そう、マキナ。あれ不自由なカメラでしょ。シャッター・チャンスだと思っても、すぐにはシャッター押せなくてチャンスを逃しちゃうとかさ。でも街を撮るときには、そういう撮りにくいカメラがいいんですよ。そのほうがデコボコした街の感じ、自分の感じが出てくるわけ。(中略)マキナなんて覗いたって...
中平卓馬は、70年代に『なぜ、植物図鑑か』という映像論集を書いて、私的な作品性というものを否定して、図鑑のような即物的な写真を目指すと宣言した。
自分自身の感性とやらを過大に評価しはじめた瞬間から、行き詰まりがはじまる。チッポケな自分自身の内面よりも、自分を取り巻く環境にこそ無限の可能性があると考えるほうが健全な気がします。 ホンマタカシ「楽しい写真」
「情報」は環境に普遍的に存在し、その価値は知覚者の主観によって変化しない。
「情報」は環境に普遍的に存在し、その価値は知覚者の主観によって変化しない。 ジェームズ・J・ギブソン
「写真的思考」とはある種の神話的想像力の発現である。そして写真家とはカメラを抱えたシャーマンである。 飯沢耕太郎『写真的思考』
木村は、被写体となった人物を、周囲の雰囲気ごと金魚すくいのようにつかまえる。もろい薄紙の上でいきいきとはねる金魚のイメージ。撮られた人物が薄い印画紙の上で動き続け、枠から飛び出してくるように見える。 一方、土門は対照的に、これと決めた瞬間を鈍器で殴りつけて強引に静止させたかの...
ヘレニズム・ローマ期の哲学における、ひとが生涯を通じて行ってきた救済、救済の行為、救済の活動が齎す報いの二つの形式。 アタラクシア:動揺の不在。ひとがいかなるものによっても動揺させられないようにする自己の統御 アウタルケイア:自己以外の何者も必要としない自己充足 -ミシェル・フー...
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