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2010/08/09

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  • 第3692日目 〈杉原泰雄『憲法読本 第4版』を読みました。〉

    今年になって読んだ本で、こうも読み終えるのに手こずった一冊はなかった。内容的にも、時間的にも。杉原泰雄『憲法読本 第4版』である。岩波ジュニア新書、2014年03月刊。 銀行の待ち時間に開いて、いつものスターバックスで閉じた。50ページ弱を、2時間ちょっとで読んだ。 岩波ジュニア新書、侮るなかれ。思い知らされた。これはとても中身の詰まった、常に読者へ「考える」「思い出させる」ことを促す一冊だ。 テーマがテーマだけに簡単に流すことを拒む点では、これまで読んだ憲法関連書と同じ。本書の場合、果たして想定ターゲットは、選挙権を持ち、社会に出て種々の条令や法律、社会制度にかかわって生きるようになった「成人」なのだろう。だからというて勿論、本来レーベルが想定する読者層を蔑ろにしているのではない。この年代で(最初に)読んだとしても年齢を重ねるにつれ、社会や法律との関わりを強めてゆくにつれ、..

  • 第3691日目 〈江戸川乱歩「D坂の殺人事件」(草稿版)を読みました。併、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』読了。〉

    未完、という最大級の難点こそあれ、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』所収江戸川乱歩「D坂の殺人事件」(草稿版)は、如何に推敲して作品のクオリティを高めるか、を考え実行する格好の材料となる。 あらかじめ新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』で決定稿を読んで、両者の相違を目の当たりにして思わず唸ってしまった。名作の成長過程をわずかならが覗き見した気分である。成る程、ふだんわれらが親しむテキストの前段階はこうなっていたのか。草稿版と決定稿の間にある差異と不変の点……なにを改め(消し)、なにを活かした(残した)か。二つのヴァージョンを読み較べると、よくわかる。 まず、構成が異なる。決定稿では名探偵の登場は数ページを繰ってのことなのだが、こちら草稿版だとのっけから登場しているのだ。しかも、書籍の谷底に埋もれて、崩れてきた本を体の上に乗っけたままよく寝られるな、と感心する寝相で。 同時に、事件現場と死体..

  • 第3690日目 〈歳月の下に記憶は埋もれる ──ミステリ小説再読のタイミング。〉

    個人差があるのは分かっている。これは君、モナミ、あくまで ”わたくしの場合” なんだ。 一遍読んだミステリ小説は、自分の愉しみとして読んだのなら再読するのは7年後が理想だ。自分を被検体として実証を試みた末の結論である。 どうして7年後? ──うむ、7年、という具体的歳月に支障あるようなら、もっと短いスパンでもよい。要するに、一年単位で間を置け、ということだ。 だから、どうして? って訊いてるんだけど? ──急かすな、モナミ。眉間に皺寄せて迫る程のことじゃあないだろう。じゃあ、さっさと答えなさいよ。 ウィ、マドモアゼル。 理由は単純だ。それだけの歳月が流れるうちに記憶は薄まり埋[ウズ]もれる。粗筋は勿論、真犯人や動機、アリバイ、トリック、ミスディレクション、ちょっとした台詞や表現の煌めき、そんなもの忘れ果てるにじゅうぶんな時間ではないか、7年とか一年単位の経過なんて。 ..

  • 第3689日目 〈ぼくは素直な読者。〉

    思うに、ぼく程素直な読者もいないのではないかしら? 自讃ではなく、本心からの述懐だ。というのも、── しばらく中断を余儀なくされていた、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』(光文社文庫 2015/05)をふたたび読み始めた。読み挿しの期間がすこぶる長くなると、だんだん読書の意欲は失せてゆくのが、わたくしの常。とはいえ二篇を残すのみなんで、このまま中断して書架へ仕舞いこむのも後味が悪い。二篇は足しても70ページくらい。ならば、憲法やホームズの本を数時間我慢して、こちらに集中しよう……。 そうして先刻、野村胡堂「紅唐紙」を了えた。愉快で気持の良いミステリ短編だった。胡堂の小説といえば《銭形平次シリーズ》しか思い浮かばぬくらい、その光芒は燦然と輝きそれ以外のフィクションの存在を影薄くしてしまっているが、「紅唐紙」もかの名作捕物帖に隠れて目立たずにあった一作。 新保博久の解説に拠れば「紅..

  • 第3688日目 〈松坂健『海外ミステリ作家スケッチノート』を読みました。〉

    髪の毛を乾かしている間に、松坂健『海外ミステリ作家スケッチノート』(書肆盛林堂 2022/05)を拾い読みしている。 昨日一瞬だけ話題に上したジョン・D・マクドナルドが項目立てされていて、嬉しかった。割に好意的に書かれているのが、余計に。 「ペーパーバック・ライターという冠を卑下せず、コツコツやってきて、最後はメジャーライターになった努力の人、それがジョン・Dなのである」──松坂のジョン・D評である(P96)。 なぜかこの結びの一文を読んだとき、無性に涙腺がゆるんで仕方なかった。訳者解説の類を除けば、あまりジョン・Dを温かい眼差しで語る文章に、お目にかかることがなかったから(わたくしの怠惰や見落とし等が原因かもしれない)。なぜだかペーパーバック・ライターという出発点が、最後まで殊日本の評者の目を曇らせてきたように思えるのだ。もっとも翻訳の関係もあるのだろうけれど……。 あ..

  • 第3687日目 〈『野呂邦暢ミステリ集成』から、「推理小説に関するアンケート」を俎上にして。〉

    べ、別にネタが尽きたから苦し紛れでこのような物を書くわけじゃあ、ないんだからね(汗)。前から書いてみよう、乗っかってみよう、と思ってのを実行しただけだもん! ──まァそんなツンデレ台詞はさておき。 ふとした拍子に、新聞や雑誌に載るのと同じテーマでエッセイを書きたいな、と考えます。これまで何度となく、記事を読むうち自分の言葉、文章が浮かんで筆を執ろうとしたけれど、実行に移したのはたぶん、今年のいつだったか、『中央公論』誌の特集記事に便乗した一篇だけだったような気がします。 今回同じことをしようと思い立ったのは勿論、ネタが尽きたからではありません。昨日話題に上した『野呂邦暢ミステリ集成』のエッセイ・パートの最後を飾るアンケートを読んでいて、ふむ自分であれば……とこれまでの読書歴を振り返り考えこんでしまった、その結果を書き残しておこうと思うたからに他ならない。設問三については暫定的..

  • 第3686日目 〈『野呂邦暢ミステリ集成』から。〉

    野呂邦暢のミステリ小説にまつわるエッセイが、『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫 2020/10)に幾つか載っている。 申し訳ないが小説よりもエッセイの方を、ずっと面白く読んだ。一篇の作物としてもそうだけれど、そのなかの一節に惹かれた。時に首肯し、時に懐かしみ、時にクスクス笑いを抑えられなくなり。 たとえば、── ミステリに機械仕掛のトリックは無用なのである。大ざっぱにいって、あちらのミステリには右翼の黒幕とか、不動産業者と結託した通産省の課長補佐は登場しない。犯人は内なる声に命じられて人を殺す。殺人は宿命なのである。彼があるいは彼女がみじめな境遇におちいったのは、他人のせいではなくて、当人の問題である。国産のミステリはごく少数の例外を除いて、犯行は社会が悪いからということになっている。みんな他人のせいということになる。すなわち女々しいのである。(P295-6 「南京豆なん..

  • 第3685日目 〈そういえば、そんな計画もあった。〉

    晩年の平井呈一にはディケンズの小説をまとめて訳す計画があったらしい。荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社 2021/05)には、その準備のために、海外の古書店から大量のディケンズ研究書を購入した旨記述がある(P183)。 この一節を胸に刻んでわたくしは、シェイクスピア研究書を、身の丈に合った範囲で購っている。こちらは専門の研究者でも、演じる側にもない、ただの芝居好きで、いまは一年に一度か二度、舞台を観に行ければ満足している風の者でしかない。それでも、ささやかながら自慢できることがあるとすれば、曲がりなりにもシェイクスピアの全戯曲を読み果せたことである。 本ブログで以前に、シェイクスピアの37の戯曲の感想文じみたエッセイを書いてゆきたい、と述べた覚えがある。志は喪っていないが機を逃したのを感じている。当初はまさしくいまの時季に、その処女作『ヘンリー六世』全三部を読み、聖書のと..

  • 第3684日目 〈わが最嫌の愚者への悲歌。──For K.A.〉

    咨、プルータス、お前もか。今際の台詞だが我未だ臨終とは遠き身なり(たぶん)。ジュリアス終の台詞は、いまのわたくしにとって、嗟嘆の呟きである。 貴方はダメになってしまいました。もういまの貴方からは、昔の自信も栄誉も人望も、失われてしまった、……跡形もなく! それを貴方は他人の所為ばかりにして嘆き、合間に呪詛の台詞を挿し挟む。だが君よ知れ。まわりの評価、まわりからの敬慕なぞ途轍もなく移ろいやすいものであることを。貴方の場合はそれに加えて、身から出た錆でもあるではないか。嘆き、呪う前に来し方を検めよ。 仕事帰りに時々呑みに行くことがあったが、そのときの貴方といまの貴方はまるで違ふ。そんな風にあおるようにしてとめどなくアルコールを喉奥へ流しこむ人だったろうか、貴方は。 それが己のなかで暴れる怒りや不満を宥めるための手段なら……わたくしは止められない。 よしや君、望むのであれば..

  • 第3683日目 〈it’s new!〉

    相次ぐ原稿の差し替えで、落ち着く暇がない。たしか昨日もそうだったね。お披露目前の、まだSo-netブログに予約投稿していない原稿も差し替え対象になっている。 実をいえば本日、第3683日目もその一つで、当初書いてPages入力した原稿はどうにも内容が迷走してしまっており、散漫かつ重複も甚だしいとなっては、流石のわたくしもそれは永久破棄せざるを得ぬ。拠って、他の原稿を急いで書く必要が生じ、その第一稿に取り掛かった。 これが差し替え第一段階。第3683日目お披露目まで、あと五日……。 されどあたらしい内容の第一稿も、ちょっと暗礁に乗りあげてしまった。既に全体のアウトラインはでき、スケッチも含めれば半分くらいは形になっている。白状すれば新稿は小説の感想文なのだが、忘れてしまっている部分もあるので確認も兼ねて読み返している次第。アニメとノヴェライズの記憶、印象がゴッチャになっていまっ..

  • 第3682日目 〈意にそぐわぬままお披露目した「第3672日目」を差し替えること。〉

    みくらさんさんかから、お知らせです。 第3672日目で労働について思うところを述べました。タイトルは、「〈なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。(ルカ9:41)──労働について独り語りする。〉」です。 お披露目前に推敲を終わらせるつもりでしたが間に合わず、推敲前の原稿をお目に掛ける結果となりました。なんともダラダラした文章であった。反省している。 ここ数日、プリントアウトしたA4用紙5枚を携行して、都度朱筆を入れておりました。それがどうにか終わった昨日モレスキンのノートへ書き写し、先程Pagesに入力して暫定決定稿が出来上がりました(いちばん最初にモレスキンのノートにずらずら書き綴った頃から数えれば、一ヶ月半もこの文章は、わたくしを悩ませた)。 よって本稿お披露目と同じタイミングで、第3672日目を旧稿から新稿へ差替えます。タイトルは異なりますが、内容に大きな変化は..

  • 第3681日目 〈ラダー・シリーズでやり直そう。〉

    先日、英語の勉強をやり直すことにした、と書いた。本稿執筆時点で件の原稿はまだ予約投稿していないので、たぶん一昨日なのだろうけれど、まったくもてそのあたり不明である。 それはともかく、前稿のおさらいをすると、部屋の片附け中に出て来たLe Guinの原書を開いたら、当時みたくは読めなくて愕然とした、為に勉強し直すことにしました、てふ内容だった。今回はその続き、といおうか、付け足しというか、オマケっていえばいいのか……である。 ○ いま流行りのリスキリングには該当しないそうだ。スキル・アップというも的外れらしい。厳密なことをいえば両者に、「やり直し」の意味、「かつて持っていた力を取り戻す」意味は含まれないようなのである(知己の談)。なので、ここではその行為をこれまで通り、「勉強のやり直し」と表現させていただこう。 では、本題、──。 ○ 英語の本を再び読める..

  • 第3680日目 〈憂い事、イヤなことから逃れて、回復するための一手段。〉

    相変わらずリュックに忍ばせ、またベッド脇に積んで読むことしばしばなのは、憲法の本である。予定にない中断を挟んで読了までほぼ一ヵ月を要した高見勝利・編『あたらしい憲法のはなし 他二篇』(岩波現代文庫)だったが、途中芦部信喜や池上彰など拾い読みしたり、読書ノートを付けていたこともあってか、収録三篇を読み進め、読み終わる毎に憲法についての理解は深まり、自分の憲法観もすこしずつ固まっていった感を強う持っている。 いま機を見て開くのは、杉原泰雄『憲法読本 第四版』(岩波ジュニア新書)である──09月19日に読み始めてけふ10月03日時点でようやく半分。今月中に読了したいと思うているが、さてどうなることか……。ジュニア新書の一書目ということで正直もうちょっと内容はライトかと思うていたら、とんでもない、舐めてかかると火傷する程の熱量と充実を誇る一冊であった。 どこかで鬼の笑い声がするようだが、..

  • 第3679日目 〈義理と恩に報いて死ぬか。義理と恩に背いて生きるか。 選択すべき時、来たる。〉

    何度でもいう、わたくしは敗けたのだ。見通しが甘かった。始めるタイミングを読み誤った。責は自分にある。その咎、非難嘲笑は一身に引き受けねば。転嫁は、ズルだ。 辛抱強く現在の状況に甘んじておればよかった。時が熟すまで、現在の状況に耐え忍ぶべきだった。目先のニンジンに飛びつく軽率を犯したために、怪我の完治を待つ余裕を失ったばかりに、墓穴を掘って敗残者に落ちぶれたのだ。 完全なる四面楚歌に耐えること能わず。為、わたくしは自死を選ぶことにした。選ばざるを得ないところまで、追いつめられたのだ。誰の助けがあるのか。差し伸べてくれる手の持ち主など、この世にあるはずもない……。 義理と恩に報いて死ぬか。義理と恩に背いて生きるか。 選択すべき時のようである。◆

  • 第3678日目 〈衰えた力を取り戻す為に。──英語、を例にして〉

    英語の勉強をやり直したい。そう思うている。社会に放り出されて以後はご無沙汰な英語。使わぬ筋肉がやがて衰えるように、使わぬ知識も早晩衰える。わたくしの場合、その顕著なるものの一つが英語なのだった。 この前書架の片附けをしていたら、棚の隅っこから薄っぺらいペーパーバッグが出てきた。Ursula K. Le Guinの”VERY FAR AWAY FROM ANYWERE ELSE” 初めて挑んで青色吐息の末一年半がかりで読了したStephen King ”IT” (初体験の相手には余りに大物すぎた!!)のあとに読んだ、『ゲド戦記』の作者によるヤング・アダルト小説である。読了の直後にコバルト文庫から出ていた翻訳を古本屋で手に入れたが、自分の読解があながち間違っていないのを確認できて、ほっ、と胸を撫でおろした記憶がある。 時は流れて、つい先日。Le Guinの、この、薄っぺらい(再々..

  • 第3677日目 〈自伝の一コマ。〉

    「一つの風景が次の眺めを誘う」──どこで知った文句であったか忘れたが、最初の小説(※)でそれを用いたのだけは覚えている。たしか推敲する前の、初稿の段階でそれはあったはずだから、かの文句を思い着いたかなにかで読んだかしたのは、17-8歳の頃であったろう。 17-8歳! なんと夢見がちで、怖い物知らずで、可能性にあふれ、世間知らずだった年齢! 甘美な揺りかごのなかにいるのを許されるのは、あと数年ということも知らずに呑気に過ごしていられた頃……! わたくしにもそんな時代があったのだ。われながら信じられぬことではあるけれど、そうでなかったら「いま」生きてこうして文章を綴っていないからね。そんな時代があったことを信じてもらうより意外にない。 しかし、なんと途方もない時間を過ごしてきたのだろう。年長者からは「自分より若いお前が、そんな達観したようなことをいうな!」と叱咤されるかもしれない..

  • 第3676日目 〈避難先のスタバにて、あれやこれやと綴ったあとで。〉

    昨日は病院三昧であった。脳梗塞の後遺症の程度を確かめ、併せて今後の治療に役立てるためのエコー検査を、紹介先(=かかりつけ)の病院の生理検査室で行うことは既に決まっていたので、他の病院案件もその日にまとめたのだ、という背景、経緯はあったとしても。 とはいえ、夕刻にはそれも終わってしまった。その日の支払総額から目を背け、寄り道しながら辿り着いた先がいつものスタバ。これは偶然の作用ではない。足の指先が痛み(擦過傷)、腰と脇腹が張ったように痛み(お通じが数日ないことから、わたくしも消化器系の癌なのか、と[正直にいうと]疑っている)、遂にそれに耐えかねて、直近に位置する勝手知ったる”ここ”を避難所とさせていただいた次第である……。 でも、そうはいうてもやることはいつもとあまり変わらない。Macを忘れ、読書ノートと対象本を持ってきていないとは雖も、本を読み、なにかを書く、てふルーチンは維持さ..

  • 第3675日目 〈腰の痛みに苦しめられた夜。〉

    入院から約2ヶ月、退院から約1.5ヶ月を数える。毎日、血液をさらさらにする薬と副作用を抑える胃薬を各1錠、白血病の薬といっしょに服んで欠かした日はまだない。脳梗塞の、退院後にした精密検査は結果がまだ出ていないので、希望に満ちたことも悲嘆に暮れることもできぬ現在[イマ]なれど、目にも明らかなな後遺症は窺えない。しばらくは脳天気にそれを喜んでおくとしよう。 そんな風なこと、再発したときの不安や恐怖、諸々を考えながら予後を過ごすこと約1.5ヶ月。慣らし運転を兼ねた仕事復帰もどうやら軌道に乗ってきたな、そろそろ元々復職を望んでいる業界に履歴書・職務経歴書を送りまくるかor(実入りは不安定極まりない低給与ながら)このまま倉庫のバイトに汗水垂らして好きな人々といっしょに時間を過ごすか、決断せねばならんな、と倩思い始めた矢先の、昨日09月04日月曜日の夜、NHK=BSで再放送されて録画しておいた吉..

  • 第3674日目 〈とても大事な話をしよう。お金と生活の話だ。〉

    赤面を覚悟の上でいえば、昨年までのわたくしは、お金について無頓着だった。日々の収支をしっかりと記録するわけでなく、税金や年金、保険等について熟知するには至っておらず、加えて一ヵ月生活するにあたってどれだけのお金が必要なのか、ちゃんと把握していたわけでなく──。 過月、世帯主であった母が逝去した。それに伴って主要金融機関の、母名義の口座は相続手続き完了まで凍結され。 即ちこれは、生活してゆくに必要な各種支払、引落がされなくなったことを意味する。気附くと気附けぬと引落ができないまま日を経ると、手許へ届けられるのが「督促状」である。或いは、至急指定金融機関口座への振込もしくは振込用紙で支払うようにという催促の書面通知である。今年令和5年は、母みまかって数ヶ月後から今日までの間、この督促状や催促状が新たに届けられない週は、おそらくなかった、と記憶する(均せば、の話だ)。 わたくしは、..

  • 第3673日目 〈自分自身を顧みる作業、その一部。〉

    わたくしは、不完全な人間です。どちらかといえば、虐げられてきた人間です。人生のどん底を経験し、他人の裏表を存分に見てきた人間です。 このような人間が、どれだけ過去に経験があるからといって管理者を務めるのは、身に余る行為でしょうか。過ぎたる職業でしょうか。 否、わたくしはそうは思いません。不完全であるからこそ、見えてくる光景があります。虐げられてきたからこそ、看過されやすい誰かの心の痛みや悩みに寄り添うことができます。どん底を経験し辛酸を舐め、裏表を嫌という程見てきたからこそ膝をつき合わせてその人のことを理解しようと努めます。 わたくしは、たとえば誰かが欠勤の連絡を入れてきて、その人がどこかで目撃されたとしても、その人に事情を訊ねることなく思い込みと偏見で、サボリ、と決めつけて人事評価に影響するようなことは絶対にしません。それは「愚」としか申し上げようがない行為です。 わた..

  • 第3672日目 〈なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。(ルカ9:41)──労働について独り語りする。〉

    自分が何者であるかを知ること。自分が為すべきは何かを知ること。──これを把握するとしないとでは、人生に対する心構え、労働に対する心構えは、かなり違ってくるように思えます。 どういうことか、どうしてそんなことを言い出すのか。それはこのあと追々話して行くことになりますが、あらかじめ読者諸兄にご寛恕願うておきたいのは、現実として自分の人生しかわたくしは知らないから、ここで俎上に上すのもわたくし自身のそれになり、労働に対する心構えの弁になる、と云うことであります。 八月お盆過ぎの或る日の宵刻、仕事が終わるとバスに乗り、終点まで坐っておりました。心地よい疲労が体のなかで横たわっています。時に睡魔が眠らせようと槍で突いてきますが、その仕事で知り合った人と一緒だったお陰で、その餌食にあうことは免れました。 横須賀線の客となり横浜へ帰るすがら、車窓からぼんやり外を眺めていて、自分は変わったな..

  • 第3671日目 〈読書ノート、4冊目が終わり5冊目へ。〉

    たぶん4冊目の読書ノートが終わった。読了した本の感想や粗筋をそのたびに書いているわけではないでもなく、「これは……!」と思うたり必要ありと判断した本の抜き書きと自分のコメントを記しているだけだから、読書ノート、というてよいのか迷うのだが、それはともかく、たぶん4冊目のノートが昨日終わった。 片柳弘史『何を信じて生きるのか』に始まって萩原朔太郎『恋愛名歌集』を経、六法から日本国憲法と芦辺信喜『憲法 第六版』から9条と96条に絞って抜き書き、或いは自分でまとめたところで、ノートは終わった。自2023年1月 日至同年8月10日。 たった4冊? 一冊からの抜き書き量ってどれくらいなの? 疑問はご尤もだ。過去の3冊では平均して10冊程度の書名が簡易的な目次に列挙され、それぞれ数ページの抜き書きとコメントが記されているのに比較したら、4冊目のノートがわずか4冊の本で終わっているのは疑問でしか..

  • 第3670日目 〈みくらさんさんか、憲法について独習を始める──9条と96条を取っ掛かりにして。〉 〈この道はいつか来る道、〉〈憲法に寄り道する。〉 ←タイトルは何れを選ぶ

    けっして唐突な流れではなかった。必然性を充分に伴うものだったのだ。6月に読み終えていた青木理『安倍三代』(朝日文庫)のノートを抜き書きしている最中、憲法九条と九六条について知りたいと思い立った。安倍晋三の章を読んでいれば必然であった、と思うている。 その流れで『ポケット六法 令和四年版』(有斐閣)を繙いて九条と九六条をノートへ書き写し、芦辺信喜『憲法 第六版』(岩波書店)の当該章を読んで抜き書きした。その作業は今日、つい先程終了、いまから30分も経たぬ前。延べ四日にわたる作業で、ノート13ページに及ぶ(最後の1ページは裏表紙の内側、いわゆる表3でだ)。抜き書きというても純粋に引用した(丸々書き写した)箇所もあれば、文章は著者のそれに則りつつ自分なりにまとめた箇所もある。 どこかに書いた記憶があるけれどたぶんブログではないので堂々と申しあげれば、一昨年あたりだ、大日本帝国憲法及び日..

  • 第3669日目 〈隔絶された空間で設計する、実現すべき未来 ──ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』を読んで。〉

    突然の出来事に混乱するなかで、荷物に入れた本のあったことは幸いであった。退屈な病室での午後をやり過ごすに本は最適のアイテムだったから。覚えておくといい、モバイル端末は時に回線速度の遅滞やデータ容量の制限によって要らぬストレスを生み出して症状に障りをもたらす代物に早変わりするが、紙の本に斯様な支障はなんら存在しないことを。Kindleについては一旦無視する。 入院期間約2週間で読書に励むことのできたのは、内10日程であったか。高気圧酸素治療とリハビリ、MRI検査は大概午前中に集中したので昼食の済んだ午後はなんの予定もない時間だ。この長大なる空白の時間を前にして、わたくしは途方に暮れた。今日一日ばかりの話ではない、入院している間はこの状態がずっと続く。午睡も結構、但し夜寝られなくなるのでご注意を。病院で独り眠られぬ夜を過ごすことは普段以上の苦痛を感じさせる。場所が場所だけに思考はどんどん..

  • 第3668日目 〈入院中に見た夢は、記録あるがゆえに残酷座を増す。〉

    入院の間はずっと夢を見ていた。現実ではないのが無念に思われる夢だった。 スマホで入力し、PCで修正補訂をしていた日記を開くと、その折々に見た夢の内容が綴ってある。何日も経ついまでも場面場面を鮮やかに思い出せるのは、そのおかげだ。 とはいえ、それゆえにこそ残酷である。なにもしなければそのまま忘却してゆくか、解像度の低い断片的な映像がしばらく残るのが精々なのに、日記の存在がそれを阻んでいるのだから。 よみがえってくる夢は、生々しい。リアリティがある、を通り越して、現実そのものだ。 皮膚に触れる空気の涼やかさ、肌を撫でてゆく風の感触、鼻腔をくすぐる匂い香り。記録はそんな細部までも精彩によみがえらせる、 誰かとかわした言葉、触れ合い重ね合った肌のぬくもり、どこでなにをしていたのか。記録を媒介にしてあの夢を、書かれていないところまで再現して追体験することができる。 いろいろ..

  • 第3667日目 〈あの人も、脳梗塞だった。〉

    ちょうど2週間前の今日日曜日の今頃14時30分頃、異変に気附いて救急車を呼んだ。 いまは2023年7月16日14時31分。家の裏の道路を、サイレンを鳴らして救急車が走ってゆく。午前中にも1台、いた。近附いてくるサイレンを聞くと、ビクッ、とする。心拍数を図ってみたら、急激な上昇値を示すだろう。家の裏を通り過ぎた途端、徐々に心拍が落ち着いてゆくのがわかる。呼んだ人には申し訳ないが、それが実際だ。もちろん、裏の路地へ入りこんだり、目と鼻の先で停まったら、そんなこともいうておられぬが……。 今日も暑い。日本海側は豪雨で避難指示まで出されている自治体があるのに、太平洋側の此方は暑さでゆだっている。外では元気に蝉が鳴き、室内では汗が首筋を滴り落ちてゆく。 横浜の現在気温は34度、真夏日で、風はそよとも吹かぬ。熱中症警戒アラートは暑さ指数31.3と33以下のせいもあってか発表されていな..

  • 第3666日目 〈Twitterで更新通知が流れないのは、なぜ?〉

    Q;Twitterでの更新通知がまるでされませんが、どうしてですか? A;わたくしにも分からない。新規投稿の際はTwitter連携されるよう設定してあるのですが。 ──本当にこの程度しかいえないのです。質問しようにもどこへ訊けばいいのだろう。So-netブログの運営か、Twitterなのか。まァ、前者なんでしょうけれど、まともな回答が返ってくるのか疑問である(※)。“X”へ移行したことに伴う仕様変更であろうが……。 Twitter騒動を巡る最新の報道は、閲覧制限の実施に関するもののようです。個人的なところを述べると、閲覧制限されてもあまり不自由は感じない。むしろ、いつもと同じような感触だ。数週間前にフォローの見直しを行い、徹底的に・厳密に、その人数をどんどん減らしていまや50台に落ち着かせたことで、不自由を感じることもなく閲覧制限と無縁でいられるのかもしれない。 むしろわ..

  • 第3665日目 〈退院翌日、脳神経外科の本を買う。〉

    病気の再発や病院への逆戻りが怖くて、本音をいえば(夏の間は)外出したくない。が、そうもいうていられないのが現実だ。白血病の薬が入院最終日の朝に底を着いたので、退院の翌日からかかりつけの病院に来た。治療ではなく、処方箋をもらいに来たのである。 その帰り道に立ち寄った書店で、脳神経外科看護の本を購入したのは、白血病と同様自分が罹っている病気について知りたい、という好奇心、探究心からのこと。ぱらぱら目繰って自分の理解がどうにか追いつき、知りたいことが載っている本は2冊あった。両方とも買えてしまえばなんの問題もないが、今後いろいろと支払も残っている身に専門書を複数冊一緒に買うというのは清水の舞台から飛び降りるよりも慎重を要する。 為、今回は知りたいことがより多く載っている方を選んだ。入院中に受けていた点滴注射の溶解薬や、入院途中から服み始めた血液をさらさらにする薬が写真付きで紹介されてい..

  • 第3664日目 〈〝アフター・脳梗塞〟から〝ウィズ・脳梗塞〟へ──入院生活最終日の朝。〉

    2023年07月13日(木)06時39分。天候は曇り、いちおう空は明るい。鉛色ではないけれど、すっきりしない空の色だ。雨の降る兆しは認められないが、宵刻の頃に小雨という予報である。 この天気は今週末まで続く様子。九州北部と中国地方西部にかかっていた線状降水帯はゆっくりと東に移動して、いまは北陸と東北の日本海側地方にかの大雨を降らせているという。太平洋側から日本海側へ一直線に突き抜けるようにして伸びている雨雲もあって、それは静岡から長野、群馬を経て新潟のあたりまで広がっている。こちらは梅雨前線だろうか。 そうして本稿を書いているいまは──入院生活最終日の朝である。12日間をこの病院で過ごした。あと7時間程で退院となり、住み馴れたこの病室とも永遠にお別れとなる。 入院翌日の朝、「第3657日目 〈脳梗塞の疑い有りで入院したわたくし。〉」を書いた。これは気持を落ち着かせるためにの..

  • 第3663日目 〈無知ゆえに抛り出した本をふたたび読み始める。〉

    経済学部を出ていれば、愉しんで読めたのかもしれない。専門用語とテクニカルタームが次々襲いかかってきたこの章を途中で読み挿して、巻を閉じてリュックのなかへ仕舞いこんだのは、己の無知あるいは一知半解が原因だろう……。 アジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権』(文春新書 2022/01)は題名通り、2020年9月を以て総辞職した第2次安倍晋三政権の政策や外交等を有識者の集団が、キーパーソンへの個別インタビューも時に行って書かれた論考集である。 読書を再開したばかりゆえ流石に本書の感想など書ける者ではないが(でも、時々そういう御仁、おられますな。プロであれアマであれ)、その第1章は「アベノミクス 首相に支配された財務省と日本銀行」という。それまで新聞やニュース、書籍で触れてきた安倍政権の経済政策、つまりアベノミクスについての内容なのでそれ自体に抵抗はないのだが、いま一つ読書..

  • 第3662日目 〈朝の陽光が運ぶもの。〉

    新しい朝が来た、希望の朝だ。歓びに胸を開け、青空仰げ。 ──とは、ラジオ体操第一の歌詞である。病室にいて明るくなりつつある時刻から天に上ってゆくばかりの太陽に彩られた空を眺めていると、なぜかしみじみとラジオ体操のこの歌詞を思い出す。 新しい朝が来た、希望の朝だ。 太陽は沈んでも、必ず次の日には顔を出す。雲に遮られているか否かの違いだけ。いずれにせよ、新しい朝は来るのだ。「陽はまた昇る」、この当たり前の事実を病室から改めて噛みしめている。……観念の理解ではなく、感覚の理解ではなく、実感として噛みしめている。 そうして、朝の陽光はわれらに〈希望〉を運んでくる。朝の日射しくらい、これから始まる1日のあれこれについて胸をワクワクさせてくれるものは、ない。上田敏の訳したブラウニングではないが、「なべて世は事もなし」と(まだ始まっていないうちから)呟きたくなるのだ。これから始まる1日..

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