chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 「十字架と神の都」 第三章 力、堅固さ、光、主権(1)

    前の章で、私たちは「神の都」の特徴をいくつか見ました。 1.天的性質を持つ霊的な民。「神が私たちの主キリスト・イエスの中で立てられた、永遠の御旨にしたがって」――エペソ三・十一。 2.神の民における神の栄光。ご自身の性質を一つの民において啓示し実現すること。「彼は、尊く、際立って偉大な約束を与えてくださっています。それは、これらの約束を通して、あなたたちが神聖な性質にあずかる者となるためです」――二...

  • 「十字架と神の都」 第二章 都の門(6)

    この都には一本の通りしかありません。「都のその通り(the street、単数形)は純金であって、透明なガラスのようであった」(黙示録二一・二一)。これは主の民の交わりを物語っているのではないでしょうか?交わりの唯一の道……御言葉の中で道がいかに交わりを示しているのかを見てください。 「水晶のように輝く命の水の川」(黙示録二二・一)。これは絶対的に透明な命の証しです。透明さは内側から始まり、次に、そのような...

  • 「十字架と神の都」 第二章 都の門(5)

    隠し事によって前進は阻まれる この都は、そのようないかなるものとも一緒に進むことはできません。中心にある川から周辺の城壁に至るまで、すべてが徹底的に透明でなければなりません。こうした分厚い私たちの天然の命と、私たちの魂的要素はみな、邪魔して混乱させます。霊の絶対的透明性がなければなりません。霧がやって来るのは、私たちが神と人の前で全く透明ではないからです。クリスチャンの交わりはこれによって破られま...

  • 「十字架と神の都」 第二章 都の門(4)

    透明性は、一方において、徹底的なものであり、いかなる段階もありません。いかなる段階も真理にはありません。真理に至る道に段階があるだけで、ある人々は他の人々よりも真理に近づいています。しかし、真理は徹底的・決定的です。ですから透明性に関しては、もしその中に少しでも混ざり物があるなら、それは透明ではありません。透明性に至る道には様々な陰影を帯びた段階があるかもしれませんが、暗闇の影が一つでもあるなら...

  • 「十字架と神の都」 第二章 都の門(3)

    あらゆる点で透明であること 透明性はこの都のとても顕著な特徴です―― 「エルサレム(中略)その光は水晶のように透明であった」(黙示録二一・十一)。 「その都は純金であって、輝く(透明な)ガラスのようであった」(黙示録二一・十八)。 「その都の通りは純金であって、ガラスのように透明であった」(黙示録二一・二一)。 「水晶のように輝く命の水の川」(黙示録二二・一)。 確かに、透明性はこの都の性質そのもの...

  • 「十字架と神の都」 第二章 都の門(2)

    苦難と尊さ 門はまた尊さを物語ります。「門はみな一つの真珠でできていた」。真珠はどのように形成されるのでしょう?カキの殻の開口に刺さった小さな一片の砂粒によってです。これがカキを傷つけて刺さり、カキは血を流します。この血が他の諸々の要素によって作用して、真珠が形成されます。しかし、それはまさに自分自身の命を与えて、この価値あるもの――真珠――を生み出します。 神の御言葉では、「真珠」は偉大な愛に関して...

  • 「十字架と神の都」 第二章 都の門(1)

    聖なる都、新エルサレムは、究極的に完成・成就・栄化された神ご自身の民の性質であることを、私たちは見ました。 彼は今、十字架を通して、永遠の御霊によって、この都を建造されつつあります。ご自身のかたちに、御子のかたちに、個々の構成員を形造られつつあります。このために私たちは定められました(ローマ八・二九)。神の民はキリストを明確に示すものです(二コリント三・四章)。都の門 黙示録二一章では、この都の...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(9)

    主が求めておられる民は、地とその諸々の道から切り離されて、ご自身との関係の中にもたらされた民です。彼らの愛情は地上にあるものではなく、天にあるものに据えられていなければなりません。コロサイ三・一、二――「もしあなたたちがキリストと共に復活させられたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでキリストは神の右に座しておられます」。 復活と昇天は一つの行為であることを思い出してください。ヨハネ二〇・十七を...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(8)

    パレスチナとシオン パレスチナは、神聖な事柄の中に侵入する人の天然的知性です。パレスチナの人々は御言葉の中では常に無割礼の者と呼ばれています。十字架から離れて、神聖な事柄を把握する、人の天然的知性です。バビロンに、私たちは天然の人の努力を見ます。パレスチナに、私たちは神の事柄を把握してその中に侵入する人の理性を見ます。 言葉の知恵による十字架の宣べ伝えがありますが、言葉の知恵はそれを無効化します(...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(7)

    バビロンとシオン バビロンは、人の努力の産物であり、堕落した人の栄光です。「私たちは都を建てよう(中略)名を挙げよう」創世記十一・四。またダニエル四・二九~三〇「この大いなるバビロンは、私が自分の権力の力と、自分の権威の栄光とによって(中略)建てたものではないか?」。 ここに私たちは、天然的・宗教的な人の栄光を見ます。というのは、バビロンは常に宗教的であることを、私たちは知っているからです。黙示録...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(6)

    エジプトとシオン ラハブは――エジプトです。天然の能力の象徴です。アブラハムは約束の地の中に入りました――そこは信仰による神の約束の地であり、信仰の最大の試練がそこで彼を待っていました。彼は異教徒がそこを占有しているのを見いだしました。彼らの偶像崇拝の祭壇が至る所にあり、その土地に大きな飢饉が起きました。そこで、彼は代わりにエジプトに向かいました。それは明らかに約束と矛盾することであり、約束を否定する...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(5)

    特に教会のために書かれたエペソ書に移ることにしましょう。どれほどそれは「天上」について述べていることでしょう。エペソ一・三、二・六、四・十を参照。 主の民は、これが意味するところと代価を、なかなか受け入れません。私たちはあまりにも地上のものを欲しています。自分の労苦に対してすぐに見返りが得られる類のものを欲しています。感覚を満足させるもの、見えるものを欲しています。私たちを地から切り離して天的な...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(4)

    黙示録二一・二二「私はその中に宮を見なかった」。なぜでしょう?この民は礼拝する民です――彼らが礼拝です。それは場所によらない霊的な礼拝です。 ヨハネ四・二〇「私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたたち(ユダヤ人)は、礼拝すべき場所はエルサレムであると言われます」。主は答えられました、「真の礼拝者たちが、霊の中で、また真理の中で、父を礼拝するようになります。そのような者たちを父は礼拝者として探...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(3)

    第一の特徴は天的性質と霊性である それは「天から出て来」ます。それゆえそれは、天から出て来れるようになる前に、まず天の中にあったにちがいありません。 「彼らは天の都を探していました」。ヘブル十一・十「彼は土台のある都を探してしました。その建設者と作成者は神です」。 「私たちの国籍は天にあります」ピリピ三・二〇。 神の御言葉の中に、天の都のための材料について多く見いだされます。それが示唆するところは...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(2)

    神の都は、私たちが行くことになる場所であるだけでなく、神の都でもあり、私たちはその一部です。 私たちは場所としての天に行くことになります。永遠に、無限の雲に行くわけではありません。むしろ、神の都、天の都、新エルサレムについて考えるとき、私たちは教会、キリストのからだについて考えようとしているのです。まさに、究極的事柄と関係しているあの都の性質と特徴を扱おうとしているのです。私たちは今、諸々の時や...

  • 「十字架と神の都」 第一章 究極的な事柄に関する考察(1)

    黙示録二一・九~十一「彼は私を御霊の中で、大きな高い山に連れて行き、聖なる都、新エルサレムが天から出て、神から下って来るのを私に見せたが、それは神の栄光を持っていた。その光は最も尊い宝石のようであり、水晶のように透明な碧玉のようであった。」黙示録二一・十八「その城壁は碧玉でできており、都は純金であって、透明なガラスのようであった。」黙示録二二・一「また彼は、水晶のように輝く命の水の川を私に見せた。...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 目次

    生活と奉仕との関連におけるケルビムT. オースチン-スパークス目次第一章 賛美の意義第二章 ケルビムの意義第三章 車輪――神の熟慮と御旨第四章 教会と生き物オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...

  • 「十字架と神の都」 目次

    十字架と神の都T. オースチン-スパークス目次第一章 究極的な事柄に関する考察第二章 都の門第三章 力、堅固さ、光、主権第四章 光の都第五章 神の都オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (11) 完

    最終的に、あなたはこれをこの大会のメッセージとして受け入れるでしょうか?主に「あなたの負担を私の心の上に置いてください」と求めなさい……「これがあなたの負担であることを私に示してください」と求めなさい。主が話しておられることがわかるでしょう。それでも主は、ご自身の民、ご自身の僕たち、彼らのとりなしに頼らずに、それをしようとはされません。主が開始して、「私、私は黙っていない、私は休まない」と言われる...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (10)

    「あなたたち、主に思い出していただく者たちよ、自ら休んではならない、彼がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを讃美とされるまで、彼を休ませてはならない」 「主に思い出していただく……」。これはどういうことでしょう?主に思い出していただくには、まず、主が求めておられるものを知っていなければなりません。情報を得て、知っていなければなりません。知っていて初めて、なにかを主に持ち出して、「さあ主よ、さあ...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (9)

    「私はあなたの城壁の上に見張り人を立てた、ああ、エルサレムよ、彼らは決して昼も夜も黙していない」 「私はあなたの城壁の上に見張り人を立てた……」。これは何を意味するのでしょう?この見張り人たちはなんのためにそこにいるのでしょう?彼らがそこでこのように熱心に警戒しているのは、異質な要素、邪悪な要素の侵犯・侵入からこれを守るためです。見張り人たちは警戒しています。警戒しているのは、なにがあってもこれを邪...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (8)

    「あなたはもはや『捨てられた』と言われず、あなたの地は『荒れ果てている』と言われない。むしろ、あなたは『ヘフジバ』と呼ばれ、あなたの地は『ベウラ』と呼ばれる」 ヘフジバと何でしょう?これは述べたばかりのことの続きにほかなりません。ヘフジバは「私は彼女を喜ぶ」を意味します。私は彼女を喜ぶ。ああ、これを期待するのは行き過ぎでしょうか?これはあまりにも高い基準でしょうか?これが実現するという希望の根拠は...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (7)

    「あなたは、主の口が名づける新しい名をもって呼ばれる」 新しい名です。新しい名です。どんな名でしょう?名は名声を意味します。あなたがどう呼ばれるか、人々があなたをどう呼ぶかによって、通常、人々はあなたを評します。イスラエルの名は名誉に欠けるものになっていました。諸国民はイスラエルを、あまりほめられたものではない名で呼ぶことができました。そして、主はここでこう述べておられます、「今、私は黙っていない...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (6)

    「諸国民はあなたの義を見、すべての王はあなたの栄光を見る」 これは何を意味するのでしょう?「私は黙っていない。私は休まない、シオンの影響力と証しが世界に再び確立されるまでは。シオンがその地位と影響力を取り戻して、その証しが諸国民の間で認知・感知されるようになるまでは」。主の負担は、その影響力と証しが世界に感知される民、真に感知される民を得ることです――世人はその民からなにかを感じるのです。 全般的に...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (5)

    これの示唆するところがなんとかわかるでしょうか?あのささやかな書であるルツ記では、贖いの問題、嗣業の贖いがかかっていたことを、あなたは覚えておられるでしょう。嗣業を贖う責任、贖う近親者として振る舞う責任を、ボアズは引き受けるのでしょうか?ナオミはルツにこう言いました、「私の娘よ、じっとしていなさい。あの人は、この問題に決着がつくまでは、安息がないでしょうから」。この問題に決着がつくまで、彼は休み...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (4)

    回復のともしび、贖いのともしび これは何でしょう?回復された彼らの義というともしびです。これが希望です。見てください、主が述べておられるような内面の霊的状態に関する限り、まったく希望はありません。なんの将来も、なんの見通しもありません。なんの解放も、なんの救いもなく、なんの証しもありません。なにもありません。それに続くものはみな宙ぶらりんです。主が御心に適う民を、シオンが霊的に真に意味するところの...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (3)

    「その義が輝きのようにあらわれいでるまで」 主は常にここから開始されます。主が常にどこから開始されるのかを知ることは重要です、きわめて重要です。開始する方法が少し先に示されています。主は常に、ご自身の民の内側の状態から開始されます。すべてがそれにかかっており、すべてがそれに続きます。これ――彼が関わっておられる民の内側の状態――に直面しない限り、どうにもなりません。その義、その内側の状況――その内側の状...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オリバーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オリバーさん
ブログタイトル
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
フォロー
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用