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2010/08/09

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  • 第3753日目 〈読み続けていれば。読み続けるには。〉

    英語の多読と同じで読書体験を重ねれば、だんだんと上のレヴェルの本が読めるようになってゆく。内容が手に余るとか支障はあるだろうけれど、ずっと読んでいれば、これまでよりすこしだけ専門的な本を手にしても、どうにか読める、まったくわからないわけじゃぁない。 実体験だ。日本の古典文学についても、聖書/キリスト教についても。 ただ大事なのは、英語多読の入門書でもいわれているが、ときどき易しいレヴェルの本へ立ち返って自分の興味を「そこ」へつなぎとめる、難しめの本ばかりで凝り固まった脳ミソと心を休ませ回復させる、という二点。 怠ると、たちまち知的硬化を招いて読書がイヤになります。本当のことである。◆

  • 第3752日目 〈親しき人、ヨブ。〉

    旧約聖書に収まる「ヨブ記」とは身に覚えのない罪によって肉体的苦痛精神的苦痛を味わわされた男の、神を呪詛する物語である。友ならざる友が好き放題に喚く身勝手ステレオ・タイプの主張に悩まされる男の話でもある。信仰が本物かどうかを試される男の話、というのが一般的にいわれるところ。 最初に読んだとき、なんて難解な書物だろう、と何度頭を抱えたことか。いまでも難解という印象に変わりはない。繰り返し本文へ目を通しても、幾種かの註解や研究書を読んでみても、肝心の部分は未だ濃い霧のなかにある。 斯様な状況にありながらもちか頃は、突破口となりそうなものを見附けた気がしている。「ヨブ記」に抱く難しさにかわりはないが、その内容・思想へ迫る取っ掛かりを、得たように思う。 突破口とは、いまわたくしが味わっている肉体的苦痛である。それが生み出す不安と絶望である。空想の力によって創られた、快癒への希望である。..

  • 第3751日目 〈「マルコ」の再発見──『バークレーの新約聖書案内』を読んでいます。〉

    咨、ウィリアム・バークレーとの出会いは、新約聖書の読書を始める直前と記憶する。頼りとすべき註解書を探す一方で、新約聖書全体を見渡す一冊の、自分にとって最適な一冊の本を見附けるべくあれこれ漁っていた──市の中央図書館の棚の前を行ったり来たり、背伸びしたりしゃがみこんだりしながら。 そうやって見附けたのが、『バークレーの新約聖書案内』だった。いちばん下の、いちばん端っこにあった。スコットランド協会の雑誌に連載された、新約聖書を構成する二十五の書物について、各巻の中心になる思想、各巻がいわんとする大事な一点に絞って書かれたエッセイ群プラス序文と結語から成る『バークレーの新約聖書案内』は、本文二〇〇ページにもならぬ本である。この、一巻一点集中の姿勢が、新約聖書へこれからアプローチしようとしているわたくしにとって、いちばん身の丈が合うようだった。その予感は現実となり、九年が経とうとしている現在..

  • 第3750日目 〈お詫びと現状報告。……わたくしは挫けない、前を見てその果てに進む。〉

    右耳の後ろだけでなく、ちょうど右襟足にあたる首の箇所にまで腫れができて、痛みに耐えかねている。知己がそれを見て、はっきりと視認できる程の大きさだと教えてくれた。写真を撮ってもらったが、これまで見たことのないような大きさの腫れだった。 痛みは右耳の後ろの腫れからズキンズキンと絶えることなく続いているが、首の後ろの腫れからも鈍痛がときおり起こっているように感じられる。そうして昨日(12月26日)の診察のあとで生じた左襟足にあたる首の箇所も、右側ほどではないが細長く腫れあがっている。 帰りはなかなかタクシーが摑まえられず、配車を頼んでもすべて出払ってしまっていた。店を出てから40分くらい経ったあと、桜木町でようやくタクシーを停められたときは、既に右脇腹は痛みと突っ張りで悲鳴をあげていた。 帰宅してすぐお腹に食べ物を入れて空腹を満たしたあと、脳梗塞の経過観察で処方された薬と、白血病の..

  • 第3749日目 〈山本芳久『キリスト教の核心をよむ』を読みました。〉

    きょうばかりは暗い話はなるべくしたくないので、読んだ本のことを話そう。 山本芳久『キリスト教の核心をよむ』(NHK出版 2021/10)を読み終わった。ずっと鈍く続く痛みをわずかの間でも忘れられたら……という思いから手にした一冊だったが、ゆっくり読み進めるうちジワジワと、旅する人々を束ねる同伴者イエスの優しさが染みこんできて、すこぶる感銘深い読書となったことをまずは報告したい。 なにより心に残ったのは最後の第四章、「橋をつくる──キリスト教と現代」だった。教皇フランシスコとヘンリ・ナウエンの著書を紹介しながら、〈周縁の神学〉を踏み台にして自分と他者の間に「橋をつくる」、架橋することが、世界が断裂されているこんにちにこそ必要と説く。 キモとなるのは、ナウエンの代表的著作『傷ついた癒し人』にある、自らの傷を(他人への)癒やしの源泉とする、という箇所。この発想は、「『十字架で苦..

  • 第3748日目 〈病気と闘いながら、今年よりは良い来年を迎えたい。〉

    体調不良に伴って読書が遅れていた杉原泰雄『憲法読本 第4版』について、年内の再読終了を目論んでいたがそれはどうやら水泡と帰すことになりそうだ。というのも二週間程前から呻き続けて罵詈を叫んでいた腰と背中、両脇腹、左股間(鼠径部)の断続的かつ移動する痛み、そうして右耳後ろの腫れと痛みの原因、今後の治療方法等がわかってきたからだ。 クリスマスの昼、救急車を呼んで運ばれたかかりつけ病院の緊急医療室での検査に拠れば、すべてはリンパの腫れによるものの可能性が高いという。 最近はCT撮影をしていなかったので「いつから」とは判然としないが、前回撮影した2022年秋と、今年夏の脳梗塞を発症した際に撮影された(別病院での)写真を並べてみるとリンパがいまのように拡大して神経を圧迫、痛みや腫れをもたらしたのはここ三、四ヶ月のことである様子。これとて明日の診察を経ないと正確な原因などわかりかねる部分が大き..

  • 第3747日目 〈徴税人、マタイのこと。〉

    福音書に登場する徴税人マタイ、レビはユダヤ人だった。エルサレムの一角で仕事をしていた。かれらは同胞から忌み嫌われる存在だった。にもかかわらず、イエスはかれらを召して弟子とした。 エルサレムを含むユダヤ、その北にあるサマリヤ、イエスの故郷ナザレを服むガリラヤ。その周辺地域。そこは当時ローマ帝国の属州だった。小規模の抵抗運動、大きな反乱はあったと雖もそのたび、ローマ軍によって鎮圧された。 人々は内心でローマを憎んだ。よい感情は持っていなかった。矛先はローマの代理人のようになって働く同胞へも向けられた。マタイ、レビがユダヤ人でありながら忌まれたのは、徴税人というのが、ユダヤ人がローマへ納める税金の取り立て役だったからだ。 「マタイによる福音書」に曰く、「イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人..

  • 第3746日目 〈それって本当に幸せなの?〉

    酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。 (ロマ13:13-14) マニ教徒であったアウグスティヌスは、たまたま読んだ「ローマの信徒への手紙」の上の一節によって安心の光ともいうべきものが心のなかに降り注いできて、それまで自分のなかにあった迷いや疑いというものが消えていったのを、感じたそうであります。 では、自分はどうか。聖書読書に用いた新共同訳にあたり、ブログ原稿を検めると、こんな風に言葉すくなに述べている。曰く、「ともすれば、意思が一時の情念と欲望に敗北を喫することしばしばであるわたくしにとって、この言葉は強烈です。そうして、鮮烈です」(第2090日目)と。 酒宴酩酊からは病を患ったことでなかば強制的に縁切りできたが、まだまだ現世の欲望情欲と縁を切ること能わず。アウグスティ..

  • 第3745日目 〈ハズレの年?〉

    『古書ミステリー倶楽部』全三巻をそれなりに楽しく読んで以後も何冊かの小説を読んだけれど、感想文を書くのもTwitterに読了ツイートを流すのもヤメにする程ハズレを引き続けた不運を嘆きたい。 以後に読み終えた小説四冊の著者とタイトルを列記する非道はしないが、うち二人がベテラン作家で過去には好んで読んだけれど此度の三冊は「徒労」としか言い様のない、スランプなのか耄碌なのか判断しかねる、呆れ果てたる愚作と断を下すより仕方のない代物だった。なかには「良いな」「好きだな」と目次に丸をつけた短編もあったが、それは読後間もない感情であって維持継続される気持ではない。 唯一読んでよかった、と感じるのは、芥川龍之介の短編をモティーフにした短編を二人のベテラン作家が書いていて、その短編が架蔵する芥川の作品集には入っていないので偶々売りに出ていた文庫版全集揃を購い、「カルメン」「沼地」を読むことができ..

  • 第3744日目 〈その場のノリで「石を投げる」側に立たないようにするには。〉

    「ヨハネによる福音書」にある挿話です。不義密通の罪を犯した女性に投石しようとしている群衆にイエスが曰く、あなた方のうちで罪を犯したことのない者から(この女性に)石を投げよ、と(ヨハ8:7)。誰も、誰ひとりとして石を投げられなかった。群衆は散り散りになって、イエスとその女性だけが残された。彼女に、誰もあなたを罪に定めなかった、わたしもあなたを罪に定めない、行きなさい、そうして二度と罪を犯してはならない、といった(ヨハ8:10-11)。 とても良い話だ。不倫は赦されない不貞行為でありますが、イエスはそれについて頭ごなしに説教したり、律法を持ち出して群衆と同じように裁こうとはしなかった。むしろ群衆を婉曲な物言いで諫めることでその場の危機を一旦やり過ごし、群衆一人ひとりに己の罪を思い起こさせた。人間誰しも規範に背く行為をしでかしている。それが大きいものであれ小さいものであれ、律法に抵触しよう..

  • 第3743日目 〈そんなに意外かなぁ。〉

    なにが意外かって、Kindleを持っていないことです。発売当初から「Kindle気になるんだ」「Kindle買おうかな」「Kindle貸して、買うときの参考にしたいから」といい続けていたせいかもしれません。でも、まだ持っていないのです。だって、買おうと決意するとほぼ9割の確率で新機種が出るんだもん。決めようにも決められませんや。 けれどね、もう諦めたんです。Kindleは買わない。少なくとも当分の間は。諦めた、というよりは先延ばしにすることに踏ん切りがついた、というた方がよい。 どうしてか? 以前iPadにどうした理由でかDLしたKindleアプリがあるのを見附けたから。それを使えるようにして済ませればいいじゃん、って気が付いたから。どの道、電子書籍に鞍替えするつもりも依存するつもりもない。だったら手持ちのタブレットにアプリが入っていれば、それでじゅうぶん。 勇み足で買わなく..

  • 第3742日目 〈「エステル記」〈前夜〉、ようやく書き了んぬ。〉

    二年程前から手を着けて、昨年の11月に一旦書きあげていた「エステル記」〈前夜〉。昨日久しぶりに読み直しました。聖書や参考文献を引っ張り出して机の上に山を築いて一部を直し、「これで良し」としました。つまり、書き終わった、のです。 こんな長期にわたって手が掛かろうとは……書き始めた当初は、たぶん想像していなかった。次の「ヨブ記」が思いやられます。これと「詩篇」、「コヘレトの言葉(伝道者の書)」が終われば、〈前夜〉の新稿は概ね書き終わったも同然ですから楽になるのですが。 「ヨブ記」については聖書の本文を、ここ一日、二日は体調も良いので合間合間に読んでいますが、中盤は流石にすらすら読めるには至らぬ。ヨブと三人の友人(後半で一人増える)の間で応酬される信仰の問題は、非キリスト者にはハードルが高い。並行して註解書を繙いていますが、これもなんだか雲を摑むようなところが多くて、小首を傾げることも..

  • 第3741日目 〈パウロの言葉はストア派、ビーダーマイヤーにもつながる。〉

    みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲に溺れてはならないのです。(一テサ4:3-5) 落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。(一テサ4:11-12) 新約聖書から好きな文言を十個あげろ、といわれたらノミネート間違いなしの、パウロ書簡からの一節であります。こんなに地に足つけた言葉が聖書のなかにあるなんて、素敵です。 ここに引いた「テサロニケの信徒への手紙 一」からの言葉は、ストア派の哲学や、ピーダーマイヤーの思潮にも通じると、わたくしは考えています。 じっくり時間をかけてこの点を考察してみましょう。◆

  • 第3740日目 〈平井呈一・生田耕作の対談から。〉

    最初から引っかかるところがあったにもかかわらず、優先順位が低いせいで調べるのがどんどん後回しになり、あげく何十年も経ってしまっている、ということが、わたくしにはよくある。 たとえば表題の件もその一つ。『牧神』創刊号(牧神社 1980/01)を初出とする生田耕作と平井呈一の対談「恐怖小説夜話」はその後、生田耕作名義では『黒い文学館』に載り『生田耕作評論集成Ⅲ 異端の群像』に再掲、平井呈一名義になると『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』が初めてとなった。「第3082日目 〈生田耕作『黒い文学館』を読む。〉」(2021/07/08)でも触れたが、『幽霊島』に載るヴァージョンには、前述生田の著書からは削除された『牧神』編集部の前書きが復活した。本稿では『生田耕作評論集成Ⅲ 異端の群像』(奢灞都館 1993/08)を引用元とする。 「恐怖小説夜話」の中盤、『牧神』編集部が、生田と歌人・塚本邦雄..

  • 第3739日目 〈ふたりの「放蕩息子」、親を想ふ。〉

    「ルカによる福音書」第15章に〈「放蕩息子」のたとえ〉と小見出しを持つエピソードがある(新共同訳)。 生前の父に財産分与を請うた息子二人の弟の方は、それをすべて現金に換えて遠方の地で放蕩三昧に暮らした。が、その地が飢饉に見舞われると食うものに困り、紆余曲折あって故郷に還るのを決めた。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」(ルカ15:18-19) 父は遠くからこちらへ歩いてくる息子の姿を認めると駆け寄り、上等の着物と食事を用意させると近隣の知己を呼び招いて祝宴を催した。 これが〈「放蕩息子」のたとえ〉の前半である。このあと故郷に留まって家作に従事した兄が父を詰り、諫められる場面が続くがそれは省く。 本ブログで聖書読書ノートを連載(……?)していた時分には気附いていなかったが、この父はた..

  • 第3738日目 〈今年程「趣味:読書(ガチ)」で良かったと思う年も、そうなかなか無いだろう。〉

    腰の痛みに耐えかねて臥せったり朦朧としていたら、曜日の感覚がすっかり失せているのです。 ……はて、今日はいったい何曜日であったろうか? 状況が状況ゆえ新聞を読むのも億劫で、テレビの報道番組とも御無沙汰していると、そんな風になる。 え、スマホでネットニュース見ろ、ですって。見ていたさ、勿論。が、見ることと今日が何曜日か、何日なのか、は決して等号で結びつきはしない。テレビの報道番組でそれが可能なのは、キャスターが「何月何日何曜日……」とちゃんと伝えてくれるからだ──お察しと思うがみくらさんさんか、民放の報道番組は殆ど視聴しないのである(同じ地上波でも朝や昼間の情報番組[……嘆かわしい顔触れである]をよもや報道番組と曰う阿呆は居るまい)。 そんな不毛で誰の得にもならないお話はさておき。 曜日の感覚が狂うなんて時代劇の楽隠居じゃあるまいし、ね。なんだか世間の流れに取り残された感がい..

  • 第3737日目 〈ああ、やっぱりだめだ!〉

    なんとか午前2時の更新に間に合わせようと試みたのですが、頭がぼんやりしてまるで集中できないため、また腰の痛みも強くなって坐っているのが苦痛なこともあり、今日はお休みさせていただきます。 なかなか体調が元に戻らないことが、くやしくてなりません。ひとりとはつらいものです。 明日からはふたたび毎日書けるようにしたい!!!◆

  • 第3736日目 〈病床からのレポート──これが「病より癒えたる者の神への感謝の歌」とならんことを。〉

    月曜日の夜から始まった腰痛も、いまはだいぶ落ち着いてきたようである。いまは、そう思いたい。 左腰部を震源とする今回の腰痛は次第に、時間を経るに従って背中全体へ広がって最終的には右肩甲骨のあたりまで最大勢力圏に置き、ゆっくりとその力を衰えさせながら昨夜は腰部とそのすぐ上の部位(専門用語で此所、なんて呼ぶんでしょうね)に痛感を覚えさせるに留まり、今朝は……そうしてこれを書いている木曜日の宵刻はどうにかこうやって椅子に坐りMacへ向かうことができるまでに回復してきている(よかった、ブログに穴を開けずに済んだ)。 ……うん、回復と捉えたいね! すくなくとも夜、多少の痛みは感じると雖も床に横へなっても耐えられるくらいになったのだから、回復、と考えてよいのではないか。睡眠誘導剤を枕元に置いてある、それを服んで小一時間もすれば眠りに落ちることができる。経験に基づくそんな安心感も手伝っての「回復..

  • 第3735日目 〈腰痛、再び。〉

    昨夜一晩、激しい腰痛に苦悶の汗を流し、ろくに睡眠できなかった。原因がなにか、自分でもわからない。坐り方か、重い荷物を背負っているせいか、その両方か。 痛みは腰の左側、脇腹の少し後ろのあたりが中心のようだ。そこから腰全体、背中へと広がっていった。仰向けになっても横向きになっても痛みは一瞬たりと治まらず、外用鎮痛消炎薬……アンメルツのような塗布式、サロンパスに代表される貼るタイプ、等ですね……もどれだけ効能があったかは不明で、救急車を呼ぶことも考えたけれど数ヶ月前と同じ症状にも思えたのでそれは一旦退け、寝る場所も変えてみたが改善の様子は見られぬためまた元の寝場所に戻り、朝刊が投函される音を聞き、ゴミを出したらそこで安心したのか眠ることがようやく出来た。途中、宅配便の受け取りで起きたけれど、それも終えたらまた寝てしまい──起床は15時52分! 腰と背中の痛みは落ち着いた。むろん、これを..

  • 第3734日目 〈これの読書ノートも作るんかい。〉

    杉原『憲法読本 第4版』再読は、予定通り年内の了がほぼ確定して安堵している。或る程度の期間、一つの書物に拘泥して様々書込みして向き合ったのは、いったいどれくらいぶりだろう。聖書を終わってから以後は……正直なところ思い出せるものが余りない。強いて挙げれば昨年いま頃の『恋愛名歌集』だろうけれど、こちらが或る程度の期間を要したのは外的要因が専らだから、聖書と『憲法読本』と同列に並べるのは無理がある。 『憲法読本』の再読が終わったら次はノート──抜き書き、自分のコメント等々の作成になるわけだが、そこでふと、過去の読書を省みた。感想文を書いたりしてきたなかで別個にノートを作っておいた方がよいと考えたものが、たしかあったはずなのだけれど、と。太宰? ノン。ドストエフスキー? ノン。『古事記』と六国史? ノン、ノン。『源氏物語』? 断じてノンですぞ、モナミ! 今後引用しそうな文章を写す? それはよ..

  • 第3733日目 〈ぼんやりしている時間があるなら、〈前夜〉を書け!〉

    聖書についていえば、テキストと註釈書は揃えられたのではないか。むろんそのすべてを購うなんてのはあらゆる意味で不可能だ。ここでいうのはあくまでも自分が必要とする、また過去にお世話になって手許にあれば有益だ心強いと感じる、そんな限定された範囲での「揃えられた」である。 懐に資金の余裕が生まれたら、あと二、三種類の注釈書は買いたいが、それはもはや来年の話だ。当面は、まずは手許にあるものでよい。 さて、このような状態にあるいま、(それに全力で取り掛かりさえすれば)以前こうしたものを書きたい、と表明したエッセイ案の半分くらいは一ヵ月に一篇程度のペースであげてゆけるのだろう。が、生来の天邪鬼も手伝って現実的にはなかなか難しい。二十代の頃のように一つの分野へのめり込み、本妻がきちんといてそちらへちゃんと帰って愉しみ悦ぶことある一方で、その時々の興味思考関心に(素直に)従って、あっちに手を出しこ..

  • 第3732日目 〈「〜と思います」はいらない。〉

    改めて哲学に関心が向き、倫理の参考書や学生時代に読まされたヤスパースやハイデガーを開く気になったその源を辿れば、平山美希『「自分の意見」ってどうつくるの?』(WAVE出版 2023/04)に行き当たる。別ルートで憲法があるが、これはさておき。 例のリュックへ詰めこんでいつも運搬しているうちの一冊だが、後半にとても突き刺さる指摘があった。実はその指摘こそ、面陳されていた本書をぱらぱら繰っていたら目に飛びこんできた一節でもあったのだ。その一節を以下に引く。曰く、── 結論を述べるとき、ぜひみなさんに心掛けてほしいことがあります。 それは断言すること。 できるだけ、言い切る形で主張してみてください。 これは、前述したような安易な〝決めつけ〟とは、まったく違います。 自分がじっくりと考えて出した結論に自信を持つということです。(P203) ──と。「前述したよう..

  • 第3731日目 〈心情告白──今年の秋冬も、本を買いすぎた。〉

    今年は……ちょっと本を買い過ぎました。否、今年は、ではなく秋から今月に掛けては、というのが正解。それこそ反省を深くしなくてはならない程に。 歯止めが効かなくなった? いえ、それは違う。 己の興味関心趣味勉強に関する書籍が昨年までとは比べものにならぬくらい多く、それまでよりも安価で市場に供給されたからに他ならない。 その核の一つとなるのが、既に本ブログでも話題にしたことがあるフラウィウス・ヨセフスの著作群。単行本と文庫版のすべてとヨセフス伝、ヨセフス研究所の基礎文献を、それぞれバラで購入できたことで(振込手数料と送料を含めたとしても)件の全巻揃いよりもぐっと安価に買い揃えられた。また、一ヵ月程思案した挙げ句にその後、死海文書の既刊全巻揃いも清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入。先程まで、別の所で買った死海文書解説書二冊と併せて一通り目を通していたところである。ヨセフスと死海文書だ..

  • 第3730日目 〈みくらさんさんか運営ブログ「Let's be Friends,」休日に関する私法」、公布の告知。〉

    令和5/2023年12月8日(金)午前2時00分 公布 令和6/2024年1月1日(月)午前0時00分 施行 【前文】 整理しておきたい。明文化して一覧にすることがなかったからこの機会に、だ。みくらさんさんか運営ブログ「Let's be Friends,」(以下「本ブログ」)の休日について、以下のように定める。 【通常休日】 以下のように定める。 1月に計二日間、 4月に計二日間、 5月に計一日間、 6月に計二日間、 7月に計一日間、 10月に計二日間、 11月に計一日間、 12月に計一日間、 以上、年間合計十二日間の休日(これを「安息日」と称することがある)を設ける。但し特定の日附を定めてこれを固定しない。 上記の如く通常休日の日数を定めて、本日令和5/2023年12月8日(金)午前2時00分に是を公布した。令和6/2..

  • 第3729日目 〈『憲法読本』のあとは、なにを読もうか?〉

    毎度の登場で申し訳ないが呆れず笑って済ませてほしい。 杉原泰雄『憲法読本 第4版』の再読はいよいよ最終コーナーへさしかかり、夢想としか考えられなかった年内読了も現実になってきた。これを基にしたノートは年初から取り掛かる。そんな現在、心の片隅に生まれてわたくしをワクワクさせるのは、次はなにを読もうかな、っていう企みに外ならない。 ざっと目を通したのみながら芦辺信喜『憲法 第六版』(最新の第八版、『ポケット六法』令和六年版と一緒に買いました!)と、高見勝彦・編『あたらしい憲法のはなし 他二篇』のあとに手を着けたこの『憲法読本』は、とても読み応えのある一冊だった。 で、次はなにを……なのだが、ここまで岩波書店の刊行物が偶然とはいえ並んだので、井上ひさし・樋口洋一『「日本国憲法」を読み直す』、小関彰一『日本国憲法の誕生 増補改訂版』、鵜飼信成『憲法』のどれかを……と調子附いたがすぐ反..

  • 第3728日目 〈きょう買った本──ルソー『社会契約論』。〉

    憲法の勉強をしていれば否応なく「国民主権」について考えることになる。 日本国憲法は第一章第一条「天皇の地位・国民主権」で「(天皇の地位は)主権の存する日本国民の総意に基く」と定める。 「総意」とは「人民の意思」。日本国憲法に於いて人民とは、「政治に参加できる年齢に達した成年者の集まり」((杉原泰雄『憲法読本 第4版』P185)を指す。「政治に参加できる年齢に達した成年者一人ひとりのことを市民(citizen, citoyen〔仏〕)とか公民とかよぶこともありますが、主権者のとしての国民はその市民の集まりとしての人民を」(同P186)いう。 では「総意」を「人民の意思」と定義したのが誰かというと、フランスの教育学者で思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)である。政治哲学の著書に『人間不平等起源論』と『社会契約論』がある。 この『社会契約論』でルソーは、「総意..

  • 第3727日目 〈5キロのリュックを背負って、外出先で勉強する。〉

    読み返してみて、やはり半分以上寝ながら書いた原稿には、非道い部分が目立つ。誤字脱字の類は当然、すこぶる文意の通らぬところもあったりして、反省頻りだ。昨日第3276日目はなるべく早く必要最低限の修正を施すことにしよう。 さて、本日の話題だが、── 悪化の一途を辿っていた陥入爪の手術はぶじに終えて、恐る恐る靴下を履くことからも、出掛けにガーゼとテーピングで徹底ガードすることからも、ようやく解放された。まだ痛みを感じたり、化膿止めの薬のお世話になっているけれど、年内に治療は終わりそうなことを喜んでいる。 とはいえ、いきなり行動範囲が広がるわけではなくて、却って自分の行動範囲の狭さと回遊先が固定されていることを実感して、呆れるより外ない。 ついでにいえば、リュックへ詰めこむ荷物も日によって変わるようなことはなく、多少の入れ替えがあるが精々だ。今日は憲法、明日はホームズ、明後..

  • 第3726日目 〈「健康で文化的な最低限度の生活」をこの部屋で営むために。〉

    流石に倒壊しそうな積ん読山が不安になったので、夕食の仕度をする傍ら書架の棚その一部を入れ換える作業に没頭した。それは夕食を終えてその後のルーティン作業を済ませたつい先程(21時58分)まで続いた。 片附けの対象は、部屋のあちこちに置かれてダブりも珍しくない、コミック群である。 一昨年まではどうにか書架の一棚へ収まるようにしていたが、昨年そこからはみ出したのが積ん読山を築いて、年が明けて春も夏も過ぎて師走を迎えた現在、計測してみたらその山の標高は一メートルを疾うに超えていた。 これは、アカン。大型トラックが地鳴りを轟かして行くたび、小刻みに揺れているのも、道理だわさ。ちなみに、標高一メートルの山の中腹あたりに、判型違いのコミックがあり、横置きした幅は三十九センチあった。 なぜこのタイミングで片附けを始めたか。理由はもう一つあって、むかし手放してしまったコミックの全巻揃が安価..

  • 第3725日目 〈日暮雅通『シャーロック・ホームズ・バイブル』を読んでいます。〉

    自分に宿題を課した手前──でもないけれど、けふ、日暮雅通『シャーロック・ホームズ・バイブル』(と、モーリーン・ウィティカー『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』高尾菜つこ・訳/日暮雅通・監修 原書房 2023/11)をL.L.Beanのリュックに詰めこんで、いつものスターバックスなう。 二杯目のコーヒーを飲みながら、セミドライトマトのピザトーストを頬張りながら、『シャーロック・ホームズ・バイブル』(以下、『SHB』)へ目を通す……いつものように適当なページを開いて、蕩けた表情で、鼻の下をすっかり伸ばして。 今日は第一章を、頬杖ついて読んだ。ホームズが生きたヴィクトリア女王の御代(ヴィクトリア朝)の、ロンドンとイギリスの社会情勢やホームズ物に登場するファッション、職業、貨幣価値、飲食、警察、鉄道、郵便、などなどが、当時の出版物からのイラスト、写真、地図を適所に配して、実に..

  • 第3724日目 〈新しい一ページ目に悩む。〉

    いつもと違う心持ちでいる。為、ふだんならしないことをしてみた。背筋を伸ばして歯を喰いしばり、腕を組んで窓外を睨み黙考する。不定期に襲ってくるその時間が、約一年半の時を隔てて到来して、再びわたくしの気持を重くしてまた胸躍らせる。 諸人よ、わがために喝采せよ。新しきモレスキンの始まりである。この処女地に初めて足跡を残す愉悦! なにを書けばよいか迷い、考えあぐねて、結局はお読みいただいているこの文章と相成った次第だが、ノートを跨ぐことなきエッセイなればこその悩みというか、思案といえる。 これが小説ならば? 前のノートの最終ページもしくは表3でその場面が切りよく終わっても、作品それ自体は旧いノートから新しいノートへ跨いで引き継がれる。長編を想定するが、短編であってもじゅうぶん起こり得る事態だ。とまれ、そこに断絶はない。研究論文もこのパターンに含めてよいか。 が、エッセイの場合、「..

  • 第3723日目 〈ガンジーからKipper少年へ。〉

    ラダー・シリーズLV1『ガンジー伝』(The Gandhi Story by Jake Ronaldson)を読み終わった。途中ちょっと日が開いたので一念発起、最初から最後まで、生理現象を除いて中断することもなく半日を費やして。 嘘偽りなく、『ガンジー伝』は面白かった。 世界史や倫理の教科書の記述以上のことは知らなかった〈インド独立の父〉ガンジーの生涯、理念、行動、勇気について識ることができたから。易しく書かれたとはいえそれを英文で吸収することができたから。それによって面白さはより増して、自分のなかにしっかり刻みこむことができたから。 白状すれば、ワードリストに頼ったのは十回や二十回じゃ利かない。いまではそれが却って、良かった、と思うている。「わからなければ飛ばす」が英語多読の原則(の一つ)とはいえ、単語がわからないからとて飛ばす箇所が多ければ、伝記やノンフィクションと雖も内..

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