寺の高級住宅街の方”と答えることにしています。詐欺...東横線・妙蓮寺駅2020.4.28

  • 三ツ沢公園(横浜市) 2020.4.22

    (写真は、ニッパツ三ツ沢球技場)最近、胃の調子が悪いので、今週水曜(4/22)、市営地下鉄・高島町駅の近くのかかりつけの胃腸科へ行って来ました。また、先週の水曜日(4/15)には、横浜ベイクォーターの向いの診療所に糖尿病検診に行きました。糖尿病検診の結果、このところ家に籠ってウォーキングをしていなかったせいか、糖尿病の数値が少し悪化していました。このとき、糖尿病の先生から少し歩く様に言われたので、今週水曜の胃腸科の帰り道に、市営地下鉄の三ツ沢上町で途中下車して、徒歩15分の「三ツ沢公園」までウォーキングして来ました。「三ツ沢上町」の駅の脇の国道1号線と並行する「三ツ沢せせらぎ緑道」に入って行きます。「三ツ沢せせらぎ緑道」を少し歩くと、「豊顕寺(ぶげんじ)」の参道に入る「門前橋」があります。先ず、この橋を渡って、...三ツ沢公園(横浜市)2020.4.22

  • 横浜ベイクォーター  2020.4.15 

    (写真は、横浜ベイクォーター)「緊急事態宣言」発令下、今週の水曜日(4/15)、糖尿病検診のため、横浜ベイクォーターの道路向いにある診療所に行って来ました。3月26日の大岡川プロムナードのウォーキング以来、久々の外出です。私は、糖尿病のため、2か月に1回、この診療所に、採血と検診を受けに通っています。東横線(またはJR、京急)の横浜駅で降りて、「きた東口」へ出ます。「きた東口」のエスカレーターで上がり、更に歩道橋へ進みます。この歩道橋の端が「横浜ベイクォーター」です。写真の様に、ベイクォーターは、「シーバス」の乗り場になっています。シーバスは、横浜の主要観光地を、海から移動出来ます。「横浜駅東口(横浜ベイクォーター)」→「みなとみらい」→「赤レンガ倉庫」→「山下公園」のコースを結ぶ素敵な海上交通機関ですが、現在...横浜ベイクォーター2020.4.15

  • 今年の桜見物:我が家のベランダから 2020.4.4

    (写真は、我が家のベランダからの満開の桜の眺め)遂に、政府の「緊急事態宣言」が発令され、本格的な外出自粛要請が出されました。私は、先月26日の大岡川プロムナードのウォーキング以降、外出を控えています。このところ、各地の自治体が、お花見の名所に行かない様に、盛んに呼びかけています。という訳で、今年のお花見は、何処へも出かけずに、自宅のベランダですることにしました。写真は、先週の土曜(4/4)、我が家のベランダからのお花見です。上の写真の同じ並びの2件先のお庭の桜も満開です。個人のお宅の桜とは思えない位の見事な桜の木です。また上の写真の道路向いのお庭の桜も満開です。我が家のベランダには、毎朝、野鳥が来ます。日曜などに朝寝坊していると、野鳥が激しく鳴いて餌を催促します・・・今年の桜見物:我が家のベランダから2020.4.4

  • 大岡川プロムナード (横浜)

    (写真は、大岡川プロムナード沿いにある弘明寺)政府の「緊急事態宣言」発令がギリギリの、緊迫した状況です。今週末も、先週に続いて外出自粛要請が出ています。私は、先週の土曜(3/28)以降、病院への通院以外は外出を控えて、家の中に籠っています。前回のブログは、先週水曜(3/25)の「二ケ領用水」沿いのウォーキングでした。今回は、その翌日の木曜(3/26)に出掛けた「大岡川プロムナード」のウォーキングです。先が見通せない厳しい状況の中、当面、このウォーキングが最後のウォーキングになりそうです。当日(3/26)の桜の開花情報によると、大岡川プロムナード沿いのソメイヨシノは、未だ三分咲きとのことでした。三分咲きでは、未だ、花見客は出ていないだろうと思い、平日の午前中、大岡川の桜並木沿いに歩くことにしました。大岡川プロムナ...大岡川プロムナード(横浜)

  • ニケ領用水・久地円筒分水 (川崎市)  2020.3.25

    (写真は、「ニケ領用水」の「久地(くじ)円筒分水」)小池都知事の「首都封鎖の可能性」声明、いや~!、このお花見の時期に大変なことになりましたねえ。私も、この週末の土日は、お花見も我慢して、家に籠ることにします。とは言え、糖尿病の私は週2~3回のウォーキングが必須です。という訳で、一昨日(3/25)の午前中に、ニケ領用水沿いの遊歩道をウォーキングをして来ました。東急田園都市線の「溝の口(みぞのくち)駅」(またはJR南武線の武蔵溝ノ口駅)で下車します。駅前の大通りを進み、写真の久地円筒分水の案内板に従って、栄橋交差点を右折して大山街道(注)に入ります。(注)大山街道大山街道は、丹沢の大山詣りに行くための道で、現在の国道246号とほぼ重り、赤坂御門を起点にして、多摩川を渡り、二子、溝口を経て、伊勢原から大山に至ってい...ニケ領用水・久地円筒分水(川崎市)2020.3.25

  • バスで行く「奥の細道」(その47)  ”芭蕉忍者説” (NHK「英雄たちの選択」)

    (写真は、NHK「英雄たちの選択」のスタジオ風景)「奥の細道」で、どうしても避けることが出来ないテーマが「芭蕉忍者説」です。芭蕉の「奥の細道」は、謎をはらんだ2400キロ、5か月にも及ぶ壮大な旅でした!!芭蕉は、伊賀の人で、忍者隠密説もある謎多き人物です。昔から、研究者の間ではその謎が指摘されてきました。私は、素人なので、この「芭蕉忍者説」が、本当なのか否かは分かりません。しかし、奥の細道のバス旅行を通じて、芭蕉の足跡を訪ね歩くうちに、芭蕉は何でこんな場所に来たんだろう?、と疑問に思うことが多々ありました。そこで、今回は、私の尊敬する歴史学者で「武士の家計簿」等の原作者でもある「磯田道史(みちふみ)」の考えを聞いてみたいと思い、NHK「英雄たちの選択」の「芭蕉忍者説」のVTRをじっくりと見直しました。以下は、そ...バスで行く「奥の細道」(その47)”芭蕉忍者説”(NHK「英雄たちの選択」)

  • バスで行く「奥の細道」(その47)大垣城(岐阜県)(続日本100名城)  2019.10.10

    (写真は、大垣城の天守)「奥の細道」のゴールの大垣を見学した我々のバス旅行は、最後に、大垣城に立ち寄ります。1600年の関ケ原の戦いでは、ここ大垣城は、西軍の石田三成の本拠地となりました。三成の本隊が、関ケ原に移動した後も、ここ大垣城では、壮絶な攻防戦が繰り広げられました。(関ケ原の戦いについては、「中山道を歩く・「関ケ原の戦い」と「関ケ原の宿場町」を見てね。)かつての大垣城は、水堀を幾重にもめぐらせた堅城で、当時、敷地は現在の3倍以上もあり、10もの櫓がある大規模な要塞でした。江戸時代に入ると、戸田家が大垣藩の藩主となり、以降、戸田家は11代にわたって、大垣藩十万石の城主を続けました。大垣城は、珍しい4層の天守を持っており、戦前には国宝に指定されていました。しかし、戦災で焼失、昭和34年に天守のみ再建されまし...バスで行く「奥の細道」(その47)大垣城(岐阜県)(続日本100名城)2019.10.10

  • バスで行く「奥の細道」(その46)「大垣(奥の細道のゴール 結びの地)」(岐阜県) 2019.10.10

    (写真は、大垣の奥の細道のゴール(結びの地)に建つ「芭蕉と弟子の木因(ぼくいん)」の像」)芭蕉は、弟子の路通と一緒に敦賀を発ち、途中の木之本宿で1泊、そこから北国脇往還を南下、小谷城のあった小谷(おだに)を通り、関ケ原に向かいます。関ケ原からは、中山道を通って、ついに、結びの地(ゴール)の大垣に到着しました。スタート地点の江戸・深川から2,400キロ、142日間にも及ぶ「奥の細道」の旅は、ここ「大垣」でようやく終わったのです。当時、大垣藩10万石の藩主・戸田氏定(うじさだ)の俳句の奨励によって、大垣の俳壇は、大垣藩士らを中心に盛んでした。芭蕉が、大垣藩士の近藤如行(じょこう)の家に宿泊すると、到着を待ちわびた大垣の大勢の弟子達が、ぞくぞくと如行邸に集まって来て、大歓迎します。芭蕉は、大垣滞在中に、家老の戸田権太...バスで行く「奥の細道」(その46)「大垣(奥の細道のゴール結びの地)」(岐阜県)2019.10.10

  • バスで行く「奥の細道」(その45)「姉川の古戦場」(滋賀県) 2019.10.10

    (写真は、姉川の古戦場)芭蕉と路通は、木之本宿を出ると、伊吹山を左側に仰ぎながら、北国脇往還を南下して行きます。途中、姉川の古戦場に立ち寄り、小谷城のあった「小谷(おだに)山」を経て関ケ原に着きました。関ケ原から、中山道を通り、垂井宿を経て、遂に、ゴールの大垣に入りました。さあ、我々の「奥の細道」バス旅行も、ゴールの大垣まであと一息です!バスは、芭蕉が宿泊したという「木之本宿」を出て、「姉川の古戦場」へ向かいました。「姉川の戦い」では、織田信長・徳川家康の連合軍(2万8千)と、浅井長政・朝倉影健の連合軍(1万8千)が激闘を繰り広げました。先ず、信長が、朝倉氏追討の軍を起しますが、これに対して、朝倉氏の呼び掛けに呼応して、浅井氏が援軍に向かいます。この援軍に対抗するために、信長は、徳川家康に援軍を求めます。姉川の...バスで行く「奥の細道」(その45)「姉川の古戦場」(滋賀県)2019.10.10

  • バスで行く「奥の細道」(その44)「木之本宿」(滋賀県) 2019.10.10

    (写真は、「木之本」の宿場町)前回ご紹介しました様に、「敦賀」の旅籠・出雲屋に到着した芭蕉と等栽は、直ぐに「金ヶ崎城跡」を見物し、その晩のうちに「気比神社」に参詣しました。芭蕉が「敦賀」に何日間滞在したかは不明ですが、敦賀まで迎えに来た弟子の「路通(ろつう)」(注)と一緒に馬に乗って、敦賀の次の宿場町の近江の「木之本」宿へ向かいました。実は、芭蕉は、曽良と別れた山中温泉から、大垣の弟子に「15日前後にはそちらに着けるだろう。」と手紙を出していました。しかし、15日を過ぎても、芭蕉が大垣に到着しないので、心配した弟子が、この路通を敦賀まで迎えによこしたのでした。(注)「路通」:「奥の細道」の出発にあたり、最初、芭蕉は、深川の芭蕉庵の近くに住んでいたこの弟子の「路通」を、同行者として予定していました。しかし、出発直...バスで行く「奥の細道」(その44)「木之本宿」(滋賀県)2019.10.10

  • バスで行く「奥の細道」(その43-2)「敦賀・色の浜」(福井県) 2019.10.9

    (写真は、芭蕉も拾い集めたという「ますほの小貝」)前回ご紹介しました様に、「敦賀」の旅籠・出雲屋に到着した芭蕉と等栽は、直ぐに「金ヶ崎城跡」を見物し、その晩のうちに「気比神社」に参詣しました。その翌日は宿の主人の予想通りに雨でしたが、翌々日は晴れたので、芭蕉は「色ヶ浜」を目指します。⇒「色ヶ浜」(または「種(いろ)の浜」)は、若狭湾に面した美しい砂浜で、その砂浜で、西行の歌にある「ますほの小貝」を拾うためでした。「西行法師」は、「色ヶ浜」で、下記の「ますほの小貝」の歌を詠んでおり、芭蕉にとっては、是非とも訪れたい憧れの歌枕の地でした。”潮染むるますほの小貝ひろふとて色の濱とはいふにやあるらむ”(西行)(「ますほ」は赤い色の意味で、「ますおの小貝」はこのあたりの海岸で取れる薄紅色の小さな貝です。)敦賀の豪商の「玄...バスで行く「奥の細道」(その43-2)「敦賀・色の浜」(福井県)2019.10.9

  • バスで行く「奥の細道」(その43)「敦賀・気比神社」(福井県) 2019.10.9

    (写真は、気比神宮の大鳥居)年末年始の温泉三昧で、一次中断しましたが、「奥の細道」もゴールの大垣まであと一息、バス旅行を続けます。「芭蕉」と親友の「等栽」(とうさい)は、「福井」を発って、「今庄(いまじょう)宿」に一泊、その翌日の夕暮れには、「敦賀」の旅籠・出雲屋に到着しました。実は、山中温泉で芭蕉と別れた「曽良」が、芭蕉の到着の5日も前に「敦賀」に到着していて、先回りして、出雲屋に1両を預けていました。このため、出雲屋での芭蕉の待遇は良かったみたいです。曽良は、敦賀の先の芭蕉の宿泊予定の旅籠にも先回りしてお金を預けるなど、かなり精力的に動いていました。何だか、これが山中温泉で腹痛をおこした重病人の曽良の行動とは思えませんが、しかし、口うるさい芭蕉のストレから逃れて、ホントに腹痛が急回復したのかも?・・・さて、...バスで行く「奥の細道」(その43)「敦賀・気比神社」(福井県)2019.10.9

  • 房総・白浜温泉 (千葉県)  2020.1.3

    (写真は、仁右衛門島の「伊勢海老の活き作り」。)今年の正月は、房総の「白浜温泉」に1泊して温泉でのんびりしました。横浜駅→東京駅(11:00)→(JR特急わかしお)→(12:52)安房鴨川駅(13:08)→(JR内房線)→(13:16)千倉駅(13:45)→(安房白浜行き路線バス)→(14:04)塩浦バス停(東京駅)(安房鴨川駅)(千倉駅)(千倉駅前のバス停)(塩浦バス停)「ウミサトホテル」(1泊2食付き:21,500円)ホテルの近くの海岸沿いの漁師小屋で、上の写真の干物類の土産を買いました。(ホテルの部屋から)(大浴場:ホテルのパンフレットから)ホテルの夕食は、海の幸が豊富なバイキングでした。写真右上の活きたアワビは、事前予約が必要な品(追加料金1,000円)ですが、アワビの身が分厚くて、最高に美味しかったで...房総・白浜温泉(千葉県)2020.1.3

  • 伊東温泉(2/2):東海館(静岡県)  2019.12.29

    (写真は、伊東温泉・東海館の「お座敷文化大学」)昨年の年末は、伊豆・伊東温泉の「曽我兄弟の首塚」にお参りしたあと、下の写真の木造三階建ての「山喜旅館」で1泊しました。山喜旅館は、上の写真の様に外観はみすぼらしいですが、1階から3階まで通し柱10本で支えられた木造三階建ての由緒ある建物です。大正時代に建てられた”ノスタルジックなこの温泉旅館”は、共同トイレで部屋にバスが無いので、最近の若い人には不人気らしいですが、私は好きです。(同じ様な「木造三階建ての温泉旅館」については、熊本・日奈久温泉の「金波楼」、群馬・四万温泉の「千と千尋の神隠しの舞台」を見てね。)昭和15年創業のレトロな造りと、リーズナブルな料金に惹かれて宿泊予約しました。(1泊2食付きの正月料金で13,200円)写真は旅館の夕食です。ここ伊東温泉は、...伊東温泉(2/2):東海館(静岡県)2019.12.29

  • 伊東温泉 : 曽我兄弟の首塚 (静岡県)  2019.12.29

    (写真は、曽我兄弟の首塚)伊豆・熱海・箱根の一帯で、私が一番好きな温泉地は「伊東温泉」です。昨年の年末は、伊豆の伊東温泉にある「曽我兄弟の首塚」(注)にお参りに行き、伊東温泉で1泊しました。(注)「曽我兄弟」:源頼朝が行った富士の裾野の”巻狩り”(当時の軍事演習)の際に、「曾我五郎」と「曾我十郎」の兄弟が、父親の仇である「工藤祐経(すけつね)」を討ちました。しかし、兄の十郎は、騒ぎに気付いた武士たちに討たれ、弟の五郎は取り押さえられて斬首されました。兄の十郎には、東海道の大磯宿に、恋仲の「虎御前」(とらごぜん)がいましたが、仇討ちの後、虎御前は、兄弟の遺骨を持って出家します。その後、虎御前は、兄弟の仇討ち話を語り継いでいきますが、この話が次第に世間に広まり、江戸時代に入ると、歌舞伎などで、”曽我物”として演じら...伊東温泉:曽我兄弟の首塚(静岡県)2019.12.29

  • バスで行く「奥の細道」(その44)「敦賀:天狗党の最後」(福井県) 2019.10.9

    (写真は、敦賀にある天狗党の首領「武田耕雲斎」の銅像)今回のテーマは、江戸時代の最大の惨劇「天狗党の乱」です。幕末の1864年、「天狗党」を名乗る水戸藩の過激攘夷派60名が、幕府に攘夷を迫るために、筑波山で挙兵しました。これに対し、幕府は、高崎や古河など諸藩連合の6,000名の討伐軍を差し向けます。しかし、天狗党は、この討伐の大軍に夜襲をかけ、何と!、大勝利を収めます。この後、天狗党は、水戸藩の家老・武田耕雲斎に率いられ、自分達のお殿様である「一橋慶喜」に陳情と弁明を行うため、京を目指します。この天狗党は、討伐軍を次々に打ち破り、約1,000名にまで膨れ上がりました。天狗党は、大砲10門などの火力を持っているうえに、交戦馴れして徐々に強くなっていきます。これに対し、平和ボケした諸藩の連合軍は、極力交戦を避けよう...バスで行く「奥の細道」(その44)「敦賀:天狗党の最後」(福井県)2019.10.9

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