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マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
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垂水区
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姫路市
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2009/07/20

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  • 神の国の市民です

    「けれども、私たちの国籍は天にあります。・・・・・・。」ピリピ人への手紙3章20節まず最初に、「神の国の市民」であると言うことは、神がいつも共にいて下さるということです。と言うことをしっかりと信仰として、日常の生活に植え付けてください。一日の業をすべて終え、床に就くとき。あなたの心境はいかがでしょう。「今日一日感謝でした。明日が楽しみです」と言うことのできる日々を送っておられますか。勿論日々好ましくない事柄が否が応でも向こうからやってくるのが現実ですが、しかし、このような心で平安な夜を迎えることができると言うことは、ただ神のあわれみと言えるでしょう。一日。何とか過ぎた、いや、主のみ手の中で過ごさせていただいた、この感謝と共に。カナンの地に一日近づいたと思うとき、明日への希望が湧きあがり、力が沸き上がってき...神の国の市民です

  • 無用です。

    だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイの福音書6章34節この不安定な時代、確実なものを見出しにくい時代。明日の事に思いを馳せ、思い煩いやすい者です。思い煩いの原因それは、恐れるということでしょう。ではその原因とは何でしょうか。40パーセントが、これから起ころうとすること。30パーセントが、過去にあったこと。12パーセントが、有りもしないこと。あとの残りが、人間関係です。以上が、恐れの原因でしょう。世界を見回しますと、非常に興味深いことは、物が溢れるようになった社会に心の病が始まるということです。物がなければ、今生きていることに感謝することが容易にできます。けれども物が溢れているところに、私たちは物そのものに仕える誘惑が増えます。そして物...無用です。

  • 一緒に

    「すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」出エジプト33章14節クリスチャンもそうでない人も問題を持ちます。同じ不幸が押し寄せます。病にかかるとクリスチャンは、なかなか薬を飲まないそうです。それは自分が病気にかかっていることを認めたくないし、クリスチャンが特有に持っているプライドがあるからです。でも、私たちはまったく同じように問題を持ちます。違いは、主がともにおられるか、そうでないかであります。主がともにおられるかそうでないかによって、その人がクリスチャンかそうでないかの決定的な違いがあるのです。主は私を見上げて、「さあ。来なさい」と。愛の慈しみに満ちた瞳で私を下から見上げている。どうしょう。踏み出せば良いだけの事なのに、何かが、私を後ろに尻込みさせる。それは、私の自我...一緒に

  • 疲れた ???。最後の一歩

    「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11章28節ここでの「重荷」は、自分を喜ばせようとする重荷です。私たちが、何とかして自分を喜ばせようとしても、満ち足りる事がなく、いつも不安です。現代は、「自己」という言葉が好きです。「自己実現」「自己尊厳」「自己啓発」など、自分を喜ばせようとする考えが中心になっています。けれども、現代はまた同時に、心の豊かさを求めています。逆に言うと、現代人は心が満たされいていないのです。この矛盾を抱えているわけは、自分を喜ばそうとしているところに起因しています。自分の救い主として、自分の心と人生にイエスを受け入れるのでなければ、ここに約束されている休みを得る事はできないのです。神を知るというのは、いわゆる...疲れた???。最後の一歩

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