月に一度の楽しみが土砂降りでガッカリ!梅雨は開けた、と気象庁は言うが嘘だった。ここ数日、雨降りが続いた。ゴルフはゴルフ場が中止と言わない限りやるもの。こう先輩から教わってきた。過去に一度だけハーフで中止の経験がある。その時は台風が接近してきて危険
孫は二十歳になり旅立った。高山の自動車短大を卒業。遠く栃木県にて社会人の一歩を踏み出す。家族で旅行を兼ねて、送って行った。朝5時、7人の家族は2台の車で出発。白鳥→高山→安房峠→松本→上田→軽井沢→高崎→栃木→宇都宮総延長≒350㎞の行程。この中に昔
今から400年前、江戸末期の物語。まもなく黒船が来航して幕府が崩壊してゆく頃。江戸時代では真夏に氷など夢のような話。夢の様な最高の贅沢を加賀藩は考えた。加賀の雪氷を毎年夏に江戸の将軍様に届けた。藩の記録には当時、金沢から江戸まで120里(約480km)これ
チケット入手困難な人気落語家。娘婿が3枚ゲットしてきた。毎週日曜の笑点では見ている。今回は美濃市の文化会館。愚妻と娘と三人、車で1時間走った。駐車場に入り、まずは腹ごしらえ。近くにネパールの食堂を見つけて入る。聞けば気さくに話すネパール人。14年
立川談志以来と言う人気落語家。美濃市文化会館に来ると言う。落語フアンとして、聞き逃す手はない。相手は東京から来てくれるのだ。こちらは車で1時間弱だ。開場前だと言うのに長蛇の列。前列から6列目のいい席に落ち着いた。寄席にはよく行ったが独演会は初めて。
所変われば葬儀の所作も変わる。ぼんやりしていれば眠いだけで終わる。珍しさも手伝って一挙手一投足を眺めていた。曹洞宗は賑やかだ。導師一人に4人の楽団員が控える。木魚、鐘リン、太鼓、シンバルと。シンバルが鳴ると、眠けも覚める。導師は頭巾を被っている。
4ヶ月ぶり、今年初のゴルフ。高校の先輩が幹事で、今年で8年目。参加者は一宮市近辺が多い。当時の高校は、県外入学はフリーだった。一宮市は繊維の町であり、紡績が盛んだった。岐工高には紡織科があり、人気は高かった。幹事の先輩は紡織科OBで今年87歳。小生は土
敦賀の松原海岸近くに水戸烈士の墓がある。水戸天狗党が尊王攘夷を旗印に京を目指した。823名が敦賀まで来たがここで幕府軍に捕縛される。厳しい寒さの中、16棟のニシン蔵に押し込められた。厳寒の中で多くのものが亡くなった。そして353年が斬首され、埋められた。
世界中どこでも屁は臭い世の中、そうじゃないモノが沢山ある。ところ変われば品変わる。縁あって福井県敦賀の葬儀の参列した。天下の永平寺の末寺の住職が導師。導師の他に楽隊が4人いて、賑やか。宗派は日本三大禅宗の内の曹洞宗。拙者は親鸞様の浄土真宗しか知ら
平成15年生まれの初孫が成人式を迎えた。昭和15年に自分が生まれているから覚えやすい。その差は64歳。奴が30歳になればそれに64を足せば俺が94歳。俺が100歳になれば奴は36歳。俺の年齢―64歳=奴の年齢。奴の生まれる時、俺は母を乗せて高速を走っていた。母を一
東日本大震災から13年が過ぎた。能登大地震も2ヶ月余が経過。県シニアソフトボール連盟の総会を開催。岐阜、郡上、高山、中津川から14名が参加。今年の登録は6チームになった。20年程前は17チームが参加して来たのに。何が原因で減って来たのだろう。原因は諸説
我が故郷郡上市は二十を過ぎた。20年前、7か町村が合併して誕生。この20年、財政難で鳴かず飛ばず。元気のない郡上であった。今回、現役市長が引退して選挙となる。二人の新人が名乗りを上げてきた。山川ひろやす氏 64歳。村議の父が、高鷲村に来た自衛隊演習地計
日曜日の午前9時からはTVに張り付く。関口宏のサンデーモーニングが始まる。この番組だけは、まともだと見ている。ゲストは多彩であり、鋭い。レギラーは寺島実郎、青木理、松原耕二。その寺島氏の講演を岐阜グランドホテルで聞いてきた。聴衆は約500人で満員の盛況
“うつろ”とは虚ろ、空ろとも書く。要は空っぽの意味。うつろ屋だから、空想家、空論家と言うべきか。うつろ屋軍師だから、とてつもない事を言う戦術家。その男・江口三郎右衛門正吉は丹羽家の家来だった。丹羽長秀は織田信長の重臣。織田家五大老の一人として信長
三寒四温の今日この頃。年度末国会でよく頑張りました。能登復興予算を年度内に通すべく休みも返上。能登を守りました!政治倫理審査会にも総理自ら出席。これも能登を守る為でした。政倫審では立派に説明責任を果たされました。記憶なしと、嘘とを堂々と説明されま
厚顔無恥=政治家こんな方程式が成り立つ昨今。総てとは言わないが、マスコミを賑わす人に多い。厚顔無恥とは、厚かましく、恥知らずなさま。他人の 迷惑 などかまわない。 自分 の 都合 や 思惑 だけで 行動 すること。 図々しいさま、云々を言う。厚顔無恥と書
申告したくない!誰しも、そう思うだろう。今の政治家の体たらくを見れば。何千万単位のキックバックが無税かよ?裏金が許されるのかよ?“不明”の2文字で済むのかよ?秘書が・・・で済むのかよ?記憶がありません!で済むのかよ?写真を突きつけられたら、薄々
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月に一度の楽しみが土砂降りでガッカリ!梅雨は開けた、と気象庁は言うが嘘だった。ここ数日、雨降りが続いた。ゴルフはゴルフ場が中止と言わない限りやるもの。こう先輩から教わってきた。過去に一度だけハーフで中止の経験がある。その時は台風が接近してきて危険
又しても桜の木が切られた。我が散歩道は長良川の堤防である。そこには桜並木がある。2年前に右岸側の約50mが切られた。堤防の補強工事に邪魔だとされた様だ。だがお立合い!今見ると、工事には何の支障もない。何故切られたのか、未だ解らず!この事は2023/3/8
八十路坂を越えると早い!急速に冥土が見えてくる感じ?同世代が黄泉へ向かうせいもある・・・。でも俺だけは・・・と身勝手に思う。思えども、体のそこかしこは老いてゆく。老いに、少しは遠慮しろ!と言えども無視される。 年に一度の検診に大垣徳洲会病院へ。家
最初の与七は3年前だった。女房が胆のうの手術をして退院の日。大和道の駅でウチョウランの展示会を見た。そこに、親戚の人が出展していた。退院の記念だと言って一鉢頂いた。小さな鉢には“与七”の名札が差してあった。 愚性の親父・正三は野々村家からの養子で
痛恨の極み!我がチームの名ショート・鷲見保 77歳。陽気で気さくな男だった。俺がセカンドで二遊間を守った。彼との二遊間は息があった。打順も1番、2番の切り込み隊だった。初回に俺達が塁に出るとほとんど勝ちパターン。今の俺の姿からは想像も出来ないだろうが
漂流ポストの事を仏教小冊子“御堂”で知った。高齢ドクター鎌田実氏の記事にあった。東日本大震災で亡くなった人に手紙を書く。それをこのポストに投函する。相手に読まれることのない返事も来ない、でも書いて投函するのだ。やりきれない思いを便箋にぶつけるのだ
拝啓 今冬は稀にみる大雪でした。近年は雪のない冬が続き、雪囲いはしなくなりました。油断大敵、災害は忘れた頃にやって来る。大雪は庭木等をしっかり虐めました。少々の雪の重みは、木を丈夫にするから、雪囲いはしないのだと、怠け者の弁。毎朝、庭木の雪を払いまし
女 房の温習会の出演は3回目である。前の名簿から見ると会員の減少が目立つ。師匠格では16人が8人に。白鳥だけの会員は10数名が2人の激減。何故だろう?でも我が家の大奥は生き残ってきた。弟子の孫もへこたれなかった。バーバはこれが最後だろうと老体にムチ打った
10年ぶりに開催された。この一か月、我が家は大騒動だった。門下の子供たちとバーバの踊り練習で。俺様だけ、蚊帳の外。畑の雑草も伸び放題、ジャガイモ収穫も忘れられていた。ソフトの試合を休んで、舞台を見に行った。下の孫の美夜は第二部の五番目に登場。樋口一
寅次郎の妹・さくら。男はつらいよの元題は“愚兄賢妹”だった由。絶妙の兄妹である。そのさくら・千恵子が綴った。倍賞自体はモノを残さない主義とか。モノが残ると次に進まないという。彼女は俺より一つ若い?84歳。晩年になり人生を振り返る事も大事かと思い直し
平家物語の白川天皇のたまう。予には三つのままならぬものがある。“賀茂川の水と賽の目と比叡山の僧兵だ”時の大権力者でも、この三つが思い通りに出来なかった。 寅にもままならぬものがある。一つは八十路越えのカカ殿。連れ添ってやがて60年になろうか?最初は
リモート同窓会、レター同窓会とも言う。コロナの副産物である。5年前に一度開催したことがある。その時の最後のセリフは“コロナが治まったら、この世の見納めに、最後の同窓会をやろうぜ!” だった。世界を震撼させたコロナ菌騒動も収まった。愚性も二回ほどコ
和田政宗参議院議員に初めて会った。藤井孝男議員の秘書だった浜崎氏はその後、縁あって、和田議員の秘書になった。その関係で、逢う機会が出来た。7月に参議院の選挙があり和田議員は改選期である。寸暇を割いて郡上に来られた。藤井後援会・藤政会の残党と面通し
今年は週末に天気がよく崩れる。今日までに13試合予定されていた。そのうち7試合が雨の野郎が邪魔した。梅雨前にこんなことは異例である。何故だろう?トランプのせいだろうか?中日が勝てないからだろうか?7月5日に大災害が起きると予言されている。その前兆なの
日本のトイレは世界で一番快適と言われる。ウオシュレットが行き届いている。数年前に中国の五つ星のホテルに泊まった。そこですらウオシュレットは手動である。脱臭装置も優れている。でも、臭いは完全とは言えない。先日、ある冊子を読んだ。トイレ研究家・白倉正
この時期、我が堤防道路は真っ黄色である。と言うのは去年までの話。今年は、真っ茶色である。何とも汚れた風景になってしまった。除草剤を撒いたのである。清流に除草剤を撒いていいのかねぇ?一面黄色のイエローロード。阪神ロードだとも思っていた。一転一面枯
50年前の事。小生35歳、江戸からUターンしてきたばかり。郡上に青年会議所をつくる話が聞こえてきた。そして誘いが来た。青年会議所って何もんだ?俺は正直、知らなかった。創立準備会に時の町長も呼んだ。商工会議所青年部の親戚かい?どうせ数年で消えるだろう
1936年(昭和11年)生まれ。1958年、立教大学から巨人に入団。1974年、38歳で現役引退。巨人軍は永久に不滅だと語る。2004年、68歳で脳梗塞で倒れる。2007年、妻・亜希子64歳で逝去。2025年、6月3日、89歳で旅立った。巨人は嫌いだが長嶋は憎めなかった。小生、ある
住民健診はおおむね良好だったが、血液検査から2点、指摘された。その1は、糖尿病予備候補生だと言う。今までは、その気配は全くなかった。甘いものを沢山食べていませんかと聞かれた。そう言われれば以前より少し多いかな?最近、孫と競って食べているから。競っ
今年の大雪はいろいろ被害を出した。このところ暖冬気味で雪が少ない年が続いた。それをいいことに庭木の雪囲いはさぼった。今年の雪は半端じゃなかった。量的にはそれ程とは思わなかったが重かった。毎朝、庭木に積もった雪は取り払った。でも枝はかなり折れた。近
ソフトは夏休みで中断、暇が出来た。同窓会をやろうと親友・角に相談。二つ返事でやることを決めた。84歳になり、人生最後の同窓会と銘打って。名簿は角が午前中に各務原から車で持ってきた。午後から案内文を作り、往復はがきに印刷。時間がない、その日の夕方に投
人生は“生老病死”と言われる。生まれて生きる、老いる、病む、死ぬ。この4つの苦しみの事とか。苦しむと言う事は、自分の思う様にならない事。生きてる限りは避けられねぇ苦悩らしい。仏教用語の四苦八苦の、四苦を指す様だ。人生は苦しみの連続なんかい?仏教は
白鳥神社、宮の森の下草刈り。例年、7月中旬に行われる。総代衆が草刈り機を唸らせて、刈り込む。今年は時折小雨の降る中だったが頑張った。合羽は外の雨と中の汗で、グショグショ!終わって社務所前で暑気払いのビール。この時、十数名の参拝客が来られた。刈り込
毎年7月に診察を受けている。大垣徳洲会病院まで片道90kmを走って。そこには昔お世話になった吉村先生が居られる。頸動脈狭窄症で首にステントを入れて頂いた。今年で16年経過した。その後の経過観察であるが、良好である。愚生も齢84になるそろそろ免許返納が叫ば
老いが随所に現れてくる。今年に入り、歯の工事が増えてきた。虫歯ではない。ポンコツの歯なんぞは、虫も食わねぇ。まずいから・・・。歯の老朽化である。歯が擦り減って来る、欠けてくる、割れてくる等。もう10年も20年ももたなくていい。適当に治して下さいとお
網走番外地、唐獅子牡丹・・・。女房との恋が始まる頃、流行り出した。女房のアパートの隣がヤクザ屋さんだった。彼女をヤクザ屋さんから守らにゃならん?高倉健さんを見習ったのでございます?お陰様で無事でした。てなわけで当時、健さんを兄貴と慕いました。晩年
6月23日は沖縄慰霊の日。日本人が忘れてはいけない日の一つである。6月のこの頃は、我が家にも因縁深い月である。母・故花子は6月26日生まれ。長女・美夏は6月27日生まれ。美夏の夫・秀人は6月24日生まれ。そしてわが弟・故健司は6月24日生まれ。彼は昭和17年、岐
白鳥小学校の校庭隅に飾ってある。全校生徒が書いた短冊が揺れている。子供達が何を願っているのか?短冊を覗いてみた。6年生の子は世界の事を考えている。“どの国も平和で笑顔で戦争のない事を願う”“貧しい国を無くしたい、その為に募金するよ”“こまっている
会社で使っているPCがストライキ!出勤したら、画面が真っ暗!左上に小さな英文字が並んでいる。訳してみたら、ハードデスクに不都合!トーシロには手に負えそうもない。パソコン110番にTel。救急車を呼んだ。早速デスクトップをひっくり返して開腹手術。人
今年前半の収穫を終えた。イチゴは今迄で最低の出来だった。連作がダメだったのか?甘味は十分だったが量が採れなかった。玉ねぎも育ちが悪かった。昨年は豊作だったが・・・。ニンニクもジャガイモも小粒。植えた位置が悪かったか?畑の南側に大きなクルミの木が
小4の孫、女の子。ジジババが東京に行くと聞いたらみやげをと言う。何がいいの?可愛い猫柄のリュック!東京駅にあると言う。スマホで調べたと言う。どうやって調べたの?猫グッヅ+東京駅 と打ち込んだら出たらしい。行けば解るだろうと詳しくは聞かずに出かけた
表があれば裏があるのが世の常。表になれなかったモノたち・・・。二番目ではない。“人の行く 裏に道あり 花の山”裏の道の方が、味があるとも人は言う。第1集、尊敬する柴又の寅さんとのツーショット。(67歳)第2集、尊敬する寅さんの格言。(68)“それを言っちゃ
第5集は孫3人、泣き叫ぶ凌太郎に成長を見る。大河7歳、優3歳、凌太郎1歳。第6集は新穂高ロープウエー展望台。古希を迎えた愚妻と脳胞手術退院祝いで新穂高へ。槍、穂高等、3,000m級の山々に俗界を忘れる。第7集は成長した孫3人。この年に愚妻は喫茶店稼業卒業、孫の守
単なる自己満足を続けている。ブログも今年で第18集になる。表紙も18枚になった。第1集からベースは変えて居ない。中心に描くモノだけ変えてきた。それは、その年の象徴的な出来事にした。第1集は2006年にスタート。カテゴリーは決めず、徒然なるがままに。頭
“土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよし”土建屋と致しましては、雨は天敵。仕事がやりずらい、進まない、出来ない・・・。休みになる、日当が出ない。パチンコに行く・・・負ける?踏んだり蹴ったり・・・雨、あめ、アメ。アウトドアー派には嫌われる、
夏になると深いラフに虐められます。ゴルファーなら“ラフ”は先刻ご承知。ゴルフの嫌な人も“裸婦”はご存じ? 得意?暇なのでラフと裸婦についてほじくってみました。カタカナと漢字ですが共通点がある、アル、有る。拙者のゴルフは仕事の接待から始まりました。
家の前の草むらに雀が沢山来る。何故だろう?そこには古いコメが捨てられていた。捨てたのは小生である。お米を捨てるとは、バチ当たりな奴だ。母が身罷って早や9年が過ぎた。母の住んだ隠居所はそのままにして来た。何時までも放置はできないと整理にかかった。そ
母が身罷って9年が過ぎた。母は晩年を気楽に過ごす事を望んだ。家の斜め向かいに隠居部屋を建てた。バストイレ完備の2DK。夫に先立たれ、還暦を過ぎた頃だった。以来、30年余を一人暮らしだった。大正琴、詩吟、宗教と気ままに楽しんだ。多くの友達が集まり、賑や
552ページある分厚い本。中々読む気が起きなかった。読み始めたら、止まらなくなって来た。そこには穴太積みが出て来たからだ。仕事柄、石積工事は土木につきもの。穴太積みを知ったのは10年前だった。仲間の新幹線会の旅で但馬の竹田城に行った。雲上の城が有名で
拝啓 今年に入り、二月が暖冬と言われたら、三月は急に冷え込みました。雪が命の我がスキー場群も、雪がなく、早々に店じまい。 同じく雪が金を産む、除雪作業も上がったり。 この地は雪が財布の紐を左右します。雪が早く消え、桜が早く咲くのかと花見に行けば、彼女