入り組んだ海岸線を歩き、三崎港に到着。天然の良港で戦後は日本最大のマグロ漁港でもあったところだ。今でも卸売市場やマグロ料理店が残る。近海でマグロを獲る昔の漁法は非常にワイルドだった。
京急新馬場駅の北口近くに北馬場参道通りという商店街がある。これはその名が示すとおり、品川神社の参道で門前町だったところだ。旧東海道から真っ直ぐに品川神社へ伸びる門前町はただの門前町ではなく、東海道に53あった宿場町のひとつ、品川宿の一部でもあった。品川宿は今の鉄道駅でいうと京急北品川から新馬場を越え…
第一京浜沿いに立つ鳥居を抜けて急な階段を登り切ると、参道の先に拝殿が見えた。品川神社の拝殿だ。この神社は小高い丘の上に鎮座している。今となっては潮の香りもしないし、潮騒も聞こえない。けれど、ここはかつて海岸線のすぐ近くだったところ。境内から東京湾がよく見えたに違いない。祀られている神様も、浦賀水道の…
品川から南に向かう京急線には立て続けに駅が並んでいる。北品川、新馬場、青物横丁、鮫洲とそれほど離れていない距離で駅が続いているのだ。それぞれの駅に順番に停まるのも、のんびりローカル電車の旅を楽しむならばいいのかもしれないけれど、朝の通勤ラッシュの時間帯に電車がノロノロ進むのを楽しめる人は多くはないだ…
京急の品川駅はややこしい。プラットホームは3線分しかないのにもかかわらず、ここを走る列車の種類は多い。ここから南に向かう列車に限っても、大きく分けて行き先は2種類。三浦半島に向かう列車と羽田空港に向かう列車だ。さらに、この2つの行き先の列車にそれぞれ特快や急行や普通などの種類があるのだ。慣れている人…
仁王門を抜けて進んでいくと、すぐに急な階段に行き当たる。目黒不動尊の大本堂へ続く男坂だ。江戸時代から行楽地として賑わってきた目黒不動尊こと瀧泉寺はこの階段の上にある。大本堂は目黒川と羅漢寺川(現在は暗渠になっている)を望む目黒台地に建っているのだ。この台地は古代から人が住むのに適していたようで、縄文…
住んでいる目黒の辺りを古地図で見ても、興味を惹かれるものはあまり載っていない。この辺りが市街地化したのは関東大震災以後のこと。それまでは田畑が広がる農村地帯だったため、古地図を見ても田畑が広がっているだけなのだ。そのような状況の中、田畑の中で目立つものがふたつある。ひとつは今でも同じ場所に鎮座してい…
目黒駅から目黒通りを歩いていくと、ちょっと変わった博物館に辿り着く。それほど広くない館内は、あちらにもこちらにも寄生虫の標本が置かれている。ここは寄生虫を専門に扱った世界でも珍しい博物館、目黒寄生虫館だ。展示されている標本を端から順に眺めていくと、寄生虫に詳しくない僕にはわからない名前のものが続く…
20,000人を収容できる陸上競技場やバスケット・ゴールのある大階段北広場も印象深いけれど、駒沢にあるオリンピック公園で僕が一番気になるものはオリンピック記念塔だ。公園の中央にある広場の一角にそびえるこの塔の高さは50メートル。しかしながら周囲に高い建物がないために、実際よりも高く見える。公園のシン…
駒沢にあるオリンピック公園は、その名が示すとおり1964年に開催された東京オリンピックに合わせて整備された総合運動場だ。ここには競技場の他にも体育館、屋内球技場、野球場などがあって結構広い。第二次世界大戦中は空襲に備えた防空緑地や農地として使われていたようだけれども、その前はゴルフ場だったところとい…
いつからだろうか。町中を走っている人が増えたのは。昔からランニングする人はいたけれど、今ほど多くなかったような気がする。笹川スポーツ財団の調査によると、確かにここ20年でジョギング・ランニングをする人は増えている。年1回以上ジョギング・ランニングをする人の割合は1998年に6.9%だったのが、201…
モース博士が貝塚を発見した場所にある大森貝塚遺跡庭園は、発見を記念するもの、例えばモース博士の胸像や貝層の剥離標本などもあって縄文時代・大森貝塚について学習できると謳われているものの、その実態は児童公園だ。遠目には廃墟にも見えてしまう貝塚をモチーフにした地層の回廊の前にミスト噴水があり、回廊の上にも…
大森貝墟の碑から北に300メートルくらい行くと、大森貝塚遺跡庭園がある。調査の結果、モース博士が発掘した大森貝塚の場所ではないとされてしまった大森貝墟の碑とは対象的に、こちらは本物と証明された場所だ。1877年にこの公園の敷地にあった地層を見て、モース博士が貝塚を発見したのだ。園内には大森貝塚碑やモ…
ここは大森貝塚のすぐ近く。貝塚があるということは、この辺りは縄文時代から人間が住みやすい場所だったということ。おそらくは水源が近くにありつつも、高台で洪水にあうこともなく、水はけがよい、そんな場所だったのだろう。大森の辺りは武蔵野台地の南端部である荏原台に属していて、貝塚以外にも50基あまりの古墳か…
大森にある大きなビルの脇にある小道を抜けるとすぐに線路脇に到達する。横を向くと大きな石碑が立っていた。大森貝墟碑だ。2メートルを超える石碑に大きく大森貝墟と書かれている。ここはモース博士が横浜から新橋へ向かう途中で見つけた貝塚、モース貝塚だ。存在は知っていたものの、訪れたのは初めてだった。日本の考古…
有楽町にある東京国際フォーラムを訪れるといつも清々しい気分になる。その原因はなんと言ってもロビーギャラリーに漂う開放感だろう。ラグビーボールのような形をしたギャラリーは、天井付近と片側の壁がガラス張りになっていて日差しをよく吸い込む。そのため天気のいい日にはギャラリーは日差しで中が満たされるのだ。こ…
ビルが林立している丸の内は、かつて東京湾の一部で日比谷入江だったところだ。この辺りが埋め立てられ始められたのは、徳川家康が江戸城に入った1590年以降のこと。だいたい1592年くらいからのようだ。着々と埋められた結果、入江の名前が地名に名残を留めているだけで、今ではこの辺りが海だった頃の残滓は見つけ…
鶴見川の川沿いを歩いていた。川沿いはキチンと護岸されていて遊歩道が設けられている。のどかな雰囲気が漂っている遊歩道は地元の人たちの散歩コースになっているようで、ランニングしたり、犬の散歩をしていたり、僕と同じように特に考えもなく歩いていたりする人と時折すれ違う。鶴見線の橋をくぐり抜けると、タイミング…
京急の花月総持寺駅の近くにやってくると踏切があった。線路のあるところに踏切があっても何ら不思議ではない。しかしながら、ここは普通の場所と状況がちょっと異なる。何本もの路線が走る線路密集地帯にある踏切なのだ。JRだけで東海道本線、京浜東北線、横須賀線、東海道貨物線が走っていて上下8本、さらに京急本線の…
京都にある妙顕寺を訪れたときに、日蓮宗にはひとつの総本山と7つの大本山があるのを知り驚いたけど、本山がひとつだけではないのは何も日蓮宗だけの話ではなかった。横浜にある總持寺は福井県にある永平寺と並び曹洞宗の大本山である寺院だ。曹洞宗、お前もか。JRの線路脇から緩やかに登っていく参道を進むと、大きな三…
六本木にそびえる六本木ヒルズの脇を抜け、路地を進んだ先にギャラリーが集まったビルがある。大きくはないけれど、小山登美夫ギャラリー、シュウゴアーツ、タカ・イシイギャラリーが入ったなんとも豪華なビルだ。それぞれ得意分野は違えど、みな現代アートを扱うギャラリーだ。現代アート。そう聞くだけでなんだか難しそう…
六本木と麻布十番の間にある鳥居坂を上がった辺りは、かつて大名や武家屋敷が並んでいたのだという。前川國男、坂倉準三、吉村順三の三人が建物を設計した東京文化会館は多度津藩藩主京極壱岐守の上屋敷だったところだし、六本木ミュージアムのある辺りは相模小田原藩藩主の大久保加賀守の中屋敷だったところで、他にも古地…
六本木ヒルズと麻布十番駅を結ぶ道から鳥居坂を登っていくと、国際文化会館に辿り着く。国際文化会館は宿泊施設や会議施設、レストラン、図書室を備えた施設で、一口で言えば会員制のクラブだ。会員制だからか敷地の入口に看板は立っていない。しかも鳥居坂から国際文化会館の建物は見えないので、会員でも何でも無い人間が…
白金台の豪奢なマンションに囲まれた境内に1757年に建てられた建造物が建っている。紫雲山瑞聖禅寺の大雄宝殿だ。瑞聖寺の境内は狭い。江戸時代後期に描かれた地誌である「江戸名所図会」には、山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であった様子が描かれているようだけれど、今では周囲をマンションに囲まれてい…
太陽の位置が段々と低くなっていくのと同時に、地面に伸びる影は徐々に勢力を伸ばしつつあった。路面のほとんどは既に影の勢力に飲み込まれていて、日向の範囲は道路沿いに建つ建物の壁にまで追い込まれている。そのようなせめぎ合いの中、女性が歩いているのが見えた。女性にとって影と日向のせめぎ合いは対岸の火事なのだ…
ときどきふらっと訪れたくなるような場所がある。東京の根津にあるここ根津神社はそのような場所のひとつだ。それほど広くない境内に、6代将軍家宣の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めたところとされる徳川家宣胞衣塚、家宣が植えたのが始まりとされるつつじ園、摂末社である乙女稲荷神社へ続く千本鳥居など、見どころが…
今では寂しげな雰囲気が漂う駒込にある吉祥寺も、かつては賑やかな時代もあったようだ。江戸時代、ここには旃檀林と名付けられた仏教の研究と漢学の振興とそれらの人材供給を目的とした学寮が設けられていて、幕府の学問所「昌平坂学問所」と並らぶ漢学の一大研究地だったのという。一大研究地だっただけに境内も七堂伽藍を…
1802年に建てられた大きな山門を抜けると、参道がまっすぐ本堂に向かって伸びていた。参道を歩く人の姿はなく、閑散としている。広々していて空も広い境内なのにもったいない。散策するには丁度いい雰囲気だった。ここは吉祥寺という曹洞宗の寺院だ。 誰もいない参道を歩いていくと、脇に大きな釈迦如来坐像が鎮座して…
東京の住宅街でこんもりと木々が生い茂っている場所があったら、ほとんどの場合、神社か寺院だ。それくらい都内の住宅街で木々が生い茂っている場所は少ない。これは欧米の都市と比べたデータでも明らかで、国土交通省「諸外国における公園の現況」(2012 年)によると一人当りの公園面積は、ロンドンが26.9平方メ…
駒込にある東洋文庫の基礎は、1917年に三菱財閥の岩崎久弥が中華民国総統府顧問を務めていたジョージ・アーネスト・モリソンの中国に関する欧文文献の膨大なコレクションを購入したことに始まっている。このコレクションは今でもモリソン文庫として東洋文庫が所蔵している。ミュージアムで写真映えする大きな本棚に収蔵…
駒込にある東洋文庫には垂涎の的になるような本棚のある書庫がある。2階分くらいの高さのある壁がびっしりと本棚になっているのだ。本好きの僕にとっては憧れの空間だ。東洋文庫は東洋史と文化に関する文献資料を収集した東洋学専門図書館で、そのミュージアム部分に設けられているモリソン書庫がその空間だ。ここには東洋…
強羅の斜めになったプラットホームに立っていると、同じように斜めになった電車が入って来た。中に入ると、車内も山の斜面と同じように斜めになっている。先頭にある運転席は、まるで坂の上に設けられているかのようだ。箱根登山ケーブルカーだ。このケーブルカーは、箱根の強羅辺りに建てられた旅館や別荘地の利用者の便を…
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入り組んだ海岸線を歩き、三崎港に到着。天然の良港で戦後は日本最大のマグロ漁港でもあったところだ。今でも卸売市場やマグロ料理店が残る。近海でマグロを獲る昔の漁法は非常にワイルドだった。
城ヶ島渡船に乗れずに帰路も城ヶ島大橋を渡り、三崎港の繁華街へ向かっていた。入り組んだ海岸線を歩きながら、護岸に係留された漁船の横を通り抜けていたら、一隻の漁船の上で漁師が魚の餌作りをしていた。
ウェットスーツを着た人が闊歩している南国風の城ヶ島のハイキングコースを歩くと、両脇に草が生い茂っていて立体迷路を歩いているようだった。せっかく海の近くを歩いているのに海は見えたり、見えなかったりして、ちょっともやもやする。
東京都内にも赤塚の乗蓮寺、谷中霊園の天王寺、北区の谷津大観音など大仏が点在している。谷津大観音は台座を含めても8.5メートルと決して巨大ではなく、周囲の民家に溶け込むように静かに鎮座し、地域の安寧を見守っているかのような存在だ。
高所恐怖症なんだけど、高層ビルの展望台は意外と楽しめる。中途半端な高さだとビビるけど、一定以上の高さになると脳が「えぇ、ここ高いってことないな」って認識しなくなるみたい。だから高層ビルの上から見る景色は全然怖くないし、むしろ楽しめてしまう。
西新宿は以前の淀橋浄水場跡地に再開発された地域で、高層ビルが立ち並ぶ。しかし、浄水場の池を基準に高層ビルが建てられたため、地表と建物の高さに段差が生じている。これが西新宿を歩いていると地表がどこにあるのか分からなくなる原因となっている。
西新宿の独創的な外観の高層ビル「コクーンタワー」。発注主の
ガラス張りの建物に黄金に輝く神輿が保管されていた。金ピカの神輿には宝石もふんだんに使われ、乗り込む神様もご満悦だろう。日本の地味な宗教施設とは対照的に、神輿の極彩色は際立つ。金ピカの神輿を見れば、神々しさの考え方は東南アジアと根本的には変わらないのではないかと思える。
渋谷で開かれていたソール・ライター展は思っていたよりも混んでいた。オシャレなソール・ライターの作品を見たいと欲する人は多い。大胆な構図で切り取られた社会はどこか他人事で、写真に写ったものや人の意味を深堀りさせようとはしてこない。それがクールでオシャレに見えるのだろう。お節介な親戚のおばさんのように…
靖国神社にある施設というと、零戦が展示されている遊就館が有名だけれど、境内にはそれ以外にも施設がある。参拝者のための控室をはじめ、靖國偕行文庫という図書館も設けられているし、相撲場もある。そのような中、ちょっと意外な感じがするのが神池庭園だ。裏手に進んでいくと、池泉回遊式庭園があって、池を囲むように…
東京にある靖国神社は、もともと東京招魂社と称していた。招魂とは死者をとむらうこと。その名の通り、明治維新以後の日本国家のために殉難した人を祀るために建立された神社だ。祀られている人物を巡って論争が起きるけれど、そもそも誰を祀るのかを決めるのは宗教側なのだから仕方ない。キリスト教だって、宗派によって聖…
修復が終わった屋根は鮮やかなパステル色で、周辺が雪景色になったらさぞ映えるのだろう。ネットで見た雪景色の中にそびえる函館の「主の復活聖堂」の写真はどれも美しかった。でも幸か不幸か今は雪の降る季節ではなかった。周辺の芝生は青々としていて、黄色い花があちらこちらに咲き乱れている。目の前に建つ函館ハリスト…
関東では見かけない御祭神が祀られているものの、札幌にある北海道神宮の境内の様子は関東に建つ神社と特に変わったところはない。本殿は伊勢神宮と同じ神明造で、取り囲むような回廊もどこかで見たことのあるようなものだ。歩いている巫女の格好も何ら変わらない。そりゃそうだ。ここは神社本庁に属する神社だからだ。明治…
円山公園駅から北海道神宮に最短距離で向かうと、どうしても表参道を通らない。脇参道というか、幅の広い表参道と比べると幅が狭く木々が鬱蒼と茂るハイキングコースのような細い参道を通ってしまう。そのほうがずっと近いと思うのは僕だけではないようで、このハイキングコースを大勢の参拝客がゾロゾロ歩いている。そのせ…
観光名所を訪れて、がっかりしてしまうことがある。事前に読んだガイドブックによく書かれすぎているせいのときもあるし、実物よりもキレイに撮られた写真のせいのときもある。いずれにしても想像していたよりもすごくなかったということ。いわゆる「がっかり観光地」だ。僕も旅をした中で、期待していたのにすごくなかった…
世の中に素人が価値を理解するのが難しいものはたくさんある。小樽市総合博物館にある機関車庫三号もそのひとつだ。確かに「現存する日本最古の機関車庫」という情報を見れば、誰だってそれなりに価値があるものだと思うけれど、見ただけでこの価値を理解できる人はいるだろうか。そもそも「現存する日本最古の機関車庫」と…
もう列車の走ることのない線路を歩いていくと、たどり着いた先は小樽市総合博物館だった。ここは旧国鉄・手宮線の手宮駅の跡地に作られた博物館だ。特に下調べすることなく、歩いていた廃線路の終着点にあったというだけで足を踏み入れた博物館は思いのほか広く、残っている線路の上に実際の列車や客車が何両も展示されてい…
薄暗い建物の内部で壁が光っていた。どの壁も鮮やかに発色している。ステンドグラスだった。ここは小樽にあるステンドグラス美術館。かつて大豆を収めていた倉庫に、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで制作され、実際に教会の窓を飾っていたステンドグラスが飾られている。教会を飾っていただけあって、展示さ…
小樽住吉神社を後にして、築100年が経過している鋼鉄製の火の見櫓を眺めた後は、ただ小樽の住宅街を歩いていた。スーパーマーケットがあったり、コンビニがあったり、東京と大して変わらないと思っていた町並みが変化し始めたと思ったのは、旧上勢友吉商店まで来たところだった。旧上勢友吉商店は1921年に建てられた…
個人的な見解なのだけれど、かつて繁栄したものの、その後衰退してしまったところほど昔のものが残っている。繁栄したことのないところに、お金をかけた豪奢なものが作られることは少ないし、古来から繁栄し続けている場所は古いものが更新されて残っていないことが多い。江戸時代に幕府が開かれて、明治維新後も首都であり…
人の人生なんて長くても100年くらい。文化の変遷を感じるには短すぎるのだろう。自分の幼い時分にあったものは太古から存在していて、これからも存在し続けると思いがちだ。でも実際のところは、文化は日々刻々と変化している。ゆっくり変化しているがゆえに、ほとんどの人が移り変わりをとらえられない。そのため世の中…
現在明治神宮の境内は、江戸時代の終わりには彦根藩主・井伊家の下屋敷だったところだ。井伊家とは桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼を輩出したあの井伊家のこと。譜代大名の中で最大の石高を誇った井伊家は下屋敷でさえ、広大な敷地を有していた。しかも、ここが下屋敷だったということは、藩主が居住していた上屋敷は…
代々木上原の近くの住宅街に立っている鉛筆のような尖塔が、日本最大のモスクである東京ジャーミイの目印だ。この尖塔はモスクには必ず付随しているミナレットと呼ばれるものだ。ひとくちにミナレットと言っても、その形状は場所によって異なる。例えば、ウズベキスタンでは灯台のような形をしているし、モロッコではテトリ…
日本にいるとあまり意識しないけれど、世界には多くのイスラム教徒が存在している。なにせ世界三大宗教の一翼を担っているくらいだ。揺籃の地である中東にはもちろんのこと、インドにも大勢いるし(人口の10%程度)、東南アジアにも多数いる。インドネシアやマレーシアのイスラム教徒が主流の国である国だけでなく、仏教…
かつて佐倉は軍都だったと聞いても、駅前を歩いても、旧堀田邸を訪れても、武家屋敷を覗いても、その名残を感じることはできない。今でも海上自衛隊の基地のある横須賀のように、街を歩いても自衛隊の隊員を見かけることもない。知らなければ、千葉県佐倉市に日本帝国陸軍の軍隊が駐屯していた歴史に気が付かないだろう。佐…
千葉県佐倉には、かつて江戸時代に諸藩の中で最も多くの老中を輩出した佐倉藩があった。この事実から、現在の佐倉に磨崖仏が残っていても不思議ではないと思ってしまったのだ。しかし、冷静になって考えれば、佐倉城が「老中の城」と称されたことと、岩壁に石仏が造立されていることには関連性はない。佐倉には日本の歴史…
世田谷美術館は混んでいた。一般的に、絵画作品の展覧会に比べて、写真作品の展覧会を訪れる人が少ないイメージを持っているけれど、それは作家の知名度によるのだろう。世の中では画家のほうが写真家よりも有名な人が多いのだ。そのような中、この日に展覧会が模様されていた写真家・藤原新也の知名度はそこらの画家よりも…
現在、47の都道府県に分けられている日本は、律令制の時代には68の国に分けられていた。令制国だ。大宝律令が制定された701年から、1871年に廃藩置県が実施されるまでの1200年近くの間、用いられ続けられた行政区分だ。驚くべきことに、令制国の改廃が行われたのは奈良時代までと明治以降だけ。平安時代から…
有楽町駅周辺は多くのビルが建ち並び、活気に溢れている場所だ。面白いのはJRの線路を挟んで街の性格が違うところ。丸の内側はビジネスエリアで大きなオフィスビルがいくつも立ち並んでいるビジネスマン向けの場所である一方で、有楽町側はデパートもある一般消費者向けの場所なのだ。どちらも活気に溢れているのは同じで…
東京駅にほど近い丸の内に建つ大きなオフィスビル・東京ビルTOKIAは閑散としていた。平日ならば多くの人が働いていているオフィスも、週末にはあまり人がいないのだろう。オフィスエリアへのエントランスも静けさに包まれていた。しかし、いくら出社している人が少ないとはいえ、大きなオフィスビルのインフラは働き続…
辰野金吾が設計した赤レンガの駅舎を期待して八重洲口から東京駅を出てしまうと、あまりにも雰囲気が違って戸惑ってしまう。丸の内側には1914年に建てられたシックな駅舎があるのに対し、八重洲側にはこれといって説明するのが難しい駅舎があるだけ。百貨店もあるし、高級ホテルもあるし、大きなバスターミナルもあるし…
東京の日本橋の上に翼の生えた獰猛そうな動物が鎮座している。初めて見た人は、この像が西洋のドラゴンだと思うかもしれないが、実は違う。この銅像は中国神話に登場する伝説上の動物である麒麟だ。キリンビールのラベルに描かれているあの麒麟だ。本来なら、麒麟には翼はないのだが、日本橋の麒麟は、日本の道路の起点から…
東京にはコンクリート・ジャングルしかないと思っている人は意外と感じるだろうけれど、23区内にも渓谷がある。エコブームで造られたような人工的な渓谷ではなく、自然にできた渓谷があるのだ。それが東急大井町線の等々力駅からほど近くにある等々力渓谷だ。等々力渓谷は武蔵野台地を大量の湧水が浸食してできたもので…
あまり知られていないけれど、東京にも多くの古墳がある。東京タワーのすぐ近くには芝丸山古墳があり、オシャレな代官山には猿楽塚古墳がある。また、花見の名所でもある飛鳥山には飛鳥山1号墳がある。さらに、多摩川下流に広がる武蔵野台地の南端部には、大小50基以上の古墳が確認されており、荏原台古墳群と呼ばれてい…
九品仏駅はプラットホームが短いことで有名だ。そう。プラットホームが停車する電車よりも短いので、ドアが開かない車両が存在するのだ。まさか停まったのにドアが開かない駅があるなんて、思いがけなく、罠にかかったような気分になってしまう。車内アナウンスで何度も注意を喚起しているにも関わらず、この予想外の内容を…
九品仏駅を出ると、真っ直ぐ伸びる参道に目を奪われる。入り口には、白い羊羹を立てたかのような太い石柱が立っていて、浄真寺参道と書かれている。ここは、通称「九品仏」と呼ばれる浄真寺の参道だ。浅草寺のように観光地化されてはいないが、見応えのある仏教寺院だ。なにせ観光地化されていないため空いている。そんな浄…
埼玉の川越を訪れた際に、川越には似たような名前の駅が複数あって、どれが川越の中枢にある駅なのかを名前からよそ者が判断するのは難しいと書いた。そのような問題は川越だけの問題なのかと思いきや、この日にやって来た千葉市もなかなかの問題児だった。やはり似たような駅があって、駅名を見ただけでは、どの駅が市の中…
当初は訪れるつもりはなかったものの、千葉県立美術館で江口寿史のイラストを観終えた僕は千葉市美術館にも行ってみようと思い立った。せっかく千葉市まで来たのだから、千葉市美術館にも足を伸ばしてみようと思ったのだ。地図で見ると千葉県立美術館から千葉市美術館までは近い。歩いて30分くらいの道のりだ。埋め立てら…
僕にとってはよく分からないもののひとつに、アートとアートでないものを分け隔てる境界線がある。精巧に作られているから自動的にアートに分類されるわけでもない上に、下手くそに見えてもアートに分類されるものもある。また、自らの手で作ったものでなくとも、マルセル・デュシャンの「泉」のようにアートとされるものも…
いつもと違って、県名と県庁所在地名が同じだとややこしいと感じていた。千葉県立美術館に行くつもりでいたが、気を抜くとすぐに千葉市美術館に向かっているのか、千葉県立美術館に向かっているのかわからなくなってしまっていたのだ。千葉県立美術館と千葉市美術館は歩いて行ける距離にあるものの、それほど近くにあるわけ…