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  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (12)

    ネヘミヤ三章では、この麗しい特徴が現れています。全員がこの証しに関して共に協力しあったのです。この章では、あるささやかな句が絶えず繰り返されていることに気づきます――「彼の隣で」「彼の隣で」「彼の隣で」というように。さて、これはある事実を繰り返したものにすぎませんが、聖書を読む時は、いつでも想像力を働かせてもかまいません。そうすることは常に良いことです。そのありのままの事実が述べられていますが、そ...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (11)

    全員がこの証しに関して共に協力しあうこと そして、さらに、他のものはみな、この一事――この証し――と足並みを揃えるようになり、従うようになりました。私はこの素晴らしい動きに感銘を受けました――ネヘミヤ記を注意深く読み返すなら、あなたはこの素晴らしい動きに感銘を受けるだろうと思います。あらゆる商売、あらゆる天職、あらゆ職業、あらゆる地位の人々がいました。祭司たちがおり、金細工職人たちがおり、薬剤師たちがお...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (10)

    使徒行伝に記されている偉大な動きの一つに次のようなものがあります。使徒たちはみな、エルサレムを「キリスト教」の本部にしようとしていました。エルサレムが世界のすべての中心になると思っていました。そこで、この中心が建て上げられて、エルサレムに集約されつつありました。聖霊は介入して言われました、「だめです――本部は天にあります。この地上にはありません」。そして、人々を一掃してエルサレムから追放されました...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (9)

    御霊の御声 しかし、次に、ネヘミヤ記にはもう一つの要素があったことに気づきます。それはラッパでした。ラッパを持つ人をネヘミヤは配置しました。その時の言葉を思い出してください。「どこででも、あなたたちがラッパの音を聞いたなら、その所で、私たちのもとに集まってください」(ネヘミヤ四・二〇)。そのラッパが統括していました。このラッパは何でしょう?私が思うに、旧約聖書のラッパは常に聖霊の御声の型です。言い...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (8)

    主なるキリストの統治 さて、それらの要素のいくつかを見ることにしましょう。第一に、皆がネヘミヤに服した様はとても印象的です。これは、エズラ記とネヘミヤ記をとても注意深く読まないかぎりわかりません。エズラ記を読むと、反抗的な人々や支配者たちや祭司たちが大勢いたことがわかります。彼らは状況に関する自分自身の考え、自分自身の意志と自分自身の方法を持っていました。エズラや彼の考えを受け入れようとはしません...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (7)

    天からの動き 第一に、ネヘミヤ記と使徒行伝の二つの書を見ると、天からの動きがあった事実に気づきます。覆って、全く浸透する、神の霊が動いておられた事実に気づきます。ネヘミヤ記では、それはバビロンで始まりました。神の霊が動き出されました。まず、ペルシャのクロス王の霊を奮い立たせて、それを推進するための命令と備えをさせられました。天からの動きがありました。次に、それはこのネヘミヤという人の心の中に移って...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (6)

    ネヘミヤ記と使徒行伝の対応関係 さて、私たちはさらに先に進まなければなりません。なぜなら、神はペンテコステの日にご自身の証しを完全に回復されたからです。ネヘミヤ記と使徒行伝の間にいかなる対応関係があるのかを見ると助けになります。証しが再び完全に興されました。主の証し、「イエスの証し」がペンテコステの日に完全かつ十分なものになりました。ネヘミヤ記の特徴がみな、使徒行伝の中に、特に最初の数章の中に見ら...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (5)

    思い返すと、アブラハム――当時はアブラムでしたが――はバビロン・カルデア・それらが意味するところから分離されました。彼は「土台のある都を探していた」(ヘブル十一・十)と述べられています――その都はあの天の都、あの天のエルサレムの型です。それは最終的に完成されて、「天から出て神から下って来」ます。それは「神の栄光を持って」います(黙示録二一・二)。アブラハムが見た都は天のエルサレムの型でした。この二つの...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (4)

    エルサレムの城壁はキリストの絵図である この城壁は何でしょう?エルサレムの城壁はキリストの絵図です――第一に、天の観点、天の光、天の眼から見たキリストの絵図です。天の観点から見たキリストの姿です。これが常に評価・判断の出発点です。城壁はまた、この世に対して表されるキリストの絵図でもあります。そして、サタンの王国、敵対勢力に対して表されるキリストの絵図でもあります。それは三つの外面的な意味――天に対する...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (3)

    ビジョンと情熱を持つ器 しかし、そのような器は、それが個人的なものであれ団体的なものであれ、常に神のビジョンを持っていました。そのような器は、主を見、神の御心を見、神の御旨を見て、神が永遠の過去から意図してこられたものに捕らえられ、魅了されました。それを他の人々よりも遥かによく見ていたのです。見るだけではありません、原理的に神の御心・御意志・御旨の「先見者」であるだけではありません。それに対する神...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (2)

    そして、神の新たな動きにはどれも、二つの特徴があります。 第一に、内在的完全性です。つまり、さしあたっては部分的なものにすぎないかもしれませんが、その中には内在的価値があるのです。それは、全体の可能性をすべて持っているものです。なぜなら、神が行われることはみな、それがさしあたってどれほど小さなものだったとしても、神の御心がその中に、またその背後にあるからです。神は、断片が全体であるかのように、断...

  • 「主の証しの全き回復」第六章 働きと働き人 (1)

    へブル人への手紙の著者が多くのことを述べた時、彼は、「そのすべてを一つの明確で正確な声明にまとめる必要がある」と確かに感じていたので、「今、私たちが語っている事の要点はこうです」と書き記しました。欄外では、「今、私たちが語っていることを要約すると……」となっています。今、そのような必要が私たちにもありますので、これまで述べてきたことをまとめて、焦点をあてることにしましょう。神の反応 神の働きの歴史...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (9)

    十分の一税の回復 もう一点述べて終わることにします――十分の一税の不履行についてです。当時の状況を描写したマラキは、主の十分の一税の件に関してこの民が怠っていることを非難しています。彼は、神からの言葉を語って言いました、「あなたたちと全国民は、わたしのものを盗んでいる」「しかもあなたたちは言う、『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだのですか?』。十分の一とささげ物によってである」(マラキ三・...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (8)

    血統の純粋性の回復 さしあたってもう一点――混合の状況が存在していたことについて。この民の子供たちはヘブル語で話せなかったと述べられています。半分は一つの言語で、半分は別の言語で話していました。次に、外の諸国民との異種族間結婚について記されています――多くの男性が外国人の妻を持っていました。このように、主の民の中に混合の要素や特徴がありました。そこで、ネヘミヤはそれを一掃する働きに取りかかりました。彼...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (7)

    回復された安息日 さて、次の点は――安息日です。ネヘミヤ記では安息日に十四回言及されています。安息日が無効化されていました。その証拠が欲しければ、ネヘミヤと同時代のマラキを見てみるといいでしょう。彼がそれについて何を述べているのかがわかります。しかし、このネヘミヤ記では、安息日について十四回言及されており、したがって、実に大きな地位を占めています。ご存じのように、この人々は無効化された安息日を表して...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (6)

    天のエルサレムの特権 次に、この城壁はエルサレムの城壁であり、別のエルサレム・霊的な天のエルサレムを指し示すものであって、天的特権、天のエルサレム・天の自由人の特権を物語っています。 ある出来事を思い出してください。使徒パウロが囚われの身となった時のことです。彼はローマの百人隊長の所に連れて行かれ、鞭打ちによって取り調べられることになりました。つまり、人々は問題がいったい何なのかを彼から聞き出すた...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (5)

    負債は完済された この城壁は、次に、負債は完済されたこと、また恵みが豊かに与えられたことを物語ります。これは単純な基本的福音ですが、素晴らしいです。負債は完済されて、債権者は満足しました。主イエスが私たちのために十字架でこれをなしてくださいました。律法に対する負債をすべて支払い、律法を満たし、債権者を追い払ってくださいました。私たちを債権者――律法――から解放してくださいました。私たちをすべての負債か...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (4)

    ですから、この城壁は恐怖に対する防波堤を表し、物語るものです。どんな都の城壁もこれを意味します。もしその名にふさわしいものなら、これこそがその目的です。よく聞いてください、当時、人々は城壁をとてもしっかりととても頑丈に築いたものでした。トビヤがなんと言おうと、「一匹の狐が上っても、崩してしまうだろう」(ネヘミヤ四・三)というような、一時しのぎの間に合わせではありませんでした。造られた狐をすべてこ...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (3)

    では、この城壁は何でしょう?それが壊れている状態は、死をもたらすなにかが起きたことを意味します。そのなにかとは、満たせなかった律法の支配です。この債権者を宥めることも、満足させることもできませんでした。律法は債権者でした。律法を破るなら、束縛の中に、隷属の中に陥ります。律法という恐ろしい重荷を背負うことは死です、すべて死です、生きている間に経験する死です。ですから、城壁の再建は、なんらかの形で証...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (2)

    再建された城壁は恐れから守るものである あなたは、列王記第二の四章に記録されている、預言者エリシャの人生における別の出来事を思い出すでしょう。その物語はご存じでしょうが、ごくわずかな文章にまとめるとこうなります。死が訪れました。債権者が来て、返済不能な金額を要求しました。律法が扉の前で、束縛すると威嚇しており、恐怖に憑りつかれています。この状況にエリシャが立ち向かいます。この人は、ご存じのように、...

  • 「主の証しの全き回復」第五章 城壁は何を物語っているのか (1)

    聖書朗読:ネヘミヤ五・二~六、ルカ四・十四~二一、二列王四・一~四。 この一連のメッセージでは、旧経綸における主の偉大な僕であるネヘミヤが、主の証しの完全な回復について、私たちに説明し、導いてくれています。ネヘミヤは、自分は「大きな働きをしている」のであり、神がそれを自分の心の中に置かれたのである、と述べました。私たちが関心を寄せているのは、この大きな働きです。それは、ネヘミヤがエルサレムの城壁を...

  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (8)

    神は、物事の枠組以上のこのなにかを求めておられます。それは名状しがたいものです。時々、あなたは蓄音機のレコードに記録された詩歌――見事な美しい詩歌――を耳にすることがあるでしょう。これらの詩歌は、二つの異なる種類の人々によって歌われるかもしれません。ある詩歌は、とても有能でとても芸術的な合唱団によって、完璧な技術と見事な芸術性、そして素晴らしい声とハーモニーで歌われるかもしれません。他方、他の詩歌は...

  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (7)

    旧約聖書における絵図 この絵図が旧約聖書の中にあります。エリシャとエリコの人々の例があります。ある日のこと、エリコの人々がエリシャの所に来て言いました、「この町の状況は良好です――見通しは良好です――しかし、水が悪く、この地は不毛なのです」(二列王二・十九)――これは死の印です。もちろん、その原因をあなたはご存じでしょう。エリコが滅ぼされた時、その上に呪いが宣告されたことは、覚えておられるでしょう。ヨシ...

  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (6)

    「塩は制限なく与えよ」。これはネヘミヤの回復の証しの中にもありました。つまり、より豊かな命です。豊かな命です。これが、この生命力に満ちた要素が、主が求めておられる証しです。「あなたたちは地の塩です」。別の言い方をすると、あなたたちはこの死んだ世界でまさに命である、ということです。この地上にあるものはみな死んでいます――神に関するかぎりすべてが死んでいます――クリスチャンだけがこれを知っています。確か...

  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (5)

    すべては命で充満される さて、一般的に命と称されているものと、神が意味されるところの命との間には、かなりの違いがあります。これが塩に関する節を読んだ理由です。私たちが話している命の中には、ある要素があります。用いる言葉を「命」から「生命力」に変えたとしても、それは表現を変えたにすぎません。それは表現の異なる同じ言葉ですが、ここでは有用です。この命の中には生命力に満ちた要素があります。そこにはなにか...

  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (4)

    復活は神の専権事項である これまでたびたび述べてきましたが、復活は神の専権事項です。私たちは、蘇生術の人工呼吸については多くのことができますが、復活についてはなにもできません。ひとたび死が訪れるなら、人の力も希望もすべて終わり、あとは神が行動されるか、あるいは無かです。神は復活の神です――それは彼だけの特権です。ですから、真に神の御業であるものはみな、不滅で不朽の命以外には説明のつかないこの印を帯び...

  • 「主の証しの全き回復」第四章 復活の原則 (3)

    死に対する天のエルサレムの全き勝利 地のものから天のものに移る時、旧経綸――パウロがこの地上に「今ある」と述べている、あのエルサレムの経綸――を離れて、使徒が天にある「上なるエルサレム」(ガラテヤ四・二五、二六)と述べている別のエルサレムに、あるいはヘブル十二・二二によると私たちが今いるあのエルサレムに、あるいは最後に全き栄光の中で現れるエルサレム(黙示録二一・十)に移る時、私たちは何に移るのでしょう...

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