江戸の大名屋敷

江戸の大名屋敷

安藤優一郎氏の「大名屋敷『謎』の生活」(PHP文庫)に次のような記述がある。江戸は江戸城を核とする日本最大の城下町である。武士が住む武家地がその約七〇%を占め、町人が住む町人地と寺社地が同じく十五%ずつ分け合った。歴史好きな方なら、江戸っ子が狭い土地にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれるようにして住んでいたという史実をご存じかもしれない。しかし、次の記述はどうだろうか?江戸の土地の七〇%を占める武家地の過半は大名屋敷だった。意外にも、将軍のお膝元江戸は、大名屋敷の街という顔を持っていた。武家人口の約八〇%が地方から出てきた藩士たちで占められた。確かに、意外。よく考えてみるとその通りなのだが、武家地の半分が大名屋敷だったというのは盲点だった。そして、八割の武士が地方出身者。現代でも東京は地方からの転勤社員が多く住...江戸の大名屋敷