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マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
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垂水区
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姫路市
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2009/07/20

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  • そのままで、

    わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43章4節ここには、主ご自身が自ら「わたしはあなたを愛している」とイスラエルの民に語ったフレーズのある有名な箇所です。このフレーズは本来「主の道に歩むことを望まず、そのおしえに聞き従わなかった」主の民に対して、主が語っている一方的なラブ・コールなのです。いわば片思いの愛です。名も知らない方の詩を紹介します。「『そのままでいい』どれぐらい信じているかな「そんなこと言うけれどこれしなかったらダメなんでしょ?ああならないといけないんでしょ?何の役にも立たなかったら、見放すんでしょ?だってこのままの私が愛されるはずない、だからムチ打って働いているよ、疲れているのにあなたのためだから、愛してくれるのでし?」でも神さまの愛はそんなんじゃない。「その...そのままで、

  • 鍛錬

    「しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。」Ⅰテモテ4章7節悪いものから守られるのは、悪いものがいかに悪いかを知ることよりも、むしろ健全な教えによって自分を整えることに他なりません。私たちは敬虔のための健全な教えはないがしろにして、知らなくてもよいような事柄に多くの時間を割きます。しかし聖書ほど矛盾や錯誤に満ちた書はありません。それだけに、細かく詮索すれば、膨大な論争の種になりますが、それは「俗悪で愚にもつかない作り話」です。それよりも、聖書の言葉を単純に信じて、みことばが語る神様のみ心を知り、生活に生かす訓練、神を敬う訓練をしましょう。説明できなくても、首尾一貫しなくても、信じて喜び、安心を得て、感謝が絶えなければそれ以上の幸いはありません。鍛錬

  • 人の怒りと神の義

    「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1章20節ここで言っている人の怒りとは、妬みや争いから生じている怒りです。私たちは、自分がいつのまにか自分の義の中に陥っていないか、心を見張っている必要があります。神の名を使いながら、実は神の義ではなく自分自身の義に陥っていることです。しばしば言われるのは、「正しいと言い張るのが、正しくない。」であります。正しいと言い張ると、そこには柔和さがなくなります。憐れみがなくなります。へりくだりがなくなります。しかし、これらこそが神の義に至るものであり、自分の理解する正しさではないのです。私たちはその心をイエスの十字架の血潮のゆえに消し去っていただかなければなりません。「義」とは正しいことですが、絶対的に正しい方は神以外にありません。人はとかく「自分は...人の怒りと神の義

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