こんばんわいつも「北大阪発!服部の駅巡り日記」をご覧いただきましてありがとうございます本日4月26日は、当ブログにとってメモリアルデーとなります2009年4月26日にgooで駅巡りブログを開設してから今日で15年が経ちました2012年に今のライブドアブログに移転しましたが、
江戸川区北部の住宅密集地に駅があり、駅の北へ1.5㎞ほど行った所には京成小岩駅も立地しています。実質江戸川区の中心駅的役割をしているようで、他に乗り換え路線のない総武線単独駅の中では一番利用者の多い駅となっています。駅舎メイン側の南口駅舎。シンプルな高架駅舎
新城市東側の少し大きめな集落の中に駅があり、近年は新東名・東名に連絡する三遠南信自動車道のインターも近くに完成しています。飯田線の前進である旧鳳来寺鉄道の終着駅となっており、ここから天竜峡までの区間は旧三信鉄道の区間に入っていきます。駅舎謎のデザインが施
葛飾区南端の住宅地に駅があり、総武快速線も停車する駅と言うこともあって、葛飾区内の駅の中では一番利用者が多い駅となっています。10年程前は人身事故が多い駅として悪い意味で知名度の高い駅でしたが、2018年に総武快速線ホームへホームドアが設置されて以降は人身事故
周囲を山と川に囲まれた小さい集落の近くに家がありますが、駅周辺はほとんど家もなく利用者もほぼ皆無な駅となっています。2019年以降は行楽シーズンに運転される急行秘境駅号が停車するようになり、秘境駅として近年は売り出し中の駅となっています。駅入口駅舎もなく、細
江戸川区西端の旧中川と荒川に囲まれた住宅地に位置しています。乗り換え路線も無く他の駅と比べると少し小さめの駅ですが、都内の重要幹線の駅と言うこともあり、利用者はそこそこ多くなっています。駅舎駅ビルのある南口駅舎、2018年にシャポーロコ平井なる商業施設の入居
駅の北側にはキャンプ場などが存在する愛知県民の森が立地しており、昭和54年に行われた全国植樹祭の際は昭和天皇・香淳皇后を乗せたお召列車がこの駅まで運転されたそうです。当然というか案の定というか、県民の森利用者の大半は自動車となっており、鉄道利用者はほとんど
江東区北東部の下町と繁華街が混在したようなエリアに駅があり、東武亀戸線との乗換駅にもなっています。この駅から東京メトロ東西線南砂町駅付近を経由して越中島貨物駅までを結ぶ越中島貨物線が分岐しており、実現には程遠いですがこの線路をLRTとして整備する構想もあった
駅名通り、駅周辺は川沿いに温泉旅館が立ち並ぶ温泉街となっており、利用者はかなり少ないですが特急列車も停車しています。最近まで開業当初の古い駅舎が建っていたことで有名でしたが、2019年に解体されています。駅入口駅舎が解体されて以降、新しく駅舎が建てられること
墨田区南部に位置し、駅周辺はマルイなどの商業施設も隣接する都内東部エリア最大規模の繁華街となっています。千葉方面から来た快速列車と普通列車はこの駅で東京方面・新宿方面へ分岐していくため、ラッシュ時にはそれぞれの列車に乗り換える利用者で大混雑しています。駅
宇連川と山に囲まれた場所に駅があり、駅前は国道が通っており交通量は多くなっています。駅周辺は明治時代は街道沿いの宿場町として栄えた土地で、鉄道開業当初はかなり賑わいを見せていたようですが、現在では田舎の住宅地が隣接するだけの小駅となっています。駅舎鳳来寺
隅田川沿いの下町の中に駅があり、駅前には両国国技館や奇抜な形をした江戸東京博物館が立地しています。今でこそ総武線各駅停車のみの停車となっている駅ですが、1972年の総武線東京延伸前までは千葉方面に向かう特急列車の多くがこの駅始発となっており、多くの列車で賑わ
旧南設楽郡鳳来町の中心駅で、特急列車も停車する主要駅となっているほか、普通列車の一部がこの駅止まりとなっています。1960年代までは設楽町の三河田口駅までを結ぶ豊橋鉄道田口線が分岐していましたが、度重なる水害により長期運休となり1968年に全線廃止となっています
台東区南端の下町とオフィス街の混在するような場所に駅があり、都営浅草線との乗換駅にもなっています。駅名の元になった浅草橋は駅の南側を流れる神田川を渡る橋の名前となっています。駅舎高架駅となっており、駅舎は高架から道路を挟んで向かい側に設置されています。か
大海駅から大きく迂回をしていた豊川を渡り、旧南設楽郡鳳来町エリアに入っていきます。駅名の通り、長篠の合戦の舞台となった長篠城跡の最寄り駅となっており、駅から西へ600m程行った所にあります。駅舎長篠城を模したであろう和風な小さい駅舎です。仕様はほかの小駅と変
東京都中央区の北東部端に位置し、通路を介して都営地下鉄馬喰横山駅や東日本橋駅とも乗り換え可能となっています。駅周辺は古くからの繊維系問屋街となっており、大通りの裏手には多くの服屋が立ち並んでいます。馬喰町交差点そばの1番出口いずれの出入り口もビルの1階部分
大海駅から大きく線路が迂回した先の田園地帯に駅があり、駅名は長篠の合戦の際に名を馳せた鳥居強右衛門の最期の地であることから取られています。昔から利用者もあまりいなかったのでしょうか、昭和40年代には無人化されていたようです。駅入口1990年代後半まで駅舎があっ
日本橋エリア北西部分に駅があり、山手線神田駅も比較的近い位置に立地しています。駅周辺はオフィス街が広がっており、平日はビジネスマンの姿が見られますが土日は人通りもほとんどおらず閑散としています。駅入口室町3丁目の交差点そばにある4番出口、ここから少し南に行
開業から戦前の国有化前は豊川鉄道と鳳来寺鉄道の境界駅となっており、駅名も長篠駅を名乗っていました。この駅から2つ隣の長篠城駅までの間は、いびつな形で流れている豊川を避けるために南側に大きく迂回をしています。駅舎かつての主要駅らしい大きな平屋駅舎です。国鉄末
東海道新幹線の高架下に駅があり、湘南新宿ラインの快速列車は通過する駅となっています。駅周辺は住宅地で利用者もそこまで多くなく、都内のJR駅にしては静かな雰囲気が漂っています。駅舎国鉄末期の開業時に建てられた高架駅舎となっています。駅名標駅ホーム相対式2面2線
新城市東部の旧東郷村にある駅で、駅周辺は工場やまとまった集落が点在しています。開業当初は川路駅を名乗っていましたが、国有化された際に同じ飯田線内の伊那電気鉄道区間にも川路駅があったことから現在の駅名に改称されています。駅舎東海でよくあるコンクリート造りの
川崎市中原区の中央部にある駅で、東急東横線との乗換駅となっています。元々JRは南武線の駅しかない駅でしたが、2010年に横須賀線の駅が開業して以降、駅周辺は多くのタワーマンションが多く建ち並んでおり、通勤ラッシュ時には改札制限も行われるほどの混雑となっています
新城市街地の外れの住宅地の中に駅があり、この駅から先は再び田園地帯に入っていきます。茶臼山自体はこの駅から北東へ30㎞ほど離れた愛知と長野の県境付近にある山で、駅名については長篠の戦いで織田信長がこの駅の近くに置いた茶臼山本陣の名前からきているようです。駅
川崎市幸区北部の住宅地に駅があり、南武線鹿島田駅が近いところにあることから武蔵小杉駅開業前は乗り換えの需要もあったようです。駅周辺はかつての鶴見操車場跡の再開発が進められており、駅南側にはタワーマンションも多く建ち並んでいます。駅舎一見平屋駅舎っぽい佇ま
新城市街地から比較的近い住宅地の中に駅があり、駅前を県道が走っていることもあって、隣の新城駅より賑わいがある印象です。一時は無人化の話も浮上していましたが、利用者もそこそこいることもあって新城市の委託駅として現在も有人駅で営業しています。駅舎2000年代後半
大船エリアと鎌倉エリアの丁度中間地点に位置し、駅周辺は森が多い住宅街となっています。鎌倉五山と言われる禅宗の寺院群をはじめとした寺院が多く立地するエリアとなっており、近年は鎌倉駅に並んでこちらも観光客の姿が非常に多くなっています。駅舎駅周辺の雰囲気に溶け
新城市の中心駅で、駅周辺は古くからの商店街が広がるエリアとなっています。豊橋から来た一部列車はこの駅で折り返しとなり、この駅以東は更に列車本数が減ってローカル線の様相を出していきます。駅舎市の中心駅ということもあって大きな駅舎となっています。駅前は古い雰
鶴岡八幡宮をはじめとした観光地への玄関口であるほか、由比ヶ浜や江の島方面を結ぶ江ノ電との乗換駅となっており、観光シーズンは入場規制が行われるほど多くの観光客で賑わっています。駅名の通り、鎌倉市の中心駅となっていますが、利用者数自体は市の北端にある大船駅が
新城市西部の住宅地の中に駅があり、駅の裏手には横浜ゴム新城工場が広がっています。武田信玄最後の戦の舞台である野田城から取られましたが、野田城跡は駅から西へ1.4㎞と若干離れた場所にあります。駅舎開業当時の古い木造駅舎が残っています。駅名標駅ホーム相対式2面2線
JR線における逗子市の中心駅となっており、湘南新宿ラインの列車や横須賀線列車の多くがこの駅止まりとなっています。新逗子駅改め京急逗子・葉山駅は当駅から南へ300m程行った位置に立地していますが、利用者数はJRの方が倍以上多くなっています。駅舎メイン側の東口駅舎、
豊川市東端の田園地帯に駅があり、駅東側を流れる小川を越えると新城市に入っていきます。駅周辺は特に何もなく、駅も列車発着時に数人利用者の出入りがあるのみとなっています。駅舎公衆トイレ風、コンクリート造りの駅舎です。JR東海ではよく見られるこの手の駅舎ですが、
逗子市東部の新興住宅地の中に駅があり、車窓からは山沿いに家が密集する神奈川らしい風景が見られます。戦後間もない頃に地元の駅建設運動もあり1952年に開業した横須賀線内では比較的新しい駅となっています。駅舎小さい平屋駅舎となっています。開業から半世紀以上が経過
豊川沿いの高台に位置する駅で、駅周辺にはいくつか集落が点在しています。駅規模が小さいこともあってなのか、戦後の国有化後15年程は飯田線内及び名古屋・長野近辺発着の旅客のみ乗下車可能という制限が付けられていたようです。駅入口駅舎は無く、ホームだけの駅となって
駅北側を海、残り3方を山に囲まれた場所に駅があり名前の同じ京急田浦駅はこの駅から北西へ1.7㎞ほど離れた場所となっています。駅の両端をトンネルに挟まれた立地となっており、11両編成の列車は先頭車両はドアカットが行われています。駅舎古くからの橋上駅舎となっていま
森と川に囲まれた住宅地の中に駅があり、昭和初期には飯田線の前進である豊川鉄道系列の遊園地もあったようです。主要駅と言うわけでもありませんが、1日1本この駅で折り返す列車も設定されています。駅舎2002年に完成した公衆トイレのようなコンクリート造りの駅舎です。駅
JR線内における横須賀市の中心駅となっていますが、市内中心部は京急横須賀中央駅周辺となっており、こちらはあまり賑わいはありません。駅前はすぐ海が広がっており、海上自衛隊横須賀地方総監部がそばにあることから海自の船も多く眺めることができます。駅舎少し洋風な雰
豊川市東部の住宅地に位置し、駅名の由来にもなった三河国一之宮こと砥鹿神社は駅から東へ700m程行った所にあります。この駅を過ぎると車窓風景も田園地帯や山間部の景色へと変わっていきます。駅舎開業当初からの古い木造駅舎となっています。デザインは砥鹿神社を模した感
横須賀市中央部あたりの衣笠エリアに駅があり、駅周辺は商店街や住宅地が多く密集するエリアとなっています。京急の駅からも大きく離れた立地なこともあり、利用者数はそれなりに多くなっています。駅舎久里浜駅の駅舎を少し小さくした感じの駅舎となっています。駅名標駅ホ
豊川市の中心駅で、名鉄豊川稲荷駅も当駅の脇に隣接しています。豊橋からこの駅までは日中1時間4本の比較的高頻度運転となっていますがこの駅を境に列車本数も半減となり、だんだんとローカル線の様相を漂わせてきます。駅舎1990年代後半に完成した橋上駅舎となっています。
● 久里浜駅 京急線乗り換え ● 衣笠駅 ● 横須賀駅 ● 田浦駅 ● 東逗子駅 ●● 逗子駅 京急線乗り換え ●● 鎌倉駅 江ノ電乗り換え ●● 北鎌倉駅 ●● 大船駅 東海道線、根岸線、湘南モノレール乗り換え ●● 戸塚駅 東海道線、横浜市営地下鉄
横須賀市南東部の久里浜エリアにある駅で、駅周辺は空き地が広がり寂しい雰囲気が漂っています。駅南東には京急久里浜駅が立地していますが、駅前の発展具合及び都内への列車本数、運賃、所要時間共に京急より劣っているため、利用者数は京急の1/3以下となっています。駅舎開
豊川市の市街地南側の住宅地に駅があり、特急が通過する小駅の中では数少ない有人駅となっています。近年は駅南側を走る国道沿いにロードサイド型店舗も多く進出し賑わいを見せていますが、残念ながら利用者増加にはつながっていないようです。駅舎大きな三角屋根の駅舎とな
豊川放水路すぐそばの住宅地に駅があり、列車本数もそれなりにありますが、利用者数は近くにある西小坂井駅や名鉄伊奈駅と比べると少なくなっています。昭和29年まではこの駅から名鉄伊奈駅までを結ぶ名鉄の支線も存在したようで、現在でも航空写真などを見ると名鉄の線路に
船町駅を過ぎて豊川を渡ってすぐの位置に駅があり、この駅も船町駅同様一部普通列車は通過となっています。利用者数は隣の船町駅よりは多くなっていますが、駅周辺は川と規模の小さい集落が点在するのみであまり賑わいはありません。駅入口豊川の築堤を越える関係で、駅設備
豊橋市郊外にほど近い住宅地の中に駅があり、利用者数が少ないこともあってか普通列車でも長距離列車の多くがこの駅を通過しています。東海道線が駅横を並走しているほか、飯田線の線路を名鉄が共用している特殊区間ともなっており、駅ホームからは多くの通過列車を眺めるこ
● 豊橋駅 東海道新幹線、東海道線、名鉄乗り換え│ 船町駅│ 下地駅│ 小坂井駅│ 牛久保駅● 豊川駅 名鉄乗り換え│ 三河一宮駅│ 長山駅│ 江島駅│ 東上駅│ 野田城駅● 新城駅│ 東新町駅│ 茶臼山駅│ 三河東郷駅│ 大海駅│ 鳥居駅│ 長篠城駅●
「ブログリーダー」を活用して、服部さんをフォローしませんか?
こんばんわいつも「北大阪発!服部の駅巡り日記」をご覧いただきましてありがとうございます本日4月26日は、当ブログにとってメモリアルデーとなります2009年4月26日にgooで駅巡りブログを開設してから今日で15年が経ちました2012年に今のライブドアブログに移転しましたが、
つくば市南部の谷田部エリアに位置する駅で、ここから先いよいよつくば市に入っていきます。駅周辺はマンションやスーパーなどの商業施設も立地していますが、駅から少し離れると古くからの田園地帯が広がっています。駅舎意外とつくばエクスプレス線内で見かけることの無か
常総ニュータウンに位置するつくばみらい市唯一の鉄道駅で、この駅も他の駅同様住宅開発が進められています。2005年8月の開業から2006年3月のつくばみらい市発足までの約半年間はつくばエクスプレス線内唯一の村(谷和原村)に存在する駅でした。駅舎掘割構造の地下駅舎とな
茨城県南西部にある守谷市の中心駅で、秋葉原方面から来た普通列車の多くがこの駅止まりとなっています。関東鉄道常総線との乗換駅で、関東鉄道から都心方面の乗り換え客もかなり多くなっています。駅舎主要駅らしい巨大な高架駅舎です。流山おおたかの森同様、乗り換え路線
大阪市西区西端の下町の中にある駅で、駅前は商店街も広がっており賑わいを見せています。2009年に阪神なんば線の開業により乗換駅となって以降、利用者数も増加傾向となっています。駅入口商店街そばの東側出入口。昼間は利用者も多く人の往来も激しいです。阪神側の西側出
JR大阪環状線との乗換駅で、地下鉄の線路がJRの高架を跨いでいるという何ともおかしな光景を見ることができます。駅周辺は朝潮橋同様、古くからの住宅街が立ち並ぶエリアとなっていますが、一部では再開発も行われており高層マンションも立っています。駅入口駅南側にある3番
港区中部の古くからの住宅地の中に駅があり、開業当初は中央線の車庫も設置されていました。駅北側には大阪プールや中央体育館も立地し、スポーツの国際大会やイベント開催時は多くの利用者で賑わっています。駅入口駅西側にある2A出口。1996年の大阪プール・中央体育館完成
駅名の通り大阪港エリアに駅があり、1961年の開業からコスモスクエア延伸までの約35年間この駅が終着駅でした。かつては港関連の建物や工場地帯しかない地域でしたが、1990年の海遊館オープン後は天保山エリアを訪れる家族連れも多くなり、休日は賑わいを見せています。駅入
1997年に第三セクターのOTS(大阪港トランスポートシステム)の駅として開業しましたが、2005年に大阪地下鉄の駅に移管されています。大阪ベイエリアの中心駅として広い駅構内を有していますが、現状中央線とニュートラムの乗換駅として機能しており、駅前が賑わうのは2025年
柏市北端の新興住宅地の中にある駅で、駅の北側には利根川が流れています。駅の周りは住宅開発も進んでいますが、駅から少し離れると空き地や田畑も目立っており、線内では数少ない普通列車のみ停車する小駅となっています。駅舎札幌ドームを彷彿とさせる楕円形の高架駅舎で
住之江区南部の工場地帯とロードサイド型店舗、住宅街が入り乱れる場所に駅があり、四つ橋線のほかニュートラムこと南港ポートタウン線も発着する駅となっています。駅周辺は駅名の通り住之江公園や住之江競艇場があり、競艇開催時は新聞片手のおっちゃん達で混雑しています
住之江区北東部の住宅街の中に駅があり、駅周辺は市営住宅などの団地が多く建ち並んでいます。駅の西側には緑木検車場があり、ラッシュ時にはこの駅止まりの列車が設定されているほか、定期点検時には他路線の編成がこの駅に向かう光景も見ることができます。駅入口駅中央部
西成区と住之江区の境界部分に駅があり、当駅開業から1972年の住之江公園延伸までの十数年間この駅が終着駅でした。駅周辺は商店が多く立ち並ぶ古くからの下町で、利用者は四つ橋線末端部の中では比較的多くなっています。駅入口駅北側の1番出口。駅周辺は店舗が多く立ち並ん
柏市北西部の新興住宅地の中にある駅で、駅名の通り東京大学や千葉大学のキャンパスが近くにあります。駅の西側にはららぽーと柏の葉があるほか、タワーマンションも多く建ち並んでおり、快速通過駅ではあるものの利用者数も多くなっています。駅舎大きめの高架駅舎です。高
西成区役所の最寄駅で、一応はこの駅が区の中心駅となっています。駅の裏には南海及び堺筋線天下茶屋駅があり、1,993年の堺筋線延伸とそれに伴う利便性向上によりこの駅の利用者も減少傾向のようです。駅入口駅北側にある1番出口。松屋や不動産屋が入った雑居ビルの1階部分に
西成区北東部の下町の中に駅があり、この駅と大国町の間が戦前に四つ橋線で一番最初に開業した区間となります。南海萩ノ茶屋駅もここから非常に近く、利用者を取り合っているせいか利用者は線内最少となってます。駅入口駅北側にある1番出口。背後にあるスーパー玉出もここら
大阪市西区の東端に位置し、アメリカ村や南堀江エリアへはこの駅が最寄駅となっています。開業から長らくの間四つ橋線のみの単独駅でしたが、長堀鶴見緑地線開業後に心斎橋駅と相互乗り換えが可能となり、東京ではよく見かける駅名は違えど同駅扱いの駅となっています。駅入
土佐堀川の南側に駅があり、駅名の元になった肥後橋は江戸時代に肥後熊本藩の蔵屋敷が近くにあったことが起源となっています。京阪中之島線渡辺橋駅は土佐堀川を渡った先にあり、距離はありますが乗り換えが可能となっています。駅入口肥後橋交差点そばの1-A出口。駅のそばに
駅名の通り梅田エリアの西側に立地し、JR北新地駅や堂島エリアへはこの駅が最寄駅となっています。乗り換え客も多いため四つ橋線単独駅の中では一番利用者の多い駅ですが、立地の関係か御堂筋線梅田駅や谷町線東梅田駅と比べると梅田の最果て感が否めない雰囲気が漂っていま
流山市東部の新興住宅地の中にある駅で、アーバンパークラインこと東武野田線との乗換駅です。東武線への乗換客のほか、駅周辺は大型商業施設や大型マンションも数多く建ち並んでおり、利用者数は線内において秋葉原、北千住に次いで3番目に多い駅となっています。駅舎巨大な
入間市と飯能市のほぼ境界付近にある駅で、丁度ホームの真ん中あたりで市の境界が走っています。隣の仏子駅同様ローカルな雰囲気の漂う小駅となっていますが、近年は駅南側にある駿河台大学のアクセス駅として機能しており、利用者数は若干ながら増加傾向となっています。駅
入間市北部の住宅地の中にある駅で、駅の裏には加治丘陵の森林が広がっています。駅前は私鉄幹線末端駅でよくありがちなローカルな雰囲気が漂っていますが、駅北東側には団地もいくつか立地しており、通勤通学客もそこそこありそうな雰囲気です。駅舎メイン側の北口駅舎、少
埼玉県入間市の中心駅で、特急列車を含む全列車が停車する主要駅となっています。駅の南側から入間市役所までの1㎞ほどは市の中心市街地となっており、商業施設や百貨店なども建ち並んでいます。駅舎メイン側の南口駅舎、駅舎脇には西武系の商業施設である西武入間ペペが立地
航空自衛隊入間基地のそばにある駅で、この駅の南側では入間基地をぶち抜くような形で線路が走っています。駅周辺は基地のほかに大学のキャンパスや駅名通り稲荷山公園が立地しているものの、列車発着時を除いて人通りはまばらとなっています。駅舎写真はメイン側の北口駅舎
入間市東端の住宅地の中にある駅で、バス連絡となっていますが、三井アウトレットパーク入間へのアクセス駅にもなっています。2000年代前半以降駅周辺の再開発が行われており、駅前にはマンションやショッピングモールも駅前に進出しています。駅舎2008年に完成したガラス張
所沢市北西部にある駅で、駅周辺は他の駅同様新興住宅地が広がっています。1990年まではこの駅から横瀬駅付近までをセメント輸送の貨物列車が走っており、駅の脇には貨物ホームも設置されていました。駅舎1970年に完成した古めの橋上駅舎となっています。写真は西口駅舎、駅
所沢市西部の小手指エリアにある駅で、池袋方面から来た一部列車はこの駅止まりとなっています。駅周辺は大型マンションが多く建ち並ぶ新興住宅地となっており、利用者はそこそこ多くなっています。駅舎シンプルな橋上駅舎となっています。写真はメイン側の北口駅舎、駅前は
所沢市の市街地外れの住宅地にある駅で、駅の東側にはマンションも多く建ち並んでいます。西武ドームや西武園ゆうえんちのアクセス線である狭山線の分岐駅で、西武ドームでプロ野球やイベント開催時には池袋方面から直通列車も多く運転されています。駅舎小さめの地上駅舎で
東村山市北東部にある秋津エリアにある駅で、若干距離はあるもののJR武蔵野線新秋津駅との乗換駅となっています。東村山市・清瀬市・埼玉県所沢市の境界部分に立地しており、池袋方面行ホームを端から端まで歩くだけで県境を2回跨ぐ体験をすることができます。駅舎写真はJR武
清瀬市にある唯一の駅で、清瀬市役所から離れた立地ではあるものの駅周辺は繁華街となっており、市の中心駅として賑わいを見せています。2013年の東急線乗り入れ開始まで、地下鉄方面から来た列車の大半がこの駅止まりであったほか、現在でも朝夕ラッシュ時を中心にこの駅止
東久留米市の中心駅であるほか、東久留米市に立地する唯一の駅となっています。駅前から市役所までにかけてはマンションが多く建ち並ぶ新興住宅地となっており、他の駅と比べると商業施設などは少なめですが賑わいを見せています。駅舎1994年に完成した橋上駅舎となっていま
西東京市北西部の住宅地にある駅で、駅前にはパルコをはじめとした商業施設や大型マンションなどが建ち並んでいます。快速急行などの優等列車も停車しており、西武池袋線内における西東京市の中心駅として機能しています。駅舎大きめの橋上駅舎となっています。写真は南口駅
西東京市北部にある旧保谷市の中心駅で、池袋方面から来た一部普通列車はこの駅止まりとなっています。かつての市の中心部ではありますが、場所としては市の境界部分に立地しており、駅のすぐ南側,東側は練馬区となっています。駅舎看板などは付いていませんが、商業施設Emi
練馬区西部の大泉エリアの中心駅で、急行列車以上の優等列車は通過するものの、利用者数は両隣の主要駅よりも多くなっています。駅名から何かしらの学校の最寄り駅のような感じもしますが、昭和初期に西武グループが駅周辺への学校誘致のため名付けたのが由来で、結局学校誘
練馬から続いた複々線区間の西端にある駅で、有料特急と千鳥停車を行っている通勤準急を除いた全列車が停車するほか、池袋方面から来た一部列車はこの駅止まりとなっています。駅名の通り駅南側には東京都立石神井公園があるほか、近年は高架工事完了後の再開発も進み、駅前
石神井川近くの住宅地の中にある駅で、1994年の高架複々線化完成時に開業した新しい駅です。駅周辺は川沿いを中心に団地やマンションが多く建ち並んだ新興住宅地となっており、利用者数は近年増加傾向となっています。駅舎他の駅同様高架駅舎となっています。駅前はロータリ
練馬区と中野区の境界から程近い場所にある駅で、南口を出て少し進むと中野区となります。首都圏でたまに見かける富士が見えるで富士見といった駅名ですが、この駅もご多分に漏れず晴天時には富士山が見えるロケーションとなっているようです。駅舎この駅も高架駅舎となって
練馬区中心部から程近い住宅密集地の中にある駅で、駅の北側には練馬区立美術館もあったりします。駅南側にはマンションなども多く、利用者数は普通列車しか停車しない駅の中では一番多くなっています。駅舎1997年に高架化された駅舎となっています。写真は南口駅舎、駅前道
東京メトロから西武池袋線への連絡線となる西武有楽町線唯一の駅で、駅周辺は住宅密集地となっています。西武練馬駅の地下鉄乗り入れ対応工事が難航した関係で、1983年の開業から1994年の西武線乗り入れ開始までの9年間はこの駅が終着駅となっており、実質営団地下鉄有楽町線
練馬駅から1駅だけの盲腸線である豊島園線の終着駅で、都営大江戸線とも乗換駅となっています。かつては遊園地であるとしまえんの最寄り駅でしたが2020年に閉園となり、跡地にはハリーポッターをモチーフにしたテーマパークが2023年6月に開園予定となっています。駅舎少し大