chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 明治以前の長野

    善光寺の門前町として   長野は善光寺の門前町です。全国的に見ても門前町に県庁が置かれたとい...

  • 「信濃の国」考 3

    その後、病気で休職した依田弁之助に代わって音楽教師として北村季晴が青森から赴任して来る。彼は東...

  • 「信濃の国」考 2

    浅井洌が師範学校の教師となって長野に来たのは明治一九年のことである。それまで浅井は松本にあって...

  • 「信濃の国」考 1

    多くの県に県歌とか県民歌というものがあるが、「信濃の国」ほど県民に親しまれている県歌はないのでは...

  • 「真田戦雲録」(仮題)ようやく脱稿。

    幸村の魅力について。負けることを知りながら、自らの信義を貫き通して散った好漢という通説は少し違う...

  • 新小路の西洋軒

    今では誰もその名を憶えていないような小路もかつては名前があり、その名前には由来がありました。小...

  • 冬の花火

    鶴賀から柳町通りを越えた柳町中学の近くに赤地蔵をまつった祠があります。このお地蔵さんは延命地蔵...

  • 実録真田幸村

    「真田三代記」が伝えるところによると、九度山に蟄居中の幸村を召し出すことを進言したのは木村重成...

  • 実録真田一族

    来年早々に本を出すことになり、その最後の仕上げに追われている。真田一族の話である。中でも大坂夏の...

  • 暦の上ではDecember

    長くブログの更新を休んでしまった。夏から体調が優れず、何かを書くという気分になれなかった。師走の...

  • 長野駅の開業

    明治二一年(一八八八)五月一日、すでに開業していた直江津・関山間に続いて関山・長野間が開業しまし...

  • 小池詳敬からの誘い

    明治6年の冬、仙台にいる愚庵のもとに小池詳敬から書状が届いた。何事かと開いてみればそこには小池が...

  • 田町 田面稲荷

    酒まんじゅうのつるやのあたりは、昔はまんじゅう屋が多く並び、鐘鋳端のまんじゅう屋として長野の名...

  • 落合直亮と赤報隊

    しばらくブログの更新が滞っておりました。 愚庵がニコライの神学校を出て、小池詳敬のもとに養われ...

  • 天田愚庵、小池詳敬に養われる

    ニコライの神学校を離れた天田愚庵は、「仙台の関係者の紹介か、石丸八郎に寄寓、その後、明治新政府...

  • 鶴賀遊廓

    権堂が自然発生的にできた盛り場であるならば、鶴賀遊廓は人工的につくられた町であった。明治五年の...

  • 「信濃の国」誕生の地 2

    明治三二年、北村季晴が長野師範の教師になって青森から赴任してきた。この時北村の下宿の世話をした...

  • 「信濃の国」誕生の地 1

    妻科は、長野県庁の北側に広がる閑静な住宅街である。明治維新以後、官庁や学校が近くに作られるよう...

  • 高遠ブックフェスティバル

    21・22・23日の連休、伊那市の高遠でブックフェスティバルがあった。この催しは数年前から行われている...

  • 川崎史郎さん

    川崎史郎さんが亡くなった。長野のフリーライターとしては草分け的な人で、わたしとは30年来のお付き合...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、南宜堂さんをフォローしませんか?

ハンドル名
南宜堂さん
ブログタイトル
あれこれ南宜堂
フォロー
あれこれ南宜堂

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用