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ウォーク更家の散歩 https://blog.goo.ne.jp/mrsaraie

一人旅で、東海道、中山道、日光街道、奥州街道を全踏破しました。 現在、甲州街道を踏破中です。

一人旅の街道歩きに、すっかりハマってしまいした。 街道歩き以外の横浜・東京の町歩きもブログに書いています。

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2013/01/26

1件〜100件

  • 多摩川を歩く(その17)(多摩川大橋)   2022.9.9

    (多摩川大橋)河川敷の「川崎競馬練習馬場」を右手に見ながら、更に、多摩川の上流を目指して歩いて行きます。やがて、土手の下にゴルフ練習場が見えて来ました。土手沿いの左手の高いビルは、企業ではなくて、川崎市立の川崎総合科学高校です。更に、上流へ少し歩くと、今度は、多摩川大橋の下に、「川崎リバーサイドゴルフ場」が見えてきました。このゴルフ練習場の奥には、「多摩川大橋」が見えています。土手道は、第二京浜(国道1号)に突き当たるので、右折して、多摩川大橋を渡ります。多摩川大橋は、遠くから見ると、水色のアーチの1本の橋に見えますが、実は、並行する2本の橋なのです。並行している多摩川大橋の右側の”水色のアーチの橋”は、東京電力とNTTが送電用に使っている送電の専用橋で、人も車も通れません。一方、水色アーチ橋の奥に並走し...多摩川を歩く(その17)(多摩川大橋) 2022.9.9

  • 多摩川を歩く(その16)(ラゾーナ川崎:川崎側)   2022.9.9

    (え、えっ~?!、堤防の土手道を馬が横断するの?、ウソ~!)猛暑も少しだけ和らいできたので、全長138キロの多摩川沿いの道を、河口から源流を目指すウォーキングを再開します。前回は、「東海道川崎宿」を抜けて、JR川崎駅の東口から京浜東北線に乗って帰宅しました。今回は、JR川崎駅の西口から出て、「ラゾーナ川崎」の中を抜けて、多摩川の土手を目指します。「ラゾーナ川崎」は、JR川崎駅の西口に直結している大型複合商業施設です。ラゾーナ川崎の入り口に「東芝未来科学館」(入場無料)の案内矢印があります。東芝未来科学館は、電気の歴史や最先端のテクノロジーを展示していますが、体験コーナーでのイベントもやっています。(東芝未来科学館の展示内容については、「川崎東芝館オープン」を見てね。)ラゾーナ川崎の中心の広場です。ウォーキ...多摩川を歩く(その16)(ラゾーナ川崎:川崎側) 2022.9.9

  • 「ざうお」(横浜綱島) 2022.7.31

    (写真は、大きな生簀(いけす)の上にある船の形をした座敷)先日「ざうお」という「釣り堀居酒屋」で、久しぶりに外食しました。店は綱島駅から徒歩20分くらいですが、当日は余りにも暑かったので、駅からタクシーで向かいました。「ざうお」は、釣り堀や生簀(いけす)が併設された居酒屋で、東京、埼玉、神奈川、愛知、大阪、福岡など全国にチェーン展開しています。店内に入ると、冒頭の写真の大きな生簀(いけす)があり、その上に、船の形の座敷があります。その生簀で釣った魚を、その場で、刺身、煮付け、焼き魚、唐揚げ、寿司と、好みの方法で調理してくれます。最初はなかなか釣れませんでしたが、何度か試行錯誤しているうちに、竿にアタリがあり、先ず鯵が釣れました。次に、真鯛も釣れました。釣り方は、”引っ掛け釣り”が主なので、小さな子供でも楽...「ざうお」(横浜綱島)2022.7.31

  • 今年の家庭菜園 2022.9.10

    (写真は、我が家の”猫の額”の家庭菜園で獲れたキュウリ)今年の家庭菜園で特筆すべきは、キュウリの異常な大量収穫です。今年は、キュウリ、ミニトマト、オクラ、ゴーヤを、各々同じくらいの本数を植えました。しかし、キュウリ以外の野菜は、ほぼ全滅に近い状態で、各々、僅かの収穫に止まりました・・・そして、我が家の”猫の額”の家庭菜園は、上の写真の様に、キュウリと青じその葉だけがジャングルの様に繁ってしまいました。この1か月の間、キュウリを毎日5本くらい収穫し続けました。我が家だけでは食べきれず、近所3軒に2回お裾分けし、娘達にも取りに来てもらい、知人にも持って行きました。通学の小学生にも、声をかけて庭に入ってもらい収穫してもらいました。それでも余ったので、大きくなりすぎたキュウリは、漬物にもしないで廃棄処分にしました...今年の家庭菜園2022.9.10

  • 多摩川を歩く(その15)(東海道川崎宿:川崎側)   2022.6.23

    (写真は、川崎宿名物の万年屋の「奈良茶飯」の包み紙)前回は、六郷橋を渡って東京側へ下り、落馬止め天神と旧六郷橋橋門を見物してから、六郷橋を引き返して、上の写真の川崎側の橋の袂へ戻って来ました。上の写真の赤い灯篭は、川崎大師への道標となる灯篭です。川崎側の六郷橋の脇には、前回は見落としていましたが、写真の「明治天皇六郷渡御」の碑がありました。(1枚上の赤い灯篭の写真の左端の石碑が、明治天皇六郷渡御碑)明治元年、京を出発された明治天皇は江戸に入られました。この頃には、未だ多摩川には橋が架けられていなかったので、急遽、対岸まで船を並べて板を敷き、その上を明治天皇が渡られたそうです。この六郷渡御碑には、その時の様子を描いた青銅レリーフの「武州六郷船渡図」が、下の写真の様に、石碑の側面に埋め込まれています。また、そ...多摩川を歩く(その15)(東海道川崎宿:川崎側) 2022.6.23

  • 多摩川を歩く(その14)(六郷橋)   2022.6.23

    (写真は、旧六郷橋の橋門)「六郷橋」(ろくごうばし)を渡ります。六郷橋の欄干には、「六郷の渡し」の渡船のモニュメントがあります。六郷橋の入り口に、いきなり、川崎市と東京都の境界が?普通の橋は、橋の中央が境界なのですが・・・ここでは、川崎がだいぶ東京側に攻め込まれています。川崎側の六郷橋の下の川岸は、川崎市ではなくて、対岸の東京都の「飛び地」みたいです。(多摩川の飛び地については、「多摩川を歩く・大師橋」の中程を見てね。)六郷橋は、国道15号(第一京浜)に架かる橋で、現在の橋の前に架かっていた旧橋と区別するために「新六郷橋」と呼ばれることもあります。六郷橋は、「箱根駅伝」のコースですが、駅伝の際は、この六郷橋を境として、東京都側のバイクの先導は警視庁、川崎側のバイクの先導は神奈川県警です。橋を渡り、階段を下...多摩川を歩く(その14)(六郷橋) 2022.6.23

  • 多摩川を歩く(その13)( 川崎河港水門:川崎側 )   2022.6.23

    (写真は、パリの凱旋門?ではなくて「川崎河港水門」)前回までは、多摩川の東京側を、河口から六郷橋まで歩きました。今回からは、多摩川の川崎側を歩きます。以前に、河口から川崎大師までを歩いたので、今回は川崎大師からスタートします。横浜から、京急電鉄に乗り、川崎大師駅で降り、駅から、川崎側の多摩川の土手へ向かいます。(川崎大師駅の前の川崎大師については、「多摩川を歩く・川崎大師」を見てね。)多摩川の土手に上って、堤防の遊歩道を歩いて行きます。広い河原には、ラジコンを飛ばしているオジサンたちの姿も・・・土手の遊歩道の左側には、「味の素川崎工場」の塀が延々と続きます。更に歩いて行くと、多摩川が大きく内側に入り込むところがあり、その先に立派な飾りの付いた水門が?近づいてみると、国有形文化財の「川崎河港水門」とあります...多摩川を歩く(その13)(川崎河港水門:川崎側) 2022.6.23

  • 多摩川を歩く(その12)( 六郷水門:東京側 )   2022.6.20

    (写真は、近代土木遺産の「六郷水門」)”穴守さまの狐のたたり”と噂される「羽田の大鳥居」をスタートして、「羽田の漁師町」を歩いて、更に、「六郷大橋」を目指します。(穴守さまの狐のたたりについては、「多摩川を歩く・穴守稲荷神社」を見てね。)羽田側と川崎大師を結ぶ「大師橋」の塔が正面の遠くに見えて来ました。(大師橋については、「多摩川を歩く・大師橋」を見てね。)先ず最初に、工事中の「首都高速横羽線(首都高大師橋)」の橋梁がありました。そしてこの工事中の橋梁の200メートル更に先に、写真の「一般道大師橋」の橋梁もありました。(一般道大師橋と首都高大師橋との立体構造については、「多摩川を歩く・大師橋」の文末を見てね。)大師橋の辺りには、その昔、羽田の渡しがあり、その渡し船は、20~30人も乗れる大きな船だったそう...多摩川を歩く(その12)(六郷水門:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その11)( 羽田の漁師町:東京側 )   2022.6.20

    (写真は、羽田の漁師町の船溜まり)前回は、”穴守さまの狐のたたり”と噂される「大鳥居」を見物しました。今回は、大鳥居を出て、多摩川の分流である海老取川に架かる「弁天橋」を渡ります。弁天橋の欄干には、江戸前の海苔の作り方がレリーフになっています。海老取川の堤防沿いに、多摩川へ向かいます。右側の多摩川に、左側から海老取川が合流します。上の写真の説明版によると、この下にJR貨物線の羽田トンネルがあるそうです。(JR貨物線:両端が矢印の赤色の棒線の部分)海老取川と多摩川の合流地点に、写真の「五十間鼻」がありました。「五十間鼻」は、長さ50間(90メートル)に渡り、洪水時の急流から岸辺を守るために、川底に敷き詰められた石のことです。五十間鼻の先端には、水死して流れ着いた人々を祀る写真の「無縁堂」がありました。向こう...多摩川を歩く(その11)(羽田の漁師町:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その10)( 穴守稲荷神社:東京側 )   2022.6.20

    (写真は、穴守稲荷神社の稲荷山)前回は、多摩川沿いに歩くために京急の天空橋駅で下車したものの、予定外の「羽田イノベーションシティ」の見物へ行ってしまいました。今回は、羽田イノベーションシティから天空橋駅へ戻り、多摩川堤防の方向の出口へ出て、当初の予定通り、羽田の漁師町を抜けて、多摩川沿いに歩こうと思います。多摩川源流を目指す旅のスタートにあたり、先ずこの羽田の守り神である「穴守(あなもり)稲荷神社」に参拝します。天空橋駅の前の天空橋を渡り、右折して環八通りに出ます。暫く歩くと、左手に「穴守(あなもり)稲荷神社」の稲荷山が見えます。「穴守稲荷神社」の周辺は、江戸時代後期、新田開発が行われましたが、激しい波で何度も堤防に穴が開き、被害が絶えませんでした。悩んだ村民が、堤に稲荷大神の祠を祀ったところ、祠の”穴”...多摩川を歩く(その10)(穴守稲荷神社:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その9)( 羽田イノベーションシティ:東京側 )   2022.6.20

    (「羽田イノベーションシティ」の屋上の飛行機が見える「足湯」)前回は、ソラムナード羽田緑地を歩いてから、京急の天空橋駅から横浜に帰りました。今回も、前回に引き続いて、多摩川沿いに歩くために、京急の天空橋駅で下車します。が・・・、天空橋駅で下車すると、多摩川堤防と反対の出口へ、若いサラリーマン風の男女がぞろぞろと歩いて行きます?こんな辺鄙な羽田の漁師町に何があるのだろう?、と不思議に思い、気になったので、後ろからついて行きます。「羽田イノベーションシティ」出口とあります?エスカレーターを上がると、上の写真のバス乗り場のロータリーがあり、その脇に下の写真の”羽田の歴史の伝承”を伝える「旧三町顕彰の碑」が建っていました。その説明版には、羽田の歴史について、以下の概要が書かれていました。この辺り一帯には、かっては...多摩川を歩く(その9)(羽田イノベーションシティ:東京側) 2022.6.20

  • 多摩川を歩く(その8)(ソラムナード羽田緑地 :東京側 )   2022.6.14

    (写真は、「ソラムナード羽田緑地」の入り口)多摩川の源流を目指す旅の東京側のスタート地点を探すために、「ソラムナード羽田緑地」の遊歩道を河口へ向かって歩いて行きます。この遊歩道の先端に、スタート地点を示す「多摩川河口」の標識があるのではないか、と期待しながら進みます。「ソラムナード羽田緑地」は、多摩川と並行して走る「環八」の堤防沿いに、平成31年にオープンしました。対岸の川崎側のスタート地点となる小屋(赤丸印)も見えます。小屋の左手に見える切れ目の「多摩運河」が多摩川と海との境目です。(川崎側のスタート地点については、「川崎側河口周辺」を見てね。)河口側には、上の写真の様に東京湾アクアラインの「風の塔」も見えます。綺麗な遊歩道を快適なウォーキングです。対岸の川崎側の浮島石油コンビナートの工場群がよく見えま...多摩川を歩く(その8)(ソラムナード羽田緑地:東京側) 2022.6.14

  • 多摩川を歩く(その7)( 多摩川スカイブリッジ:東京側 )   2022.6.14

    (写真は、多摩川スカイブリッジから望む羽田河口周辺)多摩川の川崎の河口から源流までの全長138キロのを目指して、川崎大師まで歩いて来ました。しかし、待てよ?同じ様に、多摩川沿いの東京側についても、羽田の河口から源流を目指して歩かないと片手落ちでは?多摩川の両岸を歩くということは、全長138キロではなくて、倍の全長276キロを歩くの?う~ん?・・・まあ、仕方ない・・・取り敢えず、羽田の河口のスタート地点を調べてから、東京側からも歩き始めてみるか・・・先ず、東京側の河口のスタート地点を探そうと、この辺りの地図を見ると、羽田空港国際線ターミナルの前に、多摩川沿いの遊歩道があります。この遊歩道の先端が、東京側の河口のスタート地点になりそうな感じです。と言う訳で、京浜急行空港線の羽田空港国際線ターミナル駅で下車して...多摩川を歩く(その7)(多摩川スカイブリッジ:東京側) 2022.6.14

  • 多摩川を歩く(その6)(川崎大師) 2022.6.9

    (写真は川崎大師の大山門)多摩川に架かる「大師橋」の上から、「川崎大師」の祈祷殿が見えたので、多摩川の土手を下りて、久し振りに「川崎大師」にやって来ました。川崎大師は、神奈川県では初詣の参拝客第1位です。昔、武蔵小杉に住んでいた頃は、毎年、初詣に来ていましたが、引っ越してからはほとんど来ていません。初詣以外では、夏の川崎大師の風鈴市が好きで来ていました。(川崎大師の風鈴祭りについては、「京浜急行沿いに歩く(その4)」を見てね。)川崎大師への参詣客を輸送する目的で、明治32年に開業した大師電気鉄道は、現在の京浜急行電鉄の基となりました。京急川崎大師駅の前の「厄除門」をくぐり、「表参道」を歩いて行きます。お昼時になったので、「仲見世」の入り口の写真の明治17年創業「松月庵」で昼食にします。下の写真の「福海老天...多摩川を歩く(その6)(川崎大師)2022.6.9

  • 多摩川を歩く(その5)(大師橋) 2022.6.9

    (写真は「大師橋」)前回は、「多摩川沿いに河口から源流を目指して歩く旅」を、「多摩川河口」の標柱のある場所からスタートしました。そして、最初の橋である「多摩川スカイブリッジ」をくぐり、写真の2番目の「大師橋」までやって来ました。大師橋の脇に、写真の「羽田の渡し」の碑がありました。案内板によると、この渡しは、江戸から川崎大師への参詣ために賑わったそうです。「羽田の渡し」は「六郷の渡し」の様な幕府管理の渡しではなく、ここ大師河原村が運営する渡しでした。この辺り一帯の新田を開墾した名主が「六郎左衛門」だったことから「六郎左衛門の渡し」と呼ばれていました。この羽田の渡しは、「旧大師橋」が開通した昭和14年に廃止されました。え?、昭和14年!、え~っ!、と言うことは、この「羽田の渡し」は昭和に入ってからも現役だった...多摩川を歩く(その5)(大師橋)2022.6.9

  • 多摩川を歩く(その4)(河口周辺) 2022.6.9

    (写真は、多摩川の河口に建つ「多摩川河口」の標識。)最近、多摩川スカイブリッジを読んだ皆さんから、下記の趣旨のコメントが増えてきました・・・5街道制後のモチベーションアップのために、全長138キロの多摩川沿いの道を、河口から源流を目指して歩いてみたら?そして、いつの間にか、私は当然挑戦するんだろう、という雰囲気になってきました・・・但し、河口から源流を目指には、先ず、その河口のスタート地点を私なりに確定する必要があります。しかし、前回の浮島町公園は、河口の最先端にある”飛び地”なので、多摩川沿いの道の最先端ではありません・・・(浮島町公園については、「浮島石油コンビナート」を見てね。)そこで思い出したのが、前々回に、多摩川スカイブリッジの下に見えた、上の写真の遊歩道です。この遊歩道を河口へ向かって歩けば、...多摩川を歩く(その4)(河口周辺)2022.6.9

  •  多摩川を歩く(その3)( 浮島石油コンビナート) 2022.6.7

    (写真は、東燃ゼネラル石油の川崎工場)多摩川沿いの遊歩道の”飛び地”である「浮島町公園」で、対岸の「羽田空港」の航空機の離着陸を撮影してから公園を出ます。「多摩川」に並行している「浮島町」の工場地帯のメインストリートを、前回のゴールの「多摩川スカイブリッジ」を目指して歩いて行きます。途中、道路の右側の工場敷地の鉄の柵や切れ目から、多摩川べりに出る道が無いか、覗き込みながら進みます。浮島町のメインストリートの左側は、「神奈川臨海鉄道・浮島線」の線路がずっと併走しています。そう言えば、前回、京急大師線の小島新田駅で下車して、高速の下の国道沿いに歩いてキングスカイフロントへ行った際に、途中に「東京工事事務所神奈川工事区塩浜基地」がありました。ここが神奈川臨海鉄道の機関車の車両基地みたいです。ここは、神奈川臨海鉄... 多摩川を歩く(その3)(浮島石油コンビナート)2022.6.7

  •  多摩川を歩く(その2)( 浮島町公園) 2022.6.7

    (浮島町公園から羽田空港のD滑走路を臨む)前回は、多摩川の最も下流に位置する「多摩川スカイブリッジ」を歩きましたが、そのとき、更に河口ギリギリまで歩いて下ってみたいと思いました。地図で見ると、多摩川の河口は「浮島」という埋立地で、地名は「浮島町」です。という訳で、今回は、取り敢えず、JR川崎駅の東口のバスターミナルから、「浮島バスターミナル」行きの臨港バス(川03)に乗ってみます。川崎駅前を発車したときは、バスははほぼ満席でしたが、終点の浮島バスターミナルに着いたときには乗客は私一人になっていました・・・バスターミナルから、更に多摩川の河口の方角へ歩いて行こうとしますが、上の写真の様に、河口へ向かう道は歩行者は通行止めです!仕方なく、河口とほぼ並行していると思われる人気の無い道路を一人でしばらく歩いてみま... 多摩川を歩く(その2)(浮島町公園)2022.6.7

  • 多摩川スカイブリッジ    2022.6.1

    (写真は、今年3月に開通した「多摩川スカイブリッジ」)以前から楽しみにしていた「多摩川スカイブリッジ」が、今年3月に開通したので見に行って来ました。多摩川スカイブリッジは、羽田空港と対岸の川崎市の医薬品関連の研究施設(キングスカイフロント)をつなぐ橋です。多摩川にかかる橋の中では一番長く、最も下流に位置する橋です。京急川崎駅で京急大師線に乗り換え、終点の小島新田駅で下車します。小島新田駅から高速の下の国道沿いに、10分くらい歩いて行くと、左手に下の写真の「キングスカイフロント」の入り口がありました。お昼時になりましたが、この辺り一帯には飲食店がなさそうです。取り敢えず、キングスカイフロントの入り口に位置する「TheWAREHOUSE」の大看板のある写真の「東急レイホテル」でお昼にします。東急レイホテルは、...多摩川スカイブリッジ  2022.6.1

  • 大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市)(その2) 2022.5.18

    (北条義時役の小栗旬と源義経役の菅田将暉:大河ドラマ館)前回は、「鎌倉殿の13人」の先週放映分までのあらすじを載せましたが好評だった?ので、今回も少し長くなりますが、以下「鎌倉殿の13人」の次回以降~最終回までの”私の予想するあらすじ”を書いてみました。(源義経の菅田将暉)前回、頼朝は、平泉に兵を送り、義経を襲撃して殺し、義経の首を鎌倉に届けさせましたが、義経の悲運の次は、義経と同じ兄弟の「源範頼」の悲運についてです。(源範頼の迫田孝也)源範頼と源義経の兄弟は、息の合った連係プレーで「一ノ谷の戦い」や「壇ノ浦の戦い」で見事に平氏を滅亡させました!頼朝の弟の「範頼」は、遠江国(静岡県)の蒲御厨(かばのみくりや:浜松市)で生まれ育ったことから「蒲冠者」(かばのかじゃ)と呼ばれていました。頼朝は、富士の裾野で、大規模...大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市)(その2)2022.5.18

  • 大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市) 2022.5.18

    (北条義時役の小栗旬:大河ドラマ館の入口の巨大看板)インターネットで入場券を事前購入して、鎌倉殿の13人の大河ドラマ館へ行って来ました。鶴岡八幡宮の二の鳥居の下の「段葛」(だんかずら)からスタートします。段葛は、鶴岡八幡宮の参道の中央に、葛石(かずらいし)を積んで一段高くした道です。段葛(若宮大路)の両側には、レストランや土産物屋が立ち並び、暫く歩くと、右手のビルの奥に、「北条泰時邸跡」の発掘調査の遺構が保存されています。写真の様に、床がガラス張りになっており、その下にある建物の柱跡などを観察することができます。ここ「鎌倉殿の13人」の主人公の「北条泰時」の屋敷は、若宮大路(段葛)の北の端に位置していました。ガラス張りの床の前のお店「侍気分」のご主人が、丁寧に詳しく遺構の説明をして下さいました。上の説明板は、鎌...大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市)2022.5.18

  • 大山阿夫利神社下社 (神奈川県伊勢原市) 2022.4.28 

    (写真は、豆腐料理の「小川家」)七沢温泉からバスに乗り、小田急伊勢原駅前で大山ケーブル行きに乗り換えます。大山ケーブルに乗り込み、終点の阿夫利神社駅で降りて、「大山阿夫利(あふり)神社下社」へ向かいます。ケーブルから少し歩くと、直ぐに阿夫利神社下社の石段に着きました。平日にも拘わらず、結構参拝客がいます。この阿夫利神社は、大山の中腹にありますが、大山全体は、常に雲や霧が山頂に生じ、雨を降らすことから「あめふり山」と呼ばれていました。神社の名前は、「あめふり」が転じて、「あふり」(阿夫利)となりました。阿夫利神社は、関東三大不動の一つで、関東36不動の一番札所です。中世以降は、ここ阿夫利神社と同じ中腹で、阿夫利神社の少し下にある「大山寺」を拠点とする「修験道」が盛んになりました。源頼朝を始め、北条家、徳川家などの...大山阿夫利神社下社(神奈川県伊勢原市)2022.4.28

  • 大山ケーブル (神奈川県厚木市) 2022.4.28 

    (写真は、大山のケーブルカー)七沢温泉の盛楽苑に1泊した翌朝です。朝食は、伊勢原坂本の養鶏卵、厚木のいかり味噌などの地の食材を使用しています。朝食を早めに済ませ、バーで無料のコーヒーを飲んで一休みします。昨日下車した「七沢温泉入口」バス停から、9:08発の伊勢原駅北口行きのバスに乗ります。小田急の伊勢原駅の北口で、「大山ケーブル」行きのバスに乗り換えます。バス停には、上の写真の「大山詣り」の説明文がありました。山の麓近くになると、バスは細い道を進んで行き、度々すれ違い待ちの場所で停車します。バスに揺られること30分、ようやく下の写真の「大山ケーブル」バス停に到着しました。バス停の脇には下の写真の「大山コマ」の石像がありました。大山ケーブルの駅へと続く400段もある石段を上って行きます。この延々と続く石段には、大...大山ケーブル(神奈川県厚木市)2022.4.28

  • 七沢温泉・盛楽苑 (神奈川県厚木市)2022.4.28

    (写真は、盛楽苑の露天風呂)今朝下車した「七沢温泉入口」バス停から、上の写真の「盛楽苑」の最寄りのバス停「七沢病院前」を経て、徒歩10分の「盛楽苑」(せいらくえん)へ歩いて行きます。途中に、上の写真の「七沢城跡」の説明版がありました。(七沢城については、「七沢森林公園」を見てね。)上の写真は、盛楽苑の部屋から望む七沢城跡の七沢リハビリテーション病院です。「盛楽苑(せいらくえん)」は、以前から一度は泊まりたいと思っていた旅館です。(1泊2食付:25,000円)七沢温泉は、やわらかなアルカリ湯であることが特徴で、美肌効果があるそうです。貸し切り露天温泉や、風呂付の客室でゆっくりと身体の疲れを癒し、湯上り処で地ビール等を楽しめます。地の食材を使用した四季折々の料理は、コース料理で提供されます。客室数は全部で10部屋あ...七沢温泉・盛楽苑(神奈川県厚木市)2022.4.28

  • 県立 七沢森林公園 (神奈川県厚木市)2022.4.28

    (写真は、「七沢森林公園」の「森のかけはし」)ようやく、非常事態宣言も蔓延防止措置も無く、自由に旅行が出来る様になりました。そうは言っても、遠出は、途中の交通機関での感染が怖いので、県内の温泉に1泊して、屋外の施設で遊ぶことにしました。という訳で、今週、「厚木の七沢温泉」に行き1泊してきました。小田急線の本厚木駅で下車して、駅前の厚木バスセンターから、七沢行きのバスに乗り、「七沢温泉入口」で下車します。先ず、「七沢森林公園」を散策してから、今晩の宿の七沢温泉へ向かいます。公園の散策の前に、バス停の前の消防署の建物の中のある観光案内所で、七沢森林公園の園内地図を貰います。バス停からは、「七沢森林公園」のシンボルである「森のかけはし」が見えていました。バス停の近くに、上の写真の説明版がありました。その説明版によると...県立七沢森林公園(神奈川県厚木市)2022.4.28

  • 甲州街道を歩く( 39-2:下諏訪)(長野県諏訪市) 2021.11.20

    (写真は、上諏訪駅の構内の足湯)甲州街道のゴールの下諏訪宿の見物を終えて、下諏訪駅から、JR中央本線の普通列車に乗車します。これは、JR中央本線の特急列車は、ここ下諏訪駅には停車しないので、停車駅の隣の上諏訪駅まで、1駅だけですが普通列車に乗らなければなりません。時間の変更が出来ない安い特急列車の切符を買ったため、上諏訪駅で、かなり長い時間を潰すことになりました。上諏訪駅の構内には、写真の「足湯」があったので入ってみます。ホームに入ってくる電車を眺めながらの足湯というのは楽しいです。あ~、疲れた足に気持ちいい~!足湯の横には、温泉卵づくりの専用スポットの「温泉たまご処」のボックスがあります。説明版によると、温泉卵を作るには、先ず、駅の売店で、卵とタレのセットを100円で購入する必要があります。次に、温泉たまご処...甲州街道を歩く(39-2:下諏訪)(長野県諏訪市)2021.11.20

  • 甲州街道を歩く( 39:下諏訪)(長野県諏訪市) 2021.11.20

    (写真は、「聴泉閣かめや」の「上段の間」)遂に、甲州街道のゴールの「下諏訪宿」に到着しました。「下諏訪宿」は、中山道との追分を控え、諏訪大社下社の門前町として昔から栄えていました。また、中山道の”唯一の”「温泉場」としても大いに賑わいました。下諏訪宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠40軒でした。旧甲州街道は、諏訪大社下社の前を通り過ぎると、下諏訪名物「塩羊羹」の老舗「新鶴本店」に突き当たります。中山道踏破のときに、ここで名物「塩羊羹」を買って美味しかったので、今回もまた同じ塩羊羹を買います。(塩羊羹:950円)明治6年創業の新鶴本店は、幕末の尊皇派で南画家の天龍道人(てんりゅうどうじん)の住居でした。新鶴本店の少し先の「聴泉閣かめや」に入って、コーヒーを飲みながら一休みします。「かめや」は、江戸時代には、下諏訪宿の本...甲州街道を歩く(39:下諏訪)(長野県諏訪市)2021.11.20

  • 甲州街道を歩く( 38-3:上諏訪宿から下諏訪宿へ)(長野県諏訪市) 2021.11.20

    (上の写真の一枚岩の模様は、武田信玄の埋蔵金の隠し場所を表した地図だそうです。)お花見のご報告が続いたので、暫くの間、甲州街道踏破を中断していましたが、今回から再開します。甲州街道のゴールの「下諏訪宿」まであと一息です!少し歩くと、下諏訪町の消防団の先に、写真の「男女双体道祖神」がありました。赤丸印は「自宅用の温泉のタンク」です。訪湖を左に見ながら進むと、山側に上の写真の「南信八名所石投場碑」があります。説明版によると、江戸時代には、諏訪湖がこの真下まで迫っていたので、旅人は、ここから湖面に石を投げ、打ち興じた、とあります。この石投場碑の横には、「明治天皇駐輦(ちゅうれん)址碑」があります。明治13年、明治天皇巡幸の折、明治天皇は、ここから漁師達の投網をご覧になりました。少し歩いて、高木地区から富部地区に入ると...甲州街道を歩く(38-3:上諏訪宿から下諏訪宿へ)(長野県諏訪市)2021.11.20

  • 新宿御苑 2022.4.5

    (写真は、新宿御苑の桜)4月初旬になり、首都圏の桜はほとんど散ってしまった感じですが、テレビ番組で、「新宿御苑」の「桜の見頃は4月下旬まで」とやっていました。4月下旬まで見頃なんてホントかな?と言う訳で、取り敢えず、新宿御苑に行ってみました。新宿御苑は、18万坪(東京ドーム12個分)もある広大な庭園で、新宿区と渋谷区にまたがっています。新宿御苑には、何と!、「68種類」もの桜が、約1,000本も植わっています。異なる品種の桜が、開花時期をずらして、次々に咲くので、桜の見頃は、何と!、都心にも拘わらず、4月下旬まで続くそうです!何故68種類もの桜が植えられたのかというと、新宿御苑が、皇室行事である観桜会の会場になっているために、全国各地の桜が集められたのだそうです。そのため、それぞれの品種の開花時期が異なり、ソメ...新宿御苑2022.4.5

  • 池上本門寺(東京都大田区) 2022.3.31

    (写真は、池上本門寺の比経難持坂(しきょうなんじざか)の桜)テレビの開花情報によると、首都圏の桜の見頃は今3月末までということなので、3/31(木曜)に、慌てて「池上本門寺」の桜を見に行って来ました。池上本門寺は、日蓮宗の大本山で、ソメイヨシノと、関東では珍しい笹部桜の観光スポットです。東急池上線の池上駅で下車します。東急池上線は、100年前に、池上本門寺への参拝のために東急が敷設した路線です。私は、池上駅については、田舎の木造の駅舎のイメージを持っていました。しかし、久し振りに池上駅で下車してみて、その急変貌に驚きました。池上駅は、上の写真の様に、リニューアルでお洒落な店舗が入る巨大なビルになっていました!駅前の「本門寺通り」を進んで行きます。池上駅から徒歩10分で、敷地4万坪という広大な「池上本門寺」の元禄...池上本門寺(東京都大田区)2022.3.31

  • 岸根公園(横浜市)  2022.3.28

    (写真は、岸根公園の篠原池の桜)テレビの開花情報によると、首都圏の桜も満開ということだったので、今週の月曜(3/28)、手っ取り早く、我が家から徒歩10分の近所の「岸根公園」の桜見物に行って来ました。先日、NHK番組「COOLJAPAN」で、「外国人が選んだ横浜」というのをやっていました。それによると、1位・公園、2位・横浜中華街、3位・みなとみらいエリアでしたが、1位の公園については、更にどの公園が1位かを聞いていました。予想通り、山下公園、三渓園、根岸公園等があがっていました。しかし、これらを抑えて、堂々の「横浜の公園の第1位」は、何と!、近所の「岸根公園」でした!(有名な根岸公園とは違います、念のため。)え、えっ・・・?、ウソ!岸根公園は、横浜以外ではほとんど知られておらず、地元の横浜でもマイナーな公園だ...岸根公園(横浜市)2022.3.28

  • あけましておめでとうございます 2022.1.1

    甲州街道のゴール(中山道への合流地点)にてあけましておめでとうございます。昨年末に、甲州街道の全宿場を歩き終わりました。(冒頭の写真の”甲州街道の中山道への合流地点”についての説明は「中山道を歩く・下諏訪」をご覧ください。)これで、遂に念願の東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の「五街道踏破」を達成しました!!五街道踏破には、足掛け10年かかったことになりますが、途中、膝痛やコロナなどの中断もありましたので、実質6年での偉業?達成です!!五街道踏破の全エピソードを「中山道を歩く」のホームページにまとめましたので是非ご覧ください。甲州街道のゴール到達は昨年末でしたが、未だゴールまでの膨大な写真が未整理です・・・これから1か月程度かけて整理しながらこのブログに順次掲載していく予定ですので引き続きご愛読くださ...あけましておめでとうございます2022.1.1

  • 熊本城(天守復元後) 2021.11.14

    (写真は、復元した熊本城の天守)先月中旬に、2年振りに、母の介護のために、故郷の熊本に10日ほど帰省して来ました。2016年の熊本地震で被災した熊本城の天守の修復が完了し、一般公開されているということなので立ち寄ってみました。(熊本城については、「被災前の熊本城」、「被災直後の熊本城」、「熊本城と西南戦争」も見てね。)写真の「長塀」も綺麗に復元していました。電車通りから見える目立つ場所の復元なので嬉しいです。上の写真は「宇土櫓(うとやぐら)」です。外観は3層ですが、内部は5階に地下を有しています。この宇土櫓は、約400年前の築城当時から唯一そのまま残る建物で、国重要文化財です。熊本地震で壁や内部は破損したものの、外観はそのまま残っています。来年秋から解体復旧工事に入るそうです。上の写真の左が宇土櫓で、その横の奥...熊本城(天守復元後)2021.11.14

  • 浦山ダム(埼玉県秩父市) 2021.11.7

    (写真は浦山ダム)小松沢レジャー農園でブドウ狩りを楽しんだあとは、農園からほど近くの「浦山ダム」へ向かいます。浦山ダムの下の駐車場に車を止めて見上げると、圧倒する様なダムの壁が!ダムの入口へ向かいますが、入口の脇に階段が・・・?この階段は、ダムの堤防に備え付けられた階段で、見上げると、ダムの上部まで続いています。え、え~っ・・・?、500段もあるとんでもない階段を歩いて上らないといけないの?股関節炎の私は、途中で力尽きて多分ギブアップするでしょう。よく見ると、この階段の説明の横にはエレベーターの説明も。良かった!私はエレベーターで昇るために、ダムの下の「エレベーター入口」と書かれた半円形のドームへ向かいます。エレベーターの入口の通路の両側に、浦山ダムと自然の恵み、浦山ダムが出来るまで等が展示されています。その先...浦山ダム(埼玉県秩父市)2021.11.7

  • 長瀞ラインくだり(埼玉県秩父市) 2021.11.7

    (長瀞ライン下り)昨日は、渋沢栄一の生誕の地である深谷を見て回ってから、秩父の丸山鉱泉旅館に1泊しました。今日は、この宿を出て「長瀞(ながとろ)ライン下り」に向かいます。20年振りの長瀞ライン下りです。コロナの感染者数が下火になったせいか、切符売り場の前は長蛇の列です。切符売り場から上流の舟の乗り場まではマイクロバスで送ってもらい、切符売り場のある岩畳まで戻るために急流を下ります。(1,800円)船頭さんが二人で竿を操ります。この日は、気温も急上昇し、風も穏やかで気持ちのいい一日でした。所々に急流があり、水しぶきを浴びながらのスリルも楽しめます。ライン下りを終わり、岩畳の上に登ると行き交う川舟が見えました。舟下りを終わり、昼食をとるために「小松沢レジャー農園」へ向かいます。小松沢レジャー農園は、私が想像していた...長瀞ラインくだり(埼玉県秩父市)2021.11.7

  • 丸山鉱泉温泉(埼玉県秩父市) 2021.11.6

    (写真は、さきたま古墳公園内の丸墓山古墳)渋沢栄一の生家や大河ドラマ館などの見学を終えて、今晩の温泉宿へ向かいます。その途中で、写真の「さきたま古墳公園」(行田市)の前を通りかかったので立ち寄ってみます。園内には、5世紀から7世紀にかけて築かれた埼玉古墳群があります。古墳の大きさに驚きます!古墳の頂上からは「忍城」(おしじょう)が見えます。(赤丸印)(忍城については、「忍城」を見てね。)また「世界一の田んぼアート」の展望台も見えます。(赤丸印)(田んぼアートについては、「ギネス認定・田んぼアート」を見てね。)この「さきたま古墳公園」は広大で、園内には、私が登った古墳以外にも8基もの古墳があります。また、100年に1度の大発見といわれた国宝の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」などが展示されている博物館などもあ...丸山鉱泉温泉(埼玉県秩父市)2021.11.6

  • 渋沢栄一 生誕の地:深谷   2021.11.6

    (渋沢栄一のアンドロイドが鎮座する深谷の生家)今年の大河ドラマ「青天を衝け」は、私の尊敬する渋沢栄一が主人公なので欠かさず見ています。埼玉県の深谷に出来た「大河ドラマ館」は、来年の初めに閉館するらしいと聞いたので、何とか閉館前に見学しておきたいと思い、娘の運転で行って来ました。目的の「渋沢栄一青天を衝け深谷大河ドラマ館」は、写真の深谷公民館の1階にありました。(入場料:800円)公民館の前には、2024年に刷新されることになった一万円札の顔の渋沢栄一がお出迎えです。館内には、大河ドラマで実際に使用されたセットや小道具・衣装などが展示されていました。また、メイキング映像の上映や出演者紹介のパネルもあります。オバサマ達が、吉沢亮やディーンフジオカの等身大のパネルと並んで嬉しそうに撮影をしていました。(出演者のパネル...渋沢栄一生誕の地:深谷2021.11.6

  • 甲州街道を歩く( 38-2:上諏訪宿から下諏訪宿へ)(長野県諏訪市) 2021.11.20

    (高島藩主も、わざわざここまで出向いて鯉料理を賞味したという「茶屋橋本屋」)上諏訪宿を抜けて、甲州街道のゴールの下諏訪宿を目指します。旧甲州街道を進むと、左手に、「下桑原の一里塚跡」があります。西の塚の塚木は榎でしたが、東の塚には塚木がなかったそうです。これからは、”赤丸印が付された写真”が、度々、出て来ますが、この赤丸印は、全て「自宅用の温泉のタンク」です。(自宅用温泉タンクの説明は、「甲州街道を歩く・金沢宿から上諏訪宿へ」を見てね。)更に進んで行くと、左手に、上の写真の指月庵(しげつあん)の駐車場があります。高島藩の藩主が、菩提寺である温泉寺に墓参りに行く際に、ここ指月庵を休憩所としたそうです。指月庵の駐車場の前がY字路になっていますが、旧甲州街道は左折します。右折すると、高島藩の菩提寺である温泉寺への上り...甲州街道を歩く(38-2:上諏訪宿から下諏訪宿へ)(長野県諏訪市)2021.11.20

  • 甲州街道を歩く( 38:上諏訪)(長野県諏訪市) 2021.11.20

    (写真は、上諏訪が蔵元の日本酒の「呑み比べセット」)「上諏訪宿」は、諏訪大社の門前町、そして高島藩諏訪氏3万石の城下町として栄えた宿場町です。上諏訪宿は、本陣1、問屋1、旅籠14軒でした。上の写真の元町交差点の辺りが上諏訪宿の東口で、ここから二筋に分かれますが、両筋とも上諏訪宿の町並みです。この分岐点に写真の「十王堂跡」の碑があります。説明版によると、高島藩の「初代藩主・諏訪頼水」の娘の「亀姫」は、頼水にあてた手紙(嫁ぎ先で起きたトラブルを告げ口)を、使いの下男に届けさせました。ところが、この使いの下男は、手紙を届ける途中で、隣の下男と喧嘩になり、カッとなった隣の下男は、手紙を川へ投げ捨ててしまいました!正気に戻った隣の下男は、後難を恐れ、諏訪家の菩提寺である永明寺に逃げ込みます。怒った藩主の頼水は、この下男の...甲州街道を歩く(38:上諏訪)(長野県諏訪市)2021.11.20

  • 甲州街道を歩く( 37-5:金沢宿から上諏訪宿へ④)(長野県茅野市)13km 2021.11.20

    (写真は、上諏訪宿の入口に建つ「十王堂跡碑」)「武田信玄」の諏訪侵攻により捕らわれ自刃した「諏訪頼重」の墓がある「頼重院」を出て街道に戻ります。街道の右手に、地元の人専用の上の写真の「共同浴場・神戸温泉」があります。写真の白い大きなタンクは、パイプを通じて諏訪市から供給される温泉湯を貯めるタンクです。個人の家でも、このタンクを設置すれば、低料金で、諏訪市から温泉湯の供給を受けられるそうです。個人の家に温泉を引けるなんて!、驚き!ここ上諏訪には、何と!、共同浴場が80以上もありますが、そのほとんどが地元の人専用で、観光客などの外来者は入浴が出来ないそうです・・・神戸温泉の先の右手奥に、秋葉山大権現と刻まれた「常夜燈」と「男女双体道祖神」があります。やがて右手に一里塚バス停があり、その先の左手に「神戸(ごうど)の一...甲州街道を歩く(37-5:金沢宿から上諏訪宿へ④)(長野県茅野市)13km2021.11.20

  • 甲州街道を歩く( 37-4:金沢宿から上諏訪宿へ③)(長野県茅野市) 2021.11.20

    (写真は、武田信玄の諏訪侵攻により、捕らわれ自刃した「諏訪頼重」の墓)今回は、早朝に新横浜からJR中央線に乗り、八王子駅で特急列車・あずさ号に乗り換え、前回のゴールの「茅野(ちの)駅」で下車します。(JR茅野駅)茅野駅の駅前広場には、写真の「姥塚(うばづか)古墳」の碑があります。明治38年、中央線の開通にともなって、茅野停車場が設けられ、ここにあった古墳は取り崩されたそうです。茅野駅前の交差点には、「諏訪大社上社」の大鳥居が建っています。上の写真の大鳥居の先の茅野駅西口の交差点は、Y字路になっているので、左手の道を進みます。暫く歩き、「上原」の交差点で、国道20号に合流します。ここ上原は、鎌倉時代には上原城の城下町で、ここを治めた諏訪信満の代から頼重の代まで、諏訪氏の居城として、政治、経済、文化の中心地でした。...甲州街道を歩く(37-4:金沢宿から上諏訪宿へ③)(長野県茅野市)2021.11.20

  • 甲州街道を歩く( 37-3:金沢宿から上諏訪宿へ②)(長野県諏訪郡) 2021.10.27

    (写真は、かっては寒天の貯蔵庫だった巨大な3階建ての「宮川寒天蔵」)国道20号を延々と歩いたのちに、上の写真の場所で、国道20号を右折して狭い坂道を上って行きます。狭い坂道の途中に、上の写真の「男女双体道祖神」が祀られていました。その近くには、日本橋から50里目(200キロ)の「茅野(ちの)の一里塚跡」の標石がありました。茅野の一里塚跡の先の坂道を下って、国道20号に合流します。国道20号を少し進むと、宮川交差点があり、分かりずらいですが、三差路になっています。この三差路の中央(赤矢印)の県道197号に入ります。暫く歩くと、写真の「鈿女(おかめ)神社」があります。鈿女神社の祭神は、天照大神が天岩戸に隠れたという有名な神話の中で、岩戸の前で舞を舞った「天鈿女命(あまのうずめ)」です。鈿女(おかめ)の字を分けてみる...甲州街道を歩く(37-3:金沢宿から上諏訪宿へ②)(長野県諏訪郡)2021.10.27

  • 甲州街道を歩く( 37-2:金沢宿から上諏訪宿へ①)(長野県諏訪郡) 2021.10.27

    (写真は、「寒天の里」の大看板)金沢宿を抜けて、旧甲州街道を真っ直ぐに進むと、矢ノ口の交差点で、国道20号に合流します。この矢ノ口の交差点の右手にあるのが「権現の森」です。権現の森の境内には、1654年建立の「金山大権現」の石祠があります。武田信玄が開発した金鶏の金山は、南アルプスの北端にありました。武田家が滅亡すると、金山の鉱夫達は、青柳宿(金沢宿へ移転する前の宿場町)に定住し、金山の守護神の「金山権現」をここに祀りました。境内には、他にも、摩利支天、不動明王、御獄座王大権現、大六天、甲子、如意輪観音、蚕玉大神などの石仏石塔があります。権現の森を出て、国道20号を進み、森の口バス停から斜め左の「青柳旧道」に入ります。青柳旧道は、車もほとんど通らず長閑な田園風景です。旧道の左手に、「寒天の里」と書かれた大看板が...甲州街道を歩く(37-2:金沢宿から上諏訪宿へ①)(長野県諏訪郡)2021.10.27

  • 甲州街道を歩く( 37:金沢宿)(長野県諏訪郡) 2021.10.28

    (写真は、「義民・小松三郎左衛門」が若くして処刑された場所に置かれた「如意輪観音」。)早朝に、甲府駅前のホテルクラウンヒルズ甲府を出て、甲府駅から中央本線に乗ります。車窓からは富士山が良く見えます。前回のゴールの青柳駅で下車します。延々と続く石段を上って行きます。振り返ってみると目眩がする急斜面です。急斜面の石段を上り切ると、旧甲州街道沿いのセイコーエプソンの社員寮の前に戻って来ました。エプソン社員寮を過ぎると下り坂になります。旧甲州街道は、国道20号に突き当たるので、ここを左折します。この辺りが「金沢宿」の東口です。金沢宿は、本陣1、問屋2、旅籠17軒でした。金沢宿は、高遠や飯田に通じる追分を控え、交通や物資流通の要衝として栄えました。当初、甲州街道を通行する参勤交代の大名は高島藩、飯田藩、高遠藩の3藩に限定...甲州街道を歩く(37:金沢宿)(長野県諏訪郡)2021.10.28

  • 甲州街道を歩く( 36-4:蔦木宿から金沢宿へ)(長野県諏訪郡) 2021.10.27

    (写真は、崖の道を旧甲州街道から青柳駅へ下りる階段:Googleマップ)5街道踏破の最後の甲州街道も、ゴールが近づいた段階で、どうもやることなすことチグハグになってきました。何だかなあ~・・・地図では、旧甲州街道から直線で僅か300メートルの穴山駅へ向かおうとしましたが、駅は垂直の崖の上に!(穴山駅については、「甲州街道を歩く・韮崎宿から台ケ原宿へ」を見てね。)股関節炎が再発したとき、旧甲州街道から最寄りの信濃境駅へ緊急避難しようとしましたが、高低差が200メートルもある崖の道を延々と3キロも上りました!(信濃境駅については、「甲州街道を歩く・蔦木」を見てね。)また道に迷ったとき、旧甲州街道から最寄りの富士見駅へ向かおうとしましたが、崖を上がって行く道を2キロも必死で上りました!(富士見駅については、「甲州街道...甲州街道を歩く(36-4:蔦木宿から金沢宿へ)(長野県諏訪郡)2021.10.27

  • 甲州街道を歩く( 36-3:蔦木宿から金沢宿へ)(長野県諏訪郡) 2021.10.27

    (写真は、前回、最後に撮影した1802年建立の観世音碑。)前回は、慎重に下調べをしてから歩いたのに、何故、途中で道を間違えたのだろう?帰宅してから、自分で撮影した写真と、ガイド本、地図、インターネットとを照らし合わせて調べました。すると、何と!、インターネットにあった街道風景の1枚の写真と、たまたま、私が最後に撮影した冒頭の写真がピッタリと一致しました!え、えっ~!、ということは、私は、道を間違えてはいなかったんだ!つまり、前回道に迷ったと判断したのは、実は早とちりで、ホントは正しい道を歩いていました。もう少しだけ我慢して、鬱蒼とした急な坂道を抜けてしまえば、開けた平地になって人家もあったんだ!いつもは、見切りが遅くて間違えた道を延々と歩いて傷を深くするのですが、今回は、見切りが早すぎて傷を深くしてしまいました...甲州街道を歩く(36-3:蔦木宿から金沢宿へ)(長野県諏訪郡)2021.10.27

  • 甲州街道を歩く( 36-2:蔦木宿から金沢宿へ)(長野県諏訪郡) 2021.10.11

    (写真は、JR富士見駅の近くから望む富士山)早朝に、JR新横浜駅から横浜線に乗り、八王子駅で中央線に乗り換えて、上の写真の「信濃境駅」で下車します。高低差が200メートルもある、前回延々と上って来た坂と同じ坂を、今回は延々と下って行きます。前回の上り坂に比べたら、今回は下りなので格段に楽です。ようやく、上蔦木の集落まで下りて来ました。そこから、国道20号沿いの蔦木宿を抜けて、前回のゴールの西枡形跡まで戻りました。西枡形跡をスタートして、国道20号を進みます。国道20号沿いに、上の写真の「岩田屋建材」の資材置場がありました。旧甲州街道は、この岩田屋建材の脇の砂利道へ入って行きますが、この先には「電流ネット」が待ち受けています。「電流ネット」には前回苦労したので、今回はパスして、迂回の国道20号を進んで行きます。国...甲州街道を歩く(36-2:蔦木宿から金沢宿へ)(長野県諏訪郡)2021.10.11

  • 甲州街道を歩く( 36:蔦木宿)(長野県諏訪郡) 2021.10.16

    (写真は、蔦木宿本陣の表門)「蔦木(つたき)宿」は、本陣1、問屋2、旅籠15軒でした。1604年、江戸から甲府までの甲州道中が整備され、その後、下諏訪まで延長されました。蔦木宿は、1611年に新設された宿場で、東西に桝形が配されました。宿場町は、約490メートルの長さですが、何と、6回も大火に見舞われています!蔦木宿の入口には、写真の石置き屋根のモニュメントがあります。宿場町に入ると、庚申塔、甲子塔があり、1791年建立の常夜燈の奥に、石の祠(ほこら)の道祖神が祀られています。少し歩いて行くと、上の写真の「桝形道路碑」がありますが、ここが「東桝形」です。この桝形を抜けると、国道20号に突き当たるので、右折して国道沿いに歩いて行くと、右手には、以下の写真の1417年創建の「三光寺」があります。三光寺の本堂には、写...甲州街道を歩く(36:蔦木宿)(長野県諏訪郡)2021.10.16

  • 甲州街道を歩く( 35-2:教来石宿から蔦木宿へ)(長野県諏訪郡)5km  2021.10.16

    (厚手の手袋を着用して、慎重に「電流ネット」を開錠します・・・)「教来石(きょうらいし)宿」の外れの山口関所跡を過ぎ、次の「蔦木(つたき)宿」を目指して、田んぼの中の1本道を歩いて行きます。旧甲州街道は、やがて国道20号に突き当たります。ここでは、国道20号を横切って直進し(赤矢印)、白い2階建ての建物の脇の土の道に入って行きます。この草の生い茂る道が、ホントに旧甲州街道なのか不安になってきました?・・・・ともかく、雑草を掻き分けながら不安な気持ちで歩いていきます。ズボンに雑草の種子が、写真の様にいっぱい付いてしまいました・・・間もなく、写真の怪しげな橋に出ましたが、地図を見ると、どうもこの橋が、甲州(山梨県)と信州(長野県)の国境の「国界(こっかい)橋」の様です。イメージしていた国境の橋とは違って、橋桁も欄干...甲州街道を歩く(35-2:教来石宿から蔦木宿へ)(長野県諏訪郡)5km2021.10.16

  • 甲州街道を歩く( 35:教来石)(山梨県北杜市)  2021.10.16

    (写真は、「教来石」宿の地名の由来となった「経来石(きょうらいし)」)早朝に、JR新横浜駅から横浜線に乗り、八王子駅で中央線に乗り換えて、韮崎駅で下車します。韮崎駅始発の路線バスに乗り、終点の教来石(きょうらいし)へ向かいます。新横浜5:27→(JR横浜線)→6:30八王子6:35→(JR中央本線)→8:29韮崎8:45→路線バス→9:25教来石教来石から先の旧甲州街道は、バス路線も無くなり、JR中央本線からも離れてゆきます。教来石宿からの旧甲州街道は、次の蔦木宿を経て金沢宿へと続きます。この金沢宿の近くの「JRすずらんの里駅」までは、教来石宿からは18キロもあり、その間は、電車もバスもタクシーも無い交通機関空白地帯です。この交通機関空白地帯で、持病の股関節炎が再発しないか心配です・・・「教来石宿」は、本陣1、...甲州街道を歩く(35:教来石)(山梨県北杜市)2021.10.16

  • 甲州街道を歩く( 34-2:台ケ原宿から教来石宿へ)(山梨県北杜市) 6km 2021.10.8

    (写真は、台ケ原宿から教来石宿へ向かう途中の旧道風景)「台ケ原宿」から次の「教来石(きょうらいし)宿」までの約6キロは、ほんの一部のみ騒音と排ガスの国道20号を歩きますが、大部分は雰囲気のある旧甲州街道です。秋晴れのもと、快適で長閑な田舎道のウォーキングのスタートです!台ケ原宿を抜けて少し歩くと、上の写真の白州町消防団の火の見ヤグラがあります。この火の見ヤグラの角を右折して少し進むと、下の写真のなまこ壁土蔵の「旧名主宅」が見えて来ます。更に進み、緩い坂を下って行くと「白須上」に入ります。街道沿いには、七里岩の景観が広がります。やがて、右手のぶどう畑の中に、下の写真の「武田神社」がありました。鳥居の奥には、石祠がたくさん並んでいます。(野良仕事のおばさんと間違えて、案山子に挨拶しそうになりました・・・)白須上から...甲州街道を歩く(34-2:台ケ原宿から教来石宿へ)(山梨県北杜市)6km2021.10.8

  • 甲州街道を歩く( 34:台ケ原)(山梨県北杜市)  2021.10.8

    (写真は、1749年創業の銘酒「七賢」)台ケ原宿は、本陣1、問屋1、旅籠14軒でした。この地は、「高く平らにして台盤の如く」だったところから「台ケ原」と呼ばれました。参勤交代の大名は、高島藩(諏訪)、高遠藩、飯田藩の3藩に限られていました。しかし、1783年の浅間山の大噴火によって、中山道の浅間3宿(軽井沢、沓掛、追分)が壊滅してしまいます。すると、甲州街道が中山道の迂回路となり、この間は、ここ台ケ原宿も大いに賑わいました。現在、台ケ原宿の街並みは、建設省の「日本の道百選」に選ばれています。台ケ原下の交差点で国道20号を横断して、上の写真の「日本の道百選甲州街道台ケ原宿」の大きな看板から右手に入って行くと、左手に下の写真の「石祠道祖神」が祀られています。更に進むと上の写真の白州味噌の「永楽屋」と、下の写真のその...甲州街道を歩く(34:台ケ原)(山梨県北杜市)2021.10.8

  • 甲州街道を歩く( 33-4:韮崎宿から台ケ原宿へ③)(山梨県北杜市)  2021.10.8

    (写真は、甲州街道の古道への入口の石碑)ホテルの朝食を済ませると、写真のホテルルートインコート韮崎をチェックアウトします。ホテルの前のバス停から路線バスの始発便に乗り、昨日最終便に乗った牧之原バス停で降りて、本日のスタートです。「大武川(おおむがわ)」を「大武川橋」で渡ります。国道20号を進むと「下三吹」バス停があります。国道20号をひたすら歩いて行きます。更に国道20号線をひたすら進むと上の写真の上三吹交差点があるので、ここを斜め右に入ります。旧道を暫く歩いて行くと、上の写真の「神明社」がありますが、その境内には、以下の写真の無量院(廃寺)の跡碑や供養塔群などがあります。旧甲州街道が国道20号に突き当たる手前の右手に、写真の「旧甲州街道一里塚」跡碑があります。碑には、「甲府ヨリ七里ナノデ七里塚トモ云ウ」と刻ま...甲州街道を歩く(33-4:韮崎宿から台ケ原宿へ③)(山梨県北杜市)2021.10.8

  • 甲州街道を歩く( 33-3:韮崎宿から台ケ原宿へ②)(山梨県韮崎市)  2021.10.7

    (写真は、穴山橋から見下ろした釜無川とその対岸の風景)熊本城の天守復元、渋沢栄一の深谷、秩父の長瀞川下り等、このところテーマが分散してしまいました。ここで、しばらくの間中断していた、本来のテーマである「甲州街道を歩く」を再開します。少し復習しますと、前回は、眼前の絶壁の崖の上のJR中央本線・穴山駅を見上げて絶句するとこまででした。JR中央本線の穴山駅は、地図の上では、甲州街道沿いの穴山三軒屋バス停の所から僅か400メートルくらいの位置にあります。当日は、穴山駅から乗車して韮崎駅に戻る予定でしたが、穴山駅に向かう小道の先には垂直の崖がそびえています・・・この崖の上に穴山駅があるみたいですが、この断崖を上る道などなさそうです?・・・穴山三軒屋バス停の時刻表(上の写真の赤丸印)を見てみると、午後は2便しかありません・...甲州街道を歩く(33-3:韮崎宿から台ケ原宿へ②)(山梨県韮崎市)2021.10.7

  • 甲州街道を歩く( 33-2:韮崎宿から台ケ原宿へ)(山梨県韮崎市)  2021.10.7

    (この崖の上に目指す穴山駅があるハズ?・・・)始発電車で新横浜からJR中央線に乗り、八王子経由で、上の写真の韮崎駅で下車します。韮崎の市街地の外れの上の写真のホテルルートインコート韮崎を過ぎて水神地区に入ります。ホテルルートインコート韮崎には今晩1泊します。青坂バス停の先が、下の写真の様にY字路になっています。左の直進は甲州街道、右の坂道は七里岩ラインです。直進して進むと、石垣の上の祠に、「行人正人」と書かれた写真の「行人塚」があります。この行人塚は、行者が生きたまま埋葬されて「即身成仏」した塚だそうです?生きたまま埋葬なんて、驚き!(「即身成仏」の説明については、「バスで行く奥の細道:日本最古の即身仏」を見てね。)更に進むと、一ツ谷の交差点の手前の三角形の土地に、釜無川を鎮めるための「水神宮」(すいじんぐう)...甲州街道を歩く(33-2:韮崎宿から台ケ原宿へ)(山梨県韮崎市)2021.10.7

  • 甲州街道を歩く( 33:韮崎)(山梨県韮崎市)  2021.9.29

    (写真は、七里岩の崖の中程にある「霊場・窟観音堂」)「韮崎(にらさき)宿」は、北には信州道(佐久往還)、南には身延道(駿州往還)があり、そして舟運のための「船山河岸」を有する交通の要衝でした。船山河岸は、江戸城に納める年貢米などの物資の集散地として大いに賑わいました。韮崎宿は、本陣1、問屋1、旅籠17軒でした。韮崎宿に入り、韮崎市立病院の先の下宿の交差点を左折します。左折した道の突き当りの船山橋の左手に下の写真の「船山河岸跡」碑があります。1835年、ここに「船山河岸」が築かれました。この河岸は、富士川の舟運の終点として大いに賑わいました。以前にも説明しました様に、この富士川の舟運は、江戸城の生命線でした。つまり、江戸城が陥落したときには、将軍は、服部半蔵の手引きにより江戸城を脱出し、「八王子の千人同心」に守ら...甲州街道を歩く(33:韮崎)(山梨県韮崎市)2021.9.29

  • 甲州街道を歩く( 32-5:甲府柳町宿から韮崎宿へ②)(山梨県甲府市) 2021.9.29

    (写真は、武田勝頼の妻が、燃える新府城を見て涙を流したという「泣石」)旧甲州街道は、JR中央本線のレンガ造りの架道橋をくぐって行きます。少し歩くと、上の写真の下今井の交差点に出るので、直進しないで脇道へ右折して進みます。やがて右手に、写真の「泣石」があります。説明版によると、1582年、織田・徳川の連合軍が迫る中、「武田勝頼」は、完成したばかりの「新府城」に自ら火を放ち、「岩殿山城」を目指して落ち延びて行きました。(岩殿山城については、「甲州街道を歩く:駒橋」を見てね。)武田勝頼の妻は、ここで新府城の方角を振り返り、燃え上がるお城を見て涙を流した、とあります。これが「武田勝頼」一行の”死の彷徨”の始まりでした。(武田勝頼を裏切って”死の彷徨”をさせた小山田信成については、「甲州街道を歩く:初狩」を見てね。)暫く...甲州街道を歩く(32-5:甲府柳町宿から韮崎宿へ②)(山梨県甲府市)2021.9.29

  • 甲州街道を歩く( 32-4:甲府柳町宿から韮崎宿へ)(山梨県甲府市)  2021.9.29

    (写真は、一枚岩をくり抜いた石枠の「くり抜き石枠井戸」)前回は、痛恨の判断ミスで分岐点間を間違え、このため半日を無駄にしてしまいました。今朝は、始発電車で新横浜からJR中央線に乗り、八王子経由で、甲府の市街地の「竜王」駅で下車します。前回間違えた分岐点の竜王新町の交差点からスタートします。「甲州道中」の道案内の張り紙(赤丸印)に従って、黄色矢印の方向へ歩いて行きます分岐点を少し入ると、道の脇に、上の写真の1824年建立の「丸石道祖神」がありました。少し進むと、左手に、1606年創建の「称念寺」があります。上の写真は、境内にある「くり抜き石枠井戸」です。案内板によると、一枚岩をくり抜いた石枠の井戸で、ここを往来する旅人が休憩したところから、「お休み井戸」とも呼ばれたそうです。本堂の脇には、上の写真の「石造六地蔵尊...甲州街道を歩く(32-4:甲府柳町宿から韮崎宿へ)(山梨県甲府市)2021.9.29

  • 甲州街道を歩く( 32-3:甲府柳町③)(山梨県甲府市)  2021.9.27

    (写真は、甲府駅の人気NO1の駅弁「ワインのめし」)石和温泉と甲府城に寄り道をしましたが、また旧甲州街道に戻って街道歩きを続けます。「甲府柳町宿」のある甲府の市街地を抜けて、笛吹川に合流する「荒川」を荒川橋で渡ります。何故か、橋の真ん中にバス停が?・・・荒川は、4~9月は作場船による舟渡しで、それ以外の月は仮橋が架橋されました。荒川を渡ると、次に「貢川(くがわ)」を貢川橋で渡ります。橋の脇を右折します。写真は、街道沿いの「そば信州」で、私はここの蕎麦を食べるのを楽しみにしていました。しかし、何と!、楽しみにしていた「信州」は、本日定休日です!残念!気を取り直して歩いて行くと、前田橋南交差点の先の左手に「芸術の森公園」があります。余りの暑さに、この公園の木陰で、一休みしながら水分補給します。更に甲州街道を歩き、中...甲州街道を歩く(32-3:甲府柳町③)(山梨県甲府市)2021.9.27

  • 甲州街道を歩く( 32-2:甲府柳町②・甲府城:日本100名城)  2021.10.17

    (写真は、甲府城の「山手渡櫓門」)”甲府城は武田信玄の城”、という誤ったイメージをお持ちの方が多いみたいです。実際には、甲府城は、武田氏が滅亡した後に、豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に睨みを利かせるための、秀吉の重要な戦略拠点でした。江戸時代に入ると、当初は、徳川家の一門が城主となる特別な城でしたが、1704年、祖先が甲斐出身の「側用人・柳沢吉保」が城主となりました。吉保が城主になると、城の整備が大幅に進み、城下町として大きく発展しました。しかし、吉保の子の吉里が大和郡山(現在の奈良県大和郡山市周辺)に国替えになると、「甲斐国」は「幕府の直轄地」となり、「甲府城」は「甲府勤番」(注)の支配下におかれました。(注)「甲府勤番」:「甲府勤番」の職務は城の警備のみで、その責任者が「甲府勤番支配」で3...甲州街道を歩く(32-2:甲府柳町②・甲府城:日本100名城) 2021.10.17

  • 石和温泉  (山梨県笛吹市)

    (写真は、「ほうとう」と並ぶ甲府名物の「甲府鳥もつ煮」)甲州街道踏破の歩き旅も、その日のスタート地点への電車の往復に7時間もかかる様になり、日帰りはもう限界なので、これから先は1泊することにしました。温泉のある宿場町は温泉宿に泊まり、温泉の無い宿場町は、極力江戸時代から続く旅館に泊まることにします。「石和(いさわ)温泉」の湧出は、昭和36年と割と最近のことで、ブドウ畑の井戸の掘削中に、突然、高熱の温泉が噴き出ました。この湧出した温泉が、周辺のブドウ畑の間を流れる用水に溢れ出たので、即席の露天風呂を作り「青空温泉」としたのが、石和温泉の始まりだそうです。(温泉街の小公園の展示パネルから)突然の温泉の出現に、大勢の人々が押し寄せて、さながら海水浴場の賑わいだったそうです。現在は、この用水を中心に、温泉街が1キロに渡...石和温泉 (山梨県笛吹市)

  • 甲州街道を歩く( 32:甲府柳町)(山梨県甲府市)  2021.9.27

    (写真は、叩けばカンカンと金属の音色がしたという「かんかん地蔵」)山梨県の県庁所在地の「甲府」の地名は、「”甲”斐の国」の「”府”中」だったことに由来します。宿場の機能が、甲府の中でも柳町に集中していたので「甲府柳町宿」と呼ばれました。しかし、残念ながら柳町の町名は消え、現在は中央町に変わり、当時の宿場町としての面影を残すものは何もありません・・・甲州街道は、当初は、ここ甲府柳町宿が終着でしたが、1604年に、中山道の下諏訪まで延長されました。「甲府柳町宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠21軒でした。1519年、武田信玄の父の信虎が、「石和(いさわ)宿」からこの地の「躑躅ケ崎(つつじがさき)」に居館を構えました。その後、秀吉の代に甲府城が築かれ、以降、城下町として発展しました。NTT甲府支店西の交差点を左折...甲州街道を歩く(32:甲府柳町)(山梨県甲府市)2021.9.27

  • 甲州街道を歩く( 31-3:石和③)(山梨県山梨市)  2021.9.27

    (写真は、徳川家康の八男の「仙千代」(せんちよ)の墓)前回お話しました様に、山梨学院大学の付属中高生の隊列から解放されて、「酒折(さかおり)宮」に参拝します。「日本武尊」(やまとたけるのみこと)は、東夷征伐の帰り道に、この「酒折」に立ち寄りました。「日本武尊」は、「酒折」を発つ際に、火打石を入れていた「火打嚢」(ひうちぶくろ)を、「御火焚の翁」(おひたきのおきな)に授け、甲斐國を託しました。その「御火焚の翁」が、この「火打嚢」を御神体として祀ったのがこの「酒折宮」です。日本武尊が、騙されて、野火に囲まれた際に、剣で草をなぎ払い、「火打嚢」の中の火打石によって、向え火を放って、難を免れたのは有名な話です。ここ酒折で、日本武尊が「新治(にいばり)筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と詠んだところ、御火焚の翁が「かがなべて夜に...甲州街道を歩く(31-3:石和③)(山梨県山梨市)2021.9.27

  • 甲州街道を歩く( 31-2:石和②)(山梨県笛吹市)  2021.9.7  

    (写真は、明治時代に入ってからも斬首刑が行われた「山崎刑場跡」)前回お話しました様に、甲州街道沿いにあった「足湯」で、歩き疲れた足首を癒してから、元気を取り戻し、旧甲州街道を歩き続けます。「第二平等川」を「甲運橋」で渡ります。写真の第二平等川が、江戸時代には笛吹川の主流でした。当時、この辺りは、川田河岸と呼ばれ、この河岸から駿州(静岡県)の岩淵までの舟運がありました。そして、ここには「川田の渡し」があり、夏は舟渡し、冬は仮橋でした。明治40年の大水害で流れが変わり、現在の笛吹川が主流になり、この第二平等川は笛吹川の支流になりました。甲運橋を境にして、「笛吹市」から「甲府市」に入ります。甲運橋を渡った橋の脇の右手に、1860年建立の「川田道標」があります。正面に「右富士山大山東京道」、側面に「左甲府甲運橋身延道」...甲州街道を歩く(31-2:石和②)(山梨県笛吹市)2021.9.7 

  • 甲州街道を歩く( 31:石和宿)(山梨県山梨市)  2021.9.7    

    (写真は、石和温泉駅入口の交差点脇にある「足湯」)笛吹橋で「笛吹川」を渡り、「石和(いさわ)温泉郷東入口」の交差点を左折します。笛吹川沿いの「松並木」が始まります。この松並木の右から、笛吹川の堤防の下の道に下ります。松並木の下の旧甲州街道を進むと、左手に写真の「笛吹権三郎」像があります。笛の名手だった「権三郎」は、「石和川」の洪水で流された母を探し求めて、母の好きだった曲を吹きながら、毎日、さまよい歩きました。そして、その疲労困憊のあまり、とうとう川の深みにはまり亡くなってしまいました・・・その後、夜になると、権三郎の笛の音が河原に響き渡り、いつしか「石和川」は「笛吹川」と呼ばれる様になりました。権三郎像の脇には、すっかりお馴染みになった丸石道祖神がありました。街道沿いには、この「丸石道祖神」が散見されます。旧...甲州街道を歩く(31:石和宿)(山梨県山梨市)2021.9.7  

  • 甲州街道を歩く( 30-2:栗原宿から石和宿へ)(山梨県山梨市)  2021.9.7

    (写真は、すっかりお馴染みになった「丸石道祖神」)コロナ禍での街道歩きを再開するか否か、迷いに迷ったのですが、以下の理由で再開しました。①ワクチンの2回目接種を終えた。②山梨県の蔓延防止措置が今月12日で解除された。③始発電車の利用で交通機関での3密は回避している。④旧甲州街道では人とほとんど会わないので現地での3密はない。⑤糖尿病の医者から、コロナ禍で数値が悪化したので街道歩きを再開した方がよい、と言われた。甲州ブドウ栽培の始まりという「勝沼宿」を抜け、「栗原宿」に入ってからも、ブドウ園とブドウ畑が延々と続きます。前回、ブドウは未だ葉だけでしたか、今回はたわわに実り、もう既に収穫を終わっている所も多いです。前回説明しました様に、ブドウ園は、頑丈な鉄骨の枠を組み、その上にブドウの枝を這わせています。その鉄骨の枠...甲州街道を歩く(30-2:栗原宿から石和宿へ)(山梨県山梨市)2021.9.7

  • 甲州街道を歩く( 30:栗原)(山梨県山梨市)  2021.6.23

    (写真は、定食チェーン店「大戸屋」の創始者の実家)「栗原」の地名は、この地を治めた栗原氏に由来しています。戦国時代、武田信玄の父の武田信虎は、甲斐の国(山梨県)の統一に着手しました。この地を治めた「栗原信友」は、当初は武田信虎と対峙しましたが、後に家臣となり、武田信玄に仕えて武田軍団の一翼を担いました。栗原には、この辺り一帯の農産物や織物などが集り、大いに賑わいました。「栗原宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠20軒でした。「栗原宿」に入ります。宿場町を進むと、右手に写真の「大法寺」があります。入口の脇には、下の写真の様に、1702年建立の「南無妙法蓮華経」と、1831年建立の「南無妙法蓮大菩薩」の題目碑が並んでいます。大法寺のすぐ先を右に入ると、以下の写真の「妙善寺」があります。妙善寺の鐘楼門をくぐると、本...甲州街道を歩く(30:栗原)(山梨県山梨市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 29:勝沼②)(山梨県甲州市) 3km 2021.6.23

    (写真は、地蔵堂に安置されている延命地蔵尊)勝沼宿を進んで行くと、右手に「勝沼小学校」があります。勝沼小学校の校門の脇には、下の写真の「勝沼学校跡」の碑がありました。この碑に刻まれた説明文によると、明治13年の明治天皇の山梨巡行の際、ここにあった勝沼学校校舎が行在所(宿所)となりました。この碑の脇には、下の写真の「明治天皇勝沼行在所碑」がありました。また、校門の左手には、上の写真の左側の「ようあん坂」の標柱があります。標柱の説明には、「勝沼宿内で最も急な坂だが、坂の名前の由来は、一説によると、天野養庵という人の屋敷が近くにあったため」と記されています。「ようあん坂」の標柱の右側には、「海抜四〇〇米」の標石があります。更に宿場町を歩いて行くと、左手に写真の「護念寺」がありました。境内の墓地には、「柏尾の戦い」で、...甲州街道を歩く(29:勝沼②)(山梨県甲州市)3km2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 29:勝沼) (山梨県甲州市) 2021.6.23

    (写真は、甲州街道沿いのブドウ園)「勝沼宿」は、甲府盆地の東の端に位置し、江戸時代には物資集積の地として栄え、市が立ち大いに賑わいました。本陣1、脇本陣2、旅籠23軒でした。勝沼宿に入ると直ぐ左手には、上の写真のワイン民宿の鈴木園があります。昼食時になったので、ワイン民宿の庭で出しているワイン付きのランチを食べようと思ったのですが、残念ながらコロナ禍で休業中でした。ワイン民宿から先の街道沿いには、ブドウ園が延々と続きます。ここ勝沼には、約130軒ものブドウ園があるそうですが、街道沿いのブドウ園は、頑丈な鉄骨の枠を組み、その上にブドウの枝を這わせています。その鉄骨の枠の下の広い空き地は、観光客用の駐車場になっています。更に歩いて行くと、右手の「上行寺」の参道口に、「日蓮聖人投宿之地」と刻まれた真新しい石碑と、18...甲州街道を歩く(29:勝沼)(山梨県甲州市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28-4:鶴瀬宿から勝沼宿へ③)(山梨県甲州市) 5km 2021.6.23

    (写真は、”ぶどう寺”と呼ばれている「大善寺」)新選組の近藤勇が官軍に破れたという、江戸時代の柏尾橋の脇の「柏尾古戦場」跡の見学を終え、上の写真の現代の柏尾橋で深沢川を渡ります。国道20号を更に進むと、柏尾山の登山口に、写真の「柏尾山薬師如来碑」がありました。この薬師如来碑の脇に「熊出没注意」の看板が!えぇ~っ!、こんな人気の多い所に熊が出るの?街道沿いの高台に、写真の「芭蕉翁甲斐塚」があり、塚には、県内最古(1762年)の芭蕉句碑「蛤(はまぐり)の生ける甲斐あれ年の暮れ」が建っていました。(句意:蛤のように殻を閉じたままに、世捨て人として俳句と旅に生きた自分は、これからもそうやって生きていくのに何の意味があるのだろうか、とこの年の暮れに思う。)更に国道20号を進むと、奈良時代の僧である「行基」が開創した、”ぶ...甲州街道を歩く(28-4:鶴瀬宿から勝沼宿へ③)(山梨県甲州市)5km2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28-3:鶴瀬宿から勝沼宿へ②)(山梨県甲州市) 2021.6.23 

    (写真は、柏尾古戦場跡の近藤勇像)鶴瀬宿を後にして、歩道が無い長柿洞門の脇を抜け、国道20号を歩いて行きます。上の写真の観音トンネル西の信号を右折して、国道20号から分かれて旧甲州街道に入ります。旧甲州街道の左手の崖の中程には、私がY字路の分岐を間違えたために行けなかった、あの観音堂から下りてくる狭い山道が見えます。旧甲州街道は、上の写真の様に、ここから右に大きく円形状に回り込み、下の写真の様にして、先程通って来た国道20号の下をくぐります。左手に「古跡・武田不動尊」の標柱と「石燈籠」があります。標柱の説明によると、ここは、織田信長の家臣の滝川一益に追い詰められた武田勝頼が、もはや最後と観念して、肌身離さず持っていた大切な不動尊を里人に託した場所なのだそうです。この崖の下にある「武田不動尊の祠」を見ようと、標柱...甲州街道を歩く(28-3:鶴瀬宿から勝沼宿へ②)(山梨県甲州市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28-2:鶴瀬宿から勝沼宿へ)(山梨県甲州市) 2021.6.23 

    (写真は、歩道が無い「長柿洞門」)鶴瀬宿を後にして、国道20号に合流して歩いて行きます。矢久保沢に架かる橋を渡ります。国道20号は、やがて中央高速道と並行して走るようになります。国道20号沿いの坂の上に真竜寺があり、真竜寺への参道口の上り坂が、志々久保バス停の脇にありました。真竜寺の参道口の坂を上って行くと、上の写真の農作業中のオジサンに出会ったので声を掛けて挨拶します。う~ん、挨拶しても返事がない?近視の私が近づいてよく見ると・・・、オジサンは案山子?でした。(-_-;)(真竜寺)国道20号に戻り、暫く歩くと、石段の奥に小社が祀られています。国道20号(甲州街道)を更に進むと、写真の「長柿(おさがき)洞門」が現れます。旧甲州街道は、この長柿洞門の手前の右手の上り坂です。この上り坂の先に、観音堂があるらしいです...甲州街道を歩く(28-2:鶴瀬宿から勝沼宿へ)(山梨県甲州市)2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 28:鶴瀬)(山梨県甲州市) 1km 2021.6.23 

    (写真は、武田勝頼公腰掛石)新横浜から八王子経由で、中央本線に乗り、「JR甲斐大和駅」で下車して、路線バスで前回のゴールの「日陰のバス停」へ向かいます。新横浜5:44→(JR横浜線)→6:30八王子6:35→(JR中央本線)→7:38甲斐大和8:05→路線バス→8:10日陰(JR甲斐大和駅)JR甲斐大和駅の駅前の跨線橋を渡った広場には、写真の「武田勝頼」像がありました。説明版によると、ここ甲斐大和は、武田勝頼が自害した武田家終焉の地だそうです。「JR甲斐大和駅」の前から路線バスに乗り、前回のゴールの「日陰バス停」で下車します。日陰バス停の「日陰」の以前の地名は、「駒飼」だったそうです。バス停の近くの私が宿泊を予定していた「旧旅籠・大黒屋サンガム」の向いに「甲州街道」の標柱があります。(旧旅籠・大黒屋サンガムにつ...甲州街道を歩く(28:鶴瀬)(山梨県甲州市)1km2021.6.23

  • 甲州街道を歩く( 27:駒飼)(山梨県甲州市) 2021.6.12

    (写真は、私が宿泊を予定していた「旧旅籠・大黒屋サンガム」)駒飼宿(こまかいしゅく)は、甲州道中最大の難所笹子峠を控え、大いに賑わいました。本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠6軒でした。次の、鶴瀬宿と合宿で、問屋業務は、毎月21日から月末までを駒飼宿が勤めました。雪解けの笹子峠を越えた甲陽鎮撫隊(新選組)の一行はこの駒飼宿に宿陣しました。ここで初めて、板垣退助が率いる政府軍によって、甲府城が奪取されたとの情報が知らされました。甲陽鎮撫隊の古参の約20名以外は、戦闘経験の無い烏合の衆だったので、この情報が隊員に知れ渡ると、脱走が相次いだそうです。(甲陽鎮撫隊については、「甲州街道を歩く:猿橋、日野、大月」を見てね。)矢立の杉をスタートして、笹子峠を越え、県道をひたすら下り続け、ようやく次の駒飼宿に到着しました。宿場町...甲州街道を歩く(27:駒飼)(山梨県甲州市)2021.6.12

  • 甲州街道を歩く( 26-4:黒野田・笹子峠③)(山梨県甲州市) 10km 2021.6.12

    (写真は、「笹子峠」の頂上の笹子峠道標)標高1,096メートルの笹子峠の頂上で一休みします。笹子峠の頂上には「笹子峠道標」があります。この笹子峠の遥か下を、中央自動車道の「笹子トンネル」が走っています。「笹子トンネル」の名前は、皆さん、一度は聞いたことがあるハズです?そう、あの2012年の「笹子トンネル・天井板落下」の悲惨な事故です!中央自動車道の笹子トンネルの中で、コンクリートの天井板が、130メートルにわたって落下し、走行中の車複数台が巻き込まれて9名も死亡した、日本の高速道路の最大の事故です!(この笹子峠と、笹子トンネルの位置関係については、文末の大きな地図を参照してください。)笹子峠道標の脇で一休みしてから、写真の「大和村日影・かいやまと駅」の道標に従い、ゆっくりと峠道を下りて行きます。直ぐに、上の写真...甲州街道を歩く(26-4:黒野田・笹子峠③)(山梨県甲州市)10km2021.6.12

  • 甲州街道を歩く( 26-3:黒野田・笹子峠②)(山梨県大月市) 2021.6.12

    (写真は、両側が急斜面の崖の険しい尾根道)股関節炎が回復しないままでの笹子峠越えになってしまったので、5街道踏破で初めてタクシーを利用しました。新横浜5:02→(JR横浜線)→5:48八王子5:51→(JR中央本線)→6:00高尾6:03→(JR中央本線)→6:39大月6:54→(JR中央本線)→7:12甲斐大和7:35→タクシー→8:10矢立の杉前回の無念のリタイアとなった「矢立の杉」の看板の前でタクシーを下ります。看板の脇の細い道を下りていくと、直ぐに前回の最終地点となった杉良太郎の矢立の杉の歌の黒い石碑がある場所に出ました。杉良太郎が寄進したという地蔵菩薩の脇の手を洗う手水(ちょうず)舎(上の写真の右上)の手前がY字路になっています。Y字路を左に進むのが旧甲州街道で、写真の様に甲州街道の道標があります。旧...甲州街道を歩く(26-3:黒野田・笹子峠②)(山梨県大月市)2021.6.12

  • 甲州街道を歩く( 26-2:黒野田:笹子峠①)(山梨県大月市) 2021.6.1

    (写真は「矢立の杉」)新田下バス停の先の甲州街道道標「矢立の杉笹子駅」を右折します。この分岐点が、甲州道中最大の難所笹子峠の登り口です!舗装道が終って土の道に変わり、木立の中に入って行きます。新田沢のせせらぎを聞きながら、林の中の峠道を進みます。上の写真の右手の新田沢砂防ダムの高い石垣に突き当たったので、この砂防ダムを大きく左に迂回しながら進みます。上の写真の様に、左手頭上に、県道の白いガードレールが現れました。少し進むと、この県道に上がれそうな、下の写真の石垣の上の道がありました。この石垣を上り、ガードレールの切れ目から県道に合流します。県道を右手に進み、車がほとんど通らない上り坂を歩いて行きます。新田沢を美久保橋で渡ります。県道のヘアピンカーブを進むと、「矢立の杉入口」があり、笹子峠自然遊歩道の案内標識があ...甲州街道を歩く(26-2:黒野田:笹子峠①)(山梨県大月市)2021.6.1

  • 甲州街道を歩く( 26:黒野田)(山梨県大月市) 2021.6.1

    (写真は、愛嬌のある表情の「笠懸地蔵」)「黒野田宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠14軒でした。「黒野田宿」は、「白野宿」と「阿弥陀海道宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、1日から15日までを黒野田宿が勤めました。黒野田宿は、甲州街道最大の難所・笹子峠を控えて大いに賑わいました。JR笹子駅前から、緩やかな上り坂の国道20号を暫く歩くと「黒野田宿」に入ります。宿場町の左手に愛嬌のある表情をした「笠懸地蔵」がありました。説明版によると、1855年の建立で、天明天保の大飢饉、それに続く農民一揆などによる窮乏を、この地蔵に心願したものだそうです。笠懸地蔵先の左手に、立派な門構えの「黒野田宿本陣跡」があります。この門の脇に、明治13年の巡幸の際に宿所となったことを示す「明治天皇行在所趾碑」がありました。1836年の...甲州街道を歩く(26:黒野田)(山梨県大月市)2021.6.1

  • 甲州街道を歩く( 25:阿弥陀海道)(山梨県大月市) 1km 2021.4.12

    (写真は、笹子峠の名物だった「笹子餅」)「阿弥陀海道(あみだかいどう)宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒でした。この前の宿場町の「白野宿」と、この次の宿場町の「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、16日から22日までを阿弥陀海道宿が勤めました。笹子川橋のバス停を過ぎ、笹子川を笹子川橋で渡ると「阿弥陀海道宿」に入ります。笹子川橋を渡り、橋の脇の狭い坂道を下りて行きます。上の写真の右側の家の先を右折して、突き当りの小山を回り込む山道を進みます。狭い山道の先に写真の「阿弥陀堂跡」がありました。この阿弥陀堂の狭い跡地には、写真の「阿弥陀堂跡碑」とたくさんの石仏などが建っています。奈良時代の名僧「行基」は、笹子峠に出没する悪霊を鎮めるために、この地にお堂を建てて、自ら彫った阿弥陀如来像を安置しました。行基...甲州街道を歩く(25:阿弥陀海道)(山梨県大月市)1km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 24:白野)(山梨県大月市) 3km 2021.4.12

    (写真は、修行僧に失恋した娘が、池に身を投げて「毒蛇」になったという「葦ケ池」の碑)「白野(しらの)宿」は、次の「阿弥陀海道(あみだかいどう)宿」と、その次の「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、23日から月末までをここ白野宿が勤めました。「白野(しらの)宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒でした。国道20号を天神山を左に迂回しながら進み、中央本線のガードをくぐると、右手に分かれる旧道がありますが、ここが「白野宿」の入口です。白野宿の東口から少し歩くと、「白野下宿」のバス停があります。バス停の先には、常夜燈、石仏、庚申塔など祀られていました。その庚申塔の先は、上の写真の「笹子公民館白野分館」ですが、その公民館の先に、下の写真左側の「元旅籠・よろず屋」(今泉家)があります。更に進むと、白野宿の2つ目...甲州街道を歩く(24:白野)(山梨県大月市)3km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 23:初狩)(山梨県大月市) 4km 2021.4.12

    (写真は、主君の武田勝頼を裏切って織田信長に付いたものの斬首されてしまった小山田信茂の首塚)前回の花咲宿を出たのちに、国道20号(甲州街道)から分れてJR中央本線沿いに歩いて行き、再び国道20号に合流する辺りが次の「下初狩宿」です。下初狩宿は、本陣2、脇本陣2、問屋1、旅籠12軒でした。この下初狩宿と次の中初狩宿とは、半月交代で問屋業務を勤める「合宿(あいじゅく)」でした。国道20号(甲州街道)沿いの右手の道路から一段低くなった場所に写真の「奥脇家本陣」跡があります。(この建物は、普通のお住まいになっているので、敷地内に立ち入ることは出来ません。)慶応年間(1865~68)の建築で、立派な門も残っています。この本陣前には、上の写真の「山本周五郎生誕之地碑」があります?説明版によると、「山本周五郎」は、明治36年...甲州街道を歩く(23:初狩)(山梨県大月市)4km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 22:花咲)(山梨県大月市) 2km 2021.4.12

    (写真は、「星野本陣遺構」)大月宿を出て国道20号を暫く歩いて行くと、左手に上の写真の「下花咲宿標柱」があり、この辺りから「下花咲宿」が始まります。「下花咲宿」は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠22軒でした。下花咲宿と上花咲宿とは、半月交代で問屋業務を勤める「合宿(あいじゅく)」でした。下花咲宿の宿場町を進むと、右手に、「星野本陣遺構」があります。江戸中期の建物で、国の重要文化財です。星野家は、代々、本陣を勤めていましたが、庄屋と問屋も兼ねていました。明治13年、明治天皇巡幸の際にここが休息所となり、建物の前には、写真の「明治天皇花咲御小休所碑」があります。「本陣遺構」の建物内部の見学は、残念ながら、現在、コロナのため中止です。でもご安心下さい?以前、「猿橋宿の猿橋」でご紹介したTV番組の「三宅裕司のふるさと探...甲州街道を歩く(22:花咲)(山梨県大月市)2km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 21:大月)(山梨県大月市) 2km 2021.4.12

    (写真は、旧甲州街道と富士山道の追分にある道標)(歌川広重「甲斐大月の原」:二玄社「歌川広重富士三十六景」から)大月の原は、大月宿の周辺にあったと思われますが、現在のどの辺りなのかよく分かっていません。大月辺りの甲州街道は、桂川の渓谷に沿って両側を山に挟まれているため、富士山を望むことは出来ませんので、おそらく桂川の対岸の山麓か高台から遠望したものと思われます。広重は、甲州をあちこち旅していますが、深山の道を進んで大月の原に至り、突然姿を現した富士山によほど感動したのでしょう。寂寥感が漂う晩秋の風景で、中程の広大なススキの野原の向こうの山脈から、雪に覆われた富士山が顔を出しています。近景には、桔梗(ききょう)や女郎花(おみなえし)などの秋の草花を配し華やかな感じです。(JR中央本線大月駅)(富士急大月駅)JR中...甲州街道を歩く(21:大月)(山梨県大月市)2km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 20:駒橋)(山梨県大月市) 1km 2021.4.12

    (写真正面の山は、落ち延びる武田勝頼が、家臣の裏切りにより入城を拒否された「岩殿山城」)前回の猿橋宿を抜けて、ひたすら旧甲州街道を歩き続け、山梨中央自動車の所から斜め右の下り坂に入ります。ダンプの排ガスから逃れて、長閑な旧甲州街道を進み、相模川水系の熊沢を宮田橋で渡ります。上の写真の大西商店の向いに、下の写真の1861年建立の庚申塔がありました。大月駒橋郵便局を過ぎると緩い上り坂になります。「駒橋発電所送水管」を越したら、斜め左の上り坂に入ります。JR中央本線を第五甲州街道踏切で横断します。踏切の先の上り坂を進み国道20号に合流するのと同時に、下の写真の様に、直ぐに、横尾橋バス停の所から斜め右に入ります。もう、「駒橋宿」に到着です。「駒橋宿」は、問屋1、旅籠4軒のみの小さな宿場町で、宿場の横を流れる桂川の対岸に...甲州街道を歩く(20:駒橋)(山梨県大月市)1km2021.4.12

  • 甲州街道を歩く( 19:猿橋)(山梨県大月市)  2021.4.6

    (写真は、名勝「猿橋」)前回の鳥沢宿を抜けて、ひたすら旧甲州街道を歩き続けていると、街道の脇に、上の写真の様に、猿橋の矢印が出ていました。左手の階段を覗き込むと、眼下に猿橋が見えます。階段の下には、上の写真の「うき我を淋しがらせよかんこ鳥」の「芭蕉句碑」が建っていました。(句意:その寂しい鳴き声で世を辛く思う閑古鳥よ、孤独な私を寂しがらせておくれ。その寂しさの中に浸りたいのだ。)猿橋の眼下には美しい桂川の渓谷が望めます。橋から下を覗くと、余りの高さに、高所恐怖症の私は、足がすくんでしまいました・・・江戸時代に、こんなに深い渓谷に橋を架けたなんて、改めて凄い技術だな、と感心しました。この桂川は、笹子川を吸収して相模國に入ると、相模川と名を変え、河口近くでは馬入川となり相模灘に注いでいます。猿橋を渡り終わると、橋の...甲州街道を歩く(19:猿橋)(山梨県大月市)2021.4.6

  • 甲州街道を歩く( 18:鳥沢)(山梨県上野原市)  2021.4.6

    (写真は、鳥沢宿の町並み)話は少し戻りますが、3月21日の2回目の非常事態宣言の解除を受けて、甲州街道踏破を再開しました。(因みに、4月20日の横浜市の蔓延防止措置を受けて、現在は街道歩きを中止しています。)甲州街道踏破も、現在は、山梨県内を歩いており、1日中ほとんど人と会う機会もないので3密の心配はないのですが、そこまでの電車での往復にリスクがあります。そこで、行きは新横浜を始発電車で、帰りは早めに切り上げて通勤通学時間帯の前に引き上げる様にしました。お陰で、電車は往復ともガラガラでした。前回のゴールの中央本線の「JR鳥沢駅」で下車して、甲州街道踏破の再開です。(JR鳥沢駅)駅の近くのメインストリート沿いに、気付かずに通り越してしまいそうな少し朽ちた「一里塚跡鳥沢」標柱があります。日本橋から22里目(88キロ...甲州街道を歩く(18:鳥沢)(山梨県上野原市)2021.4.6

  • バスで行く「奥の細道」(その56-2) 立石寺②(山形県) 2020.11.16

    (左の写真はJR山寺駅からの山寺の全景で、右の写真はその五大堂の部分を望遠で拡大したもの。)銀山温泉に2泊した翌日は、前回ご紹介した様に、午後から「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句で有名な「立石寺」に出掛けました。話は、その日の朝に遡ります。(旅館の朝食)旅館の朝食を済ませ、温泉街を抜けて、路線バスのバス停へ向かいます。バスの時間まで、温泉街の入口にある上の写真の足湯に浸かります。路線バスの始発で、JR大石田駅に向かいます。途中、バスの車窓から、懐かしい尾花沢の「芭蕉・清風歴史資料館」がチラリと見えました。(上の写真の赤丸印)(「芭蕉・清風歴史資料館」については、「尾花沢」を見てね。)JR大石田駅で下車します。大石田駅は、鳴子温泉、尾花沢などの訪問の際に乗降しましたので、何と!6回もこの駅で乗降したことになり、見...バスで行く「奥の細道」(その56-2)立石寺②(山形県)2020.11.16

  • バスで行く「奥の細道」(その56) 立石寺(山形県) 2020.11.16 

    (写真は、立石寺の開山堂)銀山温泉に2泊した翌朝、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句で有名な「立石寺」(寺山)を見に行きました。「曽良旅日記」によると、尾花沢に10日間滞在した芭蕉は、尾花沢の人々に、「一度は見ておいたほうが良い」と勧められ、七里(28キロ)を歩いて、その日の午後に「立石寺」(りゅうしゃくじ)に到着しました。到着時には、日はまだ暮れていなかったので、山の麓の宿坊に宿を借りて、山上にあるお堂に登りました。28キロも歩いて立石寺に着くと、そのまま千余段もある石段を登った訳ですから、芭蕉は大変な健脚だったのでしょうね。立石寺は、別名を山寺(やまでら)といい、慈覚大師円仁が開山した天台宗の古刹です。芭蕉が訪れた頃には、1,420石の朱印寺領を有し、僧坊100人以上を抱える大寺でした。芭蕉は、「奥の細道」に...バスで行く「奥の細道」(その56)立石寺(山形県)2020.11.16

  • 銀山温泉(2泊目) (山形県)  2020.11.15     

    (写真は、夜の銀山温泉の旅館街)銀山温泉に1泊した翌早朝に、最上川下りの送迎バスに迎えに来てもらい、午後、予定より早く、泊まっている旅館に戻って来ました。送迎バスのお陰で、効率よく最上川下りの往復が出来たので、午後は銀山温泉の奥の方を散策します。銀山温泉街の奥には「白銀公園」という1時間ほどの散策コースがあります。公園には、写真の高さ20メートルの「白銀の滝」があり、マイナスイオンを浴びて気持ちがいいです。この白銀滝の目の前にあるのが上の写真の「瀧見館」で、「滝見亭」として、滝を見ながらの蕎麦屋として流行っているみたいです。白銀の滝の横には、400年前に賑わった延沢銀山の面影が残る「銀坑洞(ぎんこうどう)」(国指定史跡)があります。洞窟の中はライトアップされているみたいなので入り口から中に入ってみます。入場無料...銀山温泉(2泊目)(山形県)2020.11.15

  • バスで行く「奥の細道」(その55) 最上川下り(山形県) 2020.11.15 

    (写真は、最上川下りの船からの紅葉)「新庄」の豪商であり俳人の「風流」の邸宅に泊まった芭蕉は、新庄の「本合海」(もとあいかい)から、最上川下りに乗船しました。(新庄での芭蕉については、「新庄」を見てね。)本合海(もとあいかい)は、かつて、最上地方と庄内地方との間に陸路がなかった時代に、舟運の中継地として栄えていました。芭蕉は、実際に舟に乗ってみて、最上川の風景に心を揺さぶられ、「奥の細道」に以下の様に記載しています。「左右山覆い、茂みの中に舟を下す。白糸の滝は、青葉の隙(ひま)々に落ちて、仙人堂、岸に臨んで建つ。水みなぎって、舟危うし。”五月雨を(さみだれを)集めて早し最上川”」私は、銀山温泉に1泊した翌朝、宿泊している旅館に、最上川下りの送迎バスが迎えに来ました。送迎バスの車窓から、芭蕉が乗船したという「本合...バスで行く「奥の細道」(その55)最上川下り(山形県)2020.11.15

  • 銀山温泉 (山形県)  2020.11.14 

    (写真は、銀山温泉の旅館街)前回は、鳴子温泉に1泊して、尿前の関、封人の家、尾花沢、大石田、新庄と芭蕉の足跡をたどりました。今回は、銀山温泉に2泊して、「最上川下り」と「山寺」の芭蕉の足跡をたどる予定です。東京9:40→(山形新幹線)→11:49大石田12:15→(送迎バス)→13:01銀山温泉(東京駅)昼前に、山形新幹線のJR大石田駅で下車します。大石田駅は、鳴子温泉、尾花沢などの訪問の際に乗降しましたので、何と!5回もこの駅で乗降したことになり、故郷に帰ってきた様な錯覚に陥ります・・・大石田駅からは、宿の送迎バスで、運転手さんの観光案内を聞きながら銀山温泉に向かいます。40分余りで、銀山温泉着くと、そこは、異次元にタイムスリップした様な別世界の温泉街でした。大正末期から昭和にかけて建てられた木造建築が川沿い...銀山温泉(山形県)2020.11.14

  • バスで行く「奥の細道」(その54) 新庄(山形県) 2020.10.24  

    (写真は、新庄城跡)前回ご紹介した「大石田」を立った芭蕉は、陸路で、「新庄」に入り、ここで2泊しました。「新庄」では、「渋谷甚兵衛」(俳号:「風流」)宅に泊まりました。これは、「大石田」の「一栄」が、「風流」が新庄への来訪を熱望している旨を、芭蕉に伝えたからでした。「風流」は、新庄の豪商であり俳人でした。芭蕉は、「風流」の兄の「九郎兵衛」(俳号:「盛信」)宅で、新庄の城下の俳人達と句会を催し、訪問の挨拶として、下記の2句を読んでいます。”水の奥氷室尋る(ひむろたずぬる)柳哉(やなぎかな)”(盛信宅は、柳の陰に小川が流れている。夏というのになんと冷たい水だ。氷室から流れ出してくるのであろう。)(これは、新庄に到着した日が、暑気払いの「氷室の節句」に当たったので、「氷室」という言葉を入れて、「風流」の接待に感謝の気...バスで行く「奥の細道」(その54)新庄(山形県)2020.10.24

  • バスで行く「奥の細道」(その53) 大石田(山形県) 2020.10.24 

    (写真は、大石田の舟番屋跡)前回は、JR大石田駅前からタクシーに乗り、「尾花沢」の「芭蕉・清風歴史資料館」と「養泉寺」を見学しました。今回は、この尾花沢からタクシーに乗り、JR大石田駅前に戻ります。(JR大石田駅)「大石田」は、江戸時代、最上川の舟運の最大の中継地で、大量の紅花が集荷され、日本海側の酒田へ下り、更に、海路を上方や江戸へ運ばれ大いに繁栄しました。川船の発着所(河港)として栄えた「大石田」には、「川船役所」(船番所)が置かれました。一方、上方や江戸からは、最先端の文化がもたらされていました。しかし、明治時代になると、蒸気機関車の発達により、最上川の舟運の歴史は幕を閉じました。「芭蕉」は、「大石田」で「最上川下り」の乗船をしようとしますが、最上川の増水のため、大石田で水位が下がるのを待つことになりまし...バスで行く「奥の細道」(その53)大石田(山形県)2020.10.24

  • バスで行く「奥の細道」(その52) 尾花沢(山形県) 2020.10.24 

    (写真は、尾花沢の「芭蕉・清風歴史資料館」)前日に、強風と横殴りの雨の中を「尿前の関」と「封人の家」の見物して、鳴子温泉に1泊しました。(ホテルの朝食)翌朝、鳴子温泉のホテルの送迎バスに乗り、芭蕉が10泊もしたという「尾花沢」へ向かいます。昨日の激しい風雨が嘘の様に、今朝は、気持ちの良い秋晴れとなりました。(JR大石田駅)ホテルの送迎バスをJR大石田駅前で下りて、駅前からタクシーに乗り、「尾花沢」の「芭蕉・清風歴史資料館」で下ります。(タクシー1,380円)(「尾花沢」の「芭蕉・清風歴史資料館」)堺田の「封人の家」に2泊した芭蕉は、刀を差した屈強な若者の案内で、昼でも暗く、山賊が出るという「山刀伐(なたぎり)峠」を越え、無事に「尾花沢(おばなざわ)」の「鈴木清風」宅に着きました。「奥の細道」:「尾花沢にて清風と...バスで行く「奥の細道」(その52)尾花沢(山形県)2020.10.24

  • 鳴子温泉 (宮城県)  2020.10.24

    (写真は、紅葉の名所「鳴子峡」)強風と横殴りの雨の中を、「尿前の関」と「封人の家」の見物を何とか終わり、鳴子温泉駅に戻って来ました。駅前には足湯(無料)が上の写真の様に設置されています。鳴子温泉は、”日本三大こけし発祥の地”ということで、温泉街のあちらこちらに「こけし」の姿があります。駅周辺の飲食店で遅い昼食を食べます。話は少し戻ります。封人の家へ向かうため鳴子温泉駅から「奥の細道号」に乗車しましたが、鳴子温泉駅を出ると、電車は直ぐにトンネルに入ります。そのトンネルの前で、紅葉の名所の「鳴子峡」がチラリと見えるので、シーズン中は減速運転をしてくれます。車窓からは、一面の紅葉と渓谷に架かる「大深沢橋」が、上の写真の中央に小さく望めます。上の写真は、その「大深沢橋」から、「奥の細道号」がトンネルに入る瞬間を捉えた写...鳴子温泉(宮城県)2020.10.24

  • バスで行く「奥の細道」(その51) 封人の家(山形県) 2020.10.24

    (写真は、「封人((ほうじん)の家」の馬屋)前回は、強風と横殴りの雨の中を、延々と歩いて、何とか「尿前(しとまえ)の関」を見物しました。「尿前の関」からホテルに戻り、ずぶ濡れになった服を全て着替え、芭蕉が3泊もしたという「封人((ほうじん)の家」へ向かいます。ホテルを出て、JR鳴子温泉駅から、陸羽東線の「奥の細道号」に乗ります。JR鳴子温泉駅から「奥の細道号」で2駅先の堺田駅で下車します。堺田駅の目の前に、写真の「堺田分水嶺(ぶんすいれい)」広場があります。堺田分水嶺で分かれた水脈は、西側(山形県側)は、最上川を経て日本海へ、東側(宮城県側)は、北上川を経て太平洋へ注ぎます。分水嶺の多くは、山岳の稜線などにありますが、この分水嶺のように、平坦な堺田の集落の中にあるのは、全国でも珍しいそうです。上の左端の写真の石...バスで行く「奥の細道」(その51)封人の家(山形県)2020.10.24

  • バスで行く「奥の細道」(その50) 尿前の関(宮城県) 2020.10.24

    (写真は、尿前(しとまえ)の関)2017年10月から2年間、私は、旅行社の「バスで行く奥の細道」に参加しました。このバス旅行は、2か月に1回の開催で、毎回2泊3日でした。スタートの「深川」から、約2,400キロ、ゴールの「大垣」まで、2年間もの超長旅だったので、参加メンバーの15名とはすっかり親しくなりました。ただ、心残りだったのは、平泉から山形の湯殿山までの間の立石寺や最上川については、メンバーの皆さんが複数回行ったことがあるということで、これらを飛ばしてしまったことでした。この飛ばした区間がずっと気になっていたので、昨年の秋に思い立って、この奥の細道の未制覇区間を3泊4日で訪れて来ました。以下に、この「奥の細道」の未制覇区間の昨年秋の旅行について、今回からシリーズで連載します。東京9:40→(東北新幹線)→...バスで行く「奥の細道」(その50)尿前の関(宮城県)2020.10.24

  • 甲州街道を歩く( 17-2:犬目)(山梨県上野原市) 4km   2020.11.24

    (写真は、犬目峠からの富士山)県道30号(旧甲州街道)をどんどん下って行くと、正面に「恋塚の一里塚」が現れました。「恋塚一里塚」は、日本橋から21里(84キロ)で、塚の大きさは直径12メートル、高さ5メートルもあります。この一里塚は、江戸時代には、南塚の塚木は杉で、北塚の塚木は松だったそうです。写真は、現存する南塚ですが、塚木の杉は残っていません。この恋塚一里塚から、県道30号(旧甲州街道)をどんどん下って行きます。やがて旧甲州街道は、一旦、県道30号から分かれて、「馬宿」の集落に入ります。分岐した旧道を進むと、上の写真の大庭家の「馬宿」跡の大きな建物があります。大庭家は、江戸時代には、百姓代(ひゃくしょうだい)を務めていたそうです。百姓代とは、村方三役のひとつで、組頭(年寄)や名主(庄屋)の不正を監視する役で...甲州街道を歩く(17-2:犬目)(山梨県上野原市)4km2020.11.24

  • 甲州街道を歩く( 17:犬目)(山梨県上野原市)  2020.11.24

    (写真は、尾張の殿様の定宿)甲州街道の難所「座頭転がし」を無事に抜けると、歩いて来た矢坪旧道の西口にあたる新田に出ました。この新田の辺りは、「犬目宿」の東側にあたり、写真の立派で長い塀の旧家があります。この家が、尾張藩主の常宿だった「陣屋」跡です。この陣屋は、代々、米山伊左衛門を名乗り、尾張藩主の定宿を勤めると共に、庄屋も兼ねていました。陣屋の脇の道端に、上の写真の「念佛石経塔」と「庚申供養塔」がありました。尾張藩主御常宿から先に進むと、一旦、犬目宿の東側の集落が途切れます。旧甲州街道の下り坂を進んで行くと、県道30号に合流します。更に進むと、集落が見え始め、下の写真の無人の野菜売りもあります。集落の中を進んで行くと、上の写真の「犬目宿碑」がありました。この辺りが、犬目宿の西側で、西側の集落には、本陣や問屋など...甲州街道を歩く(17:犬目)(山梨県上野原市)2020.11.24

  • 甲州街道を歩く( 16-2:野田尻)(山梨県上野原市) 4km   2020.11.24

    (写真は、甲州街道の難所「座頭転がし」)野田尻宿を出て、県道30号沿いに、西光寺、荻野一里塚跡を過ぎ、どんどん進んで行くと、やがて荻野の集落に入りました。荻野の集落を抜けると、県道30号は、中央高速沿いになりました。やがて、この中央高速を「矢坪橋」で渡ります。「矢坪橋」を渡ると、上の写真の「大乗妙典(だいじょうみょうてん)日本廻国(かいこく)供養塔」(1813年建立)がありました。「大乗妙典日本廻国供養塔」とは、江戸時代に、全国六十六ケ国を巡礼し、一国一ケ所の霊場に、法華経を一部ずつ納め終えた行者が、その納経達成を記念して建てた塔です。「矢坪橋」の先の「矢坪坂」を上って行き、上の写真の右手のスロープの「矢坪旧道」に入ります。その矢坪旧道の入口に、写真の「矢坪坂の古戦場跡」の説明板がありました。説明板によると、1...甲州街道を歩く(16-2:野田尻)(山梨県上野原市)4km2020.11.24

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