国定忠治の息子
上州国定村の忠治は博徒の親分として名高い。忠治の晩年は中風を患い、知り合いの間をたらいまわしにされるというみじめなものであった。不自由な身体のまま縄を受けた忠治は、大戸の関所に併設された処刑場で磔にされた。だが、この磔にされるまでの立ち振る舞いが見事で人々の脳裏に強烈な印象を残した。唐丸駕籠で運ばれた忠治であるが、その駕籠の中には高級品である更紗の座布団を二枚重ね、その上に真っ赤な座布団を重ねるという豪華仕様であった。また忠治のいでたちは、無地の浅黄に白無垢を重ね着し、白い手甲と脚絆を着け、首からは大きな数珠を掛けていた。そして、磔のあと、いよいよ槍を突き刺される段になっても動じたところを見せず、逆に役人を励ましたというエピソードは忠治の人気を高めた。さらに芝居で取り上げられるようになり、忠治の人気は不動...国定忠治の息子
2025/02/11 12:10