長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
人里離れた土地に一軒家を立てて住もうとしている人の動画がたくさんユーチューブに流れている。寒冷地で一人暮らしを目指す人が多い。殆んどが男性の欧米人で日本人は少ない。寒冷地ということもあるかもしれないが、大抵犬一匹を連れており、人間一人の独り暮らしは少ない。時々温暖な地に小屋を建てて独り暮らしを試みる人が居るがその場合も犬を引き連れている。犬は忠実な友であり下僕であり孤独の無聊を慰めるものらしい。尤もそれはとても人里離れて一人で暮らすなどできそうにない私の感想に過ぎないかもしれない。猫と一緒というのは見かけたことがない。犬は人に付き猫は家に付くと言われる。犬好きよりも猫好きの人の方が自立的と言うか一人でも平気そうだが、僻地での孤独の独り暮らしとなるとまた別の機転が働くものらしい。猫か犬か
まだ証明されてはいないようだが死亡した男は桐島容疑者の可能性が高いようだ。こんなことを書くとOとXを一緒にするなと批判が出るかもしれないが、森林太郎として・・を思い出した。誰かを欺くため?とか鼻を明かすため?とかいうのでなく、最期に本名を名乗った心境は何となく少しわかる気もする。それにしても想像しがたい逃亡生活で、月に僅かのずれでスリムを着陸させる科学技術の進歩に比べて人間の心の闇の解明は遠いと感じる。解明できないから、好き勝手な言い分や言い逃れが横行している?。尤も、あまりに明らかにされては立つ瀬がないかもしれない。本名で終わりたい
昨日、久しぶりにいつもの床屋に行った。やっぱり、正規の馴染みが良いと感じた。ここは予約制のため暮れは予約が取れずチェーンのQに行った。Qは安くて早くて良いのだが、予約制でなく待っている人が多いので結局時間が掛かってしまう。十年以上前は安い早いで時々利用していたのだが、利用する人(中高年女性もいる)が増えて、早いがなくなったので利用しなくなった。それと髪を切ってくれる人がいつも同じではなく、毎回髪型の希望を説明しなければならず出来もやってくれる人で微妙に違うので足が遠のいた。馴染みのところは黙って座れば、いつものと聞かれてうなずくだけで全部やってくれる。今は建て直したが百年続く老舗で、子供の時通った床屋に似た昔の写真が飾ってある。今は気持ちの良い中々モダンなつくりで、天井が高くていいねえと褒めたらご主人がと...馴染みが良い
今朝は数日来の寒さが和らいだ。手袋なしでも辛くなかった。被災地の厳しさがいくらかでも軽くなればと願う。なんだかちょっと寒さが和らいだだけでひと息ついてほっとしてしまうが、大丈夫かなという声がきこえた。日本人は七十五日経たない内に、問題を忘れる傾向がある。被災者の方々のことは勿論、自民党の裏金問題芸能界の異常もきちんと忘れず、対応してゆかねばなるまい。飛躍するようだが、そうしないと給料も上がらないのではないか。寒さ和らぐ
コロナで3年行っていなかった勉強会に顔を出した。懐かしい顔ぶれと久闊を叙し心和んだが、K先生もI先生も定年で嘱託ですよと聞いてあれあれもうそんなかと驚いてしまった。私の眼にはまだまだ若く現役に見えて、惜しい気がした。K先生は後輩と来ていたが、鬼手物心のI先生にもちゃんと良い後輩が後を継いでいるだろうか。そうでないと困る。映画大好きのY先生は医師会の副会長に選ばれ納得の選択と思っていたが、ちょっと老けて貫禄が出てきたようだ。重職のせいか、笑顔が少なかったのは気がかりだ。時の流れに身を任せとテレサテンは歌ったが。時の流れに抗すのは至難の業、押し出されてしまう。時の流れ
ニューハンプシャー州の予備選結果はトランプが54.6%ヘイリーが43.1%でトランプが勝利した。しかしこれはトランプが自賛するような地滑り的な圧勝とは言えないのではないか。テレビが起用する政治評論家には思惑訳知りなどのバイアスが掛かっている評論家も多いから公平で客観的な評価情報は意外と少ない。囲碁将棋のAI評価では54.6対43.1はほぼ五分と判定され(藤井八冠を除いて)逆転の可能性は十分ある。まだ十か月ある、地滑り的勝利は自画自賛で怪しい気がする。おそらくトランプは不利になれば選挙で不正があったと言いがかりをつけ始めるだろう。今回の結果でも54.6%は64.5%の間違いと言い出しかねない。圧勝とは言えないのでは
研修医には指導医が居る。スポーツ選手にはコーチが居る。殆んどすべての仕事に指導者が居る。仕事だけでなく人間として一人前になるために親や教師が必要だ。自力だけで成長できる人は稀有、本当は居ないような気がする。どうしてかというと自分では自分のことが実はよく分からないからだ、たとえある程度分かっても自分で自分を律することは至難の業だ。勿論、指導者の中には時々力不足や独りよがりも混じっているので反面教師と見極めて離れる見切りは必要だ。自民党派閥の裏金作りを防ぐ対策を自民党員が自らが作ることは無理な話だ。野党推薦の委員が過半数を占める委員会や裁判員制度のような推薦人によって改革案を作らないと実効性のあるものはできないと思う。自画自賛は三割どころか五割引だ。評価は他人がするもの
朝の電車は混んでいる。それでも降りる人が居るので、乗車する時席が二つ三つ空く。どういうわけか乗車して立っている人が空いた席に座らないことがある。プラットフォームでは最前列に並んでいることが多いので、空いている席目掛けてすみませんと言いながら進むのだが、二番手に並んでいたおばさんが脱豚の如く横から前に入り込もうとする。競争相手が現れると闘争心が湧き出て、一歩のリードを生かして負けるものかと前に出て空いた席に座る。毎朝のことではないが、我ながら見苦しい争いをすることがある。たかだか十五分でも座った方が楽だしスマホも見やすい。おばさんはどう見ても私よりは若い。私と同年配の女性(お婆さん)はそこまでの行動には出ない。勿論、よぼよぼしておられれば喜んで譲る。高々十分二十分の間のことだし、座れなくても問題なく目的地に...おばさんには負けられない
日曜日に久しぶりに古女房と映画を見に出かけカキフライを食べた。まさにパーフェクトデイだ。画友のKさんが面白かったと言っていたので観たくなった。映画はビムベンダーズという外国人監督の作品だそうだが、台詞は日本語で配役も日本人だった。どこかちょっと違うのだが、ひと昔前の日本映画のように感じた。東京スカイツリーでなく東京タワーだったら半世紀前の映画と言われても違和感はない。毎朝の道路を掃くおばさんには生きていれば樹木希林を使った気がする。役所広司は面長だが話し方雰囲気がどこか野田知佑に似ているのではないかと感じた、お二人のどちらにもお会いしたことはないのだが。パーフェクトデイズ
今朝新聞を取りに庭に出たら雨が降っていた。本格的な雨は久しぶりな気がする。駅まで20分近く歩く身にはあんまり歓迎できない。幸い風は弱く、寒さも厳しくないので車は使わずぼつぼつ歩いてゆくことにする。土曜日は児童の登校がなく、すれ違う子供達が居らずちょっと寂しい。昔は「雨雨降れ降れ母さんが蛇の目でお迎え」と歌ったが、この頃は雨だと車で送り迎えの母さんが多く登下校時道路が車で混雑し迷惑する。学校は決して車の送り迎えを奨励していないと思うが、母さん共を止められないようだ。久しぶりの雨
日本共産党の委員長が志位さんから田村智子氏に変わった。遅きに失した感もあるが期待している。果たして自民党体質に厳しい日本共産党が自らも旧い硬直した体質を変えて行けるか、田村氏の手腕に注目したい。この交代に対する他党のコメント中では自民党の茂木幹事長のものが最も公平で好意的な感じがする。狭量で足を引っ張り合う野党体質の改善にも取り組んで頂きたい。できないと思うが党名を変えることが、生き残り躍進する鍵と申し上げたい。少なくとも党名の印象を変えなければ現状維持も難しいように観測する。共産党の委員長交代
やがて大寒なのにさほど寒くない。このまま冬が過ぎてしまうのだろうか。寒いのは苦手なので個人的には有難いが、農作物には暖冬の好ましくない影響もあるし、高山に積雪が少ないと夏に水不足になるのも困る、良いことばかりではない。冬、うどん蕎麦などを食す時は暖かいメニューを頂いて身体が芯から暖まる感覚を味わってきたが、今年はそうした感覚が乏しい。昨冬、防寒手袋を失くしたのだが、まだ新しいのを買うことなく通勤できている。眼鏡が曇りやすく困るのだが、防寒になるのでマスクをして歩いている。今年は暖冬、影響は?
アイオワ州の共和党大統領候補選びで討論会欠席のトランプが圧勝したと報じられている。トランプは自分が大統領になるのが第一の目的で政策は支持者が自分に投票するように考えて打ち出されたものが殆んどだと感じる。自由平等博愛などとしゃらくさいことを言って自分に投票しない人を助ける必要などないと考えているように思える。アメリカさえよければ、他国のことなど知ったことか、と思っているアメリカ人は結構居るのではないか。これが岩盤支持の実態で、おそらく多い少ないはあってもあらゆる国で見られる現象だろう。超大国アメリカも、実は孤立して繁栄出来るわけではなく、これは了見の狭い浅慮だと思うが、今だけ金だけ自分だけは根強い。トランプアイオワで圧勝。
決してネスカフェの回し者ではないのだが、ネスカフェの方が美味しいと今更ながら気付いた。これは私の個人的な好みみに過ぎないが、コンビニではわずかだがインスタントコーヒーが割高なのでつい一番安い商品を買ってきてしまった。これがどうもコクがなくおいしくない。安かろう美味しくなかろうと言うわけでもないと思うが、失敗した。ネスカフェの大びん廉価版の方が私の口に合う。まあ仕方がないなくなるまでこれで我慢しよう。どこがどう違うと言われると表現しにくいが、目隠しされて飲み比べても味分けられると思う。廉価品でもネスカフェ
新しい職場と言っても医師はやることは変わらず人的場所的環境が変わるだけで、ものすごく大変というわけではない。そこへ行くと古手看護師の中には、院内の新しい機械の操作に戸惑う人も居り、真剣な面持ちで説明を聞きノートを取っている人が居た。世の中には機械音痴という人が結構居る、女性に多い。彼女はそうらしく年若い先輩がこうしてはいはいと手早く操作するのに目が回るようで、何度も失敗して冷や汗をかいている様子だった。患者さんのケアではベテランでもここにスピッツを入れてここを押してという操作は不得意のようで、ちょっと気の毒に感じた。運転や操作は分かって慣れている人にはお茶の子さいさいでも、機械が苦手なアラカンには中々大変なのだ。お互い最後の御奉公と来た職場なので、無言のエールを送っておいた。機械が苦手な人
極東の群島の日本に住んでいると絶海の孤島よりも十里霞中なのではと感じてしまう。家内はいまだにインターネットを信じず、コンビニ払い現金払いで暮らしている。私は一応ネット金融を利用しあれこれ現金を使わず携帯払いをしているが、訳の分からないお知らせが山ほど着信する。どれが本物で色々呉れるという点数や確認しろという内容が一体どういう意味か分からず、危険なものありそうで無視して暮らしている。岸田首相があんまり頼りにならないは分かったが、さりとて有能?そうな政治家は多少の知恵を目くらましや誤魔化しにばかりに使っているようで、様々な動きがどういう意味と意図で行われているのかよく分からない。早々と被災地に駆けつけ炊き出しカレーを食べていた野党政治家をお前のような奴が居るから補給道路が混雑すると他党を叩くために叩く政治屋が...十里霞中
冬は夜明けが遅いので、朝起きた時薄暗い。曇っていると暗いと言った方がいい、夏に比べてそれだけ陽の光が薄いのだ。新聞を取りに庭に出ると寒いのだが記憶の冬よりは暖かい。あと一週間もすれば大寒なのだが、手袋なしで駅まで歩けている。今のところ暖冬なのだ。暖冬といっても実は人間は暑さ寒さに弱く、衣服や冷暖房で凌いでいるに過ぎない。暖冬といっても零下になる能登の被災地の寒さは辛いなどというものではないだろう。食料と同じように暖を届けてあげられているだろうか?暖冬でも寒さは身に沁みる
インターネットでトリスタンダクーニャ島が世界で最も孤立した有人島として紹介されていた。南大西洋のケープタウンとブエノスアイレスのややケープタウン寄りに浮かぶ面積200平方キロの火山島。島は山岳地帯が多く居住できるのはごく限られた区域で住んでいるのは250人ほど、飛行場はなく年に9回ケープタウンから8日かけて船がやってくるだけだ。テレビはなかったが2001年から衛星テレビで英軍放送が見られ、遅いインターネットが利用できるようになったらしい。私有地はなくすべて公有地で割り当てられた土地でジャガイモを収穫し、決められた個数の家畜を買い食料は自給できている。教会学校医療施設が一つづつあるだけ、孤立して娯楽もほとんどない場所に人が住むからには、さぞかし気候に恵まれてると思いきや雨の日が多く台風もやってくるというから...トリスタンダクーニャ島
「手遅れ」。職業柄聞きたくない言葉だが、それが能登半島地震被害地に起きている。大阪万博木造リングに350億円、能登半島地震被災地支援に47億円とは、どう考えてもこれは逆ではないか。何故自衛隊の大規模投入を行わないのか、手遅れで生き埋めの死者数が増えるばかりだ。岸田総理は何をしているのか。厳しい質問に、にやけながら無言で立ち去る姿に緊急事態を理解されておられないと背筋が凍った。これは取り返しのつかない失策だ。聞きたくない言葉だが
医療費には高い安いの批評批判は色々あるが、初診料から検査代まで保険診療の料金は法定で決まっている。初診料は風邪でも肺炎でも同じだ。検査料金はどこまでやるかによって変わるが、研修医がオーダーしても医長がオーダーしても同じだ。医療費と違って自分で値段が設定できる外食産業はどのように料金を決めているのだろう。チェーン店に押され自営の外食業は苦労しているようだが、メニューの値段設定には頭を悩ましていそうだ。友人にラーメン屋が居る。はっきりとは教えてくれないが、ラーメンは原価が低い献立らしい。彼は基本料金を低めにしトッピングでそこそこの値段になるように設定しているらしい。味の評判も良くまずまず繁盛している様子だ。外食する時不思議に思うのがデザートの値段だ。主食よりも割高に感じる。原価率は主食より低いのではと思うのだ...外食代で考えた
二千二十四年も一週間経った。正月から地震に飛行機事故と目出度いことなどなかったが、日常生活が戻ってくる。長い休みが苦手というかあまり好きでなく、家でごろごろのんびりするのは性に合わない。思い切って旅行に行けばよかった気がするが、家の片づけや新しい職場への準備などでいつの間にか年末年始が終わってしまった。年を取るとのんびりゆったりするようになるというのはどうも違うような気がする。勿論、そういう方も居られると思うが、意外にせかせかしてしまう同輩も多いのではと類推する。修行が足りないと言われてしまいそうだが、確かにそうかもしれない。友人のK氏は三歳年下なのだが、七十二歳で自営業を息子に譲って引退して二年になるが完全に仕事から手を引いてしまった。やることがないなどと言いながら奥様と二人悠々と暮らしておられる。いい...長い休み
羽田の事故原因が海保の機長の勘違い?で生じたことは間違いないようだ。何故人間に付き物のその誤認を防げなかったかが次の問題だ。悪いことは重なるもので、滑走路の妨害物を察知する機械が12月27日故障していた(暮れのせいか未修理)。海保機には位置を知らせるトランスポンダーという装置か未装備だった。折角の最先端の機械と装置も故障したり未装備だったりで役に立てなかったらしい。勿論、それでもちゃんと人間の複数の眼が働いていれば、事故は防げた可能性がある。これにはボイスレコーダーの分析を待たねばならないが、海保機の副操縦士が機長の勘違いに気付いていた可能性があり、上官に注意できなかったのではないかという疑問が残る。上司に注意するのには確かに抵抗があり、自分にもいくつか経験がある。なぜ機長が勘違いしたか、それは地震の救助...勘違いの背景
熱帯のパプアニューギニアの高地には人口百人二百人の小さな原住民の村が点在している。何処へ出るにもジャングル谷間を何日も歩かねばならない。そこへ単発の小型飛行機が飛んでいる。積載量はたかだか800㎏ばかりのプロペラ機が目視の単独飛行で、幅7-10m長さ300mばかりの村民七八年がかりの手作りの飛行場に舞い降りてくる。どうした酔狂でこうした危険なフライトをしているのだろうと不思議な気がする。確かに舞い降りれば村人総出で大歓迎され嬉しいとは思うのだが基地も辺鄙な場所で近代生活とは程遠く、おそらく報酬だって知れたものだと思う。パイロットはヨーロッパ系と思しき若い白人で飛行をユーチューブを撮影して流してくれている。彼らはこの危険なフライトをどうも面白いと感じているらしい。敵わないと感じてしまう。熱帯高地の山村に単発プロペラ機が降り立つ
今年は元旦から自然災害に次いで飛行機事故と辛く厳しい出だしになったが、救助の手を差し伸べ続け事故原因を解明したい。それは暮れに表に出てきた自民党の裏金作りと芸能界の性暴力虐めという、隠蔽されてきた歪を糺し膿を出すことに繫がる。新しい職場でどこまで仕事ができるか期待と不安が相半ばしているが、自分にできる最善をと心に刻んでいる。年寄りの冷や水と言われないように、八分の力で滑り出したい。年明けの思い
羽田空港でJAL機と海保機事故が起きた。詳細はまだ分からないが管制コントロールミスの可能性が高い。飛行場での離着陸はまだ人間同士の相互通信連絡でコントロールされている。地方の一日10便とか11便とかのんびりしたところでは航空管制も簡明で相互連絡不十分の事故は起きないと思われるが、それこそ一日500便1000回を越える離着陸のある羽田の管制ではヒューマンエラーが起き得る。管制はVHF帯域の人間音声による直接の相互無線通信で行われている。間違いを避けるためにいくつかの層に分けられ、進行段階に分けて周波数を変えて受け渡しで離着陸がコントロールされてゆく。離陸の場合はまず飛行計画報告許可のクリアランスデリバリーから飛行場内のタキシングをコントロールするグランドコントロール、次いで離陸滑走路に近づくと離着陸を指示す...鉢合わせを避けるには
災害は忘れた頃にと言うが、忘れていないのに突然起きる。昨日午後四時過ぎ家で茶を飲んでいたのだが、微かに揺れを感じた。あれ地震かな否めまいかもしれないと黙っていた。すると携帯を見ていた孫娘が、石川で地震だと騒ぎ出したので、やはりめまいではなく地震だったのだと驚いた。寒い時しかも元旦にと天変地異の無情さに慄くばかりだ。被害が大きくないように祈るのだが、実際には何もできず無力を感じる。将棋里見女流四冠が王位記念対局で藤井八冠に勝った。時間のハンディを貰っていたとしても快挙だ。しかも里見さん結婚され里見香奈から福間香奈さんになられていたようで暮れの慶事と喜んでいたのだが、地震であれこれ書きづらくなってしまった。忘れていないが突然に
明けましておめでとうございます今朝は薄曇りで穏やかな元旦になりそうだ。年が明けて特別の変化もないのだが、いつもより静かなのは皆さん朝ゆっくりされており人間の活動が殆んどないせいだろう。どういうものか鳥の声も聞かれない。偶然というか今年から勤務先が変わるので、新たな気持ちでいる。高齢になっての変化は中々大変ではあるが、ささやかだが希望が湧いてくる。今から成長は難しく正確には診療能力を落とさないようにするのが精一杯なのではあるが、最新版の総合内科医の診断術などの成書に目を通している。不断に学びながら数多くの患者さんを診てきたのでいささかの自負はあるが、医学の進歩は目覚ましく患者さんは多様で、診療力向上に際限はないと感じている。二十年前から高血圧や高コレステロール血症の薬を飲んでいるが、後期高齢者になってからは...穏やかな元旦
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長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
このところ外食が増えている。外食で困るのは、家内が食べきれないからと私に色々呉れることだ。食べようと思えば食べられるし残してはいけないと教えられて育ったので食べ残すのも気が進まない。ダイエットが中断されて大袈裟だが遺憾だ。この頃は無念だが断っている。日本では食べきれなかった分を持ち帰るのが難しい、言い出しにくい、嫌な顔をされる、断られる。勿論、どうぞというところもあるが。小食者用というか高齢者人口も増えたことだし高齢者用の七分目の量のメニューを作って欲しい。採算的に難しいのは分かるので値段は一二割引きで文句は言わない。ところが実際には単に量を減らしただけのメニューは出しにくいらしく、殆んどの店で見かけない。もっと客の多様性を考えてと申し上げたい。家内は写真のリンゴは毒林檎というが本当だろうか?。毒林檎の苗...できないものか?
遠い昔、寛容と忍耐と説いた首相が居られた。それに習い、異なった異なった意見にも耳を傾けるのを信条としてきた。しかし高齢者になってくるとあにはからんや円熟とは参らず、少しづつ忍耐力の衰えを感じるようになった。年を重ねると穏やかな達観の境地が訪れるというのは希望的観測のように思われる。私が残念な例外という可能性もあるが、どうもそういうわけでもなく寛容はともかく忍耐力は年と共に衰える傾向があるように感じ観測している。尤も、判断力が付いて評価に値しない意見に貴重な時間を使わなくなったと言えるかもしれない。いづれにしても、この人の言うことは聞いていられないと思う人が増えた。勿論、一二割は頷ける意見や考え方を含んでいるのだが根本のところで堪えきれない軋轢音を発生するのだ。堪え性がなくなる
限られた経験だが、四十代と思しき歯科衛生士にお目にかかったことがない。殆んどの歯科衛生士さんは二十代だった気がする。今お世話になっている歯科の衛生士さんは二十四、五、六才の気がする。歯科衛生士さんは普段はあり得ない距離でお顔を拝見できる。見まいと思っても腕や首が目の前に迫ってくる。日本人女性はと言っても外人をよく知っているわけではないが肌が細かく美しい。若いから皺がなく大袈裟かもしれないが若さで輝いている。何故歯科衛生士は若い女性ばかりなのか知らないが、アラフォーだと再雇用の口がないのかなと推測する。歯科衛生士は若い
まさかということが起きた。人類とは思えない強さの藤井八冠が伊藤匠七段に敗れ七冠になってしまった。今期に入り永瀬九段などにやや不調ではと言われていたのだが、調子を落としていたのだろうか。勝勢から逆転負けするなんて、今までの藤井には考えられないことだ。大谷も一時通訳の不祥事で調子を落としていた。やはり二人とも人間だった。伊藤が勝てるならと端から気勢を削がれていた棋士達が新たな戦略で向かってくるだろうから、藤井七冠もこれから大変だろう。しかし、タイトルの数など気にせず目の前の一局に全力を注ぐ人柄なのでこれからも名勝負を楽しませて貰えると思う。十一連敗からの奪取、師匠はありがたいね。師匠の宮田八段は伊藤が勝ちますと断言していた。藤井敗れる
五十年以上の長い記憶のある国民は、とりあえず平和そうな日本も内実はあちこちガタが来ていると思われているのではないだろうか。特に劣化しているのは政治家だが、もう一つ改革が必要なのはマスコミだ。自立しておらず金と権力におもねる姿勢が透けて見える。政治資金規正法が成立したが、形だけの改善で抜け穴だらけのザル法だ。十年後に領収書を公開するなど何の意味もない。しかも一部は黒塗りだ。それを衆議院賛成参議院反対と支離滅裂な維新の馬場代表が得々と支持している。阿保らしくて話にならない。国会中継の党首討論で岸田首相の答弁を聞いていると国民よりも自民党議員を守っているのがよく分かる。日本の政治家は選挙のことしか考えていないという米国投資家の批判は当たっている。情報が操作されては票が資金力で左右されてしまう。政治家とマスコミ
新型コロナがここにきて再びやや増加し始めたようだ。地方都市の一診療所の報告だからどこまで正確に全体像を伝えているか不明だが、今日複数の陽性者が出た。死亡率を下げて生き延びようとするウイルスの戦略は恐るべきもので、インフルエンザの向こうを張る存在になりつつある。嫌なものは早く忘れたいのが人間の心性ではあるが、厚労省はそうであってはならず科学的に粘り強く対応していただかねばならない。災害は忘れた頃にやってくるが、悪疫は忘れようとすると盛り返すから油断は禁物なのだ。新型コロナくすぶり続けている
今朝は本降りで風があり、なかなか辛い駅までの歩きだった。株式投資で大儲けするのは五十人に一人程度と言われている。ギャンブルはどうだろう。似たようなものと思われる。困ったことに?、この五十人に一人の人達があたかも二人に一人居るようにうまい話が喧伝されている。証券会社や株予想で仕事されている人は、素人が株投資すると損しますよとは言わない。儲かりますよと上がりそうな銘柄を紹介しても必ず小声で買う時は自己責任でと釘を刺している。政治家も似たようなもので、不都合なことは言わない。アべノミクスで大企業が儲かればおこぼれがあると聞いたが嘘だった。嘘だったと責めれば**が悪かったせいだと上手に責任を逃れる。まあ嘘と言えば聞こえが悪いが夢と言えば美しく響く。夢を売る仕事と言われてしまうと咎めにくくなる。夢とまでは言わず商売...五十人に一人
距離と時間は長く生きて居ると短くなる。自分を尺度にするから、短く感じるようになるわけだ。唯、距離は交通機関の発達もあるから科学技術の進歩も与っている。一年が短くなった一か月が短くなったと感じるわけだが、この頃は一時間が短くなったと感じる。一週間が早くなったとよく聞くが一時間が短くなったというのはあまり聞かない。しかし、自分はこの頃一時間が短くなったと感じる。そのうち一分が短くなったなどと言い出すかもしれない。短く早く感じる
愛飲するウイスキーがボトルにあと半分、まだ半分あるという人ともう半分しかないという人が居る。中にはちょうど半分だという散文家も居るだろう。還暦が人生の感慨深い通過点だったのは半世紀前のこと、今では赤いちゃんちゃんこを着る人は殆んどいないだろうが、六十になった時あと四分の一かと鬼が笑うようなことを思ったものだ。今ではあとどれくらいなどという、逆立ちしてもどのみち残り少ない年月を思いめぐらすことはなくなった。行けるところまでというのが、多くのご同輩の心境だと推察する。それにしてもバイデンとトランプは外れている。トランプと同い年の自分は顧問はできても社長院長大統領・・トップは難しいと断言できる。半分はどれだけ
寒い時に暖かい食べ物が美味しいように、暑い時には冷たいものが美味しい。何時からかき氷が庶民の御馳走になったか知らないが、慌てて食べると額がツーンとするかき氷では宇治金時が一番好きだ。同意される方も多かろう。これが許せんことにかなりお値段が張るのだ。子供の頃どころか成人してもしばらくは簡単には手が出なかった。せんじと言って分かる人はどれくらい居られるだろう。宇治金時に手が出ないころはもっぱらせんじを頼んでいた。ぜんざい、お汁粉は全国的に通じると思うが、大判焼きやせんじは全国版ではないのを故郷を出て初めて知った。暑い日には冷たいものが美味しい
痩せる方法は数えれば何百もあり、色々な人が本やユーチューブ動画で提案している。何百種類といっても基本的なところは似ており、数種類にまとめられる。ただ、独自性を出すためや商業的な思惑があって、少しづつ変えている変わっているだけだ。食事と運動が基本でそれに睡眠時間や仕事と自宅での生活習慣と体質が加わる。ではなぜ、それほど沢山の方法があるのに中々痩せられない人が多いかというと結局はきちんと実行できない人が多いからだ。肥満された患者さんに受診された時注意をすればできない言い訳があれこれ返ってくる。強く言えば反発する人嫌がられる人も多く、その塩梅は難しい。高脂血症や高血圧症でコレステロールの多い食品や塩辛い味付けを避けるように減らすように説明しても、中々守れない人も多い。幸い今はとても良い薬があるので、食事が厳格に...人間は思うようにできない
街中の蕎麦屋中華料理屋・・を選ぶ時は、味と値段そして雰囲気で決めてゆくわけだが、まず選び損ないというか失敗というのはないと思う。自分が気に入ればそれでよいわけで違ったということもあるかもしれないがそれは非常に稀だろう。ところが医者や歯医者選びでは時々間違いが起きる。というのは食べ物の美味しさと違い医者や歯医者の能力得意分野は素人には分かりにくいからだ。後期高齢者になって、年に二回歯の点検と歯の磨き方の指導を受けているが、もっと早く今の先生のところに来ればよかったと後悔している。そうすれば多分抜かないで済んだ歯が何本もあるのではと思う。店の選び方
今朝は比較的涼しい。季節感覚を失ってしまったように感じる、季節がはっきりしない日が時々紛れ込むようになった。今日の日付が答えられない認知症が忍び寄るお年寄りに今何月ですかとお聞きすることがある。それも答えられないと今の季節は春夏秋冬のいつですかと聞く。季節くらいは分かるだろうと思っても結構外す患者さんが居られる。挨拶など普通にできるのにと意外に感じるが、この頃は気温の上がり下がりが大きく陽気が不安定なので、間違えるのもしょうがない気もする。冷やし中華に柏餅と食べ物屋は供するもので季節を告げるが、医院では六月になってもインフルエンザBが出たりして、医者が目をこすって何度も結果を見つめている。今、何時だい
五、六年前に比べたらユーチューブを見るようになったので、少しはマスコミで話題になる人を識別できるようになった。人物と同じように時々見かけ聞きかじる知らない言葉の意味もある程度分かるようになった。知らない言葉は文脈から何となく意味が分かることもあるが、キーボードを叩いて意味を調べないと分からないことも多い。たとえばリスキリング、ディスルなど分かったような分からない言葉も解するようになった。勿論、こうした言葉は知らなくても生活できるが、世の中の流れ雰囲気を理解するには、知っておいた方が良さそうだ。しかしなぜカタカナ英語と言うか短縮語を使うのか、どこかに上滑りで済ましじっくり深く考えるのを避ける風潮があるようだ。その背景に情報過多があるのは間違いない。知らない人と知らない言葉
東京都知事選挙、蓮舫VS小池百合子の一騎打ちだったはずだが、予想通りの貶し合いというか悪口の言い合いで、それが飛び込み参戦の石丸氏に有利に働き三つ巴になりそうな気配だ。尤も石丸氏も人気が出ればどこからか否定的な情報が出てきて叩かれるだろう。ドレッシングというのはサラダの材料本来の味を引き出し引き立たせ美味しくするもののはずだが、東京都知事選では不味い苦い悪臭を放つドレッシングを掛ける連中が居て、肝心の政策の吟味が霞んでしまいそうだ。都民の方は怪しげなドレッシングを断固として断り、塩コショウ酢サラダオイルのシンプルで間違いのない自家製のドレッシングで政策と人物を確かめて投票していただきたい。これでは本来の味が分からなくなる
ユーチューブはそれこそ玉塵混淆で良質なものを見付けなければ時間の無駄になってしまう。積極的にユーチューブサーフィンをしているわけではないが、様々なチャンネルが目に飛び込んでくる。面白いもの有用なものを登録してきたが登録チャンネル数が三百近くになって限界と感じ、結局は見ないものは削除し始めている。ユーチューブを見て驚くことは、世の中にはどうしてと思う程自分の主張を発表せずにおれない人が多いことだ。まあ自分もブログを書いているので、お前もと言われそうだが人間には発信したい人が多いようだ、生存証明にもなっているらしい。多様性に寛容でありたいと思うので、さまざまな発言主張を見聞きしているが、中には強烈と言うか独善と言うか異論に攻撃的なチャンネルも結構ある。正直どうもそういうチャンネルは見ると嫌な気持ちになったり疲...ユーチューブ界隈
中華料理に粥がある。中華料理と言っても色々で一概に油を使ったこってりばかりではないが、それでも香辛料がきつかったりカロリーが多かったり胃腸に負担を掛けるものが多い。そこでそれを和らげるためにお粥が登場しているのだと思う。昔は少ない穀類で取り敢えず満腹を実現するための方策という意味もあったかもしれない。どうも外食が続くと体重が増えてしまうので、お粥というのも良い方法かなと思ったりしているが、中々実現はできていない。一番簡単な方法に一食抜くというものであるが、これは健康的にはあまりお勧めできない。自分が健康で居るのも仕事のひとつなので、どうするかと体重計を睨みながら考えている。粥の知恵
自民公明維新の政治資金改正法はザル法でザルに申し訳ない、ザルの方がもっと物を掬えますからと玉木代表も言っている。維新の代表の弁明を聞いていると十年後の領収書公表に黒塗りもあるなどと言い出し、馬脚が露呈した。余程隠したい使い道があるのだなと疑惑が深まるばかりだ。大体十年後では、黒塗りでなくとも意味はない。知恵を絞って抜け道を探る、それは悪知恵。誰のための政治?
地理と歴史を小学校から学んできた。地理は大得意、歴史はまあまあだった。要するに好きこそものの上手なれというわけで、地図帳を飽きず眺めている子供だった。勉強に何故するのかという理由など不要と思うが、今頃になって地理と歴史は世界を理解するために必須の道具となる知識だったのだと気付いた。ユーチューブで中国食品料理市場観察に嵌まっている。当たり前かも知れないが、昔親しんだ三国志西遊記水滸伝の中国は共産国となっても消えたわけではなく、実際様々な形で残っているようだ。三千年の歴史に高々七十年の薄皮を被せただけだから、それは当然かもしれない。しかしまあ、アメリカなど影も形もない三国志の時代にあんなに広い国をあちこち移動し統一しようとしていたのだから白髪三千丈の国なのだ。今頃気付いたこと
中国にラーメンはなく、日本の発明のように聞いていたが、ユーチューブを見ているとどうもラーメンはあるようだ。出汁の中に麺を浮かせたあるいは麺に出汁を掛け、色々な具を乗せた料理は中国各地にある。中で蘭州の物が有名なようで、日本でも蘭州ラーメンとして提供している店がある。どうしてラーメンが日本人の発明のような情報が飛び交っていたのだろう、中国食市場の情報が入って来なかった、あるいはまったく同じものがないためにそうした解釈が流れたのかもしれない。得意の改善工夫で日本人の口に合うように変化させたのは確かかもしれないが、どうもラーメンの源流は中国にあるようだ。どうしてこうゆう浅い情報が、出回ったのかわからないが、きっと似たようなことがあちこちで起きている。ラーメンはある