『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
『内村鑑三 所感集』357頁より: 「これからはひたすら正義と善に仕えよう、しかもそうする機会が求めずして現れるに従ってそれをしよう、と、一旦固い決意を抱い…
『内村鑑三 所感集』98頁よリ: 「千九年前の往昔(むかし)にありてはキリスト教の一切(むかし)は曹中の嬰児に存せり。そのとり。そのときいまだダンテの神曲あ…
「内村鑑三 所感集」97頁より: 『百万の貔貅(ひきゅう)の辺塞を戌(まも)り、シーザーの宮殿に銃声高くして驍勇恩賞に誇りしとき、神はその子をベツレヘムの丘…
「内村鑑三 所感集」23頁より: 『聖書は吾人に教えて言う、なんじ悪に勝たるるなかれ、善をもって悪に勝つべしと(ロマ書十二章二十一節)。しかれども悪は強くし…
『内村鑑三所感集』3443頁より: 『最も偉大なることは人に勝つことにあらず。人に負けることなり。かれにわが場所を譲ることなり。その下に立つことなり。唾(つ…
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『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
『もし貴方が、今ちょうど、生涯の荒涼とした暗い時期の一つに臨んでいるのなら、将来のいろんな計画に手をつけたり、または、今更どこかを改めようもないのに、過去…
『人間の共同生活を非常に楽にする気持ちのよい性質は、出来る限り他人の願いに喜んですぐ応じるような、ある種の親切と気軽さである。ところが人に人によると、眼に…
『内村鑑三 所感集』より: 『歓べよ、感謝せよ、しかしてさらに大いなる恩恵を仰げよ。感謝は有効なる祈祷の要素なり。神は感謝なき祈祷に耳を傾け給わず。感…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛情なしと言うかなれ。人に愛情なきにあらず、我に愛情なきが故に人に愛情なきが如くに感ずるなり。我に愛情ありて世に愛情…
『内村鑑三 所感集』より: 『善なるキリスト、弱きキリスト、しかり、彼は善なりし故に弱かりしなり。彼のは善を愛するの心ありたり、しかれども善…
『内村鑑三 所感集』より: 『集会の勢力によざれば神と人とに尽す能わざる者は禍なるかな。ひとり真理の燈台となりて世の暗黒を照らす能わざる者は禍なるかな…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
『人間同士交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自身に満ちて指導者…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩を隠遁者と見做す者あり、しからず余輩は隠遁者あらず、罪の世と交わらざるのみ。余輩の頭上に穹蒼(おおぞら)の天幕のごと…
『内村鑑三 所感集』より: 『聖書智識のみは人を救わず、聖書智識に加うるに聖霊の能力(ちから)をもってして人の霊魂は救わるるなり。聖書そのものは死せる…
『内村鑑三 所感集』より: 『マタイ伝はマタイ伝として研究せよ、マルコ伝はマルコ伝として研究せよ、ルカ伝はルカ伝として研究せよ、ヨハネ伝はヨハネ伝と…
『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『すなわち、ここに「道と真理と生命(いのち)⭐️と」があり、ただ頭の中の幻想ではない。歴史に根底を置く、真実の哲学がある。ついでに言うが、この道は多くの案内…
『内的生活においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、くり返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えなければならない。これ…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…