片倉シルク記念館 熊谷市本石にある「片倉シルク記念館」は、片倉工業株式会社最後の製糸工場であった熊谷工場の繭倉庫を利用して創設された記念館で、平成19年には経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。 同社の製糸業121年におよぶ歴史を、末永く保存継承するために、熊谷工場の操業当時に使われていた製糸機械が展示され、繭から生糸になるまでの過程が紹介されています。 なお管理を担う片倉工業株式会社はシルクに関するさまざまな情報をコラムを特設サイト「シルクと暮らす」で掲載しています。片倉シルク記念館特集では蚕から絹糸になるまでの流れについて次のサイトをご参照ください。サイト内にある動画「生糸ができるまで」にはその作業工程について詳しく知ることができます。 特設サイト「シルクと暮らす」片倉シルク記念館を巡る http://www.katakura.co.jp/silk/..
2017年12月に開催された絵画展「新たなるバロック」と合わせて開催された演奏会《無伴奏の先にある希望》(絵画:山下祐樹 演奏:ヴァイオリニスト 石亀希実 後援:熊谷市教育委員会)について、展覧会の会場風景と演奏会の収録映像をYouTubeで公開しています。コロナ禍により芸術文化の活動は縮小傾向にあります。感染拡大が続く中、先行きも見通せない状況ですが、新たなツールを生かしながら発信を続けていきたいと思います。希望を持ちながら。 本年は大変お世話になりました。 本年も引き続き「熊谷市文化財日記」を見ていただきありがとうございました。 コロナ禍で文化財事業も通常とは異なる事業進捗とならざるを得ないものとなりました。 感染拡大の収束を願うばかりです。 2021年はより良い1年でありますようご祈念申し上げます。 よいお年をお迎えください。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、熊谷市名勝「星溪園」では令和3年1月17日までの期間、星溪寮・松風庵・積翠閣での室内利用とその利用予約を休止します。1月18日は通常の月曜休園日となります。休止期間中も庭園見学は可能です。(12月27日~1月4日は年末年始で休園となります。)皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。
12月23日(水)、市内平戸の源宗寺にて「平戸の大仏」仏像移動行事が行われました。 開催当日は快晴に恵まれ、青空のもと、市内や地元平戸地区を中心に多くの来場者が訪れました。 午前10時より薬師如来坐像、午後1時30分より観音菩薩坐像、その後続けて蓮華台の移動が行われました。途中、観音菩薩の移動に難航するも、関係者の皆様のご尽力により、無事、仮小屋に2体の仏像と台座を安置することができました。 観音菩薩の移動に難航する様子 移動は、仏像の下にコロを敷き、左右前方から綱を引くかたちで行われました。コロナ禍での開催ということもあり、マスク着用や体温測定、名簿記入はもちろんのこと、参加者にはビニール手袋の着用をお願いし、綱に1.5メートル間隔で印をつけ、人数制限を行ったうえで順番に綱を引いてもらい、対策も万全に実施しました。 吉備文化財修復所の牧野隆夫先生の掛..
先日埼玉県主催のバスでいく古墳巡りツアーが開催されました。埼玉県内を数か所のエリアに分け、熊谷市、本庄市、深谷市で一つのエリアということで、倍率10倍の中で当選した10数名の県民の方々が参加しました。 熊谷では国指定史跡である「宮塚古墳」、県内第2位の規模をほこる「甲山古墳」の見学でした。本市教育委員会では甲山古墳の説明を行い、古墳散策をおこないました。その際、甲山古墳は未発掘であり、周辺を散策すれば、埴輪片が見つかるかもしれない旨も併せて説明したところ、ナビゲータの古墳にコーフン協会のまりこふん氏が片を見つけたのを皮切りに、参加者の方々総出で埴輪捜索が始まりました。 時間に制約がある中、数十点の埴輪片を検出することができました。 古墳見学のみならず、埴輪を発見することができるなんてと、皆さん大変満足していたようでした。 テラス部分の散策ルートを巡る 散策時に..
熊谷市立江南文化財センターのロビーに展示されている埼玉県指定文化財「嘉禄銘板石塔婆」の表面剥離予防の作業を委託し実施しました。この板碑は、国内に所在する板石塔婆の中で最古の紀年銘(嘉禄三年:1227)を持ち、埼玉県の文化財(考古資料)に指定されています。材質は緑泥片岩で、現状は、上半部の向かって左側の一部が欠失、右側の一部が二片となって現存します。内容は、上半部に阿弥陀如来の座像および二菩薩を彫出し、下半部に銘文を陰刻しています。総高は115cm、最大幅61cmの法量です。表面が経年により剥がれやすくなっている状況が見受けられたことから、予防措置としての対応を検討し、今回の作業を行いました。無事に終了し、今後も適切な保存を進めていきます。
12月19日(土)、本堂東側下屋の解体作業が行われました。下屋部分は、仏像移動の作業がしやすいよう、壁を取り払い骨組みだけの状態となりました。 仏像の移動台となる花道にも、コロを転がせるよう合板をはりました。 また、仏像を養生する際に使用した足場も解体され、仏像移動の準備が整いました。 明日、現地にて最終確認と境内の片付けを行う予定です。 「平戸の大仏」仏像移動行事は、既報の通り今週12月23日(水)に開催予定です。 開 催 日:令和2年12月23日(水) 時 間 :午前10時~ 薬師如来坐像移動 午後1時30分~ 観世音菩薩坐像移動 場 所 :源宗寺(熊谷市平戸644) ※車でお越しの方は、老人憩の家「平戸荘」の駐車スペースをご利用ください。https..
プリツカー賞建築家・槇文彦氏による「立正大学熊谷校舎総合計画」
開設当時の熊谷キャンパス 『現代日本建築家全集 19 槇文彦』「立正大学熊谷校舎総合計画」より(上掲も) 熊谷市万吉にある立正大学の熊谷キャンパス施設の構造設計を担当したのは、京都国立近代美術館や幕張メッセなどの設計で世界的な名声を博し、「建築のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞した建築家の槇文彦氏でした。槇氏による「立正大学熊谷校舎総合計画」に基づいて校舎の配置を含めた設計が進められました。その後、キャンパス内の建築物は改築されるなどの変化を経て、当初の計画より増幅された状況が見られますが、耐震のための改修工事の基本的理念においても槇氏の計画が生かされています。著名建築家による建築的遺産が熊谷に存在する意味は大きいように感じます。今日に引き継がれた点、改築後に新たな形式となった点など、興味深い点は多々ありますが、立正大学熊谷キャンパスに足を運ぶ機会があり..
12月8日、熊谷市立荒川公民館で講演会「熊谷ダイナミズム―息づく動の記録」が開催されました。講師を江南文化財センターの山下祐樹主任が担当しました。今回の講演会では、埼玉新聞県北地域面で隔週で連載している「熊谷ダイナミズム―息づく動の記録」をテーマにしました。記事では、熊谷の歴史・文化とスポーツの関わりについて紹介しています。講演を通じてダイナミックな熊谷のスポーツ文化の魅力をお伝えしました。講演の様子を動画で収録しました。編集後、動画共有サイトYouTubeの文化財センターページにおいて配信する予定です。埼玉新聞の記事と合わせてお楽しみいただけたらと思います。
宿稲荷神社は、群馬県北群馬郡榛東村に所在し、その社殿は、幕末期に造営されたと伝えられています。 拝殿、本殿ともに欅材で彫られた緻密な彫刻が施されています。これらの彫刻を手がけたのは、勢多郡東村の彫刻師・三代目石原常八です。 三代目石原常八は、妻沼の林家五代目・正道ととも妻沼聖天山の総門であり、国の重要文化財に指定されている貴惣門の彫刻を手がけた人物でもあります。 拝殿 正面向拝前部 大蛇退治の様子 拝殿 正面向拝の柱上部 獅子の木鼻 拝殿 右側脇障子 わが子を谷に落とす獅子 本殿北面及び西面、南面にも中国の故事などを題材にした細やかな彫刻が施されています。
調査が順調に進んでいる道の駅予定地内の池上遺跡ですが、先日機会を設けて名古屋大学の准教授にお越しいただきました。 氏の研究テーマは弥生時代における人々の営みを当時の食生活などから研究する環境考古学で、現在調査している調査区では、土器が投げ捨てられている土坑が複数検出しています。廃棄土坑と推定しているのですが、そこには生活の痕跡である残滓として、穀物や炭化物が確認されています。 それらは、炭素14年代法などの分析にかけることで、当時の食生活のみならず、土坑に廃棄された年代特定につながります。 35年以上前の池上遺跡では、住居跡から炭化米が検出され、弥生時代中期からこの地域一帯が稲作を行っていたことが分かっています。 今回の調査は過去の調査結果を補完するうえで、重要だと考えらます。
市内平戸の源宗寺では、来週23日に行われる仏像移動行事に向けて着々と準備が進められています。 12月12日(土)、源宗寺本堂の瓦降ろしが行われ、一枚一枚、手作業によって瓦が取り外されました。向拝部分の龍の鬼瓦、大棟や隅棟部分の鬼瓦は一時保存し、今後瓦の修繕も検討中です。 鬼瓦には刻印がありました。昭和の改修時に、造られたもののようです。 昨日14日(月)からは、本堂東側の解体が始まり、仏像移動のための花道の設置工事も着々と進められています。
昨年の令和元年11月23日に、熊谷文化創造館さくらめいと「太陽のホール」 で開催された第12回地域伝統芸能今昔物語 ダイジェスト版をYouTubeにおいて配信しています。 本年の今昔物語は新型コロナウイルス対策により映像記録会の方式として無観客で開催されました。観客を前にしての演奏や披露は本当に熱の籠もった雰囲気を作り上げます。再びそうした今昔物語の開催が可能となることを願ってやみません。
長らく、お知らせできなかった発掘調査の内容について今回は掲載します。 先月から熊谷市東部の池上地区に予定している道の駅整備地内で発掘調査を開始しました。 今回の調査地点は過去に国道17号バイパスをを調査した小敷田遺跡の3区の東にあたります。 先週から本格的な調査が始まったので、まだ全容は明らかではありませんが、現在までに土坑数十基、溝跡数条、環濠かと思われるもの、掘立柱になるであろうピット多数が検出されています。 出土遺物は弥生時代中期の甕、壺片で、これまでにそれ以外の時期のものは検出しておりません。 今回は、掘立柱建物を探す目的で、ドローンによる遺構確認を実施しました。模式図としても活用できるため、大規模現場には非常に役に立つツールではないでしょうか。 作業風景 土坑 遺物検出状況 ドローン撮影写真
熊谷市鎌倉町の名勝「星溪園」の紅葉が概ねクライマックスを迎えて見頃となっています。庭園散策をお楽しみください。入園無料。通常、月曜日休園です。加えて、松風庵の玄関ギャラリーではリトグラフの小品展を開催しています。どうぞお越しください。
12月23日(水)の仏像移動に向けて、源宗寺では吉備文化財修復所による仏像の養生作業が着々と進められています。 お堂が狭く、仏像まわりのスペースがわずかしかないため、非常に大変な作業です。足場を設置し、仏像全体を梱包します。現段階では、薬師如来と観世音菩薩2体の梱包が完了し、仏像の下に像を移動させるためのコロを入れる作業が進められています。 「平戸の大仏 仏像移動行事」は、令和2年12月23日(水)午前10時より開催予定です。午前中に薬師如来坐像を、午後1時30分から観世音菩薩坐像を移動させる予定です。 ご参列いただいた皆様には、仏像につけたロープを引いて仮設小屋への移動のお手伝いをしていただく予定です。見学、参加ともに無料です。 源宗寺創建以来のこの歴史的な瞬間を、より多くの皆様と共有できることを願っております。 源宗寺本堂保存修理委..
今回は、長野市で開催の発掘調査成果、並びに同時開催の企画展示についてお知らせします。 この展示は、市内4遺跡における発掘調査成果を展示するほか、企画展示として、東町遺跡出土の弥生時代中期後半(約2,000年前)の栗林式土器に描かれた絵画が注目の一つとして展示されています。 絵画土器の外面には「祭人」と呼ばれる鳥の羽を頭飾りにしたシャーマン、もしくは戦士と思われる人が描かれており、農耕祭祀で使用されたものであろうと考えられています。 この長野盆地での文化は熊谷市でも確認されており、市内上之地域を中心に、栗林式土器が確認されており、在地の伝統と融合した土器なども検出されております。熊谷との関係を知る上でも興味深いものです。ぜひ新型コロナウイルス対策をしたうえで、お出かけください。 お問い合わせ 長野市埋蔵文化財センター 長野市小島田町1414(長野市立博物..
植野惣社稲荷神社は、群馬県前橋市総社町にあります。江戸時代初期、境内に稀な榎の大木があったことから、一本木稲荷とも呼ばれています。 本殿とその覆屋は、明和7年(1770)に創建されました。本殿の彫刻は、勢多郡黒保根村出身の彫刻師・関口文治郎他4名によって手掛けられました。文治郎は、「上州の左甚五郎」とも謳われ、熊谷の国宝・歓喜院聖天堂の造営にも携わっています。 明和7年創建の本殿覆屋 また、現在の拝殿は元治元年(1864)に修復再建されました。拝殿は、千鳥破風と向拝に軒唐破風を備えた造りです。社殿の彫刻を手掛けたのは、武州熊谷出身の彫刻師・小林源太郎です。先日、当ブログにて紹介した早尾神社本殿の彫刻を手掛けた初代・小林源八正信の2代目となります。源太郎は、「関東の名工」と称され、榛名神社双龍門など多くの作品を残しています。 向拝部分の海老虹梁 透かし彫りの..
長島記念館の主屋には、渋沢栄一直筆の額「福養以分安」が掲示されています。筆名の青淵が記され、「分を按じもって福を養う」と読むことができます。これは禅語からの引用と考えられます。長島記念館には、この額を含めて3点の渋沢栄一直筆の書を有しています。お立ち寄りの際は是非ご覧ください。
12月3日(木)、市内平戸の源宗寺にて、今月23日に予定されている仏像移動の打ち合わせを行いました。打ち合わせには、吉備文化財修復所の牧野先生をはじめ、平戸自治会や源宗寺護持会より代表者数名も参加し、コロナ対策に備えた体制や当日の仏像移動の流れ、役割分担などについて話し合いを行いました。 源宗寺創建当初から、ずっとこの場所に鎮座してきた大仏(おおぼとけ)様の移動は、誰も経験したことのない一大プロジェクトです。仏像は下にコロをかませ、綱で引っ張って現本堂から仮小屋へ移動させます。当日の仏像移動には、ご参列いただいた一般の方々にもその作業にご協力いただく予定です。受付での名簿記入や消毒、マスク・手袋の着用などコロナ感染症対策についても十分留意しながら実施します。平日の開催となりますが、お時間のある方は一生に一度とも言える大変貴重な機会ですので是非お越しください。 現場..
早尾神社本殿は、群馬県渋川市半田にある江戸時代後期の特徴を示す社殿です。本殿は、大きなガラス窓のある覆屋の中に鎮座しています。棟札によると文化14年(1817)に建築されたとされ、素木造り、屋根はこけら葺きとなっています。 南側を正面に、北及び東西の三面には、縁の下の木組みや柱、梁など細部に至るまで緻密な彫刻が施されています。 南側正面の海老虹梁と左右の柱には龍が巻き付いています。 北面 孔子が旅の途中で陽虎と間違われ槍を突きつけられている場面 東面 中国の武将・韓信の少年時代の様子 西面 金時(後の坂田金太郎)が母と別れる場面 腰羽目彫刻や脇障子にも、唐子や動物の彫刻が施されています。 これらの彫刻を手がけたのは、江戸時代の彫刻師 小林源八正信です。 小林源八正信は、幡羅郡玉井村(現在の熊谷市)に住み、初代小林源八を名乗りまし..
12月1日(火)、市内平戸の源宗寺本堂にて撥遣式(はっけんしき)が執り行われました。撥遣式とは、仏像を別の場所に移動する場合などに、魂を抜いた状態にするための儀式のことです。 式には、源宗寺本堂保存修理委員会のメンバーに加え、源宗寺護持会や地元平戸地区から一般の方々にもご参列いただきました。市内久下の東竹院・岸ご住職様によりお経があげられ、参列者一人ひとりが事業の成功と安全を願って、心を込めてご焼香を捧げました。 明後日4日(金)より、仏像の養生作業を開始し、仏像を保護したうえで本堂東側の壁を解体し、搬出口を設け、12月23、24日に仏像を現本堂から仮小屋に移動する予定です。新たな本堂の建設と同時進行で、仮小屋内で吉備文化財修復所による仏像の補強作業が行われます。 仮小屋の建設工事も着々と進んでいました。仮小屋には、保管中も大仏(おおぼとけ)様の様子を見ること..
「妻沼の聖天さま 地元に愛される埼玉県内唯一の国宝建造物」映像配信
本年2月、埼玉県川口市のSKIPシティ で開催された映像作品「しょうでんさま 国宝「歓喜院聖天堂」」の公開に合わせた講演会と、熊谷市立江南文化財センター山下祐樹主任と株式会社小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏との対談の様子を収録した動画の全収録版をYouTubeで配信しています。どうぞご参照ください。
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