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あちらこちらを訪れて、なんやかんやと撮った写真に、あれやこれやと書いた旅行記のような写真ブログです。

tetsu
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2010/11/26

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  • 品川神社の鳥居と参拝客 (東京)

    京急新馬場駅の北口近くに北馬場参道通りという商店街がある。これはその名が示すとおり、品川神社の参道で門前町だったところだ。旧東海道から真っ直ぐに品川神社へ伸びる門前町はただの門前町ではなく、東海道に53あった宿場町のひとつ、品川宿の一部でもあった。品川宿は今の鉄道駅でいうと京急北品川から新馬場を越え…

  • 鳥居の向こうに見える品川神社の拝殿 (東京)

    第一京浜沿いに立つ鳥居を抜けて急な階段を登り切ると、参道の先に拝殿が見えた。品川神社の拝殿だ。この神社は小高い丘の上に鎮座している。今となっては潮の香りもしないし、潮騒も聞こえない。けれど、ここはかつて海岸線のすぐ近くだったところ。境内から東京湾がよく見えたに違いない。祀られている神様も、浦賀水道の…

  • 閑散とした新馬場駅のプラットホーム (東京)

    品川から南に向かう京急線には立て続けに駅が並んでいる。北品川、新馬場、青物横丁、鮫洲とそれほど離れていない距離で駅が続いているのだ。それぞれの駅に順番に停まるのも、のんびりローカル電車の旅を楽しむならばいいのかもしれないけれど、朝の通勤ラッシュの時間帯に電車がノロノロ進むのを楽しめる人は多くはないだ…

  • 京急品川のプラットホーム (東京)

    京急の品川駅はややこしい。プラットホームは3線分しかないのにもかかわらず、ここを走る列車の種類は多い。ここから南に向かう列車に限っても、大きく分けて行き先は2種類。三浦半島に向かう列車と羽田空港に向かう列車だ。さらに、この2つの行き先の列車にそれぞれ特快や急行や普通などの種類があるのだ。慣れている人…

  • 目黒不動尊の男坂 (東京)

    仁王門を抜けて進んでいくと、すぐに急な階段に行き当たる。目黒不動尊の大本堂へ続く男坂だ。江戸時代から行楽地として賑わってきた目黒不動尊こと瀧泉寺はこの階段の上にある。大本堂は目黒川と羅漢寺川(現在は暗渠になっている)を望む目黒台地に建っているのだ。この台地は古代から人が住むのに適していたようで、縄文…

  • 目黒不動尊で咲く梅 (東京)

    住んでいる目黒の辺りを古地図で見ても、興味を惹かれるものはあまり載っていない。この辺りが市街地化したのは関東大震災以後のこと。それまでは田畑が広がる農村地帯だったため、古地図を見ても田畑が広がっているだけなのだ。そのような状況の中、田畑の中で目立つものがふたつある。ひとつは今でも同じ場所に鎮座してい…

  • 目黒寄生虫館 (東京)

    目黒駅から目黒通りを歩いていくと、ちょっと変わった博物館に辿り着く。それほど広くない館内は、あちらにもこちらにも寄生虫の標本が置かれている。ここは寄生虫を専門に扱った世界でも珍しい博物館、目黒寄生虫館だ。展示されている標本を端から順に眺めていくと、寄生虫に詳しくない僕にはわからない名前のものが続く…

  • 駒沢オリンピック公園のオリンピック記念塔 (東京)

    20,000人を収容できる陸上競技場やバスケット・ゴールのある大階段北広場も印象深いけれど、駒沢にあるオリンピック公園で僕が一番気になるものはオリンピック記念塔だ。公園の中央にある広場の一角にそびえるこの塔の高さは50メートル。しかしながら周囲に高い建物がないために、実際よりも高く見える。公園のシン…

  • ループを下る自転車 (東京)

    駒沢にあるオリンピック公園は、その名が示すとおり1964年に開催された東京オリンピックに合わせて整備された総合運動場だ。ここには競技場の他にも体育館、屋内球技場、野球場などがあって結構広い。第二次世界大戦中は空襲に備えた防空緑地や農地として使われていたようだけれども、その前はゴルフ場だったところとい…

  • 駒沢オリンピック公園のランニングコース (東京)

    いつからだろうか。町中を走っている人が増えたのは。昔からランニングする人はいたけれど、今ほど多くなかったような気がする。笹川スポーツ財団の調査によると、確かにここ20年でジョギング・ランニングをする人は増えている。年1回以上ジョギング・ランニングをする人の割合は1998年に6.9%だったのが、201…

  • 花を手に走る女の子 (東京)

    モース博士が貝塚を発見した場所にある大森貝塚遺跡庭園は、発見を記念するもの、例えばモース博士の胸像や貝層の剥離標本などもあって縄文時代・大森貝塚について学習できると謳われているものの、その実態は児童公園だ。遠目には廃墟にも見えてしまう貝塚をモチーフにした地層の回廊の前にミスト噴水があり、回廊の上にも…

  • 大森貝塚遺跡庭園のミスト噴水 (東京)

    大森貝墟の碑から北に300メートルくらい行くと、大森貝塚遺跡庭園がある。調査の結果、モース博士が発掘した大森貝塚の場所ではないとされてしまった大森貝墟の碑とは対象的に、こちらは本物と証明された場所だ。1877年にこの公園の敷地にあった地層を見て、モース博士が貝塚を発見したのだ。園内には大森貝塚碑やモ…

  • 大森山王日枝神社 (東京)

    ここは大森貝塚のすぐ近く。貝塚があるということは、この辺りは縄文時代から人間が住みやすい場所だったということ。おそらくは水源が近くにありつつも、高台で洪水にあうこともなく、水はけがよい、そんな場所だったのだろう。大森の辺りは武蔵野台地の南端部である荏原台に属していて、貝塚以外にも50基あまりの古墳か…

  • 大森貝墟の碑 (東京)

    大森にある大きなビルの脇にある小道を抜けるとすぐに線路脇に到達する。横を向くと大きな石碑が立っていた。大森貝墟碑だ。2メートルを超える石碑に大きく大森貝墟と書かれている。ここはモース博士が横浜から新橋へ向かう途中で見つけた貝塚、モース貝塚だ。存在は知っていたものの、訪れたのは初めてだった。日本の考古…

  • ロビーギャラリーで足を交差させて立っていた男 (東京)

    有楽町にある東京国際フォーラムを訪れるといつも清々しい気分になる。その原因はなんと言ってもロビーギャラリーに漂う開放感だろう。ラグビーボールのような形をしたギャラリーは、天井付近と片側の壁がガラス張りになっていて日差しをよく吸い込む。そのため天気のいい日にはギャラリーは日差しで中が満たされるのだ。こ…

  • 新有楽町ビルヂング (東京)

    ビルが林立している丸の内は、かつて東京湾の一部で日比谷入江だったところだ。この辺りが埋め立てられ始められたのは、徳川家康が江戸城に入った1590年以降のこと。だいたい1592年くらいからのようだ。着々と埋められた結果、入江の名前が地名に名残を留めているだけで、今ではこの辺りが海だった頃の残滓は見つけ…

  • 鶴見川河口干潟にいたカモメ (神奈川)

    鶴見川の川沿いを歩いていた。川沿いはキチンと護岸されていて遊歩道が設けられている。のどかな雰囲気が漂っている遊歩道は地元の人たちの散歩コースになっているようで、ランニングしたり、犬の散歩をしていたり、僕と同じように特に考えもなく歩いていたりする人と時折すれ違う。鶴見線の橋をくぐり抜けると、タイミング…

  • 花月園前踏切は長い (神奈川)

    京急の花月総持寺駅の近くにやってくると踏切があった。線路のあるところに踏切があっても何ら不思議ではない。しかしながら、ここは普通の場所と状況がちょっと異なる。何本もの路線が走る線路密集地帯にある踏切なのだ。JRだけで東海道本線、京浜東北線、横須賀線、東海道貨物線が走っていて上下8本、さらに京急本線の…

  • 總持寺の梵鐘を撞く僧侶 (神奈川)

    京都にある妙顕寺を訪れたときに、日蓮宗にはひとつの総本山と7つの大本山があるのを知り驚いたけど、本山がひとつだけではないのは何も日蓮宗だけの話ではなかった。横浜にある總持寺は福井県にある永平寺と並び曹洞宗の大本山である寺院だ。曹洞宗、お前もか。JRの線路脇から緩やかに登っていく参道を進むと、大きな三…

  • 暗闇のインスタレーション (東京)

    六本木にそびえる六本木ヒルズの脇を抜け、路地を進んだ先にギャラリーが集まったビルがある。大きくはないけれど、小山登美夫ギャラリー、シュウゴアーツ、タカ・イシイギャラリーが入ったなんとも豪華なビルだ。それぞれ得意分野は違えど、みな現代アートを扱うギャラリーだ。現代アート。そう聞くだけでなんだか難しそう…

  • 鳥居坂から見える東京タワー (東京)

    六本木と麻布十番の間にある鳥居坂を上がった辺りは、かつて大名や武家屋敷が並んでいたのだという。前川國男、坂倉準三、吉村順三の三人が建物を設計した東京文化会館は多度津藩藩主京極壱岐守の上屋敷だったところだし、六本木ミュージアムのある辺りは相模小田原藩藩主の大久保加賀守の中屋敷だったところで、他にも古地…

  • 国際文化会館のソファ (東京)

    六本木ヒルズと麻布十番駅を結ぶ道から鳥居坂を登っていくと、国際文化会館に辿り着く。国際文化会館は宿泊施設や会議施設、レストラン、図書室を備えた施設で、一口で言えば会員制のクラブだ。会員制だからか敷地の入口に看板は立っていない。しかも鳥居坂から国際文化会館の建物は見えないので、会員でも何でも無い人間が…

  • 瑞聖寺の大雄宝殿 (東京)

    白金台の豪奢なマンションに囲まれた境内に1757年に建てられた建造物が建っている。紫雲山瑞聖禅寺の大雄宝殿だ。瑞聖寺の境内は狭い。江戸時代後期に描かれた地誌である「江戸名所図会」には、山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であった様子が描かれているようだけれど、今では周囲をマンションに囲まれてい…

  • 影に覆われつつある不忍通り (東京)

    太陽の位置が段々と低くなっていくのと同時に、地面に伸びる影は徐々に勢力を伸ばしつつあった。路面のほとんどは既に影の勢力に飲み込まれていて、日向の範囲は道路沿いに建つ建物の壁にまで追い込まれている。そのようなせめぎ合いの中、女性が歩いているのが見えた。女性にとって影と日向のせめぎ合いは対岸の火事なのだ…

  • 根津神社の楼門 (東京)

    ときどきふらっと訪れたくなるような場所がある。東京の根津にあるここ根津神社はそのような場所のひとつだ。それほど広くない境内に、6代将軍家宣の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めたところとされる徳川家宣胞衣塚、家宣が植えたのが始まりとされるつつじ園、摂末社である乙女稲荷神社へ続く千本鳥居など、見どころが…

  • 諏訪山吉祥寺の経蔵 (東京)

    今では寂しげな雰囲気が漂う駒込にある吉祥寺も、かつては賑やかな時代もあったようだ。江戸時代、ここには旃檀林と名付けられた仏教の研究と漢学の振興とそれらの人材供給を目的とした学寮が設けられていて、幕府の学問所「昌平坂学問所」と並らぶ漢学の一大研究地だったのという。一大研究地だっただけに境内も七堂伽藍を…

  • 釈迦如来坐像 (東京)

    1802年に建てられた大きな山門を抜けると、参道がまっすぐ本堂に向かって伸びていた。参道を歩く人の姿はなく、閑散としている。広々していて空も広い境内なのにもったいない。散策するには丁度いい雰囲気だった。ここは吉祥寺という曹洞宗の寺院だ。 誰もいない参道を歩いていくと、脇に大きな釈迦如来坐像が鎮座して…

  • 駒込富士神社 (東京)

    東京の住宅街でこんもりと木々が生い茂っている場所があったら、ほとんどの場合、神社か寺院だ。それくらい都内の住宅街で木々が生い茂っている場所は少ない。これは欧米の都市と比べたデータでも明らかで、国土交通省「諸外国における公園の現況」(2012 年)によると一人当りの公園面積は、ロンドンが26.9平方メ…

  • 東洋文庫ミュージアム (東京)

    駒込にある東洋文庫の基礎は、1917年に三菱財閥の岩崎久弥が中華民国総統府顧問を務めていたジョージ・アーネスト・モリソンの中国に関する欧文文献の膨大なコレクションを購入したことに始まっている。このコレクションは今でもモリソン文庫として東洋文庫が所蔵している。ミュージアムで写真映えする大きな本棚に収蔵…

  • モリソン書庫 (東京)

    駒込にある東洋文庫には垂涎の的になるような本棚のある書庫がある。2階分くらいの高さのある壁がびっしりと本棚になっているのだ。本好きの僕にとっては憧れの空間だ。東洋文庫は東洋史と文化に関する文献資料を収集した東洋学専門図書館で、そのミュージアム部分に設けられているモリソン書庫がその空間だ。ここには東洋…

  • 箱根登山ケーブルカー (神奈川)

    強羅の斜めになったプラットホームに立っていると、同じように斜めになった電車が入って来た。中に入ると、車内も山の斜面と同じように斜めになっている。先頭にある運転席は、まるで坂の上に設けられているかのようだ。箱根登山ケーブルカーだ。このケーブルカーは、箱根の強羅辺りに建てられた旅館や別荘地の利用者の便を…

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