毎日の日訓の記録です
某社から携帯に送って頂いている日訓です 私の活力源です どなたかの力になればと記録することにしました
人を生かせ、自分も生きる愛するということはひとのためになるように奉仕することであります。私達が一心にひとのためにつくしていますと、いつの間にかそのひとばかりではなく一切のものが生かされて来て、自分もまた幸せになるのであります。それは人間はみな神様の
努力しただけの報いは必ずある因果律、業の法則は確実に働くから、努力しただけの報いは必ずある。どんな小さい改善でも、それを積み重ねて行くことによって、大きな進歩向上をなしとげる。一歩一歩をおろそかにして、「一歩ぐらいじゃつまらない、やめておこう」とじ
人間は日々新たに生れる新しき朝を迎えて、わが心に神の光(ひかり)射し入り過去の一切の暗黒は、わが心の中から消え去ってしまったのである。神の光明輝く愛がわが心の中に照り輝くが故に、環境はわが心の影として、神の輝く愛がわが家にも充満し、平和と喜悦と調和
人間は無限に進歩向上する人は、絶えず進歩し向上する。それ故(ゆえ)現在の未熟さによって、劣等感に陥ってはならない。劣等感をもつ者は、その背後に「神の子・人間」の実相があることを知って、大いなる自信をもて。「おれはつまらぬ者だ」と思うのは、本当の自分が
生命の糧は智慧と愛である種を蒔(ま)いても収穫の得られないことがあります。たとえば、石地(いしじ)の耕さない固い地面に、ポッと種を蒔いたとしても発芽しないか、発芽しても大した収穫は得られないのであります。耕さないのは労力(生命)を与えていない。愛念を与
はからい心を捨てよ、神の叡智が出る私達の本来の心は「神の子の心」そのままである。私達は病気を治すために悟ろうとあせったり、精神力で病気に打ち克とうと努力するのではなく、そのようなはからい心を一切すてさりますと、そのとき忽然として仏の世界、神の国が眼
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