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大江戸百花繚乱 https://blog.goo.ne.jp/tadious

知っていそうで知らない江戸時代の雑学等を幕末を中心に書いています。

木村謙之介
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2012/05/13

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  • 国定忠治の息子

    上州国定村の忠治は博徒の親分として名高い。忠治の晩年は中風を患い、知り合いの間をたらいまわしにされるというみじめなものであった。不自由な身体のまま縄を受けた忠治は、大戸の関所に併設された処刑場で磔にされた。だが、この磔にされるまでの立ち振る舞いが見事で人々の脳裏に強烈な印象を残した。唐丸駕籠で運ばれた忠治であるが、その駕籠の中には高級品である更紗の座布団を二枚重ね、その上に真っ赤な座布団を重ねるという豪華仕様であった。また忠治のいでたちは、無地の浅黄に白無垢を重ね着し、白い手甲と脚絆を着け、首からは大きな数珠を掛けていた。そして、磔のあと、いよいよ槍を突き刺される段になっても動じたところを見せず、逆に役人を励ましたというエピソードは忠治の人気を高めた。さらに芝居で取り上げられるようになり、忠治の人気は不動...国定忠治の息子

  • 宇田川三代 ~ 岡山県津山市

    先日、岡山県津山市に行った。この地は洋学が盛んだった地で、宇田川玄随、宇田川玄真、宇田川榕按三代の所縁がある。個人的には「舎密開宗」を表した宇田川榕按の名前は知っていたが、宇田川三代と言われるとよくわからない。そこで調べてみました。宇田川玄随(1755-1797)うだがわーげんずい津山藩(現岡山県津山市)は、江戸城鍛冶橋門の内側に一万二千坪の拝領敷地を持っていたが、この江戸上屋敷で生まれたのが宇田川玄随である。もとは漢方医で西洋医学を白い目で見ていたが杉田玄白らと付き合ううちに西洋医学の重要性に気づき、日本最初の西洋内科書『西説内科撰要』(全18巻)を刊行する。蘭学者の大槻玄沢は、玄随の容姿を「色が白く体は小作り、顔付きは柔和で鼻は顔の釣り合いより大きく、眉は真っすぐ」と書いている。また、性格については「...宇田川三代~岡山県津山市

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