ハンドル名
ハレルヤおじさんさん
ブログタイトル
マラナ・タ
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/malanata
ブログ紹介文
私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   
自由文
ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。
更新頻度(1年)

18回 / 120日(平均1.1回/週)

ブログ村参加:2009/07/20

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ハレルヤおじさんさんのブログ記事

  • 神に選ばれた者です。

    「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から召されたのですから、その召しにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、」エペソ4章1~2私たちは神に召され、神の霊を受けた者だ。だからそれにふさわしく歩めと言われる。ですから、神の⼦とされた私たちにはとても⾒合った者、似つかわしい事柄なのです。わたしたちは、心を開いて熱心に聞きとらなければなりません。時代劇のドラマで「殿、ご乱⼼遊ばれてはなりませぬ」という台詞があります。殿様は殿様らしく振舞ってくださいということでしょう。皇室などにかかわる者たちはそれにふさわしい格式を⾝につけるために、それなりの教育を受けます。私たちは皇室の者になることはできませんが、それ以上の神の家族の⼀⼈とされていま...神に選ばれた者です。

  • 答えてくださる神。

    「主よ、王に勝利を与え/呼び求める我らに答えてください。」詩編20篇10節あなたはどんな一生を送りたいと思いますか。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。太く短くという人も、細く長くという人もおられるでしょう。しかし聖書は、「平安で静かな一生」を送るのが神の御心だといっています。振り返ってみると、人間は昔から、争い、奪い合い、殺し合って戦争の歴史を続けてきました。こんなに素晴らしい頭脳と知性を備えられ、神に似せて作られた人間が辿って来たのは戦争の歴史なのです。その根本は、人が神に背き、神を退けて、自分勝手な欲望だけを満足させようとする罪の道を歩み始めたからです。罪を悔い改めて、一人一人が神に立ち返る以外に平和への道はないのです。大事なのは、「呼ぶときに答えてください」という祈りです。主に呼びかけて、主が答えて...答えてくださる神。

  • ただ信じなさい。

    「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ヨハネ14章1節十字架を目前としたイエスは、弟子たちを置いてどこかへ行ってしまうと言われたので、弟子たちの心が騒いでいたのでしょう。でも、弟子たちだけででなく、私たち誰にでも同じような経験があるのではないでしょうか。日々の歩みには心を騒がせるようなことがあまりにも多いのです。強くありたいと思いながら弱く、うまくやりたいと切に思いながら失敗してしまう。愛し愛されたいと思っていながら身近な人とさえうまくいっていない。環境も私たちの心を騒がせる要因となります。経済的な悩みや心配、病気の苦しみや思い煩い、生別死別の苦しみ。また、将来を思うと、その不安定さで不安になる。イエスはこんな私たちに対して、「心を騒がしてはなりません。神の力と愛の約束を思...ただ信じなさい。

  • 分かってもわからなくっても。

    「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」伝道者の書11章1節「あなたのパンを水の上に投げよ」という命令も、神のご計画とみこころ、御旨、目的を実現させることにかかわる事柄です。水にパンを浮かべ流したら、たちまち溶けて分解、再び原形を取り戻すことはできない。この比喩は、与えるだけで代償を求めない無償の愛(アガペ-)を教えている。代償を求める愛は、相応な報いがないと不満がおき、不満が溜まり次第に増幅し、憎しみ湧き心が揺れ、怒りとなり愛に報いぬ相手に向かって爆発する。多くの人々は今も愛と憎の狭間で悩み苦しんでいる。イエスは報いを求める不完全な愛を否定している。ここは、パンをみ言葉に例えてみましょう。私たちが礼拝を通して聴く聖書のことば、心にどれほどとどまっているでしょうか。水に...分かってもわからなくっても。

  • 昔からずっと。

    「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」イザヤ63章9節この「ご自身の使い」は、ヤハウェの使いであるイエス・キリストご自身です。イスラエルが旅をしているときに、主の使いが前を進むことを約束しておられました。そして主は、イスラエルの苦しみと一つになってくださいました。これが神の民であることの特権です。主イエス様は、私たちの弱さに同情できないような方ではない、とヘブル書にあります。私たちを遠くから眺めて、苦しんでいる私たちに教訓を与えるような方ではなく、いっしょに苦しみを感じてくださっているのです。神は私たちの苦しみを無視するのではなく、ともに悩み苦しんでくださると言っているのです。神は私たちの悩みの...昔からずっと。

  • 神が望んでおられる。

    「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」へブル11章1節毎日聖書を読み、メッセージを聞いて、わかっているつもりでおりながら、なかなか信じ切って、すべてをゆだねきれない私たちです。このみ言葉にあるように。また、ルカ22:42で「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」このように言われているように。イエスの御父への絶対的な信頼を忘れることなく、今日も心にしっかりと止めてて歩んで行きたいものです。また、「信仰」とは、自分が願っているものを何回も自分の心に言い聞かせて、それがかなえられることを神に押し付けることではありません。そうではなく、神が言われたこと、また神が願っておられることを、そのまま自分の心...神が望んでおられる。

  • 最高の律法

    「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。」ヤコブ2章8節主なる神は人をご自身の姿にかたどって造り、そのうえ自由意志というものをお与えになりました。そして、人は神に逆らうことを覚え、そのために、自分自身をも滅ぼすことさえできるようになりました。これは一つの謎と言えます。現在私たちの目前で見られるいろいろな現象はこの謎の恐ろしい一面です。しかし人はまた他方で、この自由意志のために、自ら進んで神に仕え、隣人のために尽くし、永遠の救いを勝ち取ることもできるのです。なんと大きな違いでしょうか。神からいただいた「自由」を自由に使いこなすことは悪いことではありませんが、一致、真理、そして隣人への愛のために自らの自由を放棄...最高の律法

  • 私の味方は。

    「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」詩編19篇14節ユダヤ人が贖い主というときは、自分が窮地に陥り、全財産を失い、自分の身まで奴隷として売り渡さなければならないようなとき、犠牲を払ってまで買い戻し、助けてくれる親戚のことなのです。私たちにとっては、いのちを投げ出し、全身の血を流し切って、滅びから、裁きから救ってくださる主イエス・キリストこと真の贖い主なのです。そんな贖い主に、「私はこんなことをしました、認めてください」と、まるで商取引のような祈りません。私たちが差し出すべきものは何もなく、御前で祈る祈りの言葉をお受けくださいと祈るばかりです。心の底から湧き上がる信頼、願い、感謝し礼拝の思いと言葉だけしかありません。しかし、神はどんな供え物にも勝って、へ...私の味方は。

  • 恵みがそこに

    「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。」詩編121篇7節神を信じていない人があっても、私たちの人生には人の力が及ばない何か強い力が働いているということを感じている人は多くいます。人生というのは、自分の力で切り開いていくんだと、そんなふうに豪語している人も、自分の力ではどうしょうもない事態に出くわすと、何か自分の手の届かない特別な力が働いている、そんなふうに感じるのです。そして、運であるとか、つき、さだめというもののせいにして、特に失敗や自分の足りないところを言い逃れをしょうとするものです。人の及ばぬ力はどちらかというと、良い方向より、悪い方向に働くもののようですが、神には私たちを祝福し恵みに満たす力が働いています。主がいつまでも守ってくださる、という約束です。ユダ書にこう書いてあ...恵みがそこに

  • 信仰は。

    「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」へブル11章1節その目を閉じて、神のみ手の内に一切を、素直に喜んで委ねるならば、これは最高、最善の信仰です。その信仰は神がなぜそれぞれの働きをなさるかを知ろうとはしません。理性と、感覚と、体験には、怒りと不正以外のなにも見えなくても、信仰は、神が最高のいつくしみであり、正義であることを、なおも信じてよりすがっています。このようなわけで、信仰とは、見ていない事実を確認し、見える姿と正反対の事実を確認するというのです。さて、英語では、HallofFaithあるいは「信仰の殿堂」と呼ばれるところです。けれども、この章がしばしば、あやまって解釈されることが多いのです。強く念じるように信じることによって、自分の願っていることが叶えられる、など、信仰に信...信仰は。

  • 秘訣

    主に逆らう者は勝手にふるまいます/人の子らの中に/卑しむべきことがもてはやされるこのとき。」詩編12篇9節現実の生活の中で、あるいは主の働きをしていく中で、神はなにも働いておられないように思える誘惑が主を信じる者たちに襲います。聖書に書き記されているような圧倒的な力をもって神が働いているようには思えない。そんな時、神を信じることが馬鹿らしくなるときがあるのです。私もそんな思いにかられたことがしばしばです。神を信じていなくても、世の中には、要領よく立ち回って利益を得ていくような、成功していくような者たちが大勢いる。みんながだましあって、二心をもって、本音と建前を使い分けながら、悪いことでもかまわずに押し通して成功しているのを見ると、心が揺らされます。世が末の時代となり、社会的倫理が破れて来ると「卑しいことがあがめ...秘訣

  • 素晴らしい報い

    「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。」伝道者の書4章9節天地創造の後、神である主がエデンの園に置かれた人はひとりでした。その人はすべての生き物に名前をつける(=それは生き物を支配することを意味します)という立場にいましたが、人には「ふさわしい助け手が見つからなかった」とあります(創世記2:20)。そこで神である主は「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と言って、深い眠りをその人に下し、彼が眠っている間に、彼のあばら骨の一つを取ってひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られました(2:21~23)。「ふさわしい助け手」の存在によって、人は人となるのです。「ふさわしい助け手」を与えられた人がその「助け手」とともに労...素晴らしい報い

  • 朝ごとに

    主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。」イザヤ50章4節自分のしていることに気づかない、また神の主権と力を認めない者たちに対して、それでもなお真実をもって、矢筒に隠した矢のように御言葉を語る主イエスの姿です。頑なな民に対して、主はなおも仕えられました。それは一にも二にも、父なる神ご自身からご自身が召されたのだ、人として現れること、女から生まれる者とされたこと、このことをわきまえておられました。そして、人となられただけでなく、さらに人からの侮辱を受けることも御父から言われていることとして、服従されたのです。そして次が、あまり知られていないことです。人としての主イエスは、心の中でこのような侮...朝ごとに

  • 学んだ。

    「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」詩編119篇71節万物が成長を止める冬こそ、土壌にとっては安息の時であり、その間に来年の目覚ましい活躍のための復活の力が蓄積されるのです。実に行き届いた神の愛の配慮ではないでしょうか。私たちはこの寒い冬の中にあっても、なおその中に秘められた神の愛の御心を悟って、この寒い冬のためにも感謝することを学びたい。ところで自然界に冬が来るだけではなく、私たちの人生にも冬があります。時には花咲く順調な春もあるでしょう。あるいは額に汗して弄する勤労の夏もあるでしょう。成功の実を楽しむ収穫の秋もあるでしょう。しか、また日の光さえ見えない逆境の冬も何回となく巡って来ることも確かなことです。自然界に冬を与え、草木のために配慮し、人のために最善...学んだ。

  • 祝福された日々へ

    「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」詩編1篇3節主の教えを喜びとし、それを思い巡らす結果が、ここに書かれているとおりです。私たちは、「植えられた者」です。神によって、命の水の源であられるキリストの中に植えられた者であり、命の御霊によって実を結びます。私たちはすでにキリストといういのちの水の源泉にふれています。このキリストのうちに神の知恵と知識との宝がすべて隠されています。ですから、キリストのことばを私たちのうちに豊かに住まわせ、キリストの中に根差し、主にある者と共に建てられていく者とされているのです。また、この繁栄は、少しずつであることを忘れないでください。木から実が結ばれるのに時間がかかるように、繁栄にも時間が必要...祝福された日々へ

  • 祝福された地

    「しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。」申命記11章11~12節今、私たちは未知の世界の入り口に立っています。目の前には新しい一年が横たわっており、私たちはそこを進んで行って、それを自分のものとします。何を見出すのか、進んでいく途中でどのような新しい経験をするのか、どのような変化が起こるのか、どのような必要が生じて来るのか、理解している人など一人もいません。この先何が待ち受けているのかわからなくても、私たちは力と慰めを与えてくれるみ言葉を天の父からいただいているのです。主は、私たちに必要なものを供給してくださるお方です。私たちに必要なのは、ただ信頼することだ...祝福された地

  • 完全消化

    「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。」ルカ2章29~30節シメオンは神を讃美するが、讃美の後半はイエスの十字架を預言している。メシアは信じる者には救いの石であるが、信じないものにはつまづきの石になると彼は預言する。神の御救いの計画の中で今がどういう時代であるかを知ることは、私たちの生き方を主にあって、確かな、安らかな生涯へと導くことでしょう。それゆえに、シメオンのように聖霊によって神の御救いの全貌を垣間見させていただく一人とさせていただきたいと思います。また、神は一度決心をされると、最後までやり遂げられるおかたです。それゆえに神の救いの約束も御子主イエスの贖いによって成就されました。感謝です。ユダヤの人々は何千年もの間、神の約...完全消化

  • クリスマス・キャロル

    「御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。」ルカ2章10節天使が語り終えないうちに、数え切れないほどの天使があらわれ、生まれたばかりのイエスを賛美して歌いました。これが、初めてのクリスマス・キャロルです。今日でもクリスマスツリーの周りに集まってクリスマス・キャロルを聴くときほど、神の国が身近に、輝いて見えるときはありません。「おさな子イエスよあなたのうまれたうまぶねにやってきてひさせまづきますすべての魂と心を照らしあなたへの道を見させてください。」「み言葉の糧」O・ハレスビーよりこの「喜びの知らせ」のギリシャ語は、「福音」と同じであります。主イエスがあなたに言われています。「私はあなたと共におり、喜びで満たそう」と。クリスマス・キャロル