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マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
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垂水区
出身
姫路市
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2009/07/20

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  • 悟るとは

    「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。」詩編19扁12節主に調べていただく祈りです。聖霊が私たちに自分の心の内を示してくださり、そして自分の道ではなく、主の道に導かれるように祈っています。ダビデがここで話しているのは、知らずに犯した罪のことです。私たちは、霊的に鈍くなっていて、罪を罪と認められないものがたくさんあります。気づいていないところで犯している罪があります。神さまとの交わりに罪が妨げになってほしくないと願っているダビデは、知らずに犯している罪に対しても、その赦しを願っています。松明に・・?知識と悟りの区別について。「知識があるという事は、」・・・道を照らそうとして、松明を使う事。「悟ったとは」・・・松明になる事詩篇139:23~24で自分で...悟るとは

  • 万軍の主

    ・・・、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。Ⅰサムエル17章45節Bこのダビデの言葉に、神の御国と人の国の対峙の本質があります。ダビデが表しているキリスト、とその御国は、御霊によるものです。主の御名によるものです。祈りと御言葉の霊的訓練によるものです。信仰によるものです。悪魔は、キリストの死とよみがえりによって、完全に敗北した者となっています。ですから、私たちがキリストのうちに立つとき、私たちが主の御名によって祈るとき、そのときにすでに悪魔は何も手を出すことができず、ただ退くことしかできません。そこで悪魔は、私たちの焦点をずらす戦法を取ってきます。あたかも問題が物理的な、肉的な問題であるかのように見せかけ、私たちを肉の領域に、物理的な領域に引き込もうとするのです。例えば、教会の中で言い争いが起こったら、...万軍の主

  • 偽善が問題でした。

    「それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」使徒の手紙5章4節アナニヤとサッピラの罪は、代金を全部持って来なかったことではなかったことが、ここから分かります。持ち物は残していても良かったし、売っても、その代金は自分のものにして一向に構わなかったのに、とペテロは言っています。この二人の悪は偽善でした。自分たちを人々に良く見せるために、嘘をつきました。この偽善が問題だったのです。また、アナニヤとサッピラの夫婦の根本にある問題点は、神に対する不信です。だれが自分たちの生存と防衛を保障してくれるのかというニーズに対して、完全に神に信頼していなかったという点です。単に、ごまかしたということではな...偽善が問題でした。

  • 食べ物

    「食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。」ローマ14章3節「私はキリストの憐れみによって嘆願する。あなた方も誤りを犯すこともあり得ることを考えて見て下さい」クロムウェル教会には厳格な狭量派と寛大な自由派があります。この時代にも、また現代と言うときにも、二種類の人たちがいます。それは表に出さない人と、はっきりと態度で表す人たちです。私たちは教会の交わりから、あら捜しや軽蔑を(色んな意味を込めて)、共に無くさなければなりません。ただ同情と愛と理解を持っことをに努めなければならないのです。主イエスは「信仰は食べ物に関する規則を守ったり、安息日の過ごし方などという規則で縛ることはできない」とハッキリ言われています。食べ物に汚...食べ物

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