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マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
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垂水区
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姫路市
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2009/07/20

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  • 揺るがない希望

    けれども、私たちの国籍は天にあります。・・・・・・。ピリピ人への手紙3章20節私たちの目がこの世という地に向いているのか、希望に燃えた神の国に向いているのか。それが聖い生活を歩むことができるかどうかの鍵であります。「私たしの国籍」であると言うことは、神がいつも共にいて下さるということです。私たちはこの地上で多くのものを失うかもしれないし、多くの人たちから捨てられるかもしれないが、神が私たちを見捨てられることは決してない。何故なら、神は私たちのためにキリストを遣わして、その命で私たちを贖って下さった方だからだ。キリストは私たちの重荷を共に負って下さる、キリストが共にいてくださるから、私たちはどのような状況下でも喜ぶことが出来る。一日の業をすべて終え、床に就くとき。あなたの心境はいかがでしょう。「今日一日感謝...揺るがない希望

  • キリストの力

    すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。Ⅱコリント12章9節全文「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」これは、クリスチャンが試金石とすべき根本的な真理です。クリスチャンの力は、自分の弱さの中に現われるということです。私たちは絶えず、神によって、下へ下へと押し込まれる人生を歩むようにされます。神は、私たちの夢、野心、期待がそがれていき、これでもかと言わんばかりに、私たちを低くされます。そして、私たちが低くされたときに初めて、神は、「わたしの恵みは、あなたの十分である。」と語ってくださるの...キリストの力

  • わが家へ

    しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。へブル11章16節人生とは神の国を目指す旅であり、私たち信仰者は寄留者です。信仰者の本籍は天にあります。それゆえに神は一点において、私たちに誇りを持ち、喜んでおられたことがあった。それは、神が用意してくださっている天の都をあこがれていた、ということです。ピリピ3:20「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」ピリピ1:23「私は、その二つのもの(死と生)の間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほう...わが家へ

  • 神に愛された人

    だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。エペソ人への手紙5章29節「いまだかって、自分を憎んだ者はいません」と聖書は言うのです。自分を愛して当然です、これを自己愛と言います。ただ、自己愛は行き過ぎると、自己憐美に陥ります。そしてこれは、とんでもない悪魔に変身してしまうです。しかし、聖書の言う健全な自己愛は、自分を愛するように自分の隣人を愛しなさいと言う言葉にかかってきます。そういう意味で、本当に自分が愛され、また、そのような自分自身をそのままで受け入れ愛してくださった方がおられることを知る、これが本当の自己愛ではないでしょうか。自分を愛せないで、他者を愛することは不可能なことですし、それは自己満足、自己欺瞞です。父なる神があなたを愛し...神に愛された人

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