小遣いの少ない貧乏おじさんが無料ダウンロードや図書館からCDを借りるなど目指す曲をタダで聴くまでの記録
「プロフィールの画像」けっして私には似ていません。私、髪の毛フサフサですから!(2009-08-28の記事から) 私、ブラームス好きです。でも、彼の曲が頭の中に鳴り響くのは「打ちひしがれた時」です。“悲劇的序曲”が・・・(2009-09-03の記事から)
やっと・・・本当にやっと、この“貧乏ブログ”の更新です。1ヶ月以上前に「ショパン生誕200周年」には“心の針”が振れないことを書きましたが、「シューマン生誕200周年」には“心の針”が振り切れんばかりに振れます。だから、6月8日には更新したかったのですが・・・上司が代わったり、組織体制が変わったりと変化がありすぎた中、シューマンに“男のロマン”を求める、相変わらず“貧乏ヒマなしおじさん”です。シューマンの「交響曲第2番ハ長調Op.61」響きの“くすみ按配”が何とも「しっくり来る」のは疲れ気味だからか?精神的に弱っているからか?なんとなく捉えどころの無い「曖昧さ」が心地よい訳でして・・・そんな心には「第3楽章」のアダージョがよく沁みますねぇ。「パブリックドメイン・クラシック」の「ジョージ・セル指揮、クリーブランド...やっと更新です
この“貧乏ブログ”に登場する作品には、随分と偏りがあります。当然、好きな作曲家の作品が出てきますが、比較的苦手な人の作品も出てきます。好きでも嫌いでも無い作曲家の作品は出てこないですねぇ。好きなモノは心が動きます。苦手なモノでも心は動くんです。今年は「ショパン生誕200周年」だそうです。が、ショパンを“貧乏ブログ”に登場させるような心になりません。ショパンは嫌いではないのですが、絶賛を送るような心にならないし、何か比喩が浮かぶ訳でもないのです。苦手だって、そう感じる感性なのです。なにしろ、マーラーは“いなり寿司”ですから・・・心の針が“好き”に振れるか、“嫌い”に振れるかの違いはあるものの、心の針は動くのです。でも、ショパンには“貧乏不感症おじさん”です。ちなみに、マーラーは“嫌い”じゃなくて“苦手”です。この...心の針
一昨日は日曜日でしたが、その日の夕方の電車の中です。池袋から埼玉県西北部に伸びる路線に5、6人の登山姿の熟年女性たちが乗り込んできました。“大きなリュックサック”を背中に担いだまま、“大きな声”でご歓談です。悲惨なのは“大きなリュックサック”にぐいぐい押される“貧乏日曜日も仕事よ~!おじさん”です。以前も同様の経験が有りますが、何とかなりませんかねぇ。中高年の登山ブームも久しくなりますが、山だけでなく街中でもマナーを守って欲しい訳です。乗り物の中ではリュックサックは下ろして足元ね。いくら楽しくても、気持ちと行動が女学生にまで戻らないでね。昔の山登りはストイックな人が多かったし、街中でも山仕度をしたら“らしく”振舞ったもんです。「中高年」=「羞恥心ゼロ」みたいでイヤですねぇ。私、生まれも育ちも北アルプスの麓でした...おじさんの遠吠え
マーラーの「交響曲第5番嬰ハ短調」第4楽章の「アダージェット」が有名で、単独で演奏されたり、様々な場面でBGMとして使われることが多いですね。「アダージェット」といえばこの楽章を指すくらい有名ですし、確かに耽美的に陶酔する楽章です。が、全5楽章からなるこの作品の「第4楽章」として聴くのと、単独で聴くのとでは魅力が大きく違うと思うのです。単独では魅力が半減してしまうと思う“貧乏マーラーはよく解らないおじさん”です。全曲が“濃密”な作品で、「アダージェット楽章」も密度が濃く、いきなりの葬送行進曲の「第1楽章」より悲愴な陰影が濃くなる「第2楽章」一癖も二癖もあるスケルツォの「第3楽章」と経た後の耽美な「第4楽章」には、甘さと切なさが強調されます。“明るいフーガ”といった感じの「第5楽章」では「第4楽章」の旋律も軽く晴...クセのある濃い目のキャラ?
とうとう先週は一度もこの“貧乏ブログ”の更新ができませんでした。先々週の終わりに上司の異動があった関係でバタバタだったものですから、余裕が一切無い状態で今日まできました。今までとは正反対のタイプの上司ですから、まぁ疲れますねぇ・・・そんな中、音楽に心の拠りどころを求める“貧乏能無しおじさん”が色々と聴く中で、改めて“心にしっくり来る”と実感するのが、リヒテルのピアノで聴く、ブラームスの「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83」です。この作品を初めて聴いたのは「ヴァイオリン協奏曲」より遅かったのですが、感動というか“心の充足感”はこの作品の方が大きく、今もそれは変わりません。心満たされるこの作品をリヒテルが弾けば“心に沁み”ます。深い響きを持つオーケストラと技巧的でエネルギッシュなピアノでこそ「ブラームスらしいロマ...やっぱりブラームスです
いつも“いい加減で訳の解らない”この“貧乏ブログ”ですが、今日まで続きが書けずにいた記事があります。2010.01.29「事象より心象」より『一つは当然、復讐心が湧く状況の上、本人が窮地に追い込まれるのに復讐など考えない主人公の話。もう一つは自然災害を機に復讐を計画して行く話。』一体、何を読んでいたのか?前者は、小杉健治の「黙秘」で後者は、石黒耀の「震災列島」です。どちらも理不尽な最期を遂げた“娘”を持つ父親が主人公です。「黙秘」は明らかに殺人と思われる方法で娘が殺されたのに、その裁判で単なる事故としてしか裁かれなかった犯人を“寛恕の念”で赦す父親。「震災列島」では正確に地震を予測し、復讐を計画する父親。「黙秘」を読んでいる期間、私は非常に不機嫌でした。「寛恕」という重く難しいテーマ、そこに至るまでの主人公の苦...晴れない心
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」グレン・グールドのデビューアルバムで一躍有名になった作品です。それ以前は、ワンダ・ランドフスカのチェンバロによる演奏がこの作品の代表的な演奏でした。その両方が「パブリックドメイン・クラシック」には収録されています。“ピアノ”と“チェンバロ”使用する楽器の違いだけではない、演奏の違いを感じます。「ワンダ・ランドフスカ」は中庸な印象です。この作品の良さを世に知らしめるに相応しい演奏。当時、バッハ再認識の契機となったはずです。「グレン・グールド」はバッハを聴くというより、グールドの演奏を聴いている印象。当時、バッハ再発見の鮮烈さがあったはずです。個人的にはチェンバロよりピアノの方が好きですし、歯切れの良い音色が好きなので、グールドの演奏の方が好みです・・・が、それはこの作品に限ったことで...好きだけど嫌い?
年度末の忙しさも一段落で、やっと“貧乏ブログ”に向き合う時間ができました。そんな落ち着いた心になっての通勤。初々しいスーツ姿の男女。「あぁ、新入社員かぁ~」とやっと気が付く“貧乏昔は新入社員だったおじさん”です。「今日あたりは、まだガチガチなんだろうなぁ」と思い、「コレがもう少ししてごらんよ、馴れちゃってさー。でも、そういう時期って解ったつもりでミスるんだよなー。」などと要らんおせっかいの“貧乏妄想おじさん”です。デュカスの「魔法使いの弟子」数少ないデュカスの作品の中でも、最も有名な作品ですね。まぁ、ディズニーのアニメ映画「ファンタジア」で有名になった感もありますが、堅固な楽曲構成と華麗なオーケストレーションが融和した傑作に間違いはありません。ファゴットが大活躍するのですが、最初にファゴットが奏でる箒の歩く様を...箒の歩くメロディーが・・・
ブラームスの「弦楽六重奏曲」オーケストラ的な「第1番」と、いかにも室内楽らしい「第2番」。演奏機会も認知度も圧倒的に「第1番」です。「弦楽六重奏曲第1番変ロ長調Op.18」青年ブラームスの真摯な姿を彷彿させる「第1楽章」、“貧乏感傷的おじさん”の心の琴線に触れる「第2楽章」。初期の作品の中でも大傑作だと思う“貧乏独断おじさん”です。「弦楽六重奏曲第2番ト長調Op.36」やわらかで繊細な「ブラームスらしい本来の感性」という点においては「第1番」以上で、なかなかの傑作だと思う“貧乏思い込み?おじさん”です。何かと「アガーテ音型」がとりざたされる「第1楽章」ですが、弦楽器6挺という編成を活かした室内楽らしい響きです。「第3楽章」は変奏曲の大家としてのブラームスの面目躍如といった印象です。「ブラームスの真価は室内楽にあ...「第2番」もイイです
ブラームスの「ピアノ四重奏曲第1番ト短調Op.25」と「ピアノ四重奏曲第2番イ長調Op.26」ほぼ同時に作られた「短調」と「長調」、「陰」と「陽」の作品です。「陰」と「陽」。振り子のように、どちらか一方に振れると、同時に反対の振れの作品をまるで“対(つい)”のように作る傾向がブラームスにはありますね。短調の「第1番」と長調の「第2番」。人気があるのは「第1番」の方で、この傾向は他の“対”の作品の場合でも同じで、いかにも“ブラームスを聴いている”って感じの作品の方が人気がありますね。“いかにもブラームス”って「渋さ」とか「構築性」とか「メロディックでない」とか・・・色々と考えていくと“貧乏短絡的おじさん”なりの結論に行き着いたのです。“いかにもブラームス”はBGMには向かない。「ほの暗い情熱」漂うBGMはナシでし...気楽に聴くのもイイです
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