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オリバーさんの新着記事

1件〜30件

  • 「御座に触れる」第五章 御言葉の剣と祈り (5)

    目を覚まして祈る 目を覚まして祈りなさい!目を覚ましていることと祈ることのこの場合の意味は、祈れるよう目を覚ましていることであり、あなたに祈りをやめさせるものに警戒することです。私たちは「~ないように」しなければなりません。「サタンが優位にならないように」。私たちの方で防止・阻止して、悪魔の策略に立ち向かわなければならないことがわかります。ごく普通の自然な出来事についても、その中に何らかの凶器、私...

  • 「御座に触れる」第五章 御言葉の剣と祈り (4)

     どうか主が、敵の策略に対抗して立つ必要性を、再び私たちの心に強調・力説して下さいますように!なぜなら悪魔の策略は、私たちが送っている祈りの生活に反対することに向けられているだけでなく、さらに豊かな祈りの生活と神の御言葉の生活を私たちに送らせないようにすることにも向けられているからです。これを繰り返すのを忍んでください。なぜなら、それが必要だと私は確信しているからです。敵が自分の道を得る時、あなた...

  • 「御座に触れる」第五章 御言葉の剣と祈り (3)

     この未装備の状態は、神の御前における霊的不名誉と地位の喪失を意味します。主の民に付けられている名称がこれらの章で変わっていることに、あなたは気づいたでしょうか?「ヘブル人」と呼ばれる時もありますし、「イスラエル」と呼ばれることもあります。詳しく見ると、主の御霊は、彼らがペリシテ人の側にある時は「ヘブル人」、そうでない時は「イスラエル」と呼んでおられることがわかります。彼らがペリシテ人の側にある時...

  • 「御座に触れる」第五章 御言葉の剣と祈り (2)

    敵の戦略 この戦略の狙いは、戦いの前に主の民を実質的に打ち負かすことでした。彼らの武器は没収され、生産性を上げる手段は取り除かれ、破壊されていました。 これは狡猾な戦略でしたし、確かに敵の主要な戦略の一つです。神の民の実際の歴史のこの出来事の中に、神の証しの敵が常にどのように働こうとしているのかの暗示を見ることができるのではないでしょうか?私たちの前の黙想で見ましたが、神の民の武器はもっぱら祈りと...

  • 「御座に触れる」第五章 御言葉の剣と祈り (1)

    聖書朗読:士師七・一~七。一サムエル一三・二~七、一九~二三。エペソ六・一七~一八。 祈りについての私たちの黙想の終わりにあたって、さらに述べる必要がある一、二のことがあります。それらは上に挙げた聖書の節と大いに関係しています。 サムエル記第一の一三章と一四章の内容を集約すると、その状況はまさに以下の通りです:民を公に代表しているサウルは、神を信じる信仰の量がほとんどマイナスの状況にあります。その...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (13)

     主は彼のからだ全体を完成させようとしておられます。そして、すべての部分が全体に関してしかるべく働かなければなりません。ある日、私たちの試練、困難、困惑の累積的効果が、完成されたからだ全体にわたって見られるようになるでしょう。その時、私たちは理解するでしょう。私たちが苦しんだ時、私たちは一人ぼっちで苦しんでいたわけではなかったのです。私たちの苦しみは自分だけのものではなく団体的なものであり、他の人...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (12)

    祈りの中で責任を負うこと 次に、第三に、団体的な面があります。ネヘミヤは彼が日夜祈った祈りについて述べましたが、その祈りは他の人々と関連していました。なぜなら、それは主の民と関係していたからです。キリストの祈りも同じ性格を帯びていました。キリストの祈りは御自身のためだけではなく、御自身の民と関係していたのであり、昼も夜も彼らのためになされました。パウロの諸々の祈りも明らかに同じ順番でした。「……あな...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (11)

     さて、私たちが述べているのは、本や講義から神聖な諸原則を知ることはできないし、霊的な知識を得ることもできない、ということです。これらの原則が私たちに到来するのは、ただ命と経験という道によります。生き生きとした性格を帯びていることが私たちの内になされ、命が私たちの中に形成され、発達させられます。そして次に、その完全な成就に向けて、それは私たちを苦しみの中にもたらします。これが霊的知識を得る方法です...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (10)

     しかし、マイクロホン的な御言葉理解を持つとき、私たちは聖書を持ちます。そうです、しかし、それ以上です。神が聖書を通して語られ、私たちは生けるものを得ます。私たちはみな、子供のとき海辺で、貝殻を拾って耳に当て、海鳴りを聞きました。その貝殻を町の家に持ち帰って、耳に当てると、依然として海鳴りが聞こえました。これは本当でしょうか?それは子供じみた幻想です。私たちが子供で、貝殻を町中で持っていた時、私た...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (9)

    霊的理解力の獲得 さて、これにより次の問題が私たちに生じます。すなわち、神は状況によって何を意図しておられるのかを知ることを祈りの中で求める、という問題です。神は状況によって何を意図しておられるのかを、深い心の慮りと苦しみを通して知ることが、私たちの訓練です。私たちはより高い命の水準に到達しました。ですから、執拗な祈りの二番目の点は知識です。第一が道徳的命であり、知識が第二です。自分自身を神の御手...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (8)

     執拗な祈りの道徳的面とは、ですから、キリストの美徳と卓越性が私たちの中に造り込まれることです。神がただちに、今日、明日、一週間、一カ月、一年たっても祈りに応えて下さらず、そのため執拗さすなわち忍耐が必要とされる時、彼は何をなさっているのでしょう?彼は私たちの中に御子の道徳的卓越性、完成された勝利の信仰、完成された勝利の忍耐、完成された勝利の献身と彼への従順を造り込んでおられるのです。彼がそれを要...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (7)

     次に、この道徳的要素のもう一つの面があります。それは、これらの卓越性と美徳が私たち自身の魂の中に聖霊によって造り込まれなければならない、ということです。神の御前におられる主イエスは神御自身の御心にかなった代表者ですが、彼は代表者であるだけでなく、キリストにある新創造のすべての肢体がその方から自分たちの性格を得るべき人でもあります。完全な人――完成された人――である彼のすべての美徳と卓越性が、彼のすべ...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (6)

    執拗さの性質 さて、少し要約に努めることにします。執拗な祈りには三つの面があります――しかし、なぜ執拗さが要求されており、必要であり、正しいのか、あなたは理解しているでしょうか?服従は、前に指摘したように、能動的なものです。積極的なものであって、受動的なものではありません。それは神の御心と調和します。そして次に、道徳的特徴を発達させるために、執拗さが続きます。内側に造り込まれたキリストの道徳的卓越性...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (5)

    教育としての祈り 次に、私たちに関して道徳的問題が主の御心の中で第一位を占めていることを見るとき、祈りは教育・訓練になります。私たちは「祈りの学校」について話しますが、これは大いに適切な名称です。教育と訓練は同じものではありません。教育は知識を得ることと関係しており、訓練は実行的に表現された道徳的価値と関係しています。この定義を理解して下さい。これは重要だからです。私たちは「教育を受けた人」につい...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (4)

     しかし、主は新しい徳性、新しい天的体系とまったく新しい知性にしたがって、私たちを道徳的な被造物に構成されました。それは天然の人ではありません。私たちは判断、価値、評価のまったく新しい体系を持っています。そして、何事においても主は今や私たちに諮られます。内側からの新創造の感覚、意識、確信、暗示に関して自分自身を訓練するよう、主は私たちに命じられます。こういうわけで新創造は道徳的なものですが、旧創造...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (3)

    服従と執拗さとの間の戦い それで、服従と執拗さという線に沿って、この問題が私たちに生じます。この二つは互いに敵対しているように、争いと不一致を示しているように思われます。執拗さと服従をどうすれば両立できるのでしょう?執拗さは服従を排斥するのではないでしょうか?服従は執拗さを排斥するのではないでしょうか?これらは互いに敵対しているように思われますが、それでもそうではありません。祈りのときに生じるこの...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (2)

     神が状況を許しておられるのは、それが彼の絶対的みこころだからでしょうか、それとも、それによって私たちを発達させて何らかの立場に至らせるためでしょうか?後者の場合、神のみこころは相対的であって絶対的ではありません。すなわち、状況は神の御心を絶対的に示すものではなく、むしろ、他の目的のために神がそれを許されたのであって、したがって、神の相対的みこころを表しています。今、祈りに関する神のみこころを包括...

  • 「御座に触れる」第四章 祈りにおける知的困難 (1)

     祈りの五つの相、すなわち、交わり、服従、嘆願、協力、戦いについて考えたので、今さらに少し進んで、祈りに関する問題のいくつかを考えることにします。すでに述べたように、非常に多くのとき、私たちの思いの背後にある反対や疑念の名状しがたい感覚が、祈りを損ない麻痺させる影響を及ぼします。そして私たちは時々、それまで一度も真剣に取り組んで分析・規定したことのない知的困難によって妨げられます。私たちの今回の目...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (12)

     敵が十字架に関してしようとするもう一つのことは、その完全な意味に関してクリスチャンたちを無知なままにしておくことです。一人のクリスチャンが突破して、カルバリの完全な意義の啓示の中に入る日は、主にとって大いなる日であり、敵にとって恐るべき日です。その日は戦いの領域における新たな記念碑となります。主イエスの身代わりの御業の立場の上に立つとき、あなたは或る種の反対に出会います。しかし、私を信じて下さい...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (11)

     敵はこれらの路線に失敗しました。そして、敵にもかかわらず十字架は成就されました。そこで、敵は今や十字架の宣べ伝えを変更・改変しようとします。それは十字架を無効化するためです。敵は人々に十字架を宣べ伝えさせ、彼らの宣べ伝えによって十字架を無効化します。これはとんでもなく巧妙です!また、これから敵がどこまでやるのかがわかります。敵は十字架の宣べ伝えを推進しますが、敵の煽動によって、その影響下で宣べ伝...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (10)

    勝利の基礎 この戦いにおける勝利の基礎に関して、一言か二言だけ述べることにします。この第一列王記十八章における勝利の基礎は、まぎれもなく、祭壇でした。そして、エペソ書でもこれは同じです。天的戦いと勝利のために天上で自分の地位に着く前に、エペソ書の先立つ章を通過しなければなりません。そして、一つの死が生じたこと、一つの祭壇があったこと、死んだので「共に生かされてよみがえらされた」ことを理解しなければ...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (9)

     ですから、これに向かって私たちは働き、私たちの注意を向けなければなりません。霊的交わりに努めようではありませんか!これは神の御言葉に反するものとの妥協を意味しません。また、主が代価を払って私たちに与えて下さった霊的地位から下りることを意味するものであってはなりません。ネヘミヤの敵が「下って来なさい。そして、この問題について議論しようではありませんか。私たちはこれについて話し合わなければなりません...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (8)

     しかし、ああ!悪魔のこれらの策略への警戒!主の民の団体生活を粉砕する敵の諸々の方法を挙げることは、私たちの力を超えています。そして、ここで祈りと警戒が必要になります。祈りは敵の策略を知る知識という結果にならなければなりません。「目を覚まして祈る」ことは、敵の目的と敵が働く方法とを祈りによって見い出すために目を覚まして祈ることです。 私たちは敵で頭をいっぱいにしたくありません。敵に目を留めてばかり...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (7)

    目を覚ましていることの戦略的価値 ここで私は感じるのですが、親愛なる友よ、あなたも私もネヘミヤがしたことをしなければなりません。また、使徒がまさにこの箇所で私たちにするよう勧めていることをしなければなりません。「見張っていなさい」「そのために目を覚ましていなさい」。なぜなら、両方の文脈から分かるように、眼中にあるのは悪魔の諸々の策略だからです。それらは敵の巧妙な活動です。そして、実行的な意志の働き...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (6)

    栄光の中のキリスト――この戦いの目的 これに関して述べるべきもう一つのことは、からだである教会は直接的誘因ではあるものの、究極的なものではないということです。教会すなわちキリストのからだを、第一位に置いてはなりません。それは一つの誘因ですが、最終的なものではありません。教会すなわちキリストのからだは、彼の道具であり、彼の証しのための彼の器です。彼の証しがこのからだに託されています。これは彼の復活にお...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (5)

    教会――この戦いの誘因 この戦いの誘因は何でしょう?この戦いは何のためでしょう?第一列王記十八章とエペソ六章のこれらの節の両方の文脈から、この戦いの誘因は教会であることがわかります。教会がその直接的目的です。第一列王記十八章では、それは神の民です。そして、エリヤの祈りの核心は、彼らの心は立ち返らなければならない、ということです。主の民が目的であり、彼の祈りはこの民のためです。ですから、彼は彼ら全員を...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (4)

     下界で祈ることと、宇宙の巨大な軍勢に対抗して祈って天の事柄を推進することとの間には、大きな違いがあります。主の民が欲しているのは祈りによって上げられることです。強力で、天的で、永遠の、宇宙的事柄に影響を及ぼし、それに触れ、それを押し通す地点に上げられることです。祈りの問題に関して、私たちは自分の天的立場にもたらされる必要が大いにあります。その天的立場は、他方の背後にある真の霊的問題に影響を及ぼす...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (3)

    祈りの普遍性 さて、この霊の戦いについて少し敷衍することにします。私たちが読んだこれらの節は、私たちにとても包括的な立場を示しています。一列一八章のカルメル山におけるエリヤの戦いは、まぎれもなく、新約の真理、特にエペソ六章の絵図です。この二つは予型と本体として、対をなすものとして、共に進みます。両者に共通するのは、この戦いの領域は天上であることです。ヤコブが述べていることは、この問題全体を天に向か...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (2)

     私たちが実際に祈る時、祈りの実際の働きに取り組む時、私たちは自分の生活のあらゆる関係に関して自分のいる場所が正確に分かるようになります。私たちが自分の心の中に見い出す不法は、私たちの祈りの生活と直接的には関係ないかもしれませんが、間接的に私たちの上に恐ろしい打撃を与えます。小さな問題が、私たちの祈りの生活に影響を及ぼします。敵は私たちの祈りの生活を損なうために、これらのものを常に周囲に積み上げま...

  • 「御座に触れる」第三章 戦いとしての祈り(続き) (1)

    聖書朗読:一列一八・三〇~三二、三六~三八、四二~四五、ヤコブ五・一七~一八、エペソ六・一八 祈らせない敵の活動に言えることは、祈りを中断させる敵の活動にも言えることに、注意することにします。私が言わんとしているのは、あなたが祈っているあいだ何度も中断させられるということだけでなく、敵には祈りの生活の継続を邪魔する巧妙な方法があるということです。あなたは祈りの期間を、おそらく一週間かそれ以上、勝利...

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