奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も十一面観音が本尊。創建当初の十一面観音は、徳道がクスノキの霊木で造立させたものだったのだと伝えられています。奈良の長谷寺奈良の長谷…
宝鏡院にある「笠置の石」は三島七石の一つ。源頼朝が三嶋大社に参詣する折に笠を置いたのだとか・・・宝鏡院は、臨済宗建長寺派の寺院。室町幕府二代将軍の足利義詮の建…
1193年(建久4年)、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りで起こった曽我兄弟の仇討ち事件がもとで、謀反の疑いをかけられ伊豆修禅寺に幽閉された源範頼。伝承によると、…
蛭ヶ小島に流されていた源頼朝は、源氏再興を祈願するため三嶋大社に百日間の日参していました。その折、宗徳院にも詣でたのだといいます。宗徳院の延命地蔵尊は、頼朝の…
円覚寺の塔頭正続院にある舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。開山堂前の昭堂(礼堂)で、仏舎利を祀っていることから「舎利殿」と呼ばれています。現在の舎利殿は、鎌倉…
気象庁の紅葉情報によると、2021年の紅葉の時期は平年並み。鎌倉の紅葉・黄葉は、間もなく各所で部分的な見ごろは楽しめそうですが、全体的な見ごろは見ごろは11月…
1187年(文治3年)10月29日、北方の王者・藤原秀衡が平泉館で亡くなります。『吾妻鏡』には、「義経を大将軍として国務せよ」と嫡子の泰衡をはじめとする子らに…
1199年(正治元年)10月28日午前10時頃、千葉常胤・三浦義澄・三浦義村・畠山重忠・小山朝政・足立遠元・和田義盛・比企能員・葛西清重・八田知重・岡崎義実ら…
鶴岡八幡宮の白旗神社は、源頼朝と源実朝を祭神としています。毎年10月28日、和歌に秀でた源実朝の遺徳を偲ぶ文墨祭が執り行われています。午前10時から。☆ ☆ …
願成寺は、源頼朝が源氏再興を祈願するため三嶋大社に日参した際の宿舎となり、祈願成就した頼朝から天主君山願成就寺の寺号を賜ったという伝承が残された寺。山号は天主…
10000個のろうそくに火が灯される幻想的な世界。11月7日(日)まで江の島サムエルコッキング苑で開催されています。点灯時間:17:00~20:00土日祝日は…
武蔵御嶽神社の摂社産安社は、源頼朝の創建と伝えられています。縁結び・子宝・安産祈願・長寿のパワースポット。安産杉(安産・長寿・繁栄)夫婦杉(良縁・円満)二人で…
畠山重忠は武蔵国の武将。源頼朝に仕え「鎌倉武士の鑑」と称されました。重忠が武蔵御嶽神社に奉納したと伝えられる「赤絲威鎧」(あかいとおどしよろい)は国宝に指定さ…
武蔵御嶽神社は、鎌倉武将に信仰された社。創建は、紀元前91年(崇神天皇7年)。「御嶽」とは、修験道の中心地である奈良県吉野の金峯山のこと。736年(天平8年)…
鴻巣市大間にある城山は、清和源氏の祖源経基が武蔵介として坂東に赴いた時の居館跡と推定されています。経基は、清和天皇の第六皇子貞純親王の子で六孫王と呼ばれました…
1199年(正治元年)10月25日、将軍御所の侍所では、結城朝光が夢のお告げを受けたとして、正月に亡くなった源頼朝のために、「一万遍の念仏」を唱えることを皆に…
勝長寿院は、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立した寺院。『吾妻鏡』によると・・・頼朝は、寺を建立するための場所を探し回り、幕府の東南に神聖な場所を見つけたの…
箱根神社元宮は山岳信仰の霊山・駒ヶ岳の山頂にある社。およそ2400年前の孝昭天皇の時代に、聖占が箱根最高峰の神山を御神体(神が降臨する所)として祀り、神仙宮を…
甘縄神明神社は710年(和銅3年)の創建。鎌倉最古の神社と言われ、源氏ゆかりの社。1036年(長元9年)に相模守に任じられた河内源氏二代棟梁の源頼義は、その在…
建長寺では、毎週土曜日に三門の下で法話が開催されていますが、宝物風入期間中の11月6日(土)は龍王殿で法話スペシャルが開催されます。様々な寺院の11人の和尚さ…
富士川の戦い後の1180年(治承4年)10月23日、源頼朝は、相模国府で挙兵から初めての論功行賞を行いました。北条時政、武田信義、安田義定、千葉常胤、三浦義澄…
2021年の宝物風入は11月5日(金)から7日(日)。期間中、円覚寺の大方丈では「法話と坐禅の会」が開催されます。予約方法は→こちらのページで。☆ ☆ ☆ ☆…
秋のまんだら堂やぐら群の限定公開は、以下のとおり予定されています。まんだら堂やぐら群公開期間令和3年10月23日(土)~12月13日(月)(※土・日・月・祝日…
2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は1月9日放送開始!☆ ☆ ☆ ☆ ☆
安楽寺(吉見観音)の6月18日は「厄除け朝観音御開帳」の日。この日は古くから「厄除け団子」が売られ、参道には出店が立ち並び、深夜2時頃から早朝にかけて大変な賑…
新羅三郎義光は、河内源氏二代棟梁・源頼義の三男。母は平直方の娘。近江の新羅明神の前で元服したことから「新羅三郎」と称します。※長兄の義家は石清水八幡宮で元服し…
息障院は、源範頼の館跡に建てられた寺院と伝えられています。範頼は、1159年(平治元年)の平氏の乱後、吉見の安楽寺に隠れ住んだのだといいます。1180年(治承…
安楽寺は坂東三十三所の十一番札所。源範頼旧跡源範頼は、源義朝の六男。1159年(平治元年)の平治の乱で父義朝が平清盛に敗れると、10歳前後だった範頼は安楽寺に…
放光寺は、安達盛長の館の一画に建てられたのだと伝えられています。ただ、「鴻巣市史」では、この付近を本領としていたのは奴加田氏としているようです。安達盛長墓所台…
木造阿弥陀三尊像木造不動明王・毘沙門天立像浄楽寺の「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、胎内の銘札から和田義盛の発願で運慶が造立した…
梛(なぎ)の葉は、縦に筋が入っているので、横に裂くことが難しく、かつては、男女の縁が裂けないようにお守りにしていたのだそうです。伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源…
『吾妻鏡』によると・・・1260年(文応元年)10月15日、北条政村の娘が物の怪に祟られて悩乱状態となります。取り憑かれた娘は、様々なことを口走ったといいます…
源頼朝墓沢寿郎著『鎌倉史跡見学』より写真が古いのですが、この源頼朝の墓は、1779年(安永8年)に薩摩藩の島津重豪が建てたものです。現在の墓塔と少し雰囲気が違…
1211年(建暦元年)10月、鴨長明は飛鳥井雅経の推挙によって鎌倉に下向し、源実朝と何度か面会しています。10月13日の源頼朝の命日には法華堂(頼朝墓)を参拝…
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)、源頼朝の先祖源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請したことに始まります。1180年(治承4年)10月6日(7日とも)、鎌倉入り…
1180年(治承4年)10月9日、源頼朝の御所の造営が始まりました。工事を奉行したのは大庭景義。まずは、新造の建物ではなく、山ノ内にあった首藤兼道の旧宅が移築…
荏柄天神社の「かっぱ筆塚」は、漫画家の清水崑が鎌倉の古道具屋で購入して愛用していた絵筆を納めたもので、1971年(昭和46年)に建てられました。除幕式には、作…
鶴岡八幡宮1219年(建保7年)1月27日、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式に出席した源実朝が甥の公暁に暗殺されました(源実朝の暗殺)。剣持役の源仲章も殺害…
「北条九代屋敷頼経公已後代将軍家鋪」(宝戒寺の碑)宝戒寺は、代々の執権館の跡地に建てられた寺院。北条義時の小町亭もこの辺りにあったのだといいます。頼朝亡き後の…
☆ ☆ ☆ ☆ ☆満福寺木曽義仲追討・一ノ谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いで活躍した源義経。壇ノ浦の戦いで捕えた平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとしますが、…
1180年(治承4年)8月17日、配流地の伊豆国で挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いで敗れてしまいますが、真鶴から安房国へと渡って再挙。10月6日(7日)、大軍…
江戸重長像(世田谷区:慶元寺)江戸重長は、武蔵国の国人領主江戸氏の二代当主。1180年(治承4年)、伊豆国で源頼朝が挙兵すると、重長は平氏方の大庭景親について…
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奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も十一面観音が本尊。創建当初の十一面観音は、徳道がクスノキの霊木で造立させたものだったのだと伝えられています。奈良の長谷寺奈良の長谷…
江の島江の島は源頼朝が奥州平泉の王者・藤原秀衡を調伏するために弁財天を勧請した島。小動岬小動岬は、江の島の片瀬東浜の端。その先は七里ヶ浜。頼朝の挙兵で伊豆…
福井県は日本最大の恐竜化石発掘現場があることから恐竜王国と言われています。福井駅西口の恐竜広場には、動く恐竜モニュメントが設置されています。東口にも
京都市平安京創生館に展示されている「源氏物語車争屏風」。京都市歴史博物館蔵の複製。紫式部の『源氏物語』~葵の巻~での車争いの場面が描かれています。賀茂祭が行わ…
京都の祇園祭のハイライトは山鉾巡行。長刀鉾は「前祭巡行」の先頭を行く鉾。三条宗近が祇園社(八坂神社)に奉納した長刀を立てたことから「長刀鉾」と呼ばれます。…
995年(長徳元年)は、藤原道長にとって順風が吹き始めた年。4月10日、関白だった長兄・道隆が薨去。次兄の道兼が関白となるが5月8日に薨去。5月11日、一条天…
995年(正暦6年)正月、関白・藤原道隆は次女の原子を皇太子・居貞親王の妃としますが・・・程なくして病に伏します。そして・・・4月3日、関白を辞し、4月6日に…
鎌倉は、ゴールデンウィーク明け頃からアジサイのシーズン。あじさい鑑賞券七色極楽浄土となる長谷寺の「あじさい散策路」は、見ごろ(五分咲き)になると拝観料とは別に…
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かつての東大寺には、大仏殿の東西に七重塔(東塔・西塔)が配されていました。2024年(令和6年)、東塔について研究してきた奈良文化財研究所は、その高さは68メ…
紫ゆかりの館パネル996年(長徳2年)、紫式部は父の藤原為時が越前国司に任じられると父とともに越前国府へ赴きました。1996年(平成8年)には、紫式部の越前下…
宇治陵宇治陵は、関白・藤原基経が定めた藤原北家一門の埋骨地。藤原氏塋域の碑塋域碑には、冬嗣・基経・時平・兼家・道隆・道長・頼通・師実の名が刻まれています。その…
995年(長徳元年)、北宋の商人・朱仁聡ら70余名が若狭国に来航。藤原道長は、彼らを越前国へ移します。そして翌年、越前守に任じられたのは紫式部の父・藤原為時。…
四納言は、一条天皇の時代に秀才として知られた四人の公卿。四人とは、藤原道長の政権を支えた源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成。斉信が大納言、俊賢・公任・行成が…
北条早雲像小田原駅西口のロータリーにある北条早雲公像は、北條五代祭りに併せて特製の兜に陣羽織の姿となります。【開催日】4月下旬~5月上旬☆ ☆ ☆ ☆ ☆
清少納言は「藤の花」ついてこう書きました。藤の花は しなひ長く 色濃く咲きたる いとめでたし(藤の花は、花房が長く、色濃く咲くのが、たいそう素晴らしい)色あひ…
『大鏡』によると・・・摂政・関白の賀茂詣の日は、下鴨神社の社前で素焼きの土器に入った酒を三度勧めるが慣わしでしたが・・・藤原道隆が詣でたときは、神社の者も道隆…
円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。源実朝が請来したという仏舎利が祀られています。現在の舎利殿は、鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿が移築さ…
船岡山994年(正暦5年)、都に疫病が流行すると、一条天皇は疫神を神輿に移して船岡山に安置し、悪疫退散を祈る「紫野御霊会」 を営みます。1001年(長保3年)…
悲田院悲田院は、身寄りのない老人や貧しい人、親のない子どもを収容する福祉施設。平安京の東西には2つの悲田院がありました。泉涌寺の悲田院は、平安京の悲田院の後身…
小田原城は、1590年(天正18年)の小田原征伐で開城。このとき、北条氏政と氏直父子を説得したのが黒田官兵衛(孝高・如水)でした。官兵衛は、無刀に肩衣袴に酒と…
洪鐘円覚寺の国宝梵鐘(洪鐘)は、開山の無学祖元が来日する際に、舟を守護していた竜が宿したという「宿竜池」の底から金銅を得て鋳造されたのだとか・・・2023年は…
ゴールデンウィーク期間中の5月3日から7日まで、建長寺では「金澤翔子展」が開催されます。場所:得月楼時間:10:00~16:00(7日は15:00)入場無料上…
円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。源実朝が請来したという仏舎利が祀られています。現在の舎利殿は、鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿が移築さ…
1173年(承安3年)4月29日、後白河法皇に神護寺再興の勧進を強行した文覚が伊豆国に流されてきて、源頼朝が流されていた蛭ヶ小島に近い奈古谷に庵を結びます。蛭…
1177年(安元3年)4月28日、京の三分の一が灰燼に帰す火事が発生。鴨長明の『方丈記』は・・・午後8時ごろ、樋口宮小路で発生した火事は、西北に広がり、朱雀門…
室生寺は、大庭御厨の懐嶋郷を本拠地とした大庭景能(景義)の持仏とされる阿弥陀三尊像を安置する寺。善光寺式の阿弥陀三尊像で1195年(建久6年)の造立といわれて…
清澄沢1253年(建長5年)4月28日、清澄山山頂で法華の教えを説いた日蓮。光則寺のカイドウの下に咲くアジサイ「清澄沢」は、清澄山原産のヤマアジサイです。例年…
伊豆山神社境内にある伊豆山郷土資料館で「走湯山上常行堂への寄進状写」が特別展示されています。内容は、治承7年7月25日に相模国「長墓郷」を走湯山上常行堂に寄進…
馬場の周囲に設けられる柵は「埒」(らち)と呼ばれます。この埒が取り払われることを「らちがあく」といいます。物事がすっきりと終わることを意味します。現代では「ら…
長谷寺のあじさい散策路は、アジサイが見ごろになると有料になります。昨年は300円でしたが・・・今年は500円。入山料は別で400円。長谷寺アジサイ物語☆ ☆ …
木曽塚木曽義高は、木曽義仲の嫡男。1183年(寿永2年)3月、源頼朝と木曽義仲の武力衝突の際、義仲が子義高を鎌倉に人質として差し出すことで和議が成立し、義高は…
将門塚940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級は、4月25日に京都へ送られて梟首。その後、ゆかりの者たちが神田明神の傍に埋葬した…
明月院のアジサイは、日本古来の「姫アジサイ」です。日本の植物学の父と呼ばれれる牧野富太郎博士が「女性的で優美」であることから名づけたそうです。☆ ☆ ☆ ☆ …
1238年(嘉禎4年)正月28日、四代将軍九条頼経は上洛のため鎌倉を出発。2月17日に入洛し、六波羅御所に入りました。それから10月13日まで京都に滞在してい…
この源頼朝像は、静岡県島田市にある智満寺に聳えていた頼朝杉で制作されたもの。2022年(令和4年)11月23日には、頼朝が流人時代を過ごした伊豆の国市で特別公…
検非違使志『吾妻鏡』によると・・・1191年(建久2年)4月20日、後白河法皇の法住寺殿の修理するため在京していた大江広元は、検非違使の職務として賀茂祭に供奉…
『吾妻鏡』によると・・・1190年(建久元年)4月20日、鎌倉に佐々木定綱の伝令が到着。報告されたのは、源頼朝の姉妹・坊門姫が4月13日に難産のため死去したと…
江戸時代の後期、長崎の出島でオランダ商館医をしていたシーボルトは、日本のアジサイを持ち帰り、「Hydrangea otaksa」(ハイドレインジャ オタクサ)…
申餅下鴨神社の参道にあるお休み処「さるや」さんの申餅。「葵祭」の申の日に神前に供えられたという「はねず色」の餅。都人は「葵祭の申餅」と呼んでいたのだそうです。…