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  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (2)

    地のエルサレムの復活 さて、神がご自身の証しの一部または大部分を回復するために再び動かれる時は常に、そのような動きは必ず、復活に固有のもの、つまり命の新しさという印を帯びていました――あるいは、別の言い方をすると、死に対する勝利という印を帯びていました。これは常にそうでしたし、今も常にそうです。より豊かなご自身の証しに関する神の動きは、常に復活の性格、新しい命の性質を帯びています。 エルサレムの歴史...

  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (1)

    「……塩は制限なく与えよ」(エズラ七・二二)。「あなたたちは地の塩である。しかし、もし塩が味を失えば、何によって塩味をつけるのであろうか?もはや何の役にも立たず、ただ投げ捨てられ、人に踏みつけられるだけである」(マタイ五・十三)。「塩は良いものである。しかし、もし塩が塩味を失ったなら、何によって塩味を取り戻すのだろうか?自分自身の内に塩を持ちなさい」(マルコ九・五〇)。 ネヘミヤ記に戻ることにします...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (8)

    主を求める気質 さて、この動機についてもう一言述べて、終わることにします。使徒は、ローマ人への手紙十二・一~二の礼拝に関する偉大な言葉の中で、続けてこう述べています――この御言葉を読むのを途中でやめてはいけません――「……これがあなたたちの礼拝です。そして、この時代にしたがって、かたどられてはなりません。むしろ、思いを新しくすることによって造り変えられなさい」――心を「新しくする」ことについて述べられてい...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (7)

    二心 さて、私たちが今回見ているように、廃墟となって崩れているこの城壁を見てください。そうするなら、あなたは今一度こう言うでしょう、「この状況はどうしてでしょう?この悲劇的光景はどうしてでしょう?それを見た人がみな、頭を振ったり、ため息をついたりするのは、どうしたことでしょう?かつてはとても輝かしかったものがこんなことになるとは、何が起きたのでしょう?これはどうしてでしょう?」。その答えは次のよう...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (6)

    人類に対する悪魔の欺き しかしその後、恐ろしい断絶が生じました。神から逸らすために、自分自身に向かわせるために、敵がエデンの園にやって来ました。しかし、どうやってでしょう?――これは認識するのが恐ろしいことです。敵は人自身の個人的利益を示し、人自身の個人的利益を第一とし、人に次のことを示しました。すなわち、人はなにかを所有できること――なにかを得られることを示したのです。その時までは、主が何を得られる...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (5)

    主は礼拝に基づいて近づかれる さて、これこそまさに聖書の分岐点です。神が人を造り、ご自身との交わりの中にもたらされた時、すべては主のためでした。人には、主以外に生き、働く目的がありませんでした。それはとても麗しい状況でした。人と主だけでした。主は夕方の涼しい頃に来て、エデンの園を歩き、ご自身が造った人々を迎え入れられたように思われます。彼らの生活と働きの中には喜びがありました。主はこれを喜ばれまし...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (4)

    そのような人たちの生活は、礼拝の祈りです。彼らは、常に言葉を述べているとはかぎりませんし、常にひざまずいているとはかぎりません。また、常に集会の中にいるとはかぎりません。しかし、彼らの背後から、言わば、なにかが主に向かって手を伸ばしています――彼らは主を慕っています。エルサレムの栄光の時代、イスラエルの人々は、エルサレムから遠く離れていても、エルサレムを慕いましたが、それと同じことが彼らにも言えま...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (3)

    宗教はひとまず置いておいて、少しの間、礼拝の初歩的な要素について考えてみましょう。宗教的な体系や形式が何もなくても、礼拝は続きます。それがまさにその中に根付いています。礼拝の基本的要素とは何でしょう?それは、人生を動機づける要素にほかなりません――つまり、生きる価値であり、生きがいです。だれもが陥るおそれのある、最低の、最も悲しい、最も悲劇的な状態は、人生への興味をすっかり失ってしまうことであり、...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (2)

    礼拝とは贖って神にもたらすことである そこで、数分の間、この礼拝の問題について見ることにします。いま見ているように、ネヘミヤの働きはエルサレムの城壁を再建することでしたが、それは実は贖いの働きでした――状況を贖い、証しを贖う働きでした。それは贖いの働きでした。さて、よくご存じのように、贖いとは神にもたらすことです。「私たちを贖って神にもたらしてくださった」(黙示録五・九、欽定訳)――こう記されています...

  • 「主の証しの全き回復」第三章 根本的な問題である礼拝 (1)

    私たちは、ネヘミヤの発言のある句が示している点に専念しています。彼は、敵が狡猾に、自分を陥れるために、どこか遠く離れた場所で会うように誘った時、こう言いました、「私は大きな働きをしているので、下って行くことはできません」。この言葉を「大きな働き」と短縮することにします。なぜなら、このネヘミヤ記は神の大きな働きを図式や歴史的絵図によって示しているからです。ネヘミヤは、この章のまさに冒頭で見たように...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (11)

    偶像崇拝とは何でしょう?木や石でできている偶像にひれ伏す以外に、それは多くの、多くの巧妙な形を取ります。そして、多くのとき、間接的な形を取ります。それは、神に取って代わるもの、神の道に割り込むものに思いを馳せることです。なんと広大な領域をこれは網羅することでしょう!その影響の結果、最終的に、主は妨げられ、妨害され、求めているものを得られなくなります。これが偶像崇拝の原則です。それは主に取って代わ...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (10)

    ある法則の働きの極端な例として、次のようなものがあります。詩篇の作者は荒野におけるイスラエルについてこう述べています、「彼は彼らにその求めるものを与えられたが、彼らの魂の中にやせ衰える病を送られた」(詩篇一〇六・十五)。彼らは手放すことを拒みました。彼らは欲しがったのです。神の「ノー」の前で「イエス」と言ったのです。「それを得ることにします」。「よろしい」と主は言われました――そして、彼らは得たこ...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (9)

    偶像崇拝がこの崩壊状態の原因である 回復に移る前に、この状況をもたらした根本的・究極的理由を検証・追跡しなければなりません。この書とそれに至る他の諸書に出て来る絵図から、手がかりが得られます。この問題全体の根幹を突く一つの言葉があります。それは偶像崇拝です。廃墟と瓦礫の中にあるこの城壁を見るなら、黙想・熟考して、「なぜでしょう?これはなぜでしょう?こんなことになるとはどういうことでしょう?この状況...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (8)

    城壁を修理する必要性 ここで、意味を誤解されないように、一言述べる必要があります。ネヘミヤは城壁全体を基礎から造り直したわけではありません。よく見ると、行われていたのは城壁の修理だったことがわかります。壊されたものを修理して完全なものにしていたのです。なぜ私はこれを述べているのでしょう?この城壁を基礎から築くことを、私たちは命じられていませんし、そうするよう召されてもいないからです。神に感謝します...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (7)

    そして第三に、この城壁は防御するものでした。それは言わば、責任ある立場に置かれたものでした。それには、主の権益と主の民を、侵入しようとするもの、攻撃しようとするもの、堕落させようとするもの、その性格を変えようとするものから守る責任がありました。主は証しを必要としておられます。その証しは、すべてに対して課題を突き付けるものであり、主に全く属しているわけではないものをなにも通さないものです。ここで教...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (6)

    そして次に――これは違いのない区別であるとあなたは思うかもしれませんが、違いがあるのです――城壁は境界つまり区別を表していました。ここでは物事は全く混ざり合っていません。この城壁は次の事実を宣言し、確立するものです。すなわち、この証しは独特な証しであるという事実です。それは一般的なものではありません。それはあらゆる種類の異なるものに帰着するものではありません。それは明確であり、独特です。それは一つの...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (5)

    その目的――城壁 さて、この書の問題の主な特徴に進むことにしましょう。最初の学びで述べたように、それは三つあります。すなわち、城壁、働き、戦いです。もしくは、御旨、行動、戦いです。御旨すなわち城壁から始めることにします。ネヘミヤが修理しようとしていたこの城壁が何を表しているのかについて――この城壁が何を象徴しているのかについて――私たちはよくよくはっきりしていなければなりません。この城壁について、この城...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (4)

    ネヘミヤのビジョンとインスピレーション そして、さらに、ネヘミヤはその行動によって、他の人々を自分のビジョンと関心事の中に引き込みました。まず第一に、それは彼自身の心の中にあり、彼の心の中に隠されていました。神が自分の心に置かれたことを彼はだれにも言いませんでした。そもそも、それは彼自身と主との間のことであり、彼がある地位に達して、自分の調査の結果としてある決定を下すまでは、彼は他の人に心を開きま...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (3)

    私の心の中には、このメッセージでは言い表せない多くの思いがあります。しかし、私はこのことに関して、聖書全体を考慮に入れています。そして、先に進むにつれてわかるようになると思いますが、私は特に新約聖書に向かおうとしています。私は現経綸の偉大なネヘミヤである使徒パウロに思いを馳せています。クリスチャンの間で彼はなんという状況に直面しなければならなかったことでしょう!なんという状況に彼は遭遇し、対処し...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (2)

    事実、今日、世界のどこに行っても、主の民の間の霊的状況を嘆いている人々が常に見つかります。彼らの感覚はおおむね正しいです――しかし、前に述べたように、彼らの多くは不満・不平・ぐち・苦情・批判を述べるだけで、解決策や改善案をなにも提示しません。それにもかかわらず、教会の霊的状況について抱いている彼らの印象はおおむね真実です。今日、次のことは大いに真実です。すなわち、教会に関してすべてが正しいわけでは...

  • 「主の証しの全き回復」第二章 城壁の状態 (1)

    ネヘミヤの行動 さて、ネヘミヤの関心事から彼の行動に移ることにします――というのは、これまで述べてきたように、ネヘミヤは状況を冷静かつ否定的に批判するだけの人ではなかったからです。彼は、神の栄光のためになすべきことを知らずに、またそれについてなにかを行うことなく、間違いをすべて指摘するだけの人ではありませんでした。それで、彼は行動を起こしました。聖書の中で、あるいは少なくとも旧約聖書の中で、他の書物...

  • 「主の証しの全き回復」第一章 最初の行動 (11)

    ネヘミヤは、戻って来た兄弟たちから、エルサレムの状況について報告を受けていました。城壁は破壊され、門は火で焼かれ、人々は悲惨な状態にありました。彼はその報告を受け、必要についてすべて知っていましたが、まったくどうすることもできませんでした。神だけがそれをなすことができました。どうか信じてください、親愛なる友よ、このような立場によって偉大な約束が与えられます。このような立場に対して神は働かれます。...

  • 「主の証しの全き回復」第一章 最初の行動 (10)

    それから、長い遅延がありました。「ああ、時間がかかりすぎます!ああ、何かできれば!」。主はそのような忍耐を要求しておられます。私たちは主の遅延に抵抗します。私たちは機会の遅れによって深刻な試みを受けます。何も始まらず、道はありません。しかし重要なのは――私たちはこのことで本当に苦悩しているのか?ということです。きっと主は、私たちの真の関心事に関して私たちを試すために、遅延や延期を用いておられるので...

  • 「主の証しの全き回復」第一章 最初の行動 (9)

    ネヘミヤもそうだったにちがいないと思います。「ここで私は王の献酌官をしています!」。彼の心中の反発が聞こえてきそうです。それを彼はどれほど軽んじていたことでしょう――というのは、主の権益の方が彼にとって遥かに重大なものになっていたからです!この人、この支配者、この王は、偉大な人であり、当時の世界で最も偉大な人でした。その献酌官であることは、決して小さなことではありませんでした。エステルとモルデカイ...

  • 「主の証しの全き回復」第一章 最初の行動 (8)

    ネヘミヤの苦悩の特徴 少しの間、ネヘミヤのこの苦悩について、さらに詳しく見ることにしましょう。彼の苦悩にはどんな特徴があったのでしょう?私は彼を理解し、洞察し、その心に入り込もうとしました。彼の叫びの原因、彼の悲しみ、彼の重い苦悩の原因を、知ろうとしました。そうしているうちに、彼のこの苦悩の原因のいくつかがわかったような気がしました。 ネヘミヤは、物事のあるべき姿と実際の姿を見ました。次に、自分自...

  • 「主の証しの全き回復」第一章 最初の行動 (7)

    そしてこれは、親愛なる友よ、私たちに課題を突き付けます。疑いなく、私たちのほとんどは、神の民、神の教会の中にある、神の御心にかなっていないものを指摘することができるでしょう。物事があるべき姿からどれほどかけ離れているのか、このことがいかに悪く、あのことがいかに悪いのかを、指摘することができるでしょう。ああ、それはとても容易であり、とても安易です――批判すること、批判に耳を傾けること、それに同意する...

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