chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
フォロー
住所
垂水区
出身
姫路市
ブログ村参加

2009/07/20

arrow_drop_down
  • 満ちたるために

    「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」マタイ5章6節「ああ、飢えて死のうとする人が食物を求めるように、あるいは、渇いて死のうとする人が水を求めるように、全な義を慕い求める人の、幸いよ!その人は本当の満足を得ることができるであろう。」バークレ―訳自分自身のありのままの姿を見た人は、義に対して飢え乾きます。自分の正しいと思っていた行いは、神の目から見たら汚いぼろきれのようなものです「幸い」とは、神の祝福を受けた者としての喜びです。必ずしも自分が成功することではありません。「義に飢え…」とは、神との正しい関係、神のみ心に従うことをひたすら求める人のことです。この人の追及は飢えや渇きが満たされるまでやむことはありません。このような人を神はご自身との正しい関係に入れてくださるのです。さて、...満ちたるために

  • 神を褒め称えよ

    「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」詩編150編6節「神を賛美することによって、世界の意味が満たされるのであり、神の力の豊かさをほめ歌うことによって天と地の相異なる二つの声が力強いシンフォニーによる讃美へと一つに結ばれるのである。」A・ヴァイザ―詩編の最初の言葉は、「アシュレー」(幸いなことよ。)でしたが。最後は「息のあるものはみな、主(ヤハ)ほめたたえよ」で閉じています。この最後の詩編で、私たちに讃美の総動員をかけています。どうして聖書は「神をほめよ」「神を賛美せよ」というのでしょうか。第一は、神にこれほど愛され、イエス・キリストの十字架の血潮と言う代価によって救われた私たちが「喜んで」いたら、神は本当に喜んでくださるでしょう。しかし、それほど愛している者たちが、うなだれて、悲しんでいるなら...神を褒め称えよ

  • あきらめないで

    「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。」ルカの福音書18章1節私たちの主イエスは、いつでも、どんな時でも絶えず祈れるように、たとえを用いて話されました。「絶えず」「いつも」という表現はこの当時画期的な表現でした。当時のユダヤ教では、「神を絶えざる祈りで煩わせるな、一日三回より多く祈るべきでない」と教えていた。神を畏れず(恐れず)人を人とも思わない裁判官のところに、非力な貧しいやもめが助けを求めてやってきました。あまりにひつこく訴えるので、煩わしくなって、その訴えを聞き入れたというのです。「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほっておかれることがあろうか」とイエスは言っています。私たちはどんな問題で...あきらめないで

  • そのままでいいよ

    わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4主はご自分の選びのゆえに、ご自分の召しと贖いのゆえに、イスラエルをこよなく愛されています。この愛は、キリストにあって私たちにも注がれています。私たちは神の愛の中で、特別な存在です。ところで、ここで「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」とあります。ここで大事なのは、神の目によって高価なのだということであり、私自身の中には価値があるわけではないということです。ですから、自分の内に何か価値あるものがあるのかという自分探しはやめてください。代価を支払ってご自分のものにしたいと願われる神、この神を見つめてください。自分探しではなく神探しであります。「『そのままでいい』どれぐらい信じているかな「そんなこと言うけれどこれしなかったらダメなん...そのままでいいよ

  • 愛する子たちへ

    「しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」Ⅰコリント8章3節ここに、「神に知られるのです」と書かれています。神を知るのではなく、神に知られているとあります。「私はクリスチャンです。私は神を知っています。」と言うことから、他の人が、「あの人はクリスチャンなんだ。神があの人と一緒におられるのだ。」と、神に知られている人に変えられていきます。少しおませな子、少しおくての子、少しヤンチャな子、少し消極的な子、突走てしまう子、賢い子、楽しい子、愉快な子、できる子もできない子も、み~んな、私の子。でも、私としては少しもどかしく思うと神は言われる。子たちよ、何故、私の前に出るのに、取り繕っている、何故、構えて私の前に来てまで、善い子ぶるのでしょう。こんなにも、私はお前たちを愛しているのに。さあ、そ...愛する子たちへ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ハレルヤおじさんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ハレルヤおじさんさん
ブログタイトル
マラナ・タ
フォロー
マラナ・タ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用