我らの父よ、最も聖き我らの創造者、贖主、又慰主よ。天にいます。御使の中に又、聖徒の中にあって彼らに知識を得させる輝きを与え給う、そはおお主よ、汝は光にして汝を愛するように心を燃やし給う、主よ、汝は愛にて在し給う、彼らの中に宿り、祝福をもて彼らを満し給う、おお主よ、汝は最高の善にて在し永遠の善にして汝を離れては何処にも善はありません。御名を崇めさせ給え、我らが汝の恩恵の広さと汝の約束の長さと汝の威厳...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (2)
章の区切りは少し誤解を招きます。六一章にはこうあります、「主の霊が私の上にある。主が私を油塗られたゆえに。それは私が柔和な者に良い知らせをもたらすためである」。誰がこれを述べているのでしょう?私たちはよく知っています。預言してメシヤが述べておられるのです――キリスト、主イエスは、肉身を取っていた当時、まさにこの言葉は自分と関係しており、自分によって成就された、と話されました。話しているのは彼であり...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第八章 主の負担 (1)
「あなたたちはシオンに来ているのです……」。この言葉の豊かで完全な内容をもう一度見ることにします。今晩これを、シオンに関するこの最後のメッセージで、イザヤの預言書の六二章の最初の七つの節から見ることにします。「シオンのために私は黙っていない、エルサレムのために休まない、その義が輝きのようにあらわれいで、その救いが燃えるともしびのようになるまでは。諸国民はあなたの義を見、すべての王はあなたの栄光を見...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (13)
そして最後に、シオンはサタンの王国全体を打ち倒すきっかけとなるものです。これが御言葉に啓示されていることです。シオンはエジプト、バビロン、アッシリア、ローマを打ち倒すきっかけでした。ローマはシオンに対して頭をもたげました(私は今、霊的な言語でシオンについて述べています)。すると、ローマに何が起きたでしょう?あの強力な鉄の帝国はどこにあるでしょう?打ち砕かれ、粉々にされ、散り散りになりました……塵に...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (12)
ですから神は、シオンを建て上げるために、シオンを得なければなりません。彼は事物を建て上げようとはされません、シオンを建て上げられます。そして、シオンは御子の豊かさに対する証し、生ける証しであって、その表現です。神は加えるために植え付けられます。神が植え付けられるのは、他のすべてのものに対する論拠を得るためです。驚くべきことです。これにより別の領域が開かれますが、それを探求する時間はありません。し...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (11)
神のいっそう大きくて偉大な目的の手段/ ですから、それが表しているもの、あの証し、主イエスのパースンと御業と神に定められた地位に対するあの全き証しが、心に対する啓示として、神の民の心に対する啓示として、諸国民の中に植え付けられなければなりません。植え付けられなければなりません。そこに植え付けられなければなりません。神の戦略は次の通りです。彼は一つの証しを植え付けられます。その証しは御心に適うもので...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (10)
これがイスラエルに実現しない限り、神は諸国民に触れませんでした。神はこの内的状況を、諸国民に触れるための基本的条件とされました。他の事はそれに続きます。確かに、昼が夜に自然に続くように、神がご自身の望んでいるものをご自身の民の中に得る時、他の事はそれに続きます。魂が救われるために特別な努力をする必要はありません。人々は絶えず静かに救われるでしょう。なにかが外に出て行って、生活に触れ続け、ますます...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (9)
リバイバルの原動力 一般的にリバイバルと呼ばれているものは、その目的・目標として、一つのことと関係しています。魂の救い・回心と関係しています。「リバイバル」という言葉に関する一般的観念を、ほぼ完全に要約してこう言えると思います。すなわち、大々的に人々が救われることである、と。まあ、私たちはこれに反対はしません、どうか主がこれを与えてくださいますように。しかし、リバイバルというこの問題は、教会の霊的...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (8)
自分たちは選ばれており、自分たちの働きこそ、あらゆる働きの中で神から与えられた唯一の働きである、と考えている個々人には、常に大きな制限と危険があります。そのようなものはなんであれ、原則に違反しており、確実に行き詰まることになります。私たちはこれを共有しているのです。つまり、神の御旨は一つの民、彼の教会と関係しているのです。彼の教会を真に表現しているもの、つまり、真の教会、天的からだの性格を帯びて...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (7)
集団的観念 つまり、シオンは主の民を全員一つに結びつけるものなのです。主の民は国家としての中心をシオンに見いだしました。シオンが彼らをまとめる力であり、彼らを一つにするものでした。もちろん、これは、彼らが所定の時に全員シオンに登って行った時は、当然文字通りその通りでした。すべての部族から人々がそこに来て、国民の一体性を祝い、享受しました。彼らは多くの場所で離れて生活しなければならず、その間の数ヵ月...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (6)
へブル人への手紙はこれをすべて集約して述べています、「こんなにも大きな証し人たちの雲に囲まれているのですから、走ろうではありませんか……」。「(彼らが走ったように)忍耐をもって競争を走ろうではありませんか」。あらゆる重荷と、いとも容易にまといつく罪をかなぐり捨てようではありませんか。この罪とは、文脈からわかるように、あの疑い、あの疑い――あの不信仰のことです。それをかなぐり捨てなさい……忍耐をもって走...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (5)
宿命 そして、御霊による生活、御霊による生活は、よく聞いてください、それに関する知能の成長、それに関する理解の成長を意味します。今や、それについての基本的意識があるだけでなく、それについての理解も成長します。そして、選ばれたこと、御旨にしたがって召されたことの意味に関する理解が成長するにつれて、人生はますます豊かな意味と価値と力を帯びるようになります。ますますこれを理解するようになるにつれて、それ...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (4)
これは、ユダヤ人について常に言えたように、信仰による神の子供の誕生においても、とにかく、とにかく、明らかな現実・事実です。新生によってそのような結果が生じていないとしましょう。つまり、私が述べた言葉や形で述べることはできるものの、次のような感覚に欠けているとしましょう。すなわち、人生は始まったばかりであり、目的を得たばかりであり、使命感が生じたばかりである、という意識です。もし、これがあなたの回...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (3)
新生 イスラエル人は生まれつき、使命と宿命に対するこの感覚が、その血と性質の中にとても強く、とても強力に根付いていました。そうだったからには、これは神の子供の新生にも言えます。これが一つの大きな要素としてそこにあります。現存しています。しかし、これは誕生全般に言えます。私たちは新生をこのようには定義しません。新生を言葉でこのようには定義しません。しかし、こう言われると、確かに、これはまさに私たちが...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (2)
違いと使命、隔たりと目的、この二つは同行します。これが彼らの存在のまさに構成要素です。彼らにはどうしようもありません。それは必ず現れます。それに出会うことになります。時として、それは傲岸さ、独立心、優越感、他の多くの方法で現れますが、確かに存在します!彼らはそれを自覚しています。そこにはなにかがあって、目的・使命の性質的相違と関係しています。それは彼らの相続財産です。そして、この使命感が、これま...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第七章 シオンの宿命 (1)
この午後、へブル人への手紙一二章二二節の「あなたたちはシオンに来ているのです」というささやかな節の深さと豊かさの探索を続けることにします。 「へブル人への手紙」と称されているこの文書は、一つの経綸から別の経綸への移行を示していることは、一般的に知られています――一つの体制、体系、エコノミーから、全く異なるものへの移行です――イスラエルによる神の方法や神の手段という一時的・地的・物質的なすべてのものか...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (17)
もし務めそのもの(つまり、今の場合、公の務め)の問題だけを取り上げるなら、それはキリスト教全体の中で最大の争点であることがわかるでしょう。多くの問題が、他の何もの――講壇の務め――にもまして多くの問題が、「務め」をめぐって生じてきました。シオンでは、務めを行う権利を誰も持っていません。務めのための資格を誰も持っていません。主が望まれるなら、大いに気楽に、くつろいで、務めを何もしないでいることもできま...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (16)
次に、三番目に、シオンのこの務めはこの器における徹底的な深い働きによって建て上げられます。 この器における徹底的な働き、この器における深い働きです。これは、私たちの内になされたこと、神が私たちの内になしておられることから離れて、引き受けられるものではありません。神は私たちを台無しにし、粉々にし、剥ぎ取り、空にし、無にもたらして、そこから私たちとすべてをやり直されます。これがシオンとシオンの務めに...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (15)
シオンは神の主権的捕獲によって建て上げられます。次に、歴史の背後で働く神の主権的統治によって建て上げられます。 もちろん、これには多くの説明が必要です。これは使徒パウロが述べている次の言葉によって説明できます。「誕生の時から私を選び分けられた神は、喜んで御子を私の中に啓示してくださいました……」。彼はまさにこの点に触れます、「 私の誕生の時から!私の誕生……私の誕生の時から。私はユダヤ人家庭に生まれ...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (14)
「主権をもって」と言う時、これは神に属する、ということ以外の意味ではありません。主以外のいかなるものによっても説明できません。それに触れるとき、主に出会います。その間にいるとき、主に出会います。どういうわけか、主がこれのために、その存在のために責任を負っておられます。それが団体であれ個人であれ、それは神によって主権をもって興されたものです。何ものもこれを行えません、選択してこれを行うことはできま...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (13)
シオンの務めに関して もちろん、これには一つか二つの点が含まれます。すなわち、諸国民との戦いと、伝統や形式的キリスト教との戦いです。しかし、シオンの務めの問題になると、これは遥かに内面的なことになります……確かに、遥かに内面的なことになります。 この論争はあることにかかっています。親愛なる友よ、それを私たちは理解するよう努めなければなりません。それは、理解力を持つことについて私が最初に述べたことと、...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (12)
真理であると信じられている多くのもののために戦いがなされていますが、それは、結局のところ、真理の律法的解釈にすぎません。真理の意義を把握することに関して、多くの失敗があります。多くの失敗があります。到底無理です。ご存じのように、親愛なる友よ、御言葉が述べている真理と、その叙述についての神の意味との間には、大きな違いがあります。もしこの二つを区別できなければ、絶えず混乱することがわかります。これが...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (11)
もう一つの面は、それは知識なき熱心さの領域であるということです。そして、これは恐ろしい領域です。ご存じのように、恐ろしいことです。熱心なのですが、知識にしたがっていません――ある種の幽冥界のようであり、人々が木々のように歩いているように見えます……つまり、霊的にはっきりと理解できないのです。魂的キリスト教と霊的キリスト教を区別する力、能力、機能がないのです。すべてがごちゃ混ぜで混乱しています。 最初...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (10)
クリスチャンの専門職と伝統の領域 クリスチャンの名の下で、あるいはキリストの名の下で、天然の魂が王国を持っている領域についてです。言うのも恐ろしいことですが、次のことは大いに真実です。すなわち、クリスチャンの肩書を帯びているのに、結局のところ、人の魂の王国にすぎないものがあるのです。天然の命にすぎないものがあるのです。(悲しみをもって言いますが)クリスチャンの専門職の領域においても、この世にあるも...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (9)
さて、先に進みましょう。諸国民の中に一つの証しがなければなりません。その証しは、それに基づいて神が働けるものであり、諸国民に対する神の裁きを正当化するものであり、世界と諸国民に対する神の統治に意義を与えるものです。一つの証しが諸国民の中になければなりません。神が諸国民の間でねたむほどに慕う証しです。私たちはこの文脈で預言者の言葉をよく引用してきました、「私は大いなるねたみをもってイスラエルのため...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (8)
マタイ二四章に注目してください。時代の終わりのしるしがいくつか与えられています。戦争、戦争のうわさです。さて、ある人々のようにあなたは言うかもしれません、「まあ、これまで常に戦争がありましたし、これからも常に戦争があるでしょう。マタイ二四章に記されている戦争と他の戦争との間にどんな違いがあるのでしょう?」。まず初めに、あなたは近年の戦争の数を数えたことがあるでしょうか?この世界の歴史の昔のいかな...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第六章 シオンの論争 (7)
バビロン……確かに、この民は主の期待を裏切って、バビロンに送られました。しかし、主はご自身の証しを見捨てず、諦めす、放棄されませんでした。どうしてでしょう……何と書いてあるでしょう?イザヤ四三章一四節を見ましょう、「主、あなたたちの贖い主はこう言われる……」。バビロンでも「あなたたちの贖い主」なのです。「イスラエルの聖なる方はこう言われる、『あなたたちのために私は人をバビロンに遣わした。あなたたちのた...
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我らの父よ、最も聖き我らの創造者、贖主、又慰主よ。天にいます。御使の中に又、聖徒の中にあって彼らに知識を得させる輝きを与え給う、そはおお主よ、汝は光にして汝を愛するように心を燃やし給う、主よ、汝は愛にて在し給う、彼らの中に宿り、祝福をもて彼らを満し給う、おお主よ、汝は最高の善にて在し永遠の善にして汝を離れては何処にも善はありません。御名を崇めさせ給え、我らが汝の恩恵の広さと汝の約束の長さと汝の威厳...
おお、いと高き、全能にして、善にいます神よ、称讃と、栄光と、誉れと、全ての祝福とは汝のものであります!全ての造られたものにより汝は讃美され、殊に兄弟なる太陽によって崇められますように!彼は我らに昼をもたらし光を与う、彼は美しくいと大いなる輝きをもて照りかがやく。おお主よ、彼は汝の御すがたを示す!わが主よ、姉妹なる月と星とのために汝は讃えられます!汝は彼らを天において清らかに愛らしく造り給いました。...
聖なる、聖なる、聖なるかな、昔在し、今在し、後来たり給う、全能の主なる神、我らをして永遠に凡ゆる者の上に汝を賞め又、讃えしめ給え。おお主、我らの神よ、汝は称讃と栄光と誉と祝福を受けるにふさわしく在す。屠られ給いし羔羊こそ能力と神性と智慧と誉れと祝福とを受けるにふさわしく在す。我らをして永遠に万物の上に彼を賞め讃えしめ給え。我らをして父及び子と供に聖霊を祝せしめ給え、永遠に全てのものの上に賞め讃えし...
祈り我らの父よ、我らは豊けき救いが汝の御子、我らの救主によって可能とせられましたことにつき心から御礼申し上げます。彼の御生涯が我々を彼の足跡に従わせる一つの模範として送られたことにつき、又彼の死が汝の愛と我々を罪から贖い給うことを表わし、又彼の復活が現在と未来に豊かなる生命の確実性を我等に与え給うことについて、又更に変らざる臨在が常に我々の霊的な必要に応じ満し給うことについて本当に感謝申し上げます...
我々は決して上にあるもの以外を求むべきでない、むしろ神のために全ての被造物の僕となり仕え人となるべきである。そして主の霊はこれ等のことを実行し、また終りに至るまで耐え忍ぶ全ての者の上に留るであろう。神は御自身の住所を作り、彼らの中に住い給うであろう。そして彼らはそれらの業をなす時に天の父の子供、又我らの主イエス・キリストの配偶者、兄弟、母となるであろう。聖霊によって真実な魂がイエス・キリストと一つ...
なお又、我らをして悔改めにふさわしい実を結ぶもの、また己自らの如く我らの隣人を愛せしめよ。もし誰かが己自らの如く彼らを愛することを好まずあるいは出来ないならば少くとも彼らを害せず彼らに善いことをなさしめよ。もし我らが他人を審く所の権威を受けたならば憐みをもってその権能を行わしめよ。それは我らも又、主からの憐れみを受けんがためである。我らは悪と罪とのゆえに我ら自身を憎むべきである。何故ならば主は福音...
全世界に住む全ての基督者なる敬虔なる者、教職者、平信徒なる男達よ、女達よ汝らの僕なる兄弟フランシスが天からの真の平和と主にある真実の愛とを望んで恭々しい尊敬を送る。全ての者の僕として私は全ての者に仕え、又主の御言の芳ばしい香を取次ぐように定められた。それゆえに私は自分の体の弱いことを考える時に個人的に訪ねることの出来ないのを知りこの手紙をもって我々の主イエス・キリストの御言とその音信とを送る。彼は...
祈り、讃美及び感謝、我らの全ての者は全魂をもって全心をもって、全力をもって愛し又、忍耐強くあるべきである。我らの全理解と全力と全精神と全情愛と我らの内なる凡ゆる部分、全要求と意志とをもって我らにこれらのものの全てを与え給うた神を愛し、賤しくみすぼらしく悪にして汚れ恩を忘れ、また邪まなるものをも憐れみ給う神を讃美せよ。それゆえに我らは、造主、贖主なる救主、唯一の真の神以外に何事をも要求せず喜ばず求め...
兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあ...
ああ、女王なる智慧よ!願わくは主、汝の姉妹なる清く純潔な単純さと共に汝を祝し給わんことを!おお、清貧淑女よ!主が汝の姉妹なる聖謙遜と共に汝を祝し給わんことを!おお、聖愛の淑女よ!主が汝の姉妹なる聖従順と共に汝を祝し給わんことを!おお、凡ゆる聖き徳よ!汝らのいで来たりしところの主が汝を祝し給わんことを!初めに己に死ぬことなくば唯一人として世界の中に汝らの中の一つをも所有しうることは決してありえない。...
主がその人に示し給うた善きことをその心の内に保ち、その業によって人々に表わそうとしない人又、報いを望んで言葉によって人々に知らせようとする人は禍である。彼は今、報いを受け、聴く人に僅かの影響のみしか与えない。その兄弟が病気であって他の人を助けることが出来ない時にも健康で他の人を助けることが出来る時と同じように愛する人は幸である。その兄弟が共にいることを望むに拘らず彼から遠く離れておりそして彼の背後...
多くの人はその敵又は隣人を屡々非難することによって罪を犯している。しかしそれを気付かない。しかし人は彼自身の力、即ちその肉体の中に自らの敵を持ち、それによって彼は罪を犯すのである。ゆえに彼の中にあるところの敵を捕虜にし賢く自らを守る者は幸である。その人がこのように生きる限り如何なる見える敵も見えない敵も彼を害うことが出来ないからである。如何に多くの内心の忍耐と謙遜とが神の僕らにおいて人々に知られず...
おお、人よ、主が貴方を如何に偉大にして優れたものとして造り給うたかを深く考えなさい。肉体においては神の愛子の御姿に像どり、霊においては御自身に肖せて造り給うたのである。又、世界の凡ての造られたものは彼等各々の道において貴方よりもよくその造主に仕え従うことを知っている。もしも貴方が賢くて凡ゆる科学を知り、全ての国語を通訳することが出来、凡ゆる天のことをも正確に究めることが出来たとしてもこれによって貴...
聖フランシスは、祈りと瞑想を通しての確固たる宗教的経験が発展する事の必要性を、極く最初の働きの時から常に強調していた。彼の福音の本質的な真理を伝える説教者としての魅力ある模範、又人々の霊肉の要求に応える調和のとれた伝道、又キリストとの親しい交りから来る喜びと能力の不断の推進とはただ名のみのクリスチャンを真の基督者として全心的にキリストの救を受け容れさせるのに驚くべき能力を発揮した。フランシスの書い...
フランシスはイエスの御命令に絶対に又文字通りに服従しようとして彼の生涯を献げることを決意し、その所有をも家族関係をも投げ打ち、又先に抱いたこの世の成功者となる夢をも捨ててしまった。これより後、彼はその花嫁として清貧をめとった。何者をも所有せず、惜しみなく彼自身を与え、巡回しつつ説教する伝道の道において肉体的に又、霊的に人間の要求に対して全部を以て応ずることにおいて衣食は与えられていった。一二○四年...
アシジの聖フランシスは中世キリスト教の最も美わしい開花を代表している。歴史上のどの時代よりも、多く形式的又、組織的になってきていた時代に生きて彼はイエス・キリストの誡めに全く献げ又服従した生涯の優れた力を現わした。中世の教会に完全に服従していながらも活けるキリストへのより高い忠誠を堅く保持し続けた。彼自身が修道院の理想に自らを捧げつつもその形式の中に新しく、よりよい所の実質を与えこの世から逃避する...
我々は単なるパンでなく、生命のパンを必要とする私は印度にいる一人の神の人を知っている。彼は自分の経験を私に語った。一人の乞食が毎日彼のところに来て一片のパンを乞い、それを受け取るとすぐに去ることを常としていた。ある日、その祈りの人には与えるものが何もなく、人々が食物を取って来るまでの間、数分間彼と共に坐って話すよう乞食に求めた。一時間もしないうちに、此の乞食は信じて祈り始めた。彼はすっかり変わった...
三彼は人間のみならず、動物も植物も太陽も月も星も水も土地も兄弟姉妹といって愛した。ある時、野原に出るとたくさんの小鳥が木に留っているのをみてこれに話しかけ「姉妹なる小鳥達よ、あなた方は特に神に感謝して御名を讃美しなければならない、あなた方は蒔く事も刈る事もせず、倉にも納屋にも貯えないのに神は何時も食物を与えて下さる。殊にあなた方は羽を与えられてこの大空を自由自在に翔けることが出来る。あなた方に賜っ...
二彼が神のために一切を捨てて心は軽く喜びに満され歌を歌いながらまだ春浅いアシジの山のほとりを通ってゆくと山賊にあった。「お前は何者だ」と尋ねたので「私は大王の使者である」と答えると彼を捉えてその着物を剥ぎとり「大王の使者安かれ」といって雪解けの冷い沼につき落して去った。その時フランシスはその雪解けの水の中に入ってもなお歌いつづけていたということである。又、ある時は彼が托鉢に行った留守に三人の強盗が...
一アシジのフランシス(フランチェスコ)は最もキリストに似た生涯を送った人といわれ、世界のキリスト教会において何れの教派の人々からも尊敬され且つ愛されている聖者である。彼は文筆の人でもなく、又所謂雄弁家でもなかったが、その単純さと愛の実践とをもってキリストの足跡を踏んで死に至る迄、徹底した謙遜の生涯を続けた事は彼を知る者にとって大いなる霊感である。まだ詳しい伝記を読む機会のなかった人々のために簡単に...
イエス、祭司長に審判される(マタイ二六59~68)〔59~61〕「いつわりの証を求むれども得ず」〔61〕キリストは決して御自身が神殿をこわすとは言われなかった(ヨハネ二19~21)。サタンがあげ足をとるのは(例えばキリスト教は国家を倒すなど)みなこの種である。〔62〕「……証拠は如何に」〔63〕「イエス黙然たり」非常な勇気である。主はすでにゲッセマネの園で、その杯を飲み始めてからぐんぐん飲み給うのを見るのである。この...
ペテロ、イエスを知らないと言う(ルカ二二54~62)〔54〕「ペテロはるかに従いぬ」実に不忠実である。先にはゲッセマネで居眠りし、今またはるかに隔てて主に従ったのである。彼はキリストがまさに敵の手に渡され、殺されようとした時に剣をぬいたけれども、今や主が捕えられて引かれて行く時になったら、はるかに離れて従ったのである。ああ肉はだめである。わたしたちはキリストとの間に少しでも距離を隔てていないだろうか。〔...
キリスト祭司長に引かれる(マタイ二六57、マルコ一四53、ルカ二二54、ヨハネ一八13、44)アンナスはカヤパの前の祭司長であったが、何かのためにローマ政府から免職にされてカヤパがこれに代ったのである。しかしユダヤ人は当時、アンナスを尊敬していた。それでキリストをもまず彼のもとへ引いて行ったのである。カヤパは先に「一人死にて国中滅びざるは我らの益なり」(ヨハネ一一50)と言った人であって、実に冷淡極まることを...
〔55~56〕主が人々に語られた彼らの行為の矛盾に満ちていることについて言えば左の通りである。(1)ユダは接吻によってキリストを渡そうとしたが、このことはキリストのよく承知されたことであった。(2)キリストを盗賊にむかうように捕えに来たことである。人間こそは盗賊である。主は人間から何も盗んだことはない。主は生まれると飼葉おけに寝かされ、高位につかずに貧しい家で労働されたのである。ところが今彼らは主を盗...
イエス売られ給う(マタイ二六47~56、マルコ一四45~52、ルカ二二47~53、ヨハネ一八2~5)(マタイ二六47~)〔46〕勝利を得て「起きよ、我ら行くべし」と立ち上る時に、敵はすでに来たのである。わたしたちもイエスのように全く神に服従して出る時に、確かに勝利を得るのである。〔47〕ユダを見よ。彼は「剣と棒とを持ちたる多くの人々と共に祭司の長と民の長老のもとより来」たのである。今や彼は全く墜落し果てたのである(ヨ...
マタイ二六36以下。「ゲッセマネ」とは「油しぼり」という意味である。カンラン山(オリブ山)から多くの油が出る故に、この名称があるのである。油とは聖霊である。主はここでわたしたちのためにすべての悲しみを飲みつくされたのである。だからこそ今わたしたちに慰めの聖霊が豊かにそそがれるのである。〔36~38〕このゲッセマネにも深意のあることがわかる。八人の弟子は園の入口まで入ったが、三人の弟子はなお奥へ入った。し...
ゲッセマネの御苦難(ヨハネ一八1、マタイ二六36以下)ヨハネ一八1。弟子たちに対して懇ろに語り、また一七章のような祈りを終えられた主は、今やいよいよ十字架の迫りつつあることを知って、なおも静かに祈ろうとしてゲッセマネに向われたのである。時はすでに充分に更けていたと思われる。「ケデロン」とは「濁っている」という意である。これは昔から記念すべき河である。主は終生人心の泥流の中を渡られたが、この時も実におそ...
〔22〕実に恵みである。「栄え」とは内部のすきとおるような聖であるとある人は言った。内に聖がすきとおって徳が満ちているならば、外に光があらわれるのである。キリストの栄えとは、彼にあらわれた聖なる徳であった。これが神の前における第一の栄えである。これをせんじつめれば、彼の中にあった聖霊である。おそれ多いことには、キリストはこの驚くべき栄えをわたしたちに与えられたのである。彼に満ちていたその同じ聖霊をわ...
〔20〕すべての信者のための祈りである。この中には確かにわたしたちも含まれているのであるから、そのつもりで学びたい。キリストの眼中には、ただその時の者ばかりではなく、彼らの言葉によって信じた者すべてがあったのである。永遠より永遠に存在される主は、いずれの時代のことをも知っておられる。だから日本の路傍で、ある弟子たちによって伝えられたみ言葉を信じた私のためにも祈られたのである。〔21〕主が信者のために祈...
〔14〕私が伝えた言葉を受け入れて彼らはあなたにつきました。それ故に世は彼らを憎みます。彼らは世におりますが、世のものではありませんから、世は彼らを憎むのです。あたかも世が私を憎むように彼らを憎むのです、と。わたしたちとキリストとの世に対する関係は同じで、キリストこそ立派な標準である。肉体をもつ間はそんなわけには行かないと言って、少しでも罪を容れることは恐るべきことである。〔15〕「われ汝に彼らを世よ...
〔9〕「我かれらのために祈る……」おお、神よ、このあなたのものである、あなたを受け入れた者のために祈ります。もう一度我らが普通のものでないことをくり返して父が重んじて下さるように祈られたのである。父よ、あなたの責任ある貴い宝のために祈ります、と、キリストの祈りには、少しの私欲も見えないのである。〔10〕ちょうど夫婦が互に独り子を掌中の玉とし、宝としているように、我らを「これは汝のもの、汝のものは我がも...
〔6〕これは主の父に対する復命である。「あなたが私に委ねられたこの魂に、父の名をあらわしました」と、実に立派な復命である。名をあらわすとは、その名によって実をあらわしたことである。イエスの御生涯は神を人にあらわす御生涯であった。けれどもその神を見た人は世から選ばれて、キリストに与えられた者である(コリント後四3、4)。選民でない者は福音の光を受けない。けれどもこの節を見よ。これは選民である。選民には...
〔2〕父なる神がキリストに与えられた選民は、キリストへの賜ものであって、その選民たる我らはキリストの財産、また宝である。故にキリストは選民たる我らに、御自身の永遠の命を与えられるのである。「凡てのものをおさむる権威を我に賜いたればなり」父なる神のキリストを崇めたのはこれである。この力は何のためにあらわすかと言えば、選民に永遠の命を与えるためである。故にこの目的のために障害となるものは、どんなもので...
〔1〕「イエスこの言を語り終りて天を仰ぎ……」ヨハネ一一41のように、イエスは祈りの時にしばしば天を仰いで祈られたことが福音書に記されている。ひれ伏して祈るのは、悔い改め、または謙遜を示すものであり、主との交わりの切れない時には、身も目も天を仰いで祈ることが出来る。「父よ」これは子たる者の霊をあらわしたのである。キリストは御自身のために祈る時には父よと言い、弟子たちのために祈る時にはきよき父よと言い、...
ヨハネ福音書一四章から一六章までにおいて、キリストは弟子たちに対して彼らの生涯、ペンテコステ、また希望について語り、彼らを慰められた。これらのことが終ってから、今まで弟子たちの方へむかって居られた主は天を仰いで祈られたのである。昔大祭司が幕屋に入るのは、一年中で最も幸な日であった。そのように我らの大祭司キリストは、今至聖所において祈っておられるのである。だから我らも栄光なるキリスト御自身を通って、...
〔25〕これまでにキリストは、何とかして弟子たちにこの真理を知らせようとして、譬で教えられたのであるが、ペンテコステ後の彼らは、霊の眼が開かれてどんなことでも聖霊御自身が直接彼らに語り給うのである。〔26〕キリストの名によって祈るとは、キリストにより、父なる神に祈って頂くというような間接的なことではなくて、キリストと自分と一体となって、しかも直接にキリストと共に父なる神に求めるのである。〔27〕これは前...
〔19~20〕キリストは彼らが尋ねる前に尋ねようとすることを語り給う。「誠に真に」とはイエスが力をこめて事実を語られる時に用いられた言葉である。キリストが十字架につけられるために、一時はあたかもサタンの勝利のように見えるから、世はそれを喜ぶであろう。「然れど」ハレルヤ。その弟子たちの憂いは喜びに変るとは神の断言である。まことに幸いである。〔21〕人の不安と喜びとが接近したことを示す。見よ、子を産もうとす...
〔16〕七節でキリストが行くことは弟子たちにとって幸福なことであると言われたが、その間しばらくは彼らも艱難を感ずることであろう。「しばらくして……」キリストは十字架について見えなくなるが、またしばらくして甦えりのキリストを見ることが出来るのである。〔17~18〕肉につける弟子たちには、この意味を理解することが出来なかった。キリストの十字架、甦えりなどは彼らの夢にも思わなかったことであるから、彼らは理解出来...
〔8~9〕聖霊が降り給う時には、奇しきみ業をなされるのである。その時に、この三つのことを悟らせられるのである。悟らせるとは英語コンビクトで非常に意味の強い言葉である。「罪についてと言うのは……」最も恐るべき罪は、キリストを信じない罪である。キリストが来られたのも、神の子であること、また信ずべきメシヤであることを知らせられたのであるが、なおこれを信じないのは罪である。ペンテコステの日に「人々の心刺さるる...
〔5~6〕今やキリストは三十三年の地上の御生涯を終えて、めでたく父の許に帰られるのである。主のお喜びはどんなに大きかったろう。そういうことを夢にも思わなかった弟子たちは、主の行き先きを問いもせずに、肉につける彼らは天国の幸福に着眼もせず、ただ悲しみにふけったのである。彼らの悲しんだのは、三年半にわたり親しく教えを受けた主と、別れねばならないからであった。自分の心に肉の願いを中心とする者は、常にこのよ...