「まじめに働けば、25万はもらえるじゃろう。手取りで20万はあるで。つつましく暮らせば十分に暮らせるじゃろうが。」 2025年現在の日本において、日夜労働に励む現役世代ならば怒りすら覚える認識だが、76になる実父が真顔で言う。 「要するに、最近の若いやつは贅沢なんじゃ」とも。 仕送りゼロという学生も珍しくない時代、やっと職を見つけても、結婚どころか、一人暮らしさえ叶わない人も多い。
独自の視座を持つ良質のエッセイやコラムを中心に、時々アート/美術/絵画制作について等を不定期更新。
美術家になるつもりの新宅睦仁が、生まれつきの偏執的な視点で毒ありトゲありのエッセイやコラムを中心に、アート/美術/絵画制作についてつづっています。
「まじめに働けば、25万はもらえるじゃろう。手取りで20万はあるで。つつましく暮らせば十分に暮らせるじゃろうが。」 2025年現在の日本において、日夜労働に励む現役世代ならば怒りすら覚える認識だが、76になる実父が真顔で言う。 「要するに、最近の若いやつは贅沢なんじゃ」とも。 仕送りゼロという学生も珍しくない時代、やっと職を見つけても、結婚どころか、一人暮らしさえ叶わない人も多い。
おなかが痛い。 昨夜の半額の刺身か、賞味期限の近い卵を生で食ったのが悪かったか。 いや、これは食あたりの痛みではない。下痢の気配さえない。胃というか、もっと、下腹部あたりが鈍く痛む。 私は心配になって、ChatGPTに聞く。「左の脇腹あたりが痛い」と。1秒そこらで「筋肉や肋骨の問題」、「内臓の問題」、そして「神経の問題」などの可能性が列挙される。 酒飲みの中年に問題があるとすれば、
秋祭りの「神輿」のかつぎ手が足りないらしい。 「あんた、暇だったら出んさいや」と、オランダから一時帰国中の私に、母が言う。 私の地元は、かつての新型爆弾が落とされた広島市というくくりではあるが、実態はほぼ郊外である。都市部の経済回ってる感はなく、かといって小学生のころの夏休みを思い出すほど牧歌的でもない。 日本中の郊外という郊外を金太郎飴化したイオンと、
「おひとり様」は悪くない。むしろいいものだと思う。 妻の機嫌や子供の熱なんかで狼狽することもなく、好きな時に好きなことをして、自分のためだけに金を使う。どこまでも気楽で、自由である。 しかし、韓国ほど「おひとり様」の自分を呪いたくなる国もない。なぜ、あの時やこの時やその時に結婚のひとつもしておかなかったのか。 私は韓国の仁川(インチョン)にある居酒屋にいた。
ベトナムは危ない。 初心者は、道路ひとつ渡れない。 想像してみてほしい。満員御礼の東京ドームで、野球観戦を終えた観客が、全員、原付にまたがり一斉に帰ろうとしている状況を。控えめに言ってカオスである。 よほど大きな通りでなければ、横断歩道はない。信号もない。バイクの波は無限に続く。 この世にこれほど人間と原動機付自転車があったのかと、恐ろしくなる。そりゃあ、
オランダにいると物欲がなくなる。 日本に帰るとモノがほしくなる。 自分だけかと思っていたが、オランダで会う人たちは皆、同じことを口にする。 考えられる理由は三つある。 第一に、日本の広告量である。アムステルダムと、新宿渋谷あたりの画像を検索して比べてみればいい。 あの圧倒的な広告に日々さらされて、何の影響も受けないはずがない。自分の興味感心に関わらず、脳は常にあらゆる情報を処理している。 四六時中、
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (16) 55万2,830人のホームレス
日本のホームレスは、4555人(2019年、厚生労働省)で、アメリカのホームレスは56万7715人(2019年、米国住宅都市開発省)。日本の人口はおよそ1億2000万、米国の人口は3億3000万ほどで、3倍もない。しかし、ホームレスの数は日本の124倍である。 「ONE BITE CHALLENGEシリーズ」を発表して以来、しばしば聞かれることがある。
アムステルダムのバーで飲んでいると、一人の女性客が入ってきた。 カウンターに座るなり、「Hi」と親しげに笑いかけてくる。どこかで会ったような気もするが、記憶にない。 金髪が胸もとにかかる、四十手前くらいだろう白人女性。一見して品のある、落ち着きのある美人である。 常連なのか、バーのオーナーの男性に勢いよく話しかける。見た目に反して、酒焼けのしたようなダミ声で、やたらと笑う。 はじめ、
2025年現在、いまだに日本人はマスクをつけている。 少なくとも、そこらを5分も歩けば必ず一人は見つかる。 海外ではもはやそんな人間はいない。 ベトナムあたりなら、大気汚染という別の問題で多くの人がつけているが、それでも屋内でつける人は皆無である。 コロナ禍は終わったはずだ。しかし、インフルエンザ、花粉症、風邪、あるいはその予防、はたまたスッピン隠しなどと称して、いまだにつけている。
土曜日の夕方、たまに行くカフェで本を読んでいると、店長の女性に話しかけられた。 今日、なにやら歌を唄う会があるという。きっとあなたにぴったりだと言うが、どこをどう見ればひとり湿っぽく読書しているおっさんと歌が結びつくのかわからない。 オランダの歌かと尋ねると、英語というか、ラララー、というか、とにかくは歌よ、という。 よくわからないし、めんどくさい。が、案外いい経験になるかもしれないと思い直し、
べつに産んでくれと頼んだ覚えはない。 この種の憎まれ口は、せめて二十歳になるまでに卒業しておくべきことだと頭では理解しているが、いまだ感情が追いついてこない。 精神が幼稚なのだと言えばその通りなのかもしれない。しかし、大人という商売はとかく面倒なことばかりでうんざりする。 43歳かァ。そんなことを思いながら、私は、バーでダーツに興じる人を眺める。 老いの口で、後頭部のさびしくなっている彼は、しかし、
初めてリモートワークを経験したのは、2020年のコロナ禍であった。 私はロサンゼルスに住んでおり、現地企業でWEB関係の仕事をしていた。 騒がれ始めた当初こそ、酒好きの社長は「コロナビールを飲んでコロナをやっつけろ!」なんてしょうもない飲み会を相も変わらず続けていたが、次第に冗談ではなくなっていった。 ついに街はロックダウンされ、自宅に会社のデスクトップパソコンを持ち帰って仕事をすることになった。
グループ展「ARTIST IN REVOLT」PLAY room (オランダ) 2025/4/4-4/27
オランダで開催される以下のグループ展に参加いたします。 「急進的変革のためのポップアートという手段」 芸術と文化は、社会を一つに保つセメントのような存在です。政治が分断を助長している今こそ、芸術も戦いの舞台に立つべき時です。 『Women in Revolt(反逆する女たち)』は、アンディ・ウォーホルがプロデュースし、1971年にポール・モリッシーが監督した映画です。
ある日、行きつけのバーを訪れると、イベントの飾りつけをしていた。 聞けば、だれかの50歳の誕生日パーティがあるという。 店員のひとりが椅子の上に立ち、金地に「50」と書かれた華やかな旗を天井に張り巡らせている(ペナントガーランドというらしい)。 私はビールを飲みながら、その様子を眺めるともなく眺める。 ふと、店員の足元に目が留まる。土足で客の座る椅子に立っているのだ。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
韓国の仁川国際空港に着いたのは夜の11時を回ったころだった。 とりあえずSIMを買って通信を確保して、Uberを呼ぶ。 かろうじて英語が通じるドライバーだったので、話をする。彼は昨年、日本を旅行したのだという。トーキョー、オーサカとメジャーな都市名を口にして、日本は素晴らしい国だと笑った。 小一時間ばかり走ると、いかにも歓楽街という小道に入っていく。ぎらつくネオンが増えていき、
ベトナムのハノイで酒を飲んでいると、男に声をかけられた。 身振り手振りで言うには、靴を磨かせてくれということらしい。 いくらかと尋ねると、100,000ベトナムドン(約580円)だという。 いくらか酩酊してもいた私は、面白半分で頼んでみることにした。なんと言っても、私が履いていたのはスニーカーであって、「磨く」ような代物ではないのである。 男は、まず私に靴を脱ぐよう促した。代わりに、
それは余裕である。 最近は定期的にオランダと日本を行き来しているから、なおさらそう思う。 そこらのスーパーに行って、レジに並べばわかる。 まず、店員は椅子に座っている。言うまでもなく日本では立っている。どう考えても座ってできる仕事を立ってさせるのは「合理的」でも「効率的」でもない。 一般に、合理的でも効率的でもないことをする人を「馬鹿」という。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (15) ホームレスのリアル
ひとりで行かないほうがいいよ――同僚の女性がゴミを捨てに行こうとすると、上司が言った。「ゴミ捨て場には誰か住んでるから、危ない」。日本からロサンゼルスに来て間もない彼女は、まさかと冗談ぽく笑ったが、これは本当だった。 会社の裏口から出て50メートルほどのところに六畳間ほどのゴミ捨て場がある。いつ行っても小便の臭いが漂っているそこは、定期的にホームレスがゴミを漁っている。もっと、
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (14) 涙を流したヘイロー
いかにもカリフォルニアという晴天だった。バーガープロジェクトも80人を超え、終盤に差し掛かっていた。ここまで来ると慣れ切って、刺激も何もなく、プロジェクトは完全にルーチンワークと化していた。 しょせんはサラリーマンの生活。平日は仕事で、週末は誰もがするようにだらだら過ごす。気が向いたら絵を描いて、そうこうするうち夕方になる。最寄りのマクドナルドに出かけて、
個展「Bento」DE BOUWPUT(アムステルダム) 2025/2/4-2/9
日本の伝統文化である弁当を通じ、ミニマルな生き方を提示するBentoシリーズの絵画作品(絵画・弁当用材料の購入レシート・料理レシピの3点セットで1作品として展示)15点を展示予定です。 以下は出品予定作品の一部です。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (13) 蓋の蓋の蓋
六月に入ってなお、カリフォルニアの空は晴れ渡っていた。毎日そのあっけらかんとした青さを見ていると、昨日と今日の境が曖昧になり、日々が永遠に続くような気がしてしまう。6時に会社を出ても、日の傾く気配はない。 マクドナルドに寄り、クォーターパウンダーを買ってエクソダス前に向かう。ほとんど生活の一部になってきた感がある。と、そこにたどり着く50メートルほど手前の歩道の芝生に、
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (12) 古今東西、臭いものには蓋
彼らに家はないが、不思議といつも決まった場所にいる。一切のしがらみ、会社も家族も家も車もない彼らはどこに行っても構わないはずだが、どうして、彼も彼女も、今日もまたそこにいる。いくら小さくても、ひどいあばら家でも、とにかく人間には家がなければならないらしい。 しばしばホームレスはバス停に住み着いている。アメリカのバス停と言っても、日本のものと大差ない。ベンチがあって、
オランダの夏も終わるころ、村にサーカスがやってきた。 サーカスという楽しげでにぎやかな語感とは裏腹に、静かだった。毎週末のファーマーズマーケットの方がまだ活気がある。 そもそも場所が問題だ。首都アムステルダムから電車で30分ほどの片田舎にある、ありふれたスーパーの駐車場。 数日前、買い物帰りにサーカスとおぼしきトラックの一団が駐車場を占拠しているのを見た。次の日にはサーカス小屋が建っていた。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (11) アメリカの現実をアートに
コンテンポラリーアート、現代美術とは何か。私もまだ完全にはわかっていない。だが少なくとも、いましがた出来上がったばかりの作品だからと言って、即、現代美術になるわけではない。 それは単なる「現在美術」とでも呼ぶべきものであって、時代を表す記号としての旧石器や縄文土器と同じ程度の意味合いしか持たない。 私の考えでは、現代美術作品として成立するためには、以下の三つの条件が必須である。 (1)...
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (10) 奴隷ビザの分際
海外で働くことは、ビザに始まり、ビザで終わる。海外旅行でもビザを取得することがあるが、あれはパスポートの延長線上でしかない。就労ビザは、かつて公民権運動で争われた人権に等しい。つまり、ビザがあって始めて一人前の人間として存在できるのである。 大げさに言っているのではない。現実問題、転職エージェントは二言目にはビザはお持ちですかと聞いてくる。無いと答えると、難しいですねと言われ音信不通になる。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (9) 単身ロサンゼルスに移住して
私には夢がある。歴史に名を刻むことだ。小学生の頃から漠然とそのような思いがあった。おそらく新宅睦仁(シンタクトモニ)という名前のせいだ。これは本名なのだが、名乗るたびに変わっていると言われる。 何でも吸収する素直な幼少期から、おまえは馬鹿だと言われ続ければ本当に馬鹿になるのと同じで、変わっていると言われれば当然変わり者になる。それで私は、自分は特別な人間で、
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (8) 古き良きアメリカンドリームの現実
経済、スポーツ、科学、芸能、なんにしろ夢を持つ者なら一度はアメリカ行きを考える。それは歴史をひもとけば、粗末な丸太小屋で生まれたリンカーンが大統領にまで上り詰めた比類なきサクセスストーリーに行き着く。そこにエジソン、フォード、ディズニー、アームストロングと、偉人を挙げればきりがない。 現在も、ジョブズ、ザッカーバーグ、ベゾスと、アメリカ発のプレイヤーがリアルタイムで歴史を更新し続けている。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (7) 働かないホームレス
働くのはメシを食うためである。では働かないホームレスはメシを食わない(食えない)のかというとそういうわけではないのが現代社会の難しいところである。 近所のスーパーの植え込みの縁、あるいは地べたにミゲルはいつも丸くなって座っていた。遠くから見ると大きな灰色の塊に見える。43歳で、爆発しているようなチリチリ頭。バイキンマンみたいな高音域のダミ声はいやでも耳に残る。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (6) 働くホームレス
ホームレスを日がな一日寝て過ごしている怠惰な人々だと考える人は多い。しかし現実問題、何もしていないホームレスなど皆無である。 東京あたりでもたまに見かける、空き缶拾い、雑誌売り、廃品回収、その他もろもろ。ロサンゼルスのホームレスも同様で、みな何かしら忙しく動き回っている。もちろん、いつ見てもスーパーの駐車場の植え込みや、マクドナルドの前でボーッと過ごしているような人もいなくはないが、むしろ少数派だ。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (5) 見えない境界線
私はかつて神奈川の多摩川沿い、登戸という街に住んでいた。河辺にはブルーシートの小屋が点在しており、たまにペットボトルや空き缶を満載した自転車とともにその小屋へ帰ってゆくホームレスを見かけた。私は都合十年近くその辺りに住み、土手を日常的にランニングしていたが、ついに彼らとの接点は一度もなかった。 彼らは私を見ようとしないし、私もまた努めて彼らを見ないようにしていた。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (4) ホームありの母親とホームレスの娘
歩道が数百メートルに渡りホームレスのテントに占拠されていた。それは祭りの露天に似て、非日常的なギラついた雰囲気があった。私は日曜礼拝のために教会に行く途中だった。数年前にシンガポールで洗礼を受けてクリスチャンになって以来、たいてい日曜日はどこかの教会を訪れる。アメリカの建国は清教徒の一団の到着から始まっただけあって、教会は日本でいうコンビニくらいどこにでもある。私は見聞を広めるのも兼ねて、
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (3) DNAの価値
自宅からダウンタウンに行くにはUBERで片道30ドルかかる。往復で60ドル。東京から静岡まで新幹線で行ける値段である。しかし、ロサンゼルスには東京のように便利な公共交通機関はない。一部に電車が走っていたり、バスなら1.75ドルの定額で乗り放題だが、乗り換えは煩雑で、時間通りに来ることはない。それでいて軽くUBERの2、3倍は時間がかかる。 そもそも、この地ではみな車を持っている。
朝八時二十八分。リモコンでガレージのドアを開ける。大家のベンツとプリウスの横に、肩身狭く停めてあるマウンテンバイクを、外にひっぱり出してまたがる。こぎながら同じリモコンを操作して、ゲーテッドコミュニティの門を開け、立ち止まることなく外に出る。左に曲がり、車道の端にある自転車レーンを北に向かって走り出す。 車の進行方向に反しているが、忙しい朝、
2023年9月1日(金)、X(旧ツイッター)にて、田中武氏の作品「十六恥漢図 」を良作であると認める投稿をしたところ、批判のコメントが集中し、炎上しました。 *該当の投稿は削除済みのため、ご興味をお持ちの方は「新宅睦仁 ミソジニー 」などのキーワードでご自由に検索してご覧ください。 ほとんどのコメントが的外れであり、また、私がミソジニーであると勝手に解釈されているようなので、
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (1) 銃撃されたラド
会社帰り、私はいつものようにホームレスを探していた。しかしその日はなかなか見つからなかった。普段は見たくなくてもそこら中にいるというのに。冷め切ったハンバーガーが入ったエコバッグを自転車のハンドルにぶら下げて、辺りを見回しながら走る。たいてい一人はホームレスが寝ている近所のスーパーの駐車場、よくホームレスが座り込んでコーヒーを飲んでいるファーストフードの店先、
オランダに来てはや一年。ほぼ毎日バーに行っている、というか通っている。 理由はいくつかある。一日中自宅にこもってパソコンをいじってメシを食っている私にとって、そこが唯一の「出かける用事」であり、社交場からだ。 ちょっと前までは『オランダのカフェというか、バー、または居酒屋』で書いたJohnny's Cafeに通っていたが、最近はもっぱらMy Wayという店に通っている。
「彼の名前はバーナード・ショー。有名人なのよ」 かのイギリスの大作家本人と勘違いした私が大仰に驚くと、バーナードはジブリアニメにでも出てきそうな老人みたく、ふぉっふぉっふぉっと笑った。 「名前が同じだけよ。作家の方のバーナードはとっくの昔に死んでるわ」妻のネルケはいかにも愉快そうに言った。 それはオランダの片田舎にある安いバーで、やけに暖かい日の続く晩秋だった。
本当は自分の内にある心情をだらだらつらつらと思春期ばりに吐露しようと思ったのだが、あれは思春の渦中にある者だけに許された行為ではなかろうかと思い直す。 とか言いつつ、小林秀雄よろしく「評論とは、他人の作品をダシに使って自己を語る事である」という方向性で書いてやろうと、つまり、なにげない日常で自分語りをしてやろうと思う。 最近は、毎日のようにバーに行っている。通っていると言った方が正しい。
オランダで2度目となる散髪に行った。海外で髪を切るのは辛い。過去にも「 アメリカの散髪」や「オランダの散髪」で書いたが、高いうえにサービスはクソというが普通なのである。 平日の午後2時過ぎ、訪れたのは「De Bakkumse Barbier」という、家から徒歩3分足らずの場所に位置する70年代だか80年代だかのレトロな雰囲気を漂わせる床屋である。 そこを選んだのは近所だからというわけではない。
今まで何ひとつ失敗なく完璧な人生を歩んできた人はいない。 そしてその失敗に対し、後悔したり謝ったりしたことのない人もいないだろう。 しかし思えば、基本的にそれらはすべて自分自身の責任であった。だから反省にするにしろ謝罪にするにしろ抵抗感がない。自分のしたことなのだから、嫌でも納得できてしまう。 先日、私の会社のスタッフがとんでもないミスをやらかしてくれた。言うまでもなく、スタッフは他人で、
2022年2月25日、私は無事オランダから日本への一時帰国を果たした。 果たしたなんていうと大袈裟なようだが、実際大変だったのである。その時点での日本政府のレギュレーションでは、全渡航者はフライトの72時間以内に受けたPCR検査の陰性証明を提出しなければならなかった。 しかし、その二週間ほど前にシェアメイトがコロナの陽性になったのだ。彼女は病院等の施設ではなく自宅隔離となった。
アートフェア「TAGBOAT ART FAIR 2022」(東京) 2022/3/11〜13
ART FAIR Tokyo 2022と同時期に開催され、選ばれた111名のアーティストの渾身の作品約2,000点が個展形式で展示。
見つかった家は、ホスピタリティあふれるオランダ人の老夫婦が住む一軒家であった。 三階建ての、いかにもヨーロッパ風の出窓のついた素敵なお家で、不思議の国のアリスにでも出てきそうな雰囲気の庭までついている。 一階にはリビングとキッチンがある。二階には彼らの寝室と、妻のシャニンの方の連れ子でまだ学生の二十歳の娘の部屋がある。三階はいくらか屋根裏的な作りだが、二部屋あって、19歳のベトナム人の学生と、
べつに髪を切らなくても死ぬことはないが、日本人男性の7割以上は最低2カ月に一度は髪を切る。(参照: ヘアカット(散髪)の周期は?) オランダに来てはや3ヶ月。まだ一度も髪を切っていない。切りに行こうと思っていた矢先にオミクロン株の感染拡大でロックダウンがあり、すっかりその機会を逸していたのである。 それがようやくで緩和され、さっそく散髪に行くことにした。女性の場合、
「あなたは仕事で使うんでしょう? いくら値段が上がるかわかったもんじゃない] これにはさすがに頭にきた。光熱費はWiFi含めてすべて込みだと言ったはずだ。金銭の関わる部分に関しては念入りに確認したのだから間違えるわけがない。 私がそう反論すると、ヨーロッパのWiFiは高くて従量課金制なのだという。それにお前は友達を連れて来てWiFiを使わせるに違いないなどとわけのわからない濡れ衣まで着せてくる。
確かに内容は問題ない。しかしどうしてもタイピングされた正式な契約書が必要なのだと、再三再四説明する。にわかには信じ難いが、今の今まで一回も契約書というものを交わしたことがないらしい。 理解はしてくれたものの、なんにしろ私には作れないから、友人に助けてもらいタイピングしてくれる人を探さなけれればならないという。そして費用もかかるらしい。
Copy-of_ オランダで家を探して見つけるまでの話(3)
さてこれからどうするか案じていると、facebook経由でメッセージが届く。 「部屋アリ。1100EUR(約141,000円)」まるで電報だが、逆に真実味があるような気がしなくもない。私の部屋募集の投稿を見て連絡してきたらしい。 プロフィール画像は黒人系の年配女性がマスクをあごまでずり下げて自撮りしたような感じでリアリティはあったが、過去の投稿が皆無というのは怪しい。
さてこれからどうするか案じていると、facebook経由でメッセージが届く。 「部屋アリ。1100EUR(約141,000円)」まるで電報だが、逆に真実味があるような気がしなくもない。私の部屋募集の投稿を見て連絡してきたらしい。 プロフィール画像は黒人系の年配女性がマスクをあごまでずり下げて自撮りしたような感じでリアリティはあったが、過去の投稿が皆無というのは怪しい。
家探しは続く。有料の会員制賃貸サイトにも登録して片っ端から応募した。「 オランダ掲示板」という在蘭邦人の間では有名なサイトを欠かさずチェックし、Facebookの家探しグループでもシェアメイト募集に日夜目を光らせた。 しかし、わざわざお金を払った有料サイトでさえ、SCAM(詐欺)らしき投稿が散見された。無料サイトなど言わずもがなである。見分け方というほどのものではないが、
オランダで家を探すのは辛い。物件は少なく、競争率が高く、そのせいで詐欺が横行。仲介手数料も高いし、家賃も高い。正直、クソだと思う。実際、クソだった。 外国なんてどこもそんなもんだというわけではない。少なくとも、シンガポールとロサンゼルスでは何の苦もなく物件が見つかった。 オランダでは住宅不足が深刻な社会問題になっており、抗議のデモまで起こっている。つまり、オランダ人にとっても喫緊の課題で、
わたしは日本人。広島の片田舎の平凡な家庭で何不自由なく育ったが、今、外国にいる。オランダにいる。住んでいる。 何かもうすこし、感動というか、気分の高揚くらいあってもよさそうなものだけれども、ない。 外国に住む、初めての時は違った。シンガポールに降り立った朝のことは今でも忘れない。 早朝6時ごろ、現地の空港に降り立つと、辺りはいまだ真っ暗であった。
このたびオランダに活動拠点を移すこととなりました。というか、しました。 2016年にシンガポールへ、そして2019年にアメリカ、ロサンゼルスと移り住み、今回で3カ国目になります。 例によって下見も何も一切していないので、オランダどころかヨーロッパへ行くのも初めてです。さすがに外国慣れしたのでどうということはありませんが、硬水の影響でハゲるのではないかということだけが心配です。
祖母が危篤だと、母に起こされた。 夜の11時近く。私はすでに気持ちよく夢の中を泳いでいて、眠気と面倒くささの方が先に立つ。 しかし10秒ばかり考えて、ふだん、リアルな死に接する機会はあまりないので、これはバカみたいに寝ているよりも価値があると思い直し、さっさと身支度を整えて老親とともに病院へ向かった。 よくよく考えれば、危篤とはなんだろうか。調べてみると、要するに「今にも死にそうなこと」である。
祖母が危篤だと、母に起こされた。 夜の11時近く。私はすでに気持ちよく夢の中を泳いでいて、眠気と面倒くささの方が先に立った。 しかし10秒ばかり考えて、ふだん、リアルな死に接する機会はあまりないので、これはバカみたいに寝ているよりも価値があると思い直し、さっさと身支度を整えて老親とともに病院へ向かった。 よくよく考えれば、危篤とはなんだろうか。調べてみると、要するに「今にも死にそうなこと」である。
本作は、現代美術家 笹山直規氏の企画による「#幽霊画2021」への出品作品です。 タイトル: 固い絆で結ぶ復興五輪でフクシマ再興ニッポン最高お台場さわやかスイミングではじける夏の猛暑も神風吹けば疫病退散ススメ一億火の玉だってばよっつーかエコでSDG'sのダンボールベッドでスッキリおはよう平和の君が代ピースでがんばれニッポンあんたが大将やったぜ金銀銅メダル 制作年: 2021年 素材...
たまに、こいつバカなんじゃないかと思うことがある。 それは彼や彼女の振る舞いだったり発言だったり、あるいはそもそもの存在だったりする。 他人をバカだとかアホだとかカスだとか死ねだとか生きる価値ない消えろクズだとか、そのように断定するのは傲慢で蒙昧だという向きもあろう。 しかし、この世には真実、絶対に、天地神明に誓ってこいつはバカだということがあるのであって、
TOKYO MX「バラいろダンディ」にて作品が紹介されました
TOKYOMXテレビの「バラいろダンディ」にて、「食をテーマとした令和の芸術家」として紹介されました。 番組ホームページ: ☄https://s.mxtv.jp/barairo/ 2021年5月28日(金)21:00〜の放送の冒頭で、以下のように紹介されました。 「新宅」が「深宅」と紹介されてしまいましたが、これはもう、ひとつの私らしいオチという他ありません。
わたしはエロい。 しかし歳を食ってしまったので、そこらを犬のようにほっつき歩いて小便をかけて回るわけにもいかない。しかもコロナ禍で、緊急事態宣言まで出ているのだから(2021年5月27日時点)、あとは家にこもって妄想でもする他ない。 39歳、独身。実家の風呂につかって考えた。未来、かつての浮世絵が実写のエロ本になり、エロビデオになり、エロ動画になり、そしてエロVR(仮想現実)になって、
先月の3月29日は私の誕生日で、39歳になった。 あ、そう。 昭和天皇じゃなくても、そう言う。当の私自身、そう思うし、そう言う。 参考: 戦後の全国行幸で「あ、そう」という無味乾燥な受け答えが話題に https://ja.wikipedia.org/wiki//昭和天皇#公務におけるもの あ、そう。 そこのところへきて、Facebookは余計なことをしてくれる。
それは彼の出来の悪い娘に見えなくもないが、違う。 性的なものが漂っているし、カネのにおいもする。 「タバコやめたん? すごいね。どうやってやめたん?」 女はいかにも軽々しい調子で、きっと彼女の親よりも年上だろう男性に言う。 「あれよ、ニコチンの、ガムよ」男の声質は完全に老人のそれである。 「へえ。あれって、効くん? ていうか、保険効くん?」「ああ、まあの。」若い女の澄んだ声と、
諸行無常のこの世界で、コロナ禍が早く終わることを願うのは、我々の幸せもまたさっさと過ぎ去ってくれますようにと願うのと同じ、という話。
すべてのモノゴトには始まりがあり、終わりがある。 この真理に異論のある人はいないと思う。というか、ケチをつけられる人さえいない。 人は生まれれば死ぬ。それとまったく同じ話で、私もあなたも、とにもかくにも死ななければならない。 すべてのモノゴトには始まりがあり、終わりがある。これは絶対の真理。 コロナという単語が、状況が、日常になって、新しい日常とかいうものになって、一年以上が経つ。 みんな、
「あけましておめでとう」と言うのが嫌いだ。ついでに言えば「よいお年を」というのも辛い。なぜ皆ああも気安く臆面もなく言い合えるのかわからない。
年末になると、みな憑かれたように一年を振り返りまくり、また死に急ぐように一年の抱負を述べまくるが、おかしい。
年末だの師走だのと騒がれはじめて一月あまり。 明日からはまた、新年だなんだと一月あまり騒ぐことになる。 この時期になると、みな憑かれたように一年を振り返りまくり、また死に急ぐように一年の抱負を述べまくる。 毎年のことではあるが、変だと思う。少なくとも私には違和感がある。 特におかしいのは初詣である。ふだん、信仰のかけらもないような人でも、なぜか初詣には勇み足で、鈴を鳴らしまくり、願いをかけまくる。
グループ展「2020年の栄光」YUMI ADACHI CONTEMPORARY/あをば荘(東京) 2020/12/19-2021/1/10
2020年の東京オリンピックを“盛り上げる”ための架空のプロパガンダ美術によって構成される、気鋭の現代作家7組によるグループ展。
県外のお客様お断りの広島のとある居酒屋。しかし店の女性店主はマスクもつけていない。近所の顔見知りだけで安心して飲食に来てほしいのだという。
PCR検査で陰性、羽田近くのホテルで14日間の隔離に入る。だが保健所から電話があっただけで管理とはほど遠い。対策を講じるという国の建前。
コロナ禍にLAから羽田に戻りコロナ検査を受ける。投票所のような衝立の中に大の大人がずらり並んでPCR検査用の唾液を絞り出す光景は壮観だった。
グループ展「GOOD TROUBLE」WhiteBox(ニューヨーク) 2020/10/17-11/11
ニューヨークの WhiteBoxにて開催されるグループ展「GOOD TROUBLE」に参加いたします。展示風景はこちら。 展覧会名: GOOD TROUBLE 会期: 2020年10月17日(土)~2020年11月11日(日) 時間: 水曜~日曜、13:00~18:00 オープニングレセプション: 2019年9月7日(土) 19:00~ 観覧料: 無料 会場:
コロナかもしれない人々は(3)海外帰国者、コロナの疑いにつき
コロナ禍の中、LAから羽田へ出発。海外帰国者でも日本のホテルの宿泊拒否もなく無事羽田空港に到着。通常とは異なるルートに案内されPCR検査へ。
コロナかもしれない人々は(2)自力でレンタカーor自腹でホテル
コロナ禍の海外帰国者が羽田から広島まで帰る方法はないか調べた結果は散々。千キロ離れた福岡から車で片道20時間かけて迎えに来てもらった話まで。
コロナ禍のなか、ロサンゼルスから広島に帰るまでの話。しかし海外からの帰国者は14日間の隔離期間があり、国内便の乗り継ぎも不可という。
昔はモテたと人は言う。 たいがいはおっさんであるが、とにかくはそんなことを言う、というか、ほざく。 で、昔はモテたと、例によっておっさんになった私は思う。特に大学生の頃なんかはモテモテだったよなと、そう私の脳みそには刻まれているが、裏を取るような野暮なマネはしないでほしい。 モテモテだった私は、持てる者としての富豪と一緒であったので、こんなことを考えていた。盛り上がっている初期に、
グループ展「MIND THE GAP」THE blank GALLERY(東京) 2020/9/19-10/4
コロナ禍で5ヶ月も延期となった後に開催された7名の気鋭のペインターによるグループ展「MIND THE GAP」の展示情報。
第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)応募プラン公開|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
夢をかたづける|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
笑いと悲しみ|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
溺れない夢|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
溺れない酒|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
溺れない恋愛|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
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怒りについて|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
生きたかったり、死にたかったりする。|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
おもちゃのむらく|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
アメリカで1200ドルの給付金をもらった話|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
ぼくは家族じゃないから|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
永遠に生きるつもりのあなたも死ななければならない|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
避コロナ地|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
明日みんなで死ねたら|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
アート系WEBマガジン「MUTERIUM」にて作家紹介掲載|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
コロナウイルスがやって来た|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
こんな時代|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
音声ファイル:アメリカのホームレスとの会話「日常生活においてコロナウイルスの影響を感じますか?」(3min, 2.75MB)
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コロナウイルスという天罰|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
日本人とアメリカ人の距離|現代美術家 新宅睦仁のブログ。エッセイを中心に、社会コラムや批評、ときどき現代アート/現代美術について。
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「まじめに働けば、25万はもらえるじゃろう。手取りで20万はあるで。つつましく暮らせば十分に暮らせるじゃろうが。」 2025年現在の日本において、日夜労働に励む現役世代ならば怒りすら覚える認識だが、76になる実父が真顔で言う。 「要するに、最近の若いやつは贅沢なんじゃ」とも。 仕送りゼロという学生も珍しくない時代、やっと職を見つけても、結婚どころか、一人暮らしさえ叶わない人も多い。
おなかが痛い。 昨夜の半額の刺身か、賞味期限の近い卵を生で食ったのが悪かったか。 いや、これは食あたりの痛みではない。下痢の気配さえない。胃というか、もっと、下腹部あたりが鈍く痛む。 私は心配になって、ChatGPTに聞く。「左の脇腹あたりが痛い」と。1秒そこらで「筋肉や肋骨の問題」、「内臓の問題」、そして「神経の問題」などの可能性が列挙される。 酒飲みの中年に問題があるとすれば、
秋祭りの「神輿」のかつぎ手が足りないらしい。 「あんた、暇だったら出んさいや」と、オランダから一時帰国中の私に、母が言う。 私の地元は、かつての新型爆弾が落とされた広島市というくくりではあるが、実態はほぼ郊外である。都市部の経済回ってる感はなく、かといって小学生のころの夏休みを思い出すほど牧歌的でもない。 日本中の郊外という郊外を金太郎飴化したイオンと、
「おひとり様」は悪くない。むしろいいものだと思う。 妻の機嫌や子供の熱なんかで狼狽することもなく、好きな時に好きなことをして、自分のためだけに金を使う。どこまでも気楽で、自由である。 しかし、韓国ほど「おひとり様」の自分を呪いたくなる国もない。なぜ、あの時やこの時やその時に結婚のひとつもしておかなかったのか。 私は韓国の仁川(インチョン)にある居酒屋にいた。
ベトナムは危ない。 初心者は、道路ひとつ渡れない。 想像してみてほしい。満員御礼の東京ドームで、野球観戦を終えた観客が、全員、原付にまたがり一斉に帰ろうとしている状況を。控えめに言ってカオスである。 よほど大きな通りでなければ、横断歩道はない。信号もない。バイクの波は無限に続く。 この世にこれほど人間と原動機付自転車があったのかと、恐ろしくなる。そりゃあ、
オランダにいると物欲がなくなる。 日本に帰るとモノがほしくなる。 自分だけかと思っていたが、オランダで会う人たちは皆、同じことを口にする。 考えられる理由は三つある。 第一に、日本の広告量である。アムステルダムと、新宿渋谷あたりの画像を検索して比べてみればいい。 あの圧倒的な広告に日々さらされて、何の影響も受けないはずがない。自分の興味感心に関わらず、脳は常にあらゆる情報を処理している。 四六時中、
日本のホームレスは、4555人(2019年、厚生労働省)で、アメリカのホームレスは56万7715人(2019年、米国住宅都市開発省)。日本の人口はおよそ1億2000万、米国の人口は3億3000万ほどで、3倍もない。しかし、ホームレスの数は日本の124倍である。 「ONE BITE CHALLENGEシリーズ」を発表して以来、しばしば聞かれることがある。
アムステルダムのバーで飲んでいると、一人の女性客が入ってきた。 カウンターに座るなり、「Hi」と親しげに笑いかけてくる。どこかで会ったような気もするが、記憶にない。 金髪が胸もとにかかる、四十手前くらいだろう白人女性。一見して品のある、落ち着きのある美人である。 常連なのか、バーのオーナーの男性に勢いよく話しかける。見た目に反して、酒焼けのしたようなダミ声で、やたらと笑う。 はじめ、
2025年現在、いまだに日本人はマスクをつけている。 少なくとも、そこらを5分も歩けば必ず一人は見つかる。 海外ではもはやそんな人間はいない。 ベトナムあたりなら、大気汚染という別の問題で多くの人がつけているが、それでも屋内でつける人は皆無である。 コロナ禍は終わったはずだ。しかし、インフルエンザ、花粉症、風邪、あるいはその予防、はたまたスッピン隠しなどと称して、いまだにつけている。
土曜日の夕方、たまに行くカフェで本を読んでいると、店長の女性に話しかけられた。 今日、なにやら歌を唄う会があるという。きっとあなたにぴったりだと言うが、どこをどう見ればひとり湿っぽく読書しているおっさんと歌が結びつくのかわからない。 オランダの歌かと尋ねると、英語というか、ラララー、というか、とにかくは歌よ、という。 よくわからないし、めんどくさい。が、案外いい経験になるかもしれないと思い直し、
べつに産んでくれと頼んだ覚えはない。 この種の憎まれ口は、せめて二十歳になるまでに卒業しておくべきことだと頭では理解しているが、いまだ感情が追いついてこない。 精神が幼稚なのだと言えばその通りなのかもしれない。しかし、大人という商売はとかく面倒なことばかりでうんざりする。 43歳かァ。そんなことを思いながら、私は、バーでダーツに興じる人を眺める。 老いの口で、後頭部のさびしくなっている彼は、しかし、
初めてリモートワークを経験したのは、2020年のコロナ禍であった。 私はロサンゼルスに住んでおり、現地企業でWEB関係の仕事をしていた。 騒がれ始めた当初こそ、酒好きの社長は「コロナビールを飲んでコロナをやっつけろ!」なんてしょうもない飲み会を相も変わらず続けていたが、次第に冗談ではなくなっていった。 ついに街はロックダウンされ、自宅に会社のデスクトップパソコンを持ち帰って仕事をすることになった。
オランダで開催される以下のグループ展に参加いたします。 「急進的変革のためのポップアートという手段」 芸術と文化は、社会を一つに保つセメントのような存在です。政治が分断を助長している今こそ、芸術も戦いの舞台に立つべき時です。 『Women in Revolt(反逆する女たち)』は、アンディ・ウォーホルがプロデュースし、1971年にポール・モリッシーが監督した映画です。
ある日、行きつけのバーを訪れると、イベントの飾りつけをしていた。 聞けば、だれかの50歳の誕生日パーティがあるという。 店員のひとりが椅子の上に立ち、金地に「50」と書かれた華やかな旗を天井に張り巡らせている(ペナントガーランドというらしい)。 私はビールを飲みながら、その様子を眺めるともなく眺める。 ふと、店員の足元に目が留まる。土足で客の座る椅子に立っているのだ。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
韓国の仁川国際空港に着いたのは夜の11時を回ったころだった。 とりあえずSIMを買って通信を確保して、Uberを呼ぶ。 かろうじて英語が通じるドライバーだったので、話をする。彼は昨年、日本を旅行したのだという。トーキョー、オーサカとメジャーな都市名を口にして、日本は素晴らしい国だと笑った。 小一時間ばかり走ると、いかにも歓楽街という小道に入っていく。ぎらつくネオンが増えていき、
ベトナムのハノイで酒を飲んでいると、男に声をかけられた。 身振り手振りで言うには、靴を磨かせてくれということらしい。 いくらかと尋ねると、100,000ベトナムドン(約580円)だという。 いくらか酩酊してもいた私は、面白半分で頼んでみることにした。なんと言っても、私が履いていたのはスニーカーであって、「磨く」ような代物ではないのである。 男は、まず私に靴を脱ぐよう促した。代わりに、
それは余裕である。 最近は定期的にオランダと日本を行き来しているから、なおさらそう思う。 そこらのスーパーに行って、レジに並べばわかる。 まず、店員は椅子に座っている。言うまでもなく日本では立っている。どう考えても座ってできる仕事を立ってさせるのは「合理的」でも「効率的」でもない。 一般に、合理的でも効率的でもないことをする人を「馬鹿」という。
ひとりで行かないほうがいいよ――同僚の女性がゴミを捨てに行こうとすると、上司が言った。「ゴミ捨て場には誰か住んでるから、危ない」。日本からロサンゼルスに来て間もない彼女は、まさかと冗談ぽく笑ったが、これは本当だった。 会社の裏口から出て50メートルほどのところに六畳間ほどのゴミ捨て場がある。いつ行っても小便の臭いが漂っているそこは、定期的にホームレスがゴミを漁っている。もっと、
コンテンポラリーアート、現代美術とは何か。私もまだ完全にはわかっていない。だが少なくとも、いましがた出来上がったばかりの作品だからと言って、即、現代美術になるわけではない。 それは単なる「現在美術」とでも呼ぶべきものであって、時代を表す記号としての旧石器や縄文土器と同じ程度の意味合いしか持たない。 私の考えでは、現代美術作品として成立するためには、以下の三つの条件が必須である。 (1)...
海外で働くことは、ビザに始まり、ビザで終わる。海外旅行でもビザを取得することがあるが、あれはパスポートの延長線上でしかない。就労ビザは、かつて公民権運動で争われた人権に等しい。つまり、ビザがあって始めて一人前の人間として存在できるのである。 大げさに言っているのではない。現実問題、転職エージェントは二言目にはビザはお持ちですかと聞いてくる。無いと答えると、難しいですねと言われ音信不通になる。
私には夢がある。歴史に名を刻むことだ。小学生の頃から漠然とそのような思いがあった。おそらく新宅睦仁(シンタクトモニ)という名前のせいだ。これは本名なのだが、名乗るたびに変わっていると言われる。 何でも吸収する素直な幼少期から、おまえは馬鹿だと言われ続ければ本当に馬鹿になるのと同じで、変わっていると言われれば当然変わり者になる。それで私は、自分は特別な人間で、
経済、スポーツ、科学、芸能、なんにしろ夢を持つ者なら一度はアメリカ行きを考える。それは歴史をひもとけば、粗末な丸太小屋で生まれたリンカーンが大統領にまで上り詰めた比類なきサクセスストーリーに行き着く。そこにエジソン、フォード、ディズニー、アームストロングと、偉人を挙げればきりがない。 現在も、ジョブズ、ザッカーバーグ、ベゾスと、アメリカ発のプレイヤーがリアルタイムで歴史を更新し続けている。
働くのはメシを食うためである。では働かないホームレスはメシを食わない(食えない)のかというとそういうわけではないのが現代社会の難しいところである。 近所のスーパーの植え込みの縁、あるいは地べたにミゲルはいつも丸くなって座っていた。遠くから見ると大きな灰色の塊に見える。43歳で、爆発しているようなチリチリ頭。バイキンマンみたいな高音域のダミ声はいやでも耳に残る。