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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 宇土櫓の復旧に向けて

    現在、解体保存工事が行われている熊本城宇土櫓は、400年以上前の築城当時の姿を今に伝える「国指定重要文化財」です。現状の姿は素屋根に覆われて見ることはできませんが、近々、一般観光客も素屋根の中に入って工事の様子を間近で見ることができるようになるそうです。おそらく復旧工事が終わったらこんな近くで見ることはできないでしょうからぜひ見に行きたいものです。なお、復旧工事の完了予定は2032年です。素屋根を覆うシートには熊本地震前の宇土櫓の写真が印刷されています。熊本地震前の宇土櫓(加藤神社鳥居前から)熊本地震前の宇土櫓(西出丸広場から)川瀬巴水が描いた昭和23年頃の宇土櫓昭和2年に行われた解体再建工事前の宇土櫓昭和13年(1938)日独防共協定を結んでいたナチスドイツの青少年組織ヒトラーユーゲントが来日。宇土櫓前...宇土櫓の復旧に向けて

  • 檜垣媼と二本木遊郭

    一昨日の記事「観能記~檜垣~」の関連記事ということで、今日は「檜垣媼と二本木遊郭」の関係について。檜垣が白川のほとりに結んだ草庵が寺歴の始まりという蓮台寺(熊本市西区蓮台寺2)には、檜垣の墓石とも伝えられる「檜垣の塔」がある。この塔は室町時代にはすでに著名であったという。この塔のまわりを取り囲む玉垣の寄進者名が塔の門柱に刻まれている。この玉垣は昭和10年に熊本市の水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の際に造られたものらしい。そしてその寄進者名には二本木遊郭の妓楼名がずらりと並んでいる。なぜ、二本木遊郭がこぞって寄進したかというと、檜垣が遊女たちの守り神として崇敬されていたからである。女流歌人として知られる檜垣は若い頃、都の白拍子(しらびょうし)だったと伝えられる(世阿弥の創作だという説もあるにはある...檜垣媼と二本木遊郭

  • 孫娘の成人

    今月でgooブログを始めて19年。その最初の記事は孫娘が可愛いという、ただの「じじい馬鹿」の内容でした。その時、孫娘はもうすぐ満1歳になるという頃で、僕のパソコンのところへヨチヨチ歩きでやって来て、キーボードをメチャクチャに叩いていたものです。彼女も明後日29日にハタチの誕生日を迎えます。今、大学生です。時の流れはなんと早いことでしょう。これからの彼女の人生をいつまで見届けられるでしょうか。孫娘の成人

  • 観能記 ~檜垣~

    昨夜はEテレの「古典芸能への招待」で能「檜垣」を見た。熊本ゆかりの能なのだが、これまでナマの舞台はもちろんのこと、テレビ放送で見る機会も無かったので全くの初見である。しかし、謡本「謡曲集」で繰り返し読んで展開は分かっていたし、檜垣ゆかりの地めぐりもしていたので現地を思い浮かべながら見ていた。今回は金剛流だったからか、一部文言が違っていたり、最後に付加されたくだりがあったようだ。この能のモチーフとなっているのは「年経ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな」という後撰集の檜垣媼の歌また、鹿子木寂心の作という説のある次の一節が誰の作なのか、世阿弥が典拠としたものは何だったのかについても新たな疑問が湧いて来た。「さてもこの岩戸の観世音は霊験殊勝の御事なれば」とワキの修行僧が謡う霊巌洞の岩戸観音。「南西は...観能記~檜垣~

  • 隠れた人気動画

    YouTubeマイチャンネルの投稿動画数は現在、公開・非公開合わせて826本となっている。その中で月次視聴分析でアクセス数の上位にランクされることはほとんどないにもかかわらず、根強い人気を持つ動画がある。そんな動画の一つが「秋田県民謡喜代節」。これは7年前にアップしたものだが、この曲は秋田県仙北市角館あたりでお祝いの席で唄われるお座敷唄である。ゆったりとしたメロディで舞う地味な印象だったので、アップした時はあまり多くの方には視聴していただけないだろうと思っていた。ところが、アップ後しばらくしてから意外と反響が届き始め、それに伴いアクセス数も伸びて行った。先日、ネット上の歌詞検索サービス大手の「歌ネット」で、この動画を紹介していただいていることを発見した。根強い人気の要因の一つは「歌ネット」だったのかもしれ...隠れた人気動画

  • 河津桜よ また来ん春のたねになるべき

    昨日は未明の強い雨と冬に逆戻りしたかのような寒風の中、坪井川遊水地の河津桜は散ってしまうのではと川沿いの道を歩いて見に行った。幸いまだそれほど散ってはいなかったがそろそろ今年の終わりが近いようだ。ところで河津桜の発祥地・河津といえば「伊豆の踊子」の舞台でもある。河津というひびきが僕を青春時代に誘う。川端康成の小説に次のような一節がある。場面は湯ケ野の木賃宿。----------------その次の朝八時が湯ケ野出立の約束だった。私は共同湯の横で買った鳥打ち帽をかぶり、高等学校の制帽をカバンの奥に押し込んでしまって、街道沿いの木賃宿へ行った。二階の戸障子がすっかりあけ放たれているので、なんの気なしに上がって行くと、芸人たちはまだ床の中にいるのだった。私は面くらって廊下に突っ立っていた。私の足もとの寝床で、踊...河津桜よまた来ん春のたねになるべき

  • 清少納言と父 清原元輔

    大河ドラマ「光る君へ」の第6回にいきなり清原元輔が出て来てビックリした。ききょう(清少納言)に関連して名前は出てくるかもしれないがおそらく登場することはないだろうと思っていたからだ。藤原道隆が開いた漢詩の会に講師として招かれ、お題「酒」を出していた。三十六歌仙の一人として名高い歌人である元輔と娘の清少納言の関係を説明するために創られたエピソードなのだろう。「元輔集」(清原元輔個人の和歌集)を読んでいたら前書きに次のような中宮定子との歌のやり取りが紹介されていた。定子が元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる(歌人として名高い清原元輔の後を継ぐべきあなたなのに、今宵の歌会には参加しないのね)これに応えてその人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし(その元輔の子だと言われることがない身でし...清少納言と父清原元輔

  • 花のお江戸の文化発信

    大衆文化の発信地が「花のお江戸」になったのは文化・文政期(1804〜1830年)だそうである。それまでの京都中心のいわゆる上方(かみがた)にとって代わった。江戸から離れた地方にもファッション、書物、絵本、食、芸能等々の江戸の文化が伝えられた。もちろん今日のような通信メディアやコミュニケーションツールはないから、専ら地方と江戸間を往来する人々によって伝えられたので時間はかかった。熊本にも江戸の文化が伝わった事情について、「肥後史話」(昭和56年発行卯野木卯一良著)には次のように記されている。お江戸上りの侍や足軽達は参勤交替の長い旅から熊本へ帰ると、いつも得意で、江戸の流行歌を家中の朋輩などの間で歌って聞かせたものである。すると熊本にはまた熊本の芸術家が居って、早速、その悠暢なリズムに一味のユーモアを加えて、...花のお江戸の文化発信

  • 今年の花見は早いかも…?

    昨日、熊本も「春一番」が吹いたと報じられました。そして今日は気持悪いくらいの暖かさ。予報されていた雨もほとんど降らず、日中は気温が22℃にも達し、まるで4月中旬以降のよう。この分で行くと、3月20日という桜開花予想もだいぶ早まるかもしれません。ただ、桜の名所である熊本城は桜の老木の伐採が進められており、今年はちょっぴり寂しい花見になるかもしれません。過年度の桜の風景を並べてみました。▼東都上野花見之図・清水堂(歌川広重)東京在勤中、何度か花見に訪れた上野の山は花見の名所。この絵は上野の山の華やかな花見風景を描いた歌川広重(1797-1858)の「東都上野花見之図」です。下の「長唄元禄花見踊」にも唄い込まれた「清水堂」下あたりの風景が描かれています。▼長唄元禄花見踊この唄が作られたのは明治時代に入ってからで...今年の花見は早いかも…?

  • 熊本城マラソン

    昨日に続く快晴の下、熊本城マラソンが開催され、1万4600人が城下町を駆け抜けた。2012年に熊本市の政令指定都市移行を記念して始まったこの大会は、今年で12年経過したが、2021年、2022年と新型コロナ感染拡大のため中止。今年が第11回となった。11回目ともなるとさすがに初期の頃のワクワク感は薄れてきたが、それだけ定着してきたとも言える。この大会がある朝はわが家の前の道路が大渋滞するのはいつも変わらない。男子マラソン優勝者の古川大晃選手。2年連続4度目の優勝。女子マラソン優勝の加藤みちる選手。加藤選手は3連覇。第1回大会(2012年)のスタート風景熊本城マラソン

  • On The Sunny Side Of The Street

    雲一つない好天に誘われて今日は熊本城二の丸広場から護国神社周辺を歩いた。京町の本通りを歩いていると、日なた側の歩道と建物沿いの日陰の歩道とでは全く気温が違う。慌てて日なたの方へ移動。思わずあの曲のメロディが浮かんできた。二の丸広場は明日に迫った熊本城マラソンのゴール会場設営に大わらわの状態。明日も今日と同じような天気になってくれれば観る側にとってはありがたい。過去何度か雨中のレースがあったが、沿道で傘を差して応援するのも結構つらいものがある。護国神社の梅園に近づくと梅の花の甘い香りがただよい、爽やかな気分になる。明日のマラソンはすぐ下の上り坂を通るので今年もこの梅園から観戦することにしよう。熊本県護国神社・梅園熊本城二の丸広場OnTheSunnySideOfTheStreet

  • ブラタモリが終わるってよ!

    今年度末(3月末)を以てNHKの人気番組「ブラタモリ」が終了するという。2009年10月に始まったこのシリーズは第1シリーズから第4シリーズまで、パイロット版も含めるとこれまで合計317本、そのほとんどを見た。この1年ほどは正直、そろそろいいかなと思っていたが、いざ終わるとなると名残り惜しさが募る。タモリの後継者の話もチラホラあるようだが、同じ役割を担う人材となると簡単には見つからないだろう。これまで見た中から、個人的に印象に残る3本を選んでみた。江戸の盛り場~吉原編~(第3シリーズ2012年1月12日放送アシスタント:久保田祐佳)立教新座中学校・高等学校校長兼立教大学名誉教授の渡辺憲司さんの案内で番組が進行する。「吉原は江戸の流行の発信基地」とかなんとか言いながら、舟で吉原を目指す。柳橋から隅田川を北上...ブラタモリが終わるってよ!

  • 母の誕生日と春めく野辺

    今日は母の102歳の誕生日。姉と妹夫婦だけに声を掛け、一緒に昼食をとりながらささやかなお祝いをした。一昨日はかかりつけ医による退院後2週間の診察も受け、経過は順調のようだ。姉も妹夫婦もわれわれ夫婦も既に高齢者。話題といえば、どこの具合が悪いの、あの病院はどうだのといった話ばかり。これからも老々介護の日々が続く。午後2時から訪問看護師さんが来られたので、僕は寺原田畑の坪井川沿いを散歩した。関東地方だったか春一番が吹いたというニュースが流れていたが、空には雲が広がっていたものの妙に暖かく春本番といってもいいほどだった。1週間前に咲き始めていた坪井川遊水地の河津桜が七、八分咲きくらいになっていた。土手道をジョギングしていた高齢の男性が「だいぶ咲きましたね」と声を掛けて走り去って行った。思わず顔がほころぶ。土手沿...母の誕生日と春めく野辺

  • 上熊本駅界隈

    今日は買物ついでにひさしぶりに上熊本駅界隈を散策した。行く時は新坂を下ったが、帰りは「赤尾口の坂」を上って帰った。漱石先生を無視して通り過ぎるわけにはいかないので一応ご挨拶。相変わらず先生は128年前に上熊本駅に降り立った時のように新坂方向を向いてござる。ここから人力車で新坂を越えて行かれた。熊本電鉄上熊本駅は中華圏の観光客と思しき観光客の団体で賑わっている。相変わらず「くまモン」が人気のようで、ラッピングを背景に記念撮影ラッシュ。前方直進が新坂。赤い車の処から左折が「赤尾口の坂」この坂を上った右の丘の上に、加藤清正公の時代、熊本城の外城「赤尾丸城」が構えていた。清正公が亡くなった時、この丘で荼毘に付された。「赤尾口の坂」を上り切ったところにわが母校・熊大附中があり、その先に古刹往生院がある。境内のしだれ...上熊本駅界隈

  • 平成文化の薫り

    昨日、NHK総合で放送された「民謡魂ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」では12曲が演奏され、そのうち8曲が熊本民謡でした。そしてその8曲のうち7曲はYouTubeマイチャンネルにアップしている曲でした。その中から番組の主題となっていた「おてもやん」を始め、「牛深ハイヤ節」「熊本自転車節」「ポンポコニャ」の4曲を聴いてみました。いずれも、地方を務められた邦楽演奏家の先生方の第一級の演奏と舞踊団花童の巧みな踊りとが相俟って素晴しい芸能となっています。あらためて、その文化的価値の高さを再認識させられました。平成文化の薫り

  • 民謡魂 出演者のことなど

    今日はNHK総合で「民謡魂ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」が放送され、曲目もさることながら、存じ上げている出演者が多く、いつもとは違う楽しさを味わった。まず舞踊で華やかな雰囲気を醸していた「舞踊団花童&はつ喜」は15年ほど前から応援団の一員となり、メンバーがまだ幼い頃から知っているので彼女たちの成長ぶりをテレビ画面で見ることができて感慨深かった。牛深高校郷土芸能部も初めて見たのが10数年前。もちろんメンバーは年々入れ替わって行くのだが、毎年数回、高校総文祭などで見て先輩から後輩へと受け継がれていくさまを見せていただいている。民謡歌手の梅元遥香さんは彼女が中学生の頃から民謡コンクールやいろんなイベントなどで注目していた。この出演をきっかけに民謡歌手として大成していただきたいと願っている。舞踊団花童&はつ喜の...民謡魂出演者のことなど

  • いったい “能” って?

    ブログをフォローさせていただいているcakeさんが、鶴岡市黒川の春日神社に500年に渡って継承されてきた「黒川能・王祇祭」における神事能をリポートされていた。記事を拝見しながら、演能が行われた公民館はお世辞にも立派な舞台とは言い難いが、本来、能というのはこういうものだったのではないかという思いを強くした。ちなみに鶴岡市は加藤清正公・忠広公の終焉の地という熊本市とゆかりの深い町。平成23年の清正公生誕450年・没後400年行事の際には、黒川能(国指定重要無形民俗文化財)が招かれるなど、これまでも人の往来や文化の交流があった。熊本の能楽関係者にとって公立の能楽堂建設が悲願だと何人もの関係者からお聞きした。現在、熊本市内の常設能舞台はすべて神社の所有。しかも客席は野天。たしかに使いづらいこともあると思う。福岡の...いったい“能”って?

  • 春の調べ

    今日は夏目漱石の誕生日。ちょうど1年前、「夏目漱石内坪井旧居」が7年ぶりに再公開された。それからあっという間に1年が過ぎ、ふたたび訪れた春をたしかめに野辺を散策してみた。吹きわたる風はまだ冷たさが残るものの、木々のそよぐ音や鳥のさえずりは春の訪れを喜ぶ歌のようにも聞こえる。三味線に冴えたる撥の春浅し(夏目漱石大正初期頃)成道寺川のせせらぎ八景水谷の水辺で泳ぐマガモ咲き始めた河津桜を横目に通り過ぎるくまモンラッピング電車2014.4.6水前寺成趣園能楽殿水前寺まつり笛藤舎元生三味線松野孝子筝井上洋子唄杵屋六花登・宇野民子小鼓中村花誠・今井冽・鬼塚美由紀大鼓今村孝明蔭囃子上村文乃立方舞踊団花童春の調べ

  • 民謡魂 ふるさとの唄 熊本県芦北町

    今度の日曜日2月11日にNHK総合で「民謡魂ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」が放送されます。熊本県の民謡を中心に熊本ゆかりの出演者たちによって12曲が披露されます。ぜひご覧ください。※放送時間:午後3:05~3:50【司会】城島茂、近藤泰郎【ゲスト】駒井蓮、かなで(3時のヒロイン)【出演】田中祥子、藤永翠珠、松阪ゆうき、平山美里、梅元遥香笹本壽、笹本寿之、米谷和修、荒井ふみ子、堅田喜代実西田美和、西田和菜芦北町相撲甚句会、熊本県立牛深高等学校郷土芸能部西﨑緑祠、西﨑恭千織、はつ喜月桂華、はつ喜月寿々、舞踊団花童&はつ喜【曲目】相撲甚句・・・・・・・・・(柝、唄、合いの手)芦北町相撲甚句会牛深ハイヤ節・・・・・・・(唄、三味線、太鼓、はやし詞)熊本県立牛深高等学校郷土芸能部筑後酒造り唄・・・・・・・(唄)松...民謡魂ふるさとの唄熊本県芦北町

  • 運転免許センターにて

    今日は2度目の運転免許高齢者更新をしに熊本県運転免許センターへ。3年前の更新の時、「これが最後の免許更新になるかもしれない」な~んて思ったりしたものだが、3年経ってみるとトンデモナイ!車への依存度はますます高くなるばかり。自分の運転能力の低下という現実は認識しており、いつかは免許を返納せざるを得ない時が来るのは覚悟しているが、今の生活から車というものが無くなった時のことを考えると空恐ろしい。思えば、昭和42年(1967)に初めて運転免許を取得し、翌年大学卒業と同時に両親にブルーバードの中古車を買ってもらい、その後何台も乗り替えながら今日まで56年。各地を転勤してまわった会社員生活の時も、いつも車は一緒に異動した。そして車と別れなければならない日も近づいている。初代マイカーのブルーバード運転免許センターにて

  • 伊豆の踊子は何を踊った…

    大林宣彦監督が亡くなられてやがて4年。生前、いつか「伊豆の踊子」を自分の手で映画化したいという夢を語っておられた。「伊豆の踊子」はこれまで6回映画化されているが、1974年に山口百恵主演の映画化の際、実は大林監督にオファーがあったそうだ。ところが、当時は百恵ちゃんの人気絶頂期、彼女のスケジュールがタイトで撮影に3日しかとれないとわかり、それでは無理とお断りしたそうだ。しかし、その後も「伊豆の踊子」への思い断ちがたかったらしい。そして作るに当たっては、過去の作品がすべて踊子薫が17、8歳の設定だったが、原作に忠実に13、4歳の幼い美しさを描きたいとも述べておられた。大林宣彦監督版「伊豆の踊子」が見たかった。恋の花咲く伊豆の踊子(1933)田中絹代伊豆の踊子(1954)美空ひばり伊豆の踊子(1960)鰐淵晴子...伊豆の踊子は何を踊った…

  • 初午大祭 ~福迎え御神幸行列~

    今年の初午は明日5日。熊本城稲荷神社では今日、初午大祭のプレ行事「福迎え御神幸行列」が行われた。献弊式に続き、宮司や今年の福男と福娘たちが街中を練り歩き、商店を巡りながら「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願した。また街行く人々にはお守りや福餅を配布した。稲荷神社の主祭神は、商売繁昌・五穀豊穣の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)という名の女神。そしてその使いが白いキツネ。加藤清正が熊本城築城の際に城の守護として勧請したという熊本城稲荷神社にはもう一つ別のキツネ伝説がある。加藤清正が羽柴秀吉の小姓として仕えていた近江長浜で、侍同士の喧嘩の仲裁に入った清正の見事な振舞いに、二匹の兄弟キツネが感服。将来を見込み、二匹のキツネは霊狐として清正を守護することになった。清正が24歳の時、秀吉から肥後北半国19...初午大祭~福迎え御神幸行列~

  • 厄除け虎くぐり

    今日は節分。加藤神社の節分祭が行われた。神事の後、参拝者は虎口をくぐって厄除けを行なう「厄除け虎くぐり」をし、本殿に参拝し福豆をいただいていた。毎年この日は虎口をくぐることにしている。「虎穴に入らずんば虎子を得ず、か」なんてわけのわからないことを考えながらくぐると、気のせいか年々くぐるのが窮屈になってきたような気がする。参拝した後、家族人数分の福豆をいただいて帰った。体が硬くなった年配者はくぐるのに苦労する方も多いようだ。この行事は朝鮮出兵時の加藤清正公の虎退治伝説にちなんだもの。加藤清正朝鮮国ニテ猛獣ヲ退治スルノ図(珍齋呂雪繪)長唄加藤清正公厄除け虎くぐり

  • 俚奏楽 民謡七福神

    先日行われた「第57回熊本県邦楽協会演奏会」で、本條流直門師範の本條秀美さん率いる「秀美会」の皆さんが演奏した「俚奏楽民謡七福神」。この唄は本條流家元の本條秀太郎さんが創作され、豊漁や五穀豊穣を七福神に祈願する民衆のこころが唄われています。「伊勢音頭」風の軽やかな節に乗って本條秀美さんの透明感のある唄声が魅力です。本條秀太郎さんは自らの著書「三味線語り」のなかで、「俚奏楽」に対する想いを次のように語っておられます。私が創作している三味線音楽は「俚奏楽(りそうがく)」と名づけています。鄙唄(むらうた)である民謡を昔は「俚謡(りよう)」といいました。私は「俚」という字を「人」に「田」と「土」と解しています。田舎を連想するこの文字は、より広い意味で日本人そのものを表しているような気がします。自然とともにその土地...俚奏楽民謡七福神

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